聖アウグスチノ修道会

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聖アウグスチノ修道会の会章

聖アウグスチノ修道会(せいアウグスチノしゅうどうかい、テンプレート:Lang-la,略称: O.S.A.)は、聖アウグスティヌスの作った会則に基づいて修道生活を送っていた修道士のグループが、13世紀半ばに合同して成立した修道会ドミニコ会フランシスコ会カルメル会と並ぶ托鉢修道会として知られる。

宗教改革の火蓋を切ったマルティン・ルターや修道院の庭に蒔いたエンドウマメ遺伝の法則を発見したグレゴール・ヨハン・メンデルは何れもアウグスチノ会の会員である。また、メンデルがモラヴィア(現在のチェコ東部)地方の中心都市であるブルノにある修道院で遺伝の研究を行っていたころ、同修道院の少年聖歌隊に、後に作曲家として名を成す幼き日のレオシュ・ヤナーチェクが入り、これがヤナーチェクの音楽家人生の始まりとなったという。

日本における活動

日本には1584年に初めて上陸し、キリシタン迫害の時代には多くの殉教者を生んだ。そのうち金鍔次兵衛神父は、2008年11月24日長崎県長崎市長崎県営野球場で行われた列福式福者に列せられた。

1952年になるとアメリカ合衆国ペンシルベニア州におかれているヴィラノヴァの聖トマス管区から3名の会員が宣教師として長崎に送られ、活動を再開した。その後、長崎市の城山教会をはじめとして、福岡の笹丘教会、、名古屋の港教会、東京の葛西教会で小教区司牧を行い、また幼稚園や小・中学校の経営にも当たっている。1996年になって日本宣教地区はヴィラノヴァ管区に属する日本分管区(正式名称:日本殉教者分管区)として認可され、分管区本部は城山教会に置かれた。なお、聖アウグスティヌスの会則は、アウグスチノ会のみならず、ドミニコ会や聖母被昇天修道会(R.A.)など、多くの男女修道会によって取り入れられている。

著名なアウグスチノ会士

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