防衛大臣
防衛大臣(ぼうえいだいじん、テンプレート:Llang)は、日本の防衛省を管轄する国務大臣。他の大臣と同様、文民統制の観点から文民が就任する。行政組織としての防衛省の最高責任者であるとともに、陸海空の三自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣の下で(統合幕僚長を通じて)自衛隊全体を統督する。就退任に際しては栄誉礼で迎えられる。2007年1月の防衛庁から防衛省への昇格に伴い、長官から大臣に変更された。略称は防衛相または衛相(防相は防災大臣と混同されうるため用いられない)。なお、幕僚長には部隊指揮権がないため、防衛大臣が部隊を指揮することとされている(正確には防衛大臣を通じて統合幕僚長が大臣命令を執行する[1])。
概要
東西冷戦期には日米安保体制下にあって日本が防衛政策でイニシアチブをとる幅も少なかったため、戦後長らく、防衛庁長官は重要閣僚とはみなされず、初入閣者に与えられることが多いポストで、大物政治家の就任も少なかった。防衛庁長官経験者で、後に総理大臣に就任したのは、宇野宗佑と中曽根康弘のみである。
90年代以降、湾岸戦争などを経て日本の軍事面を含めた国際貢献が問われるようになるとともに、有事法制の整備、在日米軍再編や日米同盟の再定義といった防衛に関わる問題が国政の最重要課題に上ることが増えた。さらに、災害対策などにおける自衛隊の活動も国民に認知されるようになり、相対的に防衛政策の重要性が高まる中、防衛庁は2007年に安倍内閣のもとで悲願の省昇格を果たした。大臣(長官)も対外交渉や国会答弁を円滑に行うことのできる能力が求められるようになり、21世紀以降は、中谷元、石破茂(2002年)、浜田靖一といった「新防衛族」などと言われる防衛政策通や、額賀福志郎、久間章生、石破(2008年)といった再任者、あるいは他の有力閣僚の経験者などの就任が多くなっている。2009年には、外交・安保問題とは無縁だった北澤俊美が防衛関係で存在感を発揮し、2012年には内閣改造の目玉人事として自衛隊出身で外交・安保問題の論客である森本敏が起用されるなど、防衛大臣は比較的重要度の高い閣僚とみなされるようになっている。
歴代防衛大臣等一覧
- 防衛大臣のほか、防衛省の前身である防衛庁、保安庁、警察予備隊本部及び海上警備隊の海上保安庁長官等も範囲に含める。
- 警察予備隊本部は保安庁や保安隊をへて現在の防衛省内局や陸上自衛隊に移行した。
- 海上保安庁の海上警備隊は保安庁の警備隊になり、現在の海上自衛隊に移行した。
- 海上保安庁の本体部分は保安庁の海上公安局とされたが、移行されずに現在の海上保安庁に至る。
- 補職辞令のある再任は個別の代として数え、辞令のない留任は数えない。
- 臨時代理・事務取扱・事務代理は、大臣・長官空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
代 | 氏名 | 在任期間 | 兼務等・備考 | 所属政党 |
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警察予備隊本部長官 | ||||
- | 增原惠吉 | 1950年8月14日 - 1952年7月31日 | 認証官。内務省出身の警察官僚。 | |
国務大臣(警察予備隊担当) | ||||
- | 大橋武夫 | 1951年12月26日 - 1952年7月31日 | 警察予備隊令第9条に基づく担当国務大臣。 旧内務省の元警察官僚。 |
自由党 |
海上保安庁長官(保安庁への過渡期) | ||||
- | 柳沢米吉 | 1952年4月26日 - 1952年7月31日 | 内務省入省、運輸通信省・運輸省の官僚。 海上警備隊の指揮監督。 海上警備隊は保安庁の警備隊に移行。 本体は海上公安局に改編。 |
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国務大臣保安庁長官(総理府の外局) | ||||
- | 吉田茂 | 1952年8月1日 - 1952年10月30日 | 内閣総理大臣による事務取扱。 保安庁は保安隊、警備隊及び 海上公安局を管轄。 |
自由党 |
1 | 木村篤太郎 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 | 国務大臣(前内閣の法務大臣)。 | |
2 | 1953年5月21日 - 1954年6月30日 | |||
国務大臣防衛庁長官(総理府の外局) | ||||
1 | 木村篤太郎 | 1954年7月1日 - 1954年12月10日 | 第5次吉田内閣の保安庁長官より 国務大臣防衛庁長官に就任。 陸・海・空自衛隊が発足。 海上公安局法の廃止。 |
|
2 | 大村清一 | 1954年12月10日 - 1955年3月19日 | 第1次吉田内閣の内務大臣。 | 日本民主党 |
3 | 杉原荒太 | 1955年3月19日 - 1955年7月31日 | 外務省の元官僚。 | |
4 | 砂田重政 | 1955年7月31日 - 1955年11月22日 | 予備幹部自衛官制度の必要性を訴えて更迭。 | |
5 | 船田中 | 1955年11月22日 - 1956年12月23日 | 第1次近衛内閣の法制局長官 | 自由民主党 |
- | 石橋湛山 | 1956年12月23日 - 1957年1月31日 | 内閣総理大臣による事務取扱。 | |
- | 岸信介 | 1957年1月31日 - 1957年2月2日 | 外務大臣による事務代理。 | |
6 | 小瀧彬 | 1957年2月2日 - 1957年2月25日 | ||
7 | 1957年2月25日 - 1957年7月10日 | |||
8 | 津島壽一 | 1957年7月10日 - 1958年6月12日 | ||
9 | 左藤義詮 | 1958年6月12日 - 1959年1月12日 | ||
10 | 伊能繁次郎 | 1959年1月12日 - 1959年6月18日 | 運輸省の元官僚。 | |
11 | 赤城宗徳 | 1959年6月18日 - 1960年7月19日 | 安保騒乱で治安出動を拒否。 | |
12 | 江崎真澄 | 1960年7月19日 - 1960年12月8日 | ||
13 | 西村直己 | 1960年12月8日 - 1961年7月18日 | ||
14 | 藤枝泉介 | 1961年7月18日 - 1962年7月18日 | ||
15 | 志賀健次郎 | 1962年7月18日 - 1963年7月18日 | ||
16 | 福田篤泰 | 1963年7月18日 - 1963年12月9日 | ||
17 | 1963年12月9日 - 1964年7月18日 | |||
18 | 小泉純也 | 1964年7月18日 - 1964年11月9日 | ||
19 | 1964年11月9日 - 1965年6月3日 | 昭和38年度総合防衛図上研究の発覚で辞任。 | ||
20 | 松野頼三 | 1965年6月3日 - 1966年8月1日 | 元海軍主計少佐 | |
21 | 上林山栄吉 | 1966年8月1日 - 1966年12月3日 | 公私混同のお国入り問題で批判をうける。 | |
22 | 増田甲子七 | 1966年12月3日 - 1967年2月17日 | ||
23 | 1967年2月17日 - 1968年11月30日 | |||
24 | 有田喜一 | 1968年11月30日 - 1970年1月14日 | 運輸省の元官僚。 | |
25 | 中曽根康弘 | 1970年1月14日 - 1971年7月5日 | 内務省の元官僚(海軍主計少佐)。 | |
26 | 增原惠吉 | 1971年7月5日 - 1971年8月2日 | 全日空機雫石衝突事故が発生 | |
27 | 西村直己 | 1971年8月2日 - 1971年12月3日 | ||
28 | 江崎真澄 | 1971年12月3日 - 1972年7月7日 | ||
29 | 增原惠吉 | 1972年7月7日 - 1972年12月22日 | ||
30 | 1972年12月22日 - 1973年5月29日 | |||
31 | 山中貞則 | 1973年5月29日 - 1974年11月11日 | ||
32 | 宇野宗佑 | 1974年11月11日 - 1974年12月9日 | 第十雄洋丸事件では撃沈命令を出した。 | |
33 | 坂田道太 | 1974年12月9日 - 1976年12月24日 | ベレンコ中尉亡命事件が発生。 | |
34 | 三原朝雄 | 1976年12月24日 - 1977年11月28日 | 有事法制の研究を公式に開始。 | |
35 | 金丸信 | 1977年11月28日 - 1978年12月7日 | 統幕議長栗栖弘臣陸将の更迭。</br>在日米軍に「思いやり予算」を考案し実施。 | |
36 | 山下元利 | 1978年12月7日 - 1979年11月9日 | 大蔵省の元官僚(海軍主計士官) | |
37 | 久保田円次 | 1979年11月9日 - 1980年2月4日 | 宮永スパイ事件で引責辞任。 | |
38 | 細田吉蔵 | 1980年2月4日 - 1980年7月17日 | ||
39 | 大村襄治 | 1980年7月17日 - 1981年11月30日 | ||
40 | 伊藤宗一郎 | 1981年11月30日 - 1982年11月27日 | ||
41 | 谷川和穗 | 1982年11月27日 - 1983年12月27日 | ||
42 | 栗原祐幸 | 1983年12月27日 - 1984年11月1日 | ||
43 | 加藤紘一 | 1984年11月1日 - 1986年7月22日 | ||
44 | 栗原祐幸 | 1986年7月22日 - 1987年11月6日 | ||
45 | 瓦力 | 1987年11月6日 - 1988年8月24日 | なだしお事件で引責 | |
46 | 田澤吉郎 | 1988年8月24日 - 1989年6月3日 | ||
47 | 山崎拓 | 1989年6月3日 - 1989年8月10日 | ||
48 | 松本十郎 | 1989年8月10日 - 1990年2月28日 | ||
49 | 石川要三 | 1990年2月28日 - 1990年12月29日 | ||
50 | 池田行彦 | 1990年12月29日 - 1991年11月5日 | ||
51 | 宮下創平 | 1991年11月5日 - 1992年12月12日 | ||
52 | 中山利生 | 1992年12月12日 - 1993年8月9日 | ||
53 | 中西啓介 | 1993年8月9日 - 1993年12月2日 | 新生党 | |
54 | 愛知和男 | 1993年12月2日 - 1994年4月28日 | ||
- | 羽田孜 | 1994年4月28日 | 内閣総理大臣による事務取扱 | |
55 | 神田厚 | 1994年4月28日 - 1994年6月30日 | 民社党 | |
56 | 玉澤徳一郎 | 1994年6月30日 - 1995年8月8日 | 自由民主党 | |
57 | 衛藤征士郎 | 1995年8月8日 - 1996年1月11日 | ||
58 | 臼井日出男 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 | ||
59 | 久間章生 | 1996年11月7日 - 1998年7月30日 | ||
60 | 額賀福志郎 | 1998年7月30日 - 1998年11月20日 | 防衛庁調達実施本部背任事件が発生 参議院本会議で問責決議可決 | |
61 | 野呂田芳成 | 1998年11月20日 - 1999年10月5日 | ||
62 | 瓦力 | 1999年10月5日 - 2000年4月5日 | ||
63 | 2000年4月5日 - 2000年7月4日 | |||
64 | 虎島和夫 | 2000年7月4日 - 2000年12月5日 | ||
65 | 斉藤斗志二 | 2000年12月5日 - 2001年1月5日 | ||
国務大臣防衛庁長官(内閣府の外局) | ||||
66 | 斉藤斗志二 | 2001年1月6日 - 2001年4月26日 | 自由民主党 | |
67 | 中谷元 | 2001年4月26日 - 2002年9月30日 | 初の自衛官出身防衛庁長官 | |
68 | 石破茂 | 2002年9月30日 - 2003年11月19日 | ||
69 | 2003年11月19日 - 2004年9月27日 | |||
70 | 大野功統 | 2004年9月27日 - 2005年9月21日 | ||
71 | 2005年9月21日 - 2005年10月31日 | |||
72 | 額賀福志郎 | 2005年10月31日 - 2006年9月26日 | 防衛施設庁談合事件が発覚 | |
73 | 久間章生 | 2006年9月26日 - 2007年1月8日 | ||
防衛大臣(防衛省) | ||||
1 | 久間章生 | 2007年1月9日 - 2007年7月4日 | 原爆投下を巡る不適切発言で辞任 | 自由民主党 |
2 | 小池百合子 | 2007年7月4日 - 2007年8月27日 | ||
3 | 高村正彦 | 2007年8月27日 - 2007年9月26日 | 防衛施設庁の解体 防衛監察本部の新設 | |
4 | 石破茂 | 2007年9月26日 - 2008年8月2日 | イージス艦衝突事故が発生 | |
5 | 林芳正 | 2008年8月2日 - 2008年9月24日 | ||
6 | 浜田靖一 | 2008年9月24日 - 2009年9月16日 | 防衛会議を設置 田母神俊雄空幕長の更迭 | |
7 | 北澤俊美 | 2009年9月16日 - 2010年6月8日 | 民主党 | |
8 | 2010年6月8日 - 2011年9月2日 | JTF-THの編成 | ||
9 | 一川保夫 | 2011年9月2日 - 2012年1月13日 | 参議院本会議で問責決議可決 | |
10 | 田中直紀 | 2012年1月13日 - 2012年6月4日 | ||
11 | 森本敏 | 2012年6月4日 - 2012年12月26日 | 元航空自衛官・外交官 元防衛大臣補佐官 |
民間人 |
12 | 小野寺五典 | 2012年12月26日 - | 自由民主党 |
- 歴代連続最長在任記録 746日間 - 坂田道太
防衛大臣表彰(防衛大臣賞・防衛大臣感謝状を含む)
防衛大臣表彰は防衛庁の防衛省移行に伴い改称されたものである。これにより防衛庁長官表彰、防衛庁長官賞、防衛庁長官感謝状はそれぞれ防衛大臣表彰、防衛大臣賞、防衛大臣感謝状と改称された。 防衛大臣表彰は主に自衛隊員に対して授与されるもので事務官、自衛官、予備自衛官、即応予備自衛官については30年以上の永年勤続に対して授与されている。また、毎年防衛省が実施する安全保障懸賞論文の賞として授与されている。 防衛大臣感謝状は防衛省や自衛隊の業務に協力する団体の関係者に贈呈されることが多い。
脚注
テンプレート:防衛大臣- ↑ ゴラン高原国際平和協力業務の終結に関する自衛隊行動命令の概要(防衛省報道資料)大臣命令の末尾「この命令の実施に関し必要な細部の事項は、統合幕僚長に指令させる」の記述より