ナゴヤドーム
テンプレート:野球場情報ボックス ナゴヤドーム(Nagoya Dome)は、日本の愛知県名古屋市東区大幸南一丁目1番1号にあるドーム型野球場。また、同球場を運営する企業である。企業としての商号は、株式会社ナゴヤドーム(Nagoya Dome Company, Limited)。運営企業についての詳細は、後述の#運営企業を参照。
プロ野球セントラル・リーグ(セ・リーグ)加盟球団の中日ドラゴンズが専用球場(本拠地)として使用している。
概要
1994年8月8日より、三菱重工業名古屋工場の跡地で建設を着工(8月23日に起工)。1997年2月18日に完工し、同年3月12日に、同市中川区露橋にあるナゴヤ球場(旧・中日スタヂアム/中日球場)に代わる中日ドラゴンズの本拠地として開場した。
球場名はナゴヤ球場の表記に倣いカタカナの「ナゴヤドーム」となった。プロ野球以外では高校野球や、大規模室内コンサート・イベント会場として使用されている。
略記される場合、ドーム開場後も練習場や二軍本拠地として使用されているナゴヤ球場との混同を避けるため、ナゴヤ球場の略記として使われてきた「ナゴヤ」ではなく「ナゴド」ないし「ナゴヤD」とされることが多い。ベースボール・マガジン社から刊行される雑誌では、「ナゴヤド」「ナ・ド」の表記も見られる。
施設概要
施設データ
- 建物全体
- 敷地面積:104,447m2
- 建築面積:48,169m2
- 延床面積:119,445m2
- 階数:地上6階(一部中2階)
- 高さ:地上66.9m
- 直径:屋根外形230m、ラチス部分183.6m
- フィールド
- 両翼:100 m
- 中堅:122 m
- グラウンド面積:13,400m2
- 外野フェンスの高さ:4.8 m
- 内外野:ショートパイル人工芝(大塚ターフテック製グランドターフ)
- 天井最高点:グラウンド面より64.3m
- スタンド
- 収容人数:40,500人(下段席:約26,500席・中段席:約2,000席・上段席:約10,000席・立見:約2,000席、内野席:約27,600席・外野席:約12,380席・レストラン等:約520席)
- プロ野球開催時収容人数:38,414人(立見と外野席バックスクリーン部分を除いた数値)
- その他
- スコアボード:三菱電機製オーロラビジョン2基(呼称は「ライブビジョン」)
- 大きさ:メイン縦10.24m横35.84m、サブ縦4.2m横15.12m
- 照明(アリーナ照明):1178灯
- より天然に近い色にするため高演色メタルハライドランプを使用。これは野球におけるボールの見え方を重視して設計されたものである。内訳は、フィールド照明1058灯、空間照明48灯、観客席照明24灯、停電時の補助照明48灯。プロ野球開催時には780灯点灯し、バッテリー間2500ルクス、内野2000ルクス、外野1650ルクスの明るさになる。
スタンド
スタンドの基本的な設計は、横浜スタジアムや福岡 ヤフオク!ドームでも採用された可動席を持つフットボール兼用の円形球場のものである。ただしフットボール形態(公式サイトではサッカー・アメフト形態と表記)でのフィールドの方向は異なっている。
固定スタンドは真円のドーナツ型であり、内部に三日月形の可動席1対(3,340席×2)とバックネット裏可動席(850席)を設置し、円状に回転(最大120度)することによって3つのスタイルに変えることができる。フットボール形態ではバックネット裏にある貴賓席や報道席をメインスタンド正面にできるようになっている(従来の2球場ではサイドスタンドになる)。真円のグラウンド面には3本のレールが同心円状に配置され、この上を鋼製車輪を持つ可動席が動いて所定の位置でロックされる。なお札幌ドームではこの方式からバックネット裏可動席を省いたものが採用されている。三日月形の可動席は前列中央に弓形の切り欠きをつくり最前列の座席数を増やすことによって、同じグラウンド規模の福岡 ヤフオク!ドームや後に建設された札幌ドームよりも固定スタンドや外野フェンスの高さを抑えている。ただ東京ドームなどに比べればやはり全般的にスタンドが高すぎると指摘されており、落下の危険性の他、自分の席に近い塀際が見えず、バックネットに近い内野席ではホームベースが、一塁(三塁)側内野席の一部では一塁(三塁)が見えにくいという意見も多い。
内外野ともに三層式であるが、外野が二層以上の球場は同時期の1997年3月1日に開場した大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)とともに日本で初めての構造となった。下段席は1 - 3階、中段席は4階、上段席は5階に当たる。中段席は「プライムシート」と呼ばれ、他とは違ったシートが設置されている。
各種イベントにも対応できるようにバックスクリーンにも段差と座席が設けられている。ホーム方向からは一面が中日ドラゴンズのチームカラーと同じ濃い青色に見えるように塗装が施されており、野球の試合時はバックスクリーンとして立ち入り禁止となる。観客が誤って侵入する事を防ぐ為に、同エリアの出入り口付近には警備員が常駐している。
座席
基本的に内野は折りたたみ式、外野は固定式であるが、席割りの都合上折りたたみ式の座席の一部が外野席扱いとなっている。下段内野前列の可動席の全てが青色、下段内野中列・下段外野前列(2階スタンド内通路より下側)が水色、下段後列(2階スタンド内通路より上側)・プライムツイン(後述)が薄い緑色、上段はすべてクリーム色の座席となっており、座席の色がほぼ一色である他球場とは対照的である。ナゴヤドームのパンフレットによれば深海(2階下段)に太陽の光(5階席)が差しているのを座席色のグラデーションで再現したとのこと。
4階プライムシートには、ホームベース側に「スイートルーム・プライム1」という法人向け専用(販売価格や販売方法は完全非公開)のバルコニーつき室内席、内野から外野にかけて「プライム・ツイン」という2人席、センター後方に「プライム・ボックス」と呼ばれる4人席がある。また3階に当たる下段席最上段には放送席(バックネット裏)と「アリーナビューレストラン」(センター後方、前列カウンター席は2人席、後列テーブル席は4人席)があり、他はコンコースとなっている。このコンコースは立見席(2,000席分)であり手すりも設置されていたが現在は一部を車椅子席とする他は使用されず、手すりも車椅子席部分以外は撤去され立見禁止の掲示もされている。3階コンコースは地下駐車場より直接来られるようになっており、車椅子席購入者専用の駐車スペースも用意され車での来場が容易となっている。
また、ドーム球場の中では唯一、フィールドシートが存在しない。
2011年オフの改修によって、全席にカップホルダーが設置された。それまでは外野席には設置されていなかった。
2013年より一部シーズンシートがリニューアルされた。ネット裏の年間予約席の名称変更がなされる(スーパーダイヤモンドシート→プラチナシート)のと同時に(ダイヤモンドシート・プラチナシート)がクッション性に優れたものに変更された。尚、このリニューアルによって、両シーズンシートの座席の色が赤に統一され、配置されているエリアは新たに仕切りで囲われて「高級感」を演出している。
フィールド
両翼100m、中堅122m、左右中間116mと、日本国内で近年に建設されているプロ用の野球場としては一般的な大きさである。他のセ・リーグの本拠地球場に比べ、その広さと外野フェンスの高さによってホームランが出にくく投手が有利な球場となっており、ここをホームグラウンドとしている中日ドラゴンズはこのドームに移転したのちは投手力を前面に出したチーム編成としている。ファウルグラウンドは円形球場としては標準的な広さであるが、スタンドの設計の都合による弓形の出っ張りが特徴となっている。
グラウンドは開場当初からショートパイル人工芝で、コンサートなどでは巻き取られて収納される。張替えは2002年春と2006年春、2011年春の3度行われている。3代目・4代目(現行)の人工芝は天然芝に近い感触の特殊な繊維を使った長短2種類のパイルとクッション材を使用している。初代と3代目・4代目のものは緑一色であるが、2代目のものは塁間やウォーニングゾーンに土色の着色を施した総天然芝風のものであった。また4代目は3代目以前より濃い緑色を採用している。なお初代のものは中京大学硬式野球部へ、2代目のものは三重中京大学野球部にへ、3代目は中京大中京高校野球部に譲渡された他、ナゴヤ球場のファウルグラウンド部にも再利用されている。
設計時にサッカーの公式戦開催を視野にいれており、スタンドの移動で野球型(扇形)からフットボール型(縦型長方形)や展示会型(横型長方形)となる。プロサッカーの開催時には巻き取り式の台座に植えた天然芝(ビッグエッグターフ)の使用も考えられていたが、現在は使用の見込みはない(後述)。
マウンドは固めで速球派の投手が投げやすいと言われている。中日以外の他球団の投手によると、3塁側ブルペンのものは高さ・傾斜が異なるという評判がある[1]。ただし監督時代の落合は「ナゴヤドームにあるブルペンのマウンドは、グラウンドのマウンドと全く同じ状況を再現している。そのためホーム、アウェー関係なく投手はみな投げやすい。他球場のブルペンのマウンドは、言葉は悪いが適当な作りで、グラウンドのマウンドに立ったとき、投手たちの多くは軽く違和感を感じる」と否定する発言をしている。
外野フェンス
フェンス際での観客によるトラブルを避けるため、フェンス最上部のやや奥に手すりがあり、プレイ域内に観客が手を出せないようになっている。また手すり付近およびフェンスと客席の間の隙間は、フェンスを越えた打球が跳ね返らないようにするほか、客が落ちた際の安全性を確保するためにラバーで保護されている。この部分に当たった打球はフィールドに戻ってきたとしても本塁打になると定められている。2005年5月14日の中日対ソフトバンク戦では、7回裏に福留孝介の打球がフェンス上部に直撃、当初誤って三塁打と判定されたが、訂正され本塁打になるという一件があった。そのため当初水色だったラバーの色も、2006年の修繕時には白球に紛れにくい紺色に変更された。
ファウルポール
開場時のファウルポールは高さ13.2m(グラウンドレベルからの高さは18m)であったが、本塁打かどうかを識別しやすいように2009年8月14日からポール(内側の金網はなし)を継ぎ足し高さを36.2m(グラウンドレベルからの高さは41m)とした。屋根からワイヤーでポール最上部を固定している。これは中日の落合博満監督の発案で、セントラル・リーグが2009年8月より試験的にホームランの判定材料にビデオ記録を導入したことに異論を唱えた落合が、「ビデオって簡単に言うが、野球はアメフットと違いプレーを止めるスポーツではない。それより審判が見やすいように改善するのが先決」として、ポールを高くしたという[2]。解説者の中日OB木俣達彦は「ブランコポール」と名付けている。
スコアボード
バックスクリーン側(メイン)とバックネット側(サブ)に2台が対称するように置かれており、両方共に全画面での映像表示が可能である。当初はCRTであったが2008年シーズン前にLEDに置き換えられ、ハイビジョン対応となった。CRT式とLED式のどちらも三菱電機製オーロラビジョンであるが、当ドームでは「ライブビジョン」と呼称されている。下部に三菱電機の広告があったが一時期消滅、2007年より復活した。映像・各種演出に関しては、制作プロダクションの東通の子会社である名古屋東通が担当している。
メインスコアボードは右側をスコア表示、左側を映像表示(プレー映像やスタンドの風景、また試合前や試合中のイニング間には応援メッセージが紹介されることもある)とするのが基本であるが必要に応じて全画面での映像表示となる。CRT時代は左側にのみ映像表示が可能であった。スコア表示は得点経過などの他、出場選手、審判団、打者の背番号と氏名(フルネーム)、打撃成績(打率、本塁打、打点)、カウント、球速が表示される。LEDへの改修時には選手名の表示を一回り大きくし、さらに打席の選手のここまでの結果や本塁打の飛距離、試合経過時間を表示するようになり、また東京ドームのように選手交代時に選手名が回る演出も加えられている。イニングの表示は9回までで、10回以降は一旦消去した上で1回の部分から再び掲示される。ボールカウンターはビジョン内でCGによって表示されるようになっている(日本初)。
サブスコアボードは得点経過、打者の背番号と氏名(フルネーム)、打撃成績(打率、本塁打、打点)、投手のカウント、球速が表示される。映像を表示する時はスコアを一旦消して対応している。なおフルカラーの大型映像装置が二面あるのは国内の球場では初めてであった。
映像処理については2011年シーズン以降はそれまでのアナログ式からデジタル式に変更された。これに合わせて映像演出もリニューアルされ、ボールカウントも国際基準の慣習に合わせて『SBO』から『BSO』に変更された(ただし前述のようにビジョンにCGで出しているため、プログラム等の改修のみ)。
放送関係
バックネット裏3階部分にある放送席のブースは、三塁側から順にJ SPORTS・CBCテレビ・東海テレビ・NHK(テレビ・ラジオ両方)・東海ラジオ・CBCラジオとなっている(在名放送局は系列局向けの放送など本放送以外の放送〔所謂裏送り〕ができるよう、1部屋をサブとして所有しているようである)。グランド側は開閉ができる窓がある。他にもドームに放送席を所有していない局(テレビ愛知・中京テレビ・メ〜テレ・サンテレビ等)のために、いくつかフリーの放送席が用意してある。放送ブース前には机などが設けられた放送関係も使用できるマスコミ用の記者席が用意されている。
2006年と2007年の頃は使用されなかったが、バックネット裏1階の1部屋(後述のトヨタ回転広告の近く)にテレビカメラが設置される場合もある。2009年頃からは遠隔操作のできるカメラを設置する放送局も出てきている。
ドーム内のコンコースや喫煙所などには独自のテレビカメラで撮影された映像がテレビの試合中継のように放送されている(独自のカウント表示テロップを映像に表示している。神宮球場など他の球場ではCS放送用の映像をテロップ付きで流している場合が多い)。2011年の映像処理のデジタル化により、これらのモニターもブラウン管方式のワイド画面テレビ(三菱電機製)からハイビジョン対応の液晶テレビ(ソニー製)に交換された。
ドーム内では名古屋地区で放送されているAMラジオ放送の電波の再送信を行っている。これによりドーム内でもAMラジオによる野球中継放送が良好に受信できる。一時期ラジオ局がこのことをCMで流していた。
屋根
屋根は三角形の骨組み(一辺の長さ:10m、個数:792個)を格子状(ラチス)・単層に組み合わせた「単層ラチスドーム構造」である。ジオデシック・ドームの一種。高さは最高部で60m強であり他のドームと同じ位であるが、傾斜が緩やかなため打球を天井に当てた打者は3人ほどしかいない。中央部(屋根全体の17.2%)は特殊フィルムを貼った二重ガラスで自然光を取り入れられ、照明なしでもイベントや草野球を開催できる。タチカワブラインドのロール式の遮光幕「スカイロール」も設置されており、必要に応じて開閉が可能である。遮光幕は原則としてプロ野球開催時には試合前を含めボールが見やすいように全て閉じられるが、2011年に浜岡原子力発電所の運転が停止されたことで中部地方でも夏場の電力不足が懸念される事態となったことから、節電目的で打撃練習中の平日の昼間を中心に遮光幕を開き照明を通常の半分に減らすことがある[3]。
天井中央部にはフィールド用のスピーカー(メインクラスター)があり、やや離れた外側に客席用のスピーカー(サブクラスター、六角形状に一辺3個ずつの計18個、高さ50m)が設置されている。またメインクラスターの周りを囲むような位置にセンターリングが吊り下げられており、モニュメントやフラッグの吊り下げが可能である。
打球が天井に当たった場合は基本的にボールインプレイであるが、サブクラスターのうち外野側の9ヶ所のものに当たった場合のみ認定ホームランとなっている。2009年5月7日の中日対広島6回戦では、中日のトニ・ブランコが打った打球がレフト側にあるサブクラスターに当たりドーム初の認定ホームランとなった。推定飛距離は160m。
CO2削減への取組みの一環として、ドーム型の野球場屋根では世界初となる太陽光発電設備を設置することが発表され、2017年竣工予定で工事が始まっている[4]。
ドラゴンズミュージアム
ドラゴンズに関連する物品を展示し、その歴史を伝える博物館。試合開催日の開場から7回裏終了までにかけて公開している。歴代ユニフォーム、選手実使用のバット・ボール、トロフィー・優勝ペナントなどを展示している。また、ドラフト経由の新人選手による直筆のプロフィールを展示している。
過去には、WBCの優勝トロフィーの巡回展示企画の際に、ガラス張りの容器に入れて試合観戦客が列を作りながら鑑賞する事も行っていた。同施設は2階の通常出入口を介さずに、ドームの外から直接入場出来る飲食施設を通過して入場出来る事も有って、入場ルートによっては、観戦チケットを係員に掲示する必要が有った。 同展示企画の場合も、7回裏終了までの予定だったが、最大で約1時間以上の待ち列が出来る時も有った。 待ち列が異様に長かった為に、写真撮影は1人1枚に限定された。
テーマソング
名古屋のFM放送局ZIP-FMなど各局のミュージック・ナビゲーター(DJ)であるジェイムス・ヘイブンスが作詞作曲した「HERE FOR YOU」というナゴヤドーム公式テーマソングがある。ドームで行われた1997年の大晦日カウントダウン・コンサートで演奏し、ビクターでCD化されている[5]。
マスコットキャラクター
ドムラ(Domra)が本ドームのマスコットキャラクターとして存在。ひょうきんなオランウータンと、優しくて力強いゴリラをイメージし、本ドームのスケールを表したキャラクターとしており[6]、練習中のライブビジョンで放映される告知用VTR、グッズなどで登場することがあり[6]、開場当時は外野上部看板の2番目と3番目の間にドムラのイラストを設置していた。
外野上部看板のイラストは2008年以後は中日ファンには馴染み深いドラゴンズのマスコットのドアラ(レフト側)とシャオロン(ライト側)に変更されている。
広告・鳴り物応援
テレビ中継でよく映し出されるバックネット下のフェンス広告は、開場年からトヨタグループ(トヨタ自動車、トヨタホームなど。トヨタL&Fの広告も出されていた時期があった)が広告を掲出している。1999年より電動式[7]となり、複数の広告パターンが出せるようになった。この電動式広告は後付けのため、手前にせり出した形で設けられている。2002年シーズン途中から電動式広告下部中央にトヨタのロゴマークを追加。2006年シーズンからはそれまでの青と白のモノクロ広告からカラー広告が中心となった。2007年シーズンからは、トヨタ専用電動広告の隣に、縦書きでビックカメラの広告ステッカーが貼られている(2009年度よりステッカータイプから外野フェンス広告と同じように白色で書かれている)。2010年7月19日の横浜戦からは、トヨタ電動広告の上に、東建コーポレーション[8]の広告が設置された(試合により掲示されていない事がある)。2011年シーズンは、東日本大震災により自動車生産に多大な影響が出た事などを考慮してか、シーズン当初よりCM活動などとともに自粛(広告のない青一色の表示を掲出し、下部のトヨタロゴは消去)していた[9]。当年7月22日のオールスターゲームで球宴スポンサーのマツダなどにより一時的に復活した後、8月30日の中日対阪神戦から復活した。ドラゴンズが出場した2011年の日本シリーズでは協賛スポンサーのコナミが広告を掲出した。
天井そばにある広告は、中部日本放送の広告にのみ、ボールが当たった際には賞金1000万が贈られる。なお、推定170mのホームランを打たないと当たらないため、達成は非常に困難とされている(これまでの最高は、中日時代のトニ・ブランコの5階席まで到達したアーチ)[10]。
ベンチ横のカメラマン席のCBC・東海テレビ・東海ラジオの広告はナゴヤ球場時代からの名残である(実際、ナゴヤ球場のベンチ横のカメラマン席に、上記3局の広告が掲示されていた)。
鳴り物応援は午後11時以降も行える。ジェット風船や紙テープはゴミが増える事から許可制となっている[11]。ジェット風船については、換気や清掃作業の妨げになるため、他球団が使う特殊な飛距離の飛ばない素材、あるいはハンドポンプの使用なども含めて普段は使用することができないが、特別に2012年8月8日の中日 - 広島戦において、初めて使用が許可された[12]。ただしこの時も市販品の持ち込みは禁止で、球場で来場者に配られた専用の風船を利用した。2013年6月8日に2度目の使用許可がされた。
中日ドラゴンズ関連
入場者数発表
2005年から各球団がより透明性のある球団経営の定着を図るために、有料入場人員を1桁までの数字で発表しているが、中日だけは実数に近い数値で発表するとして下2桁を切り捨てて発表していた。これは中日主催ゲームのチケットが他球団のそれのように半券をもぎるスタイルではなく、チケットに入場を証明するスタンプを押す方式であり正確な人数が把握できないからだった。2006年からは他球団と同様、1桁までの実数発表に切り替えられている。
入場者数の記録(公益法人のため実数発表の日本プロ野球機構主催試合および2006年の実数発表以降)
- 最高入場者数 38,432人(2010年10月22日 クライマックスシリーズファイナルステージ第3戦 中日対巨人)
- 最低入場者数 6,947人[13](2010年6月16日 日本生命セ・パ交流戦 中日対北海道日本ハムファイターズ 4回戦)
- 元来より入場者数の大部分をシーズンチケットで支えているため、シーズンチケットなどが利用できない振替開催(富山市民球場アルペンスタジアムの雨天中止よる)となったこの試合では入場者数が激減する結果となった。
チケット関連
開場当初、中日主催試合では内野下段席の全てと外野下段席の多くがシーズンシート(年間予約席)となっていた。特に人気の高いライト側外野下段席は、数少ない自由席にドラゴンズ応援団が開門と同時にカードを置くなどして陣取っていたため不満の声が相次いでおり、「ライト外野側応援席は300席しか売られていない」とも言われた。さらに、順番待ち段ボール貼り(通称:段貼り)の場合でも、7ゲート付近の先頭組から始まって、6ゲート直前での折り返し位置までが下段席に座れるギリギリだといった話も流れていた。7ゲートの真横エリアは柵で囲うなどしていた部分が私設応援団専用の入場待ち優遇となっていたので、ここには一般ファンの立ち入りが禁止され、一般ファンの先頭組はこのエリアの後ろから並ぶことになっていた。全席指定になった2005年以降は、段ボール貼りは一切禁止である。2005年以前は手すりのあった下段最上部にある立見席が代替席として人気があり正式な席ではないが「パイプ席」と呼ばれていた。2005年からは全席指定化により希望の席が手に入りやすくなったため衰退し、立見の禁止が厳格となって完全に消滅した。現在は観戦できないようにそのスペースはプラスチック柵で囲われている。
2003年以降は一般販売への開放が三塁側、次いで2005年以降は一塁側を中心に増えている(単純に年間契約者数が減少している可能性もある)。また、並行して上段席を中心に値下げが行われた。ただ、依然としてライト側下段外野席の競争率は高く、GWやお盆休みの試合、週末の巨人・阪神戦や首位攻防戦などの場合は販売開始5分かからずに完売となる場合がほとんどで、公式戦ではライト側外野応援の当日券が出回ることはまずない。2005年以降、右中間の最前列2ブロック(25通路の真下付近)・上段の3ブロック及び左中間の最前列2ブロックが削られ、私設応援団が応援機材を置いたり、横断幕を掲げるなどしている。逆のレフト側もビジターチームの応援団が応援機材を置くことが多く、2007年度からはビジター外野応援席が下段席の4ブロック分のみになり、競争倍率は上がっている。レフト側は基本的にビジターチームファン用の席であるが阪神戦以外はほとんどが中日ファンで埋まる。2006年までは、2階席に5ブロック分設置されていた。44・45番通路がメイン。
内野のシーズンシートにはバックネット裏から順にプラチナ(旧称スーパーダイヤモンド)、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド、オパールといったように宝石名が冠されている(「ルビー」「サファイア」は一般販売の「内野S」と同等。同じく「エメラルド」と「内野A」、「オパール」と「内野B」は同等の席である)。2001年までは上段席にも設定されており同様の愛称がつけられていた。中段席のうち「スィートルーム・プライム1」は法人向け年間予約席のみで販売されていて、同席契約者専用のエレベーターホールが2階入場ゲートにある。「プライム・ツイン」の内野は年間予約席、外野は一般販売に分かれている。尚、プライム系(ツイン・ボックス)は販売担当部署が球団内(一般席)では無くナゴヤドーム内に置かれる。ただし、プライム1以外の年間予約席は、チケットぴあや中日新聞販売店での先行予約、地方遠征中止試合の振替などで一般販売されることがある(その場合、「スーパーダイヤモンド」「ダイヤモンド」は「内野SS」となる)。
球弁
球弁(たまべん)とは、「駅弁」「空弁」を参考に付けられた、ナゴヤドームで売られている弁当を指す総称。2005年から使用。
「球弁」は、中日ドラゴンズにちなんだ野球場らしいものが多く、「弁当屋が作ったもの」「仕出屋が作ったもの」「給食業者が作ったもの」があり、様々な味覚が楽しめるのも特徴である。中でも、ナゴヤ球場時代から販売されていた「ホームラン弁当」は、ドラゴンズの選手がホームランを打ったら翌試合には内容が豪華になる。この他にも対戦チームによって内容が変わり、常連を飽きさせない工夫の球弁もある。また、味噌カツ、名古屋コーチン、愛知県の特産品を使った名古屋めしの球弁もラインアップされている。オープン戦期間中にマスコミ向けに試食会が開催される[14]。2008年の交流戦では、「味の交流戦」と題して、相手球団の球場で販売されている球弁の味を再現して販売している。
隣接するイオンモールナゴヤドーム前店で飲食物を買ってドームに持ち込んだり、同店のフードコートや飲食店で食事をしてからドームに入場する人も多い。
その他
他球団に先駆けて中日ドラゴンズのホームゲームが開催される試合のイニング間において、3アウトで守備交代時になった時などに独自のジングル『ROAD TO VICTORY』が流されている[15]。中日広報の石黒哲男のアイディアらしく、気分を変えるためだという[16]。使用されるジングルは、毎年アメリカで3 - 4種類ほど制作されている。『ROAD TO VICTORY』の一つ『CHARGE』がかかる時は、千葉ロッテマリーンズのファンがそれに合わせてロッテコール(L・O・T・T・E OH LOTTE)を行うことがある。そのため『CHARGE』以外のジングルを使うかロッテ投手の交代を狙って『CHARGE』を使用することが多い。
また同様に、中日選手がヒットなどを打った時などにライブビジョン(正式名称・オーロラビジョン)に「アニメーション画面&ジングルや声(外国人)」を流し盛り上げるという手法も、早くから導入している。2011年は名古屋在住のDJ MITSU(nobodyknows+)がプロデューサーとなり、ドラゴンズのホームゲームにおける演出全般を統括している。
中日ドラゴンズのスターティングメンバーの発表・スピードボールコンテスト・1回表の守備につく際の紹介における場内アナウンスは、東海ラジオ放送のスポーツアナウンサーが担当していた(当日の担当アナは試合前のホームラン賞のスポンサーなどが発表される時間帯の最後に紹介されている)。なおオープン戦での「CBC杯」に関しては、CBCのアナウンサーが担当する。2014年からはスタジアムDJとして堀江良信が起用される事になり、中日の選手コール分の場内アナウンスを担当する。
ビン、缶、ペットボトルの持込は安全上の理由から禁止されており、入場前に荷物検査をされる。もし持込していた場合、内容物をドームで用意した紙コップに移してもらう事になっている。その他飲食物も同様に持込禁止である(規則上はそうなっているものの、手荷物の奥に該当物品を隠すなどして、巧妙に検査をすり抜ける観客が多いのも事実である)。仮に内容物が空の場合でも、その場のゴミ箱に捨ててもらう。なお、イオンナゴヤドーム前店2階コンコースで購入した飲食物とオープンデッキにある「CoCo壱番屋ナゴヤドーム店」の商品は持ち込みが可能である。
日本シリーズにおいては1997年の開場以来、2004年の日本シリーズまで中日の先発投手はおろか投手自体に勝ち星がなかった。2004年10月17日の日本シリーズ第2戦で、中継ぎのマーク・バルデスに中日初の勝ち星が、先発投手では2006年10月21日の日本シリーズ第1戦で川上憲伸が勝利を果たした。この球場での中日の日本シリーズ通算成績は2006年までは2勝7敗と悪く、プロ野球球団が本拠地とするドーム球場の中で大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)と並んで、日本シリーズの優勝ペナントが飾られたことがない球場であったが、2007年の日本シリーズでナゴヤドームで3勝0敗とし優勝したことによって初めて飾られることになった。ただそれ以降の成績は1勝6敗1分けと再び逆戻りしている。
中日ドラゴンズ以外の利用
野球
プロ野球では、過去に大阪近鉄バファローズやオリックス・ブルーウェーブ、西武ライオンズが主催試合を行ったことがある。ただし、このドームは中日の本拠地という性格上、5大ドーム[17]の中で唯一、同じセリーグの巨人の主催試合が行われたことはない。その他プロ野球の試合として、独立リーグ扱いとなる日本女子プロ野球機構の試合が2010年9月に1試合行われた。
2005年には全国高等学校野球選手権愛知大会(夏の甲子園の愛知県予選)の準決勝・決勝戦が開催されている。地方大会決勝戦(県代表決定戦)がドームで開かれるのは史上初のことだった(大阪大会では、大阪ドームにて開会式と、その直後の数試合を行っている)。2006年も決勝戦が実施され、現・中日選手の堂上直倫は愛工大名電高校の選手として2年連続で決勝戦に出場し、両年とも甲子園出場を果たしている。なお2007年も決勝戦を行う予定だったが雨天順延などの影響により、7月27日(準決勝戦)・28日(決勝戦)の2日間に準々決勝戦を行ったのみとなり準決勝・決勝は岡崎市民球場で行われ、2008年以降は使用されていない。
その他アマチュア向けに草野球の球場として貸し出しを行っている。手ぶらで来てもすぐ試合ができるように、有料でボール以外の野球用具のレンタル(要事前予約)が可能。また三塁(ビジター)側のロッカールーム・シャワールーム・マウンド(プロ野球シーズン中の利用は不可)・選手控室も併せて有料で利用可能。申し込みは2チームでの申し込みでもできる他、1チームでの申し込みでもナゴヤドーム側がマッチングをしてくれる(ただし、マッチング後に互いのチームで交渉する形になる)[18]。利用時間は早朝から深夜(5:00 - 22:10)までで、早朝(5:00 - 8:00)のみ3時間まで、それ以外は2時間半までになっている[19]。
ソフトボール
2011年4月、女子ソフトボールの日本リーグの開幕節(セントラル方式)が行なわれている[20]。
陸上競技
2012年から新設された大規模マラソン大会(マラソンフェスティバル ナゴヤ・愛知)において、「名古屋ウィメンズマラソン」のゴール地点になっている(スタート地点はドーム前道路)。また、ドーム前の道路は「名古屋シティマラソン」のスタート地点にもなっている。また、これに付随するイベントとして「マラソンEXPO」がマラソンが開催される2日前から行われる。
サッカー・アメリカンフットボール
元々はサッカー・アメリカンフットボールでの使用も視野に入れて建設されているが、現在までプロレベルの試合が行われたことはない。設計の頃には東京ドームでのプレシーズンマッチや1994年のワールドカップで人工芝の上に天然芝のシートを敷き詰めた例があったが、こうした仮設のピッチは選手には不評で近年では開催されることはなくなっている。なお2002 FIFAワールドカップの名古屋市の会場選考が難航した時に、候補としてあげられた事もあったが組織委員会から却下されている(後に名古屋市は会場が用意できなかったために撤退、代わりに愛知県が豊田スタジアムを会場にして立候補したが開催地選考で落選)。今後においても同県豊田市にほぼ同等の収容人数を持つ豊田スタジアムが完成したこともありプロサッカーの試合が開催される可能性は低いと見られる。ただし名古屋市中心部に近いため名古屋グランパスのファン感謝祭に使用されたことはある。
アメフトは可動席を動かさなくても使用できるが現在は東海地区でのアメフトの人気は高いとは言えず[21]、キャパシティや使用料の面からアメフトでの使用の見込みも少ない。
コンサート
中部地方における最大屋内コンサート会場として、ドームツアーの一会場としてコンサートで利用されている。札幌・東京・大阪・福岡とともに「5大ドームツアー」と称されることが多いが、公演回数が絞られる場合は地理的な問題で開催されないことも多い(名古屋飛ばしを参照)。
コンサートを開催したアーティスト
※テンプレート:Colorの年は開催予定であることを表す
- 国内アーティスト(50音順)
- 安室奈美恵(1997年、2012年)
- 嵐(2008年、2010年、2012年、2013年、テンプレート:Color)
- 2010年、2013年は2つのツアーで公演を行っている[22]
- AKB48(2013年)
- SKE48も出演した
- EXILE(2008年、2011年、2012年、2013年、テンプレート:Color)
- 2012年・2014年はEXILE TRIBEとしてのライヴ開催
- SKE48(2014年)
- 小田和正(2008年、2011年)
- 関ジャニ∞(2011年、2013年)
- Kis-My-Ft2(2014年)
- KinKi Kids(2000年、2003年、2004年)
- GLAY(1999年、2002年、2005年)
- globe(1997年、1998年)
- 桑田佳祐(2002年)
- 2010年にも開催予定であったが、自身の病気療養により全国ツアーが開催中止となった
- サザンオールスターズ(1999年、2005年)
- ジャニーズJr.(2000年)
- SPEED(1998年、1999年)
- SMAP(1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2005年、2006年、2008年、2010年、2012年、テンプレート:Color、テンプレート:Color)
- DREAMS COME TRUE(1999年、2007年、2011年)
- 浜崎あゆみ(2001年)
- B'z(1997年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2005年、2006年、2010年、2011年、2013年)
- ドームのこけら落しとなるコンサートを開催
- 福山雅治(2014年)
- MISIA(2004年)
- Mr.Children(2005年、2009年、2012年)
- 2012年は2つのツアーで公演を行っている[23]
- L'Arc〜en〜Ciel(2000年)
- 国外アーティスト(50音順)
- 1998年の公演は国外アーティスト初の4大ドームツアーの一環で開催された
- エルトン・ジョン(1998年)
- ビリー・ジョエルとのジョイント・コンサート
- クイーン+ポール・ロジャース(2005年)
- サイモン&ガーファンクル(2009年)
- G-DRAGON(2013年)
- セリーヌ・ディオン(1999年、テンプレート:Color)
- 東方神起(2013年)
- バックストリート・ボーイズ(2001年)
- BIGBANG(2013年、テンプレート:Color)
- 2013年の公演は国外アーティスト初の6大ドームツアーの一環で開催された
- ビリー・ジョエル(1998年、2006年)
- 1998年の公演はエルトン・ジョンとのジョイント・コンサート
- ボン・ジョヴィ(2000年、2001年、2003年、2006年、2008年)
- 2003年の公演は国外アーティスト初の5大ドームツアーの一環で開催された
- ルチアーノ・パヴァロッティ(1997年)
- ドーム落成を記念したガラコンサート
- ローリング・ストーンズ(2006年)
その他イベント
ナゴヤドームでは展示会や見本市、運動会などでの貸し出しを行っている。
毎年正月には『サークルKサンクスPresents テレビキャラクター夢ドーム』という特撮およびアニメーション関連のイベントが開催される(特に、スーパーヒーローライブステージと呼ばれるステージは日本最大級の迫力を持つ)。他にも『次世代ワールドホビーフェア』や『フラワードーム』などが毎年開催されている。
- 格闘技大会K-1も3度開催されている。
- 1997年7月20日、第1回K-1 JAPAN GPナゴヤドーム大会『K-1 DREAM '97』開催。佐竹雅昭がK-1ジャパン初代王者に戴冠した。
- 1998年7月18日、『K-1 DREAM '98 〜空手VSキック・7対7 全面対抗戦〜』開催(この模様はFNSの日で生放送された)。
- 2003年12月31日、『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』開催。ボブ・サップ対曙戦が行われた。
- 1997年8月10日、新日本プロレスによる興行『THE FOUR HEAVEN』(『IWGPジュニアヘビー級王座』・『IWGPタッグ王座』選手権)開催。
- 2005年3月12日、『NHKおかあさんといっしょ 弘道おにいさんとあそぼ!夢のビッグパレード』が開催され、佐藤弘道・タリキヨコらが出演した。
- 2011年2月19日、『東京ガールズコレクション in 名古屋』で初めてTGCがドーム開催され、翌年9月1日に第2回が行われた。
- 2012年2月17日 - 19日、『ONE PIECE』の世界を体感できる『史上最大のワンピースイベント! ワンピースドームツアー ファイナル』が開催された。
ドームツアー
ドーム内施設を見学できる「ドームツアー」は開場からしばらくの間は実施されていたが、現在は開催されていない。その為ドーム内を見るには、何らかのイベントで入場するしかない。現状、5大ドームの中では唯一ドームツアーが開催されていない。
プロ野球に関する出来事
- 1997年3月17日、初のオープン戦(対オリックス)が開催され、この試合が郭源治の引退試合となり同県豊山町出身のイチローを外野フライに打ち取った(同試合で大豊泰昭がホームラン)。最初のプロ野球公式戦は同年4月4日に開催され、1回裏立浪和義が横浜の盛田幸妃から球団史上初の開幕戦初回先頭打者本塁打=同球場第一号本塁打を打った。山本昌が勝利投手となり、宣銅烈(ソンドンヨル)にセーブが記録された。この年、両投手はそれぞれ最多勝とセーブ王になっている。
- 1998年5月12日、オリックス・ブルーウェーブ対千葉ロッテ・マリーンズ戦で、ロッテの攻撃中にフリオ・フランコがスイングしたバットが客席に飛び込み、顔面に直撃を受けた観客が負傷する事故が起きた。その前年には中日アロンゾ・パウエルの折れたバットが客席に飛び込んだことがあったが、怪我人は出ていない。
- 1999年9月30日、中日のセ・リーグ優勝決定の試合、2004年9月30日の神宮球場の試合(この日は敗れて優勝せず)、2006年10月10日のセ・リーグ優勝決定の試合ではビジターでの試合だったため、ナゴヤドームでパブリックビューイング(PV)が実施された。1999年は入場料や整理券などが不要であったことからスタンドは超満員となり、優勝決定後はスタンドから観衆がグラウンドになだれ込んで大混乱を起こした。こうした経緯から、2004年・2006年のPV開催時は「公式戦のチケットに添付する整理券が必要」などの対策を施すようになった。
- 1999年の日本シリーズでダイエー(現・福岡ソフトバンクホークス)がここで優勝を決め、王貞治が胴上げされた。王はナゴヤドームで開場以来、レギュラーシーズン及びポストシーズンを通じて初の胴上げを経験した監督となった。
- 2000年9月12日、東海豪雨でドーム内に浸水し、中日対広島戦の開催が中止となった。この前日の9月11日、平成12年台風第14号と秋雨前線による影響で大気の状態が不安定となり、名古屋市内で1時間93㎜という、1891年に統計を取り始めてから最高となる猛烈な集中豪雨が発生し、ドームが水没してしまった。このため復旧に時間を要するとして11日のうちに試合の中止を決定したものである[24]。またこのあおりでグラウンドや選手・関係者向けの地下駐車場も冠水し岩瀬仁紀のキャデラックも水没した。
- 2004年6月8日、中日対巨人戦では試合開始直前に停電となり、照明復旧まで時間がかかるために試合開始が15分遅れた。当初、原因は名古屋市北区にある変電所への落雷とされていたが、実際は特別高圧線にカラスが接触・感電したためであった。
- 2004年度から2011年度まで、東海地区の巨人応援団が活動を自粛、巨人側はトランペット・笛・太鼓による応援ができず、有志が手拍子とメガホンのみで応援をまとめていた(但し、2010年のクライマックスシリーズにおいては、応援団が出入りし、トランペット等で応援を行っていた)。
- 2005年8月16日、中日対巨人戦の8回の巨人の攻撃中に愛知県春日井市にある変電所への落雷により瞬間電圧低下で照明の50%が消えて復旧まで38分間中断した。中断の間中マスコットのドアラがグラウンドで飛んだり跳ねたりバク転したりというパフォーマンスを行なっていた。この日地上波での中継は21時24分まで延長枠が設けられていたが、試合再開を待たず定時(20時54分)で中継を終了している。
- 2007年10月30日、日本シリーズ第3戦、1回裏の中日の攻撃中、後述する「ライブビジョン」に不具合が発生し、一時ビジョンそのものを消灯して試合を続行した(なお、ネット裏のサブボードは正常に作動)。その後簡易表示化するなど復旧に努めた結果、5回ごろにはビジョンの機能全ての復旧が完了した。原因はビジョンを操作するAV調整室からのデジタル信号が何らかの理由で受信側(ビジョンの制御装置)で受信できなかったことによるものと発表された。
- 2007年11月2日、日本シリーズ第5戦で中日が北海道日本ハムファイターズに勝利し、1954年以来53年ぶりの日本一になった(2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投の項も参照)。
- 2008年3月29日、東北楽天ゴールデンイーグルスとのオープン戦で満員御礼。観客は38,021人。試合結果は楽天5-3中日。
- 2010年2月27日、千葉ロッテマリーンズとのオープン戦(ナゴヤドームでの同年最初のオープン戦)は球団史上7人目(郭以来)の引退記念試合(試合名称・立浪和義引退試合)を兼ねて行われた。
- 2010年11月6日、日本シリーズの第6戦(対ロッテ)は2-2の同点で延長戦に突入した。ところが同点のまま15回裏に入り、23:53に引き分けで終了した。日本シリーズでの引き分けは1986年以来24年ぶりの出来事で、日付が変わる直前まで続いた日本シリーズも史上初となった。
交通機関
- 鉄道
- テンプレート:Rail-interchange名古屋市営地下鉄 テンプレート:Rail-interchange名城線・名古屋ガイドウェイバス テンプレート:Color志段味線(ゆとりーとライン) ナゴヤドーム前矢田駅 徒歩約5分
- 同駅1番出入口からルートのデッキには屋根が付いており、雨に濡れることなくドームまで来ることが出来る。
- 当初最寄駅の名前は「ナゴヤドーム矢田駅」の予定であったが「ナゴヤドームヤダ(嫌だ)」の響きが好ましくないので「ナゴヤドーム前矢田駅」になったといわれている。普通に歩けば約5分で着くがプロ野球の試合やコンサート終了後など混雑する場合は15分以上かかることもある。
- 25px東海 テンプレート:Color中央本線・テンプレート:Rail-interchange名古屋市営地下鉄 テンプレート:Rail-interchange名城線・15px名鉄 テンプレート:Color瀬戸線・名古屋ガイドウェイバス テンプレート:Color志段味線(ゆとりーとライン) 大曽根駅 徒歩約15分
- 15px名鉄 テンプレート:Color瀬戸線 矢田駅 徒歩約10分
- 同駅が住宅街の中にあるため同線での来場者には大曽根駅使用を推奨している。
- バス
- タクシー
- ナゴヤドーム内にタクシー乗り場あり。
- 周辺道路で客待ちをしているタクシーもあるがこれらは違法駐車である。
- プロ野球開催時は駐車場から出る車やタクシーなどで周辺道路が混雑することが多い。
- 車
- ナゴヤドーム内に駐車場あり。料金はイベントにより異なる。中日戦開催時は1台2,500円で、事前にチケットぴあ、または中日新聞販売店で駐車券を購入する必要がある。ぴあでの前売り時には「一般席」「プライム席」と共に「駐車券」という形で当該試合の前売り開始日より購入が可能となる。
- イベントが開催されない日は30分/300円で利用可能(イベントのない日に「プリズマクラブ」「チケット売場」を利用する場合は、3時間まで無料となる)。
- バイク・自転車
- バイク、自転車用の駐輪場はイベント時も無料で使用可能。
※ナゴヤドームの地下には名古屋市営地下鉄の名城線・名港線の車両基地として使用されている大幸車庫の敷地の一部が存在している。
運営企業
テンプレート:Infobox ナゴヤドームの運営企業である「株式会社ナゴヤドーム」は、元々1973年に経営破綻した「株式会社中日スタヂアム」(当時中日ドラゴンズの本拠地球場だった中日スタヂアムの管理・運営会社)に代わる受け皿企業「株式会社ナゴヤ球場」として1975年10月1日付けで中日新聞社をはじめとした地元財界の共同出資によって設立された。これを機に、球場名もナゴヤ球場へ変更して営業を本格開始した。
1997年1月1日からナゴヤドームの営業開始に当たり、社名も「株式会社ナゴヤドーム」とし、ナゴヤドームと二軍のホームスタジアムとして引き続いて使用されることが決まったナゴヤ球場の2ヶ所を運営することとなった。その為、オフィスはナゴヤドーム(本社)とナゴヤ球場の2ヶ所に置いている。
中日ドラゴンズ共々中日新聞社のグループ企業である[26]。また、2004年頃より白井文吾(中日新聞社会長)が株式会社ナゴヤドーム社長(2004年頃就任[27])と中日ドラゴンズオーナー(2000年より、大島宏彦の後任)を兼務しており、事実上両者の経営は一体となっている。中日ドラゴンズは株式会社ナゴヤドームの経営支援のため、年間40億円以上の球場レンタル料を支払っている。
なお、ナゴヤドームは2007年5月1日現在、三重テレビ放送の株式32.79%を保有する筆頭株主である。
会社概要
- 設立年月日 - 1975年10月1日
- 代表者 - 白井文吾(代表取締役社長)
- オフィス所在地
- 本社 - 〒461-0047 愛知県名古屋市東区大幸南一丁目1番1号
- ナゴヤ球場事務所 - 〒454-0022 愛知県名古屋市中川区露橋二丁目12番1号
- 事業内容
- 野球場及び付属施設の管理・運営。
- 球場内での物品販売・在庫管理・商品開発。
など
備考
ナゴヤドーム着工以前にも、名古屋市にはドーム球場の建設構想が存在した。1979年、名古屋に本社を置く陶磁器・砥石メーカーの日本陶器(1981年より、ノリタケカンパニーリミテド)が、日本初の本格的ドーム球場でありナゴヤ球場に代わるドラゴンズの本拠地球場として、名古屋市西区則武新町に「ノリタケドーム」の建設計画を発表[28]。1980年3月24日に現況調査計画書、1981年4月27日に環境影響評価準備書それぞれの届出が行われたが、1984年1月26日に指定事業廃止届が出され中止となった[29]。
脚注・出典
関連項目
- 日本の野球場一覧
- 日本の見本市会場一覧
- イオンモールナゴヤドーム前
- 稲沢操車場 - 建設候補地の一つであった。
外部リンク
- ナゴヤドームオフィシャルホームページ
- 中日ドラゴンズ 公式サイト - ナゴヤドーム
- 建設当時、中日新聞社ホームページ内に設けられたナゴヤドーム公式サイト - 建設概要や起工記録などがまとめられている(インターネット・アーカイブ1996年10月31日付保存キャッシュ)
テンプレート:本拠地の変遷
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
-
|style="width:40%; text-align:center"|K-1 PREMIUM Dynamite!!会場
2003年
|style="width:30%"|次代:
大阪ドーム
2004年-2007年
- 転送 Template:End
- ↑ 朝日新聞2010年11月8日スポーツ面記事より
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 東京中日スポーツ・2011年5月25日付 3面
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ ジェームス・ヘイブンス「ヒア・フォー・ユー」 listen.jp
- ↑ 6.0 6.1 参考:ドムラの紹介 - ナゴヤドーム公式サイトより(インターネット・アーカイブ2001年1月19日付保存キャッシュ)
- ↑ 1999年から2013年までは回転式だったが、2014年オープン戦からは液晶式に改められ、広告スペースが回転式時代より大きくなり、下部中央のトヨタのロゴマークは小さくなった。
- ↑ 広告表記は、当初は「東建」だったが、現在は「東建コーポレーション」となっている。
- ↑ 但し同じバックネット下のフェンス広告の並びにある同社の広告は、テレビ中継でもあまり映らない事等もあってか自粛はされていない。
- ↑ 2011年10月31日放送『イッポウ』「コレ知らないと」より。
- ↑ 2010年日本シリーズ第7戦の際、ロッテ優勝確定の瞬間に使用された
- ↑ 中日がナゴヤドームでジェット風船解禁 デイリースポーツ 2012年6月21日
- ↑ 中日スポーツ:岩瀬250セーブ「うれしいです!!」:ドラニュース(CHUNICHI Web)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2011年現在、他球場で主流になりつつある「ストラックアウト!」などという声を加えたジングルは一部を除いて採用されていない。
- ↑ 中日ドラゴンズ2006年の軌跡:2006年のファンサービス BIGLOBE STARS
- ↑ 他には、札幌ドーム・東京ドーム・京セラドーム大阪・福岡 ヤフオク!ドームを指している。
- ↑ 施設利用案内-草野球申し込み-
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2011年の女子1部リーグ試合日程&対戦カード - 日本ソフトボール協会、2011.4.8閲覧
- ↑ Xリーグのチームは関東もしくは関西のチームがほとんどであり、2009年から分離したものの東海学生リーグは長らく関西学生リーグの2部相当であった。
- ↑ 2010年は『ARASHI Anniversary Tour 5×10』と『ARASHI 10-11 TOUR "Scene"〜君と僕の見ている風景〜』で、2013年は『ARASHI LIVE TOUR Popcorn』と『ARASHI Live Tour 2013 "LOVE"』でそれぞれ公演している。
- ↑ 『MR.CHILDREN TOUR POPSAURUS 2012』と『Mr.Children[(an imitation) blood orange]Tour』でそれぞれ公演している。
- ↑ 前日にプロ野球の試合中止決定は00年以来 この時も台風の影響で(2014年7月7日スポーツニッポン 7月9日閲覧)
- ↑ ただし東海地区に新たな私設応援団は存在せず、当面はフランチャイズで東京本部の私設応援団と大阪市の私設応援団、広島市を拠点に活動の『GLOVE HIROSHIMA』、福岡市を拠点に活動する『GLOVE 九州』、更に札幌市を拠点に活動する『東京読売巨人軍応援団札幌』がそれぞれ先導によって応援が再開される。
- ↑ 中日新聞社公式サイト(CHUNICHI Web)内グループ企業・関連団体一覧にも、一般の欄に明記されている。
- ↑ 参考:ナゴヤドーム公式サイト内会社情報ページ - インターネット・アーカイブ2004年1月5日付保存キャッシュ(本キャッシュ以前の2001年10月27日付保存キャッシュは、大島宏彦となっている)
- ↑ 参考:TOPICS 1998 - 『KAN'S CAN』(倉橋寛のウェブサイト)内より、「じゃマール東海版に「おれドラ」登場! 1997.11」を参照。ノリタケドームについて、自身の漫画を含む雑誌記事とともにつづられている。
- ↑ テンプレート:Cite web