1994 FIFAワールドカップ
テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1994 FIFAワールドカップ(テンプレート:Lang-en-short)は、1994年6月17日から7月17日にかけて、アメリカ合衆国で開催された第15回目のFIFAワールドカップである。
目次
予選大会
出場国
出場選手は1994 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選大会 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
CONCACAF | 1+1.25 | 開催国 | テンプレート:USAf | 2大会連続5回目 | |||
最終予選 | 1位 | テンプレート:MEXf | 2大会ぶり10回目 | ||||
UEFA | 1+12 | 前回優勝国 | テンプレート:GERf | 11大会連続13回目[1] | |||
欧州予選 | 1組 | 1位 | テンプレート:ITAf | 9大会連続13回目 | |||
2位 | テンプレート:SUIf | 7大会ぶり7回目 | |||||
2組 | 1位 | テンプレート:NORf | 12大会ぶり2回目 | ||||
2位 | テンプレート:NEDf | 2大会連続6回目 | |||||
3組 | 1位 | テンプレート:ESPf | 5大会連続9回目 | ||||
2位 | テンプレート:IRLf | 2大会連続2回目 | |||||
4組 | 1位 | テンプレート:ROUf | 2大会連続6回目 | ||||
2位 | テンプレート:BELf | 4大会連続9回目 | |||||
5組 | 1位 | テンプレート:GREf | 初出場 | ||||
2位 | テンプレート:RUSf | 4大会連続8回目[2] | |||||
6組 | 1位 | テンプレート:SWEf | 2大会連続9回目 | ||||
2位 | テンプレート:BULf | 2大会ぶり6回目 | |||||
CONMEBOL | 3.5 | 南米予選 | 1組 | 1位 | テンプレート:COLf | 2大会連続3回目 | |
2位 | テンプレート:ARGf | 6大会連続11回目 | ○ | ||||
2組 | 1位 | テンプレート:BRAf | 15大会連続15回目 | ||||
2位 | テンプレート:BOLf | 11大会ぶり3回目 | |||||
CAF | 3 | 最終予選 | A組 | 1位 | テンプレート:NGAf | 初出場 | |
B組 | 1位 | テンプレート:MARf | 2大会ぶり3回目 | ||||
C組 | 1位 | テンプレート:CMRf | 2大会連続3回目 | ||||
AFC | 2 | 最終予選 | 1位 | テンプレート:KSAf | 初出場 | ||
2位 | テンプレート:KORf | 3大会連続4回目 | |||||
OFC | 0.25 | 地区予選 | 出場国無し |
- 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。
本大会
概要
- 真夏にもかかわらず、ヨーロッパ諸国でのテレビ中継時間がゴールデンアワーになるように調整されたため、炎天下での試合が多くなった。このため、体力面でのタフさが勝敗に左右した。
- 前回大会後数々のトラブルで所属クラブを解雇されながらも、何とかベストコンディションで大会に出場したマラドーナ(アルゼンチン)だったが、ナイジェリア戦後のドーピング検査でエフェドリンが検出されたため、無期限出場停止で大会から追放された[3]。これがきっかけでアルゼンチンはベスト16で敗退するが、初戦のギリシャ戦、ナイジェリア戦とチームの勝利に貢献していただけに、追放されていなければアルゼンチンの優勝も十分にありえたともいわれる。
- グループリーグB組では既に敗退が濃厚となっていたチーム同士の対戦として然して注目されていなかったロシア対カメルーンでワールドカップレコードが2つも生まれた。一つ目はロシアの若きFWオレグ・サレンコによる「1試合5得点」の最多得点記録。彼はスウェーデン戦でも1得点しており、計6得点でフリスト・ストイチコフと並び今大会の得点王となった。チームがグループリーグで敗退したにもかかわらず大会得点王となったのは、長いワールドカップの歴史の中でも彼だけである。もう一つはカメルーン大統領の要請により、引退からW杯限定で復帰したベテランFWロジェ・ミラによる「ワールドカップ最年長ゴール(42歳)」。この二つの記録は現在も破られていない。
- 激戦区といわれたグループリーグE組では史上初めて全チームが1勝1敗1分と勝ち点・得失点差で並び、総得点の多かったメキシコ、アイルランド、イタリアが通過した。ノルウェーは3試合をグループ最少失点に抑える健闘を見せたが最少得点に泣いた。
- アジア諸国では初出場のサウジアラビアが健闘し、グループリーグ2勝1敗で決勝トーナメントに進出した。アジア諸国の本大会勝利はイングランド大会での北朝鮮以来7大会ぶりとなった。ベルギー戦ではFWのオワイランが自陣からドリブルで独走しゴールを決めた事は後々の語り草となっている。決勝トーナメント1回戦でスウェーデンに敗退。
- これまでの大会では、スウェーデン大会を除いてはヨーロッパ諸国と南米諸国がそれぞれの地域内の大会で優勝を果たしていたので、初の中立地開催となったこの大会が注目されたが、アメリカ大陸のブラジルが優勝した。
- 会場の規模が最低でも収容人員数5万人台、最大で9万人以上と大きかったこともあり、観客動員数は過去最高を記録した。これは試合数が52試合から64試合に増えたフランス大会以降の大会をも上回る数字である。
- ルール面では、今回から勝利した際の勝点が従来の2点から3点へと変更された。これによりグループリーグでの1勝に対する重みが大きく増し、最初から露骨に3試合全て引き分け狙いのスロースタートといった消極的かつ悠長な戦いぶりではグループ勝ち抜けが極めて困難になった。その意味でこの勝点変更は大きなターニングポイントと言える。また、ジャッジに関しては「主審・副審の専任制度」が今回から初めて導入されている。前大会横行した、GKへのバックパス制限、オフサイド解釈の緩和なども挙げられる。
- この大会から選手が着用するユニフォームの背番号の上に自身の名前(背ネーム)が入れられた。
- この大会から公式戦での選手の交代枠が2人から3人(フィールドプレイヤー2人+ゴールキーパー)に増員された[4]。なお、1995年3月、公式戦での交代はポジションを問わず最大3名交代できる現行の制度になり、同年7月1日から施行された[5]。
その後の影響
- アメリカ戦でオウンゴールを犯したコロンビア代表DFのエスコバルが、帰国後にマフィアによって射殺された。サッカー賭博による損失への逆恨みとも言われているが、FIFA及び世界中から強い批判の声が挙がった。この失点は、コロンビアの中盤での連携ミスから端を発したものであり、決してエスコバル一人の責任ではない。その直後の試合となった決勝トーナメント1回戦のドイツ対ベルギー戦とスペイン対スイス戦では、エスコバルの冥福を祈るため試合開始前に黙祷が捧げられ、コロンビア国内においても盛大な葬儀が執り行われた。
- アメリカは開催国として初の本大会第1ラウンド敗退を危惧されたが、決勝トーナメント出場を果たし、ブラジル戦でも善戦をした事で一定の成果を残した。また、北米サッカーリーグの崩壊で消滅していた国内リーグの再開(メジャーリーグサッカーの創設)にも貢献した。
- フランスはヨーロッパ地区予選の最終ラウンドで「パリの悲劇」により、また日本はアジア地区予選の最終ラウンドで「ドーハの悲劇」により本大会出場を逃した。しかし多くの日本人ファンが現地を訪れたほか、Jリーグブームとの相乗効果で多くの視聴者がこの大会を観戦した。この大会以降、日本代表の結果はサッカーファン以外の間でも大きな関心事となった(「ワールドカップ」といえば以前はバレーボールワールドカップだった)。
フェアプレーの為の異例の通達と措置
ラフプレーや故意犯的な反則が増加した前回大会の反省を踏まえ、FIFAは「危険もしくは確信犯的な反則に対しては厳しく裁定するように、それを守らないレフェリーには即刻帰国してもらう」という異例の通達を出していた。その為、警告数は前回の163から235と72件も増加した。反則を厳しく取らなかったレフェリーや、明らかにPKを与えるべき反則を見逃してしまったレフェリーが解雇される事態も起きた。一方で退場者は前回16から15と横這いにとどめ、グループリーグで警告1枚の選手に対しては、決勝トーナメントではその1枚が累積しない配慮もとられた。
前回大会ベスト8進出で注目されたカメルーンだったが、強引な守備はこの大会でも改善されていなかった。ブラジル戦ではDFの退場者がきっかけで突き放され、ロシア戦では5点差を付けられる惨敗でアメリカを後にした。カメルーンは1998年のフランス大会や2002年の日韓大会でも退場者がきっかけでグループリーグで姿を消している。この大会1試合平均反則数が最も多かったナイジェリア共々、個々の強引さに頼らない守備への転換は、アフリカ勢の大きな課題となっている。
この大会ではビデオによる事後裁定が初めて適用された。準々決勝のイタリア対スペイン戦で、イタリア1点リードの終了直前、スペインMFゴイコエチェアの右サイドからのクロスにゴール前に飛び込んだスペインFWルイス・エンリケに対し、競っていたイタリアDFタソッティが鼻に肘打ちをして鼻骨骨折・流血させる事態が起きた。レフェリーの死角での事であったため、その場ではPKの裁定にはならずにこのままイタリアが勝利したが、事態を重く見たFIFAはこの試合後にタソッティに対し、8試合出場停止という前代未聞の重い処分を下した。タソッティ以外にも、肘打ちで一発退場となったブラジル代表レオナルドとボリビア代表エチェベリに対してそれぞれ4試合・2試合の出場停止が科せられ、その後の試合出場が不可になった。また、韓国戦で自国サポーターからのブーイングに対して中指を突きたてたドイツ代表エッフェンベルクに対し、ドイツサッカー協会が大会からの追放処分を科す出来事も起きた。
会場一覧
- アメリカ国内の西海岸から東海岸にかけての9都市で試合が行われた。
- サッカー用スタジアムが少なかったため、NFLやカレッジフットボールなどアメリカンフットボールのスタジアムを利用した。
- ジャイアンツ・スタジアムとポンティアック・シルバードームでは、FIFAの規定に従って人工芝の上に天然芝のシートを敷き詰め、試合を行った。
- 会場によって時差が発生するため、移動で大陸横断をするチームは最大3時間の時差調整に苦慮した。
競技場 | 都市 | 収容人数 |
---|---|---|
フォックスボロ・スタジアム | マサチューセッツ州フォックスボロ | 61,000人 |
ジャイアンツ・スタジアム | ニュージャージー州イーストラザフォード | 77,000人 |
ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム | ワシントンD.C. | 56,500人 |
ポンティアック・シルバードーム | ミシガン州ポンティアック | 80,000人 |
ソルジャー・フィールド | イリノイ州シカゴ | 67,000人 |
シトラス・ボウル | フロリダ州オーランド | 70,000人 |
コットン・ボウル | テキサス州ダラス | 67,000人 |
ローズボウル | カリフォルニア州パサデナ | 91,000人 |
スタンフォード・スタジアム | カリフォルニア州スタンフォード | 80,000人 |
※いくつかの競技場は大会後の改装でスペックが変更されており、収容人員数は大会当時のもの。また、1996年開幕のメジャーリーグサッカーの本拠地となったスタジアムもある。
結果
グループリーグ
グループ A
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:ROUf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 5 | 5 | 0 |
2 | テンプレート:SUIf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 4 | +1 |
3 | テンプレート:USAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 0 |
4 | テンプレート:COLf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 5 | -1 |
グループ B
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:BRAf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 1 | +5 |
2 | テンプレート:SWEf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 6 | 4 | +2 |
3 | テンプレート:RUSf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 6 | +1 |
4 | テンプレート:CMRf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 3 | 11 | -8 |
グループ C
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:GERf | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 3 | +2 |
2 | テンプレート:ESPf | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 6 | 4 | +2 |
3 | テンプレート:KORf | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 | -1 |
4 | テンプレート:BOLf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 4 | -3 |
グループ D
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:NGAf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 2 | +4 |
2 | テンプレート:BULf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 | +3 |
3 | テンプレート:ARGf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 | +3 |
4 | テンプレート:GREf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10 | -10 |
グループ E
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:MEXf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 0 |
2 | テンプレート:IRLf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 |
3 | テンプレート:ITAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 |
4 | テンプレート:NORf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 |
グループ F
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:NEDf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 3 | +1 |
2 | テンプレート:KSAf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 3 | +1 |
3 | テンプレート:BELf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | +1 |
4 | テンプレート:MARf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 5 | -3 |
各組3位チーム
組 | チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
D | テンプレート:ARGf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 | +3 |
F | テンプレート:BELf | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | +1 |
A | テンプレート:USAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 0 |
E | テンプレート:ITAf | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 |
B | テンプレート:RUSf | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 6 | +1 |
C | テンプレート:KORf | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 | -1 |
決勝トーナメント
1回戦
準々決勝
準決勝
3位決定戦
決勝
優勝国
得点ランキング
表彰
- FIFAフェアプレー賞:テンプレート:BRAf
- エンターテイニングチーム賞:テンプレート:BRAf
個人賞
賞 | 選手名 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|
ゴールデンボール(大会MVP) | ロマーリオ | テンプレート:BRAf | 優勝 |
シルバーボール | ロベルト・バッジョ | テンプレート:ITAf | 準優勝 |
ブロンズボール | フリスト・ストイチコフ | テンプレート:BULf | 4位 |
ゴールデンシューズ(得点王) | フリスト・ストイチコフ | テンプレート:BULf | 6得点 |
オレグ・サレンコ | テンプレート:RUSf | ||
ヤシン賞(最優秀GK) | ミシェル・プロドーム | テンプレート:BELf | 4失点 |
ベストイレブン
脚注
- ↑ 西ドイツ時代を含む。東西再統一後は初出場(東西分裂前は2度出場している)。
- ↑ ソビエト連邦時代を含む。ロシアに分離独立後は初出場。
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外部リンク
- 1994 FIFA World Cup USA - FIFA.comテンプレート:En icon
- RSSSFによる記録