1990 FIFAワールドカップ

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テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1990 FIFAワールドカップテンプレート:Lang-en-short)は、1990年6月8日から7月8日にかけて、イタリアで開催された第14回目のFIFAワールドカップである。

予選大会

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出場国

出場選手は1990 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

大陸連盟 出場
枠数
予選大会
予選順位
出場国・地域 出場回数 備考
UEFA 1+13 開催国 テンプレート:ITAf 8大会連続12回目
欧州予選 1組 1位 テンプレート:ROUf 5大会ぶり5回目
2組 1位 テンプレート:SWEf 3大会ぶり8回目
2位 テンプレート:ENGf 3大会連続9回目
3組 1位 テンプレート:URSf 3大会連続7回目
2位 テンプレート:AUTf 2大会ぶり6回目
4組 1位 テンプレート:NEDf 3大会ぶり5回目
2位 テンプレート:FRGf 10大会連続12回目
5組 1位 テンプレート:YUGf 2大会ぶり8回目
2位 テンプレート:SCOf 5大会連続7回目
6組 1位 テンプレート:ESPf 4大会連続8回目
2位 テンプレート:IRLf 初出場
7組 1位 テンプレート:BELf 3大会連続8回目
2位 テンプレート:TCHf 2大会ぶり8回目
CONMEBOL 1+2.5 前回優勝国 テンプレート:ARGf 5大会連続10回目
南米予選 1組 1位 テンプレート:URUf 2大会連続9回目
2組 1位 テンプレート:COLf 7大会ぶり2回目
3組 1位 テンプレート:BRA1968f 14大会連続14回目
CONCACAF 2 最終予選 1位 テンプレート:CRCf 初出場
2位 テンプレート:USAf 10大会ぶり4回目
CAF 2 最終予選 1組 1位 テンプレート:EGYf 12大会ぶり2回目
2組 1位 テンプレート:CMRf 2大会ぶり2回目
AFC 2 最終予選 1位 テンプレート:KORf 2大会連続3回目
2位 テンプレート:AREf 初出場
OFC 0.5 地区予選 出場国無し
  • 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。

本大会

概要

大会は西ドイツが優勝し、この3度目の優勝と3つの準優勝で、次の大会ブラジルが4度目の優勝を達成するまで、ワールドカップ史上最高の経歴を誇ることになる。西ドイツの監督を務めたフランツ・ベッケンバウアーは、マリオ・ザガロに次ぎ、選手と監督の両方でワールドカップ優勝を成し遂げた人物となった。東西ドイツ統合直前の西ドイツは、決勝戦で敗退した前の2大会とは違い、開幕前からイタリアなどと並ぶ優勝候補の筆頭と目され、その前評判に違わぬ強さを見せた。FWのユルゲン・クリンスマンルディ・フェラー、MFのローター・マテウスアンドレアス・ブレーメピエール・リトバルスキートーマス・ヘスラーらどこからでも点の取れる攻撃陣とクラウス・アウゲンターラーユルゲン・コーラーギド・ブッフバルトら大柄で屈強な選手を揃えた守備陣を誇る、攻守のバランスが取れた非常に完成度の高いチームで、グループリーグから決勝戦まで相手に一度もリードを許すことなく優勝した。

1986年のワールドカップと同じ競技方式で大会は行われた。24チームが参加し、4チームごとに6つのグループに分けられた。各グループの1位と2位の12チームと3位チームの中から成績が優秀な順に4チームの合計16チームが決勝トーナメントに進出した。

大会は番狂わせから始まった。大会の初戦で前回優勝国のアルゼンチンカメルーンに0対1で敗れた。カメルーンは最終的にアフリカ勢として初めて準々決勝まで駒を進め、イングランドに途中まで2対1とリードしながら、延長戦の末2対3で逆転負けした。当時すでに38歳であり、ワールドカップに参加するために引退を撤回したカメルーン代表のロジェ・ミラは、この大会で世界のトップレベルの選手であることを示した。

初戦で敗れたアルゼンチンであったが、チームを建て直してグループ3位でトーナメントに進出し、決勝まで駒を進めた。トーナメントの初戦でブラジルを破り、準決勝で今大会で地元イタリアに対戦した国の中で唯一の得点を決めて1対1に持ち込み、延長戦の結果PK戦で勝利と粘りを見せたが、西ドイツとの決勝では主力メンバーを4人も累積警告で欠き、終盤にペナルティー・キックによる1点を決められて力尽きた。

オランダEURO88に優勝したことで優勝候補の一角と目されていたが、代表監督を巡る内紛の影響による準備不足に加え、攻撃の主力であったルート・フリットマルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトACミラントリオが奮わず、グループリーグを3戦3引き分け、同じく3分け、同じ総得点と総失点で並んだアイルランドとのグループリーグ2位をかけた抽選にも敗れてグループリーグ3位での決勝トーナメント進出となった。決勝トーナメントでは1回戦で西ドイツとの対戦となり、1対2で敗れて1勝も挙げることなくベスト16で姿を消した。

ブラジルは前年のコパ・アメリカで優勝したこともあって、オランダと並んで優勝候補の一角と目された。グループリーグを3連勝で突破すると決勝トーナメント1回戦では前回優勝国のアルゼンチンとの対戦となった。この試合でブラジルは終始ボールを支配して優勢に試合を進めながら得点出来ず。81分にマラドーナに引き付けられた一瞬の隙をゴール前にスルーパスが通ると、FWのカニーヒアの得点を許し0対1で敗退、1点に泣いて大会を去った。

イングランドはフーリガン対策のためにグループリーグでサルデーニャ島カリャリシチリア島パレルモへ”島流し”にされた。このグループFは4チームが2引き分けで並ぶ事態となったが、最終のエジプト戦を1対0で勝った事でグループを首位で突破。好調のエースゲーリー・リネカーデビッド・プラットの活躍で1966年イングランド大会以来のベスト4進出を決めたが、西ドイツとのPK戦に敗れた。なお、イングランド代表はその後もワールドカップのPK戦とは相性が悪く、目下のところ全敗となっている。フーリガンのために、チーム全体にまで暴力的な悪印象が付きまとったイングランドだったが、大会中のクリーンなプレーぶりによりFIFAからフェアプレー賞を贈られた。

イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチは、出場した6試合の毎試合で得点を決め、6得点でこの大会の得点王になった。大会のMVPに送られるアディダスゴールデンボール賞にもスキラッチが選ばれている。この大会以前は、スキラッチはイタリア代表として1度しか戦ったことはなく、またイタリア代表としてあげた7得点のうち、6得点をこの大会で決めている。地元のイタリア代表はグループリーグ3戦全勝、準々決勝まで無失点など大会を通して優勝した西ドイツ以上の戦いぶりを見せたが、準決勝でアルゼンチンにPK戦の末敗退した。PK戦での敗退は公式記録上引き分けに当たるので、イタリア代表は6勝1分の無敗ながら頂点に立てなかった。準決勝で、エースジャンルカ・ヴィアリにこだわり、1人で局面を打開できる好調のロベルト・バッジョの起用方法を誤った代表監督アゼリオ・ビチーニの采配は非難の的となった。

その他、注目に値するMFが何人も出現した。コロンビアをスルーパス一本で決勝トーナメント進出に導いたカルロス・バルデラマユーゴスラビアベスト8の立役者となったドラガン・ストイコビッチ、数々のアシストが光ったイングランドポール・ガスコイン、東欧のマラドーナと呼ばれたルーマニアゲオルゲ・ハジなどである。

国際映像およびテロップはイタリア放送協会(RAI)のものが使用された。テロップの言語はイタリア語ではなく英語であった。西ドイツはまだ東西統一前であったが、表記は「GERMANY(ドイツ)」であった(場内のビジョンでのイタリア語表記も「GERMANIA」だった)。

大会の評価

テンプレート:出典の明記 カメルーンやコスタリカといった第3勢力の躍進があったとはいえ、組織プレー重視、そして反則も辞さない守備的な風潮が進んだ。1試合あたりの平均ゴール数2.21であり、退場者は前回の8人から16人と倍増した。

その兆候は、開幕戦と決勝戦を戦った3チームにみる事ができる。抜群の身体能力を駆使してアフリカ勢初のベスト8に進出し、大会を沸かせたカメルーンだったが、その陰では反則覚悟の強引な守備で開幕戦では2人の退場者を出し(それでもアルゼンチンに勝ったのは凄い事ではあるが)、準々決勝のイングランド戦でも累積警告で主力4人が出場停止となっていた。

そのカメルーンに敗れながら、チームを立て直して決勝まで進んだアルゼンチンも、前回優勝時と比べてマラドーナ以外のタレントが不足しており、マラドーナによりマークが集中してPK戦も辞さない守備重視の戦いの連続。大会途中から正GKに定着したゴイコチェアの驚異的な活躍で準々決勝、準決勝のPK戦を乗り切ったがその代償も大きく、決勝では今大会唯一無二のマラドーナのパートナーだったカニーヒアをはじめ、主力4人が出場停止となり、決勝戦ではチーム力の限界を露呈した。

決勝戦は前回と同じカードとなったが、上記のようにゲームメイクからゴールまで、攻撃の全てをマラドーナに頼らざるを得ないアルゼンチンに対し、西ドイツはマテウスなど前回大会を経験した主力の大半が年齢的にピークを迎えており、戦力では優位な状況だった。しかし、アルゼンチンのシュートをマラドーナの外したFK1本に抑えながらも、得点は後半40分のPKの1点のみ。2人のアルゼンチン選手の退場者を誘発して数的優位に立ちながらも、したたかな西ドイツの戦いぶりと守備に忙殺されたアルゼンチンとの試合は、前回とは対照的な結果となった。

上記にもあるように、この大会は中盤の攻撃的なタレントの台頭が目立った大会であり、追いつ追われつだったイングランドとカメルーンの準々決勝の対決のような名勝負もあった。しかし、開幕戦と決勝戦が共に1対0の最少得点、2人の退場者を出す試合となったことに加え、ブラジル、オランダ、ソ連といった攻撃力の高いチームが早々と敗退したことで退屈な大会の印象を強くしてしまった。また、この大会のイングランドの選手たちの紳士的な姿勢はフェアプレー賞の受賞へとつながった一方で、イタリア人観客のマラドーナやアルゼンチンに対するブーイングは大会を殺伐とした雰囲気としたものとし、荒れた大会に拍車をかける結果となった。

尚、ゴール数の低下傾向は前回のメキシコ大会から続いており、前回はマラドーナ、プラティニ、ジーコといったスター選手の輝きでそれほど問題にはならなかったが、このイタリア大会では彼らに匹敵するスター選手の個人技よりも組織プレーが優先された事で、ゴール数の低下と反則も辞さない守備側のプレーへの懸念が一気に高まった。この大会の後になって、リーグ戦おいての勝ち点3制度への改正、オフサイドルールの緩和、GKへのバックパスの制限、そしてバックチャージなどに象徴されるような守備側の確信犯的な反則に対しては即退場処分とするなど、イタリア大会は結果的に、守備的な風潮を食い止める為の大掛かりなルール改正への分岐点となった。

また、この大会のカメルーンに象徴される圧倒的な身体能力から、「21世紀はアフリカの時代になる」と多くの評論家から予想されたブラックアフリカ勢も、ベスト8の壁をいまだに突破できないままでいる。

カメルーンの躍進以外の数少ない明るい話題として、コロンビアのGKイギータの活躍があげられる。イギータは、積極的にペナルティエリア外に出てDFの裏に出たボールに絡んでカバーリングした。GKの概念を変えた先駆者でもある。しかし、決勝トーナメント1回戦では、ペナルティエリア外でボールコントロールミスによりロジェ・ミラにボールを掻っ攫われてしまい、決定的な失点を犯した。

マラドーナの犯罪

1986年のメキシコ大会で大活躍したディエゴ・マラドーナは、故障を抱えたまま出場したが、当時自分がセリエAナポリに所属していた事もあってナポリ市民にイタリアではなく自分を応援するように仕向けたため、激しいブーイングを浴びる事になった。

結局、アルゼンチンはマラドーナが決勝トーナメントのブラジル戦で見事なアシストを決めるなどの活躍で決勝にまで駒を進めたが、敗れたブラジルが、マラドーナからサイドバックのブランコに渡されたコップの水に薬が入っていたと主張していた。そして実際に近年、マラドーナ自身が給水ボトルに睡眠薬を混ぜていたことをテレビで暴露し、物議を醸した[1]

西ドイツの歓迎

決勝戦では地元イタリアのファンを完全に敵に回し、スクリーンにマラドーナの姿が映し出されるたびに大きなブーイングが飛ぶ状態となった。一方、セリエAのクラブに多数の選手が所属する西ドイツは地元イタリア国民から大きな歓声で迎えられ、ホーム同然の雰囲気で戦うことが出来た。例えば西ドイツはグループリーグから準々決勝までを当時マテウス、ブレーメ、クリンスマンの所属していたインテルの本拠地ミラノで試合をし、決勝戦は当時フェラー、ベルトルトが所属していたASローマの本拠地ローマで戦うことができた。準決勝の行われたトリノに本拠地を置く2チーム(ユヴェントスとトリノ)には所属選手はいなかったが、相手がイングランドということもあり(ユヴェントスのファンはヘイゼルの悲劇でイングランドと因縁があった)、この試合もホーム状態であった。

会場一覧

競技場 都市 収容人数
スタディオ・オリンピコ ローマ 81,000人
スタディオ・サン・パオロ ナポリ 74,000人
スタディオ・デッレ・アルピ トリノ 68,000人
スタディオ・サン・ニコラ バーリ 56,000人
スタディオ・コムナーレ フィレンツェ 41,000人
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ ミラノ 75,000人
スタディオ・ルイジ・フェッラーリス ジェノヴァ 35,000人
スタディオ・マルカントニオ・ベンテゴディ ヴェローナ 42,000人
スタディオ・レナート・ダッラーラ ボローニャ 39,000人
スタディオ・フリウリ ウーディネ 38,000人
スタディオ・サンテーリア カリャリ 40,000人
スタディオ・ラ・ファヴォリータ パレルモ 36,000人

結果

グループリーグ

グループ A


チーム







1 テンプレート:ITAf 6 3 3 0 0 4 0 +4
2 テンプレート:TCHf 4 3 2 0 1 6 3 +3
3 テンプレート:AUTf 2 3 1 0 2 2 3 -1
4 テンプレート:USAf 0 3 0 0 3 2 8 -6

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グループ B


チーム







1 テンプレート:CMRf 4 3 2 0 1 3 5 -2
2 テンプレート:ROUf 3 3 1 1 1 4 3 +1
3 テンプレート:ARGf 3 3 1 1 1 3 2 +1
4 テンプレート:URSf 2 3 1 0 2 4 4 0

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グループ C


チーム







1 テンプレート:BRA1968f 6 3 3 0 0 4 1 +3
2 テンプレート:CRCf 4 3 2 0 1 3 2 +1
3 テンプレート:SCOf 2 3 1 0 2 2 3 -1
4 テンプレート:SWEf 0 3 0 0 3 3 6 -3

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グループ D


チーム







1 テンプレート:FRGf 5 3 2 1 0 10 3 +7
2 テンプレート:YUGf 4 3 2 0 1 6 5 +1
3 テンプレート:COLf 3 3 1 1 1 3 2 +1
4 テンプレート:AREf 0 3 0 0 3 2 11 -9

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グループ E


チーム







1 テンプレート:ESPf 5 3 2 1 0 5 2 +3
2 テンプレート:BELf 4 3 2 0 1 6 3 +3
3 テンプレート:URUf 3 3 1 1 1 2 3 -1
4 テンプレート:KORf 0 3 0 0 3 1 6 -5

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グループ F


チーム







1 テンプレート:ENGf 4 3 1 2 0 2 1 +1
2 テンプレート:IRLf 3 3 0 3 0 2 2 0
3 テンプレート:NEDf 3 3 0 3 0 2 2 0
4 テンプレート:EGYf 2 3 0 2 1 1 2 -1

※くじ引きによりアイルランドがグループ2位、オランダがグループ3位となった。


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各組3位チーム

チーム







B テンプレート:ARGf 3 3 1 1 1 3 2 +1
D テンプレート:COLf 3 3 1 1 1 3 2 +1
F テンプレート:NEDf 3 3 0 3 0 2 2 0
E テンプレート:URUf 3 3 1 1 1 2 3 -1
A テンプレート:AUTf 2 3 1 0 2 2 3 -1
C テンプレート:SCOf 2 3 1 0 2 2 3 -1

決勝トーナメント

テンプレート:Round16

1回戦


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準々決勝


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準決勝


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3位決定戦

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決勝戦


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優勝国

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得点ランキング

順位 選手名 国籍 得点数
1 サルヴァトーレ・スキラッチ テンプレート:ITAf 6
2 トマーシュ・スクラビー テンプレート:TCHf 5
3 ゲーリー・リネカー テンプレート:ENGf 4
ローター・マテウス テンプレート:FRGf
ロジェ・ミラ テンプレート:CMRf
ミチェル テンプレート:ESPf
7 アンドレアス・ブレーメ テンプレート:FRGf 3
ユルゲン・クリンスマン テンプレート:FRGf
ルディ・フェラー テンプレート:FRGf
デビッド・プラット テンプレート:ENGf

表彰

個人賞

選手名 国籍 備考
ゴールデンボール(大会MVP) サルヴァトーレ・スキラッチ テンプレート:ITAf 3位
シルバーボール ローター・マテウス テンプレート:FRGf 優勝
ブロンズボール ディエゴ・マラドーナ テンプレート:ARGf 準優勝
ゴールデンシューズ(得点王) サルヴァトーレ・スキラッチ テンプレート:ITAf 6得点

ベストイレブン

ポジション 選手名 国籍
GK セルヒオ・ゴイコチェア テンプレート:ARGf
DF ジュゼッペ・ベルゴミ テンプレート:ITAf
フランコ・バレージ テンプレート:ITAf
アンドレアス・ブレーメ テンプレート:FRGf
MF ローター・マテウス テンプレート:FRGf
ポール・ガスコイン テンプレート:ENGf
ディエゴ・マラドーナ テンプレート:ARGf
ドラガン・ストイコビッチ テンプレート:YUGf
FW サルヴァトーレ・スキラッチ テンプレート:ITAf
ロジェ・ミラ テンプレート:CMRf
ユルゲン・クリンスマン テンプレート:FRGf

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. スポーツナビ 2010年7月6日