トーマス・ヘスラー
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トーマス・ヘスラー(Thomas Jurgen Häßler、1966年5月30日 - )は、ドイツ・ベルリン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダー。
人物
ニックネームのイッケ(icke)はドイツ語の一人称代名詞の「ich」のベルリン訛りであり、ヘスラーはベルリン訛りが強くich(イッヒ)をicke(イッケ)と発音していた。またトマーシノ(小さなトーマス)はASローマ在籍時に付けられたニックネームである。
小柄ながらもドイツ人には珍しいテクニシャンタイプのプレーヤーで、当時世界トップクラスのフリーキッカーの一人であった。
現在はナイジェリア代表のアシスタントコーチ。以前は1.FCケルンのユース部門でテクニック・スペシャルコーチを務めていた。
略歴
1984年、1.FCケルンでキャリアをスタート。クリストフ・ダウム監督の下、身長166cmとドイツ人としてはきわめて小柄ながら、豊富な運動量と巧みな足技で頭角を現す。ケルン在籍時はピエール・リトバルスキーとのコンビネーションでスタジアムを沸かせた。
1988年8月31日のフィンランド戦で代表デビューを果たし、同年のソウルオリンピックで活躍をみせて銅メダル獲得に貢献するとともに、1988-1989シーズンにはドイツ・ブンデスリーガ最優秀選手に選出された。
1990年-1991年シーズンにセリエA・ユヴェントスへ移籍し、同年開催されたワールドカップ・イタリア大会では西ドイツの優勝に貢献。その後も代表の中心選手として、UEFA欧州選手権1992では準優勝に貢献し大会最優秀選手に選出、1994年のワールドカップ・アメリカ大会ではベスト8、UEFA欧州選手権1996では優勝、1998年のワールドカップ・フランス大会ではベスト8進出に貢献した。
1994年にカールスルーエSCに移籍してドイツに復帰を果たすと、以降はボルシア・ドルトムントや1860ミュンヘンに在籍し、2004年にオーストリア・ブンデスリーガのアウストリア・ザルツブルクを最後に現役を引退。ドイツ代表としては歴代5位となる通算101試合に出場した。
選手経歴
- 1984-1990 テンプレート:Flagicon 1.FCケルン
- 1990-1991 テンプレート:Flagicon ユヴェントス
- 1991-1994 テンプレート:Flagicon ASローマ
- 1994-1998 テンプレート:Flagicon カールスルーエSC
- 1998-1999 テンプレート:Flagicon ボルシア・ドルトムント
- 1999-2003 テンプレート:Flagicon TSV1860ミュンヘン
- 2003-2004 テンプレート:Flagicon アウストリア・ザルツブルク