ソウルオリンピック

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ソウルオリンピックは、1988年9月17日から10月2日にかけて、大韓民国ソウル特別市で行われた第24回夏季オリンピックである。

ソウルオリンピックは前回のロサンゼルスオリンピックでは東側諸国が、前々回のモスクワオリンピックでは西側諸国がボイコットしたので12年ぶりにアメリカソビエトの二大国が揃った白熱した試合となった[1]。1976年のモントリオールオリンピックでは、南アフリカの参加を巡って多くのアフリカ諸国が不参加となっていたため[2]、ほぼ全世界の国と地域が参加したオリンピックとしては、ミュンヘンオリンピック以来16年ぶりとなった。また、1964年東京オリンピックに続き、アジアにおける2度目の夏季オリンピックである。

韓国では、開催年にちなんで88(パルパル)オリンピックとも呼ばれる。

大会開催までの経緯

ソウルオリンピックの開催は1981年9月30日西ドイツ(現・ドイツ)のバーデン=バーデンで開かれた第84回国際オリンピック委員会総会で決定された。日本の愛知県名古屋市開催を求めて立候補し、当初は有利とされていたが、27対52の大差でソウルに敗れた。

1988年夏季オリンピック 開催地投票
都市 1回目
ソウル テンプレート:Flagicon 韓国 52
名古屋 テンプレート:Flagicon 日本 27

大会マスコット

  • ホドリ(虎の子がモチ-フ:男の子)
  • ホスニ(同:女の子)

大会イメージソング

ハイライト

テニス卓球が正式競技として採用され、特にテニスは1924年パリオリンピック以来64年ぶりの復活となった。女子柔道野球テコンドー公開競技としてオリンピックで開催された(女子柔道とテコンドーは初開催、野球はロサンゼルスオリンピックに続いて2度目の開催。また、女子柔道、野球はバルセロナオリンピック、テコンドーはシドニーオリンピックから正式種目となる)。

その後の東ヨーロッパにおける政治変動のため、ソビエト連邦、および東ドイツが参加した最後のオリンピックとなった[3]

また、ドーピング問題(下記項目参照)に本格的に注目の集まった初の大会ともいえる。

テレビ放映権の影響

本大会は、従来午後から夜間にかけて行われることが多かった、陸上競技の多くの決勝が午前中に実施された。これは、視聴率を見込めるアメリカ東部のプライムタイムに決勝を合わせるための措置で、アメリカのテレビ局NBCが多額の放映権料を支払う見返りとしてなされたものであった。2008年の北京オリンピックでは、競泳体操競技で同様の事象が起きている。

名残

現在、ソウルメトロ4号線東大門歴史文化公園駅のプラットホームでは、当時の壁画を見ることが出来る。また、朝鮮語以外を母国語とする人のために、ソウルの地下鉄や駅には、当時から番号が付いている。

競技会場

実施競技

各国・地域の獲得メダル数

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1 テンプレート:FlagIOC 55 31 46 132
2 テンプレート:FlagIOC 37 35 30 102
3 テンプレート:FlagIOC 36 31 27 94
4 テンプレート:FlagIOC(開催国) 12 10 11 33
5 テンプレート:FlagIOC 11 14 15 40
6 テンプレート:FlagIOC 11 6 6 23
7 テンプレート:FlagIOC 10 12 13 35
8 テンプレート:FlagIOC 7 11 6 24
9 テンプレート:FlagIOC 6 4 6 16
10 テンプレート:FlagIOC 6 4 4 14

主なメダリスト

聖火鳩焼き問題

ファイル:Seoul Olympic torch.jpg
開会式の聖火点灯

開会式では、オリンピック賛歌を合唱する事と、五輪旗・開催国旗掲揚、開催国の国歌斉唱、最終聖火ランナーによるトーチ点灯、そして平和の象徴の鳩が飛ばされる事になっているが、聖火台に止まっていた数羽の鳩を聖火で焼いた問題。本来なら点火式の後に放つはずだった鳩を先に放ってしまい、何羽かの鳩が聖火台に止まり、ランナーがそのまま聖火を点灯して焼いてしまった[4]。これを受け、動物愛護団体等の反対により後の1998年長野大会からはそれに替わる形で鳩の映像、風船、着ぐるみ等で行う事が恒例となった。

ドーピング問題

陸上競技男子100mで、カナダベン・ジョンソンが、前年の世界陸上ローマ大会で自ら出した当時の世界最高記録9秒83を100分の4秒短縮する9秒79の新記録で、9秒92だった2位のカール・ルイスを数m引き離し優勝したが、レース後のドーピング検査でステロイド系の筋肉増強剤であるスタノゾロールの陽性反応により金メダルを剥奪され、カール・ルイスが金メダルを獲得した。

また、ジョンソンの記録については、この大会のもののみにとどまらず、前年記録した9秒83も1989年に取り消された。

ボクシング問題

ボクシング競技ライトミドル級決勝でアメリカのロイ・ジョーンズ・ジュニアが地元・韓国の朴時憲から2度のダウンを奪うなど圧倒しながら、2-3の不可解な判定で敗れた[5][6]。記者会見でロイ・ジョーンズ・ジュニアが「盗まれた金メダルを返してくれ」と涙ながらに訴えたことから「盗まれた金メダル事件」と言われ、オリンピック史上に残る事件として知られるようになった。後に調査によって審判員5人の内、朴の勝利とした3人が韓国側によって買収されていたことが判明したと国際アマチュアボクシング協会が発表、IOCの会長からジョーンズ・ジュニアには金メダルのレプリカが与えられた。なお、この事件はアマチュアボクシングの採点システムが変更されるきっかけとなった。

ジョーンズには、ヴァル・バーカー・トロフィーが与えられた。

また、韓国の辺丁一ブルガリアのアレクサンダー・クリストフのバンタム級2回戦は4-1の判定でクリストフが勝利したが、この判定を不服とした韓国側が猛抗議を行い、コーチの一人がレフェリーに殴りかかる暴挙に出た。この行為に呼応してリング内になだれ込んだ他のコーチ達と審判員とが激しい揉み合いとなり、リングサイドからは椅子が投げ込まれるという大騒動となった。審判員達は警察官に保護されながら控え室に戻ったものの、気の納まらないコーチ陣はそこまで追いかけ、照明の消された真っ暗なリング上ではコーチの指示に従って辺が1時間以上にも渡る抗議の座り込みを行った[7]。このため、当日のその他の試合は全て中止される事態となった。直後にはレフェリーの母国ニュージーランドの大使館に抗議の電話が殺到し、身の危険を感じたレフェリーは早々に帰国する羽目となっている。この様子は世界中のメディアに取り上げられ、オリンピック史に残る汚点として地元韓国マスコミでも酷評された。

北朝鮮問題

金賢姫らが大韓航空機を爆破した事件(大韓航空機爆破事件)があったが、これはソウルオリンピックを中止させる事を目的にした、という説がある。

北朝鮮はソウルオリンピックには地区予選から参加していない。また、そればかりでなく、一般の国民にはソウルオリンピックの存在自体を一切知らせなかったことが、後に明らかになっている。

北朝鮮側は当初共催を要求していた。韓国側は3種目までなら同意するとしていたが、北朝鮮側は全選手の1/3に当たる競技数を要求していたため成り立たず、実質交渉破綻による共催不成立だった。

脚注

  1. モスクワ・ロサンゼルス両方をボイコットしたイランも12年ぶりに参加。ソ連は1991年に解体されたため、この大会が最後の参加となった。
  2. 1976年大会では、中華人民共和国台湾の参加を巡ってボイコットしている。
  3. ソ連はアルベールビルオリンピックおよびバルセロナオリンピックでは、バルト三国を除く12国が独立国家共同体(CISもしくはEUN)として参加。
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web

関連項目

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外部リンク

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