近代オリンピック

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テンプレート:Redirect テンプレート:スポーツ大会シリーズ 近代オリンピック(きんだいオリンピック、テンプレート:Lang-fr-shortテンプレート:Lang-en-short)は、国際オリンピック委員会(英:テンプレート:En)が開催する世界的なスポーツ大会。夏季大会と冬季大会の各大会が4年に1度、2年ずらして開催されるので、2年に1度開催されることになる。

日本では略してオリンピック、またそのシンボルマークから五輪(ごりん)と呼ぶこともある(詳細は「五輪」節を参照)。

概要

古代ギリシアオリンピアの祭典をもとにして、世界的なスポーツ大会を開催する事をフランスクーベルタン男爵19世紀末のソルボンヌ大における会議で提唱、決議された。

夏季と冬季に大会があり、夏季オリンピック第1回は、1896年アテネギリシャ)で開催され、世界大戦による中断を挟みながら継続されている。冬季オリンピックの第1回は、1924年シャモニー・モンブランフランス)で開催された。1994年以降は、西暦が4で割り切れる年に夏季オリンピックが、4で割って2が余る年に冬季オリンピックが開催される(FIFAワールドカップが開催される年と同じ)。1994年のリレハンメル大会より、夏季大会と冬季大会が2年おきに交互開催するようになった。

冬季オリンピックが始まった当初は、夏季オリンピックの開催国の都市に優先的に開催権が与えられてきたが、降雪量の少ない国での開催に無理が生じることから、1940年代前半に規約が改正され、同一開催の原則が廃止された(1928年アムステルダム大会時の際、オランダでは、降雪量不足で雪山が無く、会場の確保困難であったことから、この年の冬季大会はサンモリッツスイス)で開催された)。

大会の公用語はフランス語[1]英語であるが、フランス語版と英語版の規定に相違がある場合はフランス語を優先するとして、フランス語を第1公用語とする事を明らかにしている。現在は、フランス語、英語の他、開閉会式等では、開催地の公用語も加える場合がある。

1988年ソウル大会より以降、パラリンピックとの連動が強化され、オリンピック終了後、同一国での開催[2]が、おこなわれている。

名称

ファイル:OlympicRaceTrackOlympia.JPG
オリンポスの古代競技場の眺め

「オリンピック」は、ゼウスの神殿のあったオリンポス(オリンピア)の名前を冠しており、この地で古代オリンピックが開催されたことから命名された。戦前は「オリムピック」という表記であった。

歴史

アマチュアリズムを基本とし、古代の平和の祭典の復興を目指したオリンピックであるが、二度の世界大戦や、ミュンヘン大会におけるテロ事件、冷戦下でのアフガニスタン戦争に伴う東西のボイコット合戦など、時々の国際政治の影響は大きい。特にヒトラー政権下による1936年のベルリン大会は、五輪そのものが利用された色彩が強く、聖火リレーのルートを後日ドイツ国防軍がそのまま逆進したとされたり、ナチズムに対する批判をかわすために一時的にユダヤ人政策を緩和したりするなど、政治が大きく陰を落としたものとなっている。なお、夏季大会において、第1回大会から全て参加しているのは、ギリシャイギリスフランススイスオーストラリア[3]の5ヶ国のみである。

ギリシャによる開催は、1896年2004年が正規のものとされている。第1回大会の十年後、1906年アテネ中間大会が唯一、例外的に開催され、開催事実も記録も公式に認めてメダル授与も行っている。しかし、4年に1度のサイクルから外れた開催であったため、後にこれはキャンセルとされ現在では正規の開催数に計上されておらず優勝者もメダリスト名簿から外され登録されてはいない。

各期毎の概略は、以下を参照。

黎明期

ファイル:Stamp of Azerbaijan 281.jpg
クーベルタンを描いた切手(1993年、アゼルバイジャン)

クーベルタンの提唱により、第1回オリンピックが1896年ギリシャ・アテネで開催することになった。資金集めに苦労し、会期も10日間と短かったが大成功に終わった。しかし、1900年、1904年のパリ・セントルイス大会は、同時期に開催された万国博覧会の附属大会に成り下がってしまい、賞金つきの競技(1900年)、キセルマラソンの発覚(1904年)など大会運営にも不手際が目立った。1908年、1912年のロンドン・ストックホルム大会から本来のオリンピック大会としての体制が整いだした。

発展期

第一次世界大戦で1916年のベルリン大会は、開催中止となったが、1920年のアントワープ大会から再開され、初めてオリンピック旗が会場で披露された。この時期は、選手村マイクロフォン(1924年)、冬季大会の開催(1924年)、約3週間の開催期間(1928年)、聖火リレー(1936年)など、現在の大会の基盤となる施策が採用された時期である。やがて、オリンピックが盛大になり、それを国策に使おうとする指導者が現れ、1936年のベルリン大会は、ナチス・ドイツの宣伝大会とも言われる。その後、第二次世界大戦でオリンピックは、2度も流会してしまう。

拡大期

第二次世界大戦が終結し、1948年ロンドンでオリンピックが再開されたが、敗戦国のドイツ・日本は、招待されなかった。1952年のヘルシンキ大会よりソビエト連邦(以下ソ連)が初参加し、オリンピックは、名実と共に「世界の大会」とよばれ、同時に東西冷戦を象徴する場となり、アメリカとソビエトのメダル争いは、話題となった。しかし、2つの中国問題(中国と台湾)、ドイツ問題(東西ドイツ)など新たな問題点も浮かび上がってきた。そして航空機の発達により、欧米のみに限られていたオリンピック開催地を世界に広める結果となり、1956年メルボルン(オーストラリア)、1964年東京(日本)と新たな開催地が仲間入りした。

オリンピック冬の時代

オリンピックが世界的大イベントに成長するに従って政治に左右されるようになる。1968年のメキシコ大会では、黒人差別を訴える場と化し、1972年のミュンヘン大会では、アラブのゲリラによるイスラエル選手に対するテロ事件まで起きた(ミュンヘンオリンピック事件)。1976年のモントリオール大会になると、ニュージーランドのラグビーチームの南アフリカ遠征に反対して、アフリカ諸国22ヶ国がボイコットを行った。そして、1980年のモスクワ大会では、ソ連アフガニスタン侵攻に反発したアメリカ・西ドイツ・日本などの西側諸国が相次いでボイコットを行った。1984年ロサンゼルス大会では、東ヨーロッパ諸国が報復ボイコットを行ない、参加したのはルーマニアだけだった。オリンピックが巨大化するに従って、財政負担の増大が大きな問題となり、1976年の夏季大会では、大幅な赤字を出し、その後夏季・冬季とも立候補都市が1~2都市だけという状態が続いた。

商業主義とプロ化

1984年のロサンゼルス大会は画期的な大会で、大会組織委員長に就任したピーター・ユベロスの指揮のもと、オリンピックをショービジネス化した。結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ、聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増し、各国のオリンピック委員会とスポーツ業界の競技レベル・政治力・経済力などが問われる総力戦の様相を呈する様になり、誘致運動だけですら途方もない金銭が投入される様になってゆく。

その流れは、プロ選手の参加を促し、1992年のバルセロナ大会では、バスケットボール種目でアメリカのNBA所属の選手による「ドリームチーム」が結成され、大きな話題となった。1989年12月のマルタ会談を以て冷戦が終結してからオリンピックの政治的な色合いは薄くなり、ステート・アマもほとんどが姿を消したが、その反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂など、オリンピックに内外で関与する人物・組織の倫理面にまつわる問題が度々表面化する様になった。21世紀に入ってから、オリンピック開催地は、2008年が北京(中華人民共和国)、2016年がリオデジャネイロ(ブラジル)といったBRICs各国に広まるなど、新たな展開を見せている。

開催都市

ファイル:Summer olympics all cities.PNG
夏季大会の開催(予定)状況
都市(開催年、●は位置と回数:黒色は1回開催、橙色は2回開催、赤色は3回開催)但し、開催予定を含む。
国別(緑色は1回開催、青色は2回以上開催)。
ファイル:Winter olympics all cities.PNG
冬季大会の開催(予定)状況
夏季の説明を参照のこと。

開催都市は北半球が殆どで、南半球での開催は少ない。南半球では、冬季大会は開催された事がなく、夏季大会も1956年オーストラリアメルボルンで開かれたメルボルンオリンピックと、2000年に同じオーストラリアのシドニーで開催されたシドニーオリンピックの2大会のみである(2016年には、3大会目としてリオデジャネイロで開催される)。

その理由として、主に季節が北半球と逆である事と、北半球に比べ、実際に開催可能な経済力を持つ先進国が少ない事(南北問題)が関係している。特に、冬季大会では、各種目の大会シーズンとの兼ね合い(南半球が冬の時期に北半球では、シーズンオフである事)や、北半球に比べウィンタースポーツの設備が十分でない(そもそも降雪量が少ない)ため実質的に開催不可能であると推測される。

また、開催都市の大半が欧州・北米諸国にあり、アジアの夏季オリンピックについては、東京ソウル北京の3回(東京については、2020年に2度目の開催が決定されている)、中南米についてもメキシコのメキシコシティー(地理上は北米に属するがスペイン語圏であるためここでは中南米として扱う)で開催されたのみ(2016年には、ブラジルのリオデジャネイロでの開催が決定している)で、アフリカに至っては南アフリカが候補に挙がった事があるが未だに開催されていない。これも、アジア・アフリカ・中南米に経済力を持つ国が少ない事が関係している。

開催を行うに際しては、各国・地域で五輪の開催を希望する自治体からの審査・ヒヤリングを各国・地域五輪委員会が行い、まずその国・地域内での五輪開催候補地1箇所を選ぶ。その候補地を国際五輪委員会に推薦し正式に立候補を行い、国際五輪委員会総会において、委員会理事による投票で過半数を得ることが必要である。ただし投票の過半数を満たしていない場合、その回の投票における最下位の候補地を次の投票から除外する仕組みで繰り返し過半数が出るまで投票を繰り返す(最終的に2箇所になったところで決選投票となる)。

一度五輪の開催が決まった場合、その国が属する大陸は規定によりその大会から数えて2回分は五輪への立候補ができない。

開催都市一覧

参考:テンプレート:Cite web

開催都市一覧(濃い色の背景は中止になった大会)
開催年 夏季五輪 冬季五輪 脚注
オリンピアード
開催国 オリンピアード
開催国
1896 I テンプレート:Flagicon2 アテネギリシャ    
1900 II テンプレート:Flagicon2 パリフランス
1904 III テンプレート:Flagicon2 セントルイスアメリカ [4]
1906 III テンプレート:Flagicon2 アテネ(ギリシャ) [5]
1908 IV テンプレート:Flagicon2 ロンドンイギリス  
1912 V テンプレート:Flagicon2 ストックホルムスウェーデン
1916 VI テンプレート:Flagicon2 ベルリンドイツ [6]
1920 VII テンプレート:Flagicon2 アントウェルペンベルギー  
1924 VIII テンプレート:Flagicon2 パリ(フランス) I テンプレート:Flagicon2 シャモニー(フランス)
1928 IX テンプレート:Flagicon2 アムステルダムオランダ II テンプレート:Flagicon2 サンモリッツスイス
1932 X テンプレート:Flagicon2 ロサンゼルス(アメリカ) III テンプレート:Flagicon2 レークプラシッド(アメリカ)
1936 XI テンプレート:Flagicon2 ベルリン(ドイツ IV テンプレート:Flagicon2 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)
1940 XII テンプレート:Flagicon2 東京日本)→
テンプレート:Flagicon2 ヘルシンキフィンランド
V テンプレート:Flagicon2 札幌(日本)→
テンプレート:Flagicon2 サンモリッツ(スイス)→
テンプレート:Flagicon2 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(ドイツ)
[7]
1944 XIII テンプレート:Flagicon2 ロンドン(イギリス) V 25px コルティーナ・ダンペッツォイタリア [8]
1948 XIV テンプレート:Flagicon2 ロンドン(イギリス) V テンプレート:Flagicon2 サンモリッツ(スイス)  
1952 XV テンプレート:Flagicon2 ヘルシンキ(フィンランド) VI テンプレート:Flagicon2 オスロノルウェー
1956 XVI テンプレート:Flagicon2 メルボルンオーストラリア
テンプレート:Flagicon2 ストックホルム(スウェーデン)
VII テンプレート:Flagicon2 コルティーナ・ダンペッツォ(イタリア) [9]
1960 XVII テンプレート:Flagicon2 ローマイタリア VIII テンプレート:Flagicon2 スコーバレー(アメリカ)  
1964 XVIII テンプレート:Flagicon2 東京(日本) IX テンプレート:Flagicon2 インスブルックオーストリア
1968 XIX テンプレート:Flagicon2 メキシコシティメキシコ X テンプレート:Flagicon2 グルノーブル(フランス)
1972 XX テンプレート:Flagicon2 ミュンヘン西ドイツ XI テンプレート:Flagicon2 札幌(日本)
1976 XXI テンプレート:Flagicon2 モントリオールカナダ XII テンプレート:Flagicon2 インスブルック(オーストリア)
1980 XXII テンプレート:Flagicon2 モスクワソビエト連邦 XIII テンプレート:Flagicon2 レークプラシッド(アメリカ)
1984 XXIII テンプレート:Flagicon2 ロサンゼルス(アメリカ) XIV テンプレート:Flagicon2 サラエヴォユーゴスラビア
1988 XXIV テンプレート:Flagicon2 ソウル韓国 XV テンプレート:Flagicon2 カルガリー(カナダ)
1992 XXV テンプレート:Flagicon2 バルセロナスペイン XVI テンプレート:Flagicon2 アルベールヴィル(フランス)
1994   XVII テンプレート:Flagicon2 リレハンメルノルウェー
1996 XXVI テンプレート:Flagicon2 アトランタ(アメリカ)  
1998   XVIII テンプレート:Flagicon2 長野(日本)
2000 XXVII テンプレート:Flagicon2 シドニー(オーストラリア)  
2002   XIX テンプレート:Flagicon2 ソルトレイクシティ(アメリカ)
2004 XXVIII テンプレート:Flagicon2 アテネ(ギリシャ)  
2006   XX テンプレート:Flagicon2 トリノ(イタリア)
2008 XXIX テンプレート:Flagicon2 北京中国
テンプレート:Flagicon2 香港
  [10]
2010   XXI テンプレート:Flagicon2 バンクーバー(カナダ)  
2012 XXX テンプレート:Flagicon2 ロンドン(イギリス)  
2014   XXII テンプレート:Flagicon2 ソチロシア
2016 XXXI テンプレート:Flagicon2 リオデジャネイロブラジル  
2018   XXIII テンプレート:Flagicon2 平昌韓国
2020 XXXII テンプレート:Flagicon2東京(日本)  

シンボル

ファイル:Lau1.jpg
ローザンヌの本部前の記念碑

近代オリンピックの象徴でもある五輪のマーク(オリンピックシンボル)は、クーベルタン男爵が考案し、世界5大陸(青:オセアニア、黄:アジア、黒:アフリカ、緑:ヨーロッパ、赤:アメリカ[11]と五つの自然現象(火の赤・水の青・木の緑・土の黒・砂の黄色)とスポーツの5大鉄則(情熱・水分・体力・技術・栄養)を、原色5色(および単色でも可)と5つの重なり合う輪で表現したものであるとする説が有力である。他にこの五色で世界の国旗全てが表されていたとする説もある。5つの重なり合う輪はまた、平和への発展を願ったものである。なおこの五輪マークは、1914年にIOCの創設20周年記念式典で披露され、1920年アントワープ大会から使用されているが、木綿で作られた五輪旗は一度盗まれ1980年モスクワ大会では閉会式でアメリカに五輪旗が伝達されず次の大会ではレプリカを使用された出来事があり、そして1988年ソウル大会閉会式から合成樹脂の五輪旗が使われている。

開会式

開会式では、オリンピック賛歌を合唱する事と、五輪旗・開催国旗掲揚、開催国の国歌斉唱、最終聖火ランナーによるトーチ点灯、そして平和の象徴のが飛ばされる事になっている。しかし、聖火台で鳩を焼いてしまったソウル大会での一件[12]や、動物愛護協会の反対もあり、1998年長野大会からはモニター映像による鳩飛ばしが恒例になった。ロンドン大会では、鳩のコスチュームをまとった人々が自転車に乗って登場し[13]、そのうちの一人がワイヤーアクションで空中へ上昇した[14]

開会式の入場行進は、五輪発祥地ギリシャの選手団が先導し、最後に開催国の選手団が入場する。ギリシャが開催地となった2004年は、まずギリシャの旗手のみが先導し入場、最後にギリシャの選手団が入場していた。 開会宣言はオリンピック憲章55条3項により以下のとおり、

  • 夏季五輪
私は、第○回近代オリンピアードを祝し、オリンピック(開催都市名)大会の開会を宣言する。
  • 冬季五輪
私は、第○回オリンピック冬季競技大会(開催都市名)大会の開会を宣言する。

使用される言語は開催国の任意であるが、内容の改変は認められない。ソルトレイクシティオリンピックではジョージ・W・ブッシュ大統領が「(オリンピック開催国に選ばれたことを)栄誉とし、(その成功に)専心しつつ、かつ(その機会を得たことに対する)感謝の念に満ちたこの国を代表し(On behalf of a proud, determined and grateful nation...)」の一節を付け加えて開会宣言したが、これはオリンピック憲章違反である。

また、開催国国家元首による開会宣言の直後に、その大会ごとのファンファーレが演奏されることが通例。1984年のロサンゼルス大会のファンファーレは世界的に有名となり、オリンピック公式ファンファーレと誤解されることも多い。

なお、夏季大会では試合日程の関係で開会式の前に競技を開催するもの(サッカーなど)がある。 テンプレート:See also

大会の継続的運営と商業主義

大会の大規模化とともに開催に伴う開催都市と地元政府の経済的負担が問題となったが、ピーター・ユベロスが組織委員長を務めた1984年のロサンゼルス大会では商業活動と民間の寄付を本格的に導入することによって、地元の財政的負担を軽減しオリンピック大会の開催を継続することが可能になった。それを契機とし、アディダス電通などを始めとした企業から一大ビジネスチャンスとして注目されるようになった。

元々、オリンピックは発足当初からアマ選手のみに参加資格を限って来たが、旧共産圏(ソビエト連邦キューバなど)のステートアマ問題などもあり、1974年オーストリア首都ウィーンで開催された第75回IOC総会で、オリンピック憲章からアマチュア条項を削除した[15]。さらに観客や視聴者の期待にも応える形で、プロ選手の参加が段階的に解禁されるようになった(当初はテニスなど限られていたが、後にバスケットボールサッカー野球などに拡大)。

1984年ロサンゼルス大会の後、フアン・アントニオ・サマランチ主導で商業主義(利権の生成、放映権と提供料の高額化)が加速したと言われたことがあり、またかつて誘致活動としてIOC委員へ賄賂が提供された事などが問題になったことがある。さらには、年々巨大化する大会で開催費用負担が増額する傾向があったが、ジャック・ロゲの代になり、これまで増え続けていた競技種目を減らし、大会規模を維持することで一定の理解を得るようになった。

なお、現在のIOCの収入構造は、47%が世界各国での放送権料で、また45%がTOPスポンサーからの協賛金、5%が入場料収入、3%が五輪マークなどのライセンス収入[16]となっており、このうち90%を大会組織委員会と各国五輪委員会、各競技団体に配布する形で大会の継続的運用を確保している[17]

開催費用

(費用:アメリカ合衆国ドル

開催年 開催都市 税金からの出資 総原価 当初予算 収益/損失 負債支払終了年 特記事項
1976 モントリオール 9億9000万ドル
(約2900億円:1ドル=293円換算)損失[18]
2006年11月[19]
1984 ロサンゼルス 2.5億ドル収益[20] 1984年 近代オリンピックで最も商業的に成功した大会と看做されている
1988 ソウル 3億ドル[20] 1988年 A record profit for a government-run Olympiad.
1992 バルセロナ 5億ドル利益[20] 1992年
1994 リレハンメル
1996 アトランタ 5億ドル[21] 18億ドル 1000万ドル 1996年 Despite the profit, Atlanta's heavy reliance on corporate sponsorship caused many to consider the Games to be overly commercialized.
1998 長野
2000 シドニー 17億ドル[20]
2002 ソルトレイクシティ 12億ドル[22] 1億ドル[23] 2002年 Additional security costs incurred since these Olympics occurred 5 months after the 9/11 terrorist attacks.
2004 アテネ 150億ドル[24] 6億ドル 大会後から2008年まで、ヴェロドローム、ソフトボールスタジアムは未使用
2006 トリノ 36億ドル
2008 北京 430億ドル[25]
2010 バンクーバー 1.6億ドル[26] 推測総費用:10億ドル
2012 ロンドン 190億ドル[27]
2014 ソチ
2016 リオデジャネイロ

問題点

莫大な開催費

1976年のモントリオール大会では大幅な赤字を出し、借金を返済するのに30年以上かかった。また2004年のアテネ大会では施設建設費の多くを国債で賄った為、2010年のギリシャ危機の一因ともった。更に2014年のソチ大会でも多額の開催費がかかった為、2022年の五輪開催の立候補を辞退する都市が相次ぎ開催そのものが危ぶまれているとさえ言われている[28]

スポンサー頼みの体質

上記の状況を打破するために1984年のロサンゼルス大会からは商業主義を取り入れることとなった。この方式は成功したが、一方では競技者よりもスポンサーの意向が強くなる場合もある。2008年の北京大会ではアメリカのテレビ局の意向で、アメリカでの視聴率が取りやすいように(北京の午前はアメリカの夜のゴールデンタイムになるため)一部の競技の決勝が午前中に開催された。

過熱化する招致合戦

1988年大会は有利と言われていた名古屋を抑えてソウルが開催地に選ばれたが、その裏ではソウル関係者のIOC委員への過剰な接待がなされていた[29]。また1999年には招致にあたって多額な賄賂を受け取ったとして複数のIOC委員が除名された。

政治活動とテロ

オリンピックが世界的なイベントとして認知されると、開催に反対する為のボイコットやテロなど政治的問題が浮上してきた。先述のモスクワ大会の大規模ボイコットやミュンヘン大会で発生したテロの他に1996年のアトランタ大会でもオリンピック公園を標的としたテロが発生している。また2008年の北京大会では大会に反対するデモが相次いだ。


TOP

TOPとは「ワールドワイドパートナー」(テンプレート:Lang-en-short)の事である。元々、オリンピックマークの商業使用権は各国のオリンピック委員会(NOC)が各々で管理をしていたが、サマランチ会長がIOCの一括管理にした事から1988年の冬季カルガリー大会と夏季ソウル大会から始まったプログラムで、オリンピックの中でも全世界的に設けられた最高位のスポンサーである。基本的には4年単位の契約で1業種1社に限定されており、毎回計9〜11社ほどが契約を結んでいる[30]。なお、TOPにパナソニックゼネラル・エレクトリック(GE)、サムスンと同業種の企業が名を連ねているが、これはパナソニックが音響・映像機器、サムスンは無線通信機器と細分化されており、またGEはエネルギー関連、インフラ、照明、その他の電気製品などの上記と重ならないカテゴリーのスポンサーとなっているからである。

この他にも、各国のオリンピック委員会とオリンピック組織委員会が国内限定を対象とした「ゴールドスポンサー」(1社数十億円程度)、権利はゴールドスポンサーと同様だがTOPと競合しない事が条件の「オフィシャルサプライヤー/サポーター」(1社数億円程度)、グッズの商品化のみが可能な「オフィシャルライセンシー」がある。

2014年現在、

  • コカ・コーラ(ノンアルコール飲料)
  • アトス(情報技術)
  • ダウ・ケミカル(化学製品)
  • ゼネラル・エレクトリック(エネルギー、インフラ、照明、輸送他)
  • マクドナルド(食品小売)
  • オメガ(時計、計時、採点システム)
  • パナソニック(音響・映像機器)
  • P&G(家庭用品)
  • サムスン(無線通信機器)
  • ビザ(クレジットカード他決済システム)

の10社が名を連ねており、2016年大会よりブリヂストン(タイヤ)が新たに契約する。

TOPの権利

TOPは指定された製品カテゴリーの中で独占的な世界規模でのマーケティング権利と機会を受ける事ができる。また、IOCや各国オリンピック委員会、オリンピック組織委員会といった関係団体と共に商品開発などをする事も可能である。

なお、TOPはすべての大会の権利使用許可、大会放送での優先的な広告機会、大会への接待機会、便乗商法からの権利保護、大会会場周辺での商業活動、公式スポンサーとしての認知機会が与えられる。

レキットベンキーザーは公式スポンサーではないが、傘下のデュレックスにより毎回コンドームが無料配布されている。配布の起源は遅くても1992年のバルセロナ大会であるとされ[31]、シドニー大会では7万個が一週間でなくなり2万個を追加配布[32]、アテネ大会では13万個が配布された[33]

日本との関わり

日本が初めて参加したのは、1912年に開催されたストックホルム夏季大会である。これはオリンピックの普及に腐心したクーベルタン男爵の強い勧めによるものであるが、嘉納治五郎を初めとする日本側関係者の努力も大きかった。最初は男子陸上のみによる参加であったが、1928年アムステルダム大会からは女子選手も参加した。

なお、このストックホルム夏季大会で嘉納治五郎は日本人初のIOC委員として参加し、また男子陸上の選手として参加したのは短距離の三島弥彦と、マラソン選手の金栗四三で、この2名が日本人初のオリンピック選手として大会に参加した。

日本選手のメダル獲得、ベルリン大会から始まったラジオ実況中継[34]、聖火ランナーなどにより、日本での関心が増し、1940年の夏の大会を東京に、1940年の冬の大会を札幌に招致する事に成功したが、これらの大会は日中戦争支那事変)の激化もあり自ら開催権を返上した[35]。戦後の1948年ロンドン大会には戦争責任からドイツと共に日本は参加を許されず、1952年ヘルシンキ夏季大会より復帰している。

日本国内での開催は、夏季オリンピックを東京、冬季オリンピックを札幌(これらはそれぞれアジア地区で最初の開催でもある)および長野で行っている。さらに、2020年の夏季オリンピックの開催地に東京が選出され、2度目の開催が決定している。

オリンピックの開催年は、全国高等学校野球選手権大会の日程が調整されることがある。1992年第74回全国高等学校野球選手権大会ではバルセロナオリンピックの終了を待って8月10日から開催され、逆に2008年第90回全国高等学校野球選手権記念大会では北京オリンピックとの重複を可能な限り避けるために大会史上最早の8月2日から開催された。

報奨金

日本オリンピック委員会は、1992年バルセロナオリンピック以降のオリンピック金メダリストに300万円、銀メダリストに200万円、銅メダリストに100万円の報奨金を贈っている。

五輪

五輪は、近代オリンピックのシンボルマークである5色で表現した5つの輪と宮本武蔵の『五輪書』の書名を由来として、読売新聞社記者の川本信正が1936年に考案した訳語である[36]。本人は「以前から五大陸を示すオリンピックマークからイメージしていた言葉と、剣豪宮本武蔵の著「五輪書」を思い出し、とっさに「五輪」とメモして見せたら、早速翌日の新聞に使われた」と述べている。

参考文献

  • 近代オリンピック100年のあゆみ(1994年 日本オリンピック協会監修 ベースボールマガジン社発行)
  • オリンピックと商業主義(2012年 小川勝 集英社新書)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister テンプレート:Commons&cat テンプレート:ウィキプロジェクトリンク テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:Wikinewscat

参照

テンプレート:Navbox テンプレート:オリンピック招致 テンプレート:Multi-sport events

テンプレート:Link GA

テンプレート:Link GA
  1. 近代オリンピック開催を提唱したクーベルタン男爵の母語がフランス語であった事に因む。
  2. 冬季大会は1992年アルベールビル大会から。なお、初の同一国開催は1964年東京大会であったが、この時は、この方式の定着はならなかった。
  3. 1908年1912年のオリンピックでは、オーストララシアとして参加。
  4. 当初、シカゴで開催と決定していたが、セントルイス万国博覧会との共催のため、セントルイスへ譲渡された。
  5. この大会の後、4年ごとに開催された大会だけをオリンピックと呼ぶことになり、国際オリンピック委員会は、この大会を認めていない。特別大会或いは、中間大会と呼ばれる。
  6. 第一次世界大戦のため開催中止。
  7. 日中戦争第二次世界大戦のため開催中止。
  8. 第二次世界大戦のため開催中止。
  9. メルボルンオリンピック→馬術競技のみ、検疫の関係で1956年6月10日から6月17日まで、スウェーデンのストックホルムで開催。
  10. 馬術競技のみ、特別行政特区となった香港で開催。
  11. JOCのサイトには「何色が何大陸を指している、ということはありません。」と記述されている。
  12. サーチナ - 米紙、史上最悪の開幕式に「ソウルオリンピック」を選定=韓国 2012-07-28(土) 170001
  13. ロンドンオリンピック Yahoo!スポーツ×スポーツナビ - その他ロンドン五輪 開会式 テキスト速報
  14. Opening Ceremony The secrets behind the 'dove bikes' - a speedometer and a blackout zone for any breakdowns - Telegraph
  15. オリンピック物語第五部 アマとプロ〈4〉読売新聞 - 2004年1月24日付
  16. IOC REVENUE SOURCES AND DISTRIBUTION[1]
  17. REVENUE SOURCES AND DISTRIBUTION[2]
  18. 『オリンピックと商業主義』2012年、小川勝、集英社新書
  19. 『オリンピックと商業主義』2012年、小川勝、集英社新書
  20. 20.0 20.1 20.2 20.3 テンプレート:Cite web
  21. テンプレート:Cite web
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  27. [3]
  28. 五輪消滅危機!?冬季立候補地が続々辞退…夏季にも影響か スポニチアネックス 2014年6月2日
  29. オリンピックの政治学 丸善ライブラリー 池井優著
  30. 『黒い輪』 V・シムソン、A・ジェニングス 光文社
  31. [4]
  32. 「至る所でSEX」選手村コンドーム配布
  33. 若い選手にコンドームを-「デュレックス」が五輪恒例の無料配布
  34. ラジオでの報道はその前のロサンゼルス大会からおこなわれたが、このときは権利を持つアメリカの放送局との放送権料の交渉が決裂したため、アナウンサーが会場で見た光景を、放送局のマイクで再現して話す「実感放送」だった。
  35. 代替開催地としてヘルシンキが選定されたが、これも第二次世界大戦の勃発で中止となった。
  36. 保高芳昭「オリンピックを「五輪」と呼ぶのはなぜですか。また、「パラリンピック」とはどういう意味ですか。読売新聞 2013年9月12日