ドーピング
ドーピング(テンプレート:Lang-en-short)とは、スポーツなどの競技で運動能力を向上させるために薬物を使用したり、物理的方法を採ること及びそれらを隠したりする行為、。オリンピック、競馬など多くの競技で禁止され、違反行為となる。
目次
語源
「ドーピング (doping)」は、英語の dope(テンプレート:IPA-en ドウプ)に由来する動名詞であるが「dope」の語源は諸説ある。最も一般的に知られている説は、南アフリカの原住民が儀式舞踊を演じる際に飲用していたとされる「dop」というアルコール飲料に由来するというものである[1]。なお、dop を「カフィール族という部族特有のもの」とする説[2]が広まっているが、これは俗説である。
もう一つの説は、オランダ語で「濃いディッピングソース」を意味する doop に由来するというもの[3]。この単語が米語に輸入され、様々な変遷を辿った上で「競技上のパフォーマンスを向上する目的で作られた薬剤の調合」という現在の意味になったという。ちなみに、当初は「麻薬(曼陀羅華の種子と混ぜた煙草の煙)を用いて相手を朦朧とさせた上で盗みを働くこと」を意味するスラングであった。
歴史
古代ギリシャ時代に競技者が興奮剤等をドーピング目的で用いるようになる。その後、19世紀には競走馬に対して麻薬や興奮剤が用いられる。
1865年、アムステル運河水泳競技大会で使用した選手がいたのが、ドーピング使用で残る最も古い記録。
1886年、ボルドー-パリ間の600km自転車レースでイギリスの選手が興奮剤トリメチルの過剰摂取により死亡、記録として残る初の死者。
第一次世界大戦で開発された覚せい剤アンフェタミンなどさまざまな薬物がスポーツ界で使用されるようになり、ドーピングが蔓延する。
1928年、国際陸上競技連盟が興奮剤の使用を禁止、他の競技団体も追随するようになる。しかし当時はドーピング検査が無く実効性に乏しいものだった。
1960年、ローマオリンピックの自転車競技で興奮剤アンフェタミンにより死亡、オリンピックでの初の死者。
1966年、国際自転車競技連合と国際サッカー連盟が世界大会において初のドーピング検査を実施。
1976年、アナボリックステロイドの検出が可能となり、モントリオールオリンピックで禁止薬物に追加される。
ドーピング禁止理由
- スポーツの価値を損うため
- フェアプレイの精神に反するため
- 健康を害するため
- ドーピングは、使用者の心身に悪影響を与える副作用が確認されており[4]、競技者等の安全や健康を守るためにもドーピングは禁止されている。
- 反社会的行為であるため
ドーピング規則違反
- ドーピング検査で使用する、検体に禁止物質が存在すること
- 禁止物質もしくは禁止方法を使用すること、またはその使用を企てること
- 検体採取を拒否 、回避すること
- 競技会外検査に関する義務に違反すること
- ドーピング検査の一部を不当に改変すること
- 禁止物質または禁止方法を保有すること
- 禁止物質もしくは禁止方法の不正取り引きを実行すること
- アスリートに対して禁止物質または禁止方法を投与 ・使用すること
対象
人間
ドーピング禁止薬物の中には、アルコールやカフェインのように、法律上服用が許容され、さらに、市販の医薬品のみならず通常の飲食物にさえ含有されているものも多い。また、ドーピング検査による禁止薬物の検出を隠蔽するため、別の薬物を使用することもドーピングとみなされている。(なおカフェインについては、2004・2005年禁止リストで禁止物質から除外され、監視プログラムに移行した。[1])但し持久力を高めるエリスロポエチンなどのように、もともと体内に存在する物質であるため検査が難しい薬物も多い。
競技成績向上のために薬物を使用するのは最近の風潮というわけではなく、競技者は数世紀にわたって様々な薬物を使ってきているが、近年ドーピング指定薬が多くなるなど一層の厳格化が進んだことで、一部の効果の高い風邪薬や解熱剤、市販の医薬品でさえ禁止薬物に指定されうるなど、選手の体調管理が非常に難しくなっているという問題もある。実際に、シドニー五輪では女子体操のアンドレーア・ラドゥカンから市販風邪薬にも含有される薬物が検出され、金メダルを剥奪される事態となった。
また、ドーピング騒動が繰り返されることで競技全体の公正への信頼性に疑念を抱かれ、純粋にプレーする選手にすら冤罪や疑惑の可能性がつきまとうなどの弊害も出てきている。実例としては陸上競技の男子ハンマー投があり、オリンピックではアテネ、北京の2大会連続でメダル獲得選手にドーピング問題が発生したが、これを受けてのハンマー投競技関係者のコメントは、繰り上がりでメダルの対象になる選手がいる国の関係者ですら、喜びではなく、競技への信頼性が損なわれることを懸念する声が並ぶ状態となった。
この他、ドーピング騒動が繰り返されると国家への信頼が落ち、オリンピック招致などの国際大会招致等に悪影響をもたらすこともある。実際、2020年夏季オリンピックの開催地選考ではマドリードとイスタンブールの両都市にはトルコ・スペイン両国がドーピングに関する批判を受けていたことで、ドーピングに関する質問が相次いだ[5]。
動物
古代ローマの戦車競走の馬にアルコール発酵させた蜂蜜を与えたり、敵の馬に薬物を与えたりしたという。世界初のドーピング検査は1911年、オーストラリア競馬協会がロシアに依頼したもので競走馬の唾液にアルカロイドが検出されたという。当時は競走馬、競走犬で問題であった。1930年代からドーピング検査体制が整う。
現在は薬品によってはドーピングの対象となるかどうかについて国によって異なる判断がなされる場合もあるため、競走馬が海外遠征をした際に、遠征元の国では禁止されていない化学物質が遠征先の国で禁止薬物として検出され、処分が下されるケースもある。競走馬に対するドーピングの詳細については競走馬を参照されたい。
禁止薬物
人間
運動選手の間で用いられるドーピング薬剤で最も一般的なものは、アナボリックステロイドや以下の成分が主を占めており、これらの成分の他にも、市販の医薬品や処方箋でさえドーピング検査で引っかかる危険がある。[6]
IOC・FIFAはWADAに沿って以下が禁止事項とされている。
- アルコール
- クエン酸シルデナフィル
- テストステロン
- エリスロポエチン
- ホウタン:刺激性の赤い調合薬。鼻腔、口腔、陰茎に塗布
- 持続性エリスロポエチン受容体活性化剤
競馬
血液ドーピング
検査
現在のドーピング検査としては、競技後、上位に入賞した選手(あるいは出場の全選手)から尿や血液を採取して検査される(ビールをコップ1杯飲み、尿意を催したら採取するという方法が一般的。ビールには利尿作用がある)が、近年の遺伝子治療技術の発展により、新たな種類のドーピング「遺伝子ドーピング」につながるのではないかとの懸念が広がりつつある。この新種のドーピングは理論上、検出が非常に困難であり、長年にわたって不正利用が続けられる可能性がある。世界アンチ・ドーピング機構(WADA; World Anti-Doping Agency)は、遺伝子治療がドーピングの新たな手段となる前に、そのドーピング行為を発見するための研究を続けている。「遺伝子ドーピング」の場合、特殊な酵素やタンパク質、ホルモンを産出する遺伝物質を生体に導入する方法と、特殊な能力を秘めた遺伝子を生殖細胞系列に組み込むオプションがあるが、昨今問題視されているのは前者の「特殊な酵素やタンパク質、ホルモンを産出する遺伝物質を生体に導入する方法」である。
ドーピングは、あらゆる競技に対する、卑劣な不正行為とみなされている。筋力などの向上で不正に記録が塗り替えられるだけでなく、選手の健康に対する脅威にもなる。ドーピングの副作用である健康への害を起こす症状は、現役を引退するまで出ないことも多い。そしてドーピング行った選手や、それを黙認した関係者には何らかの権限を持つ機関によって、無期限の出場停止(永久追放)や罰金などの処分が科せられる。これは、不正使用であっても、処方薬さらには麻酔薬である場合、すなわち医学上の必要があってやむなく使用された場合であっても同様となる。ただし、禁止薬物の多くが治療薬であるため、医療目的でやむを得ず必要な場合はTUE(治療目的使用に関わる除外措置)を関係機関に申請・審査を受け、承認されることで使用が許可されることがある[7]。
米ナショナルフットボールリーグ(NFL)と選手会は、来季からドーピング検査に関する基準を引き上げることに合意したと2007年1月24日に発表した。主な基準引き上げ点は、持久力のあるエリスロポエチン(EPO)を新たに検査対象に加える、シーズン中に毎週行われる検査の対象の人数が各チーム7人から10人に増やす、陽性反応を示した選手に対する罰則も強化し、出場停止期間中の年俸に加えて契約金の一部も剥奪する、などがある。
その一方、ドーピング検査は選手生命そのものを左右する重大な決定を行う資料として用いられるために、検査する側においてもこの正確さと公平性が厳しく問われる。検査する側、もしくはライバル選手と関係者が不正や工作を働く余地のないよう様々な手段が講じられている。例えば、尿検査の際は尿を採取するコップを複数の選択肢の中から選ぶ権利を被験者に与えるなどの手順が定められていると考えられる[2]。他にはもし禁止物質が検出されても、検体を分析機関に運搬する際に、運搬員が間違って検体を包んでいた袋を開封したといった些細な手続きの不備が判明した場合、被験者の利益を最優先し、検査結果を無効とし再検査を実施するなどの処置が講じられる[3]。
日本におけるドーピング問題
日本におけるドーピング問題は、近年まであまり問題視されることはなかったが、同時に禁止薬物についての認識が薄いという問題もあった。1984年のロサンゼルスオリンピックでは、男子バレーボール選手が風邪薬として服用した漢方薬に禁止薬物の成分(興奮剤)が含まれていたことが検査で発覚した。このときはトレーナーが薬を手配し本人にその認識が全くなかったことからトレーナーには処分が下されたが、選手本人は免除されている。
日本においては1985年の神戸ユニバーシアードが契機となり、国内に初のドーピング検査機関が設けられた(現在はLSIメディエンスが唯一検査業務を担っている)。ドーピング問題はこれまでの所、さほど深刻なものとなってはいないが、それでもドーピングで出場停止を課される選手が散発的に出ている。
国内競技における規制の進展
現在、日本におけるプロ団体・アマチュア団体・プロアマ統括団体のうち75団体[8]は2001年に設立された公益法人日本アンチ・ドーピング機構に所属し、国際オリンピック委員会(IOC)や世界アンチ・ドーピング機関(WADA)、各国の国内オリンピック委員会(NOC)等のドーピング・コントロール機関と連携しながら、競技会検査や競技会外検査の実施をしている。
以下のプロ3団体は日本アンチ・ドーピング機構に所属しておらず、以下の経緯を踏まえて独自の方法でドーピングに対処している。
- 日本野球機構(NPB)では、2000年代に過去のドーピング問題が登場した。
- テンプレート:By、長嶋一茂が生放送[9]で現役時代にステロイドを使用していたことを告白。
- テンプレート:By、週刊朝日が千葉ロッテマリーンズの選手10名近くがグリーニーを使用していると報道[10](球団は一貫して否定)。
- テンプレート:By、野村貴仁が週刊ポスト上で2週にわたって自らの薬物使用とともに2000年の読売ジャイアンツ内で一部の選手にグリーニーが使用されていたことを暴露[11]。
- テンプレート:By、愛甲猛が自らの著書で中日ドラゴンズ時代にステロイドを使用していたことを告白[12]。
- 2000年代前半、清原和博や松坂大輔が疲労回復のためにニンニク注射を受けていることが、ドーピング問題とは異なる文脈でたびたび採り上げられた[13]。この点について、注射の成分にかかわらず、世界アンチ・ドーピング機関(WADA)は正当な治療目的以外の静脈注射を禁じている。
- 2005年5月、3年前までNPBに所属しておりマイナーリーグに所属中の養父鉄がドーピング検査で陽性を示して50試合の出場停止処分を科された。使用薬物は公表されなかった。
- テンプレート:By4月28日、マイナーリーグのAAA級ノーフォークに所属する入来祐作投手が薬物検査に引っ掛かり、50試合の出場停止処分を科された。使用薬物はステロイドホルモン。
- 2007年12月13日、メジャーリーグベースボール(MLB)での筋肉増強剤使用の実態調査をしたミッチェル報告書が公開されたところ、アレックス・カブレラやジェフ・ウィリアムスら日本プロ野球に所属中および所属していた選手11人の名前もあったが、当時のNPBのコミッショナーである根來泰周はNPBの薬物対策に問題はないとし、報告書とは無関係の立場を取った[14]。
- その他、テンプレート:Byの夕刊フジの記事において、「不振のカブレラ&松中、消えぬ“疑惑”」というタイトルで、「『日本でも2年前からドーピング検査が厳しくなっ たから…』との憶測が流れる」[15]という内容が書かれた。
以上のような経緯を受けて、2006年にNPBがシーズン中に啓蒙期間として罰則なしのドーピング検査を104人に実施したところ、その中に陽性事例があったことを長谷川一雄コミッショナー事務局が発表(ただし悪質ではないと主張。氏名は公表せず)[16]。2007年以降、同機構は機構内にアンチ・ドーピングガイドを掲げ[17]、独自の方針でドーピング検査を実施・公表している。違反者は、NPB医事委員会の報告の後にNPBアンチ・ドーピング調査裁定委員会で審議され[18]、その結果により譴責・10試合以下の公式戦出場停止・1年以下の公式戦出場停止・無期限出場停止のいずれかが科される[19]。今まで、リッキー・ガトームソン(20日間出場停止)、ルイス・ゴンザレス(1年間出場停止)、ダニエル・リオス(1年間出場停止)、井端弘和(譴責)の4人が制裁を受けた[20]。ほか、吉見一起が疲労回復目的で「ニンニク注射」と呼ばれる点滴を受けていたことが判明したが、NPBは「吉見選手に対する治療は医学的に正当な適応による治療行為の範疇に入る」として不問とした[21]。
もっとも、ドーピング検査の回数はMLBと比べると少ない。MLBでは2009年の1年間で3722人の検査を実施したが[22]、NPBでは2007年から約5シーズンで543人(年平均約109人)の検査にとどまっている[23]。
- 日本ゴルフツアー機構は、2009年から独自にドーピング検査を実施している。ドーピング検査で採取した検体は、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)認定の検査機関に空輸で送り検査を受けている。
- 日本相撲協会は、監督官庁である文部科学省からの指導によりアンチ・ドーピング委員会を設置。2009年からドーピング検査実施の方向で進んでいたが[24]、2010年3月に大西祥平委員が亡くなってからはうやむやになって同委員会は機能していなかった[25][26]。2011年11月に隆の山俊太郎が体重を増やすために親方からインスリン注射をされていたことが判明したことを受け、文部科学省から再度指導がなされ2012年にドーピング防止委員会が設置されて講習会が開かれた[27]が、力士からは冷ややかな声が漏れていた[26]。結局、現在ドーピング検査は行われていない。
IOCにおけるドーピングへの対応
第1種ブラックリスト
次のような行為を犯したものに対しては記録およびメダル等を剥奪し、IOCの第1種ブラックリストに登録され、登録された選手および関係者は永久追放処分とし、理由を問わず生涯除外されない。
- ドーピング検査を組織的に不正操作もしくは替え玉行為またはそれらの疑惑が発覚し、再検査を拒否し続けた場合(開催国からの国外逃亡も含む)。
- 意図的に組織ぐるみで行われていたと確証があった場合。
- 過去にドーピングの前科があり、常習犯と認定された場合。
- その他IOCの審査により第1種ブラックリストに登録した方が適切だと認定された場合。
第2種ブラックリスト
IOCの第2種ブラックリストの登録はドーピング検査で陽性反応または検査拒否を犯したものに対しては記録およびメダル等を剥奪し、IOCの第1種ブラックリストの対象外であることを条件に、登録された選手および関係者は無期限の出場停止、期限付きの出場停止、各国の立法によっては懲役刑または罰金刑、追加処分保留などがあり、処分完了後は除外される。但し懲役刑または罰金刑に関してはIOCの審査により第2種ブラックリストに登録される可能性がある。
ドーピングの法的問題
覚せい剤などの違法薬物の使用や、医師等の処方が必要な管理薬物の不正入手などによる場合はむろん例外であるが、一般に医師などにより処方された薬物を自分自身に投与することは、たとえそれが本来の目的外の使用であり、結果として健康に良くない行為であったとしても個人の自由の範疇にあるかぎり違法性を問うことは難しい(愚行権)。しかし、現実にはプロスポーツやオリンピックなどの公的大会では、選手が自己の意思により正当な手続きを経たものであったとしても、ドーピングはその行為をもって大会参加や入賞資格の剥奪理由とされ、あるいは解雇の対象とされる。この場合、他者危害の原則(他人に危害を加えない限り自己のことは自己で決定する権利を持つ)を逸脱した(かのように見える)ドーピング規制が現実の財産権の侵害(解雇など)や名誉の毀損(タイトル剥奪など)をもたらすことになり、このばあいドーピング規制の倫理的・法的根拠が問題となる。
- 第一は競技ルールの点で、ドーピング自身は自己危害の範疇であり、その使用が法律上禁止されていなくても、スポーツのルールとして禁止することを妨げるものではない。
- 第二は選手の健康を現実に損なうことである。
- 第三はドーピングは社会悪であり、個人の自由と権利を損なうことである。勝利と名誉のために副作用を受けても良いという選手がいたとしても、それは近代社会が保障しようとする自由や権利を逸脱している。ドーピングしないで真面目に練習に励み、競技に挑んでいる他の選手の正当な自由と権利を踏みにじり、規則を破ってまで求めようとする身勝手な「自由」と「権利」は受け入れられるものではなく、否定し排除されるべきものである。特に第三点については「みなドーピングを使えば良い」「ドーピング使用者と不使用者を区別すればよい」というドーピング容認論がありえるとし、そのうえで第一・第二の危険性を考慮したうえでも「使ったもの勝ち」の不公平が重大であり「正直者が損をする」ことがないように倫理命法として「ドーピングの禁止を徹底することによって正直者が損をする不公正を防ぐべきだ」は正当性をもつとする。
ドーピングに刑事罰を課す国
[29]世界的にドーピング違反を刑罰の対象とする国は少数であるが、詐欺罪などの形でなんらかの刑事罰を課す国は増加している。第94回オリンピック委員会では各国政府にドーピングのための特別法の制定と適用を求めている。
ドイツは2007年に「スポーツにおけるドーピングの防止を改善するための法律」が制定され、禁止薬物を所持した場合3年以下の自由刑または罰金、特に重大な場合は1年以上10年以下の自由刑に処せられる。
オーストラリア(ビクトリア、クイーンズランド、ニューサウスウェルス州)では、ドーピングにより何らかの利益を得た場合は詐欺罪として最高10年から15年の自由刑が課せられる。
イタリアでは反ドーピング法9条により、禁止薬物を使用した選手は3ヶ月以上3年以下の禁錮刑と2500以上5000ユーロ以下の罰金刑、禁止薬物を提供した者には2年以上6年以下の禁錮刑と5000以上7500ユーロ以下の罰金が課される。スポーツ団体にも制裁が課される。
フランスは1965年にドーピングを刑事罰の対象としたが2006年に行政罰を厳格化し、禁止薬物を選手に与えた場合最高5年の禁錮刑と75000ユーロの罰金、禁止薬物を摂取した選手がドーピング検査を拒否したりフランスアンチドーピング機構の判断に服さない場合最高6ヶ月の禁錮刑と7500ユーロの罰金が課される。選手がドーピングにより何らかの利益を得た場合は詐欺罪とし5年以上10年以下の禁錮刑と375000ユーロの罰金が課される。
オーストリアでは2010年より禁止薬物の使用を詐欺罪とし、10年以下の禁錮刑とした。スペインでは2009年より6ヶ月以上2年以下の禁錮刑とした。スウェーデンでは1991年より最高4年の禁錮刑とした。ギリシャでは最高2年の禁錮刑が課される。
米国では2004年にアナボリックステロイド禁止法が制定され、ドーピング使用が違法化された[30]。禁止薬物の処方箋なしでの販売について最高懲役5年または1万5千ドルの罰金または2年間の保護観察処分が課される。再犯は懲役10年、3万ドルの罰金、4年間の保護観察処分が課される。
主なドーピング疑惑
スポーツと薬物とのかかわりは紀元前からのものである。古代オリンピックにもあぶった牛の骨髄のエキスを飲む、コカの葉を噛むなど、天然由来の薬物を摂取した選手たちの記録が残っている。
- 近代スポーツ史上初めて報告されたドーピングの事例は、1865年にアムステルダムの運河水泳におけるオランダの競泳選手による覚醒剤の使用である。
- 1886年ボルドー-パリ間の600km自転車レースでイギリスの選手がオーナーから投与のトリメチルの過剰摂取により死亡、近代スポーツ初の死者となった。その他にも19世紀後半にはヨーロッパの自転車選手が痛みや疲労の抑制のためにカフェインやエーテル付き砂糖といった薬物を使用していた。
- 1904年のセントルイスオリンピックのマラソンではアメリカのトーマス・ヒックスが優勝し、ゴール後そのまま倒れた。数時間かけて介抱され意識が戻ったが、ヒックスは疲労防止のために興奮剤入りのブランデーを飲んでいた。ただし、当時はルール違反ではなかったため現在も公式の金メダリストとされている。
- 1960年のローマオリンピックにおいては自転車のロードレース競技でデンマークのヌット・エネマルク・イェンセンが急死する事件が発生し、調査の結果興奮剤を服用していたことが判明する。
- 1967年、ツール・ド・フランスに参戦中のトム・シンプソン(イギリスナショナルチーム)がモン・ヴァントゥ直前で倒れて急死。体内からアンフェタミン、利尿剤、アルコールなどが検出され、限界を超えた走りをしたためと確認された。
- 1972年、ミュンヘンオリンピック・競泳でリック・デモント(アメリカ)が400m自由形に出場し優勝したものの、検査でエフェドリンが検出されてメダル剥奪となった(ドーピング検査による金メダル剥奪の第1号選手)。デモントは喘息の持病があり、チームドクターらが「エフェドリンは喘息治療上欠かせない薬物であり、競技における不正の意図はない」と訴えたが、IOCはこれを退けた(医療目的の薬物を使用したことによる、初のドーピング)。
- 1976年のインスブルックオリンピックの70m級ジャンプで金メダルを獲得したハンス=ゲオルク・アッシェンバッハが、1988年の西ドイツ亡命後、テストステロンとプロビオナートを五輪当時服用していたこと、1983年以降はチームドクターとしてナショナルチームやジュニアチームに服用させていたことを証言した。
- 1988年、ソウルオリンピック100mで当時の世界新記録を出したベン・ジョンソンがドーピング禁止薬物の検出により失格となり世界中に衝撃を与えた。
- 陸上女子におけるフローレンス・ジョイナー、マリタ・コッホ、中国の馬軍団(王軍霞ら)などの驚異的な世界記録はドーピングによるものではないかという疑惑は現在でもつきまとっている(ただし再検証は困難であるため、記録は抹消されていない)。
- 1980年代の旧ソ連や東ドイツなどの東側諸国において「ドーピングが国家レベルで組織的に行われていた」とする証言が多数存在している[31]。その残滓とも思われる世界記録は今でも多く破られずに残っている。
- 元MLBのケン・カミニティが自己最高の打率.326・本塁打40・打点130を記録し、MVPも受賞したテンプレート:Byにステロイドを使用していた事を現役引退後に告白した。筋肉が過剰に強くなったためにその後は靭帯や腱などの関節部分を相次いで故障し、引退後も男性ホルモンの分泌が極端に少なくなる等の後遺症に苦しめられ、躁うつ状態にもなった。また、「少なくとも半数の選手はステロイドを使用している」と発言した[32]。
- 1998年、ツール・ド・フランスで広範囲なドーピング疑惑が噴出した。ここで問題となった通称EPO(エリスロポイエチン)と呼ばれるドーピングを行うと、赤血球の生成を促進することで赤血球が増加し、血液の酸素運搬能力が向上させて持久力を上げることが可能だが、血液が濃くなり過ぎることで人体に重篤な障害を引き起こす可能性があり、ヘマトクリット(血液中に占める血球の容積率)の許容値を規定することで規制しようとの動きが活発になった。
- 長野オリンピックのスノーボードの試合で金メダルを獲得したロス・レバグリアティ (w:en:Ross Rebagliati)がドーピング検査の結果大麻の陽性反応が出たため、メダルが剥奪されかける騒ぎがあった。ただし、オリンピックの時点では、すでに大麻を吸っていなかったことなどから、最終的に処分は取り消されている。
- 2003年10月、アメリカの栄養補助食品会社であるバルコ(BALCO)社がスポーツ選手に禁止薬物を提供していたとされるバルコ・スキャンダルが発覚し、同年12月の連邦大陪審でMLBのニューヨーク・ヤンキースに所属するジェイソン・ジアンビがステロイドの使用を認める発言をしていた事がのちに明らかになり、MLBにおけるドーピング検査が強化されるきっかけとなった。ステロイドの使用を否定した陸上女子のマリオン・ジョーンズは偽証罪で訴追された。ジョーンズは2007年12月13日にシドニーオリンピックの陸上競技で獲得した3つの金に2つの銀メダルを全て剥奪され[33]、2008年1月12日に禁錮6か月の判決を受けた[34]。同じくステロイドの使用を否定して偽証罪で起訴された元MLBのバリー・ボンズは専属トレーナーのグレッグ・アンダーソンが証言の拒否を続けた事もあり、テンプレート:By4月13日に司法妨害のみ有罪とする評決を言い渡された[35]。同年12月15日に2年間の保護観察処分と30日間の自宅謹慎が言い渡された[36]。
- 2004年のアテネオリンピックでも、24人がドーピングを行っていたとされる。その中には出場辞退したギリシャの2選手、ハンマー投で渦中のアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)や砲丸投のイリーナ・コルジャネンコ(ロシア、1999年の世界室内陸上選手権でも前科あり)なども含まれている。
- EPOドーピング問題は古くからサッカー界でも知られており、ヨーロッパの有力クラブチームなどで組織ぐるみで行われていたとも噂されている。1954年のワールドカップで優勝した西ドイツや、1966年のワールドカップでイングランド大会で旋風を巻き起こした北朝鮮の選手に対して、EPOドーピング使用の疑惑を訴えるジャーナリストも多い。1994年に1994 FIFAワールドカップで当時アルゼンチン代表だったディエゴ・マラドーナが、ドーピング検査でエフェドリンが検出され、無期限の出場停止で大会から追放された。最近では、2004年にアーセナルのアーセン・ベンゲル監督が所属している外国人選手の中に、以前所属していたクラブでドーピングをしていた可能性のある選手がいると発言し、世界中に波紋を広げた。
- プロボクシングではフランソワ・ボタやジェームズ・トニーなどが試合後のドーピング検査をパスできずに世界タイトルを剥奪されている。
- 格闘技ではアリスター・オーフレイムやチェール・ソネンなどがドーピング検査で、パフォーマンス向上効果があるステロイドの一種テストステロンが規定の2倍以上検出されたため出場停止となっている。
- 2005年2月に元MLBのホセ・カンセコが暴露本 『Juiced〜禁断の肉体改造〜』を出版してMLB選手の85%がステロイドを使用している、もしくは使用した事があると述べ、元チームメイトのジェイソン・ジアンビ、マーク・マグワイア、ラファエル・パルメイロ、イバン・ロドリゲス、フアン・ゴンザレスがステロイドを使用しているところを目撃した事があると実名で挙げた。パルメイロは同年3月17日から開かれた下院公聴会で自身の薬物使用を否定した一方で、マグワイアは自身の使用に関する質問に対する返答には実質的に黙秘権を行使した。なお、パルメイロは同年8月1日にドーピング検査で違反が発覚し、10日間の出場停止処分を受けた後、8月30日を最後に現役を引退した。また、マグワイアは古巣セントルイス・カージナルスの打撃コーチ就任に際し、テンプレート:By1月11日に放送された特別番組でサミー・ソーサとシーズン最多本塁打記録争いを繰り広げたテンプレート:Byシーズンを含めてステロイドを使用していた事を認め、謝罪した[37]。
- 2005年12月13日、スポーツ仲裁裁判所(CAS、Court of Arbitration for Sport)は陸上男子100メートルで米の元世界記録保持者ティム・モンゴメリ(30)に対し、2005年6月から2年間の資格停止とすると発表した。併せて、2001年3月以降の成績は全て抹消されることになり、2002年9月にマークした9秒78の世界記録(当時)も無効になった。
- 2006年2月9日、フランスの競馬統括機関であるシュヴァルフランセが、同年1月29日に行われた同国最大の競馬の競走、アメリカ賞に出走し1位に入線したフランス所属のジャグドベルウから禁止薬物のトルフェナム酸が検出されたと発表。調査の結果として競走馬関係者の故意でも過失でもなかったことが判明したが(飼料の製造中の事故による混入だった)、規程により失格となった(正確にはドーピングではない)。同事件はフランスやスウェーデンなどで大きく報じられた(詳細はJAIR海外競馬速報を参照)。
- 2006年3月17日、国際野球連盟(IBAF)は、国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で準決勝に進出した韓国代表の朴明桓投手にドーピング検査で陽性反応が出たと発表した。WBC初めての違反者となった朴明桓は、登録枠30人から除外されることになった。
- 2006年5月、オペラシオン・プエルトにより、自転車ロードレースで大規模なドーピング事件が発覚。この事件によりヤン・ウルリッヒが引退、イヴァン・バッソが長期出場停止となるなど多くの選手に影響が及んだ。またこの事件の余波は2007年も続き、同年ツール・ド・フランス出場中のミカエル・ラスムッセンがチームから追放処分を受けるなど、ロードレース界におけるドーピング問題の根の深さが明らかになった。
- 2006年10月19日、フランスの競馬統括機関であるフランスギャロは同年10月1日にフランスのロンシャン競馬場にて行われた競馬の第85回凱旋門賞において、3着に入線した競走馬ディープインパクトの馬体から禁止薬物であるイプラトロピウムが検出されたと発表した、その後フランスギャロは同年11月16日に同馬に失格の裁定を下した。(詳細はディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。しかし、レース当時、日本の法律上ではこの薬物は禁止薬物には指定されておらず、海外でもアメリカやイギリス・アイルランドも指定されていなかった(後に指定された)ため、フランスが厳しかったのではとの意見もある。
- 2007年5月8日、Jリーグの川崎フロンターレに所属する我那覇和樹選手が静脈注射を行い、Jリーグドーピング委員会が我那覇の健康状態に対し、当該静脈注射が緊急かつ合理的な医療行為とは認められないものであり、ドーピング禁止規定に抵触することから、6試合の出場停止処分を科した。しかし、実際は点滴にビタミンB1を追加していただけであり(疲労回復目的の所謂ニンニク注射とも異なり、医療目的の範囲で投与されたにすぎなかった)、全てのJクラブのチームドクターから連盟に質問状を出される事態となった。その後、CASで我那覇の無罪は認められ、Jリーグは謝罪したが、我那覇は潔白を証明する為に大きな精神的負担・経済的負担を余儀なくされた。
- 2007年8月10日、NPBの福岡ソフトバンクホークスに所属するリック・ガトームソンがドーピング(薬物使用)検査で陽性反応を示したため、この日から20日間の出場停止処分と、ソフトバンク球団に制裁金750万円を科した。日本のプロ野球でドーピング違反が発覚したのは初めて。原因は約2年前から服用している発毛剤に禁止薬物である「フィナステリド」が含まれていたものであり、2007年2月のキャンプで服用していることを球団側に伝えていたため、本人への処分は比較的軽くなり、球団側への処分は重くなった(なお、フィナステリドについては2009年より禁止薬物から除外されている)。
- 2007年12月13日、2006年3月にMLBのバド・セリグコミッショナーから選手のドーピングに関する調査責任者の就任任命を受け調査を進めていた、ジョージ・J・ミッチェル元上院議員によるミッチェル報告書が発表され、その中でロジャー・クレメンス、バリー・ボンズ、ゲイリー・シェフィールド、ミゲル・テハダ、エリック・ガニエといった有名選手の疑惑が取り上げられた。
- 2008年5月26日、NPBの読売ジャイアンツに所属するルイス・ゴンザレスが同年4月30日の対広島東洋カープ戦終了後に行われたドーピング(薬物使用)検査で禁止薬物の一つである「グリーニー」(興奮剤でクロベンゾレックス製剤。体内でアンフェタミンやパラヒドロキシアンフェタミンを生成する。名は緑色の錠剤であることにちなむ)が検出されたため、5月26日から一年間の出場停止処分が科され、これを受けて巨人はゴンザレスを解雇処分とした。ゴンザレスの働きでチームの勝利につながった試合もあったため、球界全体を揺るがす騒動になった。なお、日本のプロ野球においてドーピングにより解雇処分となったのはこれが初めてとなる。
- 2009年2月7日にスポーツ・イラストレイテッド誌の報道により、2003年のドーピング検査で104人のMLB選手が陽性反応を示していた事が明らかになった。ニューヨーク・ヤンキースに所属するアレックス・ロドリゲスも含まれ、テストステロンとプリモボランの陽性反応を示していたと報じた。9日にESPNのインタビューに応じ、テキサス・レンジャーズ時代にステロイドを使用していた事を認めて謝罪した[38]。
- MLBのヒューストン・アストロズに所属するミゲル・テハダは下院公聴会でHGHを購入していた事を認めたが、使用は否定したために2009年2月10日に偽証罪で起訴され、翌11日には虚偽の証言をした事を認めた[39]。3月26日に1年間の保護観察処分と5000ドル(約50万円)の罰金と100時間の社会奉仕活動を言い渡された[40]。
- 2009年10月22日、NPBの中日ドラゴンズに所属する吉見一起に対し、日本プロ野球組織医事委員会が反ドーピング規定に抵触する可能性があるとして、東京都内で本人に事実確認をし、23日に球団にカルテなどの資料の提出を求め、詳細に検討する意向を示した。これは中日新聞が同年10月22日付で、吉見がインタビューで、「今年7月途中から、登板前後にナゴヤドーム内の医務室で30分程度の時間をかけ、点滴を受けていた。」と答えた『吉見 決戦に備えニンニク注射』という記事を掲載したことによるものであり、即日NPB側が事実確認に乗り出したものである。[41]。この一件はクライマックスシリーズ直前の、しかもWBCにおける原監督と落合監督の因縁の対決ともあり、マスコミは大々的に報道した。その後同席した球団代表が「問題ないと思っている。正当な医療行為だと証明する。」と発表。24日、NPB側が調査の結果、「医学的に正当な治療行為の範ちゅうにある。複数回行われていたが、日常的に行われていたわけではない」と違反はなかったとの判断を示した。[42]
- MLBのタンパベイ・レイズに所属するマニー・ラミレスは2009年5月7日にドーピング検査でステロイドの副作用を消す禁止薬物のヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)の陽性反応を示したとして50試合の出場停止処分を科された[43]。テンプレート:By4月8日に2度目のドーピング違反が発覚し、100試合出場停止処分を受け入れる事を拒否して現役引退を表明した[44]。
- 元トレーナーのブライアン・マクナミーの告発により、ミッチェル報告書でリストに記載されたものの、下院公聴会でステロイドやHGHの摂取を完全否定した元MLBのロジャー・クレメンスはマクナミーとの証言の食い違いから偽証を疑われて起訴された[45]。検察側が偽証を立証する事が出来ず、テンプレート:By6月18日に偽証罪や虚偽の陳述及び公聴会の妨害等、6つの罪状全てで無罪となった[46]。
- 2012年8月24日、自転車プロロードレース選手のランス・アームストロングはテンプレート:仮リンク(USADA)により、ツール・ド・フランスの7連覇を含む1998年8月1日以降の全タイトルの剥奪とトライアスロンをも含む自転車競技からの永久追放の処分を科された。10月10日にはUSADAがドーピングの調査報告書を公表した。これを受け、国際自転車競技連合 (UCI)は10月22日、スポーツ仲裁裁判所(CAS)には上訴せず、USADAの裁定を受け入れる事を発表[47]、1998年8月1日以降の全タイトルの剥奪が確定した。
- テンプレート:By1月29日にフロリダ州にある小さなアンチエイジング専門のバイオジェネシス・クリニックの経営者、トニー・ボッシュが医師免許資格を持たずにHGH等の禁止薬物を野球選手に販売していたとされるバイオジェネシス・スキャンダルが発覚し、7月22日にMLBのライアン・ブラウンに65試合、8月5日にアレックス・ロドリゲスに211試合とその他12人の選手に50試合の出場停止処分が下った[48]。
脚注
参考文献
- カール‐ハインリッヒ ベッテ、ウヴェ シマンク 木村真知子 訳 『ドーピングの社会学―近代競技スポーツの臨界点』 不昧堂出版 ISBN 4829304057
- 高橋正人、河野俊彦、立木幸敏 『ドーピング』スポーツの底辺に広がる恐怖の薬物 ブルーバックス 講談社 ISBN 4062572990
- 北浦伸一 「バルクアップⅠードーピングマニュアル」ナユタ ISBN 9784990363802 ブログhttp://pump.mo-blog.jp/asuran/
- 「ドーピング規則違反と「厳格責任」原則について」森本陽美(明治大学法律研究所,法律論叢第83巻2011.2)[4][5]
関連項目
外部リンク
- ↑ Verroken Baillière’s (2000) Clin Endocrinol Metab; 14: 1–23. cited by A. J. Higgins (2006) From ancient Greece to modern Athens: 3000 years of doping in competition horses Journal of Veterinary Pharmacology and Therapeutics V 29 I s1 Pg 4-8.
- ↑ 『新・ドーピングってなに?』(日本水泳連盟、1996)など他多数
- ↑ Barnhart (2003) In Chambers Dictionary of Etymology. ChambersHarrap, Edinburgh. ited by A. J. Higgins (2006) From ancient Greece to modern Athens: 3000 years of doping in competition horses Journal of Veterinary Pharmacology and Therapeutics V 29 I s1 Pg 4-8.
- ↑ 愛甲猛は、1995年から引退までの約5年間、ホルモン剤の「アンドロステンジオン」を使ったという経験を次のとおり述べている(週刊新潮2009年7月23日号)。
- 「薬を使ったトレーニングの効果」として、「とにかくすべての力、体力、持久力、精力が異常に強くなり…」と、副作用に関して「引退(2000年)の2年前から激しい動悸が起きるようになって、量を減らして…」、「引退から3カ月ばかり経ったころ、…(病院で)『静脈血栓』と診断され、即入院を言い渡された…」
- ↑ 東京五輪を引き寄せた1つの数字。五輪での薬物違反者「0」の意味。- Number Web : ナンバー
- ↑ 蛋白質同化性ステロイド(筋肉増強剤)(Anabolic Steroids)
- ↑ TUE(治療目的使用に関わる除外措置)について JADA
- ↑ http://www.playtruejapan.org/about_jada/members_list/
- ↑ 日本テレビ「北京オリンピック」2004年8月30日
- ↑ 週刊朝日2005年8月19・26日号
- ↑ 週刊ポスト2007年1月26日号、2007年2月2日号
- ↑ 愛甲猛「球界の野良犬」
- ↑ http://athens2004.nikkansports.com/column/hiraishi_040816.html
- ↑ 文藝春秋 「ミッチェル・レポート」(2007年12月20日)
- ↑ zakzak2008年4月11日 http://www.zakzak.co.jp/spo/2008_04/s2008041114_all.html (リンク切れ)
- ↑ 毎日新聞2007年3月16日19面、北海道新聞2007年2月3日20面
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/chapter3.html
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/chapter5.html
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/doc_notice.html
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/doc_20091024.html
- ↑ http://www.nytimes.com/2010/01/12/sports/baseball/12steroids.html?_r=0
- ↑ http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/02/kiji/K20110902001535160.html
- ↑ http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20090410-481068.html
- ↑ http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20120111-888206.html
- ↑ 26.0 26.1 http://number.bunshun.jp/articles/-/273782
- ↑ http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKC0474_R20C12A8000000/
- ↑ 「合意形成とルールの倫理学」加藤尚武(2002年)P.88~。直接はここから引用[6]
- ↑ この項目、「ドーピング規則違反と「厳格責任」原則について」森本陽美(明治大学法律研究所,法律論叢第83巻2011.2)[7][8]から各国法制について解説する目的で引用・起筆している。
- ↑ Anabolic Steroid Control Act of 2004[9]
- ↑ ドーピングが厳しく検査されるようになる前と後では、メダル獲得数に明らかに差が見られる。ただし、ドーピングに対する規制強化が謳われた時期は偶然にもソ連崩壊や東欧の民主化が進展しており、これに伴い国内が混乱していたこと、急激な資本主義化により国家レベルによる選手の育成が図られなくなったことに留意する必要がある。
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 疑惑の最多勝投手中日吉見のドーピングを親会社中日新聞が堂々と記事に Pop Up 2009年10月23日付
- ↑ NPB、中日・吉見に違反なしの判断下す サンケイスポーツ 2009年10月24日付
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- ↑ UCI confirms Lance Armstrong's life ban - Cyclingnews.com 10月22日付テンプレート:En icon
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