北米サッカーリーグ
北米サッカーリーグ(ほくべいサッカーリーグ、英語:North American Soccer League、略称:NASL)は、1967年から1984年にアメリカ合衆国およびカナダで開かれた国内サッカーリーグの名称である。
歴史・概要
アメリカ合衆国のサッカーは20世紀前半にFIFAワールドカップ第1回・ウルグアイ大会(1930年)でベスト4入賞を達成するなどの実力を持っていたが、その後は野球、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーの4大国技に人気を取られ、むしろフットボールといえばサッカーよりもアメリカンフットボールのイメージが強く、北米大陸のサッカー先進国ではあるものの、世界的にはまだまだ発展途上にしか過ぎなかった。
だが、1966年のFIFAワールドカップ・イングランド大会が全米にも衛星中継されると、全米にサッカーブームが起こり、早速翌1967年に世界の一流プレーヤーを集めてこの北米サッカーリーグが創設された。アメリカ第5のプロスポーツとしての定着を図ろうと意図されたものであった。同リーグはヨーロッパ主要各国のリーグ戦で行う秋→春制の年をまたぐ方式ではなく、メジャーリーグベースボールと同じように春→秋の暦年制という形を採用。こうすることで、ヨーロッパや南米の主力選手もレンタル移籍に近い形でリーグ戦に参加できるようになった。
これによりペレ、ヨハン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアー、ジョージ・ベストといった主力選手がサッカー発展途上にあったアメリカ合衆国のサッカー熱を高めた。
また一時期は参加チームが30チームにも膨れ上がり、カナダにもチームがあった。ただ、世界のサッカーの主流であるクラス分け(実力別に1部、2部…というように下部リーグを作る形式)がなかった。よって成績下位のチームと、その次のクラスの入れ替え制度(自動昇降格や入れ替え戦など)も行われていなかった。
しかし、自国選手の育成も国際舞台を経験することには必要だったので、アメリカ・カナダ出身選手を最低6人以上保有し、なおかつ1人以上は試合に出場することというルールまで設けられた。だが、ヨーロッパや南米の主力選手に依存してばかりで、自国選手のスタープレーヤーが育たなかったことや、引き分けによる終了ではなく完全決着(即ち勝敗が付くまで戦うこと)を好むアメリカ人の配慮を受けてメジャーリーグベースボールのように行った延長戦制度や、シュートアウト合戦(PK合戦に代る仕組みで、アイスホッケーのペナルティーショット(PS)合戦のように、フィールドプレーヤーがゴールから30mの地点からドリブルして相手のGKとの1:1のシュート合戦をするというもの)を採用するなどの大会オリジナルルールを採用するも、ファンの興味を引くことが出来ず、多くのチームが経営から撤退し、1984年度のシーズンを最後にリーグ戦が打ち切られた。 晩年は、秋→春のオフシーズンにインドア・サッカーリーグも開催していた。
1994年のFIFAワールドカップ初の北米大陸開催となったアメリカ大会の成功を受けて、1996年から発足したメジャーリーグサッカーはこのNASLの失敗を教訓に、アメリカ人選手の育成及び安定したチームの運営を目指せるように様々な工夫を凝らして行っている。
歴代リーグチャンピオン
- 1968 アトランタ・チーフス
- 1969 カンザスシティ・スパーズ
- 1970 ロチェスター・ランサーズ
- 1971 ダラス・トルネード
- 1972 ニューヨーク・コスモス
- 1973 フィラデルフィア・アトムズ
- 1974 ロサンゼルス・アズテックス
- 1975 タンパベイ・ラウディーズ
- 1976 トロント・メトロス・クロアチア
- 1977 ニューヨーク・コスモス
- 1978 ニューヨーク・コスモス
- 1979 ヴァンクーバー・ホワイトキャップス
- 1980 ニューヨーク・コスモス
- 1981 シカゴ・スティング
- 1982 ニューヨーク・コスモス
- 1983 タルサ・ラフネックス
- 1984 シカゴ・スティング
歴代インドアリーグチャンピオン
- 1975 サンノゼ・アースクェイクス(トーナメント戦)
- 1976 タンパベイ・ラウディーズ(トーナメント戦)
- 1979-80 タンパベイ・ラウディーズ
- 1980-81 エドモントン・ドリラーズ
- 1981-82 サンディエゴ・ソッカーズ
- 1983-84 サンディエゴ・ソッカーズ