デイリースポーツ
デイリースポーツ(Daily Sports)は、日本のスポーツ新聞である。株式会社デイリースポーツ編集、神戸新聞社から発行されている。本社は神戸市中央区で関西に地盤を築いている。
歴史・概要
創刊までのいきさつ
太平洋戦争終結後、日本に進駐してきたGHQは、既存紙の紙面の方針転換を促すとともに、新しい新聞の創刊を推奨した。しかしこの頃は新聞用紙が慢性的に不足しており、結局は既存紙が、用紙割り当て数確保のために、積極的に新興新聞発行を行った。
神戸新聞でも子会社の神港夕刊新聞社を通じて、系列の夕刊紙「神港夕刊」を発行していたが、神港夕刊側が事実上の独立を申し入れたため、神戸新聞側が別の新興新聞発行を検討した。京阪神の売店等で売られている新聞を市場調査した結果、スポーツをメインに据えた新聞を発行することに決定。1948年7月25日付けの神戸新聞に創刊予告が出され、8月1日に第1号が発刊された。
デイリースポーツ社の設立
1950年からタブロイド判からブランケット判に切り替え、1955年2月11日には神戸新聞社から独立して「デイリースポーツ社」が設立された。同時に東京都でも発行されるようになった。 スポーツニッポン(1949年創刊)、オールスポーツ(1950年創刊。現・日刊スポーツ西日本本社・大阪本部版)、サンケイスポーツ(1955年創刊)、報知新聞(1964年大阪進出)が関西で発行を始めるまでは、名実ともに「関西唯一のスポーツ紙」であった。その後、デイリースポーツ社が東京、大阪、神戸の3本社体制に発展し、東海3県を除く本州の各地と四国地方で発行していく。
東京(首都圏)では、1975年から「夕刊デイリースポーツ」も発行していたが[1]、2009年11月30日付で休刊[2]。
なお東日本(静岡県以東)地域版は、1992年までは東京タイムズとの提携で発行したが、同紙休刊以後は日本経済新聞系[3]の印刷工場「日経東京製作センター」(旧・千代田総業)から発行されている。 1977年には東京本社版が、次いで1980年には大阪本社版が休刊日発行(号外扱いの即売特別版)を開始した。
創刊当初はプロ野球、アマチュアスポーツ界、芸能界が紙面の中心であったが、1965年以降になるとギャンブル部門を拡大させ、1985年には日航機墜落事故をきっかけに社会面がスタートした。その間の1974年には、厳選した紙面掲載写真を「パネルサービス」として販売を開始している。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で、旧神戸本社(三宮・神戸新聞会館)が壊滅的な被害を受けたため、一時は印刷困難になりそうになったが、紙面の制作は東京・大手町にある日本経済新聞社の東京本社に委託する形で行われ、販売提携している地方紙の印刷工場などを利用して新聞の発行を続けた。 しかし、完全復旧する同年3月まではカラー印刷が不可能になったり、紙面のページ数も大幅に削減するなどの影響を受けた。
神戸新聞社への吸収合併・その後
2010年3月1日に経営基盤の強化を目的として、デイリースポーツ社が神戸新聞社へ吸収合併された。これに伴いデイリースポーツ及び関連媒体の発行元が神戸新聞社に変更され、分社以来55年ぶりに神戸新聞社からの発行となった。また、これに先立ち2009年12月に公営競技情報部門を分社しデイリースポーツ・クオリティを設立、新聞だけでなく電子媒体などへの情報販売を本格化させた[4]。組織的には、神戸新聞取締役会の下にデイリースポーツ事業本部をおいた。
2年後の2012年12月より、子会社「中四国デイリースポーツ」を「デイリースポーツ」に社名変更[5]し、神戸新聞デイリースポーツ事業本部からの社員出向と言う形で編集部門の再分離を発表している。なお発行元は神戸新聞社のままとしている[6]。
題字遍歴
題字の矢印風の文字のデザインは創刊当初から今日まで変わっていないが、バックの地紋(スクリーントーン)は1980年代前半までひし形が描かれていた。カラー化後は赤地・黄色文字の縦サイズだったものがあったが、2010年の法人移行後は横文字、黒地・黄色。
東京だけで発行していた夕刊のものは「夕刊」を縦書き。デイリーの「ー」が右上に伸びる形で、その下にスポーツという文字を入れていた。後年は右上に黒地・黄色で「夕刊(縦書き)デイリー」とかかれたものがあった。
発行所所在地
- 本社 兵庫県神戸市中央区東川崎町一丁目5番7号(神戸情報文化ビル なお、この住所は西日本向けの1面題字には2010年2月28日付まで記載されておらず、大阪市にあった「大阪本社」の住所が掲載されていたが、発行元が神戸新聞社へ移行した翌3月1日付から記載されるようになった)
- 東京本部 東京都江東区木場二丁目14番8号[7]
- 広島本部
- 旧中四国デイリースポーツの本支社 高松本社、広島支社、福岡支局
デイリーと阪神タイガースの経緯
井上章一の阪神タイガースの正体によると、当初は必ずしも阪神中心の紙面ではなかった。デイリーが阪神を初めて大きく扱った記事は、デイリースポーツ40年史曰く内紛(「お家騒動」とも呼ばれる)ネタであった。1956年に起こった藤村富美男監督と主力選手との間に起こった内紛(藤村排斥事件)がそれで、デイリーは藤村の退陣要求をスクープ。これがはじまりだと考えられている。
東京地区では東京本社(現:東京本部)が独自に紙面を構成していたが1975年以降関東のプロ野球ファンの好みの変化が少しずつ起こり、必ずしもファン的には巨人一辺倒ということはなくなってきた。しかし関東のスポーツ新聞界においては相変わらず巨人1面が主流だったため、1982年のプロ野球シーズンオフに東京での独自性を打ち出す意味もあり巨人の次に人気がある阪神中心の紙面づくりを関東で転換した。
現状
関西ではよほどのことがない限りスポーツ報知以外の全紙が阪神の記事を1面から3面まで飾っている。ただ日刊スポーツに関しては親会社の朝日新聞社の方針もあってか、現在はサッカー日本代表の記事がまれに一面に来ることもある。加えてデイリースポーツが飛ばし記事を多く配信していることから関西の阪神ファンには重宝がられていない。
一方、関東ではデイリースポーツのみ阪神の記事が1面を飾っている場合が多い。(各業界(芸能・スポーツ・社会)でよほどの大きい事件があればそちらをトップに持ってくる事もある)。そのため関東の阪神ファンにとってはデイリースポーツは情報源となっている場合もある。
いずれにしても、関西では阪神が勝っても負けても1面を飾るスポーツ紙がほとんどであり、パ・リーグの球団はよほどのことがなければ1面を飾ることはない。合併球団のオリックス・近鉄は1992年以降はいずれもそうした扱いに甘んじ、さらには在阪の民放局までもがこの流れを追随していった。
性風俗面はサンケイスポーツやスポーツニッポンと同じく力を注いだ。東京版は即売版のみ載せていたが、大阪版は宅配版にも載せていた。末期は東京中日スポーツと協力し同じ情報や漫画(「エロしぼり」など)が掲載されていた。2010年3月1日より神戸新聞社発行となりアダルト面が廃止され、即売版と宅配版の区別がなくなったが、2012年10月1日から「お色気面」として再開(宅配・即売とも)された。
特筆事項
広島版
デイリースポーツの広島版は、広島県廿日市市にある中国新聞広島制作センター(ちゅーピーパーク)で委託印刷され、広島県全域と山口県(離島など一部地域を除く)で販売されている。
広島東洋カープとサンフレッチェ広島の報道に力を入れており、カープが勝利した翌日の1面はロゴの「デイリー」の「ー」の部分が鯉のぼりになる。また高校野球期間中はカープの敗戦翌日の1面が高校野球広島大会や甲子園での広島代表の話題となることがあり、その際には「デイリー」の「ー」の部分が金属バットとボールになる。また広島・山口地区の公営競技面も掲載。
なお、ナイターが遅くまで続いている場合、早版では途中経過しか伝えられない場合があり、その場合翌々日の紙面で結果を掲載する(首都圏の宅配早版でも同様のケースがある)。
四国・瀬戸版
岡山県と四国地域向けの版は愛媛新聞社で委託印刷されている。2012年11月30日までは、関連会社の「中四国デイリースポーツ」が発行元(ただし、発行者のクレジットは「デイリースポーツ社」(初代)→「神戸新聞社」のまま)だった。
四国・瀬戸版は地元にプロ野球チームがないこともあり、関西版同様の阪神タイガースメインの紙面構成ではあるが、対象5県で開かれる各種スポーツイベント・公営競技も率先的に取り上げている。
中京・九州版
1986年11月、国鉄のダイヤ改正に伴う荷物列車の廃止により、九州地区・山口県西部(防府市以西)・中京地区の一部への配送が中止された。
福岡県では、博多駅、西鉄福岡(天神)駅、天神駅、小倉駅など一部地域で中四国版が即売のみで販売されている(番組表は差し替えられておらず、また北部九州の番組も掲載されていない)。山口県では広島での現地印刷開始、配送ルートや道路事情の改善などにより防府市以西でも販売されるようになった。
愛知県においては、名古屋市内の主要駅の一部売店にて神戸本社版の早版が、即売のみで販売されていたが(コンビニでの販売はない)[8]、2011年11月30日をもって販売を終了。
なお、九州版や中京版を発行していた頃は西鉄ライオンズ特集(九州版)・中日ドラゴンズ特集(中京版)をそれぞれ組んでいた。
公営競技
競馬ではJRA重賞の「クイーンカップ」、「デイリー杯2歳ステークス」、船橋競馬場の交流重賞「クイーン賞」に盃や社賞を贈り、各地で「競馬教室」を開いている。またNTTドコモのiモードコンテンツの中に「デイリー馬三郎」を開設している。
競輪では1984年に日本選手権競輪(競輪ダービー)の前夜祭を主催したが、「一つの新聞社にやらせるとは」という異議もあって1回限りで終わった。
格闘技
1961年にボクシング欄を創設、やがてこれがプロレスも含めた「デイリー・リング」と銘打った(今で言う)格闘技欄に発展する。一時は流行のキックボクシングにも密着し大きく扱ったこともあったが、その後1977年にプロレス欄を創設。取材記者にプロレス担当を設け、プロ野球のシーズンオフの時は3面も使うほどの熱の入れようであった。1983年6月3日に蔵前国技館で行われたアントニオ猪木VSハルク・ホーガン戦で猪木がホーガンの必殺技「アックスボンバー」を食らって失神した際、デイリーはリング下で失神する猪木を激写(見出しは「猪木、意識不明」)。この場に居合わせてなかった他紙の記者が、共同通信社を通じてデイリーの写真を求める一幕もあった。
一時期、殆どの朝刊スポーツ紙でプロレス記事の掲載は少なかった。その点、デイリーは昭和の時代から東京スポーツと共にプロレス報道の2大紙と言われる[9]。特にデイリーは、全日本女子プロレスの後援にその設立初期から名を連ねたこともあり、女子プロレスに関しても女子プロブームの頃から緻密な取材を重ねていた。そのため他のプロレス専門誌やスポーツ誌が試合結果を載せていなかった頃、唯一デイリーだけが全日本女子プロレスの試合結果を載せていた。
よって「朝に前夜のプロレスの結果を知りたきゃデイリーよ」[10]と言われ、デイリーを毎朝・東スポを夕方購入するプロレスマニアは大勢いた。ただ時代が昭和から平成になった頃、新日本プロレスの東京ドーム大会が定番化された辺りから、他のスポーツ紙も、少なくとも東京ドーム大会の様な主要試合に関しては記事を掲載する様になった。さらに殆どの団体の(当時はまだプロレス団体が少なかった)全試合の結果が毎日掲載されるほどに各紙のプロレス取材が強化され現在に至るが、現在はプロレス団体が非常に多く、紙面の都合もあり主だった団体の結果や寸評、時にはメインイベントだけの結果という様に要約されて掲載される。
なお上記に挙げたのは東京本社版の場合である。大阪本社版においてのプロレス記事の導入はかなり遅く、試合結果が載り始めたのは1980年代末期、東京本社版と同等の格闘技欄(「スーパーファイト」面)が導入されたのは1990年代に入ってからである。
全日本女子プロレス亡き後はJWP女子プロレスの主要大会の後援を行い、引続き女子プロレスに関わり続けている。2008年には創刊60周年記念として、女子プロレス大会「サマードリーム2008」を開催(7月21日・大阪、8月3日・東京)。この大会に合わせて新設した「デイリースポーツ認定女子タッグ王座」(現在はJWP認定タッグ王座と統一)の争奪戦とOG戦を中心とした、小規模ながらもオールスター戦のような趣の興行となった。
また2006年9月から、傍系のサンテレビジョンが同年10月にハッスルの特別番組を放映するのを控え、ハッスルの報道を強化。サンテレビジョンの特番はこの限りだったが、デイリーでは引続き「ハッスル(特別)取材班」を設けてまで、毎回、他団体よりも大きく扱った。
ボクシングの面では、具志堅用高が王座にあった時代のWBAジュニアフライ級の防衛戦を始め、TBS及び協栄ボクシングジムによるボクシング興行「ガッツファイティング」を協賛した(2012年からは東京中日スポーツに変更)。また、毎年恒例の全日本新人王決定戦の主催者でもあり、その紙面での扱いは他紙よりも大きい。
2000年代は亀田家との関係を緊密にしていることで知られ、2006年8月から2007年1月にかけて亀田家をフィーチャーした週一回の特集ページ「週刊亀田新聞」を連載していた。その所以からか、2007年10月11日に行われた亀田大毅対内藤大助戦の試合結果について、亀田側を擁護し内藤側の反則を批判する記事を書いた唯一のスポーツ新聞となった[11]。
社会ネタ
1985年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故をきっかけに社会面を新設した。社会面は、共同通信社配信による記事が中心であるが、国内外で重大な事件・事故やなどが起きた際は、本紙でも他紙と同様に本紙独自の取材による社会ネタを一面に載せることがある。本紙が一面で取り上げた社会ネタ(スポーツ・芸能界の重大事件・不祥事などは除く)は、1989年1月の昭和天皇崩御や、1995年1月の阪神・淡路大震災、1995年のオウム真理教による一連の事件、1997年6月の神戸連続児童殺傷事件の容疑者逮捕、1997年8月のダイアナ元イギリス皇太子妃事故死、1998年10月の和歌山毒物カレー事件の容疑者逮捕、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件、2002年9月の北朝鮮による日本人拉致問題(当時の小泉純一郎首相と金正日北朝鮮総書記との会談)、2005年4月のJR福知山線脱線事故、2006年1月の堀江貴文ライブドア社長(当時)逮捕、2011年3月の東日本大震災などがある。特に、昭和天皇崩御や阪神・淡路大震災、1995年5月の麻原彰晃オウム真理教代表(当時)逮捕、東日本大震災の際は、一面から紙面の大半をそれらの関連記事に満たした。
関西版のうち、京阪神通勤圏向けの最終12版では1986年ごろから、テレビ面を中頁に移し、最終面(ダブル1面)に社会面を持ってきたことがあった(それ以外の地域向けは従来どおり最終面がテレビ面、社会面は中頁だったが、1988年に最終面もニュース面になった)。
その他
- 神戸新聞の系列ということもあってか、ヴィッセル神戸の情報が多い[12]。
- 一時期、題字に英文字(THE DAILY SPORTS)を入れていたことがある。
- 1990年度中期頃まで1部120円であったが、現在は1部130円である。これにより1部120円で販売されているスポーツ新聞は東京中日スポーツと東海地方に於いての日刊スポーツ及びスポーツニッポンのみとなった。
- 首都圏で発行された「夕刊デイリースポーツ」は、プロ野球関連の記事は比較的少なく、競馬やゴシップ記事が1面を飾るケースも少なくなかった。また静岡県や甲信越地方、東北地方の一部では、この「夕刊―」の紙面を、そのまま翌日の朝刊に流用して載せるケースが多かったとされる。関東地区でも番組表も紙面上の日付(=発売日の翌日 関東を中心に東北・静岡・甲信越の番組表も)のものが使われていた(※「夕刊デイリースポーツ」が休刊になってからは、これらの地方への販売も基本的に休止。ただし一部地域の駅では、早版の販売を継続している)。
- 読売ジャイアンツ(巨人)の長嶋茂雄・王貞治をコンビとして付けた言葉「ON砲」の名付け親はデイリースポーツであった。1963年4月、巨人のクリーンナップを張っている2人が大活躍したことからデイリースポーツの記者が「(アメリカ大リーグの「MM砲」〔ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスとミッキー・マントルの活躍に倣って〕彼らの名前の頭文字を取ってON砲としてみるのはどうか」と提案。それが新聞の見出しとして掲載され、以後定着するようになった。ひいては、長嶋・王に限らずチームのホームランバッターを「○○砲」と書く嚆矢になった(ただし、助っ人外国人選手に使われることが多い)。ちなみに、長嶋・王は試合によって3番4番を入れ替えていたので、一部ではその時の打順(3番長嶋、4番王)に沿ってNO砲とする案も検討されたがそうしてしまうと不発弾になってしまうということで却下されたという。
デイリー電子版
- 2010年2月1日から、デイリースポーツの紙面がインターネットで閲覧できる電子新聞「デイリー電子版」のサービスを開始した。神戸本社版の最終版全紙面がパソコンで発行当日に見られるサービスで、デイリースポーツが発行されていない地域でも発行当日の紙面を見ることができる。毎朝6時に更新され、公営競技とテレビ・ラジオ欄は関西地区の物を掲載している。但し広告の一部と肖像権の理由でジャニーズ事務所関連の写真記事は省略されている。2月中はお試し期間として無料となっていたが、2010年3月1日からは月ぎめ1,890円となった。
地方紙とのかかわり
元々は発行元が神戸新聞社という地方紙系の新聞社であることから、中四国地方向けには地方新聞社へ印刷を委託(先述)しているほか、東北地方・中四国地方、及び奈良県・滋賀県・京都府ではその府県の地方新聞社、関東地方と大阪府では全国紙(主に日本経済新聞・朝日新聞・毎日新聞[13])のそれぞれの販売店へ販売委託を行っているなど、地方紙との結びつきが強い。そのため販売・印刷受託される地方新聞社の販売店を中心に各地に「デイリー会」なる販売店の交流団体がある。
宅配取り扱い新聞販売店
東京本部
- 河北新報(河北仙販を通じて発売)
本社・中四国デイリースポーツ社
番組表の収録局
神戸本部・大阪本社版
- フルサイズ
- クォーターサイズ(地上波)
- クォーターサイズ(BS・CS)
- NHK BS1
- NHK BSプレミアム
- BS日テレ
- BS朝日
- BS-TBS
- BSジャパン
- BSフジ
- WOWOWプライム
- BS11
- TwellV
- J SPORTS(1・2・3・4)
- 日テレG+
- フジテレビONE
- GAORA
- スカイ・A
- クォーターサイズ(AMラジオ)
- 備考
- 1987年3月ごろまでは、AM局の番組は午後0時(正午)以後のもののみを収録していたが、紙面拡充により同4月以後は朝の放送開始(起点)時間からすべて掲載されるようになった。
- かつてはFM放送とラジオたんぱ(ラジオNIKKEI)も一部収録されていたが、BS・CSの放送局が増加したこともあり2007年から掲載が省略された。
東京本部
- フルサイズ
- ハーフサイズ
- クォーターサイズ(地上波)
- NHK Eテレ
- TOKYO MX(1)
- クォーターサイズ(BS)
- NHK BS1
- NHK BSプレミアム
- BS日テレ
- BS朝日
- BS-TBS
- BSジャパン
- BSフジ
- WOWOWプライム
- WOWOWライブ
- WOWOWシネマ
- BS11
- BSスカパー!
- J SPORTS(1・2・3・4)
- 釣りビジョン
- クォーターサイズ(CS)
- GAORA
- スカイ・A+sports
- 日テレG+
- フジテレビONE
- フジテレビTWO
- フジテレビNEXT
- クォーターサイズ(ラジオ)
- 備考
- 日本テレビは、かつては「日本テレビ」ではなく「NTV」と表記されていたが、2014年現在は「日テレ」と表記されている。なお番組解説では「日本テレビ」と表記されている。
- TOKYO MXについては、2014年4月1日から全日マルチチャンネル放送(TOKYO MX2)を開始したが、スペースの都合でTOKYO MX1のみの掲載である。
キャラクター
- ブレないおっさん
- 2013年10月に登場したデイリースポーツの公式キャラクター。年齢は50代後半ぐらいで、大阪の下町でお好み焼き店を営んでいる。「てこでもぶれんで」と黒地に黄抜きで書かれた前掛けを身に付けている。
デイリー読者歴30年、阪神タイガースと競馬をこよなく愛している。デイリー1面で阪神関連の記事の際に紙面の隅に登場し、阪神の勝敗をつぶやいている。
主な評論家
東京本部(主に関東地区)
神戸本部
- 上田利治(2000〜)
- 岡田彰布(2009、13〜)
- 岡義朗(2001、12〜)
- 金本知憲(2013〜、特別評論家・スポーツニッポン評論家との兼務)
- 小山正明(2001〜)
- 中田良弘(1995〜)
- 濱中治(2012〜)
- 藤田平
- 藤本敦士(2014〜)
中四国支社(主に広島版)
その他の著名な社員
- 埜下雅基 関西学院大学卒。アメフト選手として関西学生チャンピオンに輝く。卒業後デイリースポーツ勤務で記者をしつつサンスターファイニーズのアメフト選手として活動。引退後は記者に専念したが、現在は退職し保険会社部長を務める[14]
脚注
参考文献
- 「デイリースポーツ40年史」『神戸新聞社90年史』神戸新聞社、1988年。
関連新聞
関連項目
- デイリー杯2歳ステークス
- クイーンカップ
- アクセラ (企業) - 一時同社の競馬新聞「ぐりぐり◎(にじゅうまる)」に編集協力を行っていた。
- 原良馬(スポーツライター・競馬評論家)
- デイリースポーツの楽しい催し - 1990年代まで、サンテレビジョンの放送終了直前に流していたミニ番組。BGMとともにブルーバックと白抜き文字のテロップのみで、当社主催のスポーツイベントの案内を流していた。
- デイリースポーツ尼崎・住之江BOAT RACE FRASH - 同じくサンテレビジョンで平日深夜に5分間放送しているミニ番組である。以前は「デイリースポーツレースアワー」として地方競馬・競輪の結果も伝えていたが、現在は住之江競艇場・尼崎競艇場本場開催の結果と次回のレース予告、及び両場で行われるSG競走場外発売のレース結果を字幕で伝えている。
- サンテレビジョン - 同系列の地上波テレビ専業局(独立U局)。兵庫・大阪(※山間部など一部を除く)をサービスエリアとする。
- ダイエー - 中内体制下により80年代から90年代後半にかけて、同社に資本参加。創業家であった中内家の撤退を受け、同グループ保有株式を神戸新聞本体側に売却。
- リダイレクトページ「中四国デイリースポーツ社」に関するカテゴリ。
外部リンク
テンプレート:スポーツ新聞- ↑ 題字は「夕刊デイリー」で、駅・コンビニなどのスタンド売り専売だった。宮崎県にも夕刊デイリーという新聞社があるが、全くの別物である。
- ↑ 大阪本社では、それより先の1957年に「夕刊デイリースポーツ」(後に「デイリールック」)という夕刊紙を発行していた。その後「夕刊」とは題字にあらわさなかったが、1990年代頃まで(他のスポーツ紙を含めて)京阪神向けに、早版を事実上の夕刊として発売していた。各紙が夕刊を廃止する中、スポーツニッポンの大阪版も「前夜速報版」(1979年10月31日=日付上は11月1日までは「新関西」)を出していたが、それも東京版夕刊デイリーと同じ日に廃刊となった。
- ↑ なお、日経新聞のスポーツ面にも、デイリースポーツ新聞社提供写真が掲載されている場合がある。
- ↑ 神戸新聞、デイリースポーツを吸収合併へ - YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2009年10月26日
- ↑ 公式には中四国デイリーが存続会社となるが、事実上は神戸新聞が中四国デイリーの事業を引き継ぎ、神戸新聞社デイリー事業本部に吸収された上での業務統合する形になる。なお地方紙への委託印刷は従来に同じ
- ↑ デイリースポーツを分社化 - 産経新聞、2012年9月3日配信
- ↑ 神戸新聞社東京支社の住所は東京都中央区銀座一丁目7番17号(神戸新聞東京ビル)。
- ↑ サンケイスポーツも中京地区において、大阪本社版の早版を販売しているが、同様に主要駅の一部売店での販売が中心であり、コンビニでの販売は殆どない(産経新聞を扱う店舗は除く)。
- ↑ プロレス専門のタブロイド紙である週刊ファイトや、スポーツ専門紙とは主旨が異なる東京都の夕刊専売地方紙・リアルスポーツを除く(前者は2006年9月に、後者は2009年11月に、それぞれ休刊)。ただし、1950年代から1960年代にかけて、日本プロレスの大会を後援していたスポーツニッポンを始め、朝刊スポーツ紙(一般スポーツ紙)においてもプロレスの記事に紙面を割いていた時期もある。
- ↑ 「東京スポーツ」は夕刊発行のため、発売が夕方。地域によって(北海道・東北・四国のほぼ全部と、中国のうち大阪スポーツを扱う地域のごく一部)は、そのまた翌朝に発売となるため、どうしても情報の遅れが避けられない。
- ↑ 大毅 弱かった…亀田家初黒星 - デイリースポーツonline・亀田兄弟記事バックナンバー、2007年10月12日(元記事)
- ↑ ヴィッセル神戸とはスポンサー契約を結んでいる。カテゴリーはメディアパートナーで、サンテレビ、ラジオ関西、兵庫エフエム放送の兵庫県域局と同列である
- ↑ 特に日経の場合には、大都市では単独の販売店こそあるが殆どが朝日・毎日などの販売店との抱き合わせ(併売)というケースが多い。また自らが運営するスポーツ紙を持たない日経も神戸新聞と相互提携しており、日経の紙面にデイリースポーツ提供写真を掲載したり、デイリー側が関東版を日経の印刷工場に、その逆で日経側が神戸新聞工場で委託印刷をする、テレビ東京のスポーツニュース番組にデイリーの記者が出演する(過去)などの関係がある
- ↑ facebook 埜下 真暉