京都放送

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株式会社京都放送(きょうとほうそう、Kyoto Broadcasting System Company Limited)は、京都府滋賀県放送対象地域として中波放送AM放送)を、京都府を放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はKBS[1]で、テレビ・ラジオともに「KBS京都」と呼ばれることが比較的多い。[2] ただし、ラジオにおいては滋賀県の滋賀放送局による放送内で「KBS滋賀」を使用することがある。

概要

1951年に開局。当初は「京都放送株式会社」(現在とは逆に、法人格が末尾に付く)として設立されたが、1964年10月に社名を近畿放送に変更。近畿テレビの愛称で呼ばれてきたが、1994年9月22日会社更生法の適用を申請し、事実上倒産。放送自体は継続し、1996年10月にかつての称号を冠した「株式会社京都放送」に変更。改めて歩を進め、現在に至っている(詳細は後述)。

現在の「KBS京都」の愛称が採用されたのは、1981年昭和56年)の開局30周年を記念してのことである。また、番組表などでは俗称として京都テレビが使用されることが多いが、放送内では使用されていない(旧社名の頃から使用[3])。なお、ラジオについては『KBS京都』『京都 KBS』『京都』と各紙によって表記が異っている。

2006年平成18年)4月から、局初のラジオ・テレビ共通マスコットキャラクターとして、賀茂なすをモチーフとしたカモン・ナスが採用されている。それまでは、ラジオに限り「ラジタン」(黄色の男の子)と「ラジリン」(ピンク色の女の子)が使用されており、2011年1月には新キャラクターの登場が告知されたが、2014年3月現在も現行の「カモン・ナス」がそのまま使われている。

事業所

廃止

資本構成

沿革

KBS京都のあゆみ

  • 1980年昭和55年) - テレビ放送、民放初のゴールデンタイムの情報番組『タイムリー10』の放送を開始。
  • 1981年 - 創立30周年記念キャンペーン「We Love Beautiful KYOTO」(環境に取り組む特別番組)
  • 4月 - 開局30周年を機に、京都新聞本社南館7(6)階から9階にあった本社を烏丸上長者町の新社屋へ移転(地上5階・地下1階建て[6])。同時にKBS京都の呼称を採用[7]
  • 1983年昭和58年) - 白石英司社長(兼京都新聞社社長。京都新聞社のオーナー白石古京長男)が急死し、内田和隆が後任社長に就任。遺産相続の過程で、KBSと京都新聞社に英司社長が進めていた不動産投資の失敗による約70億円の簿外債務が発覚。京都新聞社グループに調査委員会が設けられるも、明確な方針を立てることは出来なかった。
  • 1984年昭和59年)5月 - 簿外債務処理などを巡り、京都新聞社が内田社長の解任要求を明らかにするが、株主総会招集直前に撤回。英司未亡人・浩子が京都新聞社、英司の母(白石古京夫人)がKBSを支持し、京都新聞社とKBS(および白石一族内)の確執が表面化。また、大株主である京都信用金庫常任顧問の山段芳春[8]が浩子未亡人側についていたとされる。
  • 1985年昭和60年) - 1988年昭和63年) - この頃、簿外債務処理のためにKBSが切った約束手形闇金融に流れる。KBSは、山段の知人で、闇金融に顔が利くと言われていた許永中に事態収拾を依頼し手形回収に成功。KBSは許を同社の資産管理会社の一つ「KBSびわ湖教育センター」の代表取締役に就任させる。
  • 1989年平成元年)
  • 6月 - KBSが資本金を10億円から20億円に増資。京都信用金庫傘下のノンバンクであるキョート・ファンド(会長は山段)が筆頭株主になり、関西新聞(前出の許永中が事実上のオーナーと言われた)も資本参加。また、福本邦雄がKBS社長に就任(内田前社長は副社長として残留)。新社長は画商が本職だったが、のちに許が総合商社イトマンに売ることになる絵画骨董類を福本に売るなどの仲となっていた。京都新聞社は取締役派遣を取りやめ、のちの再建による出資までの間KBSと絶縁状態になる。
  • 12月 - ダイエー傘下のダイエーファイナンス(現・セディナ)がKBS本社の建物と土地に146億円の根抵当権を設定していた事が発覚。福本社長就任直後に設立された不動産会社の「KBS開発」に対する融資の担保とされていた。経営陣は従業員に対する説明を回避し、労働組合は翌年より経営陣およびダイエーなどへの抗議を展開。「京都唯一[9]の民間放送局を守ろう」との掛け声の下、リスナーやパーソナリティも参加しての広範な運動に発展。
  • 9月22日 - 親会社の京都新聞社にも跨る経営陣の内紛および、イトマン事件に巻き込まれるなどで経営が悪化し、労働組合員有志が給与未払いを理由に京都地方裁判所会社更生法適用を申請、事実上倒産する。免許事業である民間放送局としては日本初の倒産事例となったが、申請の数年前から存続運動が行われていたこともあり、放送は継続され免許停止や廃局の危機は逃れた。
  • 9月30日 - 京都地方裁判所から財産保全命令を出す。
  • 11月 - 京都地方裁判所が更生手続開始を決定。
  • 1995年平成7年)8月 - イトマン事件関係者を排除するための100パーセント減資および100パーセント増資同時実施を柱とする更生計画案を京都地方裁判所に提出。同年10月、京都地方裁判所は更生計画を認可。
  • 1996年10月 - 社名を株式会社京都放送(2代目)[10]に変更。呼称の「KBS京都」はそのまま使用を継続する。
  • 1998年9月 - KBS京都を支援してきた市民や視聴者らが、同放送局の労働組合と協力して、「KBS京都アクセスクラブ」が発足。
  • 1999年平成11年)
  • 会社更生法による更生計画開始。
  • 2月 - 更生計画に基づき減資・増資実施。京都新聞社が筆頭株主に復帰。任天堂ワコールオムロン京セラなど京都に本社を置く大手企業が出資し、新資本による新生KBS京都がスタート。このとき京都府京都市も出資したが、これは同社の史上初である。
  • 2011年平成23年)
    • 1月12日 - アナログテレビ放送において、レターボックス画面の黒帯部分に「アナログ」マークとアナログ放送終了告知テロップの常時表示を開始[13]
    • 4月12日 - ラジオ関西和歌山放送Kiss FM KOBEラジオNIKKEIと同時にradikoの試験放送を開始。配信は京都府内のみで放送対象地域である滋賀県には配信していない。
    • 7月 - 千代正實(ちしろ・まさみ)副社長が社長に昇格。元関西テレビ放送専務で社長を6年間務めた中澤隆司社長は代表権のある会長に就任。

ラジオ・テレビの主な番組

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ラジオ

概要

全国ラジオネットワーク(NRN)に加盟しており[14]近畿地方ではラジオ大阪と共に系列の基幹局としての役割を担っている。

毎朝5時を基点とする24時間放送を実施している[15][16]。また、AMステレオ放送は行っていない。

前述の通り、滋賀放送局(コールサイン「JOBW」)による放送では「KBS滋賀」という独自の愛称を使用しており、一部の時間帯で全エリア向けの番組や滋賀県内向けのローカル番組を放送している。ただし、2006年平成18年)4月改編以降は大幅に縮小されている。その他、夏の高校野球滋賀県大会や本大会の滋賀県代表の試合を独自に中継している。

一方、舞鶴放送局と福知山放送局(それぞれ、コールサイン「JOBO」・「JOBE」)はかつて独自に『両丹ニュース』を平日に放送していたが、のちに『京都新聞北部ニュース』として京都府内全域向けの内容に統一された。現在は定期放送の府内ローカル番組は編成されていないが、滋賀放送局と同様に高校野球・京都府大会と本大会[17]をそれぞれ独自で放送している。

かつては「Media-Mix」と題し、平日の日中にテレビとの同時放送(ラジオ番組をベースに、スタジオにカメラを設置して放送)したり、東京支社スタジオから遠藤泰子を起用した生ワイド番組を編成していたこともある。また、自社制作の深夜生番組も多数編成し、各時代の若者の支持を集めていた。しかし、2000年代半ば以降は自主制作番組は減少傾向にある[18]。なお、2009年平成21年)1月5日より月 - 木曜の『レコメン!』を3時間全てネットすることとなった(全編フルネットは全国初)。これにより、自社制作の深夜生番組が完全に消滅したほか、自社制作番組が大幅に縮小した。

スタジオは第1スタジオ(サンシャインスタジオ)、第2スタジオ(ふれあいスタジオ)、第3スタジオの三種類がある。また、滋賀放送局にも別にスタジオを設置し、独自番組で使用している。

ラジオ大阪ラジオ関西和歌山放送と共に、「地震等の大規模災害時の相互援助協定」を締結している。

平日午後0時(正午)の時報CM餃子の王将王将フードサービス)でナレーションの人が「餃子一日、200万個・餃子の王将」が正午をお知らせ致しますと言うと時報音がなるがこの時のみ通常の「ポーン」ではなく、「ポッ・ポッ・ポッ」の後に餃子を焼く際の「ジューッ」という音が流れる。

放送局

京都府
  • 舞鶴放送局
    • コールサイン:JOBO
    • 周波数:1215kHz
    • 空中線電力:2kW
    • 現在の周波数に変わるまでは1062kHzだった。また、以前は出力が1kWであった。[19]
滋賀県

可聴エリア

公式サイト内に掲載されている「エリア図」によると、近畿地方の民放AMラジオ局で唯一、近畿2府4県全域をカバーしている。季刊誌の『Run Radio』(廃刊)でも「近畿全域をカバーする唯一のラジオ局」と謳う広告を出していた。

テレビ

概要

全国独立放送協議会に加盟する独立放送局。リモコンキーIDは「5」。

24時間放送は実施しておらず、26時台(月曜日は27時台)には全ての番組を終える[20]放送休止中は基本的に、台風接近時もしくは地震発生時などを除いて停波するかカラーバーを流す[21]。また、朝は5時55分より放送を開始する。

兵庫県サンテレビ三都ネットを形成しており、古くから関係が深い。2007年平成19年)4月に結成された東名阪ネット6にも、同局と共に参加している。

自社制作のオリジナル番組の他、他のキー局系列局で放送されていない、キー局などが制作した番組の一部もネットしている。特に2000年代フジテレビと資本提携を結んだ関係で、同局の番組が複数放送されている。また、フジテレビの系列局である関西テレビとも関係が深く、共同で番組を制作したり、『関西テレビ☆京都チャンネル』(既に廃局)に番組を供給したりしていた。また、開局から1年間に限り『NHKニュース』を朝・昼・夜に同時ネットで放送していた。

また、地方局では珍しく独自のドラマ番組をいくつも手掛けており、その多くが大学との産学連携により制作されたものである。また、台湾韓国などの海外のドラマも積極的に放送をしており[22]2004年平成16年)にはメキシコのドラマを放送したこともある(権利の都合により、放映中に中断)。

字幕放送は長年行なっていなかったが、2010年平成22年)2月19日バンクーバーオリンピック中継で初めて実施し、同年6月より海外ドラマデッド・ゾーン』より定期番組でも開始した。対象番組で表示するテロップは当初は「字幕(左段)・多重(右上)・放送(右下)」というもので、2011年7月のアナログ放送終了までは「デジタル放送では字幕多重放送もお楽しみいただけます」というテロップが表示されていた。後に長方形枠に「字幕放送」という表示になった。なお、番組販売により放送しているものでは一部を除き行われていない。

ネットワークの変遷

テレビ東京との関係

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現在は独自編成を原則としているが、テレビ大阪の開局前は東京12チャンネルの番組が多数同時ネットで放送されていたほか、『こんにちは!奥さん2時です』(サンテレビも制作に参加)など共同制作番組も手掛けていた。

同局の開局以降は、協定により原則としてテレビ東京の番組を同時ネットすることを禁止された[23]が、テレビ大阪の放送対象地域が大阪府のみに留まっており、京都府内で視聴できない地域が多いため、テレビ東京系列のごく一部の番組を時差ネットで放送している。

1980年代には、自社制作のニュース番組『タイムリー10』において全国ニュースを放送しており、素材をテレビ東京から提供してもらっていた(該当する項目で「協力:テレビ東京」のテロップが表示されていた)。また2000年代には、プロ野球日本シリーズの中継をサンテレビと共に何度か同時ネットしたことがある[24]

また、『夏樹静子トラベルサスペンス』や『大江戸捜査網』などのように、テレビ東京系列での放送終了から一定期間が経ち、著作権が制作会社に移行しているドラマ作品も放送されているが、オープニングやエンディングが差し替えられている番組もある(前者の場合、原作者が共通の関西テレビ作品と共に「夏樹静子劇場」に再構成されているため)。

この他、自主制作の中央競馬中継(現在は『うまDOKI』)においても、関西以外の地方でのメインレースはテレビ東京や系列各局からの中継を受けている。これは、テレビ大阪の開局前から競馬番組を制作していることによるもので、テレビ大阪では中央競馬中継をしていない。

なお、テレビ東京の菅谷定彦社長(現・会長)は2007年5月31日の定例記者会見で、アナログ放送が終了する2011年からを目途に、放送対象地域が大阪府に限定されているテレビ大阪について、兵庫県や京都府へも拡大する構想を発表したが、その後は特に動きはない。

関西テレビ・フジテレビとの関係

2002年平成14年)の株式割り当て増資の際、フジテレビ関西テレビから資本強化の提供を取り付けた[11]

これに合わせ、当時関西テレビが運営していた専門チャンネル関西テレビ☆京都チャンネル』において番組を共同で制作・放送するようになった。2009年(平成21年)4月30日に同チャンネルは閉局したが、2013年現在も祇園祭・山鉾巡行の生中継をBSフジ同時放送するなど、両局との関係は続いている。

Jリーグ中継スカパー!向けの放送では、KBSが京都サンガF.C.主管試合の製作を担当している(2012年には地上波でも放映)。また、2011年からはセレッソ大阪の主管試合を関西テレビが担当している。

なお、関西テレビのアナウンサーがKBSテレビに出向出演したこともある(岡安譲杉山一雄中島優子ら。なお、逆にKBSのアナウンサーが関西テレビに出向出演するケースはほとんどない。)。このほか、関西テレビの元アナウンサーで現在は関連会社に所属するフリーアナウンサーの桑原征平が『おもしろ京都検定』の進行役を務めたことがある。

KBS京都におけるアニメ番組放映事情

KBS京都では、1990年代には夕方を中心に多くのアニメ番組を放送しており、平日の17時台から18時台もしくは18時台から19時台にかけて、番組販売を通じて購入した他局制作の旧作を複数放送していた[25][26]が、2003年(平成15年)春に廃止されている[27]。それ以降、しばらくは土曜日と日曜日のみの編成となったものの、2006年(平成18年)4月より『アニメでおはよう』(後に『アニメでおはよっ!』に改題)と題した番組枠が設けられ、事実上の復活となった。

2000年代後半以降は、主に深夜帯に放送されている。深夜帯での放送を始めて間もない頃は、キー局で放映された一部の番組(主にフジテレビテレビ朝日で本放送されたもの)を近畿圏で唯一ネットする例がしばしばあった[28]。現在は、独立放送局を中心に放送する作品群(いわゆるUHFアニメ)が中心となっている。また、かつては他局で深夜帯に本放送される番組を、土曜日の朝や昼前に放送していた時期があった[29]

1998年(平成10年)からは、時間帯を問わず視聴時の注意喚起のテロップが表示されている[30]。また、2007年(平成19年)4月中旬から2008年平成20年)7月までの間は、日中の番組(一部除く)の「本編開始前」と「Bパート開始前」にわかさ生活マスコットキャラクター「ブルブルくん」による視聴上の注意を促すCMが放送されていた(テレビ大阪やTOKYO MXでも同時期に放送)。なお、続く2008年(平成20年)8月から2009年(平成21年)9月までの間にも、同社の通常の商品CMが番組直前に流れていた

2007年(平成19年)12月10日HD画質対応の新マスターの運用を開始してからは、デジタル放送において画面比16:9のSD画質制作の番組もフルサイズで放送されるようになった(額縁放送の解消[31])。

2009年平成21年)3月まではテレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』を同系列での本放送終了直後に時差ネットしていたが、同系列での放送が特別編成などで繰り下げられる場合(スポーツ中継などで変更が見込まれる場合も含む)、本局では同番組直後の25時台の番組と順番を入れ替え、1時間前倒して放送することが度々あった(繰り下げ時間が60分を超える場合は、26時以降の番組も25時に前倒し)。また、同番組自体が放送時間を拡大した場合やテレビ東京で世界卓球等の長時間にわたるスポーツ中継が行われた場合、同番組はその日の最終番組とされるため、アニメ番組を24時台に放送した例もあった。

ドラマと同様に、KBSが自ら制作に参加したアニメ作品もいくつかある。これらの作品は、放送期間中の天気予報の背景映像として使用されるのが慣例となっている。

天気予報の背景映像に使用されたアニメ作品

地上デジタル放送移行について

2009年平成21年)以降は、アナログ放送においてレターボックスが付加される番組では、デジタル放送と同様にウォーターマークが表示されていた(一部の番組を除く)。また、同時期から民放各局で行なわれていた、画面右上の「アナログ」のウォーターマークはCM明けに1分間(当初は10秒間)のみ表示していた(一部の番組では非表示)。

さらに、2010年7月5日より同様に各局で行なわれていた、アナログ放送の全番組へのレターボックスの付加は、前述の「アナログ」表示と画面下のアナログ放送終了告知と共に、2011年1月12日より行なっていた。なお、画面比4:3で制作された多くの番組では、画面左右の黒帯の部分に番組のタイトルなどを記した独自のサイドパネルを付けて放送していた。

2011年7月1日からやはり各局で行なわれていた、画面左下のアナログ放送終了までの日数カウントダウンは、7月5日より実施していた。その前日(7月4日)までは、画面上端に「ご覧のアナログ放送終了まであと○○日!」、画面下端にコールセンターの問い合わせ番号を表示していた(24時以降の番組と、いわゆる完パケ番組を除く)。

そして、2011年7月24日正午をもって地上アナログ放送を終了した。この時は祇園花月の寄席中継を放送していたが、アナログ放送ではデジタル移行の案内アナウンスの途中(コールセンターの電話番号を紹介する直前でまず画面がカットアウトし、数秒後音声も電話番号の読み上げを前にカット)で終了となった。ブルーバックでのアナログ放送終了画面に切り替えられた後、17時頃に停波した。

送信所

「※」を付した局は、垂直偏波で送信している。

ケーブルテレビ再放送局

以下の京都府外のケーブルテレビでは区域外再放送が行われている。

地上デジタル放送への完全移行後も、大多数の局が再放送を継続している。

このほか、光放送eo光テレビケイ・オプティコム)でも大阪府の一部でアナログ放送(デジアナ変換)のみ再放送が行われている。一方で、滋賀県内では直接受信が可能なところでもアナログ・デジタルともに再放送されていない。

可視聴エリア

公式サイト内に掲載されている「エリア図」によると、京都府外の広い範囲でも視聴が可能で、デジタル放送の放送区域内世帯数は約125万世帯に上る。

特記事項

ラジオ・テレビ共通

アナウンサー

男性
女性
契約キャスター
  • 落水七重(フリー) - 金曜
  • 熊本麻美(MC企画)
  • 藤原美佳 - 土曜遅番、祝日、他
  • 湯谷明子(大阪タレントビューロー) - 土曜早番
  • 田中千裕(MC企画) - 月曜

井上愛梨 -契約アナウンサー→福井テレビアナウンサー)

過去の所属者

ラジオ

サテライトスタジオ

  • 長浜まちづくり役場内KBSサテライトスタジオ - 滋賀県長浜市元浜町6-12
  • 夢京橋あかり館サテライトスタジオ - 滋賀県彦根市本町1丁目2-3 夢京橋あかり館内
過去のサテライトスタジオ

α-STATIONとの合同企画

  • 2006年平成18年)11月3日の10時から16時までの6時間、同じ京都のFM局・α-STATIONとの共同企画「KYOTO RADIO DAY」を実施した。これは、KBSラジオの開局55周年とα-STATIONの開局15周年を記念したもので、この時間帯には双方で同じ内容の番組を同時に放送するという、AMとFMの垣根を越えた特別番組を放送した。本局からは森谷威夫村上祐子ら同社のアナウンサー森脇健児、梶浦梶子などが、α-STATION側からは佐藤弘樹、茂山千三郎、森夏子谷口キヨコらが出演した。
  • この間のニュースは、本局の『京都新聞ニュース』がジングル付きでそのままα-STATIONでも放送された。交通情報天気予報も本局のものだったがBGMはα-STATIONのものを使用し、天気予報はラインキャスターの百鳥秀世がKBSに出向き担当した。また、CMも同じものが放送された(なお、テレビで事前に放映された番組宣伝は、KBSテレビとα-STATION双方に出演中の谷口が担当した。)。
  • 2007年平成19年)9月24日の10時から16時までの6時間、環境と文化をテーマに『ECOES』が放送され、放送はグリーン電力を用いて行われた。堀ちえみなどがゲスト出演した(月曜の放送のため、fm osakaでレギュラー番組のある谷口は出演していない。)。
  • なお、2006年平成18年)の放送時に両局は「同一地域に本社を置くAM局とFM局が同一番組を県域規模で放送するのは日本初」としていたが、過去に同様の前例がいくつか存在している[36]

テレビ

テレビのオープニング・クロージング

オープニング
「おはようございます。近畿放送です」のアナウンスが入ったものだった。
  • 1981年昭和56年)にKBS京都の呼称が採用されてからは、開始時はブルーバックで親局の周波数と、中継局テロップのみのシンプルなものだった。また、1995年平成7年)10月1日放送分からは最初の画面に「京都放送 KBS京都TV」の表示にマイナーチェンジされ、その後テロップの書体が変更された(音楽は変更なし)。
  • 2001年平成13年)6月からは、社屋と京都府内の日中に撮影した風景映像を被せた形になった。BGMは、両バージョン共にcobaの『プシュケ』。
  • 2008年平成20年)4月からは映像とBGMが変更され、湖の映像に親局と中継局のテロップを被せたものになった。BGMは宮本文昭の『明日の記憶』。
  • 2010年平成22年)11月からは親局・中継局テロップとBGMが変更された(映像は変更なし)。BGMはスキマスイッチの『蕾のテーマ』
クロージング
  • 開局 - 1970年代半ば(映像内容は不明)
  • 1970年代後半 - 1981年昭和56年)3月(映像内容はサイコロ状にKBSと書かれたオブジェをバックに近畿放送テレビ〈改行〉JOBR-TVが書かれた物 → ブルーバック「近畿放送テレビ 本日の放送はすべて終了しました。」 → 本社と京都市内の夜景をバックに技術情報と中継局テロップ → 火の元、戸締まりを喚起する画面→ラジオのご案内)
「近畿放送テレビの番組をご覧頂きましてありがとうございました。今日の番組はこれで終了させていただきます。おやすみなさい・・・」というアナウンスが入ったものだった。BGMはアール・クルーの「Julie」。バックの夜景は市電廃止後も市電の走行風景が映されていた。
  • 1981年昭和56年)4月 - 1997年平成9年)頃までは、KBSホール(社屋内)のステンドグラスの映像を写しながら親局の周波数と中継局をテロップで紹介した後、京都市内の夜景に映像が切り替わり終了するものであった。その後、1998年平成10年)頃から2001年平成13年)5月頃までは、京都市内の夜景をバックに、親局の周波数と中継局をテロップで紹介するものに変更された。いずれのバージョンともBGMは、ゲオルゲ・ザンフィル(Gheorghe Zamfir)のパンフルートによる、映画『ライムライト』のテーマ曲である、『テリーのテーマ(エタナリー)』が長年にわたり使用されていた。
  • 2001年平成13年)6月 - 2008年平成20年)3月頃までのものは、新たに撮影された京都市内の夕暮れと夜景の映像が流れた後、スタジオの照明が消灯して終了する、と言うものであった。BGMは服部克久の『STAR DREAMER』であった。
  • 2008年平成20年)4月 - 2010年平成22年)10月までのものは、映像が京都市内の夜景の新ヴァージョン、BGMは内田奈織の『再会』であった。
  • なお、いずれのバージョンでも、2009年平成21年)3月頃までは、日曜日の深夜(月曜日の未明)を除き、最後に「このあとはKBS京都ラジオでおたのしみください。」というテロップが流れていた。
  • 2010年平成22年)11月からは親局・中継局テロップとBGMが変更された(映像は変更なし)。BGMは押尾コータローの『カノン』である。
  • 2008年平成20年)7月から、アナログ放送の終了告知画面を1分間放送していた(無音)。当初は他局と比べてブルーバックの色が濃く、文字が小さいもので、アナログ放送のみクロージング後の1分間流れていたが、2009年平成21年)7月より地デジカのイラストが入った画面となり、クロージング後に加えオープニング前にアナログ放送・デジタル放送共に流れ、EPGにも番組として掲載されるものとなった。なお、クロージング後はデジタル放送が先に停波していた。
  • 2006年平成18年)4月1日から地上デジタル放送が開始されたのに伴い、本局のテロップが一部変更され「JOBR-TV(きょうとほうそうテレビ)アナログ34ch 出力 映像:10kw(定格)音声:2.5kw(定格)JOBR-DTV(きょうとほうそうデジタルテレビジョン)デジタル23ch 出力:1kw(定格)」とアナログ、デジタルのコールサイン、チャンネルを併記していた(アナログ放送終了まで)。

放送事故

  • 放送事故発生時に流れる映像は、「しばらくお待ち下さい」という文字の下に、怪我をして包帯を巻いた熊のイラストが配されたものである。また、1990年代にはヨットのイラストが配されたものが使われていた。
  • 2001年平成13年)2月3日の11時過ぎ、本社で電源設備の更新作業を行っている最中に、本来なら後日通電する予定だった負荷開閉器を作業員が誤って通電してしまったため、局舎内の電気系統に過大な電圧がかかり、テレビ・ラジオの放送番組の送出停止事故が発生した。
    • その後、ラジオは11時40分頃に再開した。テレビも12時過ぎに競馬中継用に準備していた京都競馬場の映像を使って再開し、16時30分から定時放送に戻した。しかしテロップを表示することができなくなり、スタッフが画用紙に手書きしたフリップを映したり、競馬のレース結果発表時には競馬場内向けのモニター画像を利用したりした。
    • この日の競馬中継では、メインレースの配信元であるTVQ九州放送小倉競馬場)やテレビ東京東京競馬場)からの中継が受信できなくなったため、映像はJRAの公式映像(グリーンチャンネルと同一内容)を、音声はラジオたんぱ(現在のラジオNIKKEI)から供給を受けて対処した。
    • またCMバンクも故障したため、競馬中継内ではCMを省略したほか、以降の番組でもACJAROといった公共CM、競馬中継の関係で映像を借りることができたJRAのCMが頻繁に流れることとなった。
    • 翌日にはテロップの表示機能が回復したが、番組開始時に映像が出ないなどの事故がたびたび続いた。また、翌々日の月曜日深夜には当時遅れネットしていた『ワールドビジネスサテライト』が放送できなくなるなど、完全復旧には3 - 4日程を要した。
  • アニメ番組におけるもの
    • 2003年平成15年)7月放送の『ダイバージェンス・イヴ』では、番組内であらかじめ挿入されているテロップと局側が表示する視聴上の注意喚起のテロップが重なって表示されてしまった。番組終了後、改めて第1話から再放送された。
    • 2005年平成17年)3月4日放送の『まじかるカナン』(第9話)では、テープのスタンバイミスにより誤って次の第10話を放送してしまった。一方で、キューシートは第9話のもので進行したために番組パートの矛盾が生じ、提供テロップが遅れて表示されたり、Aパート終了後CMが流れずに画面が暗転し、Bパート開始のアイキャッチ直後に流れたりしてしまった。翌週に第9話と第10話を連続で放送する措置がなされたほか、お詫びのテロップも表示された。
    • 2006年平成18年)10月4日放送の『となグラ!』第13話(最終回)では、CMの切り替えで障害が発生。翌週月曜の深夜に振り替えて放送された。
    • 1995年平成7年)頃の18時台に編成されていた旧作の再放送でも、画面が暗転して音声しか流れなくなるという事故が頻発していた。

関連書籍

  • 『よみがえれKBS京都』(つむぎ出版、1996年平成8年)8月刊行、ISBN 978-4876681099) - KBS京都存続問題をテーマにした単行本。
  • 『守った放送の灯 -KBS京都再建への道-』(かもがわ出版、2009年平成21年)8月刊行、ISBN 9784780302981) - KBS京都再建への道のりをテーマにした単行本。

脚注

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関連項目

中央競馬の重賞レースで、「KBS京都賞」の冠が称される。

外部リンク

テンプレート:Navbox テンプレート:東名阪ネット6 テンプレート:Navbox テンプレート:火曜会 テンプレート:Navbox テンプレート:Radio-Kansai

テンプレート:Radiko
  1. かつて社名が近畿放送だった頃は「Kinki Broadcasting System」の略称だったが、現社名になってからは「Kyoto Broadcasting System」の略称となっている。
  2. 2000年代初めまでは、オープニング・クロージングや懸賞等の宛先などのテロップで「KBS京都TV」と表記していた(現在も公式サイト内などで使用。ラジオは「KBS京都Radio」)。
  3. テレビ情報誌(一部)や神戸新聞デイリースポーツ中日新聞滋賀版などの一部の新聞では、より一般的な『KBS京都』として掲載している。
  4. 専用郵便番号が導入される前は、お便り等を募集する際の宛先を「京都市上京区烏丸上長者町 KBS京都」と告知していた。
  5. 『日本民間放送年鑑2009』 - 日本民間放送連盟編
  6. 地上5階・地下1階建ての建物は奥の方にある
  7. 採用後も一部の放送機材などでは近畿放送時代の旧ロゴがそのまま使われていた。
  8. 京都信用金庫および京都銀行、京都の政財官界に影響力を持ち、暴力団ともつながりがあったといわれていた。
  9. α-STATION開局は1991年7月
  10. 設立当初は後株で「京都放送株式会社」の表記だったが、今回の変更のさいは前株で「株式会社京都放送」の表記となっている。
  11. 11.0 11.1 なお、ラジオは元々フジサンケイグループ文化放送ニッポン放送とネットワーク (NRN) を結んでいる上に、関西テレビはもともとラジオ単営時代にラジオ関西など他社との共同出資で設立されたという縁がある。
  12. 発覚は2008年2月の新聞報道だった。
  13. 以前は一部番組を除きCM明けに1分間、画面右上に「アナログ」テロップを表示していた。
  14. プロ野球ナイター中継のみ、当初はラジオ関東から土曜・日曜に限ってのネットしていた(1978年昭和53年よりNRNのナイターに変更された(また同年4月に、深夜1時以降の『オールナイトニッポン』もネット受けを開始した)。
  15. 毎週月曜未明(日曜深夜)の3時 - 5時は、メンテナンスのため放送休止となる(2013年1月現在。それ以前の日曜は午前2時、あるいは0時に放送を終了していた。
  16. 毎週月曜日の5時の放送開始前には、尾崎亜美が歌うイメージソング『マイ・シャイニー・タウン』がフルコーラスで流れる(美化活動推進のスポットCM枠でも放送)。また、月曜未明の放送休止中のフィラー音楽の合間(午前4時37分頃)には、村上祐子元アナウンサーの声で「こちらは、京都放送、KBS京都です。京都からは、JOBR、周波数1143kHz、出力20kW。舞鶴からは、JOBO、周波数1215kHz、出力2kW。福知山からは、JOBE、周波数1485KHz、出力100W。そして滋賀からは、JOBW、周波数1215KHz、出力1kWで、機械調整のため、試験電波を発射しています。」という局名告知が入る。かつてこの告知は『マイ・シャイニー・タウン』の後に流れており、BGMにフランクミルズ詩人と私」が使われていた。
  17. 京都府代表が両丹地域の高校が出場した場合のみで、京都放送局での放送はない。
  18. 2005年平成17年)4月より文化放送の『ニュース・パレード』(ネット開始と同時に、京都府と滋賀県の取材担当局もラジオ大阪から移管)、同年10月からは同局の『レコメン!』とニッポン放送の『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』のネットを開始した(『レコメン!』と『オールナイトニッポンサタデースペシャル』は、ラジオ大阪などの在阪3局ではネットされていない。なお、『レコメン!』は2009年平成21年)7月6日からABCラジオでもネットが開始されている)。
  19. 19.0 19.1 舞鶴放送局と滋賀放送局は周波数が同一であるため、いずれかで独自放送が行われる際には混信することがある
  20. サンテレビ制作の野球中継をネットする日は、3 - 4時台にかけても放送が続くことがある。
  21. 1969年昭和44年)のテレビ開局以来40年間にわたり、お天気カメラなどのフィラーは一切行なわれていない。
  22. 特に韓国ドラマは、全話終了後に別枠で再放送をしている。ただし、韓国ドラマは字幕版。
  23. mitaテクノピア』や『パソコンサンデー』などの例外あり。
  24. 2003年TVQ九州放送制作の第7戦、2005年の第2戦、2006年テレビ北海道制作の第4戦、2007年の第2戦・第5戦が該当。このうち、2003年と2005年についてはリーグ優勝した阪神タイガースからの要請によるもので、放映権を与える条件としてテレビ東京にサンテレビとKBS京都への同時ネットが命じられたためである。
  25. 主にキー局制作の作品だが、何度かWOWOW作品OVA、海外の作品を放送したこともあった。もっぱら月曜日から金曜日まで、3番組を連続して編成していたが、2000年(平成12年)秋より数を減らしていた。
  26. 在京キー局(特にテレビ朝日とフジテレビ制作)の番組については、番組の放送終了後すぐに放送時間や曜日を変え第1話に遡り、再放送を数回繰り返すヘビーローテーション形態の番組が多かった。
  27. この時期はサンテレビで『らいむいろ戦奇譚』の放送時刻について問題が起きた時期と重なる。
  28. サンテレビのみの場合や、本局とサンテレビの両方でネットされることもあるが、現在は本局のみでネットされる事例は減っている(2014年現在、竹書房制作のミニアニメなどに事例あり)。
  29. 例として、『アニメ魂』(末期は『アニメスピリッツ』)枠の作品は初期の頃のみ土曜日の朝に本放送され、2005年(平成17年)6月までは深夜帯で一つ前の作品の再放送も行われていた。
  30. 2005年平成16年)1月から2006年平成18年)7月までを除く。ただし、日中の番組(『とっとこハム太郎』と『ポケットモンスター』)ではこの期間中も表示。また、2009年(平成21年)10月21日から2010年(平成22年)7月5日までは深夜帯の番組では表示していなかった。
  31. 近畿圏では、他にMBS・読売テレビ・テレビ大阪でも実施。
  32. 1983年に運用が終了した旧中継局は52chで送信されていた。
  33. FTTH方式の配信については、ケイ・オプティコムeo光テレビと提携しているが、他の大阪府の一部の地域ではデジタル放送(もしくはアナログ放送も)の再送信を行なっていないことがある。なお、eo光テレビと提携している奈良県のKCNについては、先述のようにデジタル放送を含めて配信している。
  34. 9.京都放送労組、回答日9日に誠実に回答せよ!(地連情報) - 民放労連近畿地方連合会(2012年10月31日閲覧) ※京都放送労働組合『組合ニュース』 No.11-200 (6866) 2011年11月4日付より抜粋。
  35. 当時の印刷物(番組表など)にも誤記があったが「知徳」ではない。
  36. 1985年昭和60年)8月30日北海道内の民放テレビ・ラジオ全局がサッポロビールをスポンサーに一村一品運動と地域活性化を目的とした「おおーい北海道」キャンペーンの同時放送を行っており、以降5年間続いた。このほか、2003年平成15年)8月6日に、鹿児島県NHK鹿児島放送局ラジオ第1放送)と南日本放送(県域AM局)および鹿児島シティエフエムコミュニティFM局)との同時放送を実施している(詳細は、南日本放送#鹿児島県内他民放ラジオ局と同時編成を参照)ほか、2005年平成17年)11月には、福岡県の5局中4局の県域民間ラジオ局が『天神ラジオパラダイス』を、2006年平成18年)3月には同じく5局が『ライフサポーター あなたを守る防災ラジオ』を放送している。