京都サンガF.C.
テンプレート:告知 テンプレート:サッカークラブ テンプレート:Infobox 京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、Kyoto Sanga F.C.)は、日本の京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次
概要
1922年に創設された京都紫光サッカークラブが前身となり[1]、1993年に一般公募で京都パープルサンガ[1](京都紫光クラブの『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と[1]、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『SANGA』から)のクラブ名でプロ化して1996年にJリーグへ加盟[1]。2007年に現在のクラブ名となる京都サンガF.C.へ改称した[1]。運営会社は株式会社京都パープルサンガである[1]。
ホームタウンは2010年8月までは京都府京都市1市。2010年8月より宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市の5市[1]、2012年4月より木津川市、2014年4月より亀岡市がホームタウンに追加された。なお、城陽市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」とコメントしている[2]。
ホームスタジアムは、京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場[1]、練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド[1](通称:サンガタウン城陽)である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」であり、いずれも「鳳凰」と「不死鳥」をモチーフとしている[1][3]。
歴史
前史
テンプレート:Main 1922年創設の京都紫光サッカークラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり[1]、2024年現在、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足[1]。1994年1月に京セラ・任天堂を中心とした地元企業出資による運営会社「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に株式会社京都パープルサンガへ商号変更)[1]。
1994年8月[4]、Jリーグ準会員に承認[3]。1995年にジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した[1]。
1990年代
節 | 会場 | スコア | 相手 | 節 | 会場 | スコア | 相手 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 等々力 | 0-1● | V川崎 | 10 | 西京極 | 0-3● | 福岡 | |
2 | 西京極 | 0-2● | 市原 | 11 | 日立柏 | 0-2● | 柏 | |
3 | カシマ | 1-5● | 鹿島 | 12 | 三ツ沢球 | 0-1● | 横浜M | |
4 | 西京極 | 0-2● | C大阪 | 13 | 西京極 | 1-2v● | 磐田 | |
5 | 三ツ沢球 | 0-3● | 横浜F | 14 | 国立 | 0-1v● | 浦和 | |
6 | 西京極 | 1-5● | 清水 | 15 | 鳥取 | 2-3● | 名古屋 | |
7 | 広島ビ | 0-3● | 広島 | 16 | 西京極 | 0-3● | 横浜M | |
8 | 万博 | 2-4● | G大阪 | 17 | 磐田 | 1-2● | 磐田 | |
9 | 西京極 | 0-2● | 平塚 | 18 | 西京極 | 1-0○ | 浦和 |
- 1996年
大野俊三や佐藤慶明といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、ジョゼ・オスカー・ベルナルディがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉、藤吉信次、山口貴之を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。
ペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネとクレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋が日本代表候補に選ばれた。
元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。元日本代表の森保一・岩本輝雄・山田隆裕・黒崎久志を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜フリューゲルスが横浜Mと合併したことでJ1参入決定戦への出場は回避した。
1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。
2000年代
黒部光昭、松井大輔、朴智星が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂を解任。ゲルト・エンゲルスが後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、Jリーグ ディビジョン2(J2)へ降格した。
- 2001年
エンゲルス体制2年目。三浦知良が神戸、遠藤保仁がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、Jリーグ ディビジョン1(J1)復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。
- 2002年
開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて平井直人・角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会は決勝で鹿島を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。
- 2003年
朴がPSVアイントホーフェンへ移籍した一方、韓国・水原三星より高宗秀を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任のピム・ファーベークも11月に解任し、木村文治が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。
- 2004年
西村昭宏が監督に就任。市原から崔龍洙を獲得。一方、9月に松井がフランス・ル・マンUCへ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、柱谷幸一を監督に迎えたが5位に終わった。
- 2005年
- クラブスローガン :「ONE for TEAM -すべては勝利のために-」
柱谷体制2年目。黒部がC大阪へ移籍した一方、山形から星大輔、福岡から米田兼一郎、湘南から加藤大志を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は甲府に敗れて、2004年の川崎に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、パウリーニョが22得点でJ2得点王を獲得し、15得点のアレモンと2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。
- 2006年
- クラブスローガン :「ONE FOR TEAM -情熱旋風-」
柱谷体制3年目。4月にG大阪から手島和希、5月に名古屋から角田誠を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷を監督から解任。ヘッドコーチの美濃部直彦が監督に就任したが、11月26日のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。
- 2007年
2月からクラブ名称を京都サンガF.C.に変更[1](ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。名古屋から元日本代表DF秋田豊、清水から森岡隆三、甲府から倉貫一毅を、福岡から平島崇を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日に美濃部を解任して、加藤久総監督が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、J1・J2入れ替え戦で広島に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤久総監督の留任も決定した。
- 2008年
- クラブスローガン :「SMILE KYOTO for the better future」
柏からGK水谷雄一、G大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイ、FC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也、千葉からMF佐藤勇人、鹿島からFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFWフェルナンジーニョを獲得した。なお、シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。
- 2009年
- クラブスローガン :「前へ。PASSION REALITY OVATION」
名古屋から豊田陽平、東京Vからディエゴ、韓国代表の李正秀などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節(11月28日)の浦和戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。
2010年代
- 2010年
- クラブスローガン :「SHI・N・KA」
李正秀(鹿島→アル・サッド)、林丈統、佐藤勇人(千葉)、松井謙弥(C大阪)が完全移籍、豊田陽平(鳥栖)がレンタル移籍、手島和希が引退、シジクレイが退団。一方で大分から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾や、大宮から片岡洋介が移籍。ドゥトラ、郭泰輝、チエゴ(レンタル移籍)、ハウバート・ダン、児玉剛、福村貴幸らを獲得した。
リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤久を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの秋田豊が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。
なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針[5] であったが、12月7日に監督を退任した[6]。
- 2011年
- クラブスローガン :「Change」
監督に甲府元監督の大木武[7]、ゼネラルマネージャー(GM)に千葉元GMの祖母井秀隆がそれぞれ就任した[8]。
柳沢敦、角田誠が仙台、渡邉大剛、片岡洋介が大宮、増嶋竜也が柏、水本裕貴が広島、郭泰輝がKリーグ・蔚山現代FC、西野泰正がカマタマーレ讃岐へ移籍、平井直人が引退、中谷勇介が退団(のちに東京Vへ入団)、チエゴはレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。
一方で、工藤浩平(千葉)、秋本倫孝(甲府)、アライール(愛媛)を完全移籍で獲得、酒井隆介、チョン・ウヨン、内藤洋平が新加入、山田俊毅、駒井善成、伊藤優汰、下畠翔吾がユースから昇格した。
リーグ戦は、6月5日(第15節)まで2引き分けを挟んで5連敗を喫するなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、2種登録選手ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW久保裕也などの活躍もあり、最終順位は7位。
天皇杯は、第82回以来の決勝進出。決勝で同じJ2所属のFC東京に敗れたが、準優勝の成績を収めた。
- 2012年
- クラブスローガン :「Changing~俺たちは変わり続ける~」
大木体制2年目。森下俊が川崎へ完全移籍、中村太亮が新潟へ期限付き移籍した一方、中国・陝西宝栄からバヤリッツァ、徳島から倉貫一毅を完全移籍で、浦和から原一樹らを期限付き移籍で獲得した。開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第8節の東京V戦まで4連勝、第16節の北九州戦まで5連勝で同節で首位に立ったが、第17節から3連敗を含む7戦連続勝ちがなく、第23節時点で8位へ順位を下げた。第27節の鳥取戦まで4連勝して6位に浮上(その後連勝を6に伸ばす)して以降、J1昇格プレーオフ圏内となる6位以上を保ち、第39節ホーム岐阜戦の勝利で自動昇格圏内の2位に浮上。第41節時点で2位をキープしたが、最終節の甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した湘南と入れ替わって3位となり、J1昇格プレーオフへ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で磐田にPK負けした。
- 2013年
- クラブスローガン :「必昇」
大木体制3年目。中村充孝が鹿島、水谷雄一が福岡へ完全移籍、チョン・ウヨンが磐田へ期限付き移籍した一方、川崎から山瀬功治、湘南から三平和司(2012年は大分に期限付き移籍)、徳島からオ・スンフン、愛媛から田森大己、Honda FCから中村祐哉を完全移籍で、G大阪から横谷繁を期限付き移籍で獲得した。7月に久保裕也がスイス・BSCヤングボーイズへ完全移籍した。
開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位。第5節から2連敗を含め第9節まで1勝3敗1分に留まり第9節時点で11位に順位が低下するが、その後は第28節から第30節の3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節・G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅。なお、最終順位は2年連続の3位。J1昇格プレーオフ準決勝はホームで長崎に引き分け。規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続のプレーオフ敗退となった。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木が監督を退任した。
- 2014年
- クラブスローガン :「NEVER GIVE UP 勝利へ」
イラン代表元監督のヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが監督に就任。安藤淳と染谷悠太がC大阪、倉貫一毅が鳥取、秋本倫孝が富山、原一樹が北九州、中村祐哉が長崎、児玉剛が愛媛へ完全移籍した一方、名古屋から石櫃洋祐、ブラジル・アメリカMGからアレッサンドロ・ヌネスらを完全移籍で、神戸から有田光希、横浜FMから比嘉祐介、杭州緑城から大黒将志を期限付き移籍で獲得した。
開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの森下仁志が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の川勝良一が監督に就任した[9]。
成績
タイトル
クラブ
個人別
ハットトリック
得点数 | 選手名 | 開催日 | 対戦クラブ | スタジアム | 得点時間 | |
---|---|---|---|---|---|---|
J1 | 3得点 | 黒崎比差支 | 1998年8月8日(1st第17節) | コンサドーレ札幌 | 西京極 | テンプレート:Goal |
三浦知良 | 2000年11月23日(2nd第14節) | ヴェルディ川崎 | テンプレート:Goal | |||
黒部光昭 | 2002年4月6日(1st第5節) | 東京ヴェルディ1969 | テンプレート:Goal | |||
2003年9月13日(2nd第5節) | セレッソ大阪 | 長居 | テンプレート:Goal | |||
J2 | 3得点 | 崔龍洙 | 2004年8月21日(第29節) | コンサドーレ札幌 | 西京極 | テンプレート:Goal |
パウリーニョ | 2005年10月1日(第34節) | モンテディオ山形 | 山形県 | テンプレート:Goal | ||
アンドレ | 2007年5月13日(第15節) | アビスパ福岡 | 博多球 | テンプレート:Goal | ||
パウリーニョ | 2007年6月6日(第22節) | ベガルタ仙台 | 福井 | テンプレート:Goal | ||
久保裕也 | 2013年6月9日(第18節) | ロアッソ熊本 | うまスタ | テンプレート:Goal |
スタジアム・練習場
ホームスタジアム
ホームスタジアムは、京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場[1] であるが、鹿児島県立鴨池陸上競技場でも不定期にホームゲームを開催している。毎年、霧島市国分運動公園でシーズン開幕前のキャンプを行い、鴨池競技場でプレシーズンマッチを開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。
なお、京都府は亀岡市に京都スタジアム(球技専用)の新設計画を、京都市も西京極競技場をライセンス適合、および国際規模のスポーツ大会誘致を念頭にした全面改修の計画を予定している。これらは当該項目の記事をそれぞれ参照されたい。
練習場
1998年より京都サンガF.C.東城陽グラウンド[1](通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は京都府立山城総合運動公園(京都府宇治市)などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県東近江市)を使用していた[10]。
- Kamoike140511-01.JPG
鹿児島県立鴨池陸上競技場
- Sanga town01.jpg
京都サンガF.C.東城陽グラウンド
- Kokubu Stadium 1.JPG
霧島市国分運動公園
アカデミー・育成
概要
テンプレート:Main2 育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、GKの4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている[11]。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。
主な大会の結果・成績
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会:優勝2回(1999年、2007年)
- 高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会:優勝2回(2011年)
- Jリーグユース選手権大会:優勝1回(2001年)
- JFAプレミアカップ:優勝2回(2010年、2011年)
- Manel Pons Cup:優勝1回(2010年)
- Torneo de Futbol Virgen del Pilar:優勝1回(2010年)
出身選手
スカラーアスリートプロジェクト
2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった柱谷幸一がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した[12]。
2006年度から、産の京セラ、学の立命館、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高等学校、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された[13]。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者からトップチームへ昇格した。
佐川印刷京都との提携
2014年1月22日、佐川印刷京都サッカークラブ(佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月の2年間である。なお、2014年は森岡隆三(サンガ元コーチ)が佐川印刷京都のヘッドコーチに就任し、國領一平および齊藤隆成が昨年度に続いて育成型期限付き移籍で佐川印刷京都に加入した[14]。
エピソード
Jリーグ初の試合中止
1996年のJリーグカップ、柏レイソル戦(8月14日、大分市営陸上競技場=サンガ主催ゲーム)が台風のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。テンプレート:See
なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、G大阪の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである万博記念競技場で8月24日に開催された。
五山送り火と同日のホームゲームについて
毎年8月16日の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「五山送り火」が行われる[15]。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。
Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が8月15日に19時から開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。
J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。
守備放棄試合
エレベータークラブ
J1からの降格が4度(2000、2003、2006、2010)、J2からの昇格が3度(2001、2005、2007)あるが、いずれも札幌と並んでJリーグ最多である(エレベータークラブも参照)。
ユニフォーム
チームカラー
- テンプレート:Colorbox パープル[1] (京紫)
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 京セラ | 京セラ | 1994年 - | 1994年は「Kyocera」と表記 |
---|---|---|---|---|
背中 | 任天堂 | 任天堂 | 1994年 - | |
袖 | 京都銀行 | 京都銀行 | 2007年 - | |
パンツ | 大和証券 | 大和証券 | 2002年4月 - |
- 左胸のエンブレム上の星(★)は第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会(2002年)の優勝を表している。
- 2013年よりホームタウンの一つである城陽市の名産品である金糸を使って、エンブレム上の星とユニフォーム右腕の「京都」の文字を刺繍している[11]。
トレーニングウェア
スーツサプライヤー
ユニフォームサプライの遍歴
- 1994年 - 1995年 プーマ
- 1996年 リーグ戦:ミズノ、カップ戦:プーマ
- 1997年 - 2002年 アンブロ
- 2003年 - 2006年 ミズノ
- 2007年 - ワコール
- 2007年 - 2012年 「CW-X」
- 2013年 - 「Wacoal」
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1994 | Kyocera | 任天堂 | - | - | PUMA |
1995 | 京セラ | ||||
1996 | Wacoal | Mizuno/PUMA | |||
1997 | UMBRO | ||||
1998 | |||||
1999 | |||||
2000 | |||||
2001 | |||||
2002 | 大和証券 /大和証券SMBC | ||||
2003 | Mizuno | ||||
2004 | |||||
2005 | |||||
2006 | 大和証券 | ||||
2007 | 京都銀行 | CW-X | |||
2008 | |||||
2009 | |||||
2010 | |||||
2011 | |||||
2012 | |||||
2013 | Wacoal | ||||
2014 |
スポンサー
メディア
- KBS京都(テレビ)
- エキサイティング!J(ホーム全試合と一部のアウェーゲームを中継)
- 京スポ〜SPORTS NEWS ENTERTAINMENT〜(2004年 - 現在放送中)
- ぽじポジたまご
- KBS京都(ラジオ)
- Sanga Today
- 伊舞なおみのみんながメダリスト(番組内で実況中継を行う場合あり)
- Jリーグ中継(不定期に京都ローカルで中継する場合がある)
- ニュース610 京いちにち(月曜日に「スポーツ京都版」を放送)
- Foot Style 京都(ホームゲームハイライトなどを放映)
- α-MORNING KYOTO(「What's Up with Sanga,Today」を放送)
脚注
関連項目
外部リンク
- テンプレート:Official
- テンプレート:Facebook
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:YouTube
- エキサイティング! J KYOTO SANGA F.C. - KBS京都
- 京都サンガFC情報 - 京都新聞電子版
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テンプレート:高円宮杯U-18サッカーリーグ- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 引用エラー: 無効な
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- ↑ 3.0 3.1 引用エラー: 無効な
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タグです。 「clubguide
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 1993年9月に準会員申請をしたが、ホームスタジアムの整備などに問題があったため、11月の実行委員会・理事会では承認されず保留扱いとなった。
- ↑ スポーツ報知 2010年11月2日
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 『京都サンガF.C. オフィシャルイヤーブック 2014』、p.154
- ↑ 11.0 11.1 テンプレート:PDFlink - 京都サンガF.C.
- ↑ テンプレート:PDFlink 2013年3月6日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite web