宇治市
テンプレート:Infobox 宇治市(うじし)は、京都府の南部に位置する市。世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財や宇治茶等の特産品で知られる。西側に巨椋池干拓地があり、現在は農地と住宅街になっている。
目次
地理
隣接する自治体・行政区
歴史
- 646年 - 元興寺の僧道登が宇治橋を架ける。
- 672年 - 近江朝が、宇治橋守に命じて大海人皇子の私糧運送を妨害させる。
- 1052年 - 藤原頼通が平等院を建立する。
- 1133年 - 宇治離宮祭が行われる。
- 1180年 - 以仁王が源頼政と組んで挙兵。平等院で平氏の軍と戦い戦死。
- 1183年 - 宇治川の戦いがおこる。源義経が木曾義仲軍を破る。
- 1221年 - 承久の乱がおこる。鎌倉方は宇治川から伏見を攻める。
- 1286年 - 叡尊が宇治橋大改修の供養を行う。亀山・後深草上皇が臨幸する。
- 1486年 - 山城国一揆衆が平等院に集まり国中の掟を定める。
- 1573年 - 足利義昭が宇治の槙島城にて挙兵するも失敗し、織田信長に京都を追放される。
- 1594年 - 豊臣秀吉による太閤堤の建設がはじまる。宇治川の流路を変更し物流を伏見に集中させたことにより、宇治郷や岡屋津[1] の地理的優位性が大幅に低下する[2]。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 宇治郡宇治村が同郡笠取町を編入合併し、東宇治町と改称する[3]。
- 1951年(昭和26年)3月1日 - 久世郡宇治町・槇島村・小倉村・大久保村・宇治郡東宇治町の2町3村が新設合併して、新たに宇治市が成立する[3]。
地名の由来
- 「宇治郡#地名の由来」参照。
宇治市成立へ向けての合併と京都市への編入議論
現在の宇治市となるべく合併した地方自治体は、いずれも小規模な町村であったため早くから合併の機運があった。
のちに合併の中心となる久世郡宇治町は1922年(大正11年)、同郡大久保村との合併決議および府知事への上申書提出を可決した。一方、大久保村でも同様の決議が行われたが村内で反対集会が行われるなど意見がまとまらず、その機会を得なかった[4]。1930年(昭和5年)には、府知事の諮問をもとに久世郡が宇治町と槇島村の合併を計画したが、これも実現しなかった。一方、宇治郡に属していた山科町や醍醐村が1931年(昭和6年)に京都市へ編入されるさい、同郡宇治村(のちの東宇治町)も京都市への編入を打診されたが実現しなかった。なお、同郡笠取村は京都市への合併を希望していたが実現しなかったため、軍需輸送のために建設された道路で直結していた宇治村と1942年(昭和17年)に合併し、東宇治町となった。[5]
第二次世界大戦後、地方自治体の権限の拡大にともない教育や警察などの財政負担がより大きくなったため、合併へ向けての機運の盛り上がりのほか、その研究が様々な立場から行われた。1949年(昭和24年)、府会議員全員を委員とする調査委員会により出された試案は、槇島村・小倉村・大久保村および東宇治町が宇治町を中心とする枠組みの中で合併するというものであり、この案をもって合併へ向けて動き出した[6]。なお、合併協議の中では綴喜郡宇治田原村・田原村(いずれも現在の宇治田原町)や久世郡淀町(現在の京都市)および同郡佐山村・御牧村(現在の久御山町)または久世郡寺田村・久津川村・富野荘村(いずれも現在の城陽市)を含める案も検討されている[7]。
一方、この合併協議の中では京都市への編入についても議論されている。特に、生活圏が同一となる地域もある東宇治町内の住民には京都市への編入という意見が依然として強く、府の世論調査では積極的および消極的な意見を含めると町民全体の88パーセントにもおよんだが、町議会は宇治町を中心とする合併に向けての決議をいち早く行った。なお、同時期には町関係者と京都市や府関係者などとの協議も行われている。[8]
結局、財政面など自治体運営の合理化に寄与することや、特産品である「宇治茶」の振興を一体的に図れること[9] などが決め手となり、1951年(昭和26年)3月1日、各町村が合併し宇治市となった。なお、京都市への編入に関する議論は市制施行後も常に議会での討議がなされるなどくすぶり続けたが、編入を掲げた市長に対し不信任案が提出され、その後の選挙で編入反対派の革新系候補が勝利することにより議論は終息した[10]。
平成の大合併における議論
いわゆる平成の大合併においては、宇治市と城陽市・宇治田原町・井手町の枠組みでの議論がなされた。
2002年(平成14年)に設置された合併協議会では、上記の4市町および八幡市・京田辺市・久御山町という枠組みで協議が行われたが、のちに上記4市町での枠組みとなった[11][12]。しかし交渉がまとまらなかったため2007年(平成19年)11月、合併協議会は解散した。[13]
人口
テンプレート:人口統計 1960年代前半から京阪神の住宅都市として脚光を浴び、市内各地で宅地造成が相次いで行われた。これにともない著しい人口増加がはじまり、1979年8月には15万人を、1998年9月には19万人を超えた。市が策定し2011年から実施している「第5次総合計画」では、「第1次総合計画」から盛り込まれている『みどりゆたかな住みたい、住んでよかった都市』という都市像を引き続き基本理念としつつ、国全体で減少傾向と予測される人口動向に対応し、市街化地域を拡大しないほか大幅な人口増加を前提としない(計画終了年度の2021年における設定人口は18万人あまり)など、情勢に即した計画が策定されている[14]。 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.01%増の189,609人であり、増減率は府下26市町村中5位、36行政区域中9位。
行政
- 市長 - 山本正(1期目)
- 歴代市長[15]
- 山崎平次(1951年(昭和26年)4月16日 - 1954年(昭和29年)10月18日)
- 池本甚四郎(1954年(昭和29年)11月5日 - 1958年(昭和33年)11月4日)
- 新庄義信(1958年(昭和33年)11月5日 - 1970年(昭和45年)11月4日)
- 田川熊雄(1970年(昭和45年)11月5日 - 1974年(昭和49年)3月8日)
- 渡辺博(1974年(昭和49年)4月8日 - 1976年(昭和51年)11月7日)
- 島田正夫(1976年(昭和51年)12月19日 - 1980年(昭和55年)12月18日)
- 池本正夫(1980年(昭和55年)12月19日 - 1996年(平成8年)12月18日)
- 久保田勇(1996年(平成8年)12月19日 - 2012年(平成24年)12月18日)
- 山本正(2012年(平成24年)12月19日 - )
- 歴代市長[15]
- 市議会 - 定数28人
主な行政機関
不祥事
- 誓約書強要 - 2012年3月13日、宇治市の職員が生活保護の申請者に対し、異性との同棲禁止、妊娠出産禁止等の誓約書を強要させていたことが判明した[16]。
経済
産業
- 茶業 - 宇治茶
- 開発により市内の茶農地は減少しているが、茶匠の名跡の多くが市内にあるなど、伝統的な産業となっている。
- 玩具(トランプ)・家庭用ゲーム機 - 任天堂
- 市内3箇所に工場を立地しており、カードゲーム類の製造・ゲーム機の修理サービス拠点・部品保管用に使用されている。産業会館においても、小規模ながら他の地元企業とともに商品展示を行っている。
- 繊維 - ユニチカ
- 自動車
友好都市
括弧内は、国名と友好都市提携年月日。
- テンプレート:Flagicon ヌワラ・エリヤ市 (スリランカ、1986年4月12日)
- テンプレート:Flagicon 咸陽市 (中国 陝西省、1986年7月24日)
- テンプレート:Flagicon カムループス市 (カナダ BC州、1990年7月1日)
地域
健康
- 平均年齢:42.1歳(2005年国勢調査[17])
大規模公園施設
- 京都府立山城総合運動公園
- 宇治植物公園
- 天ヶ瀬森林公園
- 宇治市総合野外活動センターアクトパル宇治
教育
宇治茶の産地であることから、公立の小中学校ではそれに因んだ地域教育が実施されている。その一環として、校内の蛇口から茶が出る「茶飲み場」が設けられており、食育に活用されている[18]。
小学校
- 宇治市立菟道小学校
- 宇治市立菟道第二小学校
- 宇治市立神明小学校
- 宇治市立槇島小学校
- 宇治市立北槇島小学校
- 宇治市立小倉小学校
- 宇治市立伊勢田小学校
- 宇治市立西小倉小学校
- 宇治市立北小倉小学校
- 宇治市立南小倉小学校
- 宇治市立大久保小学校
- 宇治市立大開小学校
- 宇治市立西大久保小学校
- 宇治市立平盛小学校
- 宇治市立宇治小学校
- 宇治市立三室戸小学校
- 宇治市立南部小学校
- 宇治市立岡屋小学校
- 宇治市立木幡小学校
- 宇治市立御蔵山小学校
- 宇治市立笠取小学校
- 宇治市立笠取第二小学校
中学校
- 宇治市立宇治中学校
- 宇治市立北宇治中学校
- 宇治市立槇島中学校
- 宇治市立西小倉中学校
- 宇治市立西宇治中学校
- 宇治市立南宇治中学校
- 宇治市立東宇治中学校
- 宇治市立木幡中学校
- 宇治市立広野中学校
- 宇治市立黄檗中学校
- 立命館宇治中学校(私立)
高等学校
大学・短期大学
支援学校
- 京都府立宇治支援学校(京都府立城南高等学校跡地を利用)
専門学校
金融機関
銀行
協同組織金融機関
日本郵政
農協・生協
- 京都やましろ農業協同組合
交通
鉄道
旧来の宇治郷に近く、市役所への最寄り駅でもあるJR奈良線宇治駅が代表駅だが、利用者数では近鉄京都線大久保駅が一番多い。
- 近畿日本鉄道(近鉄)京都線
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)奈良線
路線バス
道路
市の西部を国道24号が南北に通る。また、東西には京滋バイパスが通過しており、市内には東から順に笠取IC・宇治東IC・宇治西IC・巨椋ICがある。京滋バイパスは瀬田東JCTで名神高速道路に、大山崎JCTで名神高速道路および京都縦貫道と接続しているほか、久御山JCTを介して第二京阪道路などと接続している。
主な住宅地
- 市東部
- 市北部
- 槙島地区の一部
- 市中央部
- 市西部
- 羽拍子町・南陵町・伊勢田町界隈
- 市南部
- 大久保町の一部(平盛地区)
情報・通信
名所・旧跡
- 宇治公園中の島 - 橘島・塔の島
- 平等院
- 宇治神社
- 縣神社
- 橋姫神社
- 興聖寺
- 宇治橋
- 橋寺放生院
- 宇治川先陣の碑
- 宇治上神社
- 恵心院
- 末多武利神社
- 白川九重石塔
- 厳島神社
- 安養寺
- 蜻蛉の古跡(源氏物語宇治十帖古跡)
- 東屋
- 彼方神社
- 隼上り瓦窯址
- 三室戸寺
- 萬福寺
- 萬福寺内にある関帝廟
- 龍神総宮社
- 許波多神社
- 宇治陵(藤原北家の墓所)
- 地蔵院
- 与謝野晶子歌碑
観光スポット
博物館等施設
祭事・催事
郵便番号
宇治市出身の有名人
- 安用寺孝功(将棋棋士)
- 馬野正基 能楽師観世流シテ方
- 片山一良(アニメ監督)
- 角田龍平(弁護士)
- 嶽本野ばら(作家、エッセイスト)
- 松阪広政(司法大臣)
- 山本宣治(衆議院議員)
- 鎧塚俊彦(パティシエ)
- シンカク高橋(文筆家、作曲家)
- タレント・アナウンサー
- 川島明(お笑いタレント・麒麟)
- 冠徹弥(歌手)
- 坂下千里子(タレント)
- 清水圭(タレント)
- 北山純一(ミュージシャン、あのHUMPTY)
- 塚原一繁(歌手、花団)
- 辻村豪文(歌手、キセル)
- 辻村友晴(歌手、キセル)
- 中村静香(美少女クラブ31)
- 羽野晶紀(タレント・女優)
- 宮原亜友子(フリーアナウンサー)
- 安田美沙子(グラビアアイドル、タレント)
- スポーツ選手
- 角田誠(サッカー選手、ベガルタ仙台)
- 千葉真子(元陸上競技・マラソン選手、現陸上競技指導者・タレント)
- 中尾真那(サッカー選手、AS.Laranja Kyoto)
- 中村憲(プロ野球選手、広島東洋カープ)
- 中村香澄(女子プロ野球選手、ウェスト・フローラ)
- 長谷川祥之(サッカー選手、元鹿島アントラーズ、元日本代表)
- 中谷勇介(サッカー選手 元京都サンガ)
- 平野佳寿(プロ野球選手、オリックス・バファローズ)
- "brother"YASSHI(プロレスラー)
- 吉川勝成(元プロ野球選手、オリックス・バファローズ)
参考文献
- 『宇治市史 4』 - 宇治市(1978年)
脚注
関連項目
(上記と重複する部分もあるが便宜のため主要な関連項目を列記)
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 現在の隠元橋付近。
- ↑ 林屋辰三郎・吉村亨・若原英弐 著『宇治川』p.178 - 光村推古書院、1980年8月 ISBN4838100523
- ↑ 3.0 3.1 宇治市史 p.561(表48)
- ↑ 宇治市史 p.547
- ↑ 宇治市史 p.548-549
- ↑ 宇治市史 p.550
- ↑ 宇治市史 p.555
- ↑ 宇治市史 p.558ほか
- ↑ 宇治市史 p.560
- ↑ 宇治市史 p.579
- ↑ 府南部4市町合併協議へ 住民に長所・短所示せ(取材ノートから) - 京都新聞(2005年7月15日付、2010年2月14日閲覧)
- ↑ 市町村合併 -当分の間、合併しません- - 久御山町
- ↑ 宇治市・城陽市・井手町・宇治田原町における取組み経過 - 京都府
- ↑ 第5次総合計画について - 宇治市(2011年5月16日更新、同年6月7日閲覧)
- ↑ 第3章 市長公室(市政概要 平成21年版) - 宇治市
- ↑ 【共同】2012年3月13日付「生活保護申請で女性に誓約書 「異性との生活禁止」」
- ↑ 第1章 市勢(市政概要 平成21年版) - 宇治市
- ↑ 平成21年度第2回宇治市食育推進計画策定委員会議事録(3.意見交換より) - 宇治市