吉川勝成

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テンプレート:Infobox baseball player 吉川 勝成(よしかわ かつなり、1977年4月28日 - )は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

天理高から龍谷大へ進学。関西六大学リーグでは通算13勝5敗。最優秀選手1回、最優秀投手2回受賞。1999年のドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから9位指名を受け入団。9位という下位指名だったことから、『99はどうですか?』と聞かれたとき、『いいですね。』と答えたことから、当時コーチがつけていた99を引き継いだ。

入団から4年間はほとんど2軍暮らしだったが、入団5年目の2004年にオープン戦で結果を残し、開幕1軍入り[1]。開幕第2戦の北海道日本ハムファイターズ戦で、9回表に吉田豊彦からSHINJOが勝ち越し3ラン本塁打を放った後に登板し、エンジェル・エチェバリアを3球三振で抑えると、その裏に相手失策などでの二死満塁からラリー・バーンズ中村紀洋の連打でチームは逆転サヨナラ勝ちを収め、幸運なプロ初勝利を挙げた。夏場は疲労で調子を落としたが、1年を通じてリリーフとして活躍し50試合4勝4敗、防御率2.82の好成績を挙げた。

オフの選手分配ドラフト時にプロテクトされ合併球団にそのまま残り、テンプレート:Byには29試合で登板した。開幕戦では、同点で迎えた9回裏に走者を残して降板し、後続の投手がサヨナラ打を浴びたため、オリックス・バファローズとして初の敗戦投手となった。また、9月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では6回裏に10失点を喫する大乱調で、パシフィック・リーグタイ記録の1イニング60球を記録した。以降は、腰の故障を抱え出場機会は減った[1]テンプレート:Byは2試合に登板したが、8月には腰痛を悪化させ[1]10月3日球団から戦力外通告を受けた。その後、11月3日に自身のホームページ上で現役引退を表明した。

その後、2010年10月より大阪市内で焼肉店「勝」を経営している[1]。 店長は高校時代の同級生。野球を辞める時に修行に行ってもらっていた。経営者となった今でも野手を抑える野球の夢を見るという。[2]

プレースタイル・人物

サイドスローから140km/h前後の速球スライダーシンカーシュートなどの変化球を投げ分ける。現役時代は、リリーフとして活躍した。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 近鉄 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 24 4.1 7 0 4 0 0 6 0 0 3 3 6.23 2.54
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.00
テンプレート:By2 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 1.2 5 1 2 0 0 1 0 0 5 3 16.20 4.20
テンプレート:By2 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 5.2 8 1 2 0 0 4 0 0 4 4 6.35 1.76
テンプレート:By2 50 0 0 0 0 4 4 0 -- .500 212 51.0 56 2 14 2 1 26 0 0 16 16 2.82 1.37
テンプレート:By2 オリックス 29 0 0 0 0 0 4 1 5 .000 181 39.1 54 0 13 1 3 13 0 0 29 21 4.81 1.70
テンプレート:By2 15 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 55 11.2 14 3 6 2 3 7 1 0 10 7 5.40 1.71
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.0 1 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0.00 2.00
テンプレート:By2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.0 6 2 1 0 0 2 0 0 3 3 9.00 2.33
通算:9年 108 0 0 0 0 4 8 1 6 .333 533 118.2 152 9 43 6 7 60 1 0 70 57 4.32 1.64

記録

初記録
その他記録

背番号

  • 99 (2000年 - 2008年)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 「セカンドキャリアの球人力 吉川勝成」『週刊ベースボール』2011年8月8日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-8/8, 60-61頁。
  2. 社長対談「焼肉 勝 オーナー 吉川勝成」 |インライフ より

関連項目

外部リンク

テンプレート:大阪近鉄バファローズ1999年ドラフト指名選手