向日市
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目次
地理
- 京都盆地の南西端に位置し、西方には小塩山をはじめとする西山連峰を望み、市外東方には桂川が流れる。このため、全般に北西方向が高地に南西方向が低地となる平坦な地形となっている。市域をほぼ縦断する形でJR東海道本線・阪急京都本線が貫いている。なお、面積は7.67km2で、全国の市では、蕨市、狛江市に次いで、3番目に狭い。
- 長岡京市、大山崎町とともにタケノコの産地として著名。京野菜の千両ナスやみず菜にポインセチアなどの花き栽培も盛んである。
- 西国街道
- 深田川:秦河勝が造った潅漑用水路(西ノ岡用水、寺戸用水とも呼ばれる)
- 山:山岳はないが、西部に西京区との境界をなす細長い丘陵地・西ノ岡丘陵(向日丘陵、長岡丘陵とも)があり竹林を形成している。
- 河川:寺戸川、小畑川
歴史
古くは山城国乙訓郡に属し、長岡京が設置された。市域からは大極殿跡が発掘されている。長岡京が平安京に移されてのちはその後背地として農業を産業の中心とした。古くから乙訓郡の中心地であり、現在も、郡役所の名残である京都府乙訓総合庁舎や、長岡京市、大山崎町、京都市伏見区の一部を管轄する向日町警察署など、周辺地域を代表する施設が設置されている。
上記「向日町警察署」の他にもJR向日町駅・向日町郵便局・京都向日町競輪場・向日町簡易裁判所・向日町区検察庁・イオン向日町店、その他金融機関の支店名など、官公庁・民間問わず「向日町」の旧町名を市制施行後の今でも地名のように使っている施設等がある。町制時代の町名や今も駅や様々な施設に残る「向日町」の読みは「むこうまち」だが、市制施行後に向日市内に出来た「向日市向日町」は「むこうしむこうちょう」と読む。
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行以降、昭和・平成の大合併の時期を含めて一度も合併を経験していない自治体のひとつである。
人口
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.28%減の54,339人であり、増減率は府下26市町村中9位、36行政区域中17位。 テンプレート:人口統計
行政
- 市長:久嶋務(2003年から)
姉妹都市・提携都市
国外
地域
教育
小学校
中学校
- なお、1982年(昭和57年)までは乙訓郡中学校事務組合が設置されており、勝山中学校、西ノ岡中学校は、それぞれ乙訓中学校、第四乙訓中学校と称した。なお、寺戸中学校は一部事務組合解散後の新設校である。
高等学校
- 京都府立向陽高等学校
- 京都西山高等学校(私立)
隣接している自治体・行政区
- 向日市はその周囲のうち、北西東を京都市と接し、南を長岡京市と接する。なお、東側は旧乙訓郡久世村・久我村・羽束師村であり、西側は旧乙訓郡大原野村・大枝村であったが、それぞれ京都市への編入により旧向日町が乙訓郡から京都市に突出する形で残ったものである。また、京都市と向日市は市街地が連続しており、現地に行ってみても一目で市境を判別するのは困難である。
交通
鉄道路線
- 中心となる駅
- その他
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 府道
- 隣接市町村への連絡
- 京都市中心部へは、旧西国街道を経て国道171号線を北上する。京都市西京区へは物集女街道を北上、または山陰街道西行するのが通例である。
- また、長岡京市へは西国街道を南行し、一文橋をわたるルートが一般的である。
バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光地はあるものの、市域の狭さおよび京都市から至近であることなどから、市内に宿泊施設はない。
- 向日神社:養老2年(西暦718年)創建。本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)
- 長岡京跡:向日市文化資料館
- 西国街道:一文橋
- 桓武天皇皇后陵:藤原乙牟漏の御陵
- 寺戸大塚古墳
- 物集女車塚古墳
- 淳和天皇火葬塚
- 向日市天文館
- 京都向日町競輪場
- 山公園俗に山公園と呼ばれているが正式には、深田川児童公園である。昭和60年代ころまでは、公園の中央に小山があったことから山公園と称されたが、現在では山が削り取られ、そのおもかげは少ない。
- 町おこしとして京都激辛商店街を平成21年から行っている。
向日市に本社を置く主要企業
郵便番号
出身有名人
- 今江敏晃(千葉ロッテマリーンズ・内野手)
- 竹内和也(元西武ライオンズ・投手)
- 永守重信(企業経営者、日本電産の創業者)
- 北尾佳奈子(元シンクロナズドスイミング日本代表)
- 笹野みちる(元東京少年・ボーカル)
- 笹谷遼平(映像作家)
- 松田貴志 (あのHUMPTY,∞mpletion・ミュージシャン)