国立霞ヶ丘陸上競技場
テンプレート:スタジアム情報ボックス 国立霞ヶ丘陸上競技場(こくりつかすみがおかりくじょうきょうぎじょう)は、東京都新宿区および港区にまたがる国立霞ヶ丘競技場内にある、独立行政法人日本スポーツ振興センター (JSC) によって運営される陸上競技および球技場。JSCおよびメディアでは「国立競技場」、「国立」と略される。 また、毎年全国高校サッカー選手権大会の主催会場となるため、『高校サッカーの聖地』として一般的に広く知られている。
本稿では他の国立競技場施設との区別のため「国立霞ヶ丘陸上競技場」と呼称する。
目次
歴史
明治神宮外苑、国立霞ヶ丘競技場、青山霊園のある一帯は江戸時代には青山氏の大名屋敷敷地であった。明治維新を経た明治19年に敷地跡の北側に青山練兵場が設けられた。明治天皇崩御後に練兵場に明治神宮外苑を建設することとなり、その敷地の一部を用いて1924年(大正13年)に明治神宮外苑競技場が設けられた。この競技場は陸上競技に広く使われ、第二次世界大戦中の1943年には学徒出陣の壮行会会場となった。1945年の日本の敗戦後は連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収されて『ナイル・キニック・スタジアム』という名称で使用されていた。
接収解除後は再び一般に開放されていたが、1958年アジア競技大会と国民体育大会の会場とすることが決まり、1956年(昭和31年)に明治神宮から文部省に譲渡され、現在も残る新設の競技場が整備された。競技場は1957年1月に起工し、アジア大会前の1958年3月に竣工した。フィールドは国産アンツーカが利用された。同年アジア大会を開催し、翌1959年には東京国体のメインスタジアムとして陸上競技が開催された。その後1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックのメインスタジアムとして使用されることとなり、これにあわせてスタンドの増築が行われた。
高さと直径2.1メートル、重さ2.6トンの聖火台は、埼玉県川口市の鋳物職人の鈴木萬之助が引き受け、彼の死去後に三男の鈴木文吾が完成させた。表面の模様は波を表している。[1]
1958年からは日本陸上競技選手権大会が開催されるようになり、2005年まで断続的に会場として利用された。サッカーの競技場としては1968年から天皇杯全日本サッカー選手権大会が開催されるようになった。翌1969年1月1日に初めて天皇杯決勝戦が国立霞ヶ丘陸上競技場で実施され、以降「国立での元日の決勝戦」が定着している。1976年度(昭和51年度)から全国高等学校サッカー選手権大会も開催されるようになった。上位進出を決めたチームのみが国立のピッチでプレーすることができるため「高校サッカーの聖地」とみなされるようになった。1970から80年代の「ラグビーブーム」の際には日本ラグビーフットボール選手権大会など多くの試合で満員の観衆を集め、特に早明戦では前売りチケットの入手困難や試合前日の徹夜による列並びが毎年恒例となっていた。1980年から2001年まではトヨタ・カップの会場として用いられた。1991年には世界陸上競技選手権大会(世界陸上)が開催された。
国立霞ヶ丘陸上競技場は日本を代表する大型スタジアムとして利用されてきた。同規模の5万人の観衆を収容できるスタジアムは1924年開場の阪神甲子園球場を別にすれば長らく存在せず、野球中心の屋根付き施設である1988年の東京ドーム、陸上競技場では1994年アジア競技大会開催に向け建設された1992年の広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)開場を待たねばならなかった。
2002年(平成14年)に開催された2002 FIFAワールドカップの計画案においても国立霞ヶ丘陸上競技場を会場として利用することが検討されたが、国際サッカー連盟(FIFA)が要求する会場仕様として「観客席の3分の2以上に屋根が架設されること」が条件に挙げられていたため候補から外された。過去の大会では、1960年のローマオリンピックのメインスタジアムであったスタディオ・オリンピコや、1936年のベルリンオリンピックのメインスタジアムであったオリンピアシュタディオンのように改装により屋根を架けた例もあるが、予算等の問題から改装はおこなわれなかった。ワールドカップ日韓大会の決勝戦は横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で実施され、それ以降も大規模なサッカーの試合は、より観客収容人数が多く興行収入が見込める横浜国際総合競技場もしくは埼玉スタジアム2002で開催する事が多くなっている。FIFAワールドカップのアジア地区予選も、1997年のフランス大会予選を最後に行われていない。
陸上競技の会場としても、走行レーンが8レーンしかないことやサブトラックが400mトラックでないために、現在の国際陸上連盟の規格を満たしていない。トラックを使用したマラソン以外の国際陸上競技大会としては、1999年にスーパー陸上が行われてから、2013年にゴールデングランプリ東京[2]が開催されるまで久しく行われなかった。2013年の東京国体において、国立霞ヶ丘競技場は計画段階で競技会場に含まれなかった[3]。
独立行政法人日本スポーツ振興センター (JSC) が管理団体になってからは断続的に施設改修が行われており、また2000年代からは音楽コンサートなどの利用も進められている。2005年に単独のアーティストとしては初めてSMAPがコンサートに使用したが、この際には打診してから使用許可を得るまでに3年の期間を要した。その理由として、騒音問題、芝生などの施設管理といった競技場側の問題の他に、SMAPの公演内容、スタッフの対応、観客のマナーの様子等、総合的に厳しくチェックされ、3年間事故も無く、観客のマナーも問題が無いことが認められるまでに非常に慎重な審査を重ねた[4]。2007年9月にDREAMS COME TRUEが使用に関する審査をパスしコンサートを行い、2008年9月には3組目となる嵐、2012年5月には史上4組目(ロックバンドとしては史上初)として、L'Arc〜en〜Cielのコンサートが開催されている。2010年の嵐の公演では、会場外で演奏を聞くために集まった多数のファンに対して近隣住民から苦情出たと報道された[5]。また2014年にはポール・マッカートニーが日本国外のロック歌手単独で初(かつ、現競技場唯一)となるコンサートが予定されていたが、体調不良のため延期代替の分を含めた公演を中止している。
コンサート以外のイベントとしては、2009年7月5日に石原裕次郎23回忌法要が開催された。1999年に石原の菩提寺である神奈川県横浜市の總持寺で営まれた13回忌法要に大勢のファンが詰め掛け寺院周辺が大混雑したため、国立霞ヶ丘陸上競技場を利用することになった。この法要では、トラック部分に總持寺の本堂を模した仮設の建物を用意し、主催した石原プロモーションの発表では約11万7000人のファンが訪れた。
2014年5月31日、「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」のピッチ開放をもって閉場となった。このファイナルイベントの一部は、TBSで生中継された。
「新国立競技場」への建て替え
テンプレート:Main 2008年5月29日に文部科学省は、需要の変化や著しい老朽化に対応するため、サッカー専用競技場化などの大規模改修も視野に入れて、施設としてのあり方を見直す有識者らを集めた調査研究協力者会議を発足させた。2009年に東京都が開催都市として立候補した2016年夏季オリンピックにおいて、東京オリンピック構想で国立霞ヶ丘競技場はサッカー会場としてのみ使用される計画となっていた。陸上競技などを開催するメインスタジアムは、晴海に建設されるオリンピックスタジアムが予定されていた[6]。同年2月19日に日本ラグビーフットボール協会会長の森喜朗は国立霞ヶ丘の改修に言及し、2016年の東京オリンピック招致に成功した場合には国立霞ヶ丘競技場をラグビーやサッカーの専用球技場として改修したいと述べた[7]。2009年10月2日に行われたIOC総会の投票で東京は落選したため専用球技場への改修は白紙となった。
2011年に東京都は2020年夏季オリンピックへの立候補を表明した。新しい案では国立霞ヶ丘競技場をメインスタジアムとして使用する計画となり、8万人以上のスタジアムへの改修に向けて国と協議を始めた。文部科学省は2012年度予算の概算要求に、国立霞ヶ丘競技場の改修調査費として1億円を盛り込んだ。
2012年2月16日に2020年東京オリンピック・パラリンピック招致委員会が大会の開催基本計画を発表し、国立霞ヶ丘競技場を8万人収容のスタジアムに改築し、開閉会式、陸上競技、サッカー決勝戦、ラグビーの会場とすることを正式に発表した。翌日には国立霞ヶ丘競技場を運営する日本スポーツ振興センターの河野一郎理事長が「世界一のものをつくりたい」とコメント、開閉式の屋根を備えた全天候型ドームスタジアムに改築する構想を発表した。3月6日に組織された「国立競技場将来構想有識者会議」では第1回会議で改築に向けて以下の事項を柱とすることに合意した。
- 8万人を収容できる全天候型のスタジアム
- 陸上競技と球技が行える施設
- コンサートなど文化の発信も可能な施設
- 大規模災害時の帰宅難民らの避難場所
これらの柱を基にして今後は3つのワーキンググループを中心に議論を進め、国際オリンピック委員会 (IOC)への立候補ファイルの提出締切日(2013年1月)までに改築の正式計画を策定することを目標とした。2012年7月13日に有識者会議の第2回会議が行われ、新競技場の概要計画を決定した。計画内容は以下のとおり。
- 現在の約5万4000人収容から8万人収容に増設
- 開閉式の屋根を備えた全天候型のドーム型スタジアム
- 9レーンのトラックを敷設して国際基準を満たす
- 競技場周辺の都立明治公園や日本青年館まで敷地を広げてサブトラックを敷設
- 観客席の一部を可動式にしてサッカーやラグビー大会の際は球技専用スタジアムとして使用
- 飲食・物販施設、音響、照明設備の強化
- コンサートや展覧会、ファッションショーなどの会場としても使用
- 大規模災害時の広域避難場所としての役割
2012年7月20日に日本スポーツ振興センターは「新国立競技場」(仮称)デザインの国際設計競技の詳細を発表し公募を開始した。審査委員会の委員長は安藤忠雄が務め、建築の学識経験者として鈴木博之青山学院大学教授および岸井隆幸日本大学教授、内藤廣東京大学名誉教授、安岡正人東京大学名誉教授が、建築家としてリチャード・ロジャースとノーマン・フォスターが、その他には小倉純二日本サッカー協会名誉会長、作曲家の都倉俊一、主催者として河野一郎日本スポーツ振興センター理事長が参加した。実現可能性を確認するアドバイザーとして和田章東京工業大学名誉教授が就任した[8]。
7月13日の計画内容では「競技場周辺の都立明治公園や日本青年館まで敷地を広げてサブトラックを敷設」となっていたが、発表した詳細では都立明治公園や日本青年館まで敷地は広げるがサブトラックは敷設されない。明治神宮外苑軟式グラウンドをサブトラックに、明治神宮第二球場を投擲種目の練習場にする構想である。2012年9月25日までに国内12点、海外34点の計46作品が集まり、10月30日に応募作品の中から1次審査に残った11点の作品が発表された。2012年11月15日に最終審査結果が発表され、ザハ・ハディドが経営するイギリスの建築設計事務所ザハ・ハディド・アーキテクトのデザインが最優秀賞、オーストラリアのコックス・アーキテクチャーが優秀賞、日本のSANAAおよび日建設計が入選を受賞した[9]。ザハ・ハディドには賞金の2000万円が贈られ、基本設計、実施設計、施工のそれぞれの段階で監修に当たることになる。
総工事費は解体費を除いて1300億円程度を見込んでいる。現在の競技場は2014年7月から2015年10月にかけて解体され、2015年10月から「新国立競技場」の建設を開始、2019年3月までに完成する予定となっている[10]。 現在の聖火台と1964年東京オリンピックのメダリスト名を刻んだ壁は保存される予定。
2014年6月、解体工事の入札が行われたが不落札となった[11]。
利用
陸上競技
国際大会としては、1958年アジア競技大会にてこけら落とし。1964年の東京オリンピック、1991年の世界陸上競技選手権大会の会場のほか、東京国際ナイター陸上→東京国際スーパー陸上競技大会に1966年から1999年まで、一部年度を除き使用されていた(2013年のゴールデングランプリ川崎も等々力陸上競技場改修に伴う特例として、翌年の2014年も大規模改修前最後の陸上競技大会として競技場にて開催された。この時は両年とも「ゴールデングランプリ東京」として施行)。
国内規模の大会では日本陸上競技選手権大会、日本学生陸上競技対校選手権大会(全日本インカレ)、関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)、全国小学生陸上競技交流大会に使われているが、日本選手権は前身の明治神宮外苑競技場の時代である1925年から終戦直後の一時期を除いて1997年までほぼ毎年断続的に開催され続けたが、1998年以後は地方都市での開催にほぼシフトされている。また1959年の第14回国民体育大会・「東京国体」秋季大会のメイン会場として陸上競技が行われている。
またマラソンでは東京国際マラソン(1981年-2006年)、東京国際女子マラソン(1979年-2008年 1990年に限り明治神宮野球場を使用)の発着点としても使用された。
サッカー
当競技場を明確にホームグラウンドと謳うチームは存在しないが、サッカー日本代表およびラグビー日本代表が国際試合を行うスタジアムとして定着しており、それぞれの代表チームにとってのホームスタジアムということができる。ただしサッカー日本代表は、2002 FIFAワールドカップをきっかけに横浜国際総合競技場(日産スタジアム)や東京スタジアム(味の素スタジアム)や埼玉スタジアム2002などのサッカー専用スタジアムが完成してからは、それらの競技場を利用することが多くなった。また、ラグビー日本代表も近接する秩父宮ラグビー場がラグビー専用スタジアムであるため、そちらを使用することが多い。
Jリーグではで当競技場をホームスタジアムとするクラブチームはない。これはJリーグの方針で国立霞ヶ丘競技場にホームチームを置かないと決めているためである。読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ1969)がJリーグに参入する際に、ホームスタジアムとすることを希望したものの拒否されている。首都圏周辺にホームタウンを置くクラブが集客の都合や観客の安全確保、スタジアムの増改築、その他スケジュール上の不都合等の理由で、ホームスタジアムでの開催に支障がある場合、国立霞ヶ丘競技場や国立西が丘サッカー場でホームゲームを開催することがある。首都圏以外に本拠を置くチームでも過去に清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田などが主催試合を行ったことがある。
東京都をホームタウンとするFC東京、東京ヴェルディは毎年複数試合ホームゲームを主催している。また、都外のチームでは横浜FCも2006年から2011年まで毎年利用していたほか、鹿島アントラーズ、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府、栃木SCがホームゲームを開催している。鹿島と栃木は本拠地スタジアム改修による代替地での利用であるが、甲府と柏は本拠地の収容数を超える見込みのある対戦時に使用している。なお、甲府は浦和レッズ戦、柏は浦和と鹿島の試合で使用することが多い。
FC東京は東京(味の素)スタジアムが竣工する前の2000年にJ1へ昇格したが、スタジアムがまだ建設中で、その他にJ1開催基準(夜間照明、15000人以上収容のスタンドなど)を満たした施設がなかったため、同年に限り当競技場を事実上の本拠地としてホームゲームの過半数を主催した[12]。
被災時の代替地として使用される時もあり、2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の時は、アルビレックス新潟の本拠地である新潟スタジアムでの開催が不可能になった事(スタジアム自体の被害は少なかったが、駐車場が自衛隊の災害派遣基地として使用されたことなど)から、30日の柏戦は当競技場での振替開催となった。また、甲府も2014年の平成26年豪雪の影響で本拠地である山梨中銀スタジアムでの開催が不可能(こちらも駐車場が自衛隊の災害派遣基地となっており、また周辺の除雪が間に合わないなど)となり、3月1日の開幕戦である鹿島戦を当競技場開催に振り替えている。東日本大震災の際は鹿島が被災して使用できなくなっていたカシマスタジアムの代替として、4月23日の横浜F・マリノス戦とAFCアジアチャンピオンズリーグのグループリーグ3試合がホーム扱いで開催されている。
1993年のJリーグ開幕戦であるヴェルディ川崎対横浜マリノスから使用されてきた当競技場の公式戦は、2014年5月6日開催のJ1第12節ヴァンフォーレ甲府vs浦和レッズ戦が最終戦となった[13]。
コンサート
毎年8月に開催される神宮外苑花火大会の会場の一つとなっている。同大会に先立って行われるアトラクションは、単独コンサートが許可される以前は本競技場における数少ないライブの機会であったため、過去に多くの有名アーティストが演奏をおこなった。
大規模競技場をコンサート会場として使用することは珍しい事ではないが、当競技場をコンサート会場として使用する機会は限られている。コンサート会場として使用する際には、天然芝の保護のために競技場スタッフによる厳しい審査をパスする必要がある。また近隣住人への配慮から音を出すのを午後9時までとする規制があり、これらの基準に合格したアーティストに限り使用が許可されている。
コンサート利用は天然芝の保護という審査基準もあって年間1組のみ許可されていたが、2012年はL'Arc〜en〜Cielと嵐の2組がライブとコンサートを開催した。取り壊し直前の2014年には天然芝の保護という関連から審査が緩和されたため、3組のアーティストが開催し(ほか1組が開催中止)、締めくくりには特別イベント「SAYONARA 国立競技場 FINAL WEEK JAPAN NIGHT」が開催された。
その一方で、上記の音の規制などからコンサートを開催することについて否定的な見解を示すアーティストも存在する。例として、日本一のCDセールスを記録し、これまで数多くの大規模コンサートを開催してきたB'zは「自分たちが求める音のクオリティでライブができない」という理由から、当競技場でのコンサート開催を見送っていると公言している[14]。
当競技場における公演の歴史
グラウンド面にまで観客を収容して行われたライブ・コンサートのみ記載する(神宮外苑花火大会は除く)。
- 1985年6月15日:国際連合にて1985年に採択された「国際青年年」を記念し、ジョイントコンサート『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』を開催。当競技場における初のコンサートとなる。
- 1996年6月29日:史上初の洋楽アーティスト公演として、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの「世界3大テノール」日本公演を開催[15]。
- 2005年9月3日・4日:SMAPが史上初の単独公演を開催。翌年の2006年9月9日・10日にも公演を行っている。
- 2007年9月22日・23日:DREAMS COME TRUEが史上2組目の単独公演を開催。聖火台に点火したアーティストは史上初。
- 2008年9月5日・6日:嵐が史上3組目の単独公演を開催。2009年には8月28日-30日の3日間連続開催を達成し、2010年には現在最多となる4日間公演(8月21日・22日、9月3日・4日)を開催[16]。2011年9月2日・3日、2012年9月20日・21日、2013年9月22日・23日にも開催し、最多となる15公演を記録している。
- 2012年5月26日・27日:L'Arc〜en〜Cielが史上4組目の単独公演を開催。2014年3月21日・22日の2日間にも単独公演を開催し、史上最多の8万人(2日間延べ16万人)を動員した。
- 2014年3月15日・16日:ももいろクローバーZが史上5組目の単独公演を開催。女性グループ初の当競技場における単独コンサート開催となる[17]。
- 2014年3月29日:AKB48が史上6組目の単独公演を開催[18]。なお、翌30日にはAKB48グループ公演を開催予定だったが、荒天のため中止となり[19]。振替公演を6月8日に味の素スタジアムで開催した。
- 2014年5月17日・18・19日:ポール・マッカートニーが史上7組目として、洋楽アーティストとしてはパヴァロッティ・ドミンゴ・カレーラス以来、ソロ・アーティストとしては国内アーティストを含めて唯一となる単独公演を開催する予定だったものの、両日とも本人の体調不良(ウイルス性炎症)により中止。当初は17日の中止分を19日に順延し振替公演をすることを予定していたが、それも中止となった[20]。またこの5月20日に、この後予定されていた日本武道館・ヤンマースタジアム長居も含めて全公演が中止となったため、振替公演はなし。
- 2014年5月28日・29日:当競技場最後の音楽イベントとして、ジョイントコンサート『SAYONARA 国立競技場 FINAL WEEK JAPAN NIGHT』が開催され[21]、2日間で以下の13組のアーティストが出演した(太字のアーティストはその日の公演のヘッドライナー)。
- 28日(Yell for Japan):いきものがかり、ウカスカジー(櫻井和寿 & GAKU-MC)、岸谷香、ゴスペラーズ、斉藤和義、スキマスイッチ、ナオト・インティライミ、ファンキー加藤、ゆず
- 29日(JAPAN to the World):SEKAI NO OWARI、Perfume、MAN WITH A MISSION、L'Arc〜en〜Ciel
仕様
トラック
トラック8レーンを有する日本陸上競技連盟公認第一種陸上競技場である。
現在の規則によると、日本陸連の第一種競技場として登録されるには、1周400mの補助競技場(サブトラック、公認第三種登録相当)を併設することが義務付けられている。当競技場にはそのサブトラックがないが、東京都営の東京体育館の付属陸上競技場を事実上のサブトラックと見なし、第一種トラックとして登録されている。ただし、東京体育館陸上競技場は直線コースは100mあるものの、全周200mしかない上にコースが5レーンしかない。なお、近接地・渋谷区にある代々木公園陸上競技場(同じく都営。1周400m8レーンの第3種公認)も、当競技場の事実上の補助競技場と位置づけられている。都内においては、2012年に都営の味の素スタジアム(第1種)の隣接地に「西競技場」(第3種)が竣工し、唯一第1種競技場の直接的な補助競技場が整備されている。
1964年東京オリンピックの開催時には、明治神宮野球場に付帯した軟式野球グラウンドに仮設のトラック(400m)が開設され、選手の練習やウォームアップに利用されていた[22]。
グラウンド内のメインスタンド北側(千駄ヶ谷駅、第4コーナー側)寄りにあるポールは織田ポールと呼ばれ、織田幹雄が三段跳びで日本人初のオリンピック金メダルを獲得したアムステルダムオリンピックでの記録、15m21cmの高さで立てられている。なおコンサート開催時には撤去される。
フィールド
当初は寒冷期には芝がすべて枯れ、ピッチコンディションの悪さが指摘されていたが、1989年より芝生の二毛作(オーバーシードに類似した手法)により年間を通して青い芝を保つようになった。国立競技場のHPでは、この間の海外選手の苦情や芝生の塗装、改良の試行錯誤が記述されている[23]。
スタンド
スタンドの形状は4階建て楕円形スタンドとなっている。この形状のためラグビーの試合では、しばしばラインアウトでの「ノットストレート」の反則をとられることがあり、テレビ中継などで「(楕円形スタンドに惑わされて)まっすぐに投げ入れることが難しい」と解説される。
1963年には翌年の東京オリンピックを控え、バックスタンドを中心に大幅拡張され、71,715人収容[24]の大スタジアムとして生まれ変わった。1964年10月10日のオリンピック開会式の観客動員数72,000人が、国立霞ヶ丘陸上競技場の最多入場者数である。その後1978年の改修では約62,000人収容に減少した。これ以降の入場者数はキャパシティ一杯でも60,000人前後で推移していたが、その後の改修が進むに連れキャパシティは縮小している。2005年9月から複数年の予定で、スタンドの改修工事が行われた。先ず最初の段階で収容人数は60,057人から55,903人まで縮小された。この改修で座席スペースの拡張や背もたれ、カップホルダー付き座席の設置、および記者席の機能強化が図られた。スタジアムのキャパシティは現在50,339人にまで縮小されている[25]。
屋根はメインスタンドの一部にのみ設置されている。
併設施設
代々木門エントランス下に国立霞ヶ丘競技場体育館が、同門側サイドスタンド下に国立霞ヶ丘競技場室内水泳場がある。
メインスタンド下には秩父宮記念スポーツ博物館、秩父宮記念スポーツ図書館、日本体育施設協会の事務局が設けられている。
照明及び視聴覚装置
照明施設はバックスタンドに照明塔4機、メインスタンドの照明は屋根の先端部に内蔵されている。
視聴覚装置は、千駄ヶ谷門寄りサイドスタンドに大型画像モニターが設置されている。国立競技場となった際に上部のみ電光表示を可能としたスコアボードが設置され、オリンピック開催にあわせて大型化・および全面電光表示化(富士通信機製造製、なお同社の大型映像装置部門は現在の富士通フロンテックにあたる)の改修が行なわれた。1991年の世界陸上開催を契機とした改修で松下電器製「アストロビジョン」を設置。その際に大時計下にトヨタ自動車の広告が入ったが、現在は撤去されている(accessのTRY AGAINのPVで1993年当時の大時計が見られる)。
その他
メインスタンド下にはトレーニング施設が整備され、中学生以上は一般利用が常時可能である。また、スタジアム利用が無い日には、通常のトラックやスタンド下に整備された1周650mの回廊走路も利用できる。メインスタンドには貴賓席や記者席などが用意され、スタンド下には室内練習場や会議室もあって大会時には選手控室や記者会見場に利用されるが、近年に整備された各スタジアムと比較すると古くて手狭である。
競技場のスタンド下からトラック内部へは選手用の地下通路があったが、現在は利用されていない。ここには東京オリンピックの際に女子選手も使える立ち小便器が設置されたが[26]、実際の使用例はなかったとされる[27]。
メインスタンドの屋根付き部分の両端には相撲の神である野見宿禰とギリシャ神話の勝利の女神ニケの壁画が描かれている。聖火台下などのバックスタンド上部はメインスタンドよりも高く、荒天時を除けば競技場の西側にあるNTTドコモ代々木ビルや新宿新都心地区の超高層ビル群がメインスタンドの背後から眺められる。
以上の各施設については、秩父宮スポーツ博物館と合わせて随時見学ツアーが開催されている[28]。
メインゲートには東京オリンピックで金メダルを獲得した319名を刻んだ銘板が設置されている。
交通
所在地
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号。
最寄り駅
東京都心部のスタジアムとして、大きな輸送力を持つ多くの鉄道路線が利用可能であり、高い利便性を持っている。入場門によって最寄り駅が異なる。
- 正門(メインスタンド中央部) - 一般入場者は通常利用不可
- 千駄ケ谷門(メインスタンド北側)
- 都営地下鉄大江戸線 - 国立競技場駅(A2出口から約100m、徒歩1分)
- 中央・総武緩行線 - 千駄ケ谷駅(約400m、徒歩5分)
- 青山門(バックスタンド)
- 代々木門(メインスタンド南側)
- 千駄ケ谷駅(約1km、徒歩12分)
- 東京メトロ銀座線 - 外苑前駅(約1.2km、徒歩15分)
これらの駅はコンコースの拡張や臨時改札の設置などで試合終了時の観客輸送に対応しているが、神宮球場でのプロ野球(東京ヤクルトスワローズ戦)等と重複した場合には一時的な滞留が起こる場合もある。また、大ターミナル駅である新宿駅へはJRと都営地下鉄で5分足らずの他、徒歩でも40分前後(約2.5km)で移動できる。
駐車場・道路交通
国立霞ヶ丘競技場では一般観客が利用できる駐車場は用意されず、周辺地域でも駐車場は少ない。青山門の東側にある明治神宮絵画館前駐車場は団体バスの利用が可能で、千駄ヶ谷駅西側の首都高速高架下にも駐車場が整備されているが、5万人のスタジアム規模に見合う台数ではなく、来場者には公共交通機関の利用が呼びかけられている。 道路交通としては、以下の道路がスタジアムに近い。
- 道路網
- 高速道路・インターチェンジ
- 一般道路
- 国道246号(青山通り) - 外苑西通りを介して連絡
- 東京都道418号北品川四谷線(外苑西通り)
- 東京都道414号四谷角筈線(神宮外苑周回道路)
- 東京都道319号環状三号線(外苑東通り) - 神宮外苑周回道路を介して連絡
東京オリンピックの開催にあたっては内外の要人・賓客輸送のために首都高速道路の建設が急がれ、開会の2ヵ月前に外苑出入口が完成し、東京国際空港(羽田空港)からの路線が開通した。
- バス交通
同バス停は代々木門が最も近いが、輸送力・運行回数共に上記の鉄道路線よりも少ないため、積極的な案内は行われていない。
主な大会・イベント
- 日本陸上競技選手権大会(最近は地方都市持ち回りが多い)
- 日本学生陸上競技対校選手権大会
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝戦(準決勝の1試合も行う) - 毎年1月1日(元日)の午後、前年度大会の決勝戦を開催。準決勝は12月末に開催。
- 全日本大学サッカー選手権大会決勝戦
- 全日本大学女子サッカー選手権大会決勝戦
- 全国高等学校サッカー選手権大会開会式・開幕戦・準決勝・決勝戦(2008年度大会では準決勝は非開催)
- サッカー日本代表の国際親善試合や強化試合(A代表・オリンピック代表が主)
- J1昇格プレーオフ - 2012年より開催
- FUJI XEROX SUPER CUP
- Jリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ)決勝戦
- 全国大学ラグビーフットボール選手権大会準決勝・決勝戦
- 関東大学ラグビー対抗戦 早稲田大学対明治大学(早明戦) - 毎年12月の第1日曜日に開催。
過去に開催された主な大会・イベント
- 1958年 : 第3回アジア競技大会
- 1963年 : 東京国際スポーツ大会(プレオリンピック)
- 1964年 : 第18回オリンピック東京大会
- 1967年 : 第5回ユニバーシアード東京大会
- 1975年 - 2001年、2003年 - 2004年 : 日本ラグビーフットボール選手権大会1974-1996年度は社会人王者と大学王者の一発勝負。1997年度は全試合を開催・2001-2002年度は決勝戦のみ開催。
- 1977年9月10日、14日 : SAYONARA GAME IN JAPAN ペレ引退記念試合(10日 ニューヨーク・コスモス対古河電工、14日 ニューヨーク・コスモス対日本代表)
- 1979年 : サッカー ワールドユース選手権(グループA6試合、準々決勝1試合、準決勝1試合、3位決定戦、決勝)
- 1979年 - 2008年 東京国際女子マラソン
- 1981年 - 2001年 : トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(2002年からは横浜国際総合競技場)
- 1981年 - 2006年 : 東京国際マラソン
- 1982年 - 1988年、1996年 - 2011年 : 全日本女子サッカー選手権大会決勝戦(2012年から皇后杯全日本女子サッカー選手権大会へ改称するとともに、NACK5スタジアム大宮で開催)
- 1983年 - 1989年 : ライスボウル(1990年以降東京ドームで開催)
- 1985年6月15日 : 国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW(はっぴいえんど、サディスティック・ユーミン・バンドなどが出演)
- 1991年 : 第3回世界陸上競技選手権大会
- 1993年5月15日 : Jリーグ開幕戦(ヴェルディ川崎対横浜マリノス)
- 1993年 : FIFA U-17世界選手権
- 1996年6月29日 : ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス 世界3大テノール・コンサート
- 1998年 : 1000万人ラジオ体操祭中央大会(誕生70周年を記念して開催)
- 2002年 : Dynamite!史上最大の格闘技ワールド・カップ(プロレス・格闘技イベントで初開催)
- 2003年 : A3チャンピオンズカップ2003
- 2003年 : 第55回全国社会人ラグビーフットボール大会決勝(サントリー対東芝府中)
- 2003年 : ジャパンラグビートップリーグ開幕戦(東芝府中対神戸製鋼)
- 2005年9月3日・4日 : SMAPとイク? SMAP SAMPLE TOUR FOR 62 DAYS.(単独公演としては史上初)
- 2005年 - 2008年 : FIFAクラブワールドカップ(2011年に再度日本で開催されるが会場からは外れる)
- 2006年 : GOAL!ジャパンプレミア
- 2007年9月22日・23日 : DREAMS COME TRUEコンサート「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」
- 2008年8月2日 : JOMO CUP
- 2008年9月5日・6日 : 嵐 コンサート 「arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008」
- 2009年7月5日 : 石原裕次郎23回忌法要
- 2009年10月31日 : NISSUI TOKYO 2009 BLEDISLOE CUP(ニュージーランド オールブラックス対オーストラリア ワラビーズ)
- 2009年 - 2010年 : AFCチャンピオンズリーグ決勝戦(2009年 アル・イテハド対浦項スティーラース、2010年 城南一和天馬対ゾブ・アハン)
- 2010年8月4日 : スルガ銀行チャンピオンシップ2010(FC東京対LDUキト)
- 2010年8月21日・22日・9月3日・4日 : 嵐 コンサート「10-11 Tour “Scene”~君と僕の見ている風景~」(史上初の4日公演。8月21日・22日は「2010神宮外苑花火大会」後夜祭公演)
- 2012年 : FIFA U-20女子ワールドカップ(グループリーグ2試合、準々決勝2試合、準決勝、3位決定戦、決勝)
- 2012年9月20日・21日:嵐 コンサート 「ARASHI アラフェス NATIONAL STADIUM 2012」
- 2013年6月16日 : 東日本大震災復興支援 2013Jリーグスペシャルマッチ
- 2013年9月21日・22日:嵐 コンサート 「アラフェス’13」(2年連続で開催)
- 2014年3月15日・16日 : ももいろクローバーZ コンサート「ももクロ春の一大事 2014 国立競技場大会 ~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~」(女性グループ初・史上最速6年・最年少記録)
- 2014年3月21日・22日 : L'Arc〜en〜Ciel コンサート「LIVE 2014 at 国立競技場」
- 2014年3月29日 : AKB48 コンサート「AKB48単独&グループ 春コンin 国立競技場~思い出は全部ここに捨てていけ!~」(3月30日のAKB48グループ公演は荒天のため中止→同公演は6月8日に味の素スタジアムに大島優子の卒業式を含め延期・代替された)
- (2014年5月17日・18日:ポール・マッカートニー コンサート「Out There! japan tour 2014」)(全公演中止)
閉鎖記念イベント「SAYONARA国立競技場プロジェクト」
- 新国立競技場への建て替えによる閉鎖に当たり、2014年1月から5月末の閉鎖まで「SAYONARA国立競技場プロジェクト」と題した閉鎖記念のイベントを展開した。主なイベントに、上記のコンサート・スポーツイベントのほか、キリンチャレンジカップ2014・日本対ニュージーランド戦(3月5日 サッカーの国際Aマッチとしての最終戦)、ゴールデングランプリ陸上東京2014(5月11日 陸上競技としての最終イベント)、2015 ラグビーワールドカップアジア予選(「アジア5か国対抗ラグビー」)の日本対香港戦(5月25日。現競技場でのスポーツ公式戦最終イベント)、スタジアム見学ツアーなどが行われた。
- 閉鎖前最終日となる2014年5月31日には、「SAYONARA国立競技場FINAL “FOR THE FUTURE”」と題したイベントが行われ、日中にはゲストランナーを交えた「ファイナルファンラン」、夕方にはサッカー日本代表の選手や早稲田大学・明治大学ラグビー出身選手によるエキシビジョン「レジェンドマッチ」、東京オリンピック(1964年)の開会式を再現したブルーインパルスの曲芸飛行、夜には国立競技場の炬火台点灯を再現するセレモニーや、国立競技場の歴史を振り返る記録映画上映会、そして締めくくりに市民にフィールド・トラックを開放するイベントが行われた。[29]
- 光の線で当時のシーンを再現するイベントも開かれ午後9時頃に56年間、聖地を見守った国立の最後の聖火が静かに消されSEE YOU IN 2019(2019年に会いましょう)が表示された。
閉鎖に伴う記念特番
名勝負!国立競技場物語
2013年9月1日12:00-13:50にNHK BS1で放送されたドキュメンタリー番組である。
新国立競技場としてリニューアルされるにあたり、この番組では国立競技場メインスタンドに掲げられてきた壁画・野見宿禰とニケの視点を通して、国立競技場の歴史と名勝負をたどり、新国立競技場への引継ぎを行うというものである。番組は陸上競技を中心にした第1部・トラック編と、サッカー・ラグビーなどの球技を中心とした第2部・フィールド編の2部構成である。
緊急生中継!さよなら国立競技場
2014年5月31日 21:00-22:00にTBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組である。
国立競技場最後のイベント「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」の真の最終イベントであるピッチ開放を生中継し、当日行われたイベントのVTRを放送することはもちろん、国立競技場の歴史をたどった。特に、1964年東京オリンピック開会式の時に行われた、ブルーインパルスの曲芸飛行に込められた秘話を特集。最後にはピッチ開放に訪れた多くの市民を前に、中山がフリーキックを行うシーンが行われた。
- スペシャルナビゲーター - 中山雅史
- ゲスト - 関根勤、宮崎美子
- アシスタント - 枡田絵理奈(TBSアナウンサー)
- 実況 - 初田啓介(TBSアナウンサー)
- ドキュメントパートナレーター - 近藤サト
この番組に先駆けて、18:55(一部地域19:00)から20:54の「炎の体育会TV」でも「さよなら国立競技場スペシャル」と題して、国立競技場からの生中継、および一部事前収録による同番組レギュラーメンバーに、中田英寿、釜本邦茂ら特別ゲストを交えたスポーツアトラクションの模様(観客非公開)を紹介しているほか、BS-TBSでも14:00から14:55に「今夜聖火の灯が消える ありがとう国立競技場」(ナビゲーター・関根勤)と題して、過去に行われた国立競技場の名勝負を振り返る特番が放送された。
関連項目
- 国立競技場
- 国立霞ヶ丘競技場
- 新国立競技場
- 国立代々木競技場
- 国立西が丘サッカー場
- 明治神宮野球場
- 長谷川路可 - メインスタンドの壁画の作者
- 明治神宮外苑
- 秩父宮記念スポーツ博物館
脚注
外部リンク
テンプレート:Jリーグスタジアム- ↑ 2013年8月19日20時NHK総合放送「1964東京オリンピック-第1回平和の炎が灯った日」
- ↑ 例年は「ゴールデングランプリ川崎」として開催されるが、会場である等々力陸上競技場のスタンド改修工事を行う関係で国立での開催となった。
- ↑ 第68回国民体育大会実施予定競技及び会場区市町村<競技別>
- ↑ SMAP 史上初の国立競技場単独ライブ - スポーツニッポン 2005年6月3日
- ↑ 下品すぎるウチワまで! 嵐のツアーでファンのモラル低下が深刻に - サイゾーウーマン 2010年11月4日
- ↑ 2016年東京オリンピック・パラリンピック開催基本計画テンプレート:Ja icon - 東京都 東京オリンピック・パラリンピック招致本部 2007年11月20日
- ↑ 国立競技場:ラグビーなど専用へ改修方向で検討…森会長テンプレート:Ja icon - 毎日新聞 2009年2月19日
- ↑ http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2602A_W2A720C1000000/?df=3
- ↑ http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1402U_U2A111C1000000/
- ↑ http://www.shibukei.com/headline/8912/
- ↑ 朝日新聞 2014年6月11日朝刊14版 24面
- ↑ 登録上の本拠地は駒沢オリンピック公園陸上競技場であるが、照明設備が周辺に病院があるため設置できず、過半数の開催が不可能だったため
- ↑ J最後の国立は5・6甲府vs浦和(2014年1月28日、日刊スポーツ)
- ↑ 会報誌Be with! Vol.100より
- ↑ 芝生の話「なぜに国立競技場の芝生は美しいのか? ~グラウンドキーパー汗と涙の奮闘記~」第10回(最終回)「唄う国立競技場♪」
- ↑ 5年目国立ライブはリクエストの「嵐」! 全240曲からファン投票 スポーツ報知 2012年7月21日閲覧
- ↑ ももクロ、3月に夢の国立競技場2DAYSライブ実現 ナタリー 2013年12月23日閲覧
- ↑ AKB来年3.29国立単独公演 女性グループでは初 スポーツニッポン 2013年12月18日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ JAPAN NIGHT -MOVE WITH THE MUSIC-
- ↑ 神宮球場・球場史(昭和29年~)
- ↑ 芝生の話「なぜに国立競技場の芝生は美しいのか? ~グラウンドキーパー汗と涙の奮闘記~」
- ↑ 市川崑監督「東京オリンピック」より
- ↑ Jリーグ - スタジアムガイド - 国立競技場、Jリーグ公式サイト
- ↑ TOTOホームページ「TOTOきっず」 「女の人も立っておしっこ?男女兼用の小便器“サニスタンド”」
- ↑ これらの施設はNHKのテレビ番組「ブラタモリ」の「神宮外苑」回の中で紹介された。[1]
- ↑ [2]
- ↑ SAYONARA国立競技場プロジェクト