関東大学ラグビー対抗戦グループ
関東大学ラグビー対抗戦グループ(かんとうだいがくラグビーたいこうせんグループ)とは、関東ラグビーフットボール協会が主催して開催する関東の大学生チームによるラグビーの対戦グループのことである。
目次
概説
古くは関東協会の大学ラグビーも、関西協会や九州協会と同じように一つの統一された対戦グループで運営されていた。ただし、対戦方式は他の地域のように前年のチーム成績による総当たり戦ではなく、“シーズン毎に行なう事前のマネージャー会議で対戦相手を決め、試合日程(対戦相手や試合日)もその対戦校間の事情で決定される”という、現在では対抗戦方式と呼ばれる方式で行なわれていた。この方式は実質的には、伝統校間の対戦は毎年同じ日に開催される定期戦方式となり、対戦を希望する新興校が、申し込んだ相手校に理由のいかんを問わず対戦を断られ続ける限りは永久に対戦できないシステムであった[1]。
加盟校が増えるにつれて、早稲田・明治・慶應などが主張する対抗戦方式に異を唱え前回成績に則した総当たり戦を主張するグループ(主に新興チーム)が生まれ、双方の間で感情的な対立がしだいに大きくなっていった。その後の紆余曲折の結果、総当たり戦を主張するグループが1968年にリーグ戦グループを立ち上げた。そこで、総当たり戦を行うグループと従来通りの対戦方式に従うグループとを区別するために、後者を対抗戦グループと呼ぶようになった。(対抗戦グループという競技連盟組織があるわけではなく、あくまで関東ラグビーフットボール協会に加盟の大学チームのなかで、対抗戦方式で試合を行なっているグループを便宜上そのように呼んでいる。)
順位については通常のリーグ戦と同じく勝ち星を争う形式ではあるものの、総当りではなかった[2]。そのため各校の試合数にばらつきがあり、それが対抗戦の特徴ではあったが、常に不公平感がつきまとった。そこで1997年から16チーム1組ではなく、リーグ戦グループと同様の総当たり戦と二部制(Aグループ・Bグループそれぞれ8チーム)を採用して入れ替え戦を実施するようになった。ただしその運営方式の変更以後は新規の加入を凍結して現在に至っている。
所属校
Aグループ(1部相当)
帝京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、筑波大学、明治大学、青山学院大学、立教大学、明治学院大学
Bグループ(2部相当)
成蹊大学、日本体育大学、学習院大学、東京大学、一橋大学、武蔵大学、上智大学、成城大学
※チームの序列は2013年度シーズンの対抗戦順位。
所属チームの紹介
- Aグループ所属チーム(2014年度現在)
- 帝京大学 - 2008年度に大きく躍進し、対抗戦で初優勝。2009年度には大学選手権で初優勝を成し遂げる。2011年度には史上2校目の大学選手権3連覇を達成。2013年度には史上初の大学選手権5連覇を果たした。早慶明筑4校と共に対抗戦5強の一角を担う。近年は伝統校3校を破ることもまれではなくなった。強力FWだけでなくBKも強く、バランスの取れたチームである。ジャージは赤。
- 早稲田大学 - 全国で初の海外遠征を行い「揺さぶり」理論を導入する。「アタックル」に代表される堅く攻撃的なディフェンスと、「接近・展開・連続」理論に基づくラグビーを展開。1990年代後半は低迷も近年積極的なリクルートとアディダス社とのスポンサー契約の締結により設備を強化しチーム力を向上させた。大学選手権は最多の15回優勝。決勝戦進出31回、13年連続決勝戦進出も大会記録である。大学勢では最多の日本選手権優勝4回を誇る。選手権優勝時には部員・OB一体となって勝利の歌「荒ぶる」を謡う。臙脂と黒の横縞、通称「アカクロ」のジャージ。
- 慶應義塾大学 - 選手の進路や大学自体のスマートなイメージに反して「魂のタックル」といわれる泥臭いスタイルがチームカラー。かつてはハイパントからの攻撃を主体にしていたが最近はバックスにタレントを擁するようになり、展開ラグビーも見せる。1899年創部で大学のみならず日本ラグビー界のルーツチームでもある。1985年度日本選手権優勝。その時の監督上田昭夫が復帰し、1999年度、創部100周年に大学選手権優勝。ジャージは黒と黄色の横縞、通称「タイガージャージ」。
- 筑波大学 - 1924年創部。旧東京高等師範学校以来の伝統を持つ。強力スクラムと高速バックスが特徴。大学選手権出場は18回。これは国立大学のラグビー部では最多出場である。2011年度には大学選手権ベスト4に初めて進出した。2012年度には同率ながら対抗戦で初優勝し、大学選手権では準優勝を記録した。ジャージは水色と白。
- 明治大学 - かつては「タテの明治、ヨコの早稲田」「FWの明治、BKの早稲田」の言葉が示すように、早稲田大学とは最高のライバル関係であった。早稲田と並び、人気は全国随一。大学選手権優勝12回・準優勝9回、日本選手権優勝1回。北島忠治監督の長期指導のもと、「前へ」の精神で1970年代後半-1980年代前半・1990年代に黄金期を築いたが、北島監督没後は長期の低迷期にはいった。2008年度には24年ぶりに大学選手権出場を逃した。「前へ」の原点回帰で復活を目指す。ジャージは紫紺と白の横縞、通称「紫紺のジャージ」。
- 青山学院大学 - 1923年創部。立教大を破って2011年度よりAグループに復帰。過去2回大学選手権に出場している。ジャージは黒と黄色。
- 立教大学 - 2013年度の入替戦で日本体育大を破り、Aグループに再昇格。1923年創部で、1928年から始まった関東五大学対抗戦に参加した古豪チーム。ジャージは濃紺。
- 明治学院大学 - 1985年に対抗戦に加盟。2009年~2010年度にBグループ2位の成績で入替戦に出場したが、いずれも敗退。2013年度に再び2位で入替戦出場。成蹊大を破り、初めてAグループ昇格を決めた。
- Bグループ所属チーム(2014年度現在)
- 成蹊大学 - 明治学院大に破れ2014年度よりBグループ再降格。Aグループでの最高成績は2010年度の6位である。ジャージは黒と赤。
- 日本体育大学 - 日本体育会体操練習所からの歴史を持つ古豪チーム。展開ラグビー(ランニングラグビー)を駆使し大学選手権で優勝2回、日本選手権優勝1回の実績を誇る。綿井永寿監督のもと全盛期を築いたが、綿井氏逝去後は低迷。2013年度には入替戦で立教大に敗れ、初めてBグループに降格した。多くのラグビー指導者(大学院・大学・高校・中学校等体育・養護教員)を輩出している。スカイブルーと紺の横縞ジャージ。
- 学習院大学 - 1928年創部。これまでAグループに昇格したことはない。2011年度に入替戦に出場したが、日本体育大に敗退。ジャージは白と紺。
- 東京大学 - 1921年に東京帝国大学ラグビー部として創部。1928年から始まった関東五大学対抗戦に参加した古豪チーム。1997年度から2002年度までAグループに所属していた。Aグループでの最高成績は2000年度の6位である。ジャージは緑と黒の横縞に黄色の細いストライプ、「スイカ」の通称で知られている。
- 一橋大学 - 1922年に東京商科大学ラグビー部として創部。1933年度に法政大と共に関東五大学対抗戦に加入し、関東七大学対抗戦に発展した。これまでAグループに昇格したことはない。ジャージは赤と黒。
- 武蔵大学 - 1958年創部。これまでAグループに所属したことはない。近年Bグループで最下位になる年度が多い。ダークグリーンがチームカラー。
- 上智大学 - 1954年創部。これまで3度入替戦に出場しているが、いずれも青山学院大に敗れ昇格を逃している。ジャージは臙脂に黄色のライン。
- 成城大学 - 1928年創部。これまでBグループで3度優勝しているが、これまでAグループに昇格したことはない。ジャージは緑青と黒。
優勝回数
Aグループ
※1967年に関東大学ラグビー対抗戦と関東大学ラグビーリーグ戦 の2リーグに分かれた後の成績 (括弧の回数は同率優勝)
Bグループ
※2013年度現在
歴代順位表
※判明分のみを記述。ボールド体は選手権出場。対抗戦には本来は優勝も含めて順位は存在しないが、上位大会への出場権決定の都合で便宜的な順列を決める為、一般的にはこれを順位と称する。 なお、1997年の総当たり戦実施までは、対戦校も対戦数もチームによりばらつきがあるため、『前年度上位8位校との対戦が6校以上ある事』が順位がつく条件で、その条件を満たしているチームの中で負け数がより少ない方が上位という決定方法を採っていて、対戦校はシーズン毎に行なう事前のマネージャー会議での調整で決定していた。(1966年以前の順位は資料不足により不明。)
※同年から総当たり戦(リーグ戦)グループ校と分離。但し代表決定戦は未実施で、双方のグループの上位2校が選手権に出場。
- 1968年 早大、日体、明治、慶應
※同年よりリーグ戦グループとの間で代表決定戦(交流戦)が開始
- 1969年 日体、早大、慶應、明治
- 1970年 早大、日体、明治、慶應
- 1971年 早大、明治、日体、慶應
- 1972年 早大、明治、慶應、日体
- 1973年 早大、明治、慶應、青学
- 1974年 早大、慶應、日体、明治
- 1975年 早大、明治、日体、慶應
※早大と明治は同率1位、日体は引き分け抽選の結果
- 1976年 早大、明治、慶應、筑波
- 1977年 明治、慶應、早大、日体
- 1978年 日体、明治、慶應、筑波、早大
※4位の筑波は、茨城県議会議員選挙で部員が買収されていたことが判明し、交流試合出場を辞退。代わって5位の早大が交流戦に出場
- 1979年 明治、早大、日体、筑波
- 1980年 慶應、明治、早大、日体
- 1981年 早大、明治、日体、慶應
- 1982年 早大、慶應、明治、日体
※日体の出場は引き分け抽選の結果
- 1983年 日体、明治、慶應、帝京
- 1984年 慶應、早大、日体、帝京
- 1985年 明治、早大、日体、慶應
- 1986年 明治、早大、筑波、日体
- 1987年 早大、筑波、明治、日体
- 1988年 明治、日体、早大、筑波
- 1989年 日体、早大、慶應、明治
※明治の出場は引き分け抽選の結果
- 1990年 早大、明治、青学、帝京
※早大と明治は同率1位
- 1991年 明治、早大、日体、慶應
- 1992年 明治、早大、日体、筑波
- 1993年 明治、早大、日体、青学、筑波
※大学選手権への出場枠拡大に伴い交流戦が廃止。5位校は他地区との代表決定戦の結果により出場
※11位以下は順位条件(前年上位8位以上との対戦が6以上あること)を満たしていない為順位無し
- 1997年 明治、早大、帝京、筑波、日体、青学、慶應、東大|成城、立教、成蹊、一橋、上智、武蔵、明学、学習
※同年からA・Bに分けて総当たり戦を実施。5位校の他地区との大学選手権代表決定戦は隔年に変更され同年は無条件出場。
- 1998年 明治、慶應、早大、筑波、日体、青学、東大(帝京)|成城、立教、成蹊、一橋、上智、武蔵、明学、学習
※帝京は不祥事に因り入れ替え戦も含めた公式戦出場を辞退。但し協会判断によりBへの降格はなし
- 1999年 慶應、帝京、明治、早大、日体、筑波、青学、東大|立教、成蹊、成城、学習、明学、一橋、上智、武蔵
- 2000年 慶應、明治、早大、帝京、筑波、東大、日体、青学|上智、立教、成城、成蹊、一橋、武蔵、学習、明学
- 2001年 早大、慶應、明治、帝京、日体、筑波、青学、東大|成城、成蹊、上智、一橋、学習、明学、武蔵、立教
- 2002年 早大、慶應、明治、帝京、筑波、日体、青学、東大⇔立教、上智、成蹊、一橋、成城、学習、武蔵、明学
※入れ替え戦の結果、東大と立教が入れ替わり
- 2003年 早大、帝京、筑波、明治、慶應、日体、青学、立教|成蹊、上智、明学、一橋、学習、成城、東大、武蔵
- 2004年 早大、慶應、明治、帝京、筑波、日体、立教、青学|成蹊、学習、東大、一橋、成城、明学、上智、武蔵
- 2005年 早大、帝京、慶應、明治、日体、筑波、立教、青学|成蹊、学習、明学、東大、成城、上智、一橋、武蔵
- 2006年 早大、明治、慶應、帝京、日体、筑波、青学、立教⇔成蹊、学習、武蔵、成城、東大、一橋、明学、上智
※入れ替え戦の結果、立教と成蹊が入れ替わり
- 2007年 早大、明治、慶應、帝京、筑波、日体、成蹊、青学⇔立教、学習、成城、東大、武蔵、明学、一橋、上智
※入れ替え戦の結果、青学と立教が入れ替わり
- 2008年 帝京、早大、日体、慶應、筑波、明治、成蹊、立教|青学、成城、明学、東大、学習、上智、一橋、武蔵
- 2009年 早大、慶應、筑波、帝京、明治、日体、成蹊、立教|青学、明学、成城、一橋、上智、学習、東大、武蔵
- 2010年 早大、慶應、明治、帝京、筑波、成蹊、日体、立教⇔青学、明学、成城、学習、東大、一橋、上智、武蔵
※入れ替え戦の結果、立教と青学が入れ替わり
- 2011年 帝京、早大、明治、筑波、慶應、青学、日体、成蹊⇔立教、学習、明学、東大、一橋、上智、武蔵、成城
※入れ替え戦の結果、成蹊と立教が入れ替わり。早大・明治・筑波は同率2位。一橋・上智・武蔵は同率5位。
- 2012年 筑波、帝京、明治、早大、慶應、日体、青学、立教⇔成蹊、明学、学習、成城、武蔵、東大、一橋、上智
※入れ替え戦の結果、立教と成蹊が入れ替わり。筑波・帝京・明治は同率1位。東大と一橋は同率6位
- 2013年 帝京、早大、慶應、筑波、明治、青学、成蹊、日体⇔立教、明学、学習、東大、一橋、武蔵、上智、成城
※入れ替え戦の結果、成蹊、日体と立教、明学が入れ替わり。慶應・筑波は同率3位。明治・青学は同率5位。上智と成城は同率7位
脚注
- ↑ 対戦拒否の例を以下に紹介する。1997年度から対抗戦がAグループ・Bグループに分けた総当たり戦を実施するまでは、慶應義塾大学は、1978年に加盟した帝京大学を「新興チームであり伝統校ではないので対戦するに値しない」とし、対戦を一貫して拒否し続けていた。
- ↑ 対抗戦で採用している対戦方式を「スイス式トーナメント方式に準じたシステムである」と説明しているものがあるが、『試合数にばらつきがある。』、『対戦相手の決定方法が本来のスイス式トーナメントの主旨とは決定的に異なっている。』などの点で本来のスイス式トーナメント方式とは大きく異なっている。従って、「スイス式トーナメントに準じた方法を採用した」というよりは、「現実に採った方法を既存のいずれかの方式に当てはめるならば、スイス式トーナメントが一番近い形態」という方が実態をより正確に表現している。