秋田豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションDF

来歴

選手時代

愛知高校から愛知学院大学に進学。1993年鹿島アントラーズに入団。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。9つのタイトル獲得に貢献した。

その間日本代表にも選出され、1998年フランス大会2002年日韓共催大会の2回のワールドカップを経験している。特に、1997年に開催されたフランスW杯アジア地区最終予選では、途中からレギュラーとして起用され、得意の空中戦だけでなく、スピードのあるFWも封じ込めた。またセットプレーからヘディングで2得点(対カザフスタン戦、アウェイ・ホームで各1点ずつ)を挙げた。

2003年のリーグ終了後戦力外通告を受け、名古屋グランパスに移籍。移籍1年目の2004年はレギュラーとして活躍。以降は増川隆洋の加入や年齢もあって控えに回ることが多くなった。

2006年シーズン終了後に名古屋から戦力外通告を受け、この年J2に降格した京都サンガF.C.へ移籍。出場機会は多くなかったが、リーグ戦3位で進出したJ1・J2入れ替え戦では既に引退を発表した中で2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場し、クラブのJ1への昇格を経験した。

指導者時代

2007年オフには、JFLFC琉球の総監督に就任した元日本代表監督フィリップ・トルシエから現役復帰のオファーがあったものの、これを固辞。予定通りに現役を引退し、2008年シーズンより京都のトップチームコーチに就任。2009年2月1日には、カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。同年11月30日には、監督職に必要なS級ライセンスを取得。

2010年7月、成績不振により解任された加藤久の後任として、コーチから京都の監督に昇格した。当初は2011年までの1年半契約となっており、チームがJ2に降格しても続投する方針だったが、就任後2勝3分14敗という不振から2011年度の契約更新を撤回され、わずか半年で解任となった。

2012年東京ヴェルディトップチームのコーチに就任[1]。11月、東京Vとの契約を解除し[2]FC町田ゼルビアの監督に就任した[3]2013年シーズンは前半戦で3位につけるも、天皇杯のシード権を逃し、6月25日に解任された[4]

町田監督退任後の2013年8月23日、ジュビロ磐田がコーチ就任のオファーを出したと一部スポーツ紙で報じられたが、その日のうちに磐田側から完全否定された[5][6]

同年11月2日からテレビ東京系『neo sports』にサッカー解説者として不定期で出演している。

引退試合

テンプレート:Footballbox

出場選手
  • 鹿島アントラーズレジェンドスターズ
高桑大二朗名良橋晃秋田豊奥野僚右相馬直樹本田泰人サントス石井正忠増田忠俊黒崎久志マジーニョ曽ヶ端準内藤就行岩政大樹池内友彦金古聖司本山雅志中田浩二熊谷浩二野沢拓也小笠原満男長谷川祥之深井正樹鈴木隆行
  • ジュビロ磐田レジェンドスターズ
大神友明山西尊裕古賀琢磨渡辺一平名波浩福西崇史藤田俊哉三浦文丈川口信男高原直泰中山雅史佐藤洋平鈴木秀人大岩剛田中誠西紀寛倉貫一毅松原良香

所属クラブ

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1993||rowspan=11|鹿島||rowspan=2|2||rowspan=6|J||35||0||5||1||5||2||45||3 |- |1994||38||4||1||0||0||0||39||4 |- |1995||rowspan=9|3||50||0||colspan=2|-||4||0||54||0 |- |1996||16||0||4||0||3||0||23||0 |- |1997||21||3||2||2||5||1||28||6 |- |1998||32||3||1||0||4||0||37||3 |- |1999||rowspan=8|J1||28||2||6||1||2||0||36||3 |- |2000||28||1||7||0||4||1||39||2 |- |2001||29||2||6||1||2||0||37||3 |- |2002||29||4||8||0||5||1||42||5 |- |2003||28||1||5||0||4||1||37||2 |- |2004||rowspan=3|名古屋||rowspan=4|2||26||0||7||0||2||0||35||0 |- |2005||19||1||0||0||2||0||21||1 |- |2006||12||2||3||0||1||0||16||2 |- |2007||京都||J2||14||0||colspan=2|-||0||0||14||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始391||23||55||5||43||6||489||34 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行14||0||colspan="2"|-||0||0||14||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終405||23||55||5||43||6||503||34 |} その他の公式戦

  • 1993年
  • 1996年
  • 1997年
  • 1998年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 1999年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2000年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2001年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2002年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2007年

テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2002-03||鹿島||3||3||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |3||0 |} その他の国際公式戦

獲得タイトル

クラブ

鹿島アントラーズ
  • Jリーグ年間王者 4回 (1996年、1998年、2000年、2001年)
    • Jリーグ1st優勝 2回 (1993年、1997年)
    • Jリーグ2nd優勝 3回 (1998年、2000年、2001年)
  • 天皇杯優勝 2回 (1997年、2000年)
  • リーグカップ優勝 3回 (1997年、2000年、2002年)
  • スーパーカップ優勝 3回 (1997年、1998年、1999年)
  • A3チャンピオンズカップ優勝 1回 (2003年)

個人

  • Jリーグベストイレブン 4回 (1997年、1998年、2000年、2001年)
  • JリーグチャンピオンシップMVP (1998年)
  • AFC All Star Team (1998年)
  • A3チャンピオンズカップMVP (2003年)
  • アントラーズ功労賞 (2009年)

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 44試合 4得点(1995-2003)[7]

テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |1995||2||1 |- |1996||2||0 |- |1997||16||2 |- |1998||10||0 |- |1999||7||0 |- |2000||0||0 |- |2001||0||0 |- |2002||3||0 |- |2003||4||1 |- !通算 |44||4 |}

指導歴

監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2010 J1 京都 17位 9 20 2 3 15 - 3回戦
2012 J2 町田 - - - - - - - 4回戦
2013 JFL 3位 31 17 9 4 4 - -
  • 2010年は第15節より指揮。(第15節は監督代行として)
  • 2012年は天皇杯4回戦の1試合のみ指揮。
  • 2013年は第17節、解任時の成績。

著書

  • センターバック専門講座(2012年、東邦出版、ISBN 978-4809410628)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Jリーグベストイレブン (DF) テンプレート:Jリーグ功労選手賞 テンプレート:京都サンガF.C.及びその前身チーム歴代監督 テンプレート:FC町田ゼルビア歴代監督

テンプレート:Navboxesテンプレート:Footybio-stub
  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「nationalteam」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません