Jリーグチャンピオンシップ
サントリーチャンピオンシップは、1993年から2004年(1ステージ制だった1996年を除く[1])まで毎年行われていたJリーグ ディビジョン1(J1)の年間王者決定戦である。1stステージと2ndステージ(1993年から1995年まではそれぞれサントリーシリーズ、NICOSシリーズと呼称[2])の優勝クラブが出場し、年間優勝のタイトルを争った。サントリーが特別協賛していた。2005年からはJ1が1ステージ制に移行したため行われなくなった[1]。Jリーグの年間順位は、この大会の勝者が優勝、敗者が2位となる[3]。
勝利クラブには、Jリーグチャンピオンとしてゼロックス・スーパーカップ(天皇杯優勝クラブとの対戦)、AFCチャンピオンズリーグ、サンワバンクカップ(1995年まで)、A3チャンピオンズカップ(2002年以降)への出場権も与えられた。
毎年11月下旬から12月上旬に開催されていた(1993年は1994年ワールドカップ・アジア予選との兼ね合いで、1994年1月)[4]。1993年-1995年は両ステージの優勝クラブが同じ場合でも、各ステージの2位同士によるチャンピオンシップ出場決定戦(1試合)の勝者(敗者を3位とする)と対戦[5][6][7]、1・2位とも重複の場合はその2クラブで対戦[8][9]するというルールがあったが、実際には重複優勝がなかったので実施されることはなかった。1997年からは、両ステージの優勝クラブが同一の場合はそのクラブを年間優勝とし、チャンピオンシップは開催しない規定となった[6]。
Jリーグは平日の水曜日開催が必要になる1シーズン4回戦総当りを取りやめ、休日開催のみで対応出来る1シーズン2回戦総当り通年制の導入を決めたことや、年間を通して優れた成績のクラブが必ずしも参加できない事例(後述)などもあり、各スポンサーとの大会開催契約が終わる2004年の大会をもって終了した。
目次
試合の流れ
試合はホーム・アンド・アウェー方式による2試合で、1997年大会を除き第1戦は1stステージ(またはサントリーシリーズ)の、第2戦は2ndステージ(またはNICOSシリーズ)の優勝クラブのホームスタジアムを原則的に使用した[10]。ただし、大会当初の3年間は出場した関東の3クラブいずれもがスタジアムのキャパシティ等の都合から国立霞ヶ丘陸上競技場でホームゲームを開催し、以後も1998年と2000年の2度使用された[10]。
各試合とも基本的にそれぞれのシーズンのJリーグ試合方式に準じる。ただし、2000年大会以降は90分で決着がつかなかい場合、延長戦を行なわず引き分けとした[11]。また、1993年度大会のように第1戦の勝敗内容によっては第2戦の延長戦などを実施せず、引き分け等で試合終了とする場合もある。
順位の決定方法は、1994年までは2試合の勝利数、1995年以降は合計勝ち点による[3]。同勝ち点(勝利数)の場合は2試合の通算得点(1994年までは続いて勝利内容[12])で決定する。それでも決着がつかない場合は、第2戦終了後に15分ハーフのVゴール方式の延長戦(2000年以降[11][13][14])またはPK戦(1999年[15])で優勝を決める。1998年までは第2戦後に決着がつかなければ、Jリーグの定める会場で決定戦を行うことになっていた[16]。また大会初期には、2試合とも延長戦およびPK戦を経て1勝1敗となった場合は(再度PK戦をせず)両者優勝とするものであった[12](ともに、適用されなかった)。
過去の大会のスコアテーブル
- 太字チームが優勝
- スコアの後の括弧は会場
- vはVゴール方式の延長戦による決着
年度 | 1stステージ 優勝クラブ |
合計スコア (決定戦) |
第1レグ スコア |
第2レグ スコア |
2ndステージ 優勝クラブ |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | 鹿島アントラーズ | 1-3 | 0-2 (国立) |
1-1 (国立) |
ヴェルディ川崎 | 第2レグは同点で90分間を終えたが、第1レグとの 合計スコアでヴェルディが勝ち越していたため、 延長戦を行わず、そのままヴェルディの優勝となった |
1994年 | サンフレッチェ広島 | 0-2 | 0-1 (広島ビ) |
0-1 (国立) |
ヴェルディ川崎 | |
1995年 | 横浜マリノス | 2-0 | 1-0 (国立) |
1-0 (国立) |
ヴェルディ川崎 | |
1997年 | 鹿島アントラーズ | 2-4 | 2-3v (磐田) |
0-1 (カシマ) |
ジュビロ磐田 | この年はホームゲームの順番を抽選で決定 |
1998年 | ジュビロ磐田 | 2-4 | 1-2v (国立) |
1-2 (カシマ) |
鹿島アントラーズ | |
1999年 | ジュビロ磐田 | 3-3 PK戦4-2 |
2v-1 (磐田) |
1-2v (日本平) |
清水エスパルス | 2試合の合計得点と勝利内容が同じのため、 PK戦で決着 |
2000年 | 横浜F・マリノス | 0-3 | 0-0 (横浜国) |
0-3 (国立) |
鹿島アントラーズ | |
2001年 | ジュビロ磐田 | 2-2 延長0-1v |
2-2 (静岡ス) |
0-0 (カシマ) |
鹿島アントラーズ | 2試合の合計得点と勝利内容が同じのため、 Vゴール方式の延長戦で決着 |
2002年 | 両ステージともジュビロ磐田の完全優勝により行わず | |||||
2003年 | 両ステージとも横浜F・マリノスの完全優勝により行わず | |||||
2004年 | 横浜F・マリノス | 1-1 延長0-0 PK戦4-2 |
1-0 (横浜国) |
0-1 (埼玉) |
浦和レッズ | 2試合の合計得点と勝利内容が同じのため、 Vゴール方式の延長戦およびPK戦で決着 |
Jリーグチャンピオンと年間勝ち点1位
年間勝ち点1位のクラブでチャンピオンシップを制したのは1993年、1994年のヴェルディ川崎だけである。また、2000年はチャンピオンシップに出場した両クラブよりも年間勝ち点の多いクラブが2クラブあったが、共にチャンピオンシップ出場権を得られなかった(規定により柏レイソルが3位、ジュビロ磐田が4位となる)。
この柏レイソルは、年間最多勝ち点を獲得したクラブでありながら、2004年に大会が廃止されるまで各ステージ優勝がなく、チャンピオンシップに出場できなかった唯一のクラブとなった。
各年度のチャンピオンシップ出場クラブ(Jリーグチャンピオンおよび準優勝)と年間勝ち点1位クラブは以下の表の通りである。
年 | Jリーグチャンピオン | Jリーグ準優勝 | 年間勝ち点1位クラブ |
---|---|---|---|
1993年 | ヴェルディ川崎 | 鹿島アントラーズ | ヴェルディ川崎 |
1994年 | ヴェルディ川崎 | サンフレッチェ広島 | ヴェルディ川崎 |
1995年 | 横浜マリノス | ヴェルディ川崎 | ヴェルディ川崎 |
1997年 | ジュビロ磐田 | 鹿島アントラーズ | 鹿島アントラーズ |
1998年 | 鹿島アントラーズ | ジュビロ磐田 | ジュビロ磐田 |
1999年 | ジュビロ磐田 | 清水エスパルス | 清水エスパルス |
2000年 | 鹿島アントラーズ | 横浜F・マリノス | 柏レイソル |
2001年 | 鹿島アントラーズ | ジュビロ磐田 | ジュビロ磐田 |
2002年 | ジュビロ磐田 | (横浜F・マリノス)※ | ジュビロ磐田 |
2003年 | 横浜F・マリノス | (ジュビロ磐田)※ | 横浜F・マリノス |
2004年 | 横浜F・マリノス | 浦和レッズ | 浦和レッズ |
※2002年、2003年は、両ステージ1位チームが同じ(完全優勝)だったためチャンピオンシップは行わず。
サントリーカップ・96Jリーグチャンピオン・ファイナル
1996年は1シーズン制採用のためチャンピオンシップは開催せず、その代わりの大会としてチャンピオンシップと同じくサントリー協賛により「サントリーカップ・チャンピオン・ファイナル」が開催された。大会にはリーグ戦とナビスコカップの上位2クラブずつが参加し、名古屋グランパスエイトが優勝した。このため、前年までのチャンピオンシップ優勝チームと同様に翌1997年度のサンワバンクカップの出場権が与えられた(ただし、アジアクラブ選手権とゼロックススーパーカップへはリーグ戦優勝である鹿島が出場権を得ている)。
参加クラブ
- リーグ戦1位・鹿島アントラーズ
- リーグ戦2位・名古屋グランパスエイト
- ナビスコカップ1位・清水エスパルス
- ナビスコカップ2位・ヴェルディ川崎
スコアテーブル
対戦 | ホーム | スコア (会場) |
アウェー |
---|---|---|---|
1回戦 | 鹿島アントラーズ | 1-1 PK戦4-2 (カシマ) |
ヴェルディ川崎 |
清水エスパルス | 0-0 PK戦1-3 (日本平) |
名古屋グランパスエイト | |
決勝戦 | 鹿島アントラーズ | 0-1v (国立) |
名古屋グランパスエイト |
チャンピオンシップ復活への動き
当初の復活案(1シーズン+ポストシーズン制)
スポーツニッポン[17]によると、2011年にもJ1リーグ優勝決定戦(チャンピオンシップ)を復活させる計画があると伝えられた。過去の2シーズン制の復活ではなく、ホーム・アンド・アウェーの年間1シーズン制によるリーグ戦を予選とみなし、その予選の上位3チームがステップラダートーナメントを争う方式が検討されており、具体的には1位のチームが決勝戦に自動的に進み、2位と3位で準決勝を行い、その勝者と1位チームとでリーグ優勝を争うというものだった。但し、日程の問題、特に前年度成績上位チームはAFCチャンピオンズリーグ出場、更にJリーグカップ決勝ラウンドに出場するチームもあり、それらは年末の天皇杯全日本サッカー選手権大会と併せて日程が過密化する恐れがあることから、チャンピオンシップトーナメントの開催実現には課題が残るといわれた。
2ステージ+ポストシーズン制併用案
結果的に2011年からの導入は実現に至らなかったが、観客動員やスポンサー収入の減少などから、2013年からもう一度2シーズン制の導入について提案する動き[18]や、2シーズン制で両方のステージに同一クラブが優勝した場合は、その代わりとしてクライマックスシリーズ方式によるプレーオフ導入も検討されている[19]と報じられていた。しかし、埼玉新聞[20]では、浦和レッズの意見として「1シーズン制に問題があるとは思えない。2シーズン制を拙速に決めるのはよくない」「平日の試合が増加することで、集客が大変になる(週2試合が増えてしまう)」といった意見、また浦和のサポーターが「世界基準からかけ離れた2シーズン制に日本サッカーの未来はあるのか?!」といった抗議の横断幕を掲げるなど、2シーズン制復活への疑問や反対意見もあるとされている。
その後、2013年9月のJリーグ・J1・J2合同実行委員会と理事会で、2015年度をめどに「2ステージ制+ポストシーズン」併用によるチャンピオンシップ復活が決議された。[21]
トーナメントの基本形(計画案)はこの通りとなっている。
- (凡例)
- (H)=その試合の主催ホームクラブ(基本的にステージ順位・年間勝ち点合計1位クラブの本拠地で開催)。
- ☆=「スーパーステージ(SS)第2ラウンド」は対戦チーム間の年間勝ち点合計順位上位クラブの本拠地で開催(計画案)。
具体的には、(以下の大会名は仮称)
- 年間2回総当たりを1回ずつに区切り、2004年までと同じく第1ステージ(1回戦)と第2ステージ(2回戦)のそれぞれのステージ1位チームを「ステージ優勝」として表彰する。
- 年間2回総当たり終了時の勝ち点合計第1位チームは、無条件で「Jリーグチャンピオンシップ」(CS 決勝戦相当)の出場権獲得
- 年間勝ち点1位を除く、第1・2ステージの1・2位チーム(最大4チーム)が、CS進出をかけた「Jリーグスーパーステージ(SS)」(準々決勝・準決勝相当)を行い、このSSを勝ち抜いたチームと、年間勝ち点1位チームにより「CS」を争う。
- J2リーグへの降格は、従来の1シーズン制と同じで第1・2ステージの総合勝ち点合計により決定し、下位3クラブが降格する。
- ポストシーズントーナメントの試合方式としては「SS第1ラウンド(準々決勝相当)」で第1ステージ・1位対第2ステージ・2位、第2ステージ・1位対第1ステージ・2位の組み合わせで試合を行い、その勝者が「SS第2ラウンド(準決勝相当)」に進出。「第2ラウンド」の勝者と、年間勝ち点総合計1位のクラブが「CS」に進出するというものである。
- 試合はいずれも対戦クラブ間における年間勝ち点の上位クラブ(「第1ラウンド」についてはそれぞれのステージ1位クラブ)のホームゲーム扱いによる1試合勝負とするという案が有力とされている。[22]
上述のとおり、2000年に柏レイソルが年間勝ち点総合計1位でありながらチャンピオンシップ進出を果たせなかったという不都合を解消するために、年間勝ち点総合計第1位チームをCSに無条件に進出することと、それ以外の中での上位最大4チームによって、もう一つのCS進出チームを決める場をつくる(SS)という点が過去のチャンピオンシップの方式とは大きく異なる。ただし、同じチームが2つのステージとも1・2位に入った場合や、年間勝ち点合計1位と重複した場合の大会の扱い(各ステージ第3位の繰り上げ出場など)、あるいはAFCチャンピオンズリーグ進出の争いなどについてはこの段階では未定となっていた。
2ステージ制+ポストシーズンの併用について、大東和美(Jリーグチェアマン=当時)は、「大会方式を変更することによってJ1をこれまで以上に活性化させて、チャンピオンシップトーナメント(SS、CS)に注目が集まることで、今まで以上に国民的コンテンツとして成長し、多くの方に関心を持っていただき、ファンのすそ野をさらに広げることを目指す」[23]としており、さらにその上で「現在のJリーグでは開幕当初や一時期と比較して、平均入場者の伸びが鈍化しており、一般的関心が下がっているという現実があります。こうした状況を変えて、Jリーグがさらに発展・成長していくための手段の検討と実行が急務となっています。今回のリーグ戦の大会方式変更はファンの声もいただきながら、JリーグやJクラブにかかわる多くの方々が背景を共有したうえで、それぞれの立場を超えて議論した結論です。この決定は決して過去への回帰ではなく、未来への前進です」[23]としている。
ポストシーズンの修正案
ところが、ステージ3位のチームが意図的に負けて、ステージ1位と年間勝ち点1位を重複させる「抜け道」(この場合は年間勝ち点1位のクラブの条件を優先し、そのクラブは無条件でCS進出となり、3位クラブが繰り上げでSS第1ラウンド進出となる。あえて成績が最も有利なチームとはファイナルまで対戦させない(SSでの対戦を回避しよう)とする狙い、あるいは3位チームが繰り上げでのSSに進出する狙い)があったことがわかり[24]、「1シーズン制とポストシーズン」との並列を検討することになった。
そして、2013年11月13日に行ったJリーグの実行委員会で、当初の原案である2ステージ制導入を前提としたポストシーズンの修正案が提示された。
トーナメントの基本形[25]はこの通りである。 テンプレート:Round8 seed
それによると、
- ポストシーズンの出場チームを各ステージ1位と、年間勝ち点合計上位3チームの最大5チームとする。ただし、上記のように意図的に負けてCS進出を狙う不正がないようにするため、いずれかの条件が重複した場合であっても、ステージ2位以下、あるいは年間勝ち点4位以下のチームへの繰り上げ出場は認めない。またステージ1位クラブがJ2の降格条件となる年間総合順位16位以下でシーズンを終了することが確定した場合はポストシーズン進出権利を失う。したがって、条件重複が生じた場合にはその分ポストシーズン出場チームが減ることになる。[26]
- 年間勝ち点合計1位のクラブは前案と同様にCSへ無条件でシードされ、もう1つのCS進出をかけたSSは各ステージ1位とそれ以外の年間勝ち点2・3位のクラブがトーナメント方式で対戦する。[26]
- 主催権(ホームゲーム開催権)はSS第1ラウンド(H)は基本的に両ステージの1位クラブの本拠地、第2ラウンド(☆)はステージ1位同士の対戦であればそのチーム間の年間勝ち点の多いチーム側、年間勝ち点2・3位による対戦となった場合は2位チーム側、どちらか一方がステージ1位で、もう一方が年間勝ち点2・3位のいずれかである場合はステージ1位クラブ側の本拠地でそれぞれ1試合制で行う。[25]
- また、両方のステージで1位、あるいはいずれか一方のステージで1位、なおかつ年間勝ち点2・3位の条件が重複して、結果的に3チームで争われる場合はステージ1位クラブの2チームの間で最も勝ち点の多いチームを第2ラウンドにシードさせる。[25]
- 年間総合順位はCSの結果により優勝クラブを1位、敗者クラブを2位、3位以下についてはSSの成績に関係なく(CS出場クラブを除いた)年間の勝ち点の総合計によって決定し、CS進出クラブと、それ以外の年間勝ち点の最も多いチームが次年度のAFCチャンピオンズリーグ出場資格をえる。[26]このことはすなわち年間勝ち点1・2位はAFCチャンピオンズリーグの出場権が確定することを意味している。
今回の修正によって、上記のステージ3位クラブによる意図的な敗戦を狙ったCS進出狙いが解消されることになる。
その後、チャンピオンシップの試合数を当初の年間勝ち点第1位クラブの本拠地での1試合制から、SS第2ラウンドを勝ち上がったクラブの本拠地での試合を追加したホーム・アンド・アウェーの2試合制にすることに修正が行われた[27]
参考文献
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 http://www.j-league.or.jp/document/jnews/112/vol0112.pdf
- ↑ http://www.j-league.or.jp/j1/champion.html
- ↑ 3.0 3.1 「年度別リーグ戦開催概要」『Jリーグ公式記録集2009』512-513頁。
- ↑ 『Jリーグ公式記録集2009』516-524頁。
- ↑ 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』p67
- ↑ 6.0 6.1 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』p272
- ↑ 「Jリーグ・チャンピオンシップ」読売新聞、1993年7月8日(東京朝刊)
- ↑ 「Jリーグ 前、後期Vでも年度王者になれないかも チャンピオンシップの不思議」読売新聞、1993年7月13日(東京夕刊)
- ↑ 「前期2位は条件付き“挑戦権”/サッカー・Jリーグ」読売新聞、1993年7月15日(東京朝刊)
- ↑ 10.0 10.1 『J.LEAGUE YEARBOOK 2011』p558-566
- ↑ 11.0 11.1 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』p263
- ↑ 12.0 12.1 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』p4
- ↑ 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』p239
- ↑ 『J.LEAGUE YEARBOOK 2005』p303
- ↑ 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』p245
- ↑ 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』p217
- ↑ 2010年3月28日付け掲載記事
- ↑ 2013年6月12日・サンケイスポーツ
- ↑ 同日・日刊スポーツ
- ↑ 2013年6月8日付け掲載記事
- ↑ J1は15年から2ステージ制とチャンピオンシップ復活…準決勝に相当するスーパーステージを創設(ゲキサカ・2013年9月11日 同9月12日閲覧)
- ↑ 全て1試合、順位上位のホーム開催…15年Jポストシーズン制内定(スポーツ報知2013年9月11日 同9月14日閲覧)
- ↑ 23.0 23.1 大会方式変更にあたってのチェアマンのコメント (Jリーグ )(J's GOAL2013年9月17日 同9月18日閲覧)
- ↑ 2ステージ制見直しも 抜け道発覚、1シーズン維持に含み(MSN産経新聞ニュース2013年10月30日 同日閲覧)
- ↑ 25.0 25.1 25.2 難解?J1「2ステージ制」を解説(デイリースポーツ2013年11月13日 同11月14日閲覧)
- ↑ 26.0 26.1 26.2 2ステージ制とポストシーズンを改めて提案 実行委(MSN産経新聞ニュース2013年11月13日 11月14日閲覧)
- ↑ 2015シーズン以降の大会方式について チャンピオンシップ(仮)はホーム&アウェイ方式で実施(J's GOAL2014年2月25日 同3月5日閲覧)