福西崇史
テンプレート:サッカー選手 福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)で、主にボランチを務めた。元日本代表。
現役引退後は、サッカー解説のほかにテレビ・雑誌などでタレント活動も行っている。事務所はサムデイに所属。
目次
来歴
プロ入り以前
小学校4年生の時、地元のサッカースクールでサッカーを始めた[1]。また、中学生の頃までは併行して器械体操に取り組んでおり、ここで養われたバランス感覚[2][3]や跳躍力、柔軟性は後にサッカーに活かされることになった[4]。
1992年、新居浜工業高校へ進学。当時のポジションはフォワード(FW)だった[5]。高校総体に1度出場したものの結果を残せず、世代別代表にも選出されていなかったが[6]、総体県予選で新居浜工高の対戦校の選手を視察しに訪れていたジュビロ磐田の石井知幸スカウトが福西に目を留めたことをきっかけに、プロ入りの機会を掴む[4]。
現役時代
1995年、高校卒業後ジュビロ磐田に入団。FWでの出場機会を得られずにいたところ[7]、ハンス・オフト監督からボランチでのプレーを勧められコンバートを決めた[8]。同ポジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ[9][5]、同年8月には早くもトップデビュー。スピードや運動量を不得手とする福西にとって[10]、ポジショニングや判断の良さで足の遅さを補うドゥンガのプレーは格好の手本となり[10]、以後、主軸選手として、磐田の黄金期を支えた[2]。一方で、プロフェッショナルファウルを厭わない[3]激しいプレーを身上としたため[6]、審判からは警戒されることになった[6]。
2000年に就任したハジェヴスキー監督は、福西をリベロに配し、しばしば守備システムのバランスを崩してしまっていたが、福西自身の守備センスはこのポジションの経験によって磨かれた。
2005年J1第1節横浜FM戦では試合終了間際に決勝点を挙げたが[11]、競り合いの中で福西の右手にボールが当たってからのテンプレート:Refnestゴールだったことから神の手ゴールとして報じられた[12]。
2006年末に翌シーズンに向けての契約交渉に臨んだ際、若手をまとめるリーダーとしての役割を十分には果たせていなかったという評価から減俸提示を受け[13][14]、加えて、黄金期の磐田のサッカーを理想とし「リアクションではないサッカーがしたい」福西と[15]、アジウソン監督との戦術面での相違[14]が重なったことから磐田退団を決意。名古屋、鹿島、千葉、FC東京からオファーを受け争奪となった[13]。
2007年、FC東京へ完全移籍[16][17]。同年の選手編成発表[18]以後の移籍だったため背番号に空きが無く[9]、馴染みの無い37番を付けることになった。自身にとって初めての移籍であり、フィットするまでには多少の時間を要したが、結果としてオフ・ザ・ボールの動きの量を高めることになり、プレーの幅を広げた[19]。FC東京ではMF梶山陽平との併用もあって[20]ボランチだけでなくトップ下でも力を発揮[21]。技術や経験、精神面での貢献は評価されていたものの、高年俸がネックとなり[21]、1シーズン限りで退団した。
首都圏でのプレーを希望し[22]、2008年より東京ヴェルディへ完全移籍[23][24]。ここでも主力として起用されたが、クラブの経営悪化の煽りを受け[25]1年での契約非更新が発表された。その後行われたJ1第34節川崎戦では、前半中に退場処分テンプレート:Refnestを受け[26][27]これが東京Vでのラストプレーとなり、クラブはJ2降格を喫した[5]。
現役続行に意欲を持ち[28]、地元愛媛県のJ2・愛媛FCからオファーを受けたものの、条件面での不一致や[28]J1へのこだわりから[5]合意には至らなかった。
日本代表
2002年、日韓ワールドカップのメンバーに選出され、第2戦のロシア戦に出場[29]。短時間の出場ながら[29]、愛媛県出身者としては初のワールドカップ出場であり、大会終了後には同県から「文化・スポーツ賞」を贈られた[30]。
ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の負傷離脱をきっかけに激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り[31]、危機察知力と競り合いの強さを発揮[4]。中盤のバランサーとして[32]重用された。ボランチの一角には中田英寿が定着したが、果敢にボールを奪いに行くことを要求する中田と、中盤のスペース管理を優先する福西との間で[10]ぶつかる場面もあった[33]。
2006年、2度目となるドイツワールドカップでは2試合に先発出場した[34]。ジーコの後任を担ったイビチャ・オシムはこの時の日本代表について、中盤での守備を担う選手が不足しているとして「水を運ぶ選手も必要だ。福西1人で水が運べるのか」と評している[35]。
現役引退後
2009年1月に現役引退を表明[14]。ドイツワールドカップ日本代表では中田英寿に次いで2人目の引退となった。
5月、JFAアンバサダーに就任[36]。同年末には、公式戦500試合出場を達成した選手として[37]Jリーグから功労選手賞として表彰された。
2009年はスカパーなどに解説者として出演し、NHKのJリーグタイムにもゲスト解説者扱いでたびたび出演した。2010年元日のNHKの天皇杯中継に出演し、2010年より木村和司の後任としてNHKの解説者として活動することが発表された。2012年ロンドンオリンピックではジャパンコンソーシアムの解説者として男女サッカーを担当。
2014年3月にオーストラリアで行われたAFCアジアカップ2015の組み合わせ抽選会にドロワーとして参加した。
エピソード
テンプレート:雑多な内容の箇条書き テンプレート:スポーツ選手の出典明記
- 新人時代のセレッソ大阪の大久保嘉人と鈴木秀人が試合中に口論となった際に、大久保を羽交い絞めにし、鈴木の頭突きを援護した。しかし福西本人には何の警告もなかった。
- 2001年のチャンピオンシップ対鹿島アントラーズ戦では、ペナルティエリア内で鈴木隆行の首を掴んで投げ倒した形になっていたが、主審の岡田正義は鈴木のハンドを取り2枚目の警告で退場させ、福西本人には何の警告もなかった。
- 息子が2人。家族をとても大切にしており、本人も「趣味は家族サービス」と公言している[38]。
- 2004年以降代表での活躍が著しく、端正な顔立ちから女性ファンからの黄色い声援が絶えなかったが、福西は「自分が既婚者で、子供もいることが知られていないのでは?」と語ったことがあった。
- 磐田時代の同僚である奥大介と仲がよく、2人とも磐田から移籍した後の2007年6月にも週刊サッカーマガジン誌上で一緒にインタビュー取材を受け、様々なエピソードを語った。
- 視力が悪くコンタクトレンズを使用している。その為、試合中にコンタクトが外れピッチの外へ出てコンタクトをはめ直す場面も見受けられた。
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1995||rowspan=12|磐田||rowspan=2|-||rowspan=4|J||10||1||colspan="2"|-||0||0||10||1 |- |1996||27||2||10||0||1||1||38||3 |- |1997||rowspan=10|23||21||4||6||1||3||1||30||6 |- |1998||22||2||5||1||3||0||30||3 |- |1999||rowspan=10|J1||27||10||3||1||0||0||30||11 |- |2000||27||5||4||0||3||0||34||5 |- |2001||29||4||7||0||2||0||38||4 |- |2002||28||5||1||0||3||0||32||5 |- |2003||26||5||8||0||0||0||34||5 |- |2004||26||6||0||0||5||0||31||6 |- |2005||23||2||1||0||2||1||26||3 |- |2006||26||7||1||0||3||1||30||8 |- |2007||FC東京||37||28||6||6||1||0||0||34||7 |- |2008||東京V||23||29||3||5||0||1||0||35||3 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始349||62||57||4||26||4||432||70 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終349||62||57||4||26||4||432||70 |} その他の公式戦
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1999年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2000年
- スーパーカップ 1試合1得点
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2003年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2004年
- スーパーカップ 1試合1得点
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2004||rowspan=2|磐田||rowspan=2|23||4||1 |- |2005||2||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |6||1 |}
- その他の国際公式戦
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
- 出場歴
- 1995年8月16日:Jリーグ初出場 - NICOS第2節 vs鹿島アントラーズ (ヤマハ)[38]
- 1995年[[9月6日|9月テンプレート:06日]]:Jリーグ初得点 - NICOS第7節 vs柏レイソル (柏)[38]
- 1999年[[9月4日|9月テンプレート:04日]]:Jリーグ100試合出場 - J1 2nd第6節 vs浦和レッドダイヤモンズ (国立)[17]
- 2003年5月17日:Jリーグ200試合出場 - J1 1st第9節 vsセレッソ大阪 (長居)[17]
- 2007年4月28日:Jリーグ300試合出場 - J1第8節 vsヴィッセル神戸 (ホームズ)
代表歴
- 1999年6月29日:国際Aマッチ初出場 - コパ・アメリカ一次リーグ第1戦 vsペルー代表 (ディフェンソーレス・デル・チャコ)[39]
- 2004年[[6月9日|6月テンプレート:09日]]:国際Aマッチ初得点 - FIFAワールドカップアジア1次予選第3戦 vsインド代表 (埼玉)[39]
出場大会など
- 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会
- 2002年 FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
- 2003年 東アジア選手権 日本大会
- 2004年 AFCアジアカップ 中国大会
- 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
- 2005年 東アジア選手権 韓国大会
- 2006年 FIFAワールドカップ ドイツ大会
試合数
テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |1999||3||0 |- |2000||0||0 |- |2001||2||0 |- |2002||10||0 |- |2003||6||0 |- |2004||18||5 |- |2005||14||1 |- |2006||11||1 |- !通算 |64||7 |}
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要[39] |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2004年6月テンプレート:09日 | 日本、さいたま市 | テンプレート:INDf | ○ 7-0 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
2. | 2004年7月テンプレート:09日 | 日本、広島市 | テンプレート:SVKf | ○ 3-1 | キリンカップサッカー2004 |
3. | 2004年7月24日 | 中国、重慶市 | テンプレート:THAf | ○ 4-1 | AFCアジアカップ2004 |
4. | 2004年8月テンプレート:07日 | 中国、北京市 | テンプレート:CHNf | ○ 3-1 | |
5. | 2004年9月テンプレート:08日 | インド、コルカタ | テンプレート:INDf | ○ 4-0 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
6. | 2005年3月25日 | イラン、テヘラン | テンプレート:IRNf | ● 1-2 | |
7. | 2006年2月22日 | 日本、横浜市 | テンプレート:INDf | ○ 4-0 | AFCアジアカップ2007 (予選) |
個人タイトル
- その他
- 愛媛県 文化・スポーツ賞 (2002年[30])
- クラリーノ美脚大賞 (2010年[40])
出演番組
- Jリーグ中継 (Jリーグ中継、NHK BS1、J SPORTSの全国中継を中心に、随時古巣・磐田のある静岡県各局でも出演)
- プレミアリーグ(NHK BS1、J SPORTS)
- UEFAチャンピオンズリーグ(スカパー!、J SPORTS)
- Foot! (J SPORTS)
- ACミラン・チャンネル (TwellV)
出版
書籍
関連書籍
DVD
- 福西崇史DVDバイオグラフィー (2006年5月26日)
- 23ボランチ (2010年10月24日)
- 福西崇史のサッカー上達法「PROGRESS METHOD」
脚注
- 注釈
- 出典
関連項目
外部リンク
- 公式プロフィール - サムデイ
- 福西崇史の「考えるサッカー」公式ブログ
- 連載 福西崇史 ビルドアップ - 朝日新聞デジタル
- 連載 福西崇史 親子で一緒に学べる!! プチトレ - サカママ
- 有名人スポーツワンポイント講座 - JS日本の学校 (2010年1月)
- 福西崇史が語る「ジュビロ黄金期の真実」 (1/3) , (2/3) , (3/3) - スポルティーバ (2013年10月13日)
- テンプレート:FIFA playerテンプレート:En icon
- テンプレート:Nfteamsテンプレート:En icon
- テンプレート:Wayback - ジュビロ磐田
- テンプレート:Wayback - FC東京
- テンプレート:Wayback - 東京ヴェルディ
テンプレート:サムデイ (芸能事務所) テンプレート:Jリーグベストイレブン (MF) テンプレート:Jリーグ功労選手賞 テンプレート:Navboxes
テンプレート:Footybio-stub- ↑ 【スペシャルインタビュー Vol.13】ジュビロ磐田:福西崇史選手 J's GOAL (2005年9月11日)
- ↑ 2.0 2.1 スポーツリアルトーク ニッポン放送 (2009年5月1日)
- ↑ 3.0 3.1 名ボランチ福西崇史氏が熱い思い語った! 日刊スポーツ (2009年2月1日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 サッカー日本代表の源流 地域選抜組 同年代、切磋琢磨し上へ 朝日新聞デジタル (2005年09月05日)
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 福西現役引退「密度の濃い14年間だった」 日刊スポーツ (2009年1月31日)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 サッカーファミリー 第20回:松﨑康弘審判委員長対談 リスペクトし合うために必要なこと 福西崇史氏を迎えて 日本サッカー協会 (2009年6月22日)
- ↑ GESカップ 福西崇史サッカークリニック 和歌山サッカー協会
- ↑ 元日本代表MF福西が語る引退の理由 磐田、移籍、代表、自身のキャリアを振り返る 1/2 スポーツナビ (2009年6月2日)
- ↑ 9.0 9.1 東京の福西誕生 今野と日本最強Wボランチ 東京中日スポーツ (2007年1月23日)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 二宮清純「フットボールの時間」:第53回 6億円のゴール SPORTS COMMUNICATIONS (2007年10月20日)
- ↑ 公式記録 2005Jリーグ ディビジョン1 第1節第1日 Jリーグ (2005年3月5日)
- ↑ 元祖はもちろんマラドーナ…福西、メッシも スポーツニッポン (2009年11月20日)
- ↑ 13.0 13.1 FC東京オファー 福西 週明けにも発表 東京中日スポーツ (2007年1月21日)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 元日本代表・福西、現役引退へ ジュビロ磐田の黄金期支える 47NEWS (2009年1月26日)
- ↑ 福西『ジュビロに勝つ』古巣でお別れ会見 東京中日スポーツ 2007.01.24
- ↑ テンプレート:Wayback ジュビロ磐田 (2007年1月22日)
- ↑ 17.0 17.1 17.2 テンプレート:Wayback FC東京 2007.01.22
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2007年1月14日)
- ↑ 元日本代表MF福西が語る引退の理由 磐田、移籍、代表、自身のキャリアを振り返る 2/2 スポーツナビ (2009年6月2日)
- ↑ 梶山 練習試合で猛アピール 東京中日スポーツ 2007.06.08
- ↑ 21.0 21.1 東京大刷新 土肥&福西戦力外 原監督が退任 新監督に城福氏 東京中日スポーツ (2007年11月19日)
- ↑ 東京Vが福西と土肥の獲得を発表 日刊スポーツ (2007年12月31日)
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2007年12月30日)
- ↑ 福西崇史選手 加入のお知らせ 東京ヴェルディ (2007年12月30日)
- ↑ 人件費削減…東京V 福西、服部ら11人解雇 スポーツニッポン (2008年12月1日)
- ↑ 公式記録 2008Jリーグ ディビジョン1 第34節第1日 Jリーグ (2008年12月6日)
- ↑ J1第34節 退場に伴う 福西 崇史選手(東京V)の出場停止処分について Jリーグ (2008年12月9日)
- ↑ 28.0 28.1 福西が引退決意、今後はタレント活動も スポーツニッポン (2009年1月26日)
- ↑ 29.0 29.1 福西02年5分間「ドイツは全部出たい」 日刊スポーツ (2006年5月16日)
- ↑ 30.0 30.1 愛媛県が福西選手表彰 47NEWS (2002年6月20日)
- ↑ 稲本レギュラー再奪取へ万全 日刊スポーツ (2006年5月18日)
- ↑ 福西はベテランらしく冷静 日刊スポーツ (2006年5月27日)
- ↑ アブダビの夜 W杯へ激論 朝日新聞デジタル (2006年11月7日)
- ↑ 34.0 34.1 引用エラー: 無効な
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タグです。 「daihyo
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 千葉オシム監督、守備的選手不足を指摘 日刊スポーツ (2006年6月6日)
- ↑ テンプレート:PDFlink 日本サッカー協会 (2009年5月14日)
- ↑ 功労選手賞について Jリーグ (2009年9月15日)
- ↑ 38.0 38.1 38.2 38.3 38.4 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「maga
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 39.0 39.1 39.2 試合情報|日本代表|プロフィール 日本サッカー協会 (2006年6月22日)
- ↑ 第8回<クラリーノ>美脚大賞授賞式を開催 クラレ (2010年10月4日)