諸口あきら

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諸口 あきら(もろぐち あきら、旧芸名:茂呂弘人、本名および旧芸名:諸口 旭(読みは同じ) 、1944年5月21日 - )は、タレントラジオパーソナリティカントリーシンガー、俳優評論家書家で、現在京都市在住。福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出身。多摩美術大学油絵学科卒業

来歴・人物

1960年代は「茂呂弘人」や本名の「諸口旭」名義で俳優活動をしていた。

1970年代、カントリーシンガーとして一世を風靡。また、一時左京区北白川にカントリーのライブハウス『もろぐち邸』を開いていた。

この頃には関西を中心に芸能活動を行い、KBS京都ラジオの『日本列島ズバリリクエスト』や毎日放送ラジオの『MBSヤングタウン』ほか、在阪局のラジオ番組にも数多く出演。またNHKテレビ『世界史漫遊』、テレビ東京の『独占!おとなの時間』などの番組に出演し、映画『沖縄やくざ戦争』(1976年東映中島貞夫監督、千葉真一主演)ではナレーションを担当した。また、この頃、エッセイ集『旅人のうた』を発表、京都周辺の深夜放送ファンを中心に売れ行き好調で、京都新聞で地元のベストセラー本として書評される。

1980年代前半に一時期芸能界を離れる。1982年2月に発生した、東京・赤坂のホテルニュージャパンの火災で知己を亡くしたため、しばらく海外生活を送る。

その後、ふたたび関西のラジオ番組に出演。

毎日放送ラジオごきげんさん!3時です』、『三菱ダイヤモンドハイウェイ』を担当ののち、1984年からは同局で報道ワイド番組『諸口あきらのイブニングレーダー』のパーソナリティーを担当。

月曜から金曜までの毎日、歯に衣着せぬ名評論で聴取者の人気を集め、関西地方の高聴取率ラジオ番組ベスト5にまでのぼりつめる。

1994年には番組の10周年を記念し『ラジオ屋稼業』という本を執筆した。

夕方のワイド番組終了後は、MBSラジオ『MBS夜な夜な倶楽部(月曜) 週刊諸口あきら』(2004年3月まで『月曜S-2005年3月28日深夜で終了)、『もろから談々!』パーソナリティーをはじめ、書家としても年数回各地で個展『諸口あきらの墨の世界』を開催。

カントリーシンガーとしての公演など多方面で活躍。

高石ともや坂庭省悟城田じゅんじなどブルーグラス系のミュージシャンや、唐渡吉則らと親交が深い。

特に高石ともや主催の京都宵々山コンサート(祇園祭の宵々山の日に行うのでこの名がついている)に出演するのが歌手・諸口あきらの恒例行事の一つ。

南海ホークス以来の熱狂的なホークスファンとして知られている。

1988年10月15日大阪球場での南海ホークス最終戦では同じく古くからのファンである花紀京と涙ながらに観戦している姿がテレビで放映された。

また、南海ホークスの元エースで監督を務めた杉浦忠と親交が深く、氏の死去に際して『イブニングレーダー』でそのニュースを伝えようとしてしながら、感極まって涙に咽いだ。

エピソード

  • 九州出身なのになぜか江戸べらんめえ口調がトレードマーク。「もう大丈夫です。何の心配もありませんぞ」などの名言を残している。

代表曲

東芝EMI

  • リターン・トゥー・パラダイス(1973年11月25日レコードデビュー)
  • 悲しみのディスク・ジョッキー
  • キーストン・ブルース

主な出演作品

ラジオ

テレビ

  • 諸口あきら 名義
    • バラエティ 世界史漫遊(1975年、NHK) 司会

映画

  • 茂呂弘人 名義
    • バラケツ勝負(1965年、東映) - 西田刑事
    • 主水之介三番勝負(1965年、東映) - 原口
    • 任侠木曽鴉(1965年、東映) - 竹川大助
    • 天保遊侠伝 代官所破り(1965年、東映) - 孫次郎
  • 諸口旭 名義
    • ゴー!ゴー!若大将(1967年、東宝) - 足立
    • 関東女やくざ(1968年、大映) - 参一
    • 座頭市喧嘩太鼓(1968年、大映) - 正太
    • 尼くずれ(1968年、大映) - 政吉
    • 関東おんなド根性(1969年、大映) - 藤村武士
    • 性犯罪法入門(1969年、大映) - 野村
    • 殺し屋をバラせ(1969年、大映) - 四郎
    • 手錠無用(1969年、大映) - 田代信二
    • 片足のエース(1971年、大映) - アナウンサー

関連人物

外部リンク