関西新聞
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関西新聞(かんさいしんぶん)は大阪府に向けて発行していた地方夕刊新聞である。
1990年代初頭に許永中に乗っ取られ、その後発覚したイトマン事件に巻き込まれる形での経営悪化により1991年4月に休刊し、事実上の廃刊に追い込まれた。廃刊号では1頁に「住友(銀行)・イトマン問題 巨大金融のどす黒いワナ」「問題終結後再登場を期す!!」と書かれた大見出しでほぼ1頁全面を使って休刊にいたった経緯を載せているが、「再登場」のメドが立たずに破産となった。
当時の発行部数においても、地元紙の大阪新聞(親会社の産経新聞夕刊に紙面統合)、大阪日日新聞(朝刊移行)、新大阪(休刊)や東京系の夕刊フジ、日刊ゲンダイ、大阪スポーツ(東京スポーツ)との熾烈な販売競争に巻き込まれ、劣勢に立たされていた。他紙が風俗情報を売り物にする中で、経済情報中心の割合硬派な紙面構成であった。
大阪市中央区にある広告代理店・株式会社関西企画は、関西新聞の完全子会社だったが、1982年に経営分離されている。
なお、大阪市東成区でタウン紙(月刊)「関西新聞」を発行する株式会社関西新聞社、および毎日新聞大阪本社→新関西新聞社→スポーツニッポン新聞社が京阪神向けに発行していた「スポニチ夕刊・新関西」とは無関係である。
参考写真
- 関西新聞廃刊号の1面(左は1979年10月に廃刊したスポニチ夕刊・新関西の廃刊号)