大阪毎日新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 新聞大阪毎日新聞(おおさかまいにちしんぶん)は、日本の日刊新聞である『毎日新聞』の西日本地区での旧題。通称「大毎」(だいまい)。

ファイル:Osaka-Mainichi-building-entrance.jpg
堂島アバンザに保存されている旧大阪毎日新聞社本社の玄関部分

本項では同紙の後身である毎日新聞大阪本社(まいにちしんぶんおおさかほんしゃ)についても記述する。

歴史

1876年2月20日に前身紙である『大阪日報』が創刊。1882年2月1日、『大阪日報』が言論弾圧に遭い休刊を余儀なくされたため、その代替紙として『日本立憲政党新聞』を創刊[1]1885年9月1日、『日本立憲政党新聞』は『大阪日報』と題を戻すが、1888年11月20日兼松房治郎が買収し、『大阪毎日新聞』に改題。

以降穏和な論調に転じ、1897年に社長に就任した本山彦一原敬の指導の下、紙面の平易化、家庭面、海外通信の充実が図られ、部数を伸ばす。そして、日露戦争時には戦況報道、講和交渉の報道で他紙をリードするが、この頃から『大阪朝日新聞』(現・朝日新聞)との拡販競争や論戦が激化する。1906年、東京の『電報新聞』を買収の上、『毎日電報』に改題して念願の東京進出を果たし、1911年には歴史と伝統をもつ『東京日日新聞』の日報社を合併。『東京日日新聞』を承継して『毎日電報』をこれに合流させ、東京の拠点を強化。これで漸く朝日と肩を並べることとなる。1915年、『大阪朝日新聞』と協定の上夕刊の発行を開始。1922年、九州地区で附録『西部毎日』(現・西部本社の源流)を創刊。1924年、東海地区で附録『中京毎日』(現・中部本社の源流)を創刊。そして、1935年11月25日、『大阪朝日新聞』と共に門司と名古屋で新聞の発行を開始。朝日と競争する形で全国紙への道を歩んだ。

大毎小学生新聞』『点字毎日』『英文毎日』といった僚紙や『サンデー毎日』『エコノミスト』など諸雑誌の発行、選抜中等学校野球全国中等学校蹴球選手権大会等のイベント、ニュース映画の製作上映やセミプロ野球チーム「大阪毎日野球団」(大毎野球団。後の大毎オリオンズとは関係ない)の結成等の各種事業も幅広く行い、朝日と並ぶ全国二大新聞に成長した。

1943年1月1日、姉妹紙『東京日日新聞』と共に『毎日新聞』に改題して(編集の中枢機能は東京に移る)、現在に至る。

長らく、毎日新聞の登記上の本部(本店)は大阪に置かれ続けていたが、1977年の経営悪化の際、「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、大阪の本部は「株式会社毎日新聞社」(旧社。後に「株式会社毎日」に社名変更)と改めた上で、負債の整理・清算に専念。新聞・雑誌・書籍といった出版物の発行部門は東京都千代田区に新たに設立した「毎日新聞株式会社」(新社。後に「株式会社毎日新聞社」に社名変更)に移動し、事実上本部を東京に移した。この際従業員・社屋・印刷施設などは旧社から新社へ賃借するという形を取って運営し続けたが、1985年に会社の負債が解消したことを受けて、形式上は旧社が新社を吸収合併する形を取って再統合されている。

題字と地紋など

  • 『日本立憲政党新聞』、『大阪日報』、『大阪毎日新聞』とも創刊以来幾たびとも題字と地紋に変更があった。
    『日本立憲政党新聞』は右横書きの筆文字。『大阪日報』は時期により縦書き筆文字と右横書き明朝体活字とがあった。
    『大阪毎日新聞』の題字は隷書体の縦書き文字となる。のち、「大阪」のみ右横書きに変更され、1889年7月11日より横線に梅花を配した地紋が入る。
  • 『毎日新聞』に改題して以降は毎日新聞の項を参照のこと。
  • 社旗は「大」の字を星形にかたどり、その中央に「毎」の字を丸で囲んだものを配したマークを中心に、赤の二本帯線を背後に引いた意匠であった。二本帯線は雲を表し、星は文化の明星を表すとされた。この大毎マークは1897年3月31日に制定されたもの。社旗と社章は1943年1月1日に大阪毎日新聞社から毎日新聞社へ社名を変更した以降も1991年11月4日までそのまま使用された。
  • 社章は上記大毎マークの他、アルファベットの「O」と「M」を組み合わせた意匠も併用していた。

社屋

1922年大正11年)に波江悌夫の設計で本社社屋を新築。現在、この旧本社社屋の玄関部分が堂島アバンザ前に保存されている。

毎日新聞大阪本社

拠点

近畿北陸中国四国と管轄地域としている。

三重県中部本社山口県西部本社の管轄となっている。ただし、三重県伊賀市名張市熊野市南牟婁郡御浜町紀宝町は大阪本社の管轄となっている一方、島根県石見地方は西部本社の管轄である。

毎日新聞では北陸地方(福井、石川、富山の3県)は大阪本社の管轄であるが、他紙では朝日新聞が富山県のみが一時東京本社の管轄となっていた。読売新聞は福井県のみ大阪本社の管轄とし、あとは東京本社傘下の北陸支社が富山県高岡市の社屋で独自に編集発行を行っている[2]。富山・石川の2県は読売新聞と北陸中日新聞北國新聞富山新聞の3グループがしのぎを削っている。

なお、島根県石見地方では2009年までに朝日、読売の発行本社が大阪本社に統一されたが、毎日新聞は2010年現在も出雲地方隠岐島など東部は大阪本社、石見地方は西部本社の管轄になっている。

夕刊発行(セット版)地域

  • 夕刊は近畿地方2府4県(山間部など一部除く)のみにて発行しており、中四国・北陸地方は朝刊単独(統合版)である。

番組表収録放送局

(以下は大阪府兵庫県京都府奈良県で発行されるもので、左記以外は収録局が異なる)

テレビ
ラジオ(中面) 

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:毎日新聞社
  1. 毎日新聞社の大阪本社・中部本社・西部本社で発行している『毎日新聞』は、『日本立憲政党新聞』より号数を継承している。
  2. 朝日の場合は輸送事情により1989年9月から2011年3月まで東京本社版が発行されていたが、金沢市中日新聞社の工場で石川・富山版の現地印刷開始に伴い約22年ぶりに大阪管轄に戻した。また読売の場合は同社社主であった正力松太郎が高岡出身であったことによるもの。