サンデー毎日
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テンプレート:基礎情報 雑誌 サンデー毎日(サンデーまいにち)は、毎日新聞社発行の週刊誌。1922年(大正11年)に週刊朝日と並んで最も早く創刊され、日本の週刊誌の老舗となっている。
概要
大正11年(1922年)4月2日に大阪毎日新聞(現・毎日新聞大阪本社)の新社屋(大阪市北区堂島)の落成記念の一環として、本山彦一によって『点字毎日』『英文毎日』などと共に創刊された[1]。創刊号はタブロイド判、グラビア4ページ、本文24ページで定価10銭。
1926年(大正15年)から「大衆文芸賞」を募集。第1回は角田喜久雄が一等入選、以後海音寺潮五郎、山手樹一郎、井上靖、村上元三、山岡荘八、源氏鶏太、杉本苑子などを輩出した。1959年(昭和34年)まで続き、1960年からは「サンデー毎日小説賞」となる。
太平洋戦争中の1943年2月からは敵性語(英語)の使用が規制されていたため、一時期『週刊毎日』として発行していた[1]。1946年1月号から『サンデー毎日』に戻る。
そのほか、毎日新聞が主催する選抜高等学校野球大会、都市対抗野球大会、全日本実業団駅伝が開催される時期に併せて、それらの見どころを掲載した増刊が出される。
注目を浴びた記事
- 1980年、当時邪教呼ばわりされていたイエスの方舟の開祖千石イエスとの単独インタビュー記事を掲載[1]。これをきっかけに同教を擁護する記事を書き同時に邪教呼ばわりされる元となったいわゆる「シオンの娘たち」が強制的に逃避行させられているのがでっちあげであることを証明させている。
- 1989年6月6日内閣総理大臣宇野宗佑の女性スキャンダルをスクープ。神楽坂の芸妓である中西ミツ子の告発を掲載した。神楽坂の芸妓の中でも凄い美貌の持ち主だった中西ミツ子に、宇野が「もし自分の愛人になってくれたらこれだけ出す」と言って自分の指を三本出した(30万という意味)。中西は、このような人物が日本の総理大臣であってはいけないと考え、マスコミにこの事実をリークしたという(中西本人がTV出演した際に語っている)。このスクープは同年7月の第15回参議院議員通常選挙において、争点となったいわゆる3セット(リクルート問題、消費税問題、宇野首相の女性問題)のひとつとなり、自民党は改選議席の69議席を大幅に下回る36議席と惨敗した。これ以降2008年8月現在まで自民党は参院選後の単独過半数を確保できていない。これによって宇野首相を退陣に追い込んだ。なお中西はその後、芸妓を辞めて尼僧となる。そして東京新聞2003年4月30日掲載の記事によると、再婚して苗字は変わっているという。
- 学歴・大学受験ネタを非常に多く取り扱い、特に冬から春先の偏差値ランキング表や、5月頃に、主要高校(都道府県単位)の主要大学(難関校・中堅大学・医療/福祉系)の合格者人数を一覧表形式で網羅したものを掲載するのが定番記事の一角を占める。出身高校一覧については大学通信社との共同調査による。
批判
過去同誌に連載された主な作品
- 『三等重役』(源氏鶏太)
- 『白い巨塔』『続白い巨塔』『不毛地帯』(山崎豊子)
- 『レディ・ジョーカー』(高村薫)
- 『いじわるばあさん』(長谷川町子)
- 『もの憂げな夜』(手塚治虫)
- 『国盗り物語』(司馬遼太郎)
- 『無影燈』(渡辺淳一)