与謝郡
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与謝郡(よさぐん)は、京都府の郡。丹後国に含まれる。地元では「よさぐん」ではなく「よざぐん」と発音されることが多い。2011年3月11日に開通した鳥取豊岡宮津自動車道与謝天橋立ICは、地元の読み方を尊重して「よざあまのはしだて」と命名されている。また与謝野町内の地名「与謝」は行政上も「よざ」と読まれる。テンプレート:郡データ換算
以下の2町を含む。
歴史
古代
地名としてのよさは雄略天皇22年に「餘社郡」で初見される。入江の見られる郡域において、湾での「よせあみ」(寄網)漁法が「よさみ」、そして「よさ」へ転訛したものである[1]。
7世紀に丹波国の与射評として設置された[2]。701年に評が郡になり、713年に丹後国が設置されるとこれに属した。
郷
- 宮津郷
- 日置郷
- 拝師郷
- 物部郷
- 山田郷
- 謁叡郷
- 神戸郷
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。 テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:丹後国与謝郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer
近現代
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、与謝郡に宮津町・加悦町と22の村が成立する。(2町22村)
- 1894年(明治27年)10月12日 - 市場村から岩屋村が分立。(2町23村)
- 1899年(明治32年)7月28日 - 野間村の一部が竹野郡八木村に編入。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 雲原村が天田郡へ移行。(2町22村)
- 1921年(大正10年)4月1日 - 岩滝村が町制施行し岩滝町となる。(3町21村)
- 1924年(大正13年)9月1日 - 城東村が宮津町に編入。(3町20村)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 野間村が竹野郡へ移行。(3町19村)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 上宮津村が宮津町に編入。(3町18村)
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 宮津町・栗田村・吉津村・府中村・日置村・世屋村・養老村・日ヶ谷村が合併し、宮津市が発足、郡より離脱。(2町11村)
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 伊根村・本庄村・筒川村・朝妻村が合併し、伊根町が発足。(3町7村)
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 加悦町・桑飼村・与謝村が合併し、加悦町が発足。(3町5村)
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 三河内村・岩屋村・市場村・山田村・石川村が合併し、野田川町が発足。(4町)
- 2006年(平成18年)3月1日 - 加悦町・岩滝町・野田川町が合併し、与謝野町が発足。(2町)
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |||
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宮津町 | 宮津町 | 宮津町 | 昭和29年6月1日 宮津市 |
宮津市 | 宮津市 | 宮津市 | |||
城東村 | 大正13年9月1日 宮津町に編入 | ||||||||
上宮津村 | 上宮津村 | 昭和26年4月1日 宮津町に編入 | |||||||
栗田村 | 栗田村 | 栗田村 | |||||||
吉津村 | 吉津村 | 吉津村 | |||||||
府中村 | 府中村 | 府中村 | |||||||
日置村 | 日置村 | 日置村 | |||||||
世屋村 | 世屋村 | 世屋村 | |||||||
養老村 | 養老村 | 養老村 | |||||||
日ヶ谷村 | 日ヶ谷村 | 日ヶ谷村 | |||||||
加悦町 | 加悦町 | 昭和29年12月1日 加悦町 |
加悦町 | 平成18年3月1日 与謝野町 |
与謝野町 | ||||
桑飼村 | 桑飼村 | ||||||||
与謝村 | 与謝村 | ||||||||
岩滝村 | 大正10年4月1日 町制 岩滝町 |
岩滝町 | 岩滝町 | ||||||
三河内村 | 三河内村 | 三河内村 | 昭和30年3月1日 野田川町 | ||||||
山田村 | 山田村 | 山田村 | |||||||
石川村 | 石川村 | 石川村 | |||||||
市場村 | 明治27年10月12日 市場村 |
市場村 | |||||||
明治27年10月12日 岩屋村 |
岩屋村 | ||||||||
伊根村 | 伊根村 | 昭和29年11月3日 伊根町 |
伊根町 | 伊根町 | 伊根町 | ||||
本庄村 | 本庄村 | ||||||||
筒川村 | 筒川村 | ||||||||
朝妻村 | 朝妻村 | ||||||||
雲原村 | 明治35年4月1日 天田郡に編入 |
天田郡 雲原村 |
昭和30年4月1日 福知山市に編入 |
福知山市 | 福知山市 | ||||
野間村 | 明治32年7月28日 野間村 |
昭和23年4月1日 竹野郡に編入 |
昭和30年3月1日 竹野郡 弥栄町 |
平成16年4月1日 京丹後市 |
京丹後市 | ||||
明治32年7月28日 竹野郡八木村に編入 |
大正14年12月1日 竹野郡 豊栄村 |
竹野郡 豊栄村 |
昭和30年2月1日 竹野郡 丹後町 |
注
- ↑ 吉田茂樹『日本古代地名事典』 新人物往来社、2001年、234頁 ISBN 4-404-02950-0
- ↑ 藤原京の藤原宮の北をめぐる外濠から出た木簡に、「与射評大贄伊和?」とある。奈良国立文化財研究所『藤原宮木簡』一、179、奈良国立文化財研究所史料XII、1978年、解説84頁。