東京競馬場
テンプレート:出典の明記 テンプレート:競馬場 東京競馬場(とうきょうけいばじょう)は、東京都府中市にある中央競馬の競馬場である。所在地から府中競馬場(ふちゅうけいばじょう)あるいは単に府中と通称される。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会である。
敷地内施設として、JRA競馬博物館・乗馬センターの他、馬車(ホースリンク)・水遊び広場やミニ新幹線など遊園地のような遊具やイベントが行われている。
目次
歴史
1907年(明治40年)に現在の東京都目黒区(目黒通り南側、山手通りの西側、バス停「元競馬場」付近)に目黒競馬場が開設されたが、その後目黒競馬場で周辺の宅地開発が進み地代が高騰したことで移転を余儀なくされ、1933年(昭和8年)11月8日に府中に東京競馬場を開設した。10日後の11月18日に東京競馬場での初めての開催を行い、目黒競馬場は完全閉場となった(目黒記念は目黒競馬場にちなんでいる)。
1940年(昭和15年)の開催が決まっていた東京オリンピックでは、馬事公苑や中山競馬場とともに馬術競技で使用されることとなっていたが、日中戦争の影響で東京オリンピックの開催そのものが中止となった。
1957年(昭和32年)11月19日1号館新館「万歳館」竣工。
1961年(昭和36年)2月26日ダートコースの使用が開始。
1968年(昭和43年)6月4日スタンド改築工事竣工。府中競馬正門前駅からの屋根付歩道橋を設置。
昭和の終りから平成の初めにかけて、武豊やオグリキャップなどの人気による空前の競馬ブームが起こり、1990年(平成2年)5月27日の第57回東京優駿(日本ダービー)当日には史上最高の入場者196,517名を集めた。
2000年(平成12年)に東京競馬場スタンド改築等施設整備計画を発表し、3期に分けての改築を行うこととなった。2002年(平成14年)6月の第4回東京競馬終了後、馬場改修工事と2期スタンド工事に本格的に着手、その年の秋競馬は中山競馬場や新潟競馬場で代替開催された。1期スタンドはその年の10月に完成し、翌11月からパークウインズとして利用開始。その後馬場改修工事も終わり、2003年(平成15年)4月26日にリニューアルオープンした。以前のコースとの主な変更点は次のとおりである。
- ゴール板が移動し、ホームストレッチ(最後の直線)の長さが芝コースでは従来の500.4メートルから525.9メートルに延長された。
- 内枠の馬に対して危険・外枠の馬の不利が指摘されていた芝2000メートルのスタート直後のカーブが緩やかになった。これによって、第104回天皇賞におけるのメジロマックイーンの降着への影響については様々な意見がある(第104回天皇賞を参照)。
- 各コーナーが以前よりも緩やかなカーブに変更された。
- 芝3400メートル、ダート1300メートル、2400メートルのコースを新設し、芝2200メートル、3200メートル、ダート1700メートル、2300メートルのコースを廃止した。
- 移動柵の名称をA1,A2,B,C→A,B,C,D,Eに変更した(ただし、Eコースは現在のところ使用されていない)。
- 障害コースのうち襷コースを廃止して、内馬場に勝馬投票券発売所を増設した(1998年秋から)。
2005年4月に完成したスタンド改修工事・第2期分では、パドックとレーストラックをつなぐ地下馬道が1階座席からガラス越しに見ることができるようになった(ホースプレビュー)。
2007年4月にスタンド改修工事・第3期分が終了。新スタンドが全面完成となった。新スタンドの名称は公募により決定し、富士山を眺望できるスタンドであることから「フジビュースタンド」と命名された。また、このフジビュースタンド完成を記念し、2007年の2回・3回の東京競馬では東京競馬場グランドオープンと銘打って、引退騎手によるエキシビションレース「ジョッキーマスターズ」をはじめ様々なイベントが行われた。
2008年2月3日・2月10日と2週連続で日曜日の開催が降雪の影響で中止され、それぞれ2月4日・2月11日に代替開催された。中央競馬における同一競馬場での2週連続開催中止は、こちらも降雪のため中止された1987年12月の中山2日目、4日目以来21年ぶり。
2014年2月8日・9日・15日・16日には、雪の影響により4日連続で開催中止。それぞれ2月10日・2月17日・2月18日・2月24日に代替開催される。中央競馬における4日連続の開催中止は史上初。
コース概要
- 芝コース
- 1周距離:Aコース2083.1m、Bコース2101.9m、Cコース2120.8m、Dコース2139.6m、Eコース2156.7m[1]
- 直線:525.9m(全コース共通)[1]
- 出走可能頭数(フルゲート)[2]
- 1月1日から3月28日まで
- Aコース:一律16頭
- Bコース:一律16頭
- Cコース:一律16頭
- Dコース:2000mは14頭、その他は16頭
- 上記以外の期間
- Aコース:一律18頭
- Bコース:一律18頭
- Cコース:2000mは16頭、その他は18頭
- Dコース:2000mは14頭、2400m・2500m・2600mは18頭、その他は16頭
- 1月1日から3月28日まで
- 距離設定:1400m、1600m、1800m、2000m、2300m、2400m、2500m、2600m、3400m[1]
- ダートコース
- 障害コース
東京競馬場の特徴として、ゴール手前の長い直線と、緩いカーブ、左回りなどが挙げられる。比較的直線が短く小回りの競馬場が多い中では独自の特徴をもっている。故に、東京競馬場にのみ相性がいい馬も多く、トニービン産駒などがその典型とされている(トニービン産駒はコーナーワークが下手で加速が遅いが、長くいい脚を使えるといわれている)。そのほか、直線手前で馬群が大きく広がりやすいのもこの競馬場の特徴である。
かつて芝には1000m・1100m・1200m、ダートには1000m・1100mの距離が右回りで設定されていた。このうち芝1200mの競走については1984年まで施行された。
2010年の第4回開催からは、ダート1600mのスタート位置及び2コーナーのシュート部分の線形が若干変更された。これによるレコードタイムの抹消措置は行われない[3]。
障害コースは現在は単純な周回コースだけであるが、1998年までは1周内に障害が9個。3コーナーから1コーナーにかけて襷コースが配置されており、年2回の東京障害特別の際に使用されていた。東京障害特別は1.2コーナー中間からスタートし、正面の4連続障害を逆回りで飛越し襷へ入り順周りとなる直線芝コース3300mであった。襷コースには通常より難易度の高い大土塁障害(10号障害 高さ155cm・幅260cm 通称「けやき」)、大竹柵障害(11号障害 高さ150cm・幅150cm)、土塁障害(12号障害 高さ150cm・幅250cm)の3連続障害があり名物であった。さらに戦前の竣工時には、襷コースがX字状にクロスした形で存在し、さらに3コーナーから4コーナーにかけては、馬場の内側にもう一つS字状にカーブしたコースが存在していた。
1998年秋、馬場改修に伴い襷コースが廃止、1周の障害数が8個に削減、3号障害であった水壕が1号障害に配置転換された。直線芝コースのレースの際は可動式の竹柵障害が直線芝コースに設置される。正面スタンド前の障害は、レースのクラスにより高さを変更できる組立ユニット式が採用されている。東京ジャンプステークスの際は3号障害の竹柵と4号障害の生垣が高さ150cm・幅200cm(竹柵は150cm)に変更。東京ハイジャンプの際はさらに2号障害のグリーンウォールを撤去し、高さ150cm・幅200cmの大生垣障害が設置される。現在の水壕障害は壕の手前は高さ1mの生垣であるが、3号障害だった頃は移動ができる高さ50cmの小さな柵が使われており、飛ぶというよりは水壕を跨ぐような飛越が求められた。通常レース時においては柵は正面より向かって左側に設置。逆回りとなる東京障害特別の際は向かって右側に柵を移していた。
1985年の改修までは、障害コース4コーナーから2コーナーの内側に埒がなく小さな植え込みだけで区切られていた。中山の障害コースと比べ、バンケットがない上に障害も小さいうえ、直線ダートコースの場合は最終8号障害(3コーナー大欅の裏側に配置)からゴール板までの距離が600m以上と長いので平地力のある馬が圧倒的に有利とされる。
2009年5月23日の第4競走(サラブレッド系障害3歳以上)において、本来発馬機がダートコースのゴール地点になる場所に設置するところを係員が誤って芝コースのところに設置し、実際には15m短い3285mのコースで行われた。払戻しが確定した後係員が気づき発覚したため競走成績および払戻しはそのまま行われたものの、初めてのコースで行われたため勝ちタイム(当初3300mのコースレコードと発表された)がそのまま基準タイムとして残されることになった。
2012年から東京ジャンプステークス、東京ハイジャンプは直線芝コース3110mで行われることになった[4]。
尚、春の日本ダービーと秋の天皇賞(秋)とジャパンカップの日には正面スタンドの障害コースの200mが開放される。
主な設備
入場門
正門、東門、西門、南門の4ヶ所ある。開門時刻は通常9:00であるが、GI開催時など混雑が予想される場合は開門時刻が早まることがある。
正門
正門は2層構造になっており、2階は京王競馬場線・府中競馬正門前駅と高架橋でメインスタンド3階と直結している。
東門
JRA競馬博物館や4コーナー付近の芝生ゾーンに近い。京王線・東府中駅南口から徒歩10分。 テンプレート:Double image aside
西門
1コーナー・ゴール・内馬場に近い。開門時は1階は入場券・回数入場券を事前に確保済みの者のみ利用可能である。JR南武線・府中本町駅の臨時改札口から専用歩道橋で徒歩5分。正門同様2層構造になっており、上層部が専用歩道橋と直結している。
南門
西武多摩川線・是政駅から徒歩10分。コースのメインスタンドより向正面に位置する。 テンプレート:Double image aside
メインスタンド
2002年(平成14年)11月から段階的に供用され、2007年(平成19年)4月に完成した。愛称は「フジビュースタンド」で、地上9階・地下1階。天気が良ければ富士山が見えることや、富士山が日本一を連想させること、富士山が世界的にも有名なことからこの名が付いた。各階の主な施設は以下のとおり。
- 1階…投票所および一般席スタンド、ホースプレビュー、検量室などの業務エリア。
- 2階…メインコンコース階。投票所及びイベントスペース、一般席スタンド。
- 3階…レストラン、軽食売店およびイベントスペース、一般席スタンド。
- この階には投票所が一切なく、『棲み分け』が徹底されている。またJRAの競馬場では初めてコンビニエンスストア「サークルK東京競馬場イースト店」「サークルK東京競馬場ウエスト店」が入居したが、2013年以降「サークルK東京競馬場ウエスト店」のみの営業となっている。
- 4階…投票所および一般席スタンド。
- 5階・6階…屋外指定席およびレストラン。
- 本場開催日のみオープン。レストランは指定席券がなくても利用可。
- 7階…馬主席および来賓席(ラウンジエリア席)。
- 8階…特別来賓室(貴賓室)[5]および業務エリア。
- 7階・8階へは通常一般客は出入りできない。
- 9階…業務エリア。決勝線(ゴール板)に平行して写真判定室が突き出している。
コースの全体を見渡すことができるのは6階より上の席となる。 スタンドは全館禁煙で、喫煙は指定された喫煙ルームでのみとなる。
指定席
フジビュースタンドの指定席はA・B・Cの3種類あり、4コーナー寄りからB指定席・A指定席・C指定席と配置されている。料金の違いは観戦場所によるもののみであり、座席の仕様に違いはない。全席が屋外にあり、2人掛けで各ペア席にチャンネル切り替え可能なモニターが1台、PC利用のためのコンセントが2口ある。全席で無線LAN(Wi2 300)が無料で利用可能である。料金に入場料は含まれない。指定席エリアには投票所(自動・有人)、オッズボックス、酒や軽食を販売する売店、喫煙コーナーなどがあるが、原則として下位の指定席利用者は上位の指定席エリアに立ち入ることができない(A指定席利用者はB指定席エリアおよびC指定席エリアの施設を利用できるが、B指定席およびC指定席利用者はA指定席エリアの施設を利用できない)。なおメモリアルスタンド(後述)S指定席利用者は、フジビュースタンドのすべての指定席エリアの施設を利用出来る。
- A指定席(5階1078席・6階908席)
- 5階・6階のゴール付近に設定されている。5階378席、6階354席はJRAカードによるインターネット予約で、残りの5階700席、6階554席は当日先着順にて発売される。JRAカードによるインターネット予約の方がゴール寄りに設定されている。
- B指定席(5階584席・6階576席)
- 5階・6階のゴール手前200m付近に設定されている。5階336席、6階288席はJRAカードによるインターネット予約で、残りの5階248席、6階288席は当日先着順にて発売される。5階に車椅子専用席が6席ある。
- C指定席(5階406席・6階348席)
- 5階・6階のゴール過ぎに設定されている。5階168席、6階144席はJRAカードによるインターネット予約で、残りの5階238席、6階204席は当日先着順にて発売される。5階に車椅子専用席が6席ある。
当日発売分の指定席はフジビュースタンド3階の当日指定席発売所で販売しているが、5階席は正門から、6階席は西門からの入場者が利用しやすいように列が作られる。また、東京優駿(日本ダービー)時は特別料金が設定される(通常の倍額)ほか、東京優駿や天皇賞(秋)など大きなGIレースが開催される日は当日発売を行わず、事前にはがき抽選を行い当選者に引換券を送付する形で販売を行う。
メモリアルスタンド
コースのゴール手前300m付近にあるスタンドで、東京競馬場開設60周年を記念して1993年9月に完成したスタンドである。完成当時は「メモリアル60」と呼ばれていた。フジビュースタンド同様に全館禁煙(喫煙は専用の部屋を利用)。
地上7階・地下1階で、座席のある場所はすべてガラス張り。3階・4階の4コーナー寄りの部分が一般席(1階・2階相当部分は屋外の芝スタンド)で、3階・4階のゴール寄りの部分の748席は65歳以上の入場者が利用できるシニア席(料金は無料)、5階・6階部分はS指定席(876席、JRAカードによるインターネット予約のみで、インターネット予約で満席にならなかった場合のみ当日発売がある)となっている。メモリアルスタンド竣工からフジビュースタンド完成までの期間は3階・4階部分はE指定席であった。全席禁煙である。なお、本場開催時以外にはS指定席が当日発売で開放される(指定席券は正門および西門の入口にある窓口で発売)。メモリアルスタンド5階・6階のレストラン・売店も通常どおり営業している。
馬場内
西門及びフジビュースタンドからの地下道を利用して行けるコース内のエリアである。フアフアターフィーやミニ新幹線など子供向けの遊具があるエリアである。
ターフビジョン
1984年に日本初のターフビジョンが設置され、10月6日の開催から運用開始。ターフビジョン設置後最初の大レースがミスターシービー、カツラギエース、サンオーイが叩き合いを演じた毎日王冠であった。最後方を追走するミスターシービーが大欅の手前でスパートをかけるシーンが映し出されると場内は大きく沸いた。
2006年8月に三菱電機長崎製作所製の世界最大規模の超大型ビジョン(ターフビジョン)が設置され、10月7日から正式運用された。ゴール前のそれがこれまでの電球管形式からLED方式に変更され、高さ11.2m、幅66.4m、面積743.68m²(テレビサイズでいうと2651型)と旧来の3倍に相当するものが採用された。これによって画面全体を使用した高画質映像の放映、画面を1:2に分割して別角度からの映像を放映、画面を3分割して本場の競走・パドックの映像と他場の競走・パドックの映像を同時に放映、といった様々な使い方で情報提供ができるようになった。「世界最大の大型映像スクリーン」としてギネスブックに認定された[6]。「マルチターフビジョン」と称している[7]。
パドック
テンプレート:Vertical images list 「下見所」とも言う。出走馬を下見する場所であり、トータリゼータオッズボードを兼ねたパドックビジョン(フルカラーLED電光掲示板)が設置されている。パドック周辺とパドックビジョンの前側通路と下は禁煙エリアとなっている。
無敗の2冠馬トキノミノルの馬像と、中央競馬初代理事長安田伊左衛門の胸像があり、待ち合わせスポットの定番となっている。安田像は安田記念の開催日には献花が捧げられる。
以前は30頭分表示できる風格のある大型手書き出走板があり名物であった。レースごとに白墨でレース名、距離、馬名、騎手名、斤量、馬体重が書かれたプレートを付け替えていた。馬名表示欄の横幅は狭かったため、8文字以上の馬名の場合は2行に分けて書かれていた。フルゲートの削減に伴い、電光型の出走掲示板に建て替えられた。
現在、パドックには2020年、オリンピック・パラリンピックを日本での垂れ幕がある。これは中山・京都も同様である。
レストラン・軽食・売店
東京競馬場はレストランや売店などが充実していて、飲食店はラーメン・焼きそば・カレーライスなどのファストフードから有名ホテルがプロデュースするレストラン・カフェまで約70店舗が軒を構える。フジビュースタンド2階西側・1階東側およびメモリアルスタンド地下にはフードコートがある。フジビュースタンド5階及び6階の指定席エリアの外には10店舗のレストランがあり、ゆっくりと腰を据えて食事ができる。また、コンビニエンスストアやスポーツ新聞・競馬新聞を販売する売店もある。なお、店舗の中には本場開催時(年間延べ40日間)しか営業していない店舗もある。
場内ミニFM
1986年から2001年末まで場内サテライトスタジオに「ミニFM放送局」を送信周波数78.0MHz(後に87.0MHz・ターフサウンドステーション TSS)で開局・放送業務を開始したが、現在は下記の場内実況放送の他、各放送局の音声を再送信している。
- 87.0MHz…グリーンチャンネル「中央競馬全レース中継」(2011年7月より、以前はグリーンチャンネルEASTを再送信していた)
- 87.5MHz…ラジオNIKKEI第1放送
- 88.0MHz…ニッポン放送
- 88.5MHz…ラジオ日本
- 89.5MHz…場内音声(実況アナウンスはラジオNIKKEIと共有)
アクセス
最寄駅は京王競馬場線・府中競馬正門前駅で、専用歩道が用意されている。東京競馬開催時は競馬場線の増発と京王線と接続する東府中駅に特急や準特急が臨時停車するほか、府中競馬正門前駅から新宿駅方面に直通する急行電車が運行される。また、少し離れた東日本旅客鉄道(JR東日本)南武線・武蔵野線の府中本町駅からも専用歩道(フジビューウォーク[8])が用意されている。東京競馬開催時は南武線の川崎方面行きの電車が増発される。かなり離れているものの西武多摩川線是政駅からもアクセス可能である。京王線東府中駅から徒歩で向う場合、南口改札を出て南の方角へ歩いて行くと東門へアクセス可能。
1973年4月1日までは、競馬場西側に中央本線の支線、通称「下河原線」の東京競馬場前駅があった。かつてはこの駅が国鉄で最も長い駅名であった。
中央高速バス(要予約)中央道府中バス停…南門が至近。山梨県郡内・上野原方面からの利用客が多い。バス停から中央自動車道北側沿いに八王子方面へ歩いて1kmほどで南門にたどり着く。
- 荒井由実が1976年に発表した「中央フリーウェイ」(アルバム『14番目の月』収録)の歌詞にある「右に見える競馬場」とは東京競馬場を歌ったものであるといわれており、テレビなどでも中央自動車道がよく映る。なお、「左はビール工場」とあるのは競馬場から高速道路を挟んで存在するサントリー武蔵野ビール工場を指すといわれている。この曲は2009年5月23日に東京競馬場で行われた「フリーウェイステークス」の本馬場入場曲に使用された[9]。
主な競走
障害も含めた全24のGI級競走中、この東京競馬場で開催される競走は3分の1に当たる8競走に及ぶ。2007年まではジャパンカップダートも当競馬場で開催されていた(2002年は中山、2008年から2013年まで阪神、2014年よりチャンピオンズカップに名称変更し中京に移設予定)。
- グレード表記なし
- いちょうステークス(2014年新設)
- ジョッキーベイビーズ(全国ボニー競馬選手権大会・毎秋に決勝大会を本馬場で施行)
備考
ジャパンカップの開催日は、混雑緩和の意味で1日に施行する競走を11(通常12)に制限している。2005年までは日本ダービーの開催日も同じく11競走(2001年までは10)だったが、2006年からは、ダービーデーを盛り上げるということで、ダービー開催日に最終競走として目黒記念を施行している(但し2011年は東日本大震災の影響で通常の競走数で行われたが目黒記念は前日に実施)。目黒記念については薄暮競走相当の時間帯(17時発走)で施行するため、競走数は通常同様12となる。このほか、2005年の秋の天皇賞では「エンペラーズカップ100年記念」として戦後初の天覧競馬が行われたことから、この日についても全11競走に制限して開催された(2004年の中央競馬50周年記念のときにも天覧競馬が企画され同様の処置がとられる予定だったが、直前に起こった新潟県中越地震の被災者に配慮して中止となったため通常と同じ12競走で開催された)。
毎年5月5日には競馬場に近接する大國魂神社で祭事の「くらやみ祭り」が行われるが、2006年までは、5月5日が競馬開催の土・日曜日と重複した場合、その前後に競馬開催日を振り替えていた(これは電話投票が全国で本格的にシステム統合されて以後、関東で第3場開催および関西で開催が行われる場合も同様に振り替えていた[10])。2002年のNHKマイルカップは土曜日である5月4日に施行されたが、平地のGI級競走が土曜日に施行されるのは非常に稀なケースである。
2006年の春季からは、NHKマイルカップからヴィクトリアマイル、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(日本ダービー)そして安田記念まで5週連続でGI級競走が開催される。これに伴い独自の試みとして、「GIレースクイーン」と題し、各GI競走ごとに1名ずつ担当のグラビアアイドルを起用するようになった。
通常期は2006年以後(2011年を除く)のダービーデー当日以外、原則として薄暮開催を行わないが、2010年と2012年に安田記念当日も準薄暮とし、最終競走の「ユニコーンステークス」を16:35発走に設定した。2013年はユニコーンSが別日開催となったため一旦準薄暮開催は消滅するも、2014年から夏季競馬振興の一環として[11]、6月14日以後の第3回東京競馬後半6日間(6月29日=宝塚記念開催日除く)については最終競走を16:30に設定し、準薄暮とする。
レコードタイム
- †は基準タイム。
- 2014年6月29日終了現在
芝コース(2歳)
距離 | タイム | 競走馬 | 性別 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1400m | 1:21.2 | タガノミューチャン | 牝 | 54kg | 内田博幸 | 2012年10月6日 |
1600m | 1:33.6 | ロゴタイプ | 牡 | 55kg | M.デムーロ | 2012年11月25日 |
1800m | 1:45.9 | イスラボニータ | 牡 | 55kg | 蛯名正義 | 2013年11月16日 |
2000m | 2:01.1 | ベルキャニオン | 牡 | 55kg | R.ムーア | 2013年11月16日 |
芝コース(3歳以上)
距離 | タイム | 競走馬 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1400m | 1:19.6 | ミトラ | 騸4 | 55kg | 松岡正海 | 2012年5月20日 |
1600m | 1:31.3 | ストロングリターン | 牡6 | 58kg | 福永祐一 | 2012年6月3日 |
1800m | 1:44.2 | チョウサン | 牡5 | 57kg | 松岡正海 | 2007年10月7日 |
2000m | 1:56.1 | トーセンジョーダン | 牡5 | 58kg | N.ピンナ | 2011年10月30日 |
2300m | 2:18.5 | トウカイトニー | 騸5 | 57kg | 小林淳一 | 2003年6月8日 |
2400m | 2:22.1 | アルカセット | 牡5 | 57kg | L.デットーリ | 2005年11月27日 |
2500m | 2:29.6 | ムスカテール | 牡5 | 56kg | 内田博幸 | 2013年5月26日 |
2600m | ||||||
3400m | 3:29.4 | モンテクリスエス | 牡4 | 53kg | 北村宏司 | 2009年2月15日 |
ダートコース(2歳)
距離 | タイム | 競走馬 | 性別 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1200m | ||||||
1300m | 1:18.1 | アースサウンド | 牝 | 55kg | 後藤浩輝 | 2009年11月8日 |
1400m | 1:23.1 | ユーワハリケーン | 牡 | 55kg | 中舘英二 | 2005年10月8日 |
1600m | 1:36.9 | メジャーアスリート | 牡 | 55kg | 蛯名正義 | 2011年10月22日 |
ダートコース(3歳以上)
距離 | タイム | 競走馬 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1200m | ||||||
1300m | 1:16.4 | マイティスプリング | 牡3 | 55kg | 大庭和弥 | 2005年10月8日 |
1400m | 1:21.9 | フェラーリピサ | 牡4 | 57kg | 内田博幸 | 2008年5月31日 |
1600m | 1:34.1 | トロワボヌール | 牝4 | 55kg | 田中勝春 | 2014年6月8日 |
2100m | 2:06.7 | ヴァーミリアン | 牡5 | 57kg | 武豊 | 2007年11月24日 |
2400m | 2:28.6 | グルーヴィンハイ | 牡4 | 56kg | 田中勝春 | 2007年2月18日 |
障害
距離 | タイム | 競走馬 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
---|---|---|---|---|---|---|
芝3110m | 3:27.1 | デンコウオクトパス | 牡5 | 60kg | 西谷誠 | 2012年10月14日 |
芝3300m | 3:35.1 | メルシーエイタイム | 牡5 | 60kg | 西谷誠 | 2007年6月9日 |
ダ3000m | 3:17.5 | シルクリスペクト | 牡5 | 60kg | 田中剛 | 2005年5月14日 |
ダ3100m | 3:22.0 | アドマイヤツバサ | 牡6 | 60kg | 高田潤 | 2013年5月18日 |
ダ3285m[12] | 3:36.2† | エイシンボストン | 牡7 | 60kg | 林満明 | 2009年5月23日 |
ダ3300m | 3:36.2 | ギルティストライク | 騸6 | 60kg | 山本康志 | 2010年5月22日 |
改修前を含めたレコードタイム(2歳)
距離 | タイム | 競走馬 | 性別 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
---|---|---|---|---|---|---|
ダ1200m | 1:11.7 | クイックミスワキ | 牡 | 54kg | 岡部幸雄 | 1996年11月9日 |
改修前を含めたレコードタイム(3歳以上)
距離 | タイム | 競走馬 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | 記録年月日 |
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芝2300m | 2:18.3 | セイウンエリア | 牡4 | 56kg | 岡部幸雄 | 1999年5月9日 |
ダ1200m | 1:09.2 | セレクトグリーン | 牡4 | 56kg | 田中勝春 | 1999年11月14日 |
ダ1600m | 1:33.3 | クロフネ | 牡3 | 57kg | 武豊 | 2001年10月27日 |
ダ2100m | 2:05.9 | クロフネ | 牡3 | 55kg | 武豊 | 2001年11月24日 |
- 現在存在する同距離において、改修前のほうがタイムの良いものを掲載。
府中の大欅
第3コーナーに関しては、寺山修司の著書などで「魔のコーナー」とされている。この場所に生育している木を俗に「大欅」(おおけやき)と呼ばれるが、実際に植えられているのは欅ではなく榎(エノキ)である。
芝コースがCコースおよびDコース使用の場合、テレビ中継では残り800メートル地点のハロン棒が大欅の後ろに隠れてしまう。しかし、この大欅の下には、この隣接地域の「是政」の由来となった井田摂津守是政の墓所があり中継の際には必ず映り込むため、日本一テレビ放映の回数が多い墓所となっているほどで、歴史的にここは行政代執行の対象となったが、井田氏の子孫が日本刀をふるって抗議したため、史跡として保存されている。またこの木の一本を切った人夫が急死したのは墓のたたりと恐れられ、残った1本を切ることを引き受ける人がいなくなったという噂話もあり、観戦の妨げとなるにもかかわらずこの木が切られずにいる。
一般にここは最後の直線へ向けて速度を上げる場所であると同時に、カーブを曲がるために一方の側に負担が大きくなる場所であり、第118回天皇賞においてサイレンススズカが予後不良に至った例を始め、この付近で故障を発生する事例は枚挙にいとまがない。
府中千八展開要らず
「府中の千八、展開要らず」との格言は競馬評論家としても活動していた大橋巨泉が作った[13]この格言は、東京競馬場の1800メートルの競走は、コース設計上、どの馬も不利を受けることが少ないうえ、ほとんどの距離適性をもつ馬が走れる距離でもあるため、実力どおりに収まりやすい(いわゆるフロックが少ない)ということ。特に毎日王冠は数多くの実力馬が勝ってきていることでも知られている。逆に、2000メートルで施行される秋の天皇賞は、コース設計上、どうしても内枠の馬が有利だといわれている。
姉妹提携
エプソム競馬場、盛岡競馬場と姉妹提携を結んでおり、東京競馬場では交換競走としてエプソムカップ(GIII)、オーロカップが施行される。
盛岡競馬場との姉妹提携に関連して、場内に岩手県競馬(盛岡競馬・水沢競馬)専用場外発売所が開設されており、東京競馬開催日および場外発売日には当日の岩手県競馬の全競走および翌日(月曜を含む)のメイン競走の勝馬投票券を購入することができる。2005年度岩手競馬全日程終了までは馬場内B投票所に開設されていたが、2006年4月8日(2006年度岩手県競馬開催初日)からメインスタンド1階・101投票所に移転した。
- 2004年10月9日に台風接近のため中止となった東京競馬の代替開催が2日後の10月11日に行われたことにより、同日に盛岡競馬場で開催された統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を含む全競走が同場外発売所で発売され、南部杯はターフビジョン・場内テレビでの実況放映も行われた。
- 2004年から、敬老の日(9月第3月曜日)を最終日とする3連休(土・日・月)における変則開催で敬老の日当日にも中央競馬が開催されるようになったことに伴い、当日の岩手県競馬の全競走も同場外発売所で発売が行われる。なお、同日がダービーグランプリ開催日と重複した場合は、同競走の実況放映がターフビジョン・場内テレビで行われていた。
- 2011年10月10日には、マイルチャンピオンシップ南部杯が開催された。「マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI)」の日本中央競馬会主催による東京競馬場での施行について 岩手競馬News&Topics
その他
毎年4月から6月(平年度の第2・3回開催[14])は、日清製粉グループが特別協賛し、ファミリー層に向けたステージイベントや、スペインの洋菓子「チュロス」を販売する特設ブースを設置している(重賞競走のテレビ放送用のインタビューが行われる検量室のインタビューパネルにも日清製粉のロゴマークが貼り付けられている)。
2005年10月22日、同競馬場の第12競走(最終競走)において、当時の日本の公営競技の投票券史上最高配当記録となった1846万9120円(三連勝単式)が飛び出した[15]。これは2008年6月5日に競輪で7969万8600円の配当が飛び出す(平塚競輪場のチャリロト)まで日本の史上最高配当記録であった。その後も、日本の競馬および単一の競走を対象とした配当としては最高配当記録であったが、2009年2月4日に船橋競馬場で三連単の配当金1911万円が記録され、そちらに譲る形になった。
東京競馬場でのGI級競走(ジャパンカップ・安田記念など外国馬が出走する場合を除く)では、出走馬のゼッケンの片方に馬名が、もう一方に当該競走名と回次(例:第1回ヴィクトリアマイル)が記載されている(地方競馬の重賞競走においても同様の形式がとられている場合がある)。なお、他の競馬場(中山・中京・京都・阪神)で行われるGI級競走では、GII級以下の競走同様、両サイドに馬名が記載されている(外国馬が出走する場合は、このうち片方が英文馬名となる。このゼッケンは1983年からジャパンカップに限り採用し、1987年秋以降、他の競走にも順次拡大した)。
主な元所属調教師
1978年に美浦トレーニングセンターが開設されるまでは競馬場で調教が行われていた。
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 東京競馬場(コース紹介) - 日本中央競馬会、2014年7月21日閲覧
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:PDFLink - 日本中央競馬会、2014年7月21日閲覧
- ↑ 東京競馬場ダートコース1,600mのスタート位置を変更 - JRA公式サイト 2010年9月24日閲覧。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ ダービールームと称する部屋がある。
- ↑ 2006年9月 世界最大映像スクリーン(三菱電機製)日本中央競馬会東京競馬場
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 小塚歩アナ「入場曲に“遊び”を!」(ラジオNIKKEI競馬実況web、2009年5月26日)
- ↑ 少なくとも電話投票のシステムが統合される前の1990年代前半までは、関東だけ土曜日の開催を休止し、関西は土曜・日曜の通常パターンで行った事例もあった。
- ↑ 2014年夏季競馬番組概要について(6頁参照)
- ↑ 本来は3300mで施行されるべきところを誤って設営したためで、当初は3300mレコードとしていたのを、新設コース扱いとなったためレコードではなく基準タイムに変更された。
- ↑ 「ボクの作った格言」(『巨泉の重賞競走予想全書』p.1539)
- ↑ 2011年度までは第2回が4-5月、第3回は5-6月のそれぞれ4週間だったが、2012年度から第2回がダービー当日を最終日とする6週間、第3回は6月最初の2週間となり、2013年から第3回は6月の4週間に変更された
- ↑ 2005年4回東京5日目12R サラ系3歳上1000万下Yahoo!スポーツ 競馬