公営競技
テンプレート:出典の明記 公営競技(こうえいきょうぎ)とは、公の機関がギャンブルとして開催するプロフェッショナルスポーツの総称である。
目次
日本
概要
現在日本で開催されている公営競技は以下の4つであり、2014年4月1日現在、全国37都道府県に98場存在する[† 1]。主催者は特殊法人である中央競馬を除くと、地方公共団体あるいは一部事務組合であるが、いずれも全国規模の統括組織があり(特殊法人または財団法人)、中央官庁の管轄である。中央競馬については、出資者が国であることから実質国営とみなし公営競技に含めない場合もある[1]。
これらは全てパリミュチュエル方式により投票券が発売されており、勝利する競走対象を予想した投票券を購入して、予想が的中すれば配当金を受け取ることができる。
かつてはドッグレースを公営ギャンブルとして開催する動きがあったが、「畜犬競技法案」が成立しなかったため実現しなかった。他にも「ハイアライ法」(ハイアライ競技法[4])という案もあったが実現しなかった[5]。
財政難と廃止
本来賭博罪に該当する公営競技が特別法の規定によって存在を許されている理由は、国や地方自治体に財政的貢献をすることにある。しかし、公営競技の売上額は1991年をピークに減少を続け多くのギャンブル場で赤字を出し続けて財政貢献ができないことから、違法の状態にあるといわれている[6]。
21世紀に入り公営競技廃止に踏み切る自治体が相次いで出ているが、廃止には関係者への補償金、原状回復費など巨額の清算費用を要する[6]。清算費用の捻出がネックとなって廃止に踏み切れない自治体も存在するといわれている[6]。また補償金を巡り自治体と関係者、あるいは共同で公営競技を主催していた自治体の間で紛争が発生し、訴訟に発展したケースも複数ある[6]。さらに、自治体によっては公営競技が重要な雇用確保の場となるなど経済効果が見込まれることから、赤字であるにもかかわらず廃止に踏み切れないケースも存在する[7]。
公営ギャンブルの運営に携わる者たちは客商売の自覚や経営努力に欠けており、自動券売機やインターネットによる投票の導入後で窓口販売員が必要とされなくなった後も販売員を解雇しない(できない)など、放漫経営を行い経営難に拍車をかけたと批判されている[8]。また、競輪や競艇の選手は実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている[7]。
歴史
日本の公営競技の一つとなっている近代競馬は1860年9月に横浜の外国人居留地で初めて行われた。外国人居留地の競馬では馬券が発売されていたが、外国人居留地で治外法権が認められていた間は、江戸幕府や明治政府による賭博の禁止の影響を受けなかった。日本政府容認の近代競馬としては黙許として1906年11月に東京の池上競馬場で初めて開催された馬券発売を伴う競馬が最初とされる。1923年7月に旧競馬法が施行されたことにより全国11の公認競馬倶楽部で馬券発売を伴う競馬の開催が完全に合法化された。
第二次世界大戦後に戦災からの復興支援を主目的とした公営ギャンブルの一つとして開催されることになった。まず、戦前から開催されていた公営競馬の馬券販売が終戦後の1946年に再開された(戦争の影響で1944年から1945年までは馬券販売が禁止されたため小規模な能力検定競走のみ開催されており、また終戦直後の混乱期の1945年から1946年までは地方で非合法な闇競馬が開催されていた)。また競馬だけでなく、1948年11月に福岡県小倉市(現北九州市)で初めて競輪が開催され、1950年10月に千葉県船橋市で初めてオートレースが開催され、1952年4月に長崎県大村市で初めて競艇が開催されるなどし、公営競技の種類が増えていった。
その後、昭和30年代に反ギャンブルの運動が高まったことを受け、1962年9月に総理府の公営競技調査会から公営競技の規模を現状維持とする長沼答申が出され、競技場新設が事実上行われなくなった(廃止されたところの「代替地」としての新設例は存在する。また、1979年6月に総理府総務長官の私的諮問機関である公営競技問題懇談会で出された吉国答申で、場外発売所の新設が容認された)。
公営競技は長年にわたり地方財政の健全化に大きく貢献してきたが(中央競馬は国庫納付金を納めている)、1990年代以降になるといわゆるバブル経済崩壊による不景気、パチンコ・パチスロの隆盛およびレジャーの多様化の影響などにより収益が年々悪化し、収益事業であるにも関わらず赤字となるケースが増加するようになった。このため、電話やインターネットによる投票システムの導入、広域に渡る場間場外を含む場外投票券売場(場外勝馬投票券発売所、競輪場外車券売場、競艇場外発売場)の拡充、高い配当金の期待できる新式投票券(馬・車番の2・3連勝単式投票券や「チャリロト」「Kドリームス」などの複数レースに渡る重勝式投票券)の導入などの方策が採られているが、収益悪化を理由に公営競技事業から撤退した自治体や、撤退を検討中の自治体が増加している。また、事業の民間委託に踏み切った自治体や、民間委託を検討中の自治体も増加している。
1992年の公営競技の売上高は過去最高額の8兆9320億円を記録したが、2005年には5兆2440億円、2006年には5兆1330億円、2007年には5兆0973億円、2008年には4兆9628億円と16年連続で減少し続けている。このうち、中央競馬の売上はピーク時の69%であるが、他競技の売上はすべてピーク時の50%以下にまで減少している。オートレース(31%)、地方競馬(39%)、競輪(42%)、競艇(45%)、の順に減少が激しい[9]。
年度 | 中央競馬 | 地方競馬 | 競艇 | 競輪 | オートレース | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1948 | 43 | 14 | 2 | 60 | |||
1949 | 50 | 56 | 135 | 242 | |||
1950 | 35 | 70 | 330 | 2 | 439 | ||
1951 | 75 | 190 | 538 | 4 | 809 | ||
1952 | 86 | 192 | 24 | 571 | 10 | 885 | |
1953 | 108 | 190 | 109 | 605 | 16 | 1,030 | |
1954 | 112 | 180 | 138 | 587 | 15 | 1,034 | |
1955 | 110 | 173 | 171 | 572 | 20 | 1,048 | |
1960 | 290 | 317 | 295 | 835 | 84 | 1,822 | |
1965 | 866 | 1,092 | 983 | 2,124 | 247 | 5,315 | |
1970 | 4,069 | 3,172 | 4,270 | 5,442 | 724 | 17,678 | |
1975 | 9,082 | 6,856 | 11,745 | 10,937 | 1,651 | 40,273 | |
1980 | 13,607 | 7,973 | 16,309 | 12,699 | 2,184 | 52,774 | |
1985 | 16,458 | 5,776 | 14,292 | 11,431 | 2,023 | 49,981 | |
1990 | 30,984 | 9,493 | 21,934 | 18,846 | 3,352 | 84,611 | |
1995 | 37,666 | 7,141 | 18,432 | 16,144 | 2,701 | 82,098 | |
2000 | 34,347 | 5,560 | 13,347 | 12,371 | 1,856 | 67,484 | |
2005 | 28,945 | 3,690 | 9,743 | 8,774 | 1,131 | 52,286 | |
2010 | 24,275 | 3,332 | 8,434 | 6,349 | 861 | 43,253 | |
|
テンプレート:Hidden end 現時点において、以下の県には公営競技場が全く存在しない。(なお、戦後アメリカの施政下にあった沖縄以外の各県は、戦後に公営競技場が存在していたことがあり、競馬や競輪が施行されていた。)
- 宮城県(仙台市、石巻市に競馬場があった)
- 秋田県(秋田、大館に競馬場があった)
- 山形県(米沢市、上山市に競馬場があった)
- 山梨県(現在の甲斐市、山中湖村に競馬場があった)
- 長野県(現在の安曇野市、諏訪市に競馬場が、松本市に松本競輪場があった)
- 鳥取県(米子市に競馬場があった)
- 島根県(益田競馬場、松江市に松江競輪場があった)
- 宮崎県(都城、宮崎競馬場があった)
- 鹿児島県(鹿児島市と鹿屋市に競馬場があった)
- 沖縄県
また上記10県の内、長野県と沖縄県には場外投票券発売場も存在しない。宮城県においては仙台市郊外に場外投票券発売場が存在するが、仙台市内には1つもない。これはテンプレート:要出典範囲(参考:仙台都市圏#公営競技アレルギー)。
逆に、現時点において以下の県には全ての公営競技場が揃っている[† 5]。なお、メジャー競技と言う点を含めると福岡県のみとなる。
中央競馬
地方競馬
競輪
競艇
オートレース
公営競技における記録
2014年3月現在のデータ
- 歴代最年長 - オートレースは谷口武彦(現役)、ボートレースは加藤峻二(現役)、競輪は湯浅昭一(68歳引退)、競馬の騎手は中央が岡部幸雄(56歳引退)で地方が山中利夫(63歳引退)[17]。
- 最年長勝利記録 - 2014年2月17日の川口オート1Rにおける、谷口武彦(浜松・4期)。当時72歳81日。自身が持つ記録を更新した[18][19]。
韓国
日本以外に公営競技が行なわれている国に韓国がある。韓国では、韓国馬事会法の下に競馬が開催され、競輪競艇法に基づき1994年から競輪および競艇も開催されている。オートレースの開催予定はない。売上げは競馬が8兆ウォン、競輪競艇が3兆ウォン程度である。
なお、日本、韓国以外にも何らかの形で競馬を開催する国は100ヶ国にも及ぶが(総売上は1000億ドル超)、多くの国ではジョッキークラブや競馬公社による開催、あるいは馬券発行を伴わないため公営競技ではない。
歴史
テンプレート:出典の明記 韓国(朝鮮半島)における競馬は1898年頃から散発的に始められ、1922年には社団法人朝鮮競馬倶楽部が発足し、サラブレッドの生産も始まった。この頃の状況はほぼ日本における競馬の歴史に並行し、東京優駿(日本ダービー)優勝馬のトクマサが朝鮮半島で種牡馬として供用されている。しかし戦中戦後、半島北部の競馬場を全て失った上、日本、米軍によって競馬場が軍事転用された。そのうえ政情・経済が不安定だったことから社会は競馬どころではなく、一時サラブレッド競馬は完全になくなってしまった。転機となったのは1962年の軍事革命で、この年に韓国馬事会法が発令され再開、韓国公営競技の始まりとなった。
その後、1998年に第1回韓国ダービーが始められ、2004年にはグレード制を導入、2005年に国際競馬統括機関連盟(IFHA)に加盟した。韓国馬事会は国際レース開催を視野に入れた国際交流を進めており、騎手に関しては短期免許制度を導入して日・米・オセアニアの騎手を受け入れているが、競走馬の外国遠征はほとんどない。国内でも外国生産馬の出走制限緩和と引き換えに2万ドル以下の購入価格制限を設けたほどで、韓国の競走馬生産や育成は未だ発展途上と言えるだろう。
また、サラブレッド競馬とは別に済州島ではチョランマルという済州島固有種のポニーによる競馬が行われている。この競馬は公営競技としての側面の他、韓国の天然記念物として指定されているチョランマルの種の保存が大きな目的として掲げられているという特色がある。
競輪は1994年にソウルオリンピック自転車競技場の跡地、競艇は2002年にソウルオリンピック漕艇場施設の跡地を利用して開始された。更に追加すると、ソウル競馬場もソウルオリンピック馬術競技場として建設された経緯を持つ。
代表的な競走
競馬
コリアンダービー、KRAカップマイル (G3)、農林省長官杯 (G2) の韓国三冠も設定されている。ただ2007年現在韓国は国際セリ名簿基準委員会(ICSC)においてPart3国に指定されており(Part2対象競走もない)、国際格付けは得られていない。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
- レースガイド
- ギャンブル
- 投票券 (公営競技)
- 国営競馬
- 宝くじ
- スポーツ振興くじ
- カジノ
- ノミ屋
- コーチ屋
- 統括組織
- 日本中央競馬会(JRA)
- 地方競馬全国協会(NAR)
- 日本モーターボート競走会
- JKA(競輪・オートレース)
外部リンク
- 週間レース - 日本の公営競技の総合情報誌
- WEBレースガイド! - 関東地方の公営競技の案内サイト
- レースガイド@TV - テレビ東京の番組「レースガイド」公式サイト
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タグがありません- ↑ 公営ギャンブルの窮地、116頁。
- ↑ 公営ギャンブルの窮地、116頁。
- ↑ 出資者が国である中央競馬を実質国営とみなし公営競技に含めない場合もある[2]。
- ↑ 参議院会議録情報 第010回国会 厚生委員会 第39号 昭和26年6月5日
- ↑ 「日本型収益事業」の形成過程: 日本競馬事業史を通じて 第一章 現行収益事業制度 19-20頁 - 早稲田大学 萩野寛雄
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 公営ギャンブルの窮地、117頁。
- ↑ 7.0 7.1 公営ギャンブルの窮地、122頁。
- ↑ 公営ギャンブルの窮地、121頁。
- ↑ 財団法人社会経済生産性本部『レジャー白書2006』
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 古希レーサー奮闘/別格“長寿”注目浴びる - 東奥日報、2012年3月21日
- ↑ 谷口 公営競技の最年長V記録更新!72歳81日 - スポニチ、2014年2月17日
- ↑ 【オート】72歳谷口が最年長記録更新 - デイリースポーツ 、2014年2月17日
- ↑ 公営の史上最高配当は競輪「チャリロト」9億598万円 - スポニチ、2014年3月4日