小倉競輪場
テンプレート:基礎情報 競輪場 小倉競輪場(こくらけいりんじょう)は、 福岡県北九州市小倉北区三萩野にある競輪場である。主催者は北九州市。競技実施はJKA競輪競技実施事業本部西日本地区本部。電話投票における競輪場コードは81#。
現在は北九州メディアドーム(施設所有は北九州市)と同一施設となっている。
概要
小倉競輪場は1948年(昭和23年)11月20日に開設された、日本で最初に出来た競輪場であり、競輪発祥の地である。
1948年に福岡県で開催される国民体育大会のために造る競技場(当時の名称は三萩野競輪場[1])を、そのまま競輪に振り向けるというアイデアがきっかけで小倉競輪場が誕生した[2]。なお、この時の「第1回小倉競輪」で発売された車券は単勝式・複勝式のみで、連勝式を最初に発売したのは同年12月11日の大阪府営大阪競輪場(大阪住之江競輪場)である[3]。
かつては競輪を開催するためのみの施設であったが、1998年(平成10年)10月に北九州メディアドームの誕生により移転する形で一体施設となり、それに伴い旧小倉競輪場は1998年(平成10年)6月18日をもって閉鎖し、その後解体された。メディアドーム西側にある芝生の公園(画像前側・三萩野公園芝生広場)が、かつて旧小倉競輪場のあった場所である。
2000年(平成12年)10月18日からはナイター競走「スペースナイトレース」を実施しており、現在通年でナイターレースを開催している(後述の朝日新聞社杯競輪祭を除く。なお、例外なく全ての日程をナイター開催とした公営競技場は、2006年3月より実施の蒲郡競艇場が最初)。なお、周年記念競走、および、サマーナイトフェスティバルは、GIII以上の「記念・特別競輪」は原則年間1節まで(グランプリなど一部例外あり)という規定があり、競輪祭が小倉以外の競輪場での開催でない限り、事実上現在の規定では開催することができない。
2011年1月14日からは、ナイター競走の開催時間を夜9時から11時過ぎまでとする『ミッドナイト競輪』が開催されている。ただしこの開催は無観客で行なわれ、一般客が場内で観戦することはできず、車券の購入も電話投票・インターネット投票を通じてのみ行われる。また通常とは異なる番組編成となっている(基本的に全レース7車立て、1日7レース限定、車券発売種類限定など)。
冠杯として、開設当時の小倉市長であり競輪の開催に尽力した濱田良祐の功績を称え『濱田賞争奪戦』が開催されている。また吉岡稔真のホームバンクであったことから、その功績を称え2007年より『吉岡稔真カップ』が創設された。
なお2004年(平成16年)9月からはA級ツイントーナメントを実施していたが、2005年(平成17年)5月15日をもって終了した。
2006年(平成18年)5月の開催より民間委託を実施[4]、これに平行して運営設備のリニューアルを実施し在席投票システム(すわって投票)を西日本地区としては初めて導入し、トータリゼータシステムを日本トーターから富士通フロンテックに更新した。2013年3月で契約期限を迎え、再び委託事業者の募集が行われた[5]が、入札の結果、引き続き同事業者が請け負うこととなった[6]。
さらに2006年10月20日には敷地内に「ミニボートピア北九州メディアドーム 」が開設され、競輪施設において競艇の舟券を発売する全国初のケースとなった[7]。なお2008年12月6日からは若松競艇場内にサテライト若松が開設されている。ちなみに若松競艇場も北九州市主催ではあるが、トータリゼータは日本トーターを継続採用している。
現在は投票締め切り前の音楽はオリジナルの音楽が流れるが、かつてはジェンカが流されていた。これは旧小倉競輪場、またかつての門司競輪場も同じだった。また選手紹介の際、最終日の最終レースのみ小倉祇園太鼓をアレンジした音楽が流れる。
シンボルマークは長らくヘルメットをかぶった競輪選手の顔の上半分に、競輪発祥の地を表す「ORIGIN KOKURA」と書かれたものが使われていたが、現在は北九州市出身の漫画家松本零士がデザインした、宇宙の競輪選手をイメージしたマークが使われている。
実況は日本写真判定で、担当アナウンサーは弥永正宏だったが2010年に逝去し、以降は同社所属のアナウンサーが交代で務めていたが、2012年4月より大村篤史が担当。なおミッドナイト競輪については橋本悠督が日本写真判定と契約して担当している。また、2012年までの競輪祭ではファン投票によって実況アナウンサーが決められていたが、2013年は橋本悠督が4日間通して実況を担当することになった。
チャリロト
2008年11月18日より重勝式投票「チャリロト」の発売が開始されており、2011年(平成23年)1月27日開催のレースで、後半7レースの1着を連続して当てる7重勝単勝式の「チャリロト」(1口200円)で1口が的中し、4億29万1940円の配当を記録した。これは公営競技(競輪、競馬、競艇、オートレース)では、2010年10月に平塚競輪のチャリロトで出た国内史上最高額9億598万7400円に次ぐ2番目の高額配当。千葉県の男性が的中させたとされる。小倉競輪では2008年11月18日に販売を開始して以来、的中がなくキャリーオーバー(繰り越し)が続いていた。
なおグループ開催への移行により、それまでのキャリーオーバーによる発売は2013年2月28日を最終日として一旦終了することになり、最終日は特例として各賭式でキャリーオーバーがあった場合は一つ外した目でも的中の扱いとしていたが、的中者のいなかったチャリロトの5188万3050円が北九州市の収益となった。
2013年3月25日からの開催より豊橋競輪場・別府競輪場・熊本競輪場とキャリーオーバーを共有する『グループG』としての発売となり、キャリーオーバーの対象外であるチャリロト3は小倉単独で発売される。
バンクの特徴
開設時は500m走路であったが、その後1周400mに改装され、ドームへの移行時にも周長は維持された。
前橋競輪場に次ぐ2番目のドームバンクで、設計の際は全国の競輪場のデータを参考にし、最高速度向上など走りやすさを前面に出したコンセプトで設計された。ドームの為風がない事も手伝って、2013年9月8日に名古屋でパーキンスに更新されるまで、400mバンクとしては当時最速の上がりタイムを記録していた(レコードホルダーはこちらも外国人選手でエスクレド(2006年7月6日記録))。
結構豪快な捲りを決めやすい節があるものの、少し踏み遅れるだけで後方に置いてけぼりになる自力選手もいるので一概に逃げ不利では無い[8]。統計上は自力(逃げ・捲くり)、番手(差し)ともにほぼ互角であるが、上位選手が揃う競輪祭では番手がやや優位となっている[9]
大画面映像装置はバックストレッチ側壁面上部に設置されている。
- Kokura-keirin-4.jpg
入場門 - Kokura-keirin-1.jpg
場内 - Kokura-keirin-2.jpg
バンク - Kokura-keirin-3.jpg
電光掲示板
朝日新聞社杯競輪祭
毎年11月下旬または12月上旬に、GI競走である「朝日新聞社杯競輪祭」が恒久的に開催されている。従って現存の競輪場で唯一開設記念競輪が現在存在していない。(過去には後楽園競輪場[10]と、大津びわこ競輪場[11]も記念競輪を実施しなかった)
なお全国的なナイター競走の場外発売体制が整っていないため、この開催は昼間開催となっている。
アクセス
- 北九州高速鉄道小倉線香春口三萩野駅下車。徒歩7分
- JR鹿児島本線小倉駅北口から車で約7分。
- 小倉駅・下関駅(門司駅)・折尾駅(南小倉駅)・行橋(苅田駅)・黒崎バスセンター(戸畑駅)の各方面から無料送迎バスあり。
場外車券売場
- ハイビジョンシアター門司(旧・門司競輪場)
- サテライト若松(若松競艇場内)
脚注
- ↑ 昭和毎日:初の競輪開催 1948年11月20日 毎日jp
- ↑ 小倉競輪HP・第1回競輪開催
- ↑ 第48回競輪祭・競輪祭とは
- ↑ 小倉競輪の実施事務の包括委託 (PDF)
- ↑ 「小倉競輪実施事務等の包括委託」の委託事業者募集について 2012-12-13(木)
- ↑ 平成25年2月27日 小倉競輪実施事務等の包括委託公募型企画提案の選定結果について
- ↑ 競艇事業初、競輪場内の舟券場外発売場「ミニボートピア北九州メディアドーム」が10月20日オープン!
- ↑ 第50回競輪祭 朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦公式ページ 一番下にある「無風の高速バンクなので先行が圧倒的に有利」の文章参照
- ↑ メディアドームにおける決まり手 - 平成10年10月~平成25年11月開催
- ↑ 日本選手権競輪をほぼ恒常的に実施
- ↑ 高松宮記念杯競輪を恒常的に実施