徳島新聞
テンプレート:基礎情報 新聞 徳島新聞(とくしましんぶん)は、徳島県の県域新聞。新聞社としては珍しく社団法人の一般社団法人徳島新聞社が発行している。
目次
概要
- 発行部数は朝刊24万5036部・夕刊4万5230部(2014年1月)[1]。県内普及率は約87%と、長年に渡って普及率全国一の座を守り続けている。しかしこのため、徳島県では他県に比べて全国紙の普及率が極端に低くなっており「保守的な徳島の象徴」と揶揄される事も少なくない。
- ジェンダーフリーを全面的に支持している。(2003年6月30日社説)高速道路建設・道路特定財源見直しには一貫して反対していた。「青少年の保護」を理由とする表現規制に肯定的である(2006年1月18日社説)。
- 徳島県は真言宗信者が多く、また地元出身の瀬戸内寂聴の影響も大きい。よって国内宗教が関連する記事は、仏教寄りの内容が多く、瀬戸内の執筆記事や特集が多い。他宗教に関してはキリスト教カトリック教会の現ローマ教皇の発言を、取り挙げることも稀にある。
- 県内における通称は「とくしん」。
- ニコニコ動画に公式動画チャンネル「Ugoくん」を2008年12月に開設した(地方新聞社では佐賀新聞社に次ぐ2社目)。ただし登録された動画が2011年7月現在全て削除されており、「休眠中」の状況となっている。
- 購読者には第1・3木曜日にくらしエンタテイメントSALALA-さららが配布される。
- 休刊日は年間で5日。全国紙と比較すると少なめとなっている。
沿革
- 1876年4月21日 益田永武らにより『普通新聞』創刊[2]
- 1888年 石田真二により『徳島新報』創刊
- 1889年 『普通新聞』が『徳島日日新聞』に改題
- 1898年 首藤貞吉により『徳島毎日新聞』創刊
- 1904年 『徳島日日新聞』と『徳島新報』が合併し『徳島日日新報』となる
- 1941年 新聞統制(新聞統合、1県1紙制)により「徳島日日新報社」と「徳島毎日社」が統合し「株式会社徳島新聞社」が発足、12月15日付夕刊より『徳島新聞』を発行
- 1944年 「株式会社徳島新聞社」が「社団法人徳島新聞社」に改組
- 1944年6月1日 「社団法人徳島新聞社」による『徳島新聞』第1号を発刊
- 1946年8月15日 『徳島民報』創刊
- 1954年10月30日 『徳島新聞』に『徳島民報』合併
- 1962年4月1日 徳島市幸町に徳島新聞会館(現・新聞放送会館別館(徳島ホール))を新築
- 1985年3月21日 徳島市中徳島町(徳島市民プール跡地)の新聞放送会館(四国放送と共同利用)へ本社を移転
- 1985年7月9日 朝夕刊のすべてのCTS(電算写真植字システム)化完了
- 1994年6月1日 創刊50周年(1944年の社団法人化から数えて)
- 2004年6月1日 創刊60周年
- 2006年4月21日 『普通新聞』創刊から数え130周年[3]
- 2012年4月1日 一般社団法人に移行
紙面
地上波テレビ欄
徳島新聞のテレビ欄は他紙とは違い、最終面ではなく中面に掲載(ただし夕刊では最終面に掲載)。地方紙で中面にテレビ欄を掲載している新聞は、他に静岡新聞・東京新聞・紀伊民報等の例がある。県外波が直接受信やケーブルテレビで視聴できる為、地方紙としては第1面に掲載されるテレビ局数はトップクラスである。
- フルサイズで掲載
※徳島新聞での標記通りに記載(カッコ内はリモコンキーID)。
- ハーフサイズで掲載
- 1/4サイズで掲載
※なお、地上デジタル放送の完全移行を見据え、読売テレビが1/4サイズ[5]に、西日本放送テレビは掲載されなくなった。テレビせとうちは紙面の都合上掲載されていない。その為にテレビせとうちと西日本放送は県内では当局を直接受信できない限り、取得不可となっている(ただし三好市ではテレビせとうちはCATVの配信によりテレビで確認可能)。
BSテレビ欄
民放系・独立系BS局の番組表、テレビの番組情報もこの面にあわせて掲載。
- BSテレビ局
ラジオ欄
- ラジオ局
漫画
- 朝刊
- 中日新聞、西日本新聞などブロック紙3社連合の新聞に連載していた佃公彦の4コマ漫画(実際は3コマ漫画)『ほのぼの君』を掲載していたが、2007年3月8日付で作者がパーキンソン病で絵筆が握れなくなったことから降板を申し入れ、終了した(佃は2010年逝去)。佃が少年時代を徳島県で過ごしたという縁もあり、時折インタビュー記事などが載ることもあった。
- 2007年7月1日からは後継作品としてさくらももこの『ちびまる子ちゃん』が連載開始(ブロック紙3社連合や神戸新聞、中国新聞、河北新報でも掲載)。同作品が4コマで新聞連載されるのは初のことである。連載当初は日曜・祝日のみカラーでそれ以外の日はモノクロで掲載されていたが、2008年4月1日以降は連日カラーで掲載されている。
- 2012年2月1日からは森栗丸の『おーい栗之助』が連載されている(ブロック紙3社連合や神戸新聞、中国新聞、河北新報、愛媛新聞でも掲載)。
- 2013年10月14日からは徳島市にスタジオを構えるアニメ制作会社ufotableが制作する『おへんろ。』が掲載開始。
- 夕刊
徳島新聞社
『徳島新聞』は新聞社としては珍しく一般社団法人として法人格を有する団体「一般社団法人徳島新聞社」が発行している[6]。
社団法人化は第二次世界大戦中の1944年におこなわれ[7]、終戦後も株式会社化されず、社団法人のままである。「公共の福祉を守る」「社会に先駆する」「文化の灯となる」「県民と共に行く」「まず自らを試す」[8]を信条としている。2012年3月末までは公益法人(徳島県教育委員会所管)であったが、法人の定款や事業報告書など、公益法人として積極的に公開することが望ましいとされる情報[9]を自社のウェブサイトや「公益法人等情報公開共同サイト」には公開していなかった。過去には住民がこれらの書類の公開を徳島県教育委員会に求め行政訴訟となっている。同社の決算書等について「これらの情報を公開するときは、参加人の経営規模、財務体質その他事業運営に関する事項の詳細が明らかにする結果となって、参加人に不利益を与えることが明らかである」として非公開を認める判決が出ている(徳島地方裁判所平成4年11月27日判決、平成2年(行ウ)第10号)。
公益法人改革にともない2012年4月1日付で一般社団法人に移行した。
拠点一覧
本社
支社
支局
- 鳴門支局:鳴門市撫養町南浜字東浜
- 松茂支局:板野郡松茂町笹木野
- 板野支局:板野郡板野町大寺字大向
- 小松島支局:小松島市小松島町新港
- 阿南支局:阿南市学原町烏帽子池
- 石井支局:名西郡石井町石井
- 吉野川支局:吉野川市鴨島町西麻植
- 阿波支局:阿波市香美
- 美馬支局:美馬市脇町拝原
- 池田支局:三好市池田町マチ
- 那賀支局:那賀郡那賀町土佐
- 日和佐支局:海部郡美波町奥河内
- 牟岐支局:海部郡牟岐町中村
関連会社
- 徳島新聞販売所
- JRT四国放送
- 四国放送サービス(JRT-s)
- エフエム徳島(FM TOKUSHIMA)
- 徳島興発(吉野川遊園地、徳島ホール(映画劇場),新聞放送会館他を運営)
- 徳島ヴォルティス(徳島新聞販売所が出資 基母体は大塚製薬サッカー部<大塚FCヴォルティス徳島>)
- スタッフクリエイト(旧:徳島テレメッセージ(KTT))
- 徳島出版
- テック情報(旧:徳島電算センター)
- 四国システム開発(日本IBM、阿波銀行,伊予銀行,四国銀行,百十四銀行,讃州製紙他と出資)
- メディコム
脚注
外部リンク
テンプレート:47CLUB- ↑ 徳島新聞社概要
- ↑ 「新聞で見るとくしま 20世紀こぼれ話」(『徳島新聞』1999年5月1日から2001年2月10日まで連載)
- ↑ 「21日創刊130周年 徳島新聞、前身の普通新聞から」(『徳島新聞』2006年4月21日)
- ↑ サンテレビのリモコンキーIDは本来3だが、徳島県内ではNHK総合とIDが重複し、空きチャンネル9に割り当てられるため。
- ↑ 読売テレビ・テレビ大阪・サンテレビ及びテレビ和歌山の視聴はCATV配信か沿岸地域等の直接受信(但し一部集合住宅向け受信アンテナ採用の世帯を除く)により視聴可能。
- ↑ 社団法人には他に、戦中の創刊から1961年までの東京新聞社、そして2008年に事実上廃刊となった名古屋タイムス=夕刊専売があった。前者は株式会社化され(後に中日新聞社に営業譲渡)、後者は法人自体も清算・解散されたため、現状社団法人格の運営は当新聞のみとなっている。
- ↑ 吉田則昭「戦時期メディア界再編成の理論と実際 −資本・権力の相剋する場としての新聞新体制」(『立教大学大学院社会学年報』No.9、2002年)は、情報局の方針、戦時における「公益性」の発揚として、社団法人化があったと考察している(のちに『戦時統制とジャーナリズム』昭和堂、2010年、に収載)。
- ↑ 「われらの信条」 徳島新聞社案内
- ↑ 「インターネットによる公益法人のディスクロージャーについて」(2001年8月28日 公益法人等の指導監督等に関する関係閣僚会議幹事会申合せ)は、公益法人の定款や役員名簿、社員名簿(出資者の名簿)、事業報告書、収支計算書、正味財産増減計算書、貸借対照表、財産目録、事業計画書、収支予算書をインターネット上に公開することが望ましいとしている。