K-1
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K-1(ケイ-ワン)は、1993年より開催されているヘビー級を中心とした世界的に知名度の高いキックボクシングのプラットフォーム、格闘技ブランドである。2012年1月より、香港に登記されるK-1 Global Holdings Limitedが商標権等諸権利を取得し、世界各地でイベント運営が行なわれている。
目次
名称の由来
Kは「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」、などの立ち技格闘技、あるいは「格闘技」そのもの、そして「KING」の頭文字を意味し、1はナンバーワンを意味しており、空手やキックボクシングなどの打撃系立ち技格闘技の世界一の最強の格闘者を決める大会を行うというのが設立のコンセプトである。命名者は全日本新空手道連盟創師の神村榮一[1][2]。
「K-1」の商標権は元々は創設者である石井和義が所有していたが、2011年7月に不動産デベロッパーのバルビゾンに移管[3]。2012年1月にEMCOMホールディングスがバルビゾンの持つ商標権を買収することを発表し[4]、最終的には当時EMCOMの子会社だったK-1 Global Holdings Limitedが諸権利を取得するに至っている。
歴史
ケイ・ワン体制
1992年10月4日、『格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜』で、「"10万ドル争奪世界最強決定トーナメント"を来年開催する」と発表。後のK-1となる大会が初めて発表された。
1993年4月30日に第1回大会『K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』が開催され、8選手による無差別級トーナメントが行われた。興行的に成功を収め、以降、無差別級トーナメントは毎年開催されている。
1995年にはアンディ・フグをメインイベンターに据えてK-1初の海外大会をアンディの母国スイスのチューリッヒのハレンスタジオンで開催。以後、2000年まで毎年同スタジアムで大会を開催し、同スタジアムの最多観客動員記録を更新。
1996年にはフジテレビの全国ネットとゴールデンタイム放送に進出。
1997年、「三大ドームツアー」と称してナゴヤドーム、大阪ドーム、東京ドームで大会を開催。特に東京ドームで開催されたK-1 GRAND PRIX '97 決勝戦は満員となる54,500人の観客を動員し、平均視聴率20.7%、瞬間最高視聴率27.3%を記録した。また、同年には日本人選手を主軸とする『K-1 JAPAN GP』シリーズを立ち上げた。
2000年には、『K-1 GRAND PRIX』シリーズを『K-1 WORLD GP』シリーズと改称し、北米、ヨーロッパ、豪州などで地区予選大会を開催するなど本格的に世界進出を開始。
同年8月24日、「不屈の鉄人」「蒼い瞳の侍」「Mr.K-1」と呼ばれたアンディ・フグが急性前骨髄球性白血病(APL)により35歳で死去。
2002年にはミドル級(-70kg)部門の『K-1 WORLD MAX』シリーズを立ち上げる。また、2008年にはライト級(-60kg)もMAX内にて新設された。
2002年にはジェロム・レ・バンナ、マーク・ハント、アーネスト・ホースト、ミルコ・クロコップら多くの主力選手が好調期を迎え、さらに実力的に全盛期だったボブ・サップが派手なパフォーマンスと親しみやすいキャラクターで一般層への知名度も爆発的に急上昇したこともあってK-1人気は全盛期を迎える。
2002年8月28日、PRIDEを主催するドリームステージエンターテインメント(DSE)と全面協力して国立霞ヶ丘競技場でDynamite!を開催し、日本国内格闘技大会史上最多観客動員記録となる91,107人を記録した。
同年12月7日に東京ドームで開催されたK-1 WORLD GP 2002 決勝戦ではチケット完売となる74,500人の超満員の観客動員。
FEG体制
2002年12月、興行会社である株式会社ケイ・ワンが法人税法違反で摘発され、これまでK-1を取り仕切っていた石井和義がK-1の全役職を辞任し、2003年からは谷川貞治が設立したFEGが主催、谷川がイベントプロデューサー、この年に引退した角田信朗が競技統括プロデューサーに就任。また、同時期には新日本プロレスと提携し、相互に選手を派遣していた。
2003年に谷川貞治がK-1プロデューサーに就任して以来、曙太郎などの身体が大きくて実力よりも話題性のある選手やボビー・オロゴンなどのタレントを参戦させるなど、K-1をスポーツ競技として発展させることよりも目先の視聴率を優先して、実力よりもキャラクター先行の色物選手を優先した『谷川モンスター路線』が始まった(詳細は谷川貞治の「谷川モンスター路線」の項を参照)。なお、モンスター路線開始当初は一般層への話題性もあって高視聴率を獲得した。
2003年12月31日、単独では初の大晦日興行となる『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』を開催、大相撲の元横綱・曙太郎とボブ・サップの対戦において、曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻の第54回NHK紅白歌合戦の35.5%を上回る43%だった[5]。
2003年、当時K-1と契約していたミルコ・クロコップの引き抜き問題を巡って、これまで協力体制を築いていた総合格闘技イベント『PRIDE』を運営していたドリームステージエンターテインメント(DSE)と決別し、2004年には単独で総合格闘技にも進出、『K-1 ROMANEX』を立ち上げるが、単発のイベントに終わる。
2005年、前年の『K-1 ROMANEX』を引き継いだ新たな総合格闘技イベント『HERO'S』を立ち上げる。DSEの解散に伴って、PRIDE参戦選手が合流し、2008年3月に『DREAM』としてリニューアル。
2007年からは、スター不在とされる日本人ヘビー級選手の発掘を目的としたトライアウト『K-1 JAPAN TRYOUT』を実施。元プロ野球選手の立川隆史や、まだ無名だった頃の漫才コンビ・オードリーの春日俊彰が試合をした。
2008年より若年部門『K-1 YOUTHシリーズ』を新設。以降、『K-1甲子園』と題し、現役高校生を主軸としたトーナメントを実施。
2009年より女子部門の新設を表明。3月20日の『K-1 AWARD & MAX KOREA 2009』にて、イム・スジョン vs. レーナ戦が組まれた。
2010年にはライト級(-63kgに変更)が本格的に始動、5月2日に初の単独興行を開催した。
体制の混乱
2010年以降K-1の主催会社であるFEGが深刻な財政難に陥り、多くの選手へのファイトマネーの不払いが発生。興行開催に支障をきたし始めた。それを踏まえて2010年7月16日、FEGは上海の投資銀行『PUJI Capital』と提携することを発表し、アジアや欧米での市場拡大のために資金調達をしていくことを表明した[6]。しかし、それでも財政難に歯止めはかからず、その後も選手・関係者への給与未払いが続出。2011年のK-1 GRAND PRIX開催ができなかった(詳細はFEGを参照)。
2012年5月7日、ゴールデン・グローリー代表のバス・ブーンからFEGのファイトマネー不払いへの訴訟を起こされ、東京地方裁判所民事第20部よりFEGが破産手続開始の決定を受けた[7][8]。
2012年8月15日、旧ケイ・ワンから商号を変更したライツコムが破産手続開始の決定を受けた[9]。
これらの混乱のなか、2011年11月にK-1創設者の石井和義はK-1の新たな主催団体として国際K-1連盟(FIKA)を設立し、2012年よりFIKA主体でK-1の興行体制を再構築する方針を明らかにした[10]。
K-1Global Holdings Limited体制
一方で香港では、2011年8月に新会社「K-1Global Holdings Limited」が設立される。2012年1月にEMCOMホールディングスが「K-1Global Holdings Limited」を買収。過半数の株式を取得して、K-1の世界大会の興行権を獲得した[4]。
2012年5月16日、元K-1 MAX世界王者の魔裟斗がエグゼクティブプロデューサーに就任[11]。
2012年5月27日、K-1Global Holdings Limitedが運営会社となって初めての大会「K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~」がスペインのマドリードで開催。この大会では、K-1のミドル級トーナメントのFINAL16が行われ、アンディ・サワーら多くの強豪選手が出場したほか、スーパーヘビー級ワンマッチには2003年3月30日以来9年ぶりのK-1参戦となるミルコ・クロコップ、キックボクシングを引退してプロボクシング転向を表明していたバダ・ハリらが参戦した。
2012年10月14日に東京・両国国技館で無差別級トーナメントの1回戦となるK-1 WORLD GP FINAL16を開催した。
2012年11月、K-1Global Holdings Limitedに対してイギリス領ヴァージン諸島に本社を置くLEXI INVESTMENT LIMITEDを割当先とする第三者割当増資が実施され、EMCOMの連結対象から外れる[12]。また、2012年限りで魔裟斗がEP辞任[13]。
2013年3月15日にクロアチアで、10月14日勝者による無差別級決勝トーナメント「K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB」が開催され、ミルコ・クロコップが初優勝を納めた[14]。 2013年12月からはK-1 WORLD MAX 2013が順次開催されており、2014年3月に決勝が行われる予定。
スポーツジム運営
格闘技興行の一方で、2013年より「K-1 GYM」のブランド名で総合格闘技を中心としたスポーツジムの展開を始めている(運営は株式会社M-1スポーツメディア)。2013年8月には1号店を東京・武蔵小山(旧高田道場跡地)にオープンし[15]、2014年4月には小比類巻貴之率いる「小比類巻道場」をリニューアルする形で恵比寿に2号店をオープンした[16]。同月には続けて総本部を新宿のGENスポーツパレス(旧スポーツ会館)にオープンした[17]
K-1 WORLD LEAGUE
2014年5月29日、「K-1 WORLD LEAGUE」の発足が発表された。K-1 WORLD LEAGUEはK-1Global Holdings Limitedとは別組織の「K-1実行委員会」が主催し、実行委員会にはプロデューサーの前田憲作、内田康弘、小比類巻貴之、梶原龍児らが参加している。運営はKrushを主催しているグッドルーザーが担当する。7月21日にアマチュア大会の「K-1 CHALLENGE」を開催し、K-1 WORLD LEAGUEは国立代々木競技場第二体育館で11月3日に旗揚げされる[18]。
ルール
- 6メートル以上四方のリングで試合を行う。ロープは4本
- パンチ、キック、膝蹴りなどの打撃技のみ使用が許される一方、肘打ち、頭突きなどは反則となる。また、バックハンドブローにも制約がある。もちろん投げ技、寝技も反則である
- 首相撲からの膝蹴りは禁止(石井和義体制の頃は無制限。それから規制ができ2009年までは1回のみ認められた)。ただし、片手のみで相手を押さえての膝蹴りは1回のみ可。
- 通常のワンマッチは、当初は3分5ラウンド最大延長2Rだったが、2004年以降は3分3ラウンド延長2R。トーナメントは決勝戦を除き3分3ラウンドで延長1R
- 勝敗は以下の要素で決定する
- 偶然のバッティングにより試合続行が不可能となった場合、1R終了前は引き分け(無判定)、2R以降なら負傷判定に入る。ただし、トーナメントまたはトーナメント開幕戦においては負傷していない選手のTKO勝ちとなる
- リングシューズの着用は許可されているが、代わりに(膝から下を使う)足技の使用が禁止される(着用例としては、ボクシング出身の西島洋介)
これらはあくまでK-1のオフィシャルルールに過ぎず、実際の興行では、異なるルール、例えば総合格闘技ルールやそれとの折衷ルールの試合も行われている。
試合中継
K-1 WORLD GPシリーズ
- 無差別級トーナメント、スーパーヘビー級(100kg以上)・ヘビー級(100kg未満)のワンマッチを中心とした大会。
- 1993年の第1回からフジテレビで放送され、1996年の大会から全国ネットとゴールデンタイム放送に格上げされた。旗揚げ当初から『K-1 GRAND PRIX』という名称だったが、本格的な世界進出を開始した2000年に現在の『K-1 WORLD GP』シリーズへと改称された。また、CS放送・フジテレビNEXTでも2009年まで放送されていた(CS放送はステレオ2音声の放送となり、第1音声は通常の実況放送。第2音声はリングノイズ=実況音声なしで会場内音声のみの放送となる)が、2010年からはスカチャンでのPPV生中継に移行した。
- 同局の単発特別番組枠である『土曜プレミアム』枠内で放送されることが多かった。
- 司会は、女優の藤原紀香、元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂、タレントの西山茉希、優木まおみが担当した。解説はFEG代表(当時)の谷川貞治とミドル級のスター選手だった魔裟斗。また、同局の格闘技情報番組『SRS』の歴代「格闘ビジュアル・クイーン」がリポーターを務めていた。
- ハーフタイムショーでは、話題となっているグループのパフォーマンスが行われる。K-1 WORLD GP 2009 FINALではAKB48、K-1 WORLD GP 2010 FINALではももいろクローバーが出演した。
- ナレーター(テレビ放送)
- 武居“M”征吾(初回-2006年3月5日放送分(ニュージーランド大会)
- 鈴木英一郎(2006年4月30日放送分(ラスベガス大会)-2007年12月8日)
- 立木文彦(2008年4月13日放送分(横浜大会)-)
- VHS・DVD版
K-1 WORLD MAXシリーズ
- ミドル級(70kg契約)およびライト級(-63kg契約)のトーナメントおよびワンマッチの大会。
- 2002年の第1回からTBS系列で放送されており、2月の日本代表決定トーナメントを皮切りに、年4回開催された。地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルやBS-TBS(旧BS-i)でも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送されていたが、2010年5月のライト級トーナメントからはスカチャンのPPVにてMAXでは初となる生中継を行った。
- 放送はいわゆる撮って出しが多く、開催日の放送となっていた。また、TBSによる編成上の都合からか、平日と祝日に開催された。当初は土曜日のゴールデンタイムで、2004年から2005年までは同局の単発特別番組枠『水曜プレミア』で、その後は『月曜ゴールデン』の枠に放送されていた。2009年以降は、内藤大助や亀田興毅・大毅のボクシング世界タイトルマッチとセットで中継される機会が多くなった(ボクシング中継が1時間程度、K-1が2時間程度)。
- 司会は、モデルの佐々木希と俳優の佐藤隆太。解説は魔裟斗と前田憲作。ナレーターは田子千尋(2005年から2006年の一時期には根岸朗が担当した)。
K-1 甲子園・K-1 WORLD YOUTHシリーズ
- 2007年よりTBS系列で放送。
- 2007年2月、『K-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメント』にて、ヘッドギア着用の特別試合として現役中学生だったHIROYAがK-1史上最年少デビューを果たして3RKO勝利を収め、翌日のスポーツ新聞の一面を飾るなど話題となったことをきっかけにスタートした。
- K-1甲子園は年齢18歳以下の現役高校生ファイターによるイベント。同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』でスタートし、2008年までは62kg以下級のみで行われていたが、2009年からは70kg級も行われることになった。名称の由来は全国高等学校野球選手権大会が行われている阪神甲子園球場から。新空手との全面協力で行われている。2008年はK-1甲子園の地区予選トーナメントが各地区ごとに「K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール」に則って行われ、予選優勝者がK-1甲子園トーナメントに進出し、決勝大会は同年大晦日のDynamite!!で行われる形式だった。2009年からは地区代表決定戦もリングの上で試合を行うこととなった。
- K-1 WORLD YOUTHシリーズはK-1甲子園の反響の大きさを受けて2008年にスタート。20歳以下のK-1選手育成・強化を目的とする世界的プロジェクトである。世界各国においてU-20のトライアウトを実施し、強化選手を選抜しナショナル・チームを編成して国別対抗戦を行っている。K-1 WORLD MAXシリーズの大会で対抗戦を行うこともある。WORLD YOUTHの日本代表チームの監督は前田憲作が務めている。
Dynamite!!
- 2003年よりTBS系列で放送。
- 2001年・2002年の大晦日にTBS系列で放送していた『INOKI BOM-BA-YE(猪木祭)』が2003年は日本テレビに移り、代わって登場したイベント。これによって、2003年の大晦日は日テレ系=猪木祭、TBS系=K-1、フジ系=PRIDEと、3局で格闘技イベントが放送された。
- 司会はMAX・DREAMと同じく佐々木希と佐藤隆太。2003年はフジテレビでの中継の司会であった藤原紀香と長谷川京子が、2004年は井上和香と田丸麻紀が務め、井上は2008年まで担当した。K-1 WORLD MAXシリーズ・DREAMと同様に、フジテレビが主に扱うヘビー級選手の出場もある。
- 開催地は、2003年のみナゴヤドーム、2004年からは大阪ドーム、2008年からはさいたまスーパーアリーナ。
K-1 JAPAN シリーズ
- 1997年から日本テレビ系列で放送開始。2004年の6月の大会を最後に打ち切り。
- 日本人ファイター育成を目的に立ち上げられたシリーズだが、日本人ファイターと規格外の体格を持った、いわゆる「モンスター系」のファイターとを対戦させ、総合格闘技ルールの試合も行うなど、実験的要素の多いシリーズでもあった。このシリーズでブレイクしたモンスター系ファイターのひとりにボブ・サップがおり、サップは後に新日本プロレスのIWGPヘビー級王座を獲得した。
- また、新たなK-1ファン掘り起こしのため、系列局などのタイアップによる地方興行も積極的に行っていた。
- 現在は独立したシリーズとなっているK-1 MAXシリーズも元々このシリーズの中で『K-1 J MAX』として実施しており、魔裟斗や小比類巻太信もここでK-1デビュー、ムラッド・サリやラモン・デッカーといった当時の強豪ファイターに勝利した。
- 協栄ボクシングジムがシュートボクシング初代全日本カーディナル級王者・大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げて参戦したことも有った。
- テレビ放送のナレーターは垂木勉。VHSやDVD版は基本的にナレーターなし。マスコットガールは優香。
K-1 ROMANEX・HERO'S
- 共にTBS系列で放送。また、地上波の放送から数週間後以降にBS-iやCS放送・TBSチャンネルでも放送される(K-1 WORLD MAXシリーズも含む)。J SPORTS ESPNでもメインの試合をピックアップして放送された。
- 『DREAM』への移行に伴い終了。
テーマ曲
- K-1 WORLD GPシリーズ(フジテレビ中継)のテーマ曲はプリンス(Prince)(当時はジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(The Artist Formerly Known As Prince))のアルバム「ゴールド・エクスペリエンス(Gold Experience)」収録曲の「エンドルフィンマシーン(Endorphinmachine)」。エンディング曲は同じくプリンスの同アルバムの収録曲の「ゴールド(Gold)」。
- K-1 JAPAN GPシリーズ(日本テレビ中継)のテーマ曲はB'zのボーカリストである稲葉浩志の「AKATSUKI」。
- K-1 WORLD MAXシリーズ(TBS中継)のテーマ曲はガンマ・レイ(GAMMA RAY)のアルバム「ノー・ワールド・オーダー(No World Order)」収録曲の「インダクション(Induction)」。オープニングテーマはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の「レクイエム ニ短調 K.626 第3曲 セクエンツィア」。
開催履歴
歴代優勝/準優勝者/3位
K-1 WORLD GPシリーズ
K-1スーパーヘビー級王座 (100kg以上)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2007年3月4日 - 現在 | テンプレート:Flagicon セーム・シュルト | 4 |
K-1ヘビー級王座 (100kg未満)
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2007年4月28日 - 2008年12月17日(剥奪) | テンプレート:Flagicon バダ・ハリ | 1 |
2 | 2009年3月28日 - 2011年10月21日(返上) | テンプレート:Flagicon 京太郎 | 1 |
K-1 WORLD MAXシリーズ
K-1 甲子園シリーズ
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 2007年12月31日 | テンプレート:Flagicon 雄大 | テンプレート:Flagicon HIROYA | テンプレート:Flagicon 久保賢司 |
テンプレート:Flagicon 才賀紀左衛門 | ||||
2 | 2008年12月31日 | テンプレート:Flagicon HIROYA | テンプレート:Flagicon 卜部功也 | テンプレート:Flagicon 嶋田翔太 |
テンプレート:Flagicon 日下部竜也 | ||||
3 | 2009年12月31日 | テンプレート:Flagicon 野杁正明 | テンプレート:Flagicon 嶋田翔太 | テンプレート:Flagicon HIROYA |
テンプレート:Flagicon 石田勝希 | ||||
4 | 2010年11月20日 | テンプレート:Flagicon 翔栄 | テンプレート:Flagicon 秋元晧貴 | テンプレート:Flagicon 佐々木涼助 |
テンプレート:Flagicon 石田圭吾 | ||||
5 | 2012年3月17日 | テンプレート:Flagicon 小川翔 | テンプレート:Flagicon 柴田憂也 | テンプレート:Flagicon 山口佑馬 |
K-2 GP
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年12月19日 | テンプレート:Flagicon アーネスト・ホースト | テンプレート:Flagicon チャンプア・ゲッソンリット | テンプレート:Flagicon アダム・ワット |
テンプレート:Flagicon タシス"トスカ"ペトリディス |
K-3 GP
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1995年7月16日 | テンプレート:Flagicon イワン・ヒポリット | テンプレート:Flagicon 金泰泳 | テンプレート:Flagicon 後川聡之 |
テンプレート:Flagicon オーランド・ウィット |
各種記録等
- 決勝トーナメント最多優勝記録
- WORLD GP記録:アーネスト・ホースト、セーム・シュルト(4度)
- WORLD MAX記録:ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー、魔裟斗、ジョルジオ・ペトロシアン(2度)
- 決勝トーナメント最多連続優勝記録
- WORLD GP記録:セーム・シュルト(3年連続)
- WORLD MAX記録:ジョルジオ・ペトロシアン(2年連続)
- トーナメント最短優勝記録(トーナメント全試合の合計試合時間):ベン・エドワーズ(2010年7月10日、K-1 OCEANIA GP、3分26秒)
- 決勝トーナメント最短優勝記録(決勝トーナメント全試合の合計試合時間):セーム・シュルト(2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINAL、5分53秒)
- 決勝トーナメントファイナル最多出場記録
- 決勝トーナメントファイナル連続最多出場記録
- WORLD GP記録:アンディ・フグ、セーム・シュルト(3年連続)
- WORLD MAX記録:ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー(3年連続)
- 決勝トーナメント最多出場記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(17度)
- WORLD MAX記録:アルバート・クラウス(9度)
- 決勝トーナメント最多連続出場記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(16年連続)
- WORLD MAX記録:アルバート・クラウス(9年連続)
- 決勝トーナメント最年少優勝記録
- WORLD GP記録:ピーター・アーツ(23歳6ヶ月)
- WORLD MAX記録:アルバート・クラウス(21歳9ヶ月)
- 決勝トーナメント最年長優勝記録
- WORLD GP記録:ブランコ・シカティック(38歳6ヶ月)
- WORLD MAX記録:魔裟斗(29歳7ヶ月)
- 最短KO記録試合:レミギウス・モリカビュチスvs. 我龍真吾(2006年2月4日、K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜、1ラウンド8秒)
- 最多連勝記録:ピーター・アーツ(19連勝)
- KOもしくはTKOでの最多連勝記録:ピーター・アーツ(9連勝)
- 最多対戦回数:ピーター・アーツ vs. マイク・ベルナルド(6度)
参戦選手
詳しくは「K-1選手一覧」を参照。
王者
詳しくは「K-1王者一覧」を参照。
大会一覧
詳しくは「K-1の大会一覧」を参照。
連動番組
- 日本テレビ系列
- TBS系列
- フジテレビ系列
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:世界のキックボクシング団体- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ kamipro 2010 No.146
- ↑ 格闘技「K-1」事実上の身売りか!? 主な商標が"海老蔵暴行ビル"の所有会社に移管 - 日刊サイゾー・2011年8月2日
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:PDFlink - EMCOMホールディングス・2012年1月31日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 官報、2012年5月23日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:PDFlink EMCOMホールディングスプレスリリース 2012年5月18日
- ↑ テンプレート:PDFlink EMCOMホールディングスプレスリリース 2012年11月21日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 【K-1】全国展開を目指しK-1ジムが東京にオープン - イーファイト・2013年8月12日
- ↑ 小比類巻貴之がプロデュース!4月1日よりK-1 GYM EBISU 小比類巻道場がオープン - Krush・2014年3月14日
- ↑ K-1 GYMの総本部が新宿にオープン!「格闘技界を盛り上げるためにいい選手を育てることで恩返ししていきたい」(前田代表) - Krush・2014年4月19日
- ↑ テンプレート:Cite web