アレクセイ・イグナショフ

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アレクセイ・イグナショフAlexey Ignashov、男性、1978年1月18日 - )は、ベラルーシ出身のキックボクサー。フリー。ニックネームは「レッド・スコーピオン」「毒サソリ」「ベラルーシの赤サソリ」。参戦当初は「アーツ2世」「東欧のアーツ」とも言われていた。かつては母国ベラルーシチヌックジムに所属していた。

長身から繰り出される膝蹴りが得意。この膝は「レッド・スコーピオン(赤いサソリ)」と表現され、それがそのままイグナショフを表す代名詞となった。2003年以降はパンチを主とするカウンター狙いのファイトスタイルになっている。彼は全くと言っていいほどダウンを喫したことがない。敗れた試合はすべて判定負けか負傷によるドクターストップによるものである。

2005年の夏に大学院を卒業し、以後は進路をプロ格闘技一本に絞っている。

2007年頃より活動の拠点をニュージーランドに移している[1]

毎試合の入場曲は、Outsideの「To Forgive But Not Forget」。

来歴

アマチュアキックボクシングの世界選手権で優勝。

1999年10月24日、オランダで開催されたIt's Showtimeでロブ・カーマンの引退試合の相手を務め、判定負け。

2000年6月24日、K-1 WORLD GP 2000 ヨーロッパ&ロシア地区D予選で優勝。横浜大会のGP予選トーナメントへ出場を決める。

2000年8月20日、K-1 WORLD GP 2000 in 横浜で初来日。GP予選トーナメント1回戦でマット・スケルトンに判定負け。

2001年7月20日、K-1 WORLD GP 2001 in 名古屋のGP予選トーナメント1回戦でピーター・マエストロビッチと対戦。膝蹴りでダウンを奪い判定勝ちを収めた。準決勝ではアンドリュー・トムソンから同じく膝蹴りでダウンを奪取しKO勝ち。決勝戦でロイド・ヴァン・ダムと対戦し、延長1R判定勝ちを収め東京ドームへの切符を手にする。

2001年12月8日、K-1 WORLD GP 2001 決勝戦の1回戦でニコラス・ペタスと対戦。2R、イグナショフの首相撲からの膝蹴りでKO勝ち。続く準決勝では、フランシスコ・フィリォと対戦。前蹴りでフィリォを苦しめるが、フィリォのローキックで徐々にペースを奪われ判定負け。敗れはしたものの、この大会で優勝を果たしたマーク・ハントと同様、インパクトを残す結果となった。

2002年ビヨン・ブレギーに5RKO勝ち、ピーター・アーツに判定勝ちするが、GP開幕戦でステファン・レコに判定負けを喫した。

2003年、パリ大会のヨーロッパ・ロシア地域予選でパヴェル・マイヤーアレクサンダー・ウスティノフシリル・アビディを下し優勝、GPへの切符を手にする。福岡大会ではヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤをローキックでマットに沈め、谷川貞治プロデューサーに「今年の優勝候補」、また角田信朗に「ホーストよりも説得力のあるローキックを出し始めている。」と評価される。続く大阪の開幕戦ではマイク・ベルナルドを2RKOで沈め、関係者やメディアからは、ステファン・レコと並び2003年のGP優勝最有力候補と称される。しかし、12月の決勝トーナメントではピーター・アーツに完封され判定で敗れ、初戦敗退。

2003年12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!中邑真輔と総合格闘技で対戦。第3Rに膝蹴りで中邑を鼻骨骨折させダウンを奪いレフェリーストップ勝利となった。しかしすぐさま起き上がった中邑からカウントも取らずに即レフェリーストップとなったことに対し、中邑からクレームが付き、後に「無効試合」となった。

2004年5月20日、It's Showtimeでセーム・シュルトと対戦し、1R左膝蹴りでKO勝ちを収めた。その後、飛行機で日本に直行し5月22日のK-1 ROMANEXにおいて中邑と総合格闘技で再戦したが、中邑にギロチンチョークでタップアウト負け。

2004年9月25日、K-1 WORLD GP開幕戦でガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。延長戦の末、判定負けを喫した。試合後イグナショフは「あと3kg絞るべきだった、相手を過小評価していた。」とコメントしている。

2005年2月13日、ビヨン・ブレギー戦で、3Rに膝を負傷しKO負けを喫した。この対戦で負った膝の怪我を引き摺ったまま、4月にピーター・グラハムと対戦。延長まで縺れるも惜しくも判定負け。続いて、5月には内田ノボルと対戦。蹴りが使えず判定負けを喫した。そのため、6月に膝の手術を行い、3か月の休養と準備期間を設けた。

2005年9月23日、K-1 WORLD GP開幕戦ではワンマッチで前年度王者レミー・ボンヤスキーと対戦。互いにジャブ、ストレート、ローキック、膝蹴りの繰り出し合いの熱戦となった。試合は延長までもつれるも延長ラウンドの差で惜しくも判定負けとなった。

2006年タイでアパートを借りて、一か月間トレーニングをして再起を図る。5月のK-1 WORLD GPオランダ大会のEUROPE GP1回戦でピーター・ボンドラチェックを右ストレートで下す。しかし、準決勝でリザーバー上がりのグーカン・サキに判定負け。この試合、イグナショフは終始サキの攻撃を防御するに止まり、殆ど反撃できなかった。試合後のインタビューで「カウンターを狙いすぎてしまった。」と語った。

2006年8月12日、K-1 WORLD GPラスベガス大会の世界最終予選1回戦でイマニー・リーを相手に僅差の判定勝ちを収めた。しかし足の怪我により準決勝を辞退。

2007年2月24日、K-1 Hungary 2007でアティラ・カラチと対戦しKO勝ち。しかし、練習中に親指を負傷したことなどもあってか、結局2007年シーズンは一度も本戦には出場できなかった。

2008年2月9日、KO World Seriesにてグレゴリー・トニーと対戦するも、判定負け。

2008年3月30日、The KHANにおいてユ・ヤンレと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。

2008年10月5日、TOUGH IS NOT ENOUGHにてビヨン・ブレギーと対戦し、ダウンを奪い判定勝ち。

2010年4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAのメインイベントでバダ・ハリと対戦し、判定負け。2005年9月23日以来、4年7か月ぶりの日本での試合となった。なお、アルコール使用障害によりK-1から遠ざかっていたことが明かされた[2][3]

2010年5月21日、K-1ヨーロッパ予選トーナメントに出場。1回戦でミンダウガス・サカラウスカスにKO勝ち、準決勝でフレディ・ケマイヨに3-0の判定勝ちを収めるも、怪我のため決勝を棄権した。代わりに決勝を戦ったケマイヨがWORLD GP開幕戦出場を決めた[4]

人物

  • レミー・ボンヤスキーと並ぶ、K-1きってのインテリとして知られている。
  • 内容の難しいアーティスティックな映画を好む。
  • 普段は飄々としてつかみどころのない物静かな性格。ジェロム・レ・バンナは「イグナショフはリングに上がるとき、まるで風呂にでも入るような顔をしていやがる。俺にあんなことできない。アイツは凄い奴だよ。」とコメントしている。一方で試合中は気の強さを発揮することもしばしばである。
  • 敗北を喫したガオグライ・ゲーンノラシン戦後のインタビューでは、記者に敗因を聞かれ、「太ってしまったんだもの。」と答えた過去もあったが、「厳しい時期の自分を支えてくれるファンの皆さんには心から感謝したい」、「苦しいときでも応援してくれるのが本当のファンだと思う」、「これ以上ファンをがっかりさせられない」と、ファンに対する感謝の思いを語るという、新たな一面を見せ始めている。
  • 「日本で好きな場所、物は?」という質問に対して「日本の女の子」と答えたことがあった。

戦績

キックボクシング

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総合格闘技

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獲得タイトル

  • ISKA 世界ムエタイスーパークルーザー級 王座
  • K-1 WORLD GP 2000 ヨーロッパ&ロシア地区D 予選トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYA 優勝
  • K-1 WORLD GP 2003 in PARIS 優勝

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 【K-1】バダ・ハリと激突する復活イグナショフ「早く試合が終わってしまうかも」 GBR 2010年4月1日
  • 無くして気づく事がある。赤蠍がKの想いを語る K-1公式サイト 2010年3月29日
  • 赤サソリ「バダもシュルトも倒せる」と毒を吐く K-1公式サイト 2010年4月1日
  • K-1 WORLD GP 2010 IN BUCHAREST -EAST EUROPE GP- K-1公式サイト