総合格闘技
テンプレート:出典の明記 テンプレート:ウィキプロジェクトリンク 総合格闘技(そうごうかくとうぎ)は、打撃(パンチ、キック)、投げ技、固技(抑込技・関節技、絞め技)などの攻撃法を駆使して勝敗を競う格闘技の一つである。略して総合と呼ばれることもある。英語では「混合格闘技」を意味するMixed Martial Arts、略称MMA)と呼ばれるが、この言葉は1984年ロス五輪のレスリング金メダリストで、プロレスやUFCの解説も行っていたジェフ・プラトニックが日本の「総合格闘技」という言葉を参考に造語したといわれる。
目次
概要
総合格闘技はその名の通り、ルールによる攻撃手段の制約を最大限排除したうえで技術を競い合う格闘技である[1]。打撃系格闘技の多くでは固め技・投げ技が、組技系格闘技の多くでは打撃がルールで禁止されているのに対し、総合格闘技ではその両方を認めることから、「何でもありの格闘技」とも呼ばれ、そのため実際の試合にあたっては様々な格闘技の技術が使用される。大まかにいえばボクシングや空手などの立った状態からパンチやキックなどの打撃を駆使して戦う「打撃(立ち技)系格闘技」と、レスリングや柔道、ブラジリアン柔術など相手と組んだ状態で固め技や投げ技を繰り出して戦う「組技系格闘技」の両方の技術が必要とされる。
ルール
総合格闘技にはボクシングのように世界的に統一されたルールが未だ存在しておらず、ルールの大半は世界共通であるが、枝葉末節の部分では大会を主催する団体により異なる部分がある。北米の多くの団体ではニュージャージー州アスレチック・コミッション(以下NJSACB)制定の統一ルール、およびネバダ州アスレチック・コミッション(以下NSAC)制定の統一体重制が採用されている。ここでは現在主流となっているルールについて記述する(細かい異同については各団体の項目を参照)。
試合場
北米の団体においては試合場を金網で囲った「ケイジ(Cage)」が使用されることが多いが、大きさや形(八角形・五角形・円形など)が異なる場合が多い。一方日本では多くが団体プロレスやボクシングと同様、四角形でロープを張ったリングを使用している。
試合形式
NJSACBの統一ルールでは試合時間はノンタイトル戦で原則5分3ラウンド、タイトルマッチで5分5ラウンド(インターバルはラウンド間に各1分)とされている。日本でも多くがこれに準ずる形をとるが、かつてのメジャー団体PRIDEでは1ラウンド10分、2・3ラウンドを各5分とする変則3ラウンド制が採用され、DREAMにおいても1ラウンド10分・2ラウンドを5分とする変則2ラウンド制が採用されていた。
選手の服装
オープンフィンガーグローブの着用が義務付けられる他、上半身は裸、下半身には短いスパッツかトランクスを着用して試合を行う。日本ではイベントによって様々であるが、シューズ・道着・レスリングタイツ・ロングスパッツなどの着用が認められる場合もある。
主な反則
法治国家においては開催者側が参加者の安全を確保する法的義務が存在するため、禁じ手なし(英語では「no holds barred」と呼ばれ、「NHB」と略される)での興行は実際にはあり得ない。目潰し・金的攻撃・頭突きなど、急所のうち特に人体に危険を及ぼしうる部位への攻撃については、安全性への観点からほぼ全ての大会で禁止されている。他の反則については団体毎に違いがあり、NJSACBの統一ルールでは頭部・顔面への肘打ち(下方向へ突き落とすものを除く)を認める一方でグラウンド状態の相手への頭部・顔面への蹴り技は禁止している。反対に日本の団体では頭部・顔面への肘打ちが禁止されグラウンドでの頭部・顔面への蹴り技が認められている場合が多い。
勝敗
パンチ・キック等の打撃によりレフェリーが試合を止めるTKO(テクニカルノックアウト)、関節技や絞め技、もしくは打撃によるタップアウトおよびレフェリーによる見込み一本・口頭でのギブアップ(サブミッション、一本勝ち)により勝敗が決定される。他に医師、セコンドが試合続行不可能と判断した場合ドクターストップ・セコンドのタオル投入によりTKOが宣告されることがある。規定時間内に決着がつかなかった場合、3人の審判によって採点がつけられ、2人以上の審判の支持を得た者が勝者となる(判定1-0など1人のみの支持しか得られなかった場合は引き分けとなる)。判定時の採点に関しては多くの団体では第三者機関(上記NSACなど)管轄の下でラウンド毎に採点が行われる一方、PRIDEでは試合全体を通じて一つの採点がつけられる。判定基準についても団体毎に様々である。
世界の総合格闘技団体
プロ総合格闘技は主催者・マスコミ・協賛企業の協力関係のもと、大会運営勢力(プロモーション団体)によって開催・運営される。一部のトップ選手はメジャー団体によって高額なファイトマネーや契約金が保障されており、プロの選手として生計が成り立つことを既に立証している。
ボクシングのWBA、WBCに相当するような世界的統括組織が存在しないため、プロ・アマ問わずの小規模な各種大会がそれぞれ独立して世界王者・ランキングを認定し、世界中の各国・各地で多数開催されている[2]。
アメリカでは世界最大規模のUFC以外にKing of the Cage(KOTC)、Rumble on the Rock(ROTR)、World Series of Fighting(WSOF)、Bellator FCなどの大会がある。アジアではONE FCなどが大きな勢力である。
日本では従来最大手だったPRIDEが2007年にUFCのオーナーであるロレンゾ・フェティータに買収され、その後活動休止→事実上の消滅に至ったほか、同じ大手のSRC(戦極)は2011年にスポンサーが撤退、DREAMは2012年にGLORYに買収されて以降(同年の大晦日興行を除き)動きがなく、いずれも活動休止に追い込まれている。2014年現在継続して行われている大会・団体としては修斗、パンクラス、ZST、DEEP、CAGE FORCEなどがあるほか、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)のようにプロレスとの混合興行の形で試合を実施している団体もある。
総合格闘技のプロモーションは日米以外でもブラジル・オランダ・ロシア・カナダ・リトアニアなどにも存在し、近年アジアでもシンガポール、モンゴル・インドネシア・韓国・インドなどで大会が開催されている。
総合格闘技の歴史
黎明期
打ち技、投げ技、固め技の三つの技体型を総合的に教える武道は日本拳法など日本にも古くから存在するが、現在のような総合格闘技には、ブラジルのバーリトゥードが深く関わっていると考えられる。たとえば、日本の異種格闘技戦の魁となったアントニオ猪木もブラジルに渡航した経験をもつ。
日本では1984年4月、新日本プロレスから離脱したプロレスラーによって興された第1次UWFがプロ格闘技団体の先駆とされている。UWFは佐山聡(初代タイガーマスク)が加入後、自身が当時考案していた新格闘技(後のシューティング)という現在の総合格闘技ルールの基礎となる理論と概念を持ち込み、従来のプロレス界のタブーであったショー的要素を公然と排除した「真剣勝負」路線を打ち出すようになり、前田日明・藤原喜明・高田延彦らの選手を擁し人気を博した。
当時、関節技やサブミッションホールドはプロレスにおける裏技的なものであり、プロでも「技は教えてもらうものではなく盗むもの」という風潮があり、やられることによって逃げ方を覚え、後輩にかけて覚えるという感じで技術体系が確立されていなかった。しかし、佐山はそのプロの技を一つ一つ言葉で説明して体で実践して生徒(素人)に教えた。これが現在の総合格闘技の源となっており、この佐山の大きな心がなければ現在の格闘技は存在しなかった。
UWF以前にも、新日本プロレスのアントニオ猪木がプロレスのリングにおいて「異種格闘技戦」をモハメド・アリ(ボクシング)、ウィリー・ウィリアムス(空手)、ウィレム・ルスカ(柔道)らを相手に行っている。猪木の異種格闘技路線もUWFも結局「プロレス」の域を出ることは無かったものの、これが今日の総合格闘技の「萌芽」となったと言われている(しかし、今日のこれと無関係な世界的総合格闘技の隆盛からむしろ「障害」・「迂路」となったとする意見もある)。UWFでもまた異種格闘技戦を何度か行っており、後述の初期UFC同様、総合格闘技の黎明期は一つのスポーツ格闘競技というよりも「UWF戦士はサンボ、ムエタイより強いのか?」「どの格闘技が最強なのか?」という関心を駆り立てる異種格闘技戦としての側面が強かった。
第1次UWFは結局1年半で崩壊することになるが、佐山聡によって1984年にアマチュアからの選手育成も考慮した修斗(当初は「シューティング」と呼ばれた)が創設されている。この修斗設立をもって世界で総合格闘技の団体が初めて誕生したこととなる。
第1次UWF崩壊後、所属主要選手は新日本プロレスの協力を経て、第2次UWF(新生UWF)を興し再出発する。今や伝説となった1988年8月13日の「真夏の格闘技戦」を経て、第二次UWFは格闘技界に一大ムーブメントを起こした。後にパンクラスを立ち上げる船木誠勝も新日から移籍、そしてUWFの新弟子1期生として現U-FILE CAMP主宰の田村潔司が入団している。
しかし、この第2次UWFもまた数年後には分裂という形で崩壊の憂き目に遭う。前田日明がリングス、高田延彦・安生洋二・宮戸優光らがUWFインターナショナル、藤原喜明・船木誠勝・鈴木みのるらが藤原組を創設。藤原組からは更に船木、鈴木らが後に独立してパンクラスを創設する。しかし、リングス、UWFインターナショナル、パンクラスもプロレスの域を脱することはなかった。
同時期のUWF以外の総合格闘技の流れとしては、UWFに影響を受け1985年に元日本キックボクシング・ウェルター級チャンピオン、シーザー武志が「立技総合格闘技」シュートボクシングを創設している。
1981年に極真会館出身の東孝によって創設された「打撃系総合武道」大道塾も、この時期に注目を集めるようになる。1990年以前で総合格闘技といえば修斗かUWFそして大道塾を指す言葉であった。修斗を創設した佐山は初期の修斗を作るうえで大道塾を参考にしたといわれている、大道塾は日本の主要総合系格闘技団体としては初めて日本人選手(市原海樹)をUFC(後述)に送り込んでおり、着衣総合格闘技としては各国に支部を持つ世界最大の団体である。そのほか大道塾から分離した和術慧舟會や禅道会からも総合格闘技の選手は数多く輩出されており、間接的直接的に現在の総合格闘技に影響を与えている。
そして1993年4月30日、それまでリングスなどとも提携しプロの格闘技興行にも進出してきていた正道会館が第1回K-1グランプリを開催する。今日ではK-1はキックボクシングの世界大会として認識されているが、設立当時はその名称の理念にもあるように、「空手、カンフー、キック、ムエタイ他、様々な打撃系格闘技の選手が戦ったら誰が一番強いか?」という異種格闘技戦が持つテーマを全面に出していた。また、同じ打撃系格闘技でも、蹴りや素手の打撃を禁止したり(ボクシング)、拳による顔面への直接打突を禁止したり(フルコンタクト空手)、ローキックや肘、膝蹴りを禁止したり(アメリカの一部のキックボクシング)と、ルールに大きな相違があった。これらを全て統合ルールでまとめて打撃系最強を決めようと言うアイデアは異種格闘技の発想とも言える。実際、リングス他との提携に見られるように、正道会館もまた前述のシュートボクシングと同じくUWF系総合格闘技の流れに呼応する形で発展してきた。
一方UWFの流れを汲む3団体はそれぞれ大きな興行も幾つか成功させ、格闘技界では注目を集めたが、後発のK-1が民放主要局のゴールデンタイムで試合が放映されるほどの人気を博するようになったのに比べると、まだまだ一部のコアなファンが楽しむだけのマイナースポーツの域を脱していなかった。ここにアメリカから更に大きな衝撃が日本を襲うことになる。アメリカの総合格闘技大会UFCとブラジリアン柔術のグレイシー柔術である。
UFC開催
アメリカでは、1993年11月12日に開催されたUFCの第1回大会UFC 1が総合格闘技(MMA)ブームのきっかけになった。グレイシー一族の一人、ホイス・グレイシーが小兵ながらも巧みな柔術技で空手やカンフーなど様々な分野の格闘家を破り優勝。この出来事はいわゆる「グレイシーショック」として日本にも伝播することになる。
グラウンドでの馬乗り状態から素手での顔面攻撃を認めるその過激なルールは、日本格闘技界にとってはUWFがプロレスのショー的要素を廃し真剣勝負・スポーツ格闘競技路線を提唱したこと以来の衝撃的な出来事だった。U系では、グラウンド状態はもとより素手での顔面打突も当然禁止されていた。今日のようにオープンフィンガーグローブが存在しなかったため、拳による顔面への打突にはボクシングにおけるようなグローブが着用必須となる。しかしグラウンドでの関節技の攻防が中心のUWF系団体の試合ではボクシンググローブを着用することは大きな不利となり、またカール・ゴッチ直伝のサブミッション・レスリングを売りにしていたことからも、UWF系団体ではルールで一律に禁止されていた(ただ、異種格闘技戦においては、相手の打撃系格闘家はグローブを着用した)。
また、同大会にはUWF「真夏の格闘技戦」で前田日明と対戦したジェラルド・ゴルドー、パンクラスのケン・シャムロックら、日本でも馴染みのある選手も参加し、UFC 2には大道塾の市原海樹が参戦。これら日本でトップクラスの実力者と見なされてきた者たちが全てホイス・グレイシーに易々と負けてしまったことは大きな衝撃だった。
当初、UWF系のリーダーたちはUFCに拒絶反応をしめしていたものの、マスコミやファンの声を無視することができなくなり、徐々にバーリトゥードに団体を近づけていった(リングスのKOK、Uインター後のキングダム等)。
UFC 1開催の翌年の1994年にはさっそく日本で「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994」が開催され、ホイスの兄でありグレイシー一族最強とされていたヒクソン・グレイシーが参戦。空手格斗術慧舟会の西良典、修斗の川口健次、草柳和宏らも参戦した。結果はヒクソンがトーナメント優勝。その翌年開催の同大会にもヒクソンが参加し、リングスの山本宜久、修斗の中井祐樹らを撃破して二連覇を果たした。
修斗やUWF系の選手がグレイシー柔術と対戦し敗れる中、日本格闘技界は柔術の技術を取り入れていくことで今日の「総合格闘技」というジャンルを形成・確立していくことになる。「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1994」でヒクソンに敗れた西良典は大道塾出身で、同団体脱退後に空手格斗術慧舟会を設立していたが、ヒクソン戦後に「柔術再興」を目指して団体名を和術慧舟會に改める。現在慧舟會はWK-NETWORKという形態で加盟ジム・道場を擁し、修斗のみならずパンクラスなどの大会に所属選手を送り込むとともに、DEMOLITION、コンテンダーズ、ORGといった自主興行も開催している。
PRIDE
1997年10月11日、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」の第1回大会が開催される。メインイベントでは高田延彦とヒクソン・グレイシーが対戦し、ヒクソンが腕ひしぎ十字固めで勝利すると、ヒクソンの名声とともにPRIDEは格闘技イベントとしての地位を確立していく。
過去にテレビ放映されていた格闘技といえばボクシング、次いでK-1などがメインであったが、日本人選手を次々と破っていくグレイシー一族との試合が人気を呼び、PRIDEは徐々に地上波での放送が行われるようになる。
2001年のINOKI BOM-BA-YEの成功以来、大晦日に格闘技の興行が行われることが多くなり、2003年の大晦日では同時刻帯に3つの興行が開催され、テレビでも主要局で中継放送された。著名な日本人格闘家やタレント兼格闘家の試合は話題性・注目度が高く、老若男女問わず多くの視聴者を引きつける。総合格闘技は現在では有名な娯楽観戦の一つとして地位を築きつつある。なお、PRIDEは全米でのPPV放送のみならず南米やヨーロッパの一部の国などでも放送されており、世界的知名度はUFCと変わらない高さになっていた。
2000年に入ると格闘技の性質そのものを今までとは違った角度から捕らえようとする動きが現れてくる。まず修斗を離脱した佐山聡が市街地戦を想定して実戦性を追求した掣圏道を1999年に設立、翌年から本格的に活動を展開している。次にキックボクシングルールとグラップリングルールを2ラウンドずつで行う「サムライ」という実験的な大会がマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主導で行われた。また、「柔道の原点に戻る」というテーマを掲げ、柔道をベースに打撃を融合させた新格闘技J-DOが誕生している。
試合においては、1990年代後半よりレスリング出身のマーク・コールマンやドン・フライ、マーク・ケアー、ランディ・クートゥアといった選手が活躍するようになる。かつてのUFC、あるいは他のバーリトゥード大会でブラジリアン柔術のベテラン選手達が柔術旋風を巻き起こしたように、1990年代後半からはレスリング出身者が優位を占めるようになっていく。
2000年代に入ると、今度は柔術・レスリングなどの寝技(グラウンド)・組み技を研究しつつ、あくまで打撃にこだわるスタイルの選手が活躍するようになる。シュートボクセ・アカデミー(ムエタイ系打撃)のヴァンダレイ・シウバや、K-1グランプリで準優勝したこともあるミルコ・クロコップなどがそれである。第2代PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルもベースにあるのは、豪快な投げと強力な関節技が特徴のサンボだが、得意とするのは(特長的なのは)パンチであり、立った状態はもちろん、グラウンド状態でも強烈なパンチ(これをパウンドと呼ぶ)を放つ技術を持っている。多彩な柔術技を駆使する初代王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとは好対照をなしている。
現在の打撃系選手の活躍には、シュートボクセなどのブラジル出身者の他に、元キックボクシング世界王者モーリス・スミスの恩恵が大きい。長年王者に君臨していたスミスは、現役晩年に総合ブームが起こり参戦するも、他の打撃系選手と同様に寝技系選手に敗退する。しかし、かつての名声を犠牲にしてでもモーリスは総合に参戦しつづけ、敗退を繰り返す中で打撃系選手の総合での対応策を見出していった(モーリスが目指したのは、寝技は防御のみを徹底的にマスターし、打撃で攻撃するスタイル)。
ポストPRIDE時代
PRIDEが消滅したのち、戦極やDREAMといった大規模興行を行う団体が出現したが、いずれも数年で活動休止状態となる。これらの団体に代わって日本での大規模大会を開催したのはUFCであった。2010年代に入ると、日本の総合格闘技界でもオクタゴンケージが使われる頻度が増えてゆく。VTJやHEAT、GRABAKA LIVE!といった金網での試合のみを行う団体やイベントも勃興、また、DEEPやパンクラスといったリングを使用していた団体でもケージマッチの興行を打つようになった。老舗団体「パンクラス」は2014年よりナンバーシリーズの興行ではリングからケージへ移行することになった。この、リングからケージへの変遷という時代の流れについて、例えば近藤有己は「総合格闘技をリングでやるのは限界に来てて、ケージのほうが理にかなってるのかなって気はしてます」と述べている[3]。
アマチュア総合格闘技
総合格闘技におけるアマチュアとは柔道、レスリング、ブラジリアン柔術、キックボクシングといった既存の競技を基本的には指していたが、現在ではそれだけではなく、打撃を排し、寝技と組技を重視したグラップリングや、プロの総合格闘技のルールの安全性を高めたアマチュア総合格闘技もある。日本では修斗がアマチュア競技で全日本選手権を開催しており、また、他のプロ総合格闘技団体もアマチュア競技の大会を開催している。世界では国際競技格闘連盟がアマチュア総合格闘技の世界選手権を開催している。
女子総合格闘技
女性による総合格闘技は女子プロレスや男子総合格闘技の中で行われてきたが、1995年に史上初となる女子限定の総合格闘技イベント「L-1」が女子プロレス団体「LLPW」主催で開かれ、同団体エースの神取忍らが出場。2000年には「ネオ・レディース(現・NEO女子プロレス)」が中心となって「女子総合格闘技・ReMix」を開催した。
2002年には米国でも「HOOKnSHOOT」において女子限定大会が行われた[4]。一方、日本では2001年からは初の定期興行として「SMACK GIRL」を旗揚げした。SMACK GIRLは2008年より「JEWELS」と形を変えて継続されている。修斗でも2004年からは女子限定イベント「G-SHOOTO」を開催している。
各競技の総合格闘技での実績
現代こそ、独自の総合技術体系が確立されているが、初期UFCを主催したホリオン・グレイシーは「いろいろな格闘技が自分こそ最強だと主張してきたが、それを決定するのは簡単。最も規制の少ないルールで、実際に戦ってみればいいんだよ」と述べ、初期の総合格闘技は異種格闘技戦のスポーツ科学実験と言う側面もあった。しかし、現代においてはルールが整備されるにつれ、得手不得手はあっても全ての選手が立ち技も寝技も習得しており、異種格闘技戦というよりはMMAというひとつのスポーツとなっている。現在ではMMAを掲げた格闘技ジムもあり、特定の格闘技を経験せずにMMAに参戦する選手もいる。
ブラジリアン柔術(以下柔術)
ブラジリアン柔術家ホイス・グレイシーは初期UFCを、第1回、2回、4回と3度制覇。ホイスの兄ヒクソン・グレイシーもVTJ94、95と二連覇し、柔術は高い総合適性を示した。それ以前はカンフー映画や少年漫画の影響から、極真空手最強論のように打撃メインの立ち技のほうが有利と思われていたが、実際やってみたら寝技を主体とした柔術のほうが実績を示し、これは「グレイシーショック」と呼ばれる強いインパクトを格闘技界に与えた。また、柔術マジシャンと言われるアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは『RINGS KING OF KINGS 2000トーナメント』で優勝し、初代PRIDEヘビー級王座も獲得している。
ポジショニング技術やテイクダウン技術ではレスリングやサンボのほうが優れていたが、柔術家は下からでも攻められる多彩な技術を持っており、ホイスはダン・スバーンに、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラはマーク・コールマンに下からの三角絞めで勝利している。ホリオンが「我々は喧嘩の技術を学問のレベルにまで高めた」と主張するほど柔術の技術体系は合理的で洗練されており、他競技がこれを攻略するのは困難を極めたが、UFC5でケン・シャムロックはガードポジションからスイープや絞め、関節技を警戒し、最小限の動きで頭突きをくわえ続けると言う戦術でホイスと引き分けている。また、桜庭和志はホイラー・グレイシー戦で、徹底的にグラウンドを拒否し、猪木アリ状態から相手の脚を蹴り続けたり、ジャンプして踏みつけるなどの戦術で、相手にダメージを与えて勝利している。エメリヤーエンコ・ヒョードルは下からの三角絞めや腕ひしぎを警戒しつつ、ガードポジションから強烈なパウンドを打ち込むという戦術でホドリゴ・ノゲイラに勝利している。柔術攻略も進んだため、初期UFCのように柔術家の独擅場と言うわけには行かなくなったが、ホリオンは「我々もいつか敗れるときが来るだろう。しかし、我々を敗るのは我々の技術だ」と述べ、総合技術を学ぶ上で柔術が必要不可欠であることを強調している。
2003年、2004年ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)重量級連覇の実績を持つファブリシオ・ヴェウドゥムは、人類最強と言われた実質無敗のヒョードルに腕ひしぎ三角固めで勝利し、世界中を驚かせた。
柔道
総合格闘技の普及に大きな影響を与えたグレイシー柔術は、講道館柔道の前田光世がブラジルに伝えた技術が源流となっている。柔道家の木村政彦は、1951年10月23日にエリオ・グレイシーに勝利しており、柔道はUFC以前に唯一グレイシー柔術に勝利を収めた格闘技として評価を高めた。レムコ・パドゥールが柔道家として初めてUFCに参戦したが、UFC 2でホイス・グレイシーに敗北している。Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立で吉田秀彦がホイス・グレイシーに袖車絞めで勝利し、総合ルールでドン・フライや田村潔司という強豪に勝利し、ヴァンダレイ・シウバとも善戦して評価を高めた。柔道元世界王者の小川直也も「PRIDE GP」の2004年大会に出場。ステファン・レコとジャイアント・シルバに勝利を収めた。柔道金メダリストの石井慧がサイドポジションをとっても、ジェロム・レ・バンナを極め切れなかったように、柔道家はマウントやサイドからの絞めや関節を苦手としているケースもある。柔道はマウントやサイドをとったら押え込みが成立するため、そこから絞めや関節を仕掛ける戦術的意味が少ないことが、その一因と考えられる。柔道の試合で絞めや関節が極まるときは、マウントやサイド以外の状態から仕掛けた場合が多いが、内柴正人が北京五輪決勝戦で縦四方固めから肘関節を極めて一本勝ちをしたケースや、中村兼三がシドニー五輪3回戦で上四方固めからの三角絞めで一本勝ちしたケースもある。また、瀧本誠は田村潔司に、吉田秀彦はミルコ・クロコップにローキックで攻められて対応できず、柔道のローキックの対処の弱さも見られた。古流柔術から別れたばかりの初期の柔道は当身も存在したが、次第に国際化を目指して、より多くの人々が学べるようルールの整備、安全化が進められた。また、総合格闘技が日本で広まり始めた頃は柔道から総合格闘技へ転向する例も多くはなかったが、現在はIGFヘビー級王者の石井慧、修斗世界ウェルター級王者の弘中邦佳、パンクラス・ウェルター級王者の佐藤豪則、DEEPメガトン級王者の長谷川賢、DEEPライトヘビー級王者の中西良行、DEEPミドル級王者の中村和裕など、主要国内団体の重量級王者の多くを柔道出身者が占めている。世界最高のMMA団体UFCにおいてアジア人史上最高の戦績を残した岡見勇信も柔道出身であり、総合格闘技を始めるにあたり拓殖大学柔道部出身の西良典が創設した和術慧舟會に所属した。最近では、女子総合格闘技で世界最強の呼び声高いUFC女子世界バンタム級王者ロンダ・ラウジーのように、日本以外でも柔道家から総合格闘技へ転向する例が増えている。
サンボ
サンボは着衣だが、テイクダウン、ポジショニング、関節技のバランスのとれた技術体系(レスリングに関節技を加えたような競技)を持っており、サンボ選手のオレッグ・タクタロフは、UFC 6で優勝、Ultimate Ultimate 1995では準優勝を収めた。ヒース・ヒーリングはマーク・ケアーに勝利し、ノゲイラと初代PRIDEヘビー級王座決定戦を戦った。エメリヤーエンコ・ヒョードルは、2003年3月16日にPRIDEヘビー級王座を、2008年7月19日にWAMMA世界ヘビー級王座を獲得し、高阪剛戦の偶発性の肘打ちによる流血レフェリーストップ以外負けなし(2010年のファブリシオ・ヴェウドゥム戦で実質的な初敗北)という驚異的な成績で、人類最強の男と呼ばれた。UFC以前では、コマンドサンボの使い手であるヴォルク・ハンがリングスで活躍し、人間知恵の輪のような多彩で複雑な関節技を披露した。
レスリング
グレイシー撤退以後、UFCでは、ダン・スバーン、マーク・コールマン、マーク・ケアー、ドン・フライらが活躍し、レスリング選手黄金期を築き上げた。関節技はないが、レスリングのポジショニング技術は圧倒的で、他競技の対戦相手の上をとって動きを制し、そこからパウンドや頭突きなどで勝利を収めた。しかし、ルール上頭突きが禁止されたり、膠着ブレイク制が普及し、地味だが効果的なパウンド攻撃(いわゆる塩漬け戦術)が膠着としてブレイクされるようになった。そのため、何度もスタンドで再開しているうちに、ストライカーに打撃でKOされることも多くなった。また、他競技の選手がタックルの切り方を覚えたり、タックルを切って四点膝(タックルしてきた相手の上にかぶって、頭部に膝を打ち込む)を打ち込むなど、タックルの対策も普及したため、レスリング系の選手がテイクダウンを奪うのが難しくなった。しかし、最近のUFCヘビー級王者であるランディ・クートゥアやブロック・レスナーもレスリングを土台とした選手であり、「ボクシング+レスリング」の組み合わせはもっともシンプルな格闘技スタイルであるといわれ、現在でもグラップリング技術は総合の基本技術として重視されている。また、レスリングは試合場が金網のケイジか、ロープをはったリングかでも総合適性が影響を受ける。ケイジの場合は、レスリングの腰の強さを生かして相手を金網に押し込んで殴る戦術が有効になる。ランディ・クートゥアは相手を金網に押し込んで動きを制し、近距離からショートアッパーやショートフックを打ち込む戦術を得意にしている。クートゥアが40代後半になっても一流選手と戦えるのは、巨漢の選手と戦っても押し負けないアマレス力があるからである。ブロック・レスナーがキャリア4戦目にしてUFC世界ヘビー級王座を獲得したのも、圧倒的な圧力で相手を金網に押し込み、その技術の大部分を封じることができるからである。しかし、ロープをはったリングでは押し込んで打撃を加えると言う戦術が使えず、そのプレッシャーを有効に発揮することができないため、総合適性が減少する。
ボクシング
アート・ジマーソンがUFC1に参戦しているが、ホイス・グレイシーに敗れている。アート・ジマーソンは工夫し、左手のみにグローブを付け、右手は素手のまま登場したが、テイクダウンされたら対処することができず、技を極められていないのにタップしている。元WBF世界クルーザー級王者の西島洋介は、総合では1勝もできなかった。バタービーンは、ジェームス・トンプソンやズールに勝利している。ボクシングの技術はパンチとフットワークのみに突出しているために、その他の局面で対処ができず、テイクダウン耐性も低かった。しかし、テイクダウン耐性さえ身につければ、パンチはキックよりもタックルをくらいにくく、近距離でも有効な打撃が可能なボクシングの技術はレスリングと同じく応用性が高かったため、ほとんどの総合格闘家はボクシングのパンチ技術を練習に取り入れている。
足技あり立ち技格闘技
初期は柔術家やレスリング選手にテイクダウンされてしまうため、最初はその実力を充分発揮できなかったが、タックル切りの技術を覚えたり、膠着ブレイク制が普及したことにより、キックボクサーも総合格闘技で結果を出し始めた。モーリス・スミスはマーク・コールマンを破り、第2代UFC王座を獲得。イゴール・ボブチャンチンは『PRIDE GP 2000』で準優勝。ヴァンダレイ・シウバは初代PRIDEミドル級王座を獲得。ミルコ・クロコップはPRIDE 無差別級グランプリ 2006で優勝している。キックボクサーの活躍は、「打投極」から「打投打」へ総合の戦術を変化させたと言われている。ミルコはむしろ「寝技の選手が打撃を練習するよりも、立ち技の選手がタックル切りを覚えるほうが10倍簡単だ」と述べ、立ち技格闘技の優位を指摘している。
プロレス
アントニオ猪木らがプロレス最強論を展開していたために、プロレスの総合適性への期待は高かったが、UFC1にプロレス(シュート・ファイテング)代表として参戦したケン・シャムロックは、ホイス・グレイシーに敗れる。しかし、ケン・シャムロックはホイス・グレイシーとUFC 5で再戦した際、前回の敗北を教訓にして引き分けている。桜庭和志がPRIDE.8でホイラー・グレイシーを下し、UFC以後、初めてグレイシー一族を総合格闘技試合で破った。その後、グレイシー一族を立て続けに破り、「グレイシーハンター」「プロレス界の救世主」と呼ばれた。PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦の準々決勝で、藤田和之が元UFC王者であり、霊長類ヒト科最強の男と言われたマーク・ケアーを破っている。ジョシュ・バーネット、ブロック・レスナーはUFC世界ヘビー級王座を獲得している。しかし、高田延彦や永田裕志、高山善廣、ケンドー・カシン、安田忠夫、獣神サンダー・ライガーなど実績のあるメジャーなプロレスラーの多くが総合では結果を残せなかった。プロレスラーは格闘家というよりもアクション俳優であり、プロレスラーとしては比較的マイナーな桜庭和志や藤田和之、美濃輪育久(ミノワマン)、ジョシュ・バーネットが総合で結果を残したのは、プロレスの技術と言うよりもレスリングやキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの技術によるものであると言う指摘もある。トップレスラーとしてプロレス団体WWEで活躍した後に総合へ転向し結果を残したブロック・レスナーも、元々は全米学生王座を獲得するほどの高いレスリング力を下地として持っていた。
女子総合格闘技は女子プロレス界が中心となって築き上げた歴史があり、元全日本女子プロレスの高橋洋子は日本初の女子総合格闘家としてスマックガール無差別級王座も獲得した。
相撲
相撲は日本テレビの特命リサーチ200Xで、相撲最強論が紹介されるなど、総合適性への期待は高かったが、UFC 1ではテイラ・トゥリがジェラルド・ゴルドーに敗北している。エマニュエル・ヤーブローも、UFC 3でキース・ハックニーに、PRIDE.3で高瀬大樹で敗れている。また、元横綱の曙太郎も総合ルールでは1勝も上げられなかった。力士は体格と筋肉量では圧倒的だが、致命的にスタミナとフットワークがなく、打撃でも寝技でも決め技に欠けていた。また、テイクダウン耐性が高いと思われていたが、引き込まれたり、つんのめったりして、試合では簡単に倒れた。しかし、体を絞ったり、他の格闘技を取り入れることでリョート・マチダはUFC王者に上り詰めた。
忍術
戸隠流忍術の使い手スティーブ・ジェナムは、UFC 3で優勝している。ビデオで音声解説を担当していた板垣恵介は、「まあ、総合格闘技と言うことなんでしょうね」と述べ、西良典は「こいつ、強いですよ」と評価していた。 元来日本の古武術には、相手を倒しマウントをとる技術が多く残っているが、脇差しなどの武器や眼つぶしなどで技を終了(相手の殺害)するため、他の格闘技のようにマウントをとった後の攻撃技術がほとんど存在しない。そのため「総合格闘技」ではあるが、他流の技術を併用する必要がある。
ボディビル
2012年4月17日、"MMA Attack 2" に元ボディビルダーのロバート・ブルネイカがMMAデビューを果たし、マルチン・ナイマンを下して勝利するが、相手のナイマンは当時MMAで未勝利であったため全く評価されなかった。そもそも、ボディビルダーの総合格闘技出場は皆無と言って良いほど件数が少なく、殆ど議論は憶測の域を出ない。
ボディビルダーの筋肉量は力士に匹敵するが、筋肉が過剰に発達しているため打撃を正しいフォームで打つことが難しく、むしろ打撃戦ではその筋肉を持て余すと思われる。ロードワークなどを行う習慣がボディビルダーにはあまりないためスタミナも無いと推測できる。何より、ボディビルダーの多くはドーピングを公表した者がおり、こうした者たちは厳正な検査を伴う大会からははじめから締め出された格好となる。
脚注
関連項目
外部リンク
- eFight - 格闘技をEnjoyする情報サイト。
- BoutReview - 総合格闘技を扱うニュースサイト。
- 総合格闘技boutholic - UFC,MMA,総合格闘技の最新ニュースや試合結果をお伝えする総合格闘技ファンのためのMMAニュースサイト。
- MMAPLANET - 日本国外の総合格闘技大会を多く取り上げている。
- SHERDOG - (英語)総合格闘家の大規模なデータベースがある。