ブラジリアン柔術

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox 武道・武術 ブラジリアン柔術(ブラジリアンじゅうじゅつ、テンプレート:Lang-pt-short、略称BJJ)は格闘技武術の一つである。創始者の名前からグレイシー柔術とも呼ばれる。

ブラジルに移民した日本人柔道家前田光世が自らのプロレスラーなどとの戦いから修得した技術や柔道の技術をエリオ・グレイシーカーロス・グレイシー、ジュルジ・グレイシーなどに伝え、彼らが改変してできた。ブラジルではリオデジャネイロを中心にサンパウロクリチバなどで、長年にわたって盛んに行われている。

ブラジリアン柔術とは、護身術格闘技という側面があるが、最初に前田光世から手ほどきを受けたエリオ・グレイシーは小柄で喘息持ちであった。そんな彼でも自分の身を守り、体格が大きい相手や力のある相手でも勝てるように考え出されたのがグレイシー柔術すなわちブラジリアン柔術である。それらは、寝技の組み技主体であるが故の安全性の高さや、全くの素人からでも始められるハードルの低さから、競技人口が急速に増加している。第一回UFCから現在に至るまでの総合格闘技での実績から、最強の格闘技としての名声を守り続けている。

概要

ブラジリアン柔術は「柔術競技」「バーリトゥード」「護身術」を3つの柱にしている。

  1. 稽古は「柔術競技」を中心に行われ、この競技において上達すると「バーリトゥード」で強くなるように考えられている。しかしながら、柔術競技は寝技の組み技が主体のため、安全性が高い着衣格闘技である。
  2. バーリトゥード」は原則着衣無しの『なんでもあり』の試合(総合格闘技)で、稽古では「柔術競技」との細かな技術的な違いを中心に教えられる。実際に技を掛け合う乱取り稽古は諸々の現代格闘技と同じくスパーリングと呼ばれる。
  3. 他の武術・格闘技では、実戦=バーリトゥード(何でもあり)、と考えがちだが、ブラジリアン柔術ではバーリトゥードと護身術を区別して捉えている。ただし、一部を除いて、日本のブラジリアン柔術の道場では、完全な競技柔術のみを教えているところもあり、護身術の稽古はほぼ全く行わない道場が多い。

歴史

勃興期

1990年代 - 2000年代の日本での興隆

もともと何でもありのケンカでは強いのは打撃であり組技は実戦では役に立たないと思われてきた。そんな中で1993年11月12日、グレイシー柔術のエリオ・グレイシー(カーロス・グレイシーの弟)の息子ホイス・グレイシーが、UFC 1(反則攻撃が目潰し、噛み付きのみの格闘技大会)で参加選手中、最軽量だったにもかかわらず優勝し、一躍ブラジリアン柔術が脚光を浴びた。その結果、全米中の格闘技の道場やジムでブラジリアン柔術が普及し始めた。

日本でも格闘技イベントPRIDEの影響でヒクソン・グレイシーホイス・グレイシーアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラなどの柔術系の選手を見て、ブラジリアン柔術を始める人が増えた。

日本における団体の設立

日本では、1998年(平成10年)に渡辺孝真を会長とした日本ブラジリアン柔術連盟(BJJFJ)が設立された。また2008年(平成20年)2月に、ヒクソン・グレイシーを会長とする全日本柔術連盟(JJFJ)が設立された。JJFJは2008年(平成20年)12月に一般社団法人になった。2009年(平成21年)11月にはCBJJE JAPANが発足し、日本ブラジリアン柔術連盟の副会長を9年務めた谷タカオが代表に就任した。

帯制度

テンプレート:Main 帯の色は柔道空手道のように習熟度や実力によって分けられており、白帯、青帯、紫帯、茶帯そして黒帯の順に高くなっていく。柔道の場合は各県において公式の昇段試験があり、受験者同士の試合結果にて取得する点を一定数貯めると昇段、といった制度があるが、柔術では基本的には試合や大会での実績や実力に応じて道場主が授与する場合が多い。黒帯制度がある各競技の中でも黒帯の取得が特に難しい競技と言われる。柔道の場合は体力の優れた高校生であれば柔道を始めた一年生の内に初段黒帯を取得することが普通だが、ブラジリアン柔術の場合は黒帯を取得出来る選手は稀である。目安として青帯で基本的な技術を一通り習熟し、紫帯でインストラクターとしての実力を有し、茶帯および黒帯は下位帯に対して圧倒的な実力を有する。習得期間や寝技の技量の目安として、自身の指導者が帯の昇級を認める。青帯は柔道で言えば初段から弐段位であり、大抵の人は入門して2年か3年ぐらいかかるとされるが、総合格闘技のプロ経験を持ったものは無条件で青帯に昇格される場合がある。また、国際ブラジリアン柔術連盟(CBJJ)によると、黒帯に昇格してから31年経った者に赤帯を授けている。

紫帯以上の指導者はいつでも門下生に自分の帯のより一段階下の帯を認定することが出来る。黒帯初段以上は黒帯以下の全ての帯を認定することが出来る。

ただし、それぞれ最短終了期間が定められており青帯だと会員登録から最低2年以上経過しないと取得することが出来ない。

ルール

規則

  • 打撃禁止
  • 道着の袖の余り幅は6.8cm以上あること
  • 急所攻撃禁止

勝敗の決定


時間内に決着が付かなかった場合はポイント数の多い方が勝ちとなる。引き分けはなくポイントが同じだった場合は審判が判定する。

ポジティブポイント

テンプレート:See also 基本的に3秒以上でポイントになる

名称 ポジティブポイント 詳細
テイクダウン 2点 立っている相手を倒し、寝技に持ち込むこと。
スイープ ガードポジションの選手が上の選手をひっくり返して上下逆になること。リバーサルとも言う
ニーオンザベリー サイドポジションから仰向けの相手の胴体に自分の膝を当て、もう一方の膝を床から離した体勢に移行すること。ニーインベリーとも言う
パスガード 3点 インサイドガードポジションから脱しサイドポジションで相手を抑え込むこと。
マウントポジション 4点 馬乗りの体勢になること。相手の体制は仰向け、横向け、うつ伏せを問わず有効
バックグラブ 背後から相手の両腿に両足を絡める

ただしニーオンザベリーを掛けた後反対側に移動し再びニーオンザベリーを掛けるような行為はポイントとして加算されない。

ネガティブポイント(ペナルティー)

試合中に相手と組むことを避ける行為、ストーリング(時間稼ぎ)、サブミッションを仕掛ける努力をしない行為には、ペナルティーが与えられる。

主な反則行為

重大反則

即座に失格となる

  • サブミッションが仕掛けられた状態で場外へ逃げる行為(柔道では認められている)
  • 噛みつき、サミング、髪を引っ張る、打撃行為、急所攻撃、指先で鼻孔に攻撃など
  • その他常識、道徳的に反する行為や言動

軽微な反則

2度目以降ペナルティーとして相手に1ポイントのアドバンテージが与えられる。3度目以降は2ポイント、5ポイントを超えると重大反則となる

  • 引き込み
  • 相手の道衣を掴まず膝を着く
  • 消極的な行為
  • 相手の道衣の袖口・裾口に指を入れて掴む行為
  • 相手の帯を両手で掴む
  • チョークの際に鼻をねじり上げる
  • 相手の指を掴む
  • 道衣の内側または帯に足を引っかける
  • 道衣を持たず直接のど仏にチョークを掛ける。ただし袖車絞めは有効

禁止行為

階級 反則技 解説
全階級 ネックロック フロント・ネックチャンスリーなどの首関節
蟹挟
ヒールホールド
スラミング ガード状態の相手を床に叩きつける行為。
バックグラブしている相手をジャンプして叩きつける行為も同等
外掛け 足関節技スイープを仕掛ける際に相手の脚を外側からからみつく行為
青帯〜紫帯以下 アンクルホールド 足首固め
膝への関節技 膝十字固めの形を用いたスイープも反則となる場合がある
二頭筋固め
カーフロック ふくらはぎ固めのこと
股裂き
白帯及びジュベニウ以下 リストロック
インファント・ジュベニウ以下 三角絞めから頭を引きつける行為
足首関節
袖車絞め
インファンティウ以下 オモプラッタ
フロントチョーク

柔術衣

柔術衣は一般的に柔道着とは異なりやや薄手のものが使われる。初心者は柔道着で入門しても特に問題ないが試合に出る場合はやはり柔術衣を購入するべきであろう。

柔術衣は黒、白、青、紺色のみ認められ、上下が同じ色でなければならない。ただし大会主催者の規定内であればパッチやワッペンなどは好みで付けてもよく、派手な柔術衣で試合に出場する選手が多い。

年齢カテゴリ

カテゴリ 対象年齢
プレミリン 4歳 - 6歳
ミリン 7歳 - 9歳
インファンティウ 10歳 - 12歳
インファント・ジュベニウ 13歳 - 15歳
ジュベニウ 16歳 - 17歳
アダルト 18歳 - 29歳
マスター 30歳 - 35歳
シニア1 36歳 - 40歳
シニア2 41歳 - 45歳
シニア3 46歳 - 50歳
シニア4 51歳 - 55歳
シニア5 56歳以上

階級

体重 階級名称
55kg未満 ガロ級 (galo)
61kg未満 プルーマ級 (pluma)
67kg未満 ペナ級 (pena)
73kg未満 レーヴィ級 (leve)
79kg未満 メジオ級 (medio)
85kg未満 メイオペサード級 (meio-pesado)
91kg未満 ペサード級 (pesado)
97kg未満 スペルペサード級 (super-pesado)
97kg以上 ペサディシモ級 (pesadissimo)
無差別 アブソルート級 (absoluto)

試合時間

帯/階級 プレミリン ミリン インファンティウ インファント・ジュベニウ ジュベニウ アダルト マスター シニア以上
白帯 2分 3分 4分 4分 5分 5分 5分 5分
青帯 - - - - 5分 6分 5分 5分
紫帯 - - - - - 7分 6分 5分
茶帯 - - - - - 8分 6分 5分
黒帯 - - - - - 10分 6分 5分

※空白はその帯を取得できる年齢でないことを示す

具体的な試合展開

柔道と異なり、どれほど綺麗に強く投げても一本にはならない(2ポイント)。また、柔道と異なり引き込みが認められている。そして、寝技から一方の選手が立ち上がっても、もう一方の選手が立ち技を望まず立ち上がらない場合、そのまま寝技が継続される。また寝技が膠着した場合にブレイク(待て)がかかる時間は柔道に比べてかなり遅い。そのため、寝技中心の試合展開になることが多い。

また、その寝技にしても、抑え込みでは一本にならない。また、柔道では寝技で亀になって防御することが多いが、柔術ではその態勢で背に乗られ、相手の両足を鼠径部に差し込まれるとポイントになる(4ポイント)ため、亀の姿勢のままでいることは多くはない。むしろ、防御する側(下側の者)は、相手の間に脚を入れること(つまりガードの状態にすること)を目的に動く。

一本勝ちは、関節技や絞め技を極めた場合になるが、実力が拮抗している場合は一本を狙わずポイントを狙う競技者も多い。

大会・選手権

コパ・パラエストラ、GIアマチュアオープントーナメント、デラヒーバカップ、COPA DUMAU KIMONOS(コパ・ドゥマウ・キモノス)、全日本選手権、レグナムJAM、コパ・トウホク、コパ・インファイト、カンペオナート・ジャポネーズ、〜JAM、コパ・ストライプル、COPA AXIS(コパ・アクシス)、白帯カーニバル、ポゴナカップ、キング・オブ・パラエストラ、全日本ブラジリアン柔術新人戦トーナメント、何気杯、コパ・ダ・アミザデ、CJCT、ヒクソン杯、アジサプリメント柔術大会など。日本国外でも様々な柔術の大会が開催されている。

全日本選手権

日本ブラジリアン柔術連盟(BJJFJ)が1998年(平成10年)から全日本ブラジリアン柔術選手権を開催し、全日本柔術連盟(JJFJ)が2008年(平成20年)から全日本柔術チャンピオンシップ(日本オープン柔術選手権)を開催している。また、過去にはパラエストラが主催していた「カンペオナート・ジャポネーズ・デ・ジュウジュツ・アベルト(全日本オープン選手権)」があった。

世界選手権

ブラジリアン柔術の世界選手権は現在3つある。一つは「世界柔術選手権」、「柔術競技世界」、「グレイシー柔術世界選手権」である。過去には「柔術ワールドカップ」があった。

世界柔術選手権(World Jiu-Jitsu Championship)
国際ブラジリアン柔術連盟(IBJJF)が主催する大会。通称ムンジアル。最も古くから続く世界大会。
柔術競技世界(Mundial de Jiu-Jitsu Esportivo)
ブラジル柔術競技連盟(CBJJE)が主催する大会。この大会もムンジアルという名称を用いている。2007年から始まった世界大会。
グレイシー柔術世界選手権(The Gracie Jiu-Jitsu World Championship)
国際グレイシー柔術連盟(IGJJF)が主催する大会。2003年から始まった。ムンジアルやコパ・ド・ムンドと違い、競技スポーツではなく護身としての柔術を標榜しているため、上記2つの大会とは試合ルールが異なる。まずスラム(バスター)が紫帯の部以上のカテゴリーで認められている(スラムとは相手を持ち上げて地面に叩き付ける技)。また試合時間が最大で30分と大幅に長い。加えて、寝技で膠着状態になると強制的にスタンド状態に戻され、コイントスで上下のポジションが決定される。
柔術オリンピック世界杯(Copa do Mundo de Jiu-Jitsu Olimpico)
ブラジル柔術オリンピック連盟(CBJJO)が主催していた大会。通称コパ・ド・ムンド(「世界杯」の意)。IBJJF主催の大会に反発した団体(ノヴァウニオン他)が1996年から始めた。選手の参加費を格段に安くし、優勝者には賞金が出る制度を初めて行った。正式には、柔術オリンピック コパ・ド・ムンド・デ・ジウジツ・オリンピコと言う。同大会は、2006年の開催をもって消滅し、2007年以後はCBJJOの後継団体であるブラジル柔術競技連盟(CBJJE)が、IBJJFとは異なるもう一つのムンジアルを開催している。

「柔術」という名称を使っている経緯

当時、柔道と柔術の区別が曖昧だったからという説

明治時代には、講道館柔道は柔術の一流派とされており[1]、まだ柔術と柔道を明確に区別する習慣がなかった。前田光世が日本を発った時、柔道は嘉納柔術という呼び方をされていたため、「柔術」となったと考えられる。例えば、『坊っちゃん』と『三四郎』は1906年(明治39年)と1908年(明治41年)に書かれたものであるが、嘉納治五郎と親交のあった夏目漱石はこれらの作品で「柔術」と書いている。講道館で柔道を修業した者も自分の技を「柔術」と称することが多かった。戦中まで大日本武徳会の「武道専門学校」(武専)で教授されていた「柔術」も、技術内容は講道館柔道と同じものであった

前田光世が自粛したという説

日本古来の古武道「柔術」とは直接的関係は無い。にもかかわらず「柔術」と名付けられているのは、講道館柔道を離れた身である前田光世が「柔道」という言葉の使用を自粛してブラジル人らに技を教授したからだといわれている。

外国では柔術の方が通りが良かったという説

当時外国では「柔術」という言葉が過去に海外へ出た柔道家や古流の柔術家達によってすでに広まっており、通りが良かった面がある。

流派

脚注

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関連項目

外部リンク

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情報サイト

国内団体

国際団体

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  1. 厳密には今昔をとわず「柔道」とは武術の流儀名でも格闘技名でもなく、「道」の名の示すとおり、嘉納治五郎の創作した徳目プログラムを指す。現在「柔道」(講道館柔道)という名で知られまた呼ばれる格技種目は、本来その教材となる(嘉納流の)柔術流儀のことであった。