UFC
Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、略称UFC)は、アメリカ合衆国のズッファLLCが運営する総合格闘技イベント。
1993年11月12日にアメリカのコロラド州デンバーで第1回大会「The Ultimate Fighting Championship」が開催された。
目次
[非表示]概要
アメリカのケーブルテレビのPPVで始まった企画ではあったが、それまでブラジルで行われた何でもありルールの「バーリトゥード」と呼ばれる総合格闘技を世界に本格的に紹介することになった。「金網、究極ルール」という演出で、その後、世界各国において総合格闘技の大会が開催されるようになるなどの影響を及ぼした。
初期は体重無差別によるワンナイト・トーナメントであったが、その後は階級別でのタイトルマッチによりチャンピオンを決定しており、かつて「ルール無しルール」による喧嘩大会の様相で始まったUFCは現在では確立したスタイルとして整備され、コミッションによる裁定、階級別によるマッチメイク等、プロボクシングなどの「スポーツ格闘技」に接近している。
1993年から2000年まではSEG (Semaphore Entertainment Group) 社、2001年以降はズッファLLCが運営に当たっている。
歴史
草創期
空手家、柔道家、ボクサー、プロレスラー、相撲の力士らによる異種格闘技トーナメントはさながら当時大流行していた格闘ゲームの現実化であった[1]。
この大会をプロデュースしたのはブラジルのグレイシー一族の一人、ホリオン・グレイシーである。ホリオンは実弟のホイス・グレイシーをこの大会でデビューさせた。ホイスは、このルールを想定した練習体系を持つブラジルの格闘技グレイシー柔術を修得しており、危なげなくトーナメントを制覇。グレイシー一族の目論見であったグレイシー柔術のアメリカでのプロモーションは成功する。しかしホリオンとホイスはUFCの運営方針を巡ってSEG社と衝突し[2]、1995年のUFC 5を最後にUFCを離脱している[3]。
ホイスが活躍した初期大会のPPVの契約数は数十万を獲得したとも言われ大成功を収めたが、それが逆に既得権益を脅かしかねないと、ボクシング業界に警戒感を抱かせることになった。同時にまた、当時のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインらを中心に、暴力的で不健全であるとのバッシングも起こり、UFCは逆風に直面した。スポーツ興業の開催に必要な、州を管轄するアスレチックコミッションの認可が得られず、規制の緩い州を転々とした。また、ケーブルテレビでの放送を断られ、アメリカではマイナーな存在であるCSテレビでのPPVを余儀なくされ、UFCを主催するSEG社の経営状況は悪化していく[4]。
初期の同大会は総合格闘技のセオリーがほとんど知られていなかったため、試合はさながら街の喧嘩のような殴り合いでしかなく、右手はボクシンググローブで左手は素手という姿の選手も現れ、格闘技の経験者からは酷評されることになった[5]。また出場していた選手の流派は数多く、さらにはアマチュアからプロの格闘家まで多岐に渡っていたが[6]第1回大会では、名の通った選手はパンクラスのケン・シャムロックと極真空手やリングスで活躍したジェラルド・ゴルドーのみで、ほとんどは全く無名の選手ばかりであった。当時すでに下り坂にある選手と見られていたゴルドーだったが、ほぼ全ての選手が緊張し興奮した状態で試合をしていたのとは対照的に、的確に相手の急所に突きや蹴りを入れて決勝まで勝ち進んだことで、その評価を払拭した。また、ケン・シャムロックは、2回戦でホイスにチョークスリーパーで敗れたものの、その後はUFCの顔としてホイスと好勝負を繰り返した。
日本では紹介され始めた当初、UFCを「アルティメット大会」、あるいは単に「アルティメット」と呼称することが多かった[7]。「アルティメット」という呼称は、UFCのみならず、同種の何でもありルールの大会の代名詞としても用いられた。今日では一般に本国アメリカと同じく、日本でもUFCと呼ぶのが通例である。
初期のUFCは、規制のほとんどない体重無差別のワンデイ・トーナメント形式であったが、徐々にルールが整備されていった。危険な行為が禁止されるようになり、体重別の階級制も導入され、ひとりの選手が一日に二度以上試合を行うワンデイ・トーナメントが行われることもなくなった。またUFCとは無関係のローカル大会が多く開かれるようになり底辺も広がった。さらに、競技人口の多いレスリングの選手が多く参入したこともあり、選手のレベルが向上した。結果、初期の様な喧嘩さながらの試合はなくなり、より洗練された格闘技となった。特定の格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋タンク・アボットをブラジルの柔術家ビクトー・ベウフォートがボクシングテクニックでKOしたUFC 13での試合は、喧嘩から格闘技へと進化したUFCの象徴的な出来事であろう。
ズッファ社による買収
2001年にUFCの運営母体がSEGからズッファ社に変わった[8]ことでUFCは大きな転機を迎えた。ズッファ社はラスベガスに「ステーション・カジノ」というカジノを経営するイタリア系の会社でオーナーはロレンゾ・フェティータである。前述の通りUFCはアスレチックコミッションの力が強い州では興行が行えなかった[9]。しかしボクシング業界と表裏一体にあるカジノを運営するズッファ社はコネクションを使いMMAのオフィシャルルール(UFCルール)を制定させた。そのため、一時期のバッシングから起こった、ケーブルテレビでのPPVの打ち切りや、コミッションの力が弱い片田舎でしか興行を行えないといった事態を脱し、ラスベガスのホテルで興行を行えるようになったのである。
2005年からアメリカのケーブル局スパイクTVで新人UFCファイターを発掘、育成すると言うテーマのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」の放送が開始され高視聴率を獲得した。また同局が放送していたプロレスWWEのRAWが放送局移動になったため、後釜として放送されることになったUFCも相乗効果で高視聴率をマークした。これが原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズ対ホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではPPVが60万件を記録するなど、この大会以降、PPVの売り上げが軒並み数十万件を記録する盛り上がりを見せている。2006年のPPVの売り上げはボクシングとWWEを超えたと言われている[10]。
2005年8月からは、スパイクTVにおいてUltimate Fight Night(UFN、現在はUFC Fight Night)というUFC本戦の二軍的大会の無料放送が開始され、スパイクTV開局以来の最高視聴率をマークするなど高い人気を博した[11]。
2005年12月にズッファは、活動停止したアメリカの総合格闘技イベントWFAからリョート・マチダ、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、ヒース・ヒーリングら主力選手の契約を取得する事実上の買収を行った[12]。さらに2006年12月にアメリカの総合格闘技イベントWorld Extreme Cagefighting (WEC) を買収。WFAとは異なり、WECはUFCとは独立運営される形で存続し、バンタム級とフェザー級を中心とした軽量級のイベントにシフトしていくことになった[13]。
PRIDEを買収
2007年3月27日、ズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技イベント『PRIDE』を買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立することを発表した。ロレンゾ・フェティータは今後の両イベントの運営について、プロレス団体WWEのRAWとSmackDown!に例え、それぞれ別のイベントとして運営し、年末にWWEのレッスルマニアの様な交流戦を行う構想も発表していたが、実現することはなかった。また、ミルコ・クロコップの参戦も話題になった。
2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所が解散し、旧DSEの日本人運営スタッフは全員解雇された。10日のズッファの声明では、日本でPRIDEをイベントとして開催することが不可能になったとし、その一方でPRIDEのブランドは引き続き保持していくとしている[14]。
WECを統合
2010年10月28日、ズッファ傘下にあった軽量級イベントWECをUFCに統合することが正式に発表され、2011年1月1日のUFC 125以降、フェザー級・バンタム級を加えた7階級体制での運営となることが決定した[15][16]。
Strikeforceの買収
2011年3月13日、北米No.2プロモーションであったStrikeforceがズッファにより買収され、以前のWEC同様別イベントとして活動していくことが発表されたが、2013年1月12日のStrikeforce: Marquardt vs. Saffiedineを最後にStrikeforceは解散[17]。同時にStrikeforce所属のうち21人と契約を結び、女子バンタム級王者ロンダ・ラウジーはUFC女子選手第1号となった。
ルール
ラウンド
UFCではいずれの試合も5分3ラウンド(延長なし)で行われるが、タイトルマッチ(暫定王座戦を含む)は5分5ラウンドで行われる。 2011年11月5日に開催されたUFC 138より、メインイベント(ノンタイトルマッチを含む)は5分5ラウンドで行われる事となった[18]。 ラウンド間のインターバルは1分間であり、ラウンド終了時にはゴングではなくブザーが鳴る。なお、ノンタイトル戦は原則として行われず、王者の試合は必ずタイトルマッチとなる。
勝敗・判定
試合は1名のレフェリーと3名のジャッジによって裁かれ、勝敗の裁定はノックアウト(KO)、テクニカルノックアウト(TKO)、サブミッション(タップアウト、口頭によるギブアップ、打撃等による戦意喪失)、テクニカルサブミッション(見込み一本)などによる。また、判定はラウンドごとに3人のジャッジがそれぞれ一方に10ポイント、他方に9ポイント以下を付け、各ラウンドのポイントの合計で勝敗を決するラウンドマスト制を採用している。そのため、必ず勝敗がつくマストシステムではなく、ジャッジの合計ポイント次第ではドロー裁定もありうる。
なお、判定の呼称にはユナニマス(Unanimous、3-0)、スプリット(Split、2-1)、マジョリティ(Majority、2-0)、ドロー(Draw、1-1, 1-0, 0-0)がある。
試合場
UFCの試合はオクタゴンと呼ばれるケージ(金網)で囲われた8角形の舞台で行われる。ケージの直径は8m[19]で、テンプレート:要出典範囲、面積は約42畳である。[20]このオクタゴンは映画監督のジョン・ミリアスが考案したものである[21]。ミリアスは初期UFCのプロデューサーであるホリオン・グレイシーの友人であった。
その他
選手はスパッツ(トランクス)と、規定に基づく4 - 6オンスのオープンフィンガーグローブ以外いかなるものも身に着けてはならない。道着やシューズ、ロングタイツの着用は禁止されている。
階級・王座
- 男子
階級 | 重量区分 | 現王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
ヘビー級 | 205lbs - 265lbs: 93.0kg - 120.2kg | テンプレート:Flagicon ケイン・ヴェラスケス | 2 |
ライトヘビー級 | 185lbs - 205lbs: 83.9kg - 93.0kg | テンプレート:Flagicon ジョン・ジョーンズ | 7 |
ミドル級 | 170lbs - 185lbs: 77.1kg-83.9kg | テンプレート:Flagicon クリス・ワイドマン | 2 |
ウェルター級 | 155lbs - 170lbs: 70.3kg - 77.1kg | テンプレート:Flagiconジョニー・ヘンドリックス | 0 |
ライト級 | 145lbs - 155lbs: 65.8kg - 70.3kg | テンプレート:Flagicon アンソニー・ペティス | 0 |
フェザー級 | 135lbs - 145lbs: 61.2kg - 65.8kg | テンプレート:Flagicon ジョゼ・アルド | 6 |
バンタム級 | 125lbs - 135lbs: 56.7kg - 61.2kg | テンプレート:Flagicon TJ・ディラショー | 0 |
フライ級 | 115lbs - 125lbs: 52.2kg - 56.7kg | テンプレート:Flagicon デメトリアス・ジョンソン | 4 |
- 女子
階級 | 重量区分 | 現王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
バンタム級 | 125lbs - 135lbs: 56.7kg - 61.2kg | テンプレート:Flagicon ロンダ・ラウジー | 4 |
ストロー級 | 106lbs - 115lbs: 48.1kg - 52.2kg | 空位 |
UFCはネバダ州アスレチック・コミッションの定める階級制に則り、ヘビー級、ライトヘビー級、ミドル級、ウェルター級、ライト級の5階級体制で行われている。そのため、通常はこれらの階級に沿った試合が組まれるが、稀にキャッチウェイトバウト(契約体重試合)として、上記以外の契約体重を設定して試合を行うこともある。
公式には上記の階級以外にもスーパーヘビー級(265lbs-)が設置されているが、UFC 28においてジョシュ・バーネット対ガン・マッギーの1試合が行われただけで、事実上機能していない。
2011年1月、ジョゼ・アルドとドミニク・クルーズがWECからUFCに移籍するのに伴い、フェザー級王座とバンタム級王座が創設された
2012年3月より4人参加のフライ級トーナメントを開催。
2012年11月、ロンダ・ラウジーがStrikeforceからUFCに移籍するのに伴い、女子バンタム級王座が創設された[22][23]。
反則
- ヘッドバッティング
- 局部への攻撃
- 眼球への攻撃
- 噛み付き
- 髪を引っ張る行為
- 鼻腔・耳腔・口腔等の穴に指を引っ掛ける行為
- 鼻腔・耳腔・口腔等の穴や、裂傷した部分に指を入れる行為
- 小さい関節への攻撃
- 背骨や後頭部への打撃
- 肘を上から下に打ち下ろしての打撃(それ以外の肘を使った打撃はOK)
- 喉への打撃や喉を掴む行為
- ひっかく、つねる等の行為
- 鎖骨を掴む行為
- グラウンド状態の相手の頭へのキック攻撃(サッカーボールキック、蹴り上げ[24])
- グラウンド状態の相手の頭への膝攻撃(いわゆる4点ポジションの膝蹴り)
- グラウンド状態の相手を踏み付ける行為
- 腎臓の部分を狙ってかかとで蹴る行為(いわゆるガードポジションでの踵落とし)
- 相手の頭や首をマットに突き立てるような攻撃
- オクタゴンの外に相手を放り出す行為
- 相手の着衣やグローブを掴む行為
- つばを吐きかける行為
- 相手の怪我の原因になるようなスポーツマンらしくない行為
- オクタゴンのフェンスを掴む行為(フェンスを掌で押す、蹴る行為は認められている)
- 罵声を浴びせる行為
- ブレイク中に相手を攻撃すること
- レフェリーに保護されている相手を攻撃すること
- 終了のゴングがなった後の攻撃
- レフェリーの指示を無視すること
- 相手との戦いから逃げるような恣意的行為又は怪我のふりをする、マウスピースを頻繁に落とす等を含む臆病な行為
- コーナーの人間が邪魔をする行為
- 試合中にタオルを投入すること
ルールの変遷
第1回トーナメントで採用されたルールは、ラウンド制なしの時間無制限、ブレイクなし、グローブおよび道着・シューズ等の着用は自由であり、反則は目潰しと噛み付き・金的攻撃のみであった[25]。またレフェリーストップもなく、どちらかが降参するか戦闘不能になるまで闘うというものであった。
- UFC 2(1994年3月11日)
- 時間制限が撤廃され、試合時間が無制限となった。金的攻撃も有効とされた。
- UFC 3(1994年9月9日)
- シューズを履いたままでの蹴りが禁止となり、また完全なKO決着がなくとも、レフェリーの判断で試合を止めるレフェリーストップが導入された。
- UFC 14(1997年7月27日)
- 公式オープンフィンガーグローブ(4-6オンス)の着用が義務付けられる。
- UFC 15(1997年10月17日)
- 頭突き、金的、頚部および後頭部への打撃、ダウンした相手への蹴り、指などの小さな関節を取ること、髪を引っ張ることが禁止となった。
- UFC 21(1999年7月16日)
- 1ラウンドの制限時間が5分間に改められ、ノンタイトル戦は5分3ラウンド、タイトル戦は5分5ラウンド制となった。また、ボクシングに倣い、判定においてポイントマスト制が導入された。
- UFC 28(2000年11月17日)
- ダウンした相手の頭部への蹴りおよび膝蹴りの禁止(頭部以外は可)、脊椎と首への肘打ちの禁止が導入され、シューズや道着などの着用が不可となり、また出場のための医学的な必要条件が厳格化され、出場選手への健康状態の厳しいチェックも行われるようになった。また、新階級であるバンタム級(155ポンド未満、後のライト級)とスーパーヘビー級(265ポンド以上、後に停止)が設置された。
- UFC 31(2001年5月4日)
- 階級区分が変更され、旧バンタム級は現在のライト級へ、旧ライト級は現在のウェルター級へ、旧ミドル級は現在のライトヘビー級へそれぞれ移行し、新たに現在のミドル級が設置された。
ボーナス
UFCではイベント毎にファイト・オブ・ザ・ナイト、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトの各賞が設けられており、受賞した選手にはファイトマネーとは別に、5万ドルのボーナスが支給される。
ファイト・オブ・ザ・ナイトには当該イベント中の1試合(該当する試合の勝者・敗者の2名)、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトは当該イベントでベストなパフォーマンスを見せた選手が選ばれるが、受賞に関しては明確な基準はなく、主催者側の判断に委ねられている。
また、ファイト・オブ・ザ・ナイトとパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを同時に受賞することも可能で、その場合は合計10万ドルが該当選手に支給される。
なお、UFC169以前の大会までは現行のパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトの代わりに、ノックアウト・オブ・ザ・ナイト、サブミッション・オブ・ザ・ナイトの各賞が設けられていた。 ノックアウト・オブ・ザ・ナイトは当該イベントでKO(TKO)勝利した選手のうち1名、サブミッション・オブ・ザ・ナイトはサブミッションによる一本勝利した選手のうち1名が選出されていた。
日本におけるUFC
第1回大会に日本の格闘技団体パンクラスに定期参戦していたケン・シャムロックが参戦したことにより、格闘技雑誌、プロレス雑誌はいち早くUFCの登場を伝えた。しかし格闘ゲームの現実化とも言えるUFC[1]の衝撃は、マニアの範囲にとどまらず、一般のテレビ番組でも大きく取り上げる事態となり、日本の格闘技界にも多大な影響を与えた。打撃系格闘技のK-1が、1994年と1995年に総合格闘技の試合を組み込んだ[26]のをはじめとして、UFC開催以前から日本で行われていた総合格闘技大会の修斗[27]、リングス[28]、パンクラス[29]はUFCに端を発する総合格闘技の標準的なルールに改正し、PRIDE、DEEPなどをはじめとする総合格闘技の新規プロモーションが勃興した。
SEG社時代には、スーパーステージの子会社UFC-Jとの間でフランチャイズ契約を結び、1997年から2000年にかけて計4度の日本大会を開催している。
UFC-Jは代表者の不祥事によって解散になり、ズッファ社体制になってからは、ボクシングの帝拳プロモーションをパートナーとして、テレビ放送を行いつつ日本大会の開催を模索していた。2004年12月、2005年6月には、一旦は開催を発表した日本大会を延期している[30]。
2011年9月6日、2000年12月のUFC 29以来11年ぶり、ズッファ社体制下では初となる日本大会を翌年2月26日にさいたまスーパーアリーナで開催すると発表した[31][32]。その後問題なく大会は開催され、大成功を収めた。
2012年7月7日、2013年3月3日にさいたまスーパーアリーナで開催を予定していることが明らかとなった[33][34]。
日本でのテレビ放送
ホイス・グレイシーが活躍した初期大会は、NHK衛星放送[35]、日本テレビ「世界まる見え!テレビ特捜部」、テレビ朝日「リングの魂」などの番組内で紹介された。
UFC-J事務局が運営した日本大会は、日本テレビやテレビ東京が深夜に放送した[36][37]。
CSテレビのディレクTV(スカパー!に吸収)は1,500円のPPV放送を行った。
2000年、CSテレビ、ケーブルテレビチャンネルのJ SKY SPORTS(現・J SPORTS)はSEG社とUFC 28から毎回放送の契約を締結したが、UFC 29を放送した時点で、UFCの運営がズッファ社となり契約を解消した。
2001年にズッファ社体制になって、UFC 31からUFC 34までをフジテレビ「SRS」の番組内でダイジェスト放送した。
2002年4月からボクシングの帝拳プロモーションを仲介して、WOWOWでの定期放送が始まる[30]。UFC 36から2時間枠で放送。実況は高柳謙一、解説は格闘家の高阪剛が担当することが多かった。2007年4月8日のUFC 69からはハイビジョン放送となっていた。しかし、諸条件の食い違いで契約がまとまらず[38][39]、4月26日放送のUFC 70(リピート放送)を最後にWOWOWでの放送は終了。
2002年4月のUFC 36から110度CSデジタル放送プラット・ワンのCS-WOWOWでPPV放送を実施。UFC 36はWOWOWでの放送と同内容で視聴料が1,200円だったが、UFC 37からは視聴料を2,000円とし、生中継ではアメリカのディレクTVと同内容で英語実況のまま放送[40]。
2005年2月からはテレビ東京が地上波での放送権を取得し、1時間枠で放送した。ただし2005年6月に開催とされた日本大会を含む4大会のみと言われた契約を消化することなく、テレビ東京での放送は1回のみで終了した。解説は船木誠勝[41]。
2006年4月からCSテレビの日テレG+でWOWOWから1か月遅れでの放送を再開。実況は日本テレビアナウンサーが務める。解説はプロレスラーの高山善廣。当初は1大会を1時間30分枠で放送していたが、その後、1大会を1時間枠で2回にわけて放送するようになる。WOWOWと同じく帝拳プロモーション経由での放送だったため、2007年6月にUFC 70の放送をもって終了した。
2008年10月からWOWOWで帝拳プロモーションを介さずに定期放送が再開されている[42]。
2010年3月31日の「UFC Fight Night」は、テレビ東京にて4月8日22時より放送された。同局での中継は5年ぶり、地上波プライムタイムでは史上初となった。解説は秋山成勲[43]。
同年8月1日の「UFC on Versus: Jones vs. Matyushenko」は、スカパー!のPPVチャンネル「スカチャン」にて視聴料3,150円で生中継[44]。
2012年に開催されたマカオ大会はBS朝日で放送された。
2013年よりFOX SPORTS ジャパンブランドを開始したFOXスポーツ&エンターテイメント(旧:FOX bs238)は、2013年6月よりマガジンプログラムであるUFC Ultimate Insiderとともに中継を開始。試合初中継はUFC on Fuel TV 10。その後UFC Fight Night 26よりFight Nightシリーズを放送している。解説は中井祐樹、実況は清野茂樹。なお、UFC on FOXシリーズについてはWOWOWが日本での放映権を保持しているため、FOX SPORTS ジャパンでは放送していない。WOWOWで放送されるUFC on FOXについてはWOWOWでは独自タイトルになっており、直前のナンバーシリーズに.5をつけている。例としてUFC 168の後に開催されたUFC on FOX 10は、WOWOWではUFC 168.5となっている。
日本人の参戦
前述通り、世界最高峰のMMAの舞台と言えるUFCには、数多くの日本人選手が参戦している。だが、多くの選手が苦戦・リリースされており、日本人にとって厳しい状況が続いている。 現在(2014年8月)参戦している選手は以下のとおりである。
- 秋山成勲(1勝4敗)ミドル級→ウェルター級
- 五味隆典(4勝4敗)ライト級
- 日沖発(3勝4敗)フェザー級
- 水垣偉弥(7勝2敗)バンタム級
- 山本"KID"徳郁(0勝3敗)バンタム級
- 徳留一樹(1勝2敗)ライト級
- 国本起一(2勝0敗) ウェルター級
- 菊野克紀(1勝1敗) ライト級
- 川尻達也(1勝1敗) フェザー級
- 堀口恭司(2勝0敗) バンタム級→フライ級
- 佐藤豪則(0勝1敗) ウェルター級
- 田中路教(1勝0敗)バンタム級
- 小谷直之(0勝1敗) ライト級
- 佐々木憂流迦(1勝0敗)バンタム級
- 安西信昌(0勝1敗) ウェルター級
UFCの殿堂
UFC Hall Of Fame(ユーエフシー・ホール・オブ・フェイム)は、2003年11月21日、10周年大会のUFC 45から始まったUFCの功労者を称える制度であり、殿堂入りを果たした選手はオクタゴン型の透明の盾を授与される。最初に殿堂入りを果たしたのは、ホイス・グレイシーとケン・シャムロックだった。3人目は2005年4月16日のUFC 52でダン・スバーンが表彰された。4人目にはヘビー級・ライトヘビー級の2階級で王者になったランディ・クートゥアが、5人目には初代世界ヘビー級王者マーク・コールマンが選ばれた[45]。
No. | 名前 | 日付 | 特記事項 |
---|---|---|---|
1 | ホイス・グレイシー | 2003年11月21日 (UFC 45) | |
2 | ケン・シャムロック | 2003年11月21日 (UFC 45) | |
3 | ダン・スバーン | 2005年4月16日 (UFC 50) | |
4 | ランディ・クートゥア | 2006年6月24日 (The Ultimate Fighter 3 Finale) | |
5 | マーク・コールマン | 2008年3月1日 (UFC 82) | |
6 | チャック・リデル | 2009年7月10日 (UFC 100) | |
7 | チャールズ・ルイス・ジュニア | 2009年7月10日 (UFC 100) | 選手以外では唯一の殿堂入り[46] |
8 | マット・ヒューズ | 2010年5月28日 (UFC 114) | |
9 | ティト・オーティズ | 2012年7月7日 (UFC 148) | |
10 | フォレスト・グリフィン | 2013年7月6日 (UFC162) | |
11 | ステファン・ボナー | 2013年7月6日 (UFC162) | |
12 | パット・ミレティッチ | 2014年7月6日(UFC175) |
出場選手の一覧
公式ランキング
2013年2月5日、UFC公式サイト[47]でランキングを公開した。 米国の格闘技記者達が、階級ごとに王者以外の選手に1位から15位をつける形式で投票し、パウンド・フォー・パウンドのランキングは王者も投票対象となる。 サイトでは記者達の投票を総合したランキングのほか、記者毎のランキングを参照することも可能となっている。
大会履歴
重要人物
- ダナ・ホワイト(代表)
- ロレンゾ・フェティータ(オーナー)
- マイク・ゴールドバーグ(実況)
- ジョー・ローガン(インタビュアー、解説)
- ブルース・バッファー(リングアナ)
- ジョー・シルバ(マッチメイカー)
- ショーン・シェルビー(マッチメイカー)
関連項目
脚注・出典
外部リンク
テンプレート:世界の総合格闘技団体 テンプレート:UFCの大会テンプレート:Link GA
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 K-1の創始者の石井和義は「ストリートファイターIIの世界」と形容(『ゴング格闘技』2009年2月号、イースト・プレス。石井和義インタビュー)
- 元の位置に戻る ↑ 「ケーブルテレビの放送時間内に収めたい」として時間制限を設けたいとするSEG社と、初期の体重無差別のUFCで体格で劣るグレイシー側が時間無制限ルールを望んだ(近藤隆夫『すべては敬愛するエリオのために グレイシー一族の真実』毎日コミュニケーションズ、2001年、pp.126-128。)。
- 元の位置に戻る ↑ ホイスはその後、2003年11月21日の10周年大会であるUFC 45でUFCの殿堂入りを果たし、2006年5月27日のUFC 60でのマット・ヒューズ戦でUFCに参戦した。
- 元の位置に戻る ↑ 井田英登「ジョシュ君のこと(2)」 All About 2003年2月26日
- 元の位置に戻る ↑ 小島一志『新世紀格闘技論』(スキージャーナル社、1994年)に当時の日本の格闘技関係者のコメント。
- 元の位置に戻る ↑ 中には流派が忍術という選手もいた。
- 元の位置に戻る ↑ 尾崎允実『パンクラス15年の真実 総合格闘技の舞台裏回顧録』エンターブレイン、2009年、p.72。
- 元の位置に戻る ↑ 「ボブ・メロウィッツ氏、UFCを売却」 BoutReview 2001年1月13日
- 元の位置に戻る ↑ K-1がアメリカで大会を行うK-1オフィシャルルールで試合が行われないのはアスレチックコミッションが定めるキックボクシングのルールに則っているため。
- 元の位置に戻る ↑ 【UFC】2006年度PPV決算と分析
- 元の位置に戻る ↑ 井田英登「『ジ・アルティメット・ファイター』が引き起こした興行人気」、井田英登「UFC 55〜TUF旋風吹き荒れる」、シュウ・ヒラタ「ベガス:総合格闘技初の全米無料生中継実現」
- 元の位置に戻る ↑ UFC WFAを買収。ジャクソン、ヒーリング、LYOTOもUFC参戦? BoutReview 2005年12月13日
- 元の位置に戻る ↑ 「WECが世界65kgを囲い込む!?」『GONKAKU』2007年6月号増刊、イースト・プレス
- 元の位置に戻る ↑ スポーツナビ「米PRIDE、事業所解散は「やむを得ず」 日本のファンへ理解呼びかけ」2007年10月10日
- 元の位置に戻る ↑ UFC&WEC一本化、バンタム級王者は「最高の気分だ」 MMAPLANET 2010年10月29日
- 元の位置に戻る ↑ UFC ADDS NEW WEIGHT DIVISIONS UFC公式サイト 2010年10月28日
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite web
- 元の位置に戻る ↑ UFC 138: Chris Leben, Mark Munoz to Meet in First 5-Round Non-Title Fight2011年11月20日
- 元の位置に戻る ↑ 「渋谷LIVE! ザ・プライムショー」、2013年1月22日放送、WOWOW制作
- 元の位置に戻る ↑ 「ザ・プライムショー」、2013年6月14日放送、WOWOW制作
- 元の位置に戻る ↑ 近藤隆夫『すべては敬愛するエリオのために グレイシー一族の真実』毎日コミュニケーションズ、2001年、p8。
- 元の位置に戻る ↑ Ronda Rousey Officially Moving to the UFC; Strikeforce Will Fold After January Eventmmaweekly.com 2012年11月9日
- 元の位置に戻る ↑ ロンダ・ラウジーがUFC女子バンタム級チャンピオンに。デビュー戦からメインイベントかmma ironman 2012年11月19日
- 元の位置に戻る ↑ ただし、スタンド状態の相手の顔面を蹴り上げることは反則ではない。
- 元の位置に戻る ↑ 第1回大会は金的は反則であったが自分の流派には金的攻撃があるという格闘家がいたため第2回大会から有効になった。
- 元の位置に戻る ↑ 西田健『K-1&格闘技の“真実”』本の森出版センター、1997年、p.162.
- 元の位置に戻る ↑ 修斗は1995年からそれまで禁止されていたグラウンドでの顔面パンチを解禁し、八角形のリングを導入した(『格闘技・超勝負列伝 伝説のベスト・バウト150選』メディアワークス、2000年、p.43)。
- 元の位置に戻る ↑ 顔面への攻撃はパンチ禁止で素手の掌底とキックのみ、ロープエスケープ制とポイント制というUWFを踏襲したルールを1999年から通称KoKルールというグラウンドでの顔面殴打がない以外はほぼUFCに準拠したルールに変更された(『格闘技スーパースター列伝』ベースボール・マガジン社、2004年、p.47.)
- 元の位置に戻る ↑ パンクラスもUWFルールを踏襲して素手で戦い、掌底とロープエスケープとポイント制とダウンカウントだったのが、2000年からオープンフィンガーグローブを着用して標準的な総合格闘技ルールになった(BoutReview: 99.9.18 パンクラス 東京ベイNKホール --- 6.船木誠勝vsトニー・ペテーラ BoutReview)
- ↑ 以下の位置に戻る: 30.0 30.1 井田英登「UFC日本大会中止に見る“勝ち組”研究(前編) 「UFC vs PRIDE」日米市場戦争」 All About 2005年4月30日
- 元の位置に戻る ↑ UFC2・26埼玉発表!日本継続開催へ 日刊スポーツ 2011年9月7日
- 元の位置に戻る ↑ UFCが再上陸 11年ぶりの日本開催が決定 スポーツナビ 2011年9月6日
- 元の位置に戻る ↑ UFC 13年3月日本再上陸へ 日刊スポーツ 2012年7月7日
- 元の位置に戻る ↑ 次回UFC日本大会は3月3日に開催か MMA IRONMAN 2012年7月16日
- 元の位置に戻る ↑ 西田健『K-1&格闘技の“真実”』本の森出版センター、1997年、p.151.
- 元の位置に戻る ↑ 『格闘技通信』1998年1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、po.4,18,34。
- 元の位置に戻る ↑ 井田英登「「UFC-J に高阪剛登場!日本での初アルティメット戦へ」 BoutReview 1999年10月27日
- 元の位置に戻る ↑ 聞き手・ジャン斉藤「緊急インタビュー!! WOWOWチーフプロデューサー大村氏が語るUFC放送再開決定の“真相”!!【前編】」 kamipro公式サイト 2008年
- 元の位置に戻る ↑ UFCがブレイクしたことにより、UFCは従来は1か月か2か月に1回だった開催ペースが多い月には2回になった。年間の大会数が激増したため、従来の放映権料では契約できなくなった。また、WOWOWはUFCの他に映画やスポーツを放送する総合チャンネルという性質上、UFCだけに資金を注入できなかったとの旨を大村和幸WOWOWチーフプロデューサーは説明している(『kamipro』No.116、エンターブレイン、2007年。大村インタビュー)
- 元の位置に戻る ↑ 「UFC 36、WOWOWで14日放映。中井&高阪が解説」BoutReview 2002年3月9日
- 元の位置に戻る ↑ 最強格闘技UFC 金網の中の決闘 テレビ東京公式サイト内
- 元の位置に戻る ↑ WOWOWがハイビジョンで中継を再開。名勝負選も BoutReview 2008年7月11日
- 元の位置に戻る ↑ UFC快挙、テレ東がゴールデンで放送 日刊スポーツ 2010年3月10日
- 元の位置に戻る ↑ 秋山 セコンド解説「貫き通したい」 スポーツニッポン 2010年7月16日
- 元の位置に戻る ↑ UFC Hall Of Fame Inductees UFC公式サイト
- 元の位置に戻る ↑ MMA Hall of Fame: Charles “Mask” Lewis Jr.
- 元の位置に戻る ↑ [1]2013年2月6日閲覧