鈴木みのる
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鈴木 みのる(すずき みのる、本名・旧リングネーム:鈴木 実/読み同じ、1968年6月17日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION、サンミュージックプロダクション所属[1]。株式会社パイルドライバー代表取締役[2]。
目次
来歴
新日本、UWF、藤原組
横浜高等学校時代はレスリング部に所属[3]。国体2位という実績を残して新日本プロレスに入門。
- 1988年、飯塚孝之戦でデビュー。
- 1989年3月、アントニオ猪木と対戦。
- その後、UWFへ移籍し、1989年5月に田村潔司のデビュー戦の相手を務め、UWFで初白星。その後、高田延彦や前田日明、安生洋二などととシングルで対戦した。
- 1989年11月、骨折した船木誠勝の代役で東京ドーム大会「U-COSMOS」で、モーリス・スミスと異種格闘技戦で対戦したが、5ラウンドでKO負け。
- 1991年3月、UWFを退団して、船木らと共にプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。
- 1991年4月1日、SWSと提携して行われた神戸ワールド記念ホール大会におけるアポロ菅原戦は、試合開始直後から互いに退け合うように鈴木は張り手を菅原は前蹴りを放ちまともに組み合おうとせず、その挙げ句菅原側がセメント行為を仕掛け[4]、その行為に対して鈴木はコーナーに追い詰め頭突きを見舞い菅原はグーパンチで応戦。まともに試合が成立しないほど泥沼の様相に。レフェリーが間に入り、双方の反則に(頭突きとグーパンチ)注意を入れた所でそのジャッジに呆れた菅原がリングを降りて試合放棄した[5]。
- 1992年10月、東京ドーム大会で、ソウルオリンピックのレスリング金メダリスト:ゴベリシビリ・ダビッドと対戦、裸絞めで勝利。
藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまたみのるに大きな期待を寄せた。
パンクラス
- 1993年1月、船木と共に藤原組を退団。
- 1993年8月、パンクラスを船木と共に旗揚げ。
- 1993年11月、神戸大会でモーリス・スミスとキックボクシング・ルールで対戦、KO負け。
- 1994年5月、武道館大会でスミスと再戦し、は腕ひしぎ十字固めで勝利。U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たした。
- 1995年5月、NKホール大会ではケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなった。しかし、同時期に台頭してきたブラジリアン柔術の技術を導入しようと試行錯誤を試みる船木を「ツキハギだらけ」と公然と批判。この時期から盟友・船木に対する反感を露にするなど、船木とソリが合わなくなっていた。
- 1995年9月、武道館大会で、バス・ルッテンにフロントチョークスリーパーで敗退し、キング・オブ・パンクラシストから転落。
- 1996年1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦をフランク・シャムロックと行うが敗退。以降、首の負傷(ヘルニア)が原因で連敗を重ね、6月にはデビュー半年の近藤有己にまで敗退。船木からは「もう両雄ではない」と見切りをつけられてしまう。同年10月より長期欠場した。
- 1997年5月、ジョエル・サトゥン戦で復帰。7月には負傷が再発し再び欠場した。以後、山宮恵一郎や、冨宅飛駈などに敗北。この頃のみのるは、リングスとパンクラスとのトラブルの発端を生み出し、CEOである当時のエース・前田日明に挑発されたり(みのるは黙殺)、当時シュートボクシングに在籍していた村浜武洋に「(言動が)ダサい」とインタビューで発言され、当時蜜月だったフリーライター・安田拡了経由で村浜に圧力をかけるなど、トゲトゲしい言動が目立っていた。
- 1999年12月、菊田早苗と対戦し、肩固めで敗北。
- 2000年9月、デニス・ケイン戦で、試合中に腰痛が再発しギブアップ負け。
- その後は「キャッチレスリング」という組み技限定ルールとエキシビションを中心に活動。
- 2002年6月、DEEP2001に出場し、ルチャドールのエル・ソラールと対戦するが、試合中のアクシデントで(金的蹴りを食らい)反則勝ち。
- DEEP2001で愛弟子である窪田幸生に勝利した元リングスの坂田亘に「横浜の大将」とリング上で挑発されたり、パンクラスのリング上で猛威を奮っていたGRABAKAの郷野聡寛に「美濃輪とやるのは早い」と発言したことに対してリング上で「目をさましてくださーい!」と皮肉混じりにアピールされた。
指導者としても「柔術が嫌いだから」という個人的な理由で「出稽古禁止」などのルールを設け、ますますパンクラスとその他の総合格闘技団体との技術的なギャップを広げる原因を作ったことから、引退していた船木にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまう。
- 2002年11月、横浜大会で獣神サンダー・ライガーに勝利。本来はライガーではなく、佐々木健介と対決する予定であったが、同年9月に佐々木が負傷。その後、佐々木が新日本プロレスを退団したため、ライガーが代役として出場した経緯があった。
プロレス復帰
ライガー戦を最後に、パンクラスを含めて総合格闘技の試合は行っていない(エキシビション・マッチ=非公式試合は有)、2003年4月にパンクラスのプロレス部門として「パンクラスMISSION」を立ち上げた。
- 2003年6月13日、日本武道館での成瀬昌由戦より古巣の新日本マットに参戦。2004年11月、IWGPヘビー級王座を懸けて佐々木健介と対戦。
- 2004年7月10日、東京ドーム大会よりプロレスリング・ノアに参戦。2005年1月8日、武道館大会で小橋建太とGHCヘビー級タイトルマッチを行った。2005年6月18日、丸藤正道と組んで、スコーピオ、ダグ・ウィリアムス組を破り、GHCタッグ王座を奪取。10月28日、森嶋猛、モハメド・ヨネ組に敗北して、王座を失った。
- 2006年、佐々木健介の20周年自主興行に参戦。
全日本プロレス
- 2006年3月、大田区体育館大会より、全日本プロレスに参戦。2006年4月のチャンピオン・カーニバルより全日本を主戦場とした。
- 2006年6月23日、ウルティモ・ドラゴン主催興行でメカマミーと対戦。
- 12月12日のリアルジャパンプロレス後楽園大会では、初代タイガーマスクとシングルで対戦し勝利。
- 2007年12月24日、ZERO1-MAXに初参戦。
- 2008年6月17日、後楽園ホールで、鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」が開催。モーリス・スミスとのエキシビションマッチおよび高山との2度目のシングルマッチを行った。
- 2009年9月26日、横浜文体大会で、船木とシングルで対戦。感情むき出しで船木に突っかかり、みのるのレフェリー暴行による反則負け。
- 2010年4月11日、チャンピオンカーニバル決勝で船木を破り、大会史上3人目の連覇を達成した(対船木戦初勝利)。
- 2010年5月2日、愛知県大会で浜亮太を破り第42代三冠ヘビー級王者となる。
- 2011年5月8日、NOAH有明コロシアム大会でGHCヘビー級選手権に挑戦し、杉浦貴に敗北。
- 2011年6月、全日本プロレスとの常時出場契約が満了。19日の両国国技館大会で、渕正信とのシングルマッチで対戦。試合後「新しい実がついたら(選手が育ったら)収穫に来てやる」とコメントを残し全日本に一時別れを告げる。
新日本プロレス
- 2011年6月25日、2回目の自主興行「PAILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~」を開催。みのるは里村明衣子と組み、高山善廣、栗原あゆみ組とのミクストタッグマッチで試合をした他、無期限謹慎中だったNOSAWA論外をリングに上げ(NOSAWA1人で、KIKUZAWA、高山、みのるの3人と続けてシングルマッチを行う「3人掛け」をその場で組み)、NOSAWAのプロレス界復帰の後押しを行なった。
- 2011年8月、G1クライマックスに出場。
- 2011年8月、事前予告無し、マスコミ非公開という形で、宮城県気仙沼で試合(興行)を開催[6]。
- 2011年10月より、ランス・アーチャーとのタッグでG1タッグリーグに出場し、決勝で、ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組を破り、同リーグ優勝。
- 2011年11月12日、バーナード、アンダーソン組にランスとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦するも、ランスがフォールを奪われ敗北。
- 2011年11月17日、金原弘光のデビュー20周年記念興行に出場。「U-SPIRITSルール」[7]で金原と対戦し、勝利した。この試合ではレガースを着用して試合に臨み、試合前には金原の握手に鈴木が応じ、試合後には金原の座礼に対して一度は断るものの応じる場面が見られた。
- 2011年12月4日、ジャイアント・バーナードとシングルで対戦し、ゴッチ式パイルドライバーを決めて勝利。
- 2012年1月4日、IWGP王者の棚橋弘至に挑戦したが、ハイフライフローで敗北。
- 2012年4月、ニュージャパン・カップに出場。1回戦で永田裕志に勝利するが、2回戦で真壁刀義のキングコングニードロップでフォールを奪われ、トーナメント敗退。6月、再び真壁と対戦するも、2連発のキングコングニードロップで敗北。
- 2012年8月、2年連続でG1 CLIMAXに出場。王者の棚橋弘至にリベンジ成功したが、予選敗退。
- 2012年10月8日、両国大会にて、棚橋弘至にIWGPヘビー級王座戦で再度挑戦したがで敗北。
- 2012年11月20日より開催されたWORLD TAG LEAGUEに、真霜拳號とのタッグ「鈴木軍」で出場したが、リーグ戦で敗退。
- 2013年1月4日、永田裕志と対決し敗北。
- 2013年5月3日、オカダ・カズチカの持つIWGPヘビー級王座に挑戦したが敗北。
- 2014年6月8日、直前の横浜アリーナ大会でCHAOSを裏切り鈴木軍入りした飯塚高史とタッグを組み、矢野・桜庭らとの抗争開始。
- 2014年7~8月、4年連続でG1 CLIMAXに出場。5勝5敗(勝ち点10)で予選リーグ敗退。
人物
- 永田裕志とは高校時代からの因縁が有り、30年近く経った現在でも抗争し続けている。
- プロレスに再進出してからはヘアスタイルを頻繁に変えるようになり、凝った剃り込みが入っている。常連である横浜の美容室の美容師を「おらが村のカリスマ美容師」と呼び、大きな大会の前にはヘアスタイルを変えている、ちなみにそれ以前のヘアスタイルはリーゼントか坊主だった。
- 普段は黒のショートタイツに黒のリングシューズといういでたちであるが、パンクラス時代から現在に至るまで、ここ一番の大舞台では白のショートタイツを着用する(近年では先述のパンクラスでのライガー戦、ノアでの秋山戦、全日本での武藤戦など)。
- 2005年7月18日のノア東京ドーム大会に息子を連れてきたり、「息子に自慢するから」とノアの5周年記念パーティでネブ博士と写真を撮ったりしている。
- 2007年1月には、全日本沖縄大会に参戦するため沖縄を訪れたが、その際に与那原警察署で一日署長を務めた。しかし東京スポーツに「みのる逮捕」なる見出しが載っていた。
- 中村あゆみの大ファンであり、入場テーマ曲は中村あゆみに直接製作を依頼したオリジナル曲『風になれ』である[9]。会場ではリング・インする瞬間にくる「かっぜにぃなれー♪」の部分で大合唱が起こるようになってきている。2006年5月21日に参戦した、全日本後楽園ホール大会からは、ニューバージョンの『風になれ Rough-Mix』を使用している。[10]後述のデビュー20周年興行のメインイベントでは、中村の生演奏をバックに入場した。
- 一部のビッグマッチなどでは、稀に2番の歌詞でリングインすることがある。2007年東京ドーム大会で永田と対戦したときも2番のサビでリングインしたが、解説を務めた高山が実況アナウンサーから「今日の試合はどう御覧になりますか?」と聞かれたときに「それよりもさぁ、2番の歌詞って『駆けて行け』なんだね」と呑気に答えていた。
- 最近は役者としてテレビドラマや映画に出演するようになってきたが、“役者・鈴木みのる”について本人は『週刊プロレス』2008年4月16日号掲載の連載コラム「鈴木みのるの独り言」にて、「大根役者だな〜」とダメ出ししている。
- 趣味に釣りがある。東京スポーツのインタビュー[11]によれば、元々実家が海に近いことから子供時代は兄弟でよく釣りに出ていたとのことだが、本格的に趣味としてのめりこみ始めたのは「28歳の時にパンクラスで大きなケガをして、ついでに離婚もして(笑)。一人で家でボーっとしていたら友達から誘われて」とのこと。同インタビューでは「引退したら釣り船屋か釣具屋をやろうかな。たぶん一生続けていくだろうな」とも語っている。なお、テレビ東京系列の釣り番組『釣り・ロマンを求めて』にパンクラスMISSIONの後輩佐藤光留と共に出演したことがある。
- 漫画『ONE PIECE』のファンだと公言しており、ジャンプの巻末コメントでは作者の尾田栄一郎から親交があることも明かされている。またアニメにも出演している。
- さまざまな団体に参戦していてIWGPヘビー級王座に挑戦した次の日に崖のふちプロレスに参戦をするほかグレート・ムタ&矢野通と闘う1.4東京ドームの前日にDDTプロレスリングに参戦もする。
主な得意技
UWFの流れを汲んだレスラーであることや、ヘビー級戦線では102kgと小柄であることもあり、基本的に大技を用いることはあまりなく、老獪なテクニックと相手をおちょくる動き、そしてピンポイントで決める投げ技で試合を組み立てていく。
関節技の多さ・正確性から、対戦型格闘ゲーム・鉄拳シリーズのキャラクターとして登場する、覆面プロレスラー・キングのモーションキャプチャに参加。ゲーム内に「ベルウッド・スペシャルコンボ」という名称を残す(ちなみにベルウッドは、鈴木というみのるの苗字の英訳)。
本人曰く「大技ではなく必殺技。ハヤタ隊員がウルトラマンに変身していきなりスペシウム光線を出さないのは、怪獣を動けなくさせてからでないと避けられるから。あと視聴者につまらない印象を与えないため」と、ウルトラマンに例えて自分のファイトスタイルを語っている。
- ゴッチ式パイルドライバー
- カール・ゴッチが使用していた、相手の股をクラッチしてのパイルドライバー。元々の「ゴッチ式」は、通常のパイルドライバーの体勢で股をクラッチするように持ち替えて落とすものだが、みのるの場合は最初から股をクラッチしたまま持ち上げて落としている(アマチュアレスリングの「がぶり」を切るクラッチの応用と本人が解説している)。
- 「ゴッチ式」とあるが、開発者はゴッチではなく、みのる本人であると週刊プロレスで述べている[12]。
- スリーパーホールド(裸絞め、チョークスリーパー)
- 後ろから相手の首をねちっこく締め上げる。基本的にこの時のみのるは舌を出し、相手や観客を挑発する表情をしながら絞めていることが多い。格下相手にはこれで失神を奪い勝利を決める。
- 逆落とし
- スタンディング・スリーパーホールドの状態から後方へクルっと首を絞めながら払い腰の要領でマットに叩きつけるコンパクトながらも危険な投げ技。投げた後、そのままスリーパーホールドをかけ続けてギブアップを奪う場合が多い。たまに、投げた後フォールにいくこともある。稀に断崖式も使用。
- 張り手
- 相手の頬を叩くだけの技。得意技としながらも「ビンタだけなら2歳児でも出来る」と本人は認めており、プロレスラーだからこそ出来る立派な技としてのビンタへ昇華させようとしている。緩急をつけ易いため、思い切り行くと見せかけて途中で止め軽く叩き相手をおちょくったり、掌底のようにフルスイングで打ち付けたりと大きな幅を持って使用している。2006年3月5日のGHCヘビー級選手権試合・秋山戦では、お互いに213発にも及ぶ張り手合戦を繰り広げた。
- ドロップキック
- 鈴木のドロップキックは、しっかり足を揃えてキックするので形が綺麗。プロレス再復帰戦となった成瀬昌由戦でこの技を綺麗に決め、観客のどよめきを誘った。
- 腕ひしぎ十字固め
- パンクラス時代から得意としている技。グラウンド・飛びつき式・タランチュラ式・技の切り返し等、バリエーションは多い。
- 脇固め
- 一番の使い手でもある師匠・藤原喜明から勝利を奪った事もあり、(2006年3月22日 ビッグマウスラウド 後楽園ホール シングルマッチ)、他の関節技同様に相手を挑発しながら極める事が多い。
- アキレス腱固め
- 若手時代より長年使用し続けている技。新生UWF時代には、師匠・藤原喜明に「決め方」について試合中(1989年6月、愛知体育館でのシングルマッチ)直接「決め返される」形で「ダメ出し」された事もある。プロレス回帰後は、エプロン等を利用しロープ越しに決める「ぶら下がり式(タランチュラ式)」等バリエーションも多彩に。
- ジェットスタンプ
- プロレス回帰後使用し始めた技。ハーフダウン状態の相手に向かって走り込む、もしくはロープに飛んで勢いをつけて繰り出す顔面狙いのストンピング。名称は「心の中で(ゴムゴムの~…)って言いながら放っているとのことで[13]、 ONE PIECEのモンキー・D・ルフィの必殺技の一つが由来であると匂わせている。
- 『週刊プロレス』の試合リポートではジェットブーツやフロントジェットと記載されていた時期がある(主に全日本参戦時代)。
- ゴッチ式アームホールド(ローリングショルダーフック)
- チキンウィングに捕らえた後、両前腕で挟み込みホールドして極める。
- 2014年3月6日の新日本プロレス旗揚げ記念日大会の第一試合に出場、42年前の旗揚げ戦の際にメインで戦ったアントニオ猪木とカール・ゴッチの技のみを使用し、フィニッシュで繰り出したのがこの技だった。
- 技名に関して、新日本公式では「チキンウィングアームロック」[14]、カードゲーム「キングオブプロレスリング」では「ローリングショルダーフック」[15]となっているが、鈴木本人は「ゴッチ式アームホールド」としている。[16]。
- 卍固め
- 新日本系レスラーが多用するお馴染みの技。みのるはこの技をセカンドロープ上やトップコーナーなど、様々な場所で繰り出す。例によって相手を締め上げている間は良く舌を出していることが多い。
- 逆片エビ固め
- 若手時代からの得意技のひとつ。2005年3月13日 対中嶋勝彦戦の決まり手。
- クロスアームパイルドライバー
- 2004年、佐々木健介とのIWGP戦のために開発した秘密兵器。相手の腕を交差した状態でのパイルドライバー。太陽ケアとの三冠王座戦でも使用した。
タイトル歴
- パンクラス
- キング・オブ・パンクラシスト…第2代王者(防衛0回)
- 新日本プロレス
- 第46代IWGPタッグ王座(防衛4回 パートナーは高山善廣)
- 5度目の防衛戦は高山が脳梗塞からの復帰のめどがたたず、王座を返上しなければならない危機となっていたが、高山がパートナーの座を佐々木健介に譲り、これを新日本側が認めたため、返上はなく(実際には高山&みのる組が一旦返上→鈴木&健介組が暫定王者、という扱いだったという説もある)、防衛戦が行うことができた。棚橋弘至&中邑真輔組との防衛戦はかなりの激戦になり、自らがフォールを取られて王座から陥落したが、試合後鈴木は「新日本でも骨のあるやつがいるじゃないか」と語った。
- G1 TAG LEAGUE優勝(2011年)
- パートナーはランス・アーチャー
- プロレスリング・ノア
- 第10代GHCタッグ王座(防衛2回 パートナーは丸藤正道)
- 全日本プロレス
- 第35代・第42代三冠ヘビー級王座
- 防衛回数は5回→1回
- 第55代世界タッグ王座(パートナーは太陽ケア)
- 第81代アジアタッグ王座(パートナーはNOSAWA論外)
- チャンピオン・カーニバル優勝:2回(2009年、2010年)
- 2004年度プロレス大賞 技能賞、最優秀タッグチーム賞(&高山善廣)
- 2006年度プロレス大賞 MVP
- 2008年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&太陽ケア)
入場テーマ
下記楽曲のオリジナルアーティストは全て中村あゆみ。使用順は下から。
- 風になれ~I have to be a lonely warrior,tonight~ (2006 - )
- 2006年より使用。ファンからの熱い要望により、ミックスダウンし2013年1月4日にCD発売。
- また、2014年9月3日リリース予定の中村あゆみ初のオールタイムベストアルバムにも収録[17]。
- 旧タイトルは『風になれ -Rough-Mix-』[18]。
- 風になれ ※New Version (2004 - 2006)
- 下記曲のニューバージョン。2004年より使用されメジャーレーベルでのCD化。当時、参戦していたNOAHのCDにも収録されている。
- The Beautiful days~風になれ2~
- where is my Hero
- 風になれ (1994 - 2004)
- 大ファンである中村あゆみに直接依頼したことから生まれた楽曲。
- インディーズレーベルよりCD化され現在は廃盤。次にリリースされるバージョンが主流となったため、こちら旧バージョンと称されている。
- Yesterday,Today&Tomorrow
- 現在も未CD化。
- MIDNIGHT HALLELUJAH
- パンクラス旗揚げ当時、モーリス・スミス戦の頃に使用。
- 太陽の光の中で
- 藤原組時代に使用。
- BOY'S ON THE ROAD
- 藤原組時代に使用。
- BROTHER
- UWF時代に使用。
- Rolling Age
- UWF時代に使用。自身初の入場テーマ[19]。
自主興行
風になれ
2008年4月14日にFIGHTING TV サムライにて記者会見を発表し、その日の生放送番組『Sアリーナ」』にも出演し本人から詳細が語られた。
- 大会名 : 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜
- 開催日時 : 2008年6月17日
- 開催場所 : 後楽園ホール
- 観客 : 2,300人
- 放送局 : FIGHTING TV サムライ
- 主催 : 鈴木みのる20周年記念大会実行委員会
試合内容
第1試合 タッグマッチ 30分1本勝負 | ||
○獣神サンダー冨宅イガー 獣神サンダー・ライガー |
10分37秒 アキレス腱固め |
獣神サンダー菊イガー● 獣神サンダーメカマミー |
※レフェリー:獣神サンダー良イガー | ||
第2試合 シングルマッチ 30分1本勝負 | ||
○中嶋勝彦 | 7分37秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド |
佐藤光留● |
第3試合 エキシビションマッチ(5分1ラウンド) | ||
鈴木みのる | 時間切れ引き分け | モーリス・スミス |
第4試合 バトルロイヤル(14人参加) | ||
○マッスル坂井 | 25分57秒 冨宅の"泣いてブラザーを斬る"⇒体固め |
"brother"YASSHI● |
-参加選手- 内藤哲也、真田聖也、太田一平、KUSHIDA、風香、佐藤光留 蝶野三四郎、ジャンボ菊、荒谷日明、男色ディーノ、冨宅飛駈、TAKEMURA | ||
第5試合 6人タッグマッチ 30分1本勝負 | ||
○NOSAWA論外 MAZADA 丸藤正道 |
21分41秒 超高校級ラ・マヒストラル |
カズ・ハヤシ ザ・グレート・サスケ TAKAみちのく● |
第6試合 シングルマッチ 60分1本勝負 | ||
○鈴木みのる | 22分01秒 スリーパーホールド |
高山善廣● |
※リングコール:中村あゆみ |
パイルドライバー
- 2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のチャリティーイベントとして開催が決定。スタッフ・選手がノーギャラで参加する。
- 試合カード発表前に前売券が完売してしまったため追加発売が決定する。
- 大会名 : PILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~
- 開催日時 : 2011年6月25日
- 開催場所 : 新宿フェイス
- 観客 : 超満員札止め。(前売・追加・当日立見、完売。)
- 主催 : パイルドライバー チャリティープロジェクト実行委員会
- 興行収益は、2011年7月7日付けのみのるの公式ブログ[20]で、日本赤十字社の「東北地方太平洋沖地震宛」に募金したと公表した(チケット売上、グッズ売上、義援金プロジェクトの売上などの、「総収入」から、会場費、その他の「必要経費」を引いた利益額)。
- その後、マスコミ非公開の興行を宮城県気仙沼で開催した。前もってその際の募金は、義捐金にはせず、次回の被災地での大会資金にすると公言した。
試合内容
第一試合 “楽” | ||
×菊タロー 伊藤崇文 |
11分44秒 関空トルネード |
くいしんぼう仮面○ ランジェリー武藤 |
第二試合 “哀” | ||
×佐藤光留 | 10分1秒 垂直落下式ブレーンバスター |
真霜拳號○ |
第三試合 “怒” | ||
高木三四郎 ×入江茂弘 (TKG48) |
10分42秒 タイチクラッチ(仮) |
TAKAみちのく タイチ○ (鈴木軍(仮)) |
第四試合 “喜” | ||
○KAI 日高郁人 |
15分22秒 スプラッシュ・プランチャ |
HARASHIMA 藤田ミノル× |
第五試合 “夢” | ||
鈴木みのる ○里村明衣子 |
18分3秒 デスバレーボム |
高山善廣 栗原あゆみ× |
緊急特別試合 | ||
○KIKUZAWA | 5分31秒 えびす落とし |
NOSAWA論外× |
○高山善廣 | 2分12秒 ニーリフト |
NOSAWA論外× |
○鈴木みのる | 1分31秒 ゴッチ式パイルドライバー |
NOSAWA論外× |
- 当初はスーパーヘイト、MAZADAが参戦予定だったが、在籍していたVOODOO-MURDERSのリーダー・TARUの暴行事件による、全日本からの無期限出場停止処分を受け、こちらも出場辞退となった。
メディア出演・プロレス以外の活動
映画
- タナカヒロシのすべて(2004年)
- ガッツ伝説 愛しのピット・ブル(2006年)
- カブキングZ(2008年)
テレビドラマ
- ジョシデカ!-女子刑事-(2007年10月 - 12月、TBS) 溝之口吾郎役
- シリーズ激動の昭和・3月10日東京大空襲/語られなかった33枚の真実(2008年3月10日、TBS) 憲兵役
ネットドラマ
- ジョシデカ!-女子刑事- ウェビソード(2007年10月 - 12月) 主人公・溝之口吾郎役 ※スピンオフドラマとしてネット配信
バラエティー
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ)
- とんねるずのみなさんのおかげでした(2009年11月26日、フジテレビ)「ムダ・ベストテン」に出演
アニメ
- ONE PIECE(2007年12月23日、フジテレビ)風野みのる 役
著書
- 『鈴木みのるの独り言100選』ベースボールマガジン社、2012年、ISBN 978-4-583-10500-0
連載
- 新 鈴木みのるの独り言 - 週刊プロレス (ベースボールマガジン社)2010年1月 - 2013年5月 全169回
- 2008年 - 2009年までは 『鈴木みのるの独り言』として連載。同連載100回目を持ってリニューアルし現在の連載名となる。
- 鈴木みのるのふたりごと・KAMINOGE(東邦出版)2013年6月(KAMINOGE No.19より) -
ゲーム
- 鉄拳3 モーションキャプチャー協力。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:三冠ヘビー級王座 テンプレート:プロレス大賞MVP歴代受賞者
テンプレート:Championshiptitle- ↑ 鈴木みのる - サンミュージック
- ↑ 会社概要 - パイルドライバー
- ↑ この時期千葉県立成東高等学校レスリング部に所属していた永田裕志と対戦しており、二勝二敗の記録を残している
- ↑ 参考文献週刊プロレス別冊2008夏季号 鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜 P.59「神戸事件の夜、ミナミのスナックで…」(元週刊ファイト編集次長、波々伯部哲也による出筆)より
- ↑ 船木がかつて担当していた「プロレス格闘技DX」のコラムによれば、当日の試合後、みのるは控え室で泣いていたという。またこの興行は、北尾光司がプロレス史上に残る「八百長野郎」事件を起こしたことでも知られている
- ↑ 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2011年8月25日更新ページ「気仙沼本吉町で、カウント2.9~さあ、ここから~」 2011年8月29日 閲覧
- ↑ 「ダウン」もしくは「ロープエスケープ」毎に1ポイントをロストし、ロストポイントが5に達するとTKO負けとなるルール
- ↑ 参考文献週刊プロレス別冊2008冬季号 新生UWF証言集 インタビュー P.75より
- ↑ それ以前は同じく中村あゆみの楽曲「BROTHER」「太陽の光の中で」を使用していた。
- ↑ CD化が決定し、風になれ~I have to be a lonely warrior,tonight~として2013年1月4日に発売される。
- ↑ 東京スポーツ2009年5月14日付「レスラー、格闘家のあんな話・こんな話 豪傑列伝」第4回
- ↑ 同誌連載のコラム「鈴木みのるの独り言」や、2008年に出版された週刊プロレス別冊冬季号「新生UWF証言集」のインタビューなどでも発言している
- ↑ [1] 2014年7月28日9時29分の本人のツイートより。
- ↑ 第1試合|03/06(木) 19:00 東京・大田区総合体育館|旗揚げ記念日|大会結果一覧|Match Information|新日本プロレスリング
- ↑ カードリスト | 商品紹介 | キング オブ プロレスリング トレーディングカードゲーム
- ↑ 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2014年3月6日更新ページ「1972年3月6日」
- ↑ 中村あゆみデビュー30周年記念初オール・タイム・ベスト9/3(水)発売決定!「翼の折れたエンジェル」は勿論、プロレスラー:鈴木みのるテーマ曲「風になれ」も初収録!!|中村あゆみ|Warner Music Japan
- ↑ 一部入場テーマリスト等では-Rough-Mix PART2-との記載があるが、1と2の違いは不明。
- ↑ https://twitter.com/suzuki_D_minoru/status/410239652046450688
- ↑ 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba.7月7日更新ページ「義援金総額」