プロレスリング・ノア
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目次
概要
旗揚げの経緯
2000年6月16日、ジャイアント馬場死後の全日本プロレスの体制に強い不満を抱いていた選手達が団結し、三沢光晴が中心となって離脱・旗揚げした。離脱者は川田利明、渕正信、太陽ケア、馳浩の4名を除く全選手、和田京平ら一部従業員を除く20数人というほとんどの社員となり、日本のプロレス史では最大規模となる総勢約50名強の旗揚げとなった[1]。
旗揚げ戦は同年8月5日に事務所、道場、合宿所がある東京のディファ有明で開催。旗揚げ戦を含む3会場、6,000枚のチケットが1時間足らずで完売し、注目度の高さを示した。その後、地方興行や有明コロシアムでのビッグマッチなどを重ね、2001年7月に日本武道館で初興行を開催。以後、2006年、2007年には年7回(1月、3月、4月、7月、9月、10月、12月)に渡って、武道館で興行を開催している。
2004年7月10日、2005年7月18日に特別興行としてプロレスリング・ノア 東京ドーム大会を開催した。
将来的な統一機構の設立を目指した団体連合組織「グローバル・レスリング連盟」にも参加し、今までにない交流関係を築き上げるのかと期待されたものの、現在は頓挫しているのか、動きが一切見られていない。2009年に新日本プロレス・全日本プロレスと共に打ち出した共通ライセンス構想も後に頓挫しており、他団体との交流という面ではこれまで苦戦している。
2001年4月から2009年3月まで、プロレスリング・ノア中継として、日本テレビでの全国ネット地上波放送番組枠を確保していた(日テレの他にキー局2社も放映権獲得に名乗りを上げていた)。2009年4月からはテレビ大阪でノアぷ〜として試合が放送されたが短期間で打ち切られた。旗揚げ当初はFIGHTING TV サムライにて中継する一方でノア中継開始までのつなぎとして放送された「コロッセオ」でダイジェスト放送を行っていた。サムライTVでの中継は2002年3月の日テレG+(当時はG+ SPORTS & NEWS)放送開始に伴い一旦終了となり、日テレ系地上波打ち切り後にG+と並行する形で再開された。
2009年6月13日、三沢光晴が広島大会での試合中に事故死。翌月に人事が一新された結果、田上明が社長に就任[2]。小橋建太(2011年退任)、丸藤正道の両副社長とのトロイカ体制で経営に当たる。
2011年4月、ジャイアント馬場の姪である馬場トシ子が経理部長として入社。
団体名の由来
団体名の由来は、旧約聖書の創世記に登場する人物。詳細はノア (聖書)を参照。団体のロゴには創世記の中で、オリーブの葉をくわえて戻り、嵐が終わったことを知らせた鳩が使われている。聖書に由来する単語を用いてはいるが、宗教的な意図は無い。
単発興行のタイトルは「Departure(出航)」、「GREAT VOYAGE(偉大な航海)」、シリーズ名には「Navigation(航海)」(2008年より「Navig.」と略して表記)というタイトルが用いられ、団体の運営は航海に擬えられている。
ファンクラブ名は「ノアの方舟」を意味する「NOAH'S ARK」。
団体の特徴
かつては日本武道館大会を定期的に実施する唯一の団体であった。2007年12月2日に行われた小橋の復帰戦、2009年9月27日に行われた三沢の追悼興行では、2階席の最上階まで立ち見指定席を設け、超満員札止めとなる17000人の観衆を記録したが、武道館興行も減少して代わりにTDCホールや有明コロシアムが使用される頻度が増加した。現在では団体が巨額詐欺事件に関わる暴力団関係者からの資金提供を受けた事実から、武道館が使用できなくなっている。
プロレス人気低迷以降に創設された団体であるため、プロレスファン以外の層においては新日本や全日本といった老舗団体と比べて知名度は劣る傾向である。他団体との交流については活発化・断絶を繰り返す例が多く、2014年現在は新日本やダイヤモンドリング・ZERO1・IWA JAPAN・DDTプロレスリングなどとの関係が良好な一方、全日本とは微妙な関係になっている。
運営方針
テンプレート:出典の明記 三沢光晴が全日本プロレス社長時代では実施できなかった、大型のセット、ライトアップ、花道など華やかな演出を充実させた。しかし、リング上の試合内容は全日本時代から大きな変化はなく、三沢が「スポーツライク」と表現する、伝統的な駆け引きや受けの美学を中核とした試合を行っている。アングルは1シリーズ内で終わる程度の短期間である。各選手の素の属性に関連したものが多く、リング外での活動はあくまでも添え物程度である。
競技性以外の要素としては、セガのゲーム『甲虫王者ムシキング』とタイアップした覆面レスラーのムシキング・テリーを登場させ、同ゲームの主要対象の少年層に訴求したり、笑いの要素の強いコミカルな試合も興行の中に組み入れている。グッズ売り場では、1回500円で三沢の名刺が入ったケースなどの小物、選手のコスチュームなどの愛用品、直筆サイン色紙、ポスターや過去の大会のパンフレットなどがもらえる「のあのあクジ」を行っている。試合開始前、休憩中、試合終了後には選手によるサイン会や撮影会を日替わりで開催している。
マッチメイク
テンプレート:出典の明記 2007年に入るまでは、好カードと呼ばれる組み合わせを乱発せず、ビッグマッチ用に温存することが特徴。大会場のメインイベント級のカードを大量消費してしまうリーグ戦は原則として行わなかった。カード温存の理由としては、選手への負担が高く負傷の原因となる点が挙げられている。これは過去の激しい消耗戦を体験している三沢社長の意思と言われているが、内部からも反対意見が出ることがある。また関東圏でのビッグマッチ、特に武道館におけるビッグマッチに力を注ぎ、地方ではビッグイベントが無いとの不満が特に地方都市在住のファンから指摘されている。2007年以降にジュニアヘビー級タッグリーグ、GHC王者挑戦権獲得リーグ、若手のみのモーリシャス杯、グローバル・タッグリーグなど、多数のリーグ戦が行われたことから、この規制は解除されている。
他団体と比較すると軍団・チーム(ユニット)などの数が少なく、軍団対抗戦などは活発ではない。各軍団は敵対関係は薄い傾向があり、マッチメイクの目安程度として位置付けられていることが多い。そのため軍団を超越したタッグ編成もしばしば見受けられる。
なお最近では、軍団抗争を積極的に行うケースも増えている(例としてディスオベイ、潮崎軍など)。
試合の路線は、基本的に選手に自由にさせている。また特に地方の興行では、試合中にコミカル路線の攻防も見られる。
ジュニアヘビー級
王座には階級の区別があることを除き、試合はヘビーとジュニアヘビー(以下、ジュニア)を等しく扱っている。そのため、ヘビーとジュニアの混合試合は日常的に行われている。
混合が当たり前のように行われているノアにおいては、ヘビー級のベルトにジュニアの選手が挑戦することも珍しくなくなっている。実際に2002年には小川良成、2006年には丸藤正道がジュニアヘビーの選手ながらヘビーのベルトを手に入れている。日本のプロレス史上初めてヘビー級のタイトル戦を丸藤(王者)対KENTA(挑戦者)というジュニア同士で行った。
ジュニアヘビーという階級が出来た後もプロレスの花形はヘビーの対戦と考えられ、ジュニアの選手がメインを飾るということは考えられなかったが、ノアでは金丸義信や丸藤正道、KENTA等のジュニア戦士が、全日本時代の「四天王プロレス」を髣髴とさせるような好試合をするようになる。彼らのうち丸藤正道とKENTAが俗に言うイケメンであり、試合のスタイルも華やかな動きと緩急で魅せる丸藤、キックスタイルのKENTAと素人にも非常に分かり易いこともあってか彼らを目当てにした若い女性客が一時的に増えた。しかしこれらの選手が結婚したこともあり、ノアの生命線とも言える女性ファンが減少してきている、と仲田龍は語っている。三沢の死去や小橋、田上の第一線離脱によって現在のノアは一線級でのヘビー級の人材が不足しており、丸藤、KENTAがそれぞれユニットのリーダーとして団体を牽引しヘビー級王座戦線に参戦するなど、オープンウェイト化が進んでいる。
フリー、他団体参戦選手への待遇
団体発足当時は団体の意向もあり、フリーの選手や他団体の選手がリングに上がることは少なかったが、ゼロワンとの対抗戦で大谷晋二郎、田中将斗、高岩竜一らが継続参戦をしたあたりから他団体選手もよく上がるようになり、最近では国内外問わず頻繁に団体外の選手が上がっている。現在の対抗戦の基盤を作ったともいえる獣神サンダー・ライガーのGHCジュニア王者時代には、他団体ヒールという自分の立場を最大限に利用して積極的に活動し、大ブーイングを生み出し観客を大いに沸かせた。
また、常連のフリー選手ともなると「給与形態以外は全て所属選手と同じ」ということも多く(例としてSUWAや、フリー参戦時代の石森太二、現在の志賀賢太郎など)、テーピングなどの会社の備品を使ったため、本来は選手会興行に出場しないはずの選手が強制参加させられたことがあった。
団体内の雰囲気
全日本プロレス時代からの慣習(馬場の指導)で、入門順に関わらず年長のプロレスラーは「~さん」を付けて名前を呼び、年齢に関わらず入門順の早いレスラーを同様に「~さん」付けで呼ぶ。このため先輩後輩がお互いを「さん」付けで呼び合うケースがよく見られる。例を挙げると、力皇猛は森嶋猛や丸藤正道らよりプロレス界では後輩になるが、森嶋や丸藤らは「リキさん」と「さん付け」し、敬語を使っている。杉浦貴も自衛隊でレスリングの実績を積んでいた関係上、入門が遅れているが、金丸義信らは「杉浦さん」と呼び、敬語を使う。その他、レスリング界で随一の実績を持つ本田多聞も入門が遅れているが、小橋建太はプライベートでは「本田」とは呼ばず、「本田選手」「多聞ちゃん」などと呼んでいるほか、秋山準も「本田さん」「多聞さん」などと呼ぶ。ただし齋藤彰俊は、自身より年下でデビューも遅い秋山に対して「秋山選手」と呼んで敬語を使うのだが、その秋山より先輩である井上雅央に対しては「マサオ」と怒鳴ったような口調で呼んでいる。
課題
テンプレート:独自研究 課題の主な例、原因、取組は以下の通り。
- 常時試合可能な所属選手の不足
- 特に、初代社長であり、団体の大黒柱である三沢光晴が逝去した2009年以降、相次ぐ所属レスラーの退団や怪我による離脱の穴埋めを、他団体やフリーのプロレスラーに頼る状態が続いている。2012年から後述のように若手を投入しているが、同じ年にメインイベンターの5選手が退団したため、改善されるには至っていない。
- 若手選手の不足
- 若手選手においても、従来は新弟子募集を行っていなかったために不足しており、セコンドにつく若手レスラーも健介オフィス所属レスラーなどに頼りきる状態が続いていた。2011年より三沢威(新日本プロレスメディカルトレーナー)が主宰する「新日本メディカルトレーナー協会」と協力して新人育成のためのプロレスラー養成所を開設[3]、これを実質的な新弟子募集に代える計画だったが、同養成所が一期のみで活動を停止したため、状況を改善させられなかった。
- しかし2012年に入り、4月のマーシャル・フォン・エリックとロス・フォン・エリックのデビュー[4]、5月の大阪プロレスから小峠篤司の移籍、翌2013年2月の熊野準のデビュー2014年3月定期参戦していた北宮光洋の移籍など、若手の人材不足が改善する試みが行われている。
- ヘビー級レスラー間の格差
- 小橋らトップレスラーと中堅・若手のレスラー、特にヘビー級での人気、実力差が依然として残っており、このような課題を改善するための方策として、2005年後期にはシングルマッチが増加し、2006年からはローテーションを組んだ若手のヨーロッパ遠征を取り入れている。2006年のプロレスリング・セムの設立も、対応策の一つである。
- 2007年12月2日の武道館興行にて、小橋が復帰することが伝えられたが、発売日即完売となった。この興行後、コメントを出した全ての選手が「小橋さんの力に負けた」「小橋さん頼りなのはどうにかしないといけない」という旨のコメントを出している。
- 他団体や外国人選手の扱いが良いとは言えない。これまでに外国人選手がGHCヘビー級チャンピオンになったことはない(ノア旗揚げ時に、ベイダーらを除く外国人選手の大半は全日本に残留した)。
- 首都圏での人気下降と相変わらずの地方での不人気
- 東京都を中心とする関東で人気が下降。その他の地方での相変わらずの不人気も課題のひとつである。
- 日本武道館を使用しているプロレス団体は、2010年まで日本ではノアのみであり、観客動員10000人以上の規模の会場で興行を継続的に行っている団体もノアと新日本、全日本、DRAGON GATE、DDT、IGF以外存在しない。しかし、神戸ワールド記念ホール、愛知県体育館などでは同会場における他団体の興行と比較して観客動員は芳しくない。さらに近年では日本武道館大会も満員を記録することが困難になり代わりに東京ドームシティホール(旧JCBホール)が使用されることが多くなっているがそれでも会場は埋まらない。特に2010年3月26日の千葉大会は空前の不入りとなり話題となった。また、2012年7月22日には初進出の両国国技館で久しぶりの都内の大会場での興行を行ったが、こちらも不入りに終わり、12月9日の2度目の両国大会は大日本プロレス横浜文化体育館大会と重なった影響もあり前回より主催者発表の数字も下げた。結局、両国での開催もこの2回限りとなり、2013年のビッグマッチは有明コロシアムとなった。
- 最近のシリーズでは北沢タウンホールやラゾーナ川崎プラザソルなど数百人収容の小規模会場使用が目立っている。
- 新日本プロレスのオカダ・カズチカより2012年プロレス大賞MVP受賞会見で「お客さんを呼べない団体の人がMVPって言われてもウソじゃないですか」とまで言われてしまった(団体の名指しこそはしなかったものの、森嶋猛が棚橋弘至とともにMVPにノミネートされていたことからノアを指している事は明白であった)[5]。
- 地上波放送打ち切りによる大幅な収入減
- 2009年3月をもって日本テレビでの中継が打ち切り。大幅な収入減となりその補填のための資金繰りに苦しんでいる。三沢体制下では選手の解雇は原則として行っていなかったが、三沢の死後、田上体制に移行してからは2009年末日をもって菊地毅、泉田純至、本田多聞、川畑輝鎮、志賀賢太郎、橋誠らに対し事実上の解雇を行った。ただし、志賀のみ専属フリー選手として継続出場となり、その他の選手達もフリー選手としてスポット参戦している。これらの選手は2009年から契約解除されるまでの間、所属選手ではなく専属フリー選手として契約していたことが発覚しており、出場機会も減少していた。
- タニマチによる巨額詐欺事件
- 2008年頃、経営危機がささやかれていたノアに、救世主のように現れたタニマチが後に巨額詐欺事件で起訴されたAであった。Aはノアに数千万円を融資したり選手に小遣いを気前よくあげたり、神奈川県内にノアの選手とファンが交流できるカフェをオープンしたり、三沢の死去後、偲ぶ会もイベント費用すべて負担の上同店で開催したり、とにかく金払いがよかった。Aは当時、三沢の死から間もない2009年8月、三沢の葬儀で初対面し、それまですっかり打ち解けていた三沢夫人に、自分の口座が国税局に凍結されていて、追徴金を払って復活させるまでお金を動かせないが、5,000万円あれば解除できるので立て替えてほしいと融資を依頼。Aがノアに対し多大なる支援をしていたことを知っていたため、同年10月まで5回に分け計5,300万円をA被告の口座に借用書をとることなく振り込んだ。しかし、その後、Aは10年6月までに三沢夫人にわずか500万円しか返済せず、同年9月に三沢夫人はA夫妻の自宅などを差し押さえ、その後、未返済金4,800万円の返還を求めて東京地裁に提訴し勝訴。その後、刑事告訴したが民事で判決が出ているため、この件では不起訴となった。三沢夫人の件とは別に、Aは10年10月、徳島県内に住む老人から1億1,600万円をだまし取った詐欺容疑で逮捕され、11年11月に徳島地裁で懲役7年という、詐欺罪としてはきわめて重い判決を受けた。
企画
2005年末に4人の新人がデビューし、若手選手の出場機会の減少が危惧される。その対抗策として、丸藤やKENTAなど若手を中心にした興行「プロレスリング・セム」が発表された。初回興行は2006年3月21日。常設であるディファ有明を半分ほどに仕切り、300 - 500人規模で行う。リングマットの色は、ノアで用いられる緑ではなくピンクと紫が使用される。サプライズとして他団体の選手やベテラン選手も参戦する場合がある。初の試みとして、これまでセムはディファ有明のみで行われてきたが、2007年8月には春日部市に於いて、入場無料で興行が行われた。現在ではグローバルレスリング同盟加入の多団体交流戦の形で、ノア以外の団体が主催で開くこともある。
2007年、summer navigation 07よりノア内初のリーグ戦、「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」を開催。7月1日ディファ有明から7月15日日本武道館まで開催。このリーグ戦はその後若手のシングルで争われる「モーリシャス杯」、トップのヘビー選手がタッグで競う「グローバル・タッグリーグ戦」など、少しずつ拡大してきている。
2008年には若手選手育成で、旧全日本プロレスでジャンボ鶴田、タイガーマスク(2代目、現:三沢光晴)、秋山準、小橋健太(現:小橋建太)らがこなした「7番勝負」の復活版として「谷口周平の驀進10番勝負」、「青木篤志の閃光10番勝負」を開催。この両名は2007年末に行われた「モーリシャスカップ」で上位2位に入った特典として与えられたもので、1年間をかけてベテランレスラーを相手にそれぞれに10試合ずつの試合をこなす。1年以上かかったものの10番勝負は終了し、その結果は谷口が10戦全敗、青木が1勝9敗だった。
海外進出
小橋や丸藤などがアメリカのWLWやROHに出場したり、ヨーロッパ各地を転戦するなどレスラー単位での海外進出は行われていた。2006年度より、本格的に海外進出を行うことが発表された。その第一段階としてアメリカに現地法人を設立し、物品の販売を行う。
2006年春に英語版の公式ウェブページを開設。ヨーロッパ、ハワイ、台湾などでも、試合中継が放送されている。
これまで他団体に選手を派遣する形のみであったノアは、ダグ・ウィリアムスらの協力を得て、2008年6月21日(現地時間)に、イギリス・コヴェントリーで初の海外興行を行った。会場には2400人のファンが集まり、日本と同じく「コーバーシッ!!」、「ミッサーワ!!」のコールも起こり、紙テープも乱れ飛んだ。試合後、ファンから「プリーズ・カム・バック!!」コールが起こった。
海外武者修行
1990年代以降、当時の全日本プロレスは鎖国体制を取っており、田上、小橋以降の世代はノアに移籍するまで海外遠征の経験がない者がほとんどであったため、ノアでは提携団体を中心に積極的に海外への選手派遣を行っている。ただし、長期遠征に対しては慎重な態度を取っている。
2006年より、ノア名義でイギリスにアパートを借りている。これはノアにも参戦しているダグ・ウィリアムスのコネクションでイギリスで行われる大会に若手選手を派遣するためだが、小橋や丸藤らがアメリカに遠征して試合を行ったり、三沢らがヨーロッパの大会に参戦する形とは違い、「イギリスに行く」以外は何も決まっていないまま、若手選手を派遣。通常、海外遠征には渉外部長である仲田や通訳が同行するが、このプランについては選手のみが派遣され、言葉も通じない、電車の切符も買えない状況となる。仲田曰く「かつてロッキー羽田さんたちが行っていた海外留学を再現させた」。選手達に一回り大きくなってもらおうという配慮であるが、非常に過酷である。現在は就労ビザの関係で欧州を中心にローテーションを組んで若手を派遣する形となっている。アメリカでは就労ビザが比較的高価なため、修行という形で若手選手を派遣するのは割に合わないそうである。メキシコなどにも参戦している。
これまでは長期遠征に関しては、慎重な態度を崩していなかったが、業務提携しているROH側からのオファーがあったことから、若手の潮崎豪を2008年の年明けから、武者修行という形で一時ROHに派遣した。
他団体との交流
かつては秋山と永田裕志の会合を皮切りに新日本プロレスとは三沢-蝶野正洋ラインを中心に行われ、GHCジュニアヘビー級王者になっていた獣神サンダー・ライガーが参戦した2004年7月のノア東京ドーム大会まで本格的な交流が続いた。その後、交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢光晴が参戦し約10か月ぶりの交流が実現。そのバーターとして棚橋弘至が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年になって、2005年のサイモン・ケリー猪木の新日本プロレス社長就任会見での「ノアとの交流は白紙にする」との発言テンプレート:要出典を受け、ノアの仲田龍が日本テレビとテレビ朝日の間で交わされた交流戦に関する覚書を一方的に白紙にされたとコメント。そのうえに最大のスポンサーである日本テレビに立つ瀬が無いとして、2006年5月13日付けの東京スポーツ紙上において正式に新日本プロレスとの交流断絶を表明した。しかしながら東京スポーツの報道は誤報で、その後に発行された週刊ゴング誌のインタビューでは仲田龍自ら覚え書きや契約の存在を否定し「こっちの選手が向こうに上がったら向こうの選手がこっちに上がってもらうという約束が守られなかった」と発言した。テレビゲームへの選手登場を要請した新日本プロレスの親会社ユークスに対しても「巨人の選手が中日新聞に協力するようなことは無いでしょう[6]。よって辞退しました」としている。中日新聞社は中日ドラゴンズの親会社である。2006年7月に発売されたレッスルキングダムPS2版がユークスのゲームにノアの名前と所属選手が登場する最後のゲームとなっている。しかし現在では新日本プロレスの親会社であるブシロードのカードゲームにノアの選手が登場しており、矛盾した話になっている。 事の発端となったサイモンが新日本プロレスの社長辞任後の2007年4月26日にノア事務所を表敬訪問し、仲田と和解したと東京スポーツで報道された。記事によると今後はサイモン主宰のLA道場にも機会があれば協力するがその後は話に進展はなく交流もないとのこと。同じくサイモンが関わると言われているIGFに関しては協力する意志はないという話ではあった[7]。 その後、2008年8月26日に行われた、新日本プロレスの主催によるレッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行において、仲田、三沢両名がお祝いVTRで登場。興行後の海野の会見でノア勢の参戦も予定されていたことが明かされている。2008年9月6日、日本武道館大会の会場を裕次郎と内藤哲也のNO LIMITが視察。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し、2008年9月14日のノアの大会のダーク・マッチに出場し勝利を収め、9月27日にタイトルに挑戦し敗北。中邑真輔らによる2009年1月4日新日本東京ドーム大会への対戦要請に呼応して、三沢、杉浦、秋山、佐野が出場した。が実は後にドーム参戦はノアからのオファーだったことが発覚した。その後のノア興行に中邑、ミラノコレクションA.T.、天山広吉、金本浩二、ライガーが参加。さらに2009年に開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに、ノアの所属選手として菊地毅、青木篤志の2名が初参加している。10月12日、蝶野のデビュー25周年記念試合で、蝶野、武藤、小橋がトリオを結成。中西学、小島聡、秋山準がトリオを結成して対戦。ノア、新日本、全日本のメジャー3団体による豪華な6人タッグマッチが行われた。2011年に入り新弟子の養成について実質的な提携を行う方針が明らかにされる(詳細は後述)。2012年以降、矢野通、飯塚高史がGHCタッグ王者に、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスクがGHCジュニアタッグ王者となり、以降中堅・ベテラン選手を中心に頻繁にノアのリングに上がり、ノアの選手も新日の興行に出場しているため、現在は比較的関係は良好であるといえる。2012年、2013年にはグローバル・リーグ戦に永田裕志が参戦し、2013年は優勝している。また、小橋建太の引退試合では永田に加え小島聡、棚橋弘至が、丸藤正道15周年試合ではタイガー、ライガーに加え中邑真輔とエース級の選手が参戦している。
一時期は交流はあり得ないと考えられた全日本プロレスとは、三沢らの全日本離脱の一因となった馬場元子が全日本の経営から離れて、武藤が社長であることなどの理由で、2004年に交流することになり、同年7月に三沢と武藤のタッグ対決、その後、三沢が4年ぶりに古巣に参戦して小島聡と対戦。10月には、武藤のデビュー20周年記念興行で三沢が武藤とタッグを結成した。以後、VOODOO-MURDERSや佐々木健介、中嶋勝彦、曙、NOSAWA論外、MAZADAなどといった全日本系フリーのユニットや選手がノアマットに次々と上陸している。中には全日認定の王座を保持したままノアの大会へ出場することもある。鈴木みのる/三冠王者=2006年12月10日・日本武道館、近藤修司/世界Jr.王者=2006年11月1日・後楽園ホールなど。後述のディファカップといった、単発興行での接触もあった。2008年9月28日の全日本プロレスの興行で、丸藤正道が土方隆司の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦し、タイトルを奪取したが、翌年カズ・ハヤシに敗れ王座陥落した。2009年8月30日、両国国技館で開催された2009 プロレスLOVE in 両国 Vol.8に小橋建太と菊地毅が2000年6月の全日退団以来、9年ぶりに参戦。小橋建太、菊地毅、伊藤旭彦 vs 小島聡、KAI、大和ヒロシの6人タッグが行われた。9月27日、日本武道館で行われた三沢追悼興行に武藤が参戦。田上と社長タッグを組み、高山善廣とタッグを組んだ小橋と初遭遇した。2010年に入り、新日本・全日本・ノアの3団体で調整が進められていた共通ライセンス構想から全日本が一方的に離脱したこと(詳細はプロレスラー#共通ライセンス構想を参照)などから、ノア側が全日本に不信感を抱き一時交流が断絶[8]。しかし2011年の東北地方太平洋沖地震を契機に関係が徐々に改善しつつあり、同年4月に開催される全日本のチャンピオン・カーニバルに秋山準が参戦するなど、一部で交流が再開した[9]。その後秋山が三冠王者となった事から、秋山が定期的に全日本のリングに上がっており、2012年に入り近藤修司や大和ヒロシ、カズ・ハヤシに加えて、普段は他団体の試合への参戦経験がほとんどない諏訪魔が単発ではあるものの参戦している。だが、2013年になり、ノアを離脱した秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の5人がフリーランスとして(後に正式に入団)全日本プロレスを主戦場としていることや、全日本プロレスのオーナーとなった白石伸生が、他団体との交流を凍結し鎖国すると発言するなど、再び微妙な関係となっている。現在、団体運営が変更され、秋山が社長となっているが、過去のいきさつから関係は改善されず、微妙な関係のままとなっている。
2005年の東京ドーム大会に佐々木健介と中嶋勝彦が初参戦。以降もスポット参戦していたが、2008年からはプロレスリング・セムの共同開催を始め、グローバル・タッグ・リーグへの参戦や、シリーズ継続参戦など本格的な交流を開始していた。2008年の9月に佐々木がGHCヘビー級王者に君臨したり、その後も頻繁に門下生を派遣するなど、自主興行数が少ないDIAMOND RING所属選手の主戦場となっている。現在団体の活動が休止中であり今はDIAMOND RINGの所属である中嶋勝彦のみが参戦中。元所属であった北宮光洋はノア所属になった。
ヘビー級はプロレスリングZERO-ONE時代に、橋本真也や大谷晋二郎、田中将斗らが参加。ジュニアヘビー級に関しては、ZERO1-MAXの親会社であるファースト・オン・ステージとノアの共催で行われたディファカップでの繋がりから、日高郁人と藤田ミノルが参戦するようになった。KENTAや杉浦貴、菊地毅らがZERO1-MAXに度々参戦している。FOSの中村祥之代表とノア首脳とのパイプはFOSがグローバル・レスリング連盟設立案をノアに持ち込んだ辺りまではその関係が強かった。プロレスリング・セムの興行に日高を送り込んだり、GPWA興行で若手の混成タッグを結成したり、大谷が小橋欠場で空位になったGHCタッグの新選手権決定トーナメントなどに村上和成(ビッグマウス・ラウド)とのコンビで出場していたが、2007年に齋藤彰俊が火祭りに参戦して以降は交流が途絶えていたが、2012年に入りグローバルタッグリーグに大谷と橋本大地が参戦、丸藤正道がZERO1の会場に訪れるなど交流が再び行われ、現在は比較的良好な関係となっている。
IWA・JAPANの浅野起州オーナーは元全日本のプロモーターであり、その縁もありノア旗揚げ直後は頻繁に選手を派遣していた。近年は交流が途絶えていたが、2010年10月にIWA側がUMA軍とノアの対抗戦を申し込み、ノア側では新ブランド「HONA」による選手派遣という形でこれに応じることとなり、久々に交流が復活していてSEMにUMA軍団が参戦経験あり。また小峠篤司が浅野オーナーの経営する花膳の看板息子にされている。
丸藤がザ・グレート・サスケと対戦し、今後の交流にも含みを持たせたことがあったが、その後両団体の交流はなかったが、2007年7月には単発ながら同団体所属の気仙沼二郎がノアの気仙沼大会に出場している。また、2010年にはジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、みちのくプロレスからサスケと剣舞が参加し、翌年には、拳王と剣舞が参加し、2013年には石森太二が保持するGHCジュニアヘビー級王座に野橋太郎が挑戦するなど、単発的ではあるが交流している。2014年より拳王がみちのくプロレス所属のままノアの全試合に参戦している。
三沢たちがかつて所属した、全日本プロレスが掲げていた「王道」をその名に冠する団体であることなどから交流の可能性は皆無と見られていた。しかし、2006年4月の同団体の興行に三沢を含め4選手が参加することとなった。その後キングスロード自体がZERO1-MAX(現ZERO1)に吸収されるような形で終焉を迎えた。最終的に倒産に至ったという点から結果的に助けたことにはならなかった。
柴田勝頼は2005年11月のGHCタッグ選手権試合にKENTAのパートナーとして、12月のBML第2回興行ではノアに所属する直前の齋藤彰俊が出場している。2006年6月のBML第六回興行では丸藤と森嶋が出場した。2006年8月に柴田が退団。ノアにてKENTAとのタッグ再開を予定していたが、その後柴田は総合格闘技に活動の中心をシフトさせたため、事実上柴KENタッグは空中分解したと見る向きは多い。ただしKENTAの弁によると両者の交流は完全に途切れたわけではないらしい。同年10月には村上和成、臼田勝美、原学がノアマットに上陸、村上は三沢とシングルで対戦した。そのことを裏付けるかのように、村上らは同じGPWAの主幹団体であるZERO1-MAXにもほぼ同じ時期からレギュラー参戦しており、村上は同年11月のGHCタッグ選手権王座決定トーナメントにもZERO1の大谷晋二郎とのコンビでノアに再上陸、更に同じくZERO1の高岩も含めたトリオで12月の横浜大会にも引き続き参戦した。村上は翌2007年にも丸藤の呼びかけに対して乱入という形で参戦を果たし、6月の横浜大会では暴走の果てに丸藤に勝利したが、その後、怪我をきっかけに出場が途絶えた。もう一方の上井が興した興行、UWAI STATIONの旗揚げ戦にはノアの常連フリー系選手の高山善廣、鈴木みのる、SUWAがタッグを組んで出場、さらには直前に行われたノアのシリーズに参戦した外国人選手のブライアン・ダニエルソンも同じく出場している。なお2010年には再度ノアに参戦。村上、臼田が乱闘騒ぎをおこし、さらには力皇猛とモハメド・ヨネが保持していたGHCタッグ選手権にも挑戦した。
ディファカップなどで単発的な接触はあったが、共に業務提携しているROHの日本ツアーにおいてノアが東京大会、DRAGON GATEが大阪大会をサポートした。2007年にはGHCジュニアタッグ王者の鼓太郎&マルビン組に土井&吉野組、新井&岩佐組、堀口&土井組が連続して挑戦し、その後再挑戦した土井&吉野組がタイトルを奪取した。また、タイトルマッチとは関係なくCIMAやドラゴン・キッドなども参戦し、丸藤らと対戦している。前述のGHCを巡る争い後にはROHとDRAGON GATEの業務提携解消もあり、関係が一旦途絶えている。
同様にディファカップなどでの単発的な接触はあったが、それ以外ではプロレスリング・セムの興行に飯伏幸太が、ノアでの選手会興行で男色ディーノが秋山準のセコンドとして出場。2007年4月1日のDDTの大会に丸藤正道が男色ディーノと組んで、KUDO、マッスル坂井組と戦い、所属選手初のDDTマット参戦を果たした。5月6日に開催された「ディファフェスタ」のDDT主催興行(Cruiser's Game)にもKENTAが出場し、KUDOとシングルマッチを行った。逆に同年6月-7月のシリーズでは飯伏がノアマットに会場限定ながらシリーズ参戦を果たし、丸藤とのタッグでノア初となるジュニアのタッグリーグ戦に参加している。その後も選手派遣などの交流が続き、12月9日のDDT新潟フェイズさよなら興行には三沢がシークレット扱いで、鈴木鼓太郎と共に初参戦を果たした。現在は、DDTが全日本や新日本との交流を主にしているため、ノアとの交流は疎遠となっている。
西村修、吉江豊が新日本所属時代にスポット参戦したことはあったものの、無我旗揚げ以降は接触が無かったが、2007年9月9日の大会において、三沢&潮崎組と藤波辰爾&西村組の特別試合が行われた。三沢と藤波は2005年5月14日の新日本プロレスの大会においてタッグを結成。対戦相手は蝶野正洋&獣神サンダー・ライガー組であった。正真正銘の初タッグながらスムーズな連係を見せ、最後はライガーを三沢のダイビング・ボディ・プレス→藤波のグラウンドコブラツイスト、という流れで仕留めている。この後、再びタッグマッチという形で2年4か月振りの再会が実現した。その後、ノアとは関係を絶ち、新日本などの他団体と交流していたが、2013年12月7日に行われた田上明引退試合に田上本人の希望で藤波が参戦。以降、ドラディションの興行にノアの選手が出場するなど、交流が再開している。
以前はデスマッチ路線を主体としていたため直接な交流がなく、2011年3月、ドイツの団体wXwへ潮崎と鼓太郎が遠征時に、大日本のストロングスタイルである関本大介、佐々木義人が合流し、直接対決はなかったが、同行していた李日韓(大日本レフェリー)が、潮崎、鈴木の試合をレフェリングした程度であった。だが、2013年に入り、石川晋也が大日本所属として初めてノア興行に参戦。その後、石川と佐々木義人がGHCタッグ王座へ挑戦し、関本がグローバル・リーグ戦に出場するなど、ストロングスタイルの選手を中心とした交流が行われるようになってきている。2014年には大日本後楽園大会などにノアから丸藤正道らが参戦する。
初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座決定トーナメントに村浜武洋が参戦。2010年には、小峠篤司と原田大輔が日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦へ参戦。以後、単発的にノアへ参戦し、ジュニアヘビー級タッグ選手権にも挑戦している。このため関西地区の興行を中心に他の大阪プロレス所属選手が単発的に参戦する機会も増えている。2012年に小峠が、2013年にも原田がノアに移籍している。
以前は積極的な交流は行われず、2007年4月に丸藤正道がKAIENTAI-DOJOの興行に出場した以外は、2011年7月に開催された日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に、負傷欠場となった石森太二の代わりに滝澤大志がザック・セイバー・ジュニアと組み出場した程度であったが、翌年から同タッグリーグに旭志織とヒロ・トウナイのタッグが3年連続で出場し、単発的ではあるが他の興行にも出場、GHCジュニアタッグ選手権にも挑戦している。他にも梶トマトがノアの興行に出場するなど交流が行われ、現在はKAIENTAI-DOJOの興行にノアの選手が出場するなど交流が行われている。
所属の池田大輔がよく参戦する。
過去に当時の社長THE CRAZY SKBがノアの事務所に乱入するなどの行為を犯したため絶縁状態にあったが、2014年8月12日のセムに宮本裕向が参戦した。
以上の団体とも交流を持ち、選手の交互派遣を行っている。また、上記団体以外にも地方興行において、地元のローカル団体の選手が出場するなど、交流が行われている。
業務提携を結んでいる。WLWはノア設立時の後見人であり、GHC管理委員(現在は同委員長)のハーリー・レイスが主催していることで良好な関係にあり、選手を相互派遣したり、留学生を受け入れたり、合同キャンプを開催したりしている。
業務提携を結んでいる。
業務提携を結んでいる。
業務提携を結んでいる。
業務提携を結んでいる。
友好関係にある。
友好関係にある。
2007年の記者会見にて関わりを持つことを示唆し、同年10月にサモア・ジョーが参戦し、GHCヘビーシングルに挑戦。2012年7月に開催された両国国技館大会では、サモア・ジョー&マグナスがGHCタッグ王座に就いている。だが、2013年にWRESTLE-1がTNAと業務提携を結んだため、団体同士の交流は流動的となっている。
副社長を務めるジョニー・エースがノア関係者とは旧知の仲とあって森嶋、潮崎ともにWWEのトライアウトに出場している。なお両者とも不合格であった。ノアのエースクラスがWWEで全く通用しなかった事実は新日本プロレスで中堅に過ぎなかった山本尚文がヨシ・タツとしてレギュラーに定着した事とは対照的である。近年は特に目立った交流はしていないが、ノアを退団したKENTAが2014年に公開契約という破格の扱いで入団している。
タイトルホルダー
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 |
---|---|---|---|---|
GHCヘビー級王座 | 丸藤正道 | 第22代 | 2 | |
GHCタッグ王座 | 杉浦貴 田中将斗 |
第31代 | 2 | |
GHCジュニアヘビー級王座 | 原田大輔 | 第27代 | 4 | |
GHCジュニアヘビー級タッグ王座 | 石森太二 小峠篤司 |
第22代 |
タイトル | 覇者 | 年代 |
---|---|---|
グローバル・タッグ・リーグ戦 | 杉浦貴 田中将斗 |
2014年 |
日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦 | 大原はじめ 拳王 |
2014年 |
グローバル・リーグ戦 | 永田裕志 | 2013年 |
所属選手、主要参戦選手
BRAVE
NO MERCY
超危暴軍
TMDK
無所属
- 小川良成
- 北宮光洋
- 熊野準
- 中井光義(練習生)
- ロス・フォン・エリック
- マーシャル・フォン・エリック
- ザック・セイバーJr.(フリー)
- スペル・クレイジー(フリー)
名古屋維真軍
- 青柳政司(誠心会館)
- アレクサンダー大塚(AO/DC)
- エル・サムライ(スポルティーバエンターテイメント)
- ヒデ久保田(スポルティーバエンターテイメント)
- ヤス久保田(スポルティーバエンターテイメント)
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
メディカルトレーナー
GHC管理委員会
- ハーリー・レイス(管理委員長)
- ケビン・フォン・エリック
- 力皇猛
役員
代表取締役社長
取締役副社長
過去の所属選手
- 小橋建太
- 秋山準
- 力皇猛
- 潮崎豪
- 田上明
- 高山善廣
- 大森隆男
- 佐野巧真
- 本田多聞
- 橋誠
- 泉田純
- 井上雅央
- 池田大輔
- 川畑輝鎮
- 志賀賢太郎
- 永源遥
- 金丸義信
- 鈴木鼓太郎
- リッキー・マルビン
- 垣原賢人
- 菊地毅
- 浅子覚
- 百田光雄
- 青木篤志
- 伊藤旭彦
- 太田一平
- KENTA
過去のスタッフ、役員
- マイティ井上(レフェリー)
故人
プロレスラー
スタッフ、役員
フリー、他団体参戦選手
2014年から参戦した選手のみ列記。
- 高山善廣
- 斎藤彰俊
- 佐野巧真
- 池田大輔
- 井上雅央
- 青柳政司
- 中嶋勝彦
- 大原はじめ
- 拳王
- 永田裕志
- 小島聡
- 矢野通
- 飯塚高史
- YOSHI-HASHI
- 獣神サンダー・ライガー
- 田中翔
- 内藤哲也
- 後藤洋央紀
- 柴田勝頼
- 田中将斗
- 関本大介
- MEN'Sテイオー
- 岡林裕二
- 石川晋也
- 河上隆一
- 野橋太郎
- 日向寺塁
- 佐々木大地
- 旭志織
- ヒロ・トウナイ
- 松山勘十郎
- 藤波辰爾
- 越中詩郎
- 天龍源一郎
- GAINA
- 南条隼人
- フライングキッド市原
- ヒデ久保田
- ヤス久保田
- 菊タロー
- パンチくん
- 宇宙人グレイ
- ゴム人間
- 初代タイガーマスク
- スーパータイガー
- KENTA
- 川端輝鎮
- バッファロー
- 田中純二
- 魁
- 木谷康祐
- 宮本裕向
- 木高イサミ
来日外国人選手
2014年から参戦した選手のみ列記。 テンプレート:See also
- フリー
歴代ユニット
- WAVE
- バーニング
- NO FEAR
- 色男軍
- 男前軍
- スターネス
- ノア・ヘルスクラブ
- ダーク・エージェント
- パンチ軍団
- RO&D
- ディスオベイ
- NO MERCY
- BRAVE
- TMDK
- 名古屋維真軍
- 超危暴軍
歴代タッグチーム
試合中継
- 日テレオンデマンドで過去の試合を配信している。
- 放送中のテレビ番組
- プロレスNOAH スペシャル(日テレG+)
- NOAH di コロッセオ(日テレG+)
- プロレスリング・ノア(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- ノア方舟通信(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- 終了したテレビ番組
- プロレスリング・ノア中継(日本テレビ)
- 独占NOAH情報(日テレG+)
- ノアぷ〜(テレビ大阪)
主なマット広告スポンサー
関連書籍
- 『This Is NOAH!』 アミューズブックス
- 『NOAHを創った男 -三沢光晴の参謀-』 ベースボール・マガジン社
- 『ノア崩壊 黒い報告書』 宝島社
脚注
関連項目
- 興行
- リーグ戦
- 王座
- 選手
外部リンク
テンプレート:プロレスリング・ノア- ↑ インタビューで三沢は、当初は仲田龍と二人で居酒屋でもやりながら、新弟子を4から5人くらい育てて、月に一度くらい後楽園ホールで興行が出来たらと思っていたという。
- ↑ 同月、小橋建太を社長に推薦するも容れられなかった百田光雄が役員を辞職し退団した。
- ↑ プロレスリング・ノア×新日本メディカルトレーナー協会“プロレスラー養成プロジェクト”START!! - プロレスリング・ノア 2011年1月12日
- ↑ ノアにとっては、マーシャルとロスのデビューは、2005年12月の谷口周平以来の新人選手のデビューであった。
- ↑ オカダ最年少25歳でプロレス大賞MVP「誰がカネの雨を降らせてるか」 - スポーツナビ 2012年12月11日
- ↑ 1967年に中日新聞が東京新聞と復縁する以前は、中日新聞と読売新聞は提携関係だった。
- ↑ 後年にはノア所属選手が参戦している
- ↑ 東京スポーツ・2011年3月6日付 28面
- ↑ ノア秋山が11年ぶりにチャンピオン・カーニバル出場=全日本プロレス - スポーツナビ・2011年3月22日