大日本プロレス
大日本プロレス(だいにほんプロレス)は、日本のプロレス団体。運営は大日本プロレスリング興業株式会社(だいにほんプロレスリングこうぎょう)と、その子会社の有限会社四ツ葉工芸(よつばこうげい)。
デスマッチ団体を標榜しており、派手なデスマッチを特徴としている。旗揚げ当初こそ試行錯誤を重ね徐々に看板をデスマッチに特化していった。その後ストロングスタイルのプロレスの台頭を経て現在に至る。
目次
歴史
1994年12月21日、元全日本プロレスのプロレスラーでWARの営業部長としてフロント入りしていた小鹿信也(現:グレート小鹿)が、同年10月に興行活動を停止したNOWのケンドー・ナガサキらとともに設立した。旗揚げには、NOWから所属していた若手の谷口裕一とNOWで社長であった登坂栄児がレフェリーとして参加。さらに、元UWF所属であったブルーザー岡本、東京プロレス所属の山川征二(後の山川竜司、山川もNOW所属であったが谷口や登坂と異なり、東京プロレスを経由して大日本に移籍している)、生え抜き第1号となった練習生の小林洋輔(現:アブドーラ小林)が所属選手となり、IWA・JAPANや東京プロレスなど他団体の協力を得て陣容を整えた。
旗揚げ戦は1995年3月16日神奈川県の横浜文化体育館で行われた。草創期は現在も続くデスマッチ路線のほか、エースのナガサキが「打倒、ヒクソン・グレイシー」を明言して総合格闘技への進出を表明、団体も「ハラキリ」と称してナガサキのバーリ・トゥード路線を支えたが、同年9月26日のジーン・フレージャー戦で36秒でKOされ惨敗を喫して以降は、バーリ・トゥード路線は頓挫。デスマッチを中心とした純プロレス路線に方向性を特化していく。
草創期のデスマッチアイテムとしてはFMWなどでも行われていた有刺鉄線(当初、大日本では「バラ線」と称していた)がメインであったが、W★INGプロモーション出身のグレート・ポーゴ(現:ミスター・ポーゴ)、松永光弘、中牧昭二などが参戦する様になってからは過激なデスマッチ路線に拍車がかかり、中牧が所属以前に主戦場としていたIWAジャパンで頻繁に行われていた画鋲やガラスを使用したデスマッチ、さらには松永が考案したサソリやワニ、サボテンなどを使用した奇抜なデスマッチにファンの注目が集まった。また、若手選手の中から山川や小林、さらにIWAジャパンから移籍した志賀悟(現:シャドウWX)などがデスマッチ路線に投じ、後に中心選手として活躍する素地を築いたと言える。また、社長の小鹿自身も当時50代後半に差し掛かりながら現役として復帰、自らデスマッチに出場し、また出場時の様々なコスプレも話題となった。
1996年には後述する新日本プロレスとの抗争が勃発し、翌1997年1月4日の新日本の東京ドーム大会では小鹿を筆頭に5名が出場したがそれ以上の進展はなかった。話題作りの一環として同年7月にはレスリング・ベア(熊)の招聘を計画していたものの動物愛護団体の反発により頓挫するなど試行錯誤が続いたが、最終的にはデスマッチ路線に再び活路を見出すこととなった。この間に中心選手であったナガサキや中牧が大日本を離脱し、デスマッチ路線の陣容は松永、山川、小林、WXらが中心に変わり、新たにデビューした本間朋晃や葛西純などが参入、さらにはアメリカのハードコア団体CZWと提携するなど、陣容を整えてきた。現在の大日本のデスマッチとして代名詞となっている「蛍光灯デスマッチ」は、この当時在籍していた本間によって考案されている。
1999年からは「大日本最侠タッグリーグ戦」を開催。2003年を最後に一度休止となるが、2009年復活した。
2001年12月2日には横浜アリーナへの興行に進出。ミル・マスカラス、テリー・ファンクの招聘、ガラス爆破デスマッチのほか、当時、頭蓋骨骨折で長期戦線離脱していた山川竜司の復帰戦が行われるなど、現在に至るまで最大規模の興行となっている。
この頃に前後して、上記の選手勢に加え関本大介、伊東竜二、沼澤直樹(現:"黒天使"沼澤邪鬼)ら若手の陣容も整ってきたことから、社長の小鹿は興行に出場する機会が少なくなり「ちゃんこ屋」などの副業に進出、統括部長である登坂が代わって興行の現場監督的な立場として表舞台に立つ様になった。
現在は、自主興行のほか、DDTプロレスリングやKAIENTAI-DOJOと「天下三分の計」と称した合同興行なども行っている(後述する“金村キンタロー強制猥褻事件”が発生したのはこの興行の最中での出来事である)。また、2007年からは、「興行権付き福袋」と称して、正月に興行権をファンに販売し、興行を開催するという企画も実施している。
2010年に開催された設立15周年記念大会にあっては、かつてCZW軍の主要員であったニック・ゲージのみならず、欠場となったトレント・アシッドの代理としてCZWオーナーのDJハイドが参戦。おおよそ10年ぶりの団体交流が実現した。またこの頃から「ストロングBJ」をスローガンに掲げ、既に関本大介を通じて関係を持っていたZERO1との交流を深めるなどストロング部門にも力を入れるようになる。9月9日の新宿FACE大会にて関本がZERO1 世界ヘビー級王座奪取に成功した。同年には大日本が音頭を取り「年越しプロレス」を開催し、メジャー・インディー・女子など30以上の団体・プロモーションが後楽園ホールに集結して大会を成功に導いた。
2011年、2月から4月にかけてデスマッチ部門でのシングルリーグ戦「一騎当千」を開催、優勝者の佐々木貴には5月5日横浜文体でのデスマッチヘビー級次期挑戦権が与えられた。このリーグ戦の期間中にあたる3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と東京電力・福島第一原発放射能漏れ事故が発生。施設の損傷と電力事情悪化で、21日夜開催予定の後楽園ホール大会開催が危ぶまれたが、震災後後楽園初開催となった昼のアイスリボンに続いて無事開催にこぎつけた。ストロング部門ではグレート小鹿社長の古巣たる全日本プロレスと交流。3月21日両国国技館大会にて関本大介・岡林裕二が同団体のアジアタッグ王座を獲得した。7月、それまで代表取締役社長を務めていた小鹿が退任し、後任として統括部長だった登坂栄児が代表取締役社長に昇格する(小鹿は代表権のない取締役会長に)。8月25日後楽園、元全日本女子プロレスの今井良晴リングアナウンサーがゲストでリングコールを行い、これ以降、今井リングアナが後楽園・横浜文体を中心に彼が死去する直前の2013年6月30日まで参加。12月、業務提携を行っているCZWとwXwのライセンス契約締結。
2012年、前年に続きシングルリーグ戦「一騎当千」を開催。前年と違い、こちらはストロング部門のリーグ戦。リーグ戦に優勝した佐々木義人は、大日本ヘビー級王座廃止で消滅していたストロング部門の新王座創設を明言。「BJW認定世界ストロングヘビー級王座」が創設され、5月5日横浜文体にて初代王者決定戦が行われた。6月より六角橋商店街で行われていた商店街プロレスを、横浜市商店街総連合会との共同企画で市内10数ヶ所に拡大し開催。7月15日、デスマッチ新世代の一人であった山川竜司が札幌テイセンホール大会をもって引退する(但しスタッフとして会社には残る)。
2013年に入り、ネット上での活動を活発化。前年の12月にYouTube、2月15日にニコニコ動画にて専門チャンネルを開設。同時にメディア部を新宿区に設立し、横浜本社から独立させる。5月、ストロングスタイルトーナメント「RISING」を開催。16人が出場し週1回ごとの3日間で決勝まで4試合を争い、河上隆一が優勝した。また、選手の離脱が相次ぎ層が薄くなっていたプロレスリング・ノアにもストロング部門から一部選手が参戦。一方、全日本プロレスが「鎖国」を打ち出したのに伴い交流が途絶え、代わってその全日本から分裂して旗揚げされたWRESTLE-1と交流が開始され、本格的な相互参戦が行われる。7月に今井良晴リングアナが死去したが、それを受けて追悼興行が10月1日後楽園ホールにて全女OGを中心とする女子選手の協力を得て開催された。スタッフの追悼興行は業界内でも異例の事である。
主な出来事
新日本プロレスとの抗争
1996年6月30日、「力道山OB会&プロレス」が横浜アリーナで開催した「メモリアル力道山」興行に、メジャー・インディ・女子を含め16団体が参加、大日本もケンドー・ナガサキ&山川竜司組対中牧昭二&たにぐちゆういち組の1試合を提供した。しかし、第1試合から第5試合に出場したインディ団体の試合を見た新日本プロレスの長州力、武藤敬司らは挙って、その試合内容を批判する有様であった。特に長州は「俺個人から言わせりゃ、あんなもんプロレスじゃない!」と発言している。
この長州らのインディ批判に対し、東京プロレスの石川敬士とともに、小鹿が長州の発言に対して「インデーを舐めるな」と反論、論争を続けた結果、同年9月17日の新日本愛知県体育館大会で小鹿、ナガサキら7名の大日本選手が乱入し、新日本に宣戦布告をする実力行使に至った。小鹿をはじめとする選手たちが土足でリングに乱入したことで、新日本ファンから大ブーイングを浴びた。この乱入直前、彼らは強い緊張を感じていたという。その一員だった田尻義博(現:TAJIRI)によると「まだ時間があるから、と立ち寄った喫茶店で小鹿がクリームソーダを注文、緊張でそれどころではない選手たちはとりあえず「俺も」「俺も」と注文し、皆でクリームソーダを飲んでいた」と述懐している。
その後も執拗に乱入を繰り返したことで、1997年1月4日新日本の東京ドーム大会で対抗戦を実現させる形となった。
以上の4戦が組まれ、大日本勢はナガサキ以外すべて敗れたが、小鹿はタキシードに赤髪姿で、中牧は有刺鉄線ボードをリングに持ち込んで試合に臨むなどインパクトを残したほか、田尻は同じジュニアヘビー級の大谷を相手に善戦したことで、後に新日本の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」への参戦、さらには大日本退団後のアメリカECW、WWEへの参戦につながった。
当初は『新日本プロレスVSインディー連合軍』として、インディー団体のトップレスラー達と新日による対抗戦を狙っていた。しかし、ラインナップを予定していたターザン後藤や高野拳磁は出場を辞退し、当時大日本をメインに出場していた松永光弘も出場を拒否し、最終的には「新日本対大日本」の小規模な対抗戦で終了する形となった。
その後は単発的に新日本と関わっていたが、徐々に関係は疎遠になり、後述の金村事件を理由に関係が2009年から断絶されている。
女子プロレス部門
1997年から2000年前半にかけて、大日本では女子部を併設していた時期がある。元吉本女子プロレスJd'の所属であった小山亜矢(現:亜利弥')、藤村奈々、生え抜きの川崎美穂が在籍したが、いずれも短期間で退団。その後、元・革真浪士団の市来貴代子、中野知陽呂が所属するとともに、藤村も再デビューを果たし、同じ横浜を本拠としていたNEO女子プロレス所属やフリーの矢樹広弓、メキシカンレスラーなどが参戦。BJW認定女子王座も創設されたが、結局、2003年までに自然消滅している。
女子部が消滅した後も不定期ながら団体外の女子選手が適宜大日本に出場しており、長与千種や尾崎魔弓、木村響子ら大日本のデスマッチに挑戦した女子選手も存在した。但しミックスドマッチは女子部が存在した時代より同じインディーのDDTやK-DOJO、WNCに比べると消極的であり、木村響子のデスマッチ挑戦も男子選手との体力差から難色を示され頓挫している。
一方でNEO・OZアカデミー・アイスリボン・WAVEなどとの合同興行あるいは昼夜興行(特に横浜ラジアントホールや名古屋ダイアモンドホールなどの大会で、昼に女子団体・夜に大日本の形で開催)も開催し、WAVE・アイスリボンより随時試合提供も受けており、逆に大日本から試合提供をする事もある。なお、女子部創設前にはGAEA JAPANから試合提供を受けたことがあった。
そして、団体15周年となる2010年4月に女子部が復活し、亜利弥'に加えマルセラも再度参戦した。
なお、BJW認定女子王座は当時JWPに在籍していた米山香織が奪取してから8年が経過した2011年に防衛戦を決行し、直後に返上そして封印された。そのJWPは2010年9月19日に大日本後楽園と同時間帯に開催された新宿FACE大会で米山vsさくらえみのJWP無差別級選手権試合を「敗者髪切りマッチ」として行った事と、2011年の米山引退撤回騒動で大日本との関係を悪化させている。2012年はJWPとの合同興行が開催されたが、米山は海外遠征のため不参加だった。米山のJWP退団後の2014年に「商店街プロレス」にJWPより試合提供が行われるまでに改善された。また、アイスリボンも後述の金村事件以降、関係が悪化していた時期があったが、こちらは大日本のスポンサー企業であるネオプラスが2009年にアイスリボン事業部を設立したのを機に改善されている。
リングトラック募金
2004年5月5日、北海道遠征のために北見市に移動中、使用していたリング運搬用トラックが事故に遭い、廃車を余儀なくされた。このため、代替車両購入のための資金をファンから募集した。
スタッフや選手がトラック購入に奔走した結果、購入の目処が立ち、2005年に名古屋の運送会社から新車(いすゞ・フォワード)を購入。3月にファンにお披露目され、使用を開始した。車体には募金したファンの氏名・法人名も刻まれた他、デザインも大日本のロゴや当時の小鹿社長と所属11選手の顔写真が入ったものとなった。
その後この車両は自動車排出ガス規制(ディーゼル車規制条例)に抵触し、首都圏では車検を通すことが出来なくなることが判明。大日本は3代目のリングトラック(三菱ふそう・ファイター)を購入し代替。2代目は積み荷のリングごと横浜市から北海道に渡り、大日本を含む北海道でのプロレス興行開催時のリング運搬に使用されている。
金村キンタローによる女性スタッフ強制猥褻事件
- 2008年1月20日、大日本プロレス(以下BJW)、DDTプロレスリング、KAIENTAI-DOJOによる合同興行「天下三分の計」千葉Blue Field(現:Blue Field)大会開催前にアパッチプロレス軍の金村キンタロー がBJW女性スタッフを強制猥褻。
- 女性スタッフはこれ以上被害者を増やさないように公式発表してほしいと懇願するもBJW統括部長登坂栄児は感情的な口調で被害者を威嚇し「公表したら皆が損するんだよ?、君がそんな交戦的な態度じゃ一緒に仕事出来ないよ」と泣き寝入りを強要し隠蔽工作を謀る。
- 隠蔽工作に納得のいかない村上☆健リングアナがブログで告発しようとしたが、会社の意に沿わない行動をし混乱を招いた(=隠蔽工作に協力しなかった)との理由で2月16日付でBJWへの無期限出入り禁止処分になる。
- 2008年2月17日 登坂がブログで一方的に終息宣言。
- それを見た被害女性スタッフがBJW公式メルマガで暴露、警察へ届け出る意向を表明。
- 2008年2月18日 被害女性を名乗るものが千葉県警千葉中央警察署に被害届けを提出したと村上ブログコメント欄で発表。しかし後に発表された和解の報道では被害届けが提出前であったと発表されていてこの内容と矛盾するため真偽は不明である。
- 同日 BJW横浜本社にて、登坂、並びに伊東竜二・"黒天使"沼澤邪鬼の両選手が記者会見。金村の(1月24日からの)無期限出場停止処分を発表。隠蔽工作について大日本側はあくまで話し合い合意の上の措置だったと発表するが、被害者発メルマガ&村上ブログの言い分とは大きく食い違う。
- 同席した佐々木貴より、アパッチプロレス軍の活動を、2月22日新木場1stRING大会をもって無期限停止すると発表。これに伴い、3月7日に予定していたアパッチ新木場大会の中止を同時に決定。
- BJW付きのフリーライター須山浩継がブログで心情吐露。
- Yahoo! JAPANサイトのトップに記事が載る。
- 2008年2月19日 登坂が自身への処分として役員報酬三か月分100分の30を返納、現場責任者兼統括部長の職を2008年2月19日を以って解任することを公式リリースするも役員には残留、この処分はあくまでもメールマガジン運営の管理責任をとったという形の処分であり隠蔽工作への責任・謝罪などには一切触れていない。これとは別に、自らの申し出により、中継番組「大日大戦」の実況を2月26日放送分(2月16日広島産業会館大会)より降板。
- 2008年2月20日 金村、黒田哲広選手の同席にて謝罪会見。レスラーとしての活動を無期限自粛、出場予定していた他団体への出場も全て辞退したことを発表。
- 2008年2月21日 村上がブログ上で先日BJWが発表した今回の事件の経緯についての矛盾点を指摘する。
- 2008年2月22日 アパッチプロレス軍新木場1stRING大会終了後、金村がアパッチプロレス軍を解雇になり、アパッチプロレス軍の運営会社の預かりとなる。
- 2008年2月27日 弁護士同席のもと登坂、伊東、村上の話し合いが行われ、ブログに掲載致したに内容に事実と異なった内容、思い違いで書いてしまった内容があり混乱を招いたとして村上のブログにてお詫びが掲載された。
- 2008年3月2日 桂スタジオ大会開始前。小鹿信也社長・登坂がリング上で謝罪すると共に、登坂の後任の現場責任者兼統括部長として、志賀悟(シャドウWX)の就任を発表。ただし、選手活動を優先させたいというWXの意向により、当面は代行という形を取る(その後、WXのデスマッチヘビー級王座獲得に伴い、退任。その後、登坂取締役が9月1日付けで再任)。
- 2008年3月11日 金村より、2008年3月2日に被害者女性と、金村の代理人笹原雄一、村上の三者で話合いが行われ、被害者女性と金村との和解が成立したことを報告する会見がおこなわれた。(被害者女性の希望で話合いに金村キンタローは同席させず、村上のみが立ち会う)和解の条件として、以下のことなどが記された示談書(和解文書)が作成された。
- 今後、金村が被害者女性と電話・メール含め一切の接触を行わない
- アパッチ関係者も同様に被害者女性に誹謗中傷等を含めたコミュニケーションをとらないこと
- 慰謝料、示談金の請求を行わないこと
- 2008年3月18日 村上がブログ上にて自身と被害者女性の近況を報告。被害者女性と金村の和解については圧力的なものはないこと。被害者女性がある人物への怒りは消えてないものの新しい職場で働き始めていること。BJWから被害者女性をケアする電話一本すらきていないが被害者女性自身が「2度と大日本プロレスとは関わりたくも無い」といっている以上仕方ないということ、BJWのリングアナウンサーの新土裕二)と新人レスラーの石川晋也へのエールなどが書かれていたが次の日にその記事は削除された。
- 2008年3月27日 メビウス新宿FACE大会にて金村が復帰。
事件の影響
- 第1次アパッチ - 3か月の活動停止後も観客動員数や求心力の低下に歯止めがかからず、2009年8月に解散した。
- FREEDOMS - 第1次アパッチの後継団体として2009年9月に旗揚げされたが、「事件への責任逃れ」などの批判が相次いだ。
- リキプロ・新日本プロレス - 第1次アパッチ(現FREEDOMS)所属選手の招聘を一時取りやめ。招聘再開となった2009年新日本主催スーパーJカップ(GENTAROが出場)でも、「人選ミスが二人いる(もう一人は男色ディーノ)」と揶揄された。また新日本は2009年からBJWとの関係を断絶している。
- メビウス - 金村復帰の場となったが、団体への批判が止むことなく、その後代表の折原昌夫が天龍プロジェクトに参加したため、2010年9月に活動停止(2014年活動再開)。
- XWF - 金村自身が旗揚げした団体だが、計画していた新宿コマ劇場大会が頓挫した上に、キャッシュボックスとの意見の食違いなどから、団体運営も滞り、結局2010年12月17日にやはり代表の不祥事が原因で解散したTEAM MAKEHENを事実上吸収し、(第2次)アパッチの名前に改称する形で解散。加えて小幡優作がXWF移籍直後にBJWの横浜文体に出場した際、大きな批判を浴びたため、小幡もBJWから追放された(ZERO1移籍後の2012年7月に解除)。
- アイスリボン - 提供試合として横浜プロレスに参加していたが2008年3月大会をもって撤退。同時にテレビ埼玉版大日大戦のアイスリボンコーナーも打ち切り。その後もFREEDOMS所属選手の参戦に批判の声が上がったこともあった。
- K-DOJO - 事件の現場となった千葉Blue Fieldの他団体への貸出を中止。2010年8月のFREEDOMSより貸出再開されたものの、中止の影響は大きく、2011年12月には千葉Blue Field、翌2012年には団体運営権までもレイナ・コーポレーション(その後さらに別会社)に譲渡することを余儀なくされた。
- ハッスル - 金村は黒田と共にハードコア要員として重用されていたが、ともに追放。その後、大変革を挙行するも資金繰りが悪化し2009年に活動停止。
試合会場
主要会場
会場ごとにポジショニングを分け、それぞれに合わせた興行を行っているのも特徴である。
旗揚げ戦の会場となった場所で年2回開催される。BJWデスマッチヘビー級選手権試合が必ず行われる。
月1回開催されている。特に毎年1月2日は(全日本プロレスとの昼夜興行として)大日本の年初めとなる大会が行われる。
過激なデスマッチが行える会場として後楽園ホールに次ぐ数の大会が行われている。2014年からは新宿FACEと使い分けてデスマッチ中心の大会とする。
2014年から本格的に使用。デスマッチ中心の新木場に対して、ストロング中心の大会を増加させる。
グレート小鹿社長の出身地ということもあり、準フランチャイズに指定。「BJW北の聖地」とも呼ばれている。 2010年からは毎年10月にDDTプロレスリング、KAIENTAI-DOJO等の他団体と合同で「札幌プロレスフェスタ」を開催。
- 六角橋商店街駐車場
大日本が参加した映画「お父さんのバックドロップ」のロケ地となった縁で、「商店街デスマッチ」と題して行われている。この会場では場外乱闘で必ず何かが破壊されていて、2004年には突入した駄菓子屋が、2006年にはtvkの「みんテレ」ブースのテレビが、2007年には売店脇の冷蔵庫が破壊され、2009年にはメインの勝利者賞として用意されていた液晶テレビが破壊された。なお、この場外乱闘は全てアブドーラ小林が絡んでいる。2012年より横浜市内各所で商店街プロレスが開催されているが、デスマッチも行われる六角橋商店街での試合は別格扱いで有料。
別ブランドの「横浜プロレス」「Dダッシュ」や、2011年より開始された所属選手のみで行うタッグリーグ戦「DAINICHI-X」の会場としても使用される。2013年からは「大日にぎわいTHEATER」として開催する他にも企画的な大会や試合が実施されることが多い。
- 上野恩賜公園野外ステージ(みずどりのステージ)
2011年より1日複数部興行の1部を500円で観戦できる「ワンコインプロレス」を実施し、以降も入場料を抑えた興行を年に数回行なっている。
その他の会場
メジャー団体と同様に全国各地を巡業している。特に頻繁に行われる会場を以下にあげる。
2005年に秋葉原駅前特設リングで開催されていたファイヤーデスマッチを、首都圏では4年ぶりに復活させた会場。
DDTプロレスリング、KAIENTAI-DOJOなど他団体との協力で合同興行や昼夜興行の形で開催。
- 名古屋・ダイアモンドホール
プロレスリングWAVE、アイスリボンなどとの昼夜興行として開催。
- 南国市商工会東隣駐車場
2009年より毎年夏にビアガーデンプロレスとして開催。
2014年大日本プロレスカップを開催時に競馬と並行して開催。
過去に使用した会場
桂スタジオとは対照的に蛍光灯が使えない等の規制が多く、その中でいかに質の高い試合を提供できるかが求められる。
かつて大日本を含む各団体から参戦選手を募り、若手選手の育成の場としての興行を実施。そのため、デスマッチはあまり行われず、通常ルールの試合がほとんどとなった。2008年11月から別ブランド「Dダッシュ」が設立されるため、使用されていない。
2か月に1回のペースで開催。首都圏の屋内会場の中では規制が最も緩いため新世代デスマッチファイターの発掘や後楽園ホールではできないような試合形式など実験的なカード編成が行われる。この自由度を利用して、2004年には、18歳未満入場禁止の興行を開催している。2008年からは「好きです!さいたま!大日本」という地域スローガンを掲げ、埼玉県内での活動拠点として興行を行うが、2009年1月4日から使用されていない。現在は施設自体が閉鎖。
グレート小鹿が函館市出身ということもあり社長時代には毎年興行が打たれていたが、社長退任後よりこの会場は使用されていない。
各団体が使用していたが、2013年12月に閉鎖される直前、大日本が『追悼興行』を開催した。
2007年にはプロレスリング・エルドラド、DDTプロレスリング等の他団体の協力を得て、「赤レンガ・プロレスフェスティバル」を開催し、佐々木健介ら、メジャー団体所属選手の特別参戦によるメジャー・インディー交流戦も行われた。2013年1月には「横浜プロレスフェスタ」として開催されている。施設の貸出方針変更のため2014年1月が最後の興行となった。
登坂栄児社長の地元足立区に所在。2013年に興行を行った「BJW-REAL」の会場。
大日本プロレスの別ブランド
横浜市の地域密着型団体を目指して設立。
李日韓プロデュースによる大日本プロレスを含むインディー各団体から若手選手の育成を目的に設立。
MEN'Sテイオーが主宰する「MEN'S CLUB」に参加選手による自主興行。
タイトルホルダー
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 |
---|---|---|---|---|
BJW認定デスマッチヘビー級王座 | 宮本裕向 | 第30代 | 竹田誠志 | |
BJW認定世界ストロングヘビー級王座 | 石川晋也 | 第4代 | 2 | 石川修司 |
BJW認定タッグ王座 | ツインタワーズ (佐藤耕平&石川修司) |
第39代 | 2 | |
横浜ショッピングストリート6人タッグ王座 | 関本大介&伊東竜二&"黒天使"沼澤邪鬼 | 第5代 | ||
酒田港インターコンチネンタルタッグ | 宮本裕向&木高イサミvs"黒天使"沼澤邪鬼&竹田誠志の勝者 | 初代 |
- 過去に存在した王座
- BJW認定大日本ヘビー級王座
- BJW認定ジュニアヘビー級王座
- BJW認定女子王座
- インターナショナル・エイトメン・スクランブル王座 - 8人制の変則バトルロイヤル方式で争われるもので地方でもタイトルマッチを組みやすくする目的で設立。その後タイトルは自然消滅したがチャンピオンベルトのみは後にFMWの「呪いのベルト」の向こうを張って登場した「幸せのベルト」に流用されている(山川竜司が保持している)。
タイトル | 覇者 | 年代 |
---|---|---|
一騎当千 DEATHMATCH SURVIVOR | 伊東竜二 | 2013年 |
一騎当千 strong climb | 石川修司 | 2014年 |
DAINICHI-X | 伊東竜二&塚本拓海 | 2012年 |
大日本最侠タッグリーグ戦 | ヤンキー二丁拳銃 (宮本裕向&木高イサミ) |
2013年 |
所属選手、主要参戦選手
所属選手はデスマッチBJ(D)とストロングBJ(S)に分類されているがストロングルールでの試合には全員参戦しており、大日本プロレスにおいて中間ルールに当たるハードコア(H)も試合によってはほぼ全員が参戦している。
デスマッチBJ
ストロングBJ
レギュラー参戦選手
2014年主催興行に複数回出場した選手のみ列記
- 清水基嗣 - D
- 竹田誠志 - D
- 高橋匡哉 - D
- フリー
スポット参戦選手
- 佐藤耕平 - S
- 丸山敦 - S
- The Bodyguard - S
- HAYATA - S
- 杉浦貴 - S
- 征矢学 - S
- スーパータイガー - S
- 橋本大地 - S
- スカルリーパーA-ji - S
- 上田馬之助 - S
- フリー
- 金本浩二 - S
- マグニチュード岸和田 - S
- 内田祥一 - S
- 安藤雅生 - S
- ダイナ御堂 - S
- HUB - S
- 田中祐樹- S
- 菅沼修 - S
- アントーニオ本多 - S
- めんそ~れ親父 - S
- エイサー8 - S
- ツバサ - S
- 藤澤忠伸 - S
- カラテバラモン - H
- 佐々木恭介 - S
- 大鷲透 - S
- YO-HEY - S
来日外国人選手
大日本プロレスでは外国人デスマッチ選手を敬意を込めて「バカガイジン」と呼ぶことがある。
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
- 新土裕二(広報兼任)
リングドクター
- ドクター水上(『第二次大日大戦』解説兼任)
その他
- 登坂栄児(代表取締役社長、中継実況兼任)
- グレート小鹿(会長、前社長。現役選手としてプロレスリングFREEDOMSほか参戦中)
- 池須ゆたか(統括、メディア部部長。レフェリー兼任)
- リザーブ池田(チケット販売部門担当、東海地区・東北地区興行責任者)
- 山川竜司(飲食部門担当)
ユニット
- 平成極道コンビ
- 奥羽越列藩同盟
- B FAULTLESS JUNKY'S
- Team Heavy Metal
タッグチーム
- ストロングBJ(他団体出場時限定のチーム名)
過去の所属選手
プロレスラー
- 田尻義博(現:TAJIRI)
- ケンドー・ナガサキ
- 中牧昭二
- 『神風』(旧:「GK(ジーケーカミカゼ)」、現:KAMIKAZE)
- 藤田穣(現:藤田ミノル)
- 本間朋晃
- 葛西純※参戦継続
- ジ・ウィンガー※参戦継続
- 松崎和彦(旧:松崎駿馬、松崎番長)
- ブルーザー岡本
- 越後雪之丞(旧:笛田友和)
- 田上泰助(現:TAISUKE)
- 井上勝正
- 下田大作
- 上条裕二
- 谷口剛司
- 佐藤義尚
- 今井計(旧:豹魔)
- 山川竜司(旧:山川征二、竜司山川)
- クレイグ(旧:クレイグ・クラシック、現:クラシック・キッド)
- 大谷将司
- 塚本拓海※参戦継続
女子プロレスラー
過去のスタッフ
- レフェリー
- リングアナウンサー
フリー、他団体参戦選手
- ミスター・ポーゴ
- ターザン後藤
- 松永光弘
- 金村キンタロー
- BADBOY非道
- 黒田哲広
- 田中将斗
- GENTARO
- 保坂秀樹
- 矢口壹琅
- 松田慶三
- 川畑輝鎮
- 茂木正淑
- 大刀光
- 石井智宏
- マンモス佐々木
- GAINA
- 大谷晋二郎
- 大森隆男
- 獣神サンダー・ライガー
- 高岩竜一
- カズ・ハヤシ
- 近藤修司
- 飯伏幸太
- 冨宅飛駈
- 石倉正徳
- 矢野啓太
- NOSAWA論外
- MAZADA
- TAKEMURA
来日外国人選手
CZW
プロレスラー
- アブドーラ・ザ・ブッチャー
- サブゥー
- クリフト・キーパー
- ジェイソン・ザ・テリブル
- ジェイソン・ナイト
- アクセル・ロッテン
- ジ・アイスマン
- マイク・サンプラス
- ザック・ゴーウェン
- 2・タフ・トニー
- クレイジー・シーク
- トニー・ノリス
- ダニー・デービス
- ハック・メイヤーズ
- ブル・ペイン
- ダンス・ウィズ・ダットリー
- ジミー・ジェームス
- キム・ソッポ
- JCベイリー
- Mr.インサニティー
- マッドドッグ
- パワー・オブ・ドゥーム
- ファンタスティック
- ジェイソン・レイ
- ロッキー・サンタナ
女子プロレスラー
歴代ユニット
- CZW軍
- CZW JAPAN
- 赤まむし
- スキンヘッダーズ
- メンズクラブ
- NEWメンズクラブ
歴代タッグチーム
- 血みどろブラザーズ
- チームあんこ型
- マッスル&ファットです
- バカガイジンズ
- ヘイン・ブラザーズ
大日本プロレスにおけるデスマッチ
詳しくは「大日本プロレスにおけるデスマッチ」を参照。
スローガン
- デスマッチメジャー宣言
2005年、デスマッチの地位向上とクオリティアップを目指して宣言。
- ファンNo.1宣言
2006年、「大日本のファンは素晴らしい」と言えるような団体を目指して宣言。ファンとの交流の場を増やす等、ファンサービスを強化。
- ONE MORE BJ
2007年、インディー団体としての原点に立ち返りつつ、更なる一歩を踏み出す。
- 好きです!さいたま!大日本!
2008年、地域限定スローガン、大会だけでなくイベントやチャリティー活動などにも積極的に参加し埼玉にプロレスの楽しさをより多くの機会で与えていく。
- チャレンジトゥギャザー
2009年、団体設立から15年目を迎えるために、ファンと一緒に力を合わせて挑戦し、夢を叶えると宣言。ファンの実現したい夢や挑戦を募集。
- BJW EXECUTION
2011年、夢への実行、実現力を全面に打ち出し一丸となって活動する。
- Major Quality Independent Spirit
2012年、時に激しく、時に強く、そして高い目標と志を持って活動する。
- BJW RESOLUTION
2013年、18年目を迎えた大日本プロレスが、新たなステップアップに一丸となって挑む気持ちを表す。
マスコットキャラクター
鶴見川流域のカモがモチーフのキャラクター。本拠地のある鴨居で生まれたという設定。2013年には「デスかも体操」という曲が作られた。この曲はリングアナウンサーの今井良晴が制作し、今井の娘が振り付けを考案。2013年6月16日の横浜・杉田大会で初披露され、10月1日の今井良晴追悼興行でも披露された。
試合中継
- 放送中のテレビ番組
- 大日本プロレス(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- 第二次 大日大戦(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- 終了したテレビ番組
- インターネット放送
- 大日本プロレスch (ニコニコチャンネル)
スポンサー
四ツ葉工芸
オリジナルグッズの製作、販売を行なっている。
- 主なオリジナルグッズ
- デスマッチラーメン
- デスマッチハバネロ
- デスマッチスパイス
- トラック貯金箱
- 蛍光ボウ - 蛍光灯を模したバルーン。
- エアバット - 有刺鉄線バットを模したバルーン。
- BJWベースボールシャツ - 横浜DeNAベイスターズのユニフォームを模したシャツ。
レスラーズ運輸
2005年5月19日、アブドーラ小林を代表取締役社長に引越し業を取り扱う運送会社「大日本プロレス運輸」を開業。新日本プロレスと業務提携をしている「プロレス運輸(現:プロレス引越センター)」から商標権の侵害を理由に裁判を起こされたため、同年12月、社名を「レスラーズ運輸」に改称した。主に一人暮らしの女性からの依頼が多いらしい。また「蛍光灯無料引取りサービス」を実施している。集まった蛍光灯は、デスマッチで使用、破壊される。スタッフは伊東竜二、関本大介、"黒天使"沼澤邪鬼、谷口裕一、井上勝正、李日韓。
横浜マッスルファクトリー
本社機能の分離、移転に伴い、2006年5月11日、関本大介主導の元、道場を一般開放し、スポーツジムを開設。インストラクターは井上勝正。2013年1月31日をもって営業を終了。
飲食店
- プロレスちゃんこ小鹿
- ホルモン小鹿亭
2003年11月21日、グレート小鹿が仙台市に単身赴任し、ちゃんことジンギスカンの専門店を、2006年3月24日、同じ敷地内に、ホルモンの専門店をオープン。2007年4月30日、「プロレスちゃんこ小鹿」を閉店し帰京、同年8月28日に「ホルモン小鹿亭」も閉店。現在首都圏にて再開を検討中。グレート小鹿自らが、毎日厨房に立つ他、所属選手が店を手伝うこともあった。また、2004年5月9日に「プロレスちゃんこ小鹿大会」が、2006年4月24日には「ホルモン小鹿亭開店記念大会」が、駐車場で開催され、試合後には選手との食事会が催された。
- 横浜プロレス道場酒場YAMARYU
山川竜司が長期休養に伴い、2004年10月、札幌市に、バー「薄野プロレスYAMARYU」を開店したが2011年4月30日に練習の拠点を移す為、閉鎖した。その後横浜に戻り、2011年5月30日、横浜市にバーをオープン。引退後も営業を続けていて、不定期で大日本プロレス、プロレスリングFREEDOMS、プロレスリングSECRET BASE、アイスリボン所属選手との交流会などが行われている。
- 海坊主
2007年6月、アブドーラ小林が横浜市に居酒屋を開店。2011年東北地方太平洋沖地震において被害のため、同年3月31日で閉店。