伊東竜二
テンプレート:Infobox プロレスラー 伊東 竜二(いとう りゅうじ、1976年4月8日 - )は、日本のプロレスラー。通称「デスマッチドラゴン」[1]。大日本プロレスを主戦場としつつ、アパッチプロレス軍、WMF、DDTプロレスリング、米国のIWAミッドサウス、IWAイーストコースト、チカラなど、数多のプロレス団体のマットを舞台に活動している[2]。
目次
経歴
大日本プロレス入団
高校時代はボクシングに勤しんだ。茨城大学工学部を中退し、1998年、大日本プロレスに入団。翌年の4月29日に葛西純相手の試合でデビュー。
2003年からデスマッチの第一線で戦うようになり、8月には金村キンタローからBJW認定デスマッチヘビー級王座を奪取。デスマッチ参戦からわずか3か月の快挙を達成した。以来このタイトルを保持し続けたが、2005年の12月にアブドーラ小林に敗れたことでこれを失った。
2005年の6月にタイトルマッチで対戦した佐々木貴とタッグを結成。アパッチプロレス軍の対立派閥「たかし軍団」にも参加していた。チーム名は一時期募集していたが、該当なしという結果に終わり、チーム名なしのまま活動を続けている。その時の候補は、「竜二と貴」・「ドラゴン&バキューン」であった。
故障離脱とベルト返上
2006年9月10日の大会で佐々木貴の持つBJWデスマッチヘビー級ベルトに挑戦。前年とは逆の立場で、同じ会場での対戦となったが、見事佐々木貴を下し第19代王者となった。しかし試合中にケージとラダーを組み合わせた4メートル近い高所からのドラゴンスプラッシュの失敗により左月状骨周囲脱臼、右橈骨幹部骨折など大怪我を負い即入院。手術は成功したが長期欠場を余儀なくされる。これについて『デスマッチのチャンピオンが興行に出ないのはおかしいし、何よりもデスマッチファイターは怪我をしてはいけないという自分の考えを守り切れなかった。不甲斐無い気持ちでいっぱいです。このベルトを狙うデスマッチファイターには申し訳ないですが自分のわがままで返上させていただきます』との見解を示し、ベルトの返上を申し出た。
後のインタビューで、ドラゴンスプラッシュの失敗は、ラダーが組み合わされたケージ上部の蓋が踏み切りの瞬間に開いてしまい、バランスを崩して落下したのが原因であったと語った。ケージは組立と解体を容易にするため、完全な固定式ではなく、はめ込み式となっていた。
次期挑戦者候補として葛西純が挙がっていた。前に伊東がベルトを獲得して以降、葛西の名前を常に挙げ続け、当時ZERO-ONEに所属していた葛西がアパッチプロレス軍へ移籍し、大日本へ復帰した理由も、大日本で伊東とのタイトルマッチをやりたいからと公言している。
復帰
2007年の2月に行った記者会見にて、3月14日の後楽園ホール大会で復帰戦を行うことを表明。同大会のボブワイヤーボードデスマッチで復帰を果たした。
2008年には米国のウェストバージニアへと赴いたうえでIWAイーストコーストのデスマッチ選手権―マスターズ・オブ・ペインに初参戦。ドレイク・ヤンガーとダニー・ハボックを下して勝ち進むも、決勝戦の蛍光灯ガラステーブルデスマッチでサムタック・ジャックに下され敗退した[3]。この年にはフィラデルフィアへと赴いたうえでチカラの『グローバル・ガントレット』という大会に参戦することにもなった[4]。
2009年5月の大日本プロレスの大会にて、割れた蛍光灯が背中に深く刺さり皮膚が抉れてしまうという重傷を負い、入院・欠場に追い込まれた。そのため、決勝進出が決定していた「最侠タッグリーグ戦」も欠場となり、竹田誠志&木高イサミ組が決勝へ進出、優勝した。
年間最高試合賞受賞
11月20日の大会でカミソリ十字架ボードを用いたデスマッチを葛西純と敢行。敗れはしたものの、この試合そのものが高い評価を獲得し、この試合がこの年のプロレス大賞における年間最高試合賞を受賞する運びとなった[6]。デスマッチがこの賞に選ばれたのは、1990年の大仁田厚対ターザン後藤の電流爆破デスマッチ以来19年ぶりのことであった。
その翌2010年、大日本の5月4日横浜文化体育館大会・大日本15周年記念興行において、200本の蛍光灯を用いた金網デスマッチで宮本裕向を破り、第25代目のBJW認定デスマッチヘビー級王者となった[7]。以降、2011年12月にアブドーラ小林に敗れるまで、6回の防衛に成功した。
得意技
- ドラゴンスプラッシュ(with蛍光灯)
- 伊東のフィニッシュムーブである開脚屈伸式ダイビング・ボディ・プレス。空中で開脚し、手を下に振り下げて一度屈伸してから落下する。彼の場合は、前もって相手の体の上に蛍光灯や有刺鉄線ボードなどを置いてから、コーナートップから放つ場合が多い。もちろん、この場合は相手にも通常のダイビング技より大きなダメージを与えることができるが、その分自分にもダメージがある。また、滞空時間が非常に長いのも特徴である。
- ドラゴンキッカー
- 片膝に飛び乗って、側頭部に蹴りを入れる。シャイニングハイキックともいえるような技である。
- ドラゴン・スープレックス
- いわずと知れた飛龍こと藤波辰爾の必殺技。投げっぱなし式も使う。
- タランチュラ
- 元WWEのスーパースターTAJIRIの代名詞的な技で、ロープ越しに絡みつく逆エビ固め。
- ファイアーバード・スプラッシュ
- いわゆる450°スプラッシュ。リング内を向いてトップロープに立ち、そこから前方に宙返りしながら寝ている相手をプレスする技。元々、大一番でしか使用しない技だったが、現在は使ってない。
- 各種キック
- ハイキック、ミドルキック、ローキックのほかにかかと落としや後ろ回し蹴りなども使う。
- ノーザンライト・スープレックス
- フロント・スープレックスの派生技。試合中盤で繋ぎ技として繰り出すことがある。
- ムーンサルトプレス
- 武藤敬司の様に両足を揃え、リング中央付近まで持って行く。
- パイプ椅子攻撃、ボディスラム
- 椅子が歪むほど相手の背中を殴打した後、「戻すぞー!」と宣言して歪んだパイプ椅子に相手をボディスラムで叩きつける。元の姿になったパイプ椅子を掲げ「戻ったー!」。相手から反撃されて、逆に自分がボディスラムで叩きつけられることもある。
伊東考案の各種オリジナルアイテム
ハードコアやデスマッチルールの試合では、大学時代工学部に在籍していた経歴を生かし、多くのオリジナルアイテムや、蛍光灯を使ったオブジェを考案し、持ち込んで使用している。以下はその一例。
- 巨大ねずみ捕り
- 体当たりするとストッパーが外れ、上部から蛍光灯が振り下ろされる。
- ライトセイバー
- 新品の蛍光灯を数本束ね、電気を流して点灯させる。主にビッグマッチで使用される。
- オブジェ
戴冠歴
- BJW認定デスマッチヘビー級王座×4[8]
- WEWハードコアタッグ王座×1[8]
- BJW認定タッグ王座×1[8]
- KO-Dタッグ王座×1[8]
- 一騎当千 2013 優勝
テーマ曲
- THE THEME OF MORTAL KOMBAT / モータルコンバット(サントラ)
- DRAGON ROAD(龍の道) - 現在使用中
その他
- 2001年に大日本プロレスのレフェリーである李日韓と入籍。プロレスラーとレフェリーのカップルとして話題を博し、バラエティ番組(キスだけじゃイヤッ!)にも取り上げられた。
- MARS SIXTEENのデザイナー榮菟が2005年からグッズを含む全てのアートワークを行っている。
- 左腕にはタトゥーが彫ってあるがあまり気づかれない。
出典
外部リンク
テンプレート:BJW認定デスマッチヘビー級王座- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「cagematch
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ レスリングゾーン.ru:伊東竜二 テンプレート:Ru icon
- ↑ IWA East Coast "Masters of Pain" Results vom 29.11.2008 mit Thumbtack Jack - WWE, TNA & Worldwide Wrestling News bei MOONSAULT.de テンプレート:De icon
- ↑ ケージマッチ:伊東竜二>参加興行 テンプレート:De icon
- ↑ 大日本プロレス : 伊東竜二選手 退院のお知らせ
- ↑ 三田佐代子、FIGHTING TV サムライ : 2009年プロレス大賞 年間最高試合「伊東竜二vs葛西純」を三田佐代子が語る!気になる放送予定はコチラ
- ↑ スポーツナビ:大日本プロレス「設立15周年記念 DEATH CRAZY That's The Way Of The BJ-World 横浜大会」:ダブルメーンイベントII BJW認定デスマッチヘビー選手権試合 金網蛍光灯 200本デスマッチ 30分1本勝負
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 ケージマッチ:伊東竜二>戴冠歴 テンプレート:De icon