DDTプロレスリング
DDTプロレスリング(ディー・ディー・ティー・プロレスリング)は、東京都を中心に活動するプロレス団体。
目次
概要
DDTはDramatic Dream Teamの略で小林まことのプロレスを題材にした漫画「1・2の三四郎 2」の主人公が所属するドリームチームにプロレス技名にも使用されているDDTが略称となるようDramaticを冠したのが由来。ロゴ上はD2Tと表記される。旗揚げ当初は「ドラマチック・ドリーム・チーム」が正式な団体名であった。2004年に新法人への移行と合わせて「DDTプロレスリング」に改称、現在は複数ブランドや子会社も展開し「DDTプロレスリンググループ」を構築している。
エンターテインメント色が強くプロレス記者の鈴木健.txtによりこのスタイルを「文化系プロレス」(高木三四郎の著書に「俺たち文化系プロレス DDT」がある)と名づけられた。元社長の一宮章一は「小さなWWE」と表現したことがある。
小規模会場やライブハウスで定期的な興行を打ち、エンターテインメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは現在新しく旗揚げする団体がこぞって追随している。年に数度地方遠征も行っている。
2005年から2008年までは足立区入谷に道場を構え、道場マッチも定期的に行っていたが、諸事情により道場を手放したため、現在は新木場1stRINGなど外部の施設を借りて合同練習を行っている。
歴史
1997年 - 2005年
- 1997年、武藤伸太郎が高木三四郎らPWCを離脱した選手たちを招き「ドラマチック・ドリーム・チーム(略称:DDT)」として設立。
- 1997年3月25日、日比谷ラジオシティでプレ旗揚げ戦を行った。プレ旗揚げ戦においては、「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られ、正式な旗揚げとなった。
- 1997年5月14日、北沢タウンホールで旗揚げ戦が行われた。
- 1997年8月7日、後楽園ゆうえんちルナパークにてビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」を開催。1996年にPWCが全日本女子プロレスと合同で開催したものを引き継いで行われた。この年は7月にLLPWも同名のイベントを開いている。
- 1999年9月3日、ケーブルテレビ局「シティテレビ中野(現:JCNシティテレビ中野)」での定期放送開始。この頃は当時ネオ・レディース社長だった篠泰樹率いる「ネオDDT」との抗争を繰り広げる。
- 1999年12月22日、後楽園ホール初進出。「イチかバチか」と名付けられた団体の命運が懸かった興行であったが、2,000人を動員し成功を収めた。
- 2000年4月19日、KO-D無差別級王座を設立。
- 2000年6月、「有限会社ドラマチックドリームチーム」として法人化。武藤伸太郎が代表を退任し、営業担当であった三和亮(現:三和哲充)が社長に就任。木村浩一郎が現場監督となる。
- 2000年6月29日、アイアンマンヘビーメタル級王座を設立。
- 2000年8月24日よりDDTタッグリーグ戦開幕。9月14日に優勝戦が行われ木村浩一郎&橋本友彦の「スーパーレッスル」が優勝。
- 2001年6月、CMLL認定KO-Dタッグ王座を設立。
- 2001年12月8日・9日、「スーパーギア・スタジアム in 福岡ドーム」の一環として福岡ドーム大会「レスリングとんこつ in 福岡ドーム」を開催。同所進出は新日本プロレスに次いで2団体目。
- 2002年6月7日、新日本プロレス日本武道館大会に提供試合が組まれた。
- 2003年には元WARの一宮章一が社長に就任。三和は会長に就任。
- 2004年4月、運営が「有限会社DDTプロレスリング」に変更。これに合わせて団体名も「DDTプロレスリング」に。
- 2004年10月、FIGHTING TV サムライにて定期中継番組「DDTドラマティックファンタジア」放送開始。
- 2005年に一宮が引退し、社長も辞任。
2006年
- 1月29日、後楽園大会にて社長職をかけて高木、三和兄弟(三和会長と弟の三和太)、泉州力、大鷲透、ゴージャス松野、すぎはら美里、子川直也、大家健、ヨシヒコの10人でロイヤルランブルを行い、優勝した高木が4代目社長に就任した。
- やがて、大鷲透によるDISASTER BOX、イタリアから来日したプロレスラー軍団イタリアンフォーホースメンなど軍団抗争が活発化。
- 新日本プロレスを退団した田中秀和リングアナが参戦。高木とのファンタジープロレス論で口論となり、長井満也、ポイズン澤田JULIEと同期である後藤達俊を引きつれ乱入。田中は澤田の呪文を無視する行動に出たため、澤田は呪文の修行で一時離脱。
- 6月4日、後楽園ホールにて澤田・高木組vs長井・後藤組。終盤に後藤を呪文で蛇手にかけることに成功し澤田が勝利を飾る。試合後には田中リングアナも蛇手させることができた。
- 11月23日、DDT EXTREME級王座を設立。
- 年末には正規軍に活を入れるべく蝶野正洋スタイルに扮した高木、天山広吉スタイル(角をつけただけ)のKUDO、おまけの矢郷さんと共に(後にアシュレイ"ノートン"サウザーが加入)ヒールユニット「チーム2サウザンアイランド」を結成。期間は短かったもののMIKAMIやHARASHIMAを奮起させた。しかしその後は蛇界、DISASTER BOX、イタリアンフォーホースメンなどのチームが次々と解散、活動休止、帰国となってしまう(後に蛇界は新・蛇界転生として復活)。
2007年
- 上半期、アントーニオ本多率いるハワイアン軍団aWoが登場。大鷲透が一時的離脱。HARASHIMAがKO-D王者に君臨する。
- 関西の団体DRAGON GATEとの合同興行「DDG -Dramatic Dream Gate-」を新宿FACEで開催。
- 10周年記念興行では、これまで元DDT所属選手や関係のあった選手が登場し話題となった。
- 蛇界は話し合いと試合の結果、ベアー福蛇による「明るく楽しく激しい蛇界」を宣言し、ロス・サルセロス・ハポネサスの衣装でドリアン澤田、マンゴー福蛇となった。
- 上記の他団体派遣で飯伏幸太らが参戦を果たし、更にはGPWAへの加入もあってかプロレスリング・ノアとのパイプも出来て(ちなみに高木とノアの仲田龍取締役とは以前から交流があった)、4月1日の後楽園ホール大会で丸藤正道がノア所属選手として初めてDDTマットに立った。以降も飯伏がノアのシリーズにスポット参戦したり、マッスル坂井の対戦相手として森嶋猛が逆にDDT参戦を果たし、更には12月9日の新潟フェイズサヨナラ興行には、ノアの三沢光晴が「超大物X」としてシークレット参戦(鈴木鼓太郎とのタッグで高木・坂井組と対戦。ちなみに当初は坂井ではなく、偽沢光晴こと一宮が対戦する予定だったが、一宮が肺気胸のため参戦をキャンセルした)を果たした。
- 蛇界は仲間割れの末ポイズンは高木に策略で改造蛇人間ジャカイダーとなり、チビッ子の人気に。さらに長井満也がナガイダーとして再び参戦。
- 下半期、aWoのKooがHARASHIMAからKO-D王者を奪取。怪物なみのパワーで防衛記録を伸ばすも、リベンジに燃えるHARASHIMAが激戦の末再び君臨する。
- 往年DDTメンバー・高木、MIKAMI、鳥羽、ポイズンによるDDTレジェンド軍を結成。試合に勝つとMIKAMIは好きな歌を熱唱するなどやりたい放題を繰り返す。また後藤達俊がゴトウダーして参戦。
- 抜群のチームワークを誇ったaWoが、まさかのディック東郷の裏切り、大鷲・晴也と結託したヒール軍団メタル・ヴァンパイアの誕生により解散に追い込まれた。
- ヌルヌルブラザーズはマイケルの暴走と低調な試合内容から相方・松永が呆れ果て空中分解してしまう。
2008年
- ヌルヌルブラザーズ松永が晴れて正式入団。
- 情けない試合でブーイングを受けたマイケルはFIGHTING TV サムライの生放送番組「Sアリーナ」にて生契約更改が行われたが、高木の逆鱗に触れ契約書は破かれ決裂となった。
- はぐれチームとなったaWoの本多とKooはメタル・ヴァンパイアに対し闘争心を燃やすが、レフェリー松井や裏切ったKooがメタルヴァンパイア入り。高木に助けられた本多は正規軍入りする。
- 矢郷、坂井、ディーノ、高梨は「ベルトハンター×ハンター」を結成する。
- 9月7日、山梨県のキャンプ場「ネイチャーランド・オム」にて「キャンプ場プロレス」を初開催。
- 12月28日、後楽園ホールで開催された「NEVER MIND 2008」において、2009年8月23日・両国国技館興行開催が発表された。
2009年
- 運営会社が株式会社化。会社名は「株式会社DDTプロレスリング」。
- 8月23日、両国国技館にて「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」が開催され、札止めとなる8,000人を越える観客が集まった。また、同大会のEDで2010年7月25日に再び両国での開催が告知された。
- 両国大会で九冠戦を征した男色ディーノが高梨、ヨシヒコとともに「ベルトハンター×2」を結成(「再」ではない)、世界中にあるプロレスのベルト(の0.1%)を独占することを宣言する。
- 9月13日から10月25日にかけて団体初の若手選手によるリーグ戦「ヤングドラマ杯」が開催され、石井慧介が優勝。
- 11月29日、後楽園大会においてユニオンプロレスの石川修司がKO-D王者の飯伏幸太を破り、傘下団体ながらKO-Dのベルトが初めてDDTから流出した。また、この日行われた監獄島とタイアップした経営権争奪バトルロイヤルで中澤マイケルが優勝、CEOに就任した。
2010年
- 2月11日、後楽園大会に突然ヤゴウ公国軍を名乗る2人組がDDT壊滅を掲げ参戦し、その後ヤゴウ・アズナブルがDDT契約権を勝ち取る。その一方でヤゴウ=矢郷さん疑惑が浮上し高木が契約に難色を示すが結局強引に契約させられる羽目になる。選手契約を結んだヤゴウは言論弾圧やそれに従わなかったマスコミに対する制裁を行い、さらに星の屑作戦によるDDT選手と観客の虐殺を目論んだが犬のように捨てられたアブ=ノーマルことマイケルの逆襲によって阻止され、実質壊滅する。
- KO-Dタッグを獲った高木三四郎と澤宗紀の「変態大社長」タッグは混沌としたインディーマットを掻き乱し、ベルトの価値を高めるべくDDT外のリングや路上でオファーがあればどことでも防衛戦を行うことを宣言。その後、DDTのスポンサーでもある宮地鉄工所の敷地内などで王座を防衛、以降、公園、商店街、駐車場、両国国技館全域といった路上を中心に防衛を重ねていく。
- 3月14日、後楽園大会で、大日本プロレス所属の関本大介が当時KO-D王者の石川修司に勝利。関本が新王者となり、KO-D王座が初めて他団体に流出した。その後関本は高木、高梨、飯伏らから王座防衛を果たし、同日にKO-D王座いつでもどこでも挑戦権を獲得した大家健から譲り受ける形で再度挑戦した石川にも勝利し、両国国技館にて開催された「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」に王者として登場する。それに対し挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、大会直前に新日本プロレス道場で真壁刀義と合同練習を行ったHARASHIMAが挑戦。ベルト奪回に成功する。一方、両国メインを逃した石川は大日本プロレスに報復攻撃を仕掛けるも、デスマッチヘビー級王者・伊東竜二の前に返り討ちに遭う。
- 両国大会後、高木が上位入賞者に特別興行出場権やKO-D挑戦権が与えられる人気投票「DDT48総選挙」の開催を発表。一月半にわたる選挙の末、男色ディーノが佐藤光留との接戦を制し一位となった。
- CEO制からGM制への移行を宣言し、中澤マイケルCEOを解任するとともにGM決定戦を実施。その結果、マッスル坂井推薦の鶴見亜門がGMに就任した。
- KO-Dタッグ戦線はビアガーデンプロレスに「超超大物X」として参戦した越中詩郎が男色ディーノとチーム「侍シロージロー」を結成、「変態大社長」タッグより王座奪取に成功する。
- 11月14日、大阪府立第二体育館で行われたKO-D無差別級選手権でパンクラスMISSION所属の佐藤光留がHARASHIMAに勝利し形式上は他団体流出となるが、佐藤はDDTを主戦場としている[1]ため流出という雰囲気にはならなかった。
- 11月28日、後楽園ホールで行われたKO-D無差別級選手権でディック東郷が佐藤光留を下して新王者に。第二回ヤングドラマ杯の決勝戦も行われ高尾蒼馬が優勝。またこの日を最後に高木三四郎が選手としての所属をユニオンプロレスに移した。
- 12月26日、ディック東郷の負傷欠場により、GENTARO(FREEDOMS)とアントーニオ本多との間でKO-D無差別級暫定王者決定戦が行われ、アントーニオ本多が暫定王者に。
2011年
- 1月30日後楽園ホール、ディック東郷対アントーニオ本多の王座統一戦が行われ、ディック東郷がKO-D無差別級第35代王者に。
- 3月27日後楽園ホール、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)及び東京電力・福島第一原子力発電所での事故による電力事情悪化を受け、通常使用する映像の代替として控え室でのやりとりをリング上で行うといった節電興行を実施。またメインではKO-D無差別級王座に飯伏幸太が挑戦。この年のFIGHTING TV サムライ「インディーのお仕事」制定日本インディー大賞ベスト興行賞・ベストバウトをダブル受賞。
- 大震災・原発事故を受け、入場料をすべて義援金とする「路上チャリティープロレス」シリーズを行い、前年も闘った宮地鉄工所などでチャリティー興行を行った。
- 5月4日、後楽園ホールで行われたKO-D無差別級選手権で石川修司がディック東郷を破り、新王者に。
- 三度目の両国国技館大会を敢行。KUDOがKO-D無差別級となる。次回、武道館大会開催を発表。
- 8月28日、TKG48に対抗するプロレス界アイドルユニットとして男色ディーノ、大石真翔、飯伏幸太によって「ほもいろクローバーZ」が結成、後にKUDOが新メンバーとして加入。
- 11月27日、後楽園ホールにてヤス・ウラノ、アントーニオ本多、火野裕士(K-DOJO)、矢野啓太(ワラビー)が「Crying Wolf」を結成。
2012年
- 3月29日、「DDTドラマティックファンタジア」が打ち切り。4月以降同チャンネルでの放送は木曜26:00 - 28:00の再放送枠のみとなる。
- 4月2日、ニコニコ動画に公式チャンネルとして「DDTプロレスアワー」を開設。隔週で所属レスラーが出演するニコ生、並びに興行の中継番組が放送される。
- 6月4日、会社内に女子プロレス事業部を設立し、「東京女子プロレス」として旗揚げすることを発表[2]。
- 6月15日、マサ高梨自主興行を東部フレンドホールで開催。
- 8月18日、初の日本武道館大会「武道館ピーターパン 〜DDTの15周年、ドーンと見せます超豪華4時間SP!〜」を開催。次回の両国2day発表と共に20周年となる2017年の東京ドーム進出を宣言。
- 8月26日、後楽園大会で鶴見亜門GMから活動中の全ユニット解散が命じられる。
- 9月18日、ポイズン澤田が引退表明。
- 9月19日、新木場大会を以ってそれまでのユニットが解散。
- 9月30日、後楽園大会より新ユニット活動開始。
- 11月25日、後楽園大会においてポイズン澤田引退。
2013年
- 1月3日、後楽園大会にて前年にユニオンプロレスが行った「全席2000円興行」(指定席は2500円)を開催。
- 1月12日、KO-D6人タッグ王座を設立。
- 1月27日、入江茂弘がチームでらから移籍。
- 2月17日、大鷲透がレギュラー復帰。
- 4月17日、大家健が新団体ガンバレ☆プロレスを旗揚げ。
- 4月29日、スターダム初の両国国技館大会に運営協力。飯伏・伊橋・マイケルもミックスファイトに参戦。
- 5月3日、後楽園大会「MAX BUMP 2013」がDDT本体の興行としては初めてサムライTVで生中継される。
- 5月26日、彰人がスポルティーバから移籍。
- 8月17・18日、両国国技館大会2days「真夏のプロレス祭り」開催。
- 8月22日、新宿FACEにて行われる「国際プロレス最終章・ワンスアゲイン」にFREEDOMSとともに全面協力。
- 9月29日、後楽園大会にて戦略発表会。2014年以降のさいたまスーパーアリーナ進出を宣言。そのために過去にマッスルなどもレギュラー放送したテレ玉での定期放送枠確保を目指すことを発表。
2014年
- 1月3日、前年に続き後楽園ホールで全席2000円興行を開催。
- 1月12日と13日、大阪・道頓堀アリーナにて2DAYS興行を開催。
- 1月26日、ブラウザゲーム「リング☆ドリーム 女子プロレス大戦」とのコラボレーション実施を発表。[3]
- 同月、佐々木大輔が所属選手に。佐藤光留はレギュラー契約を更新しなかったがユニオンにはフリーとして参戦する他、ハードヒットも継続。
- 2月19日、「アップアップDDT(仮)〜アップアップガールズ(仮)vsほもいろクローバーZ、アイドルvsプロレス異種対バン戦Vol.1〜」を新宿FACEで開催。
- 2月23日、後楽園大会を最後に柿本大地が退団。ドロップキックの店長も木高イサミと交代となる。
- 4月、サムライTVで月に一回のオンエアとなる「DDTのプロレスバンザイ\(^o^)/」と毎週水曜日テレ玉にて中継番組「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」の放送開始[4]。
- 4月13日、ボディーメーカーコロシアム第二競技場で松井レフェリー20周年興行を開催。
- 5月11日、札幌テイセンホールにてワンマッチ興行を4本立てで開催。
- 5月25日、団体初の名古屋国際会議場大会を開催。
- 6月5日、「DDT×BiS異種対バン路上ライブプロレス」を浅草花やしきで開催。
- 6月10日、オスカープロモーションと業務提携を結んだことを発表[5]。
- 6月18日、「故・冬木弘道13回忌メモリアル興行&金村キンタローデビュー25周年記念興行」に協力。DDTからは高木三四郎大社長とヤス・ウラノが参戦。
- 6月29日、後楽園ホール大会よりそれまでオープニングテーマとして使用されていた「INTO THE LIGHT」から、オリジナル曲の「Get Ready」に変更。
- 7月6日、スポルティーバアリーナで開催される「高井AID」に協力。
- 7月20日、後楽園ホール大会で戦略発表会を行い四つのことを発表。
- 8月17日、両国国技館大会「両国ピーターパン2014〜人生変えちゃう夏かもね!〜」を開催。
- 2009年より行われている夏のビッグマッチとしては初めて前売り段階で完売。
2015年
- 2月15日、さいたまスーパーアリーナコミュニティーアリーナ進出予定。
- 日にちは不明だが同月にマッスル坂井が監督を務めるプロレスキャノンボールの制作が決定。DDTの選手はもちろん鈴木みのるや葛西純も出演予定。
- 8月23日、両国大会を開催予定。
他団体との交流
メジャー・インディー・男子・女子・国内・海外の区別無く様々な団体と交流を行っている。そのため、不仲な団体同士にもそれぞれ選手を派遣もしくは招聘するなど、全方位的な外交を展開している。
前出のとおり、高木三四郎大社長とノアの仲田龍元GMの交流から友好関係にあり、ノアが中心となって設立されたGPWAにも加盟していた。過去には飯伏幸太やマサ高梨が参戦。高梨は原点回帰のため本名の高梨将弘のリングネームで同期の石森太二と対戦している。2007年の新潟大会のメインで鈴木鼓太郎のパートナーXとして三沢光晴が登場した。だが、現在はノアの興行にDDTの選手が、DDTの興行にノアの選手がそれぞれ出場するケースは少なくなっている。2014年7月20日に石森太二がスペシャルマッチに参戦。
新日本の日本武道館大会に試合提供をしたことがある。現在は飯伏幸太を中心に、相互に選手が参戦。DDT年間最大の大会である両国(武道館)ピーターパンには中西学、真壁刀義、オカダ・カズチカ、現在はWWEのプリンス・デヴィット、棚橋弘至など主力選手が毎年参戦している。両国以外にも獣神サンダー・ライガー、天コジ、高橋広夢も参戦している。飯伏はベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝・IWGPジュニアヘビー級王座戴冠歴もある他、業界初の新日本とのダブル所属を成し遂げている。ケニー・オメガはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにてデヴィット、アレックス・シェリーをいずれも路上に巻き込んでいる。男色ディーノは、新日本・CMLL合同主催の「ファンタスティカマニア」に所属外ながら出場、CMLLのオカマレスラーであるマキシモとのタッグが実現している。
ケニー・オメガが世界ジュニアヘビー級王座奪取も果たしている。全日本からはカズ・ハヤシ、KAIらが参戦した。最近では全日本プロレス元練習生の石井慧介属するチーム・ドリフが全日本に、逆に全日本からは所属となった曙が(フリーランス時より継続して)DDTに参戦している。2014年4月29日のDDT後楽園大会では全日本(PWF)が管理するアジアタッグ王座の防衛戦が行われ、チーム・ドリフが奪取、王座を奪われた秋山準は引き換えにアイアンマンヘビーメタル級王座を獲得した。また、若手・練習生がおらず手不足だった2013年の全日本のシリーズにDDTの練習生を貸し出し。現在、新日やノア、大日本との関係が悪化している全日本プロレスにとって主要な交流団体となっている。
過去に合同興行「DDG」を開催。男色ディーノを中心に交流していた。
GPWAが活動していた時代に盛んに相互参戦を行っていた。その後は2011年のディック東郷国内引退興行に日高郁人が参戦。2013年には橋本大地の復帰戦の相手を飯伏が務めた。
2014年に男色ディーノが参戦。またDDTには2014年両国大会に近藤修司が参戦。
ザ・グレート・サスケを中心に交流しており、2009年DDT両国大会でサスケが高木三四郎と一騎打ちを行った。
「天下三分の計」、年越しプロレスなどで連携。また、DDTブランド時代のユニオンと合同興行も不定期で開催。木高イサミと石川修司は大日本のデスマッチ戦線に参入しそれぞれBJW認定デスマッチヘビー級王座を戴冠、木高は宮本裕向とのタッグでBJW認定タッグ王座を戴冠した。関本大介はKO-D無差別級王座戴冠歴がある。
タイガースマスクが男色ディーノと学生プロレス時代より因縁を持ち、DDT大阪大会に参戦。また、ディーノに加え大阪出身の高木三四郎大社長と大石真翔も大阪プロレスに参戦経験あり。
2000年頃にDDTから試合提供を行い、GPWA発足後は相互参戦を行っていた。2004年にゴージャス松野がDDTへ移籍。マサ高梨が何度か参戦しており、2013年の高梨自主興行ではUMA軍団が参戦。
GPWA加盟団体として交流する一方、BJWともども「天下三分の計」などで連携。大石やウラノ、木高が元所属。また火野裕士が以前レギュラー参戦していた。現K-DOJO所属のバンビはDDTでプロレスデビューしており、2009年DDT両国大会に「公認凶器」として参戦を果たした。
- ダイヤモンド・リング(健介オフィス)
GPWAが活動していた時代には相互参戦を盛んに行っていた。その後も佐々木健介が2013年に男色ディーノ&大石真翔とKO-D6人タッグ王座を戴冠。中嶋勝彦も主にビッグマッチに参戦。DDTからは飯伏や中澤マイケルやディーノらが参戦し、飯伏は中嶋とタッグを組んだこともある。
- ドラディション(無我ワールド・プロレスリング)
藤波辰爾がMIKAMIとのタッグでKO-Dタッグ王座を戴冠。後藤達俊、長井満也が定着参戦していた。逆にDDT側からは高木三四郎、マサ高梨が参戦経験あり。
HARASHIMA、KUDO、高梨、飯伏らが参戦経験あり。一方、DDTが協力するハードヒットにリアルジャパンからも間下隼人が参戦。
高木三四郎、HARASHIMA、遠藤哲哉が天龍プロジェクト参戦経験あり。逆に天龍源一郎もDDTに参戦している。
元所属の佐々木貴とGENTAROが参戦。また葛西純も時折参戦。
DDT万博と両国ピーターパンに宮本裕向が参戦している。また、木高とのタッグでKO-Dタッグ王座も戴冠。
過去にミスター6号・エル・サムライ・岩本煌史が参戦。同団体所属の彰人が元所属。
スーパー・ササダンゴ・マシンがDDTに参戦中。過去にHARASHIMAの持つKO-D無差別級王座挑戦をするササダンゴマシンの新技垂直落下式リーマンショックの被験者として同じく新潟プロレス所属のブラックトムキャットとコシ☆ヒカ〜ルが協力をしている。
- 闘龍門
飯伏が闘龍門MEXICOへ遠征し、第10回ヤングドラゴン杯で優勝している。また、日本での闘龍門興行に飯伏の他、闘龍門出身の高梨、柿本大地、諸橋晴也らも参戦。
SMASH時代にはTAJIRIが両国ピーターパン2010でディック東郷とシングルで対戦した他、DDTブランド時代のユニオンにはTAJIRIに加えてAKIRA、朱里も参戦。逆にSMASHにはケニー・オメガ、大家健、チェリーが参戦。WNCに変わってからはDDTに華名(当時所属)、真琴が参戦している。
かつてレギュラー参戦の佐藤光留がパンクラスMISSION所属であり、鈴木みのるも主にビッグマッチに参戦している。また、DDTブランドとして行われていた「ハードヒット」が光留プロデュースに移行してからは移行当時パンクラス社長だった川村亮を始めパンクラスで活躍する総合格闘家が多数参戦している。鈴木みのるは高木にドーム進出の時の対戦を要求された。
DDTの選手がスターダムに参戦することもある。過去にはディーノ・中澤・飯伏・伊橋・レギュラー参戦時の光留などが参戦している。またスターダム側からは世IV虎らが参戦している。かつては愛川ゆず季も参戦していた。また世IV虎は飯伏に求愛をよくする。さらに柿本大地店長時代のドロップキックでは実妹でもある風香GMが週1で店に立っていた。
松永智充がかつて「スリーカウント松永」名義でレフェリーを務めている。選手として伊橋とも参戦をしているほかチェリーが定期参戦中。しかし中澤マイケルは「精神的デスマッチ」をやったとして出入り禁止。アイスリボン側からは藤本つかさ、星ハム子などが参戦をしている。
アジャ・コングがスポット参戦し、KO-D6人タッグ王座獲得に成功している。DDTからは飯伏らが参戦したことがある。
チェリーが定期参戦のみならず若手中心ブランド「ヤング オー!オー!」終身名誉顧問を務める。DDT側からはディーノや木高など、WAVE側から大畠美咲などが参戦。GAMIもDDTに参戦していた。
極初期のプロモーションだった時代に業務提携を結び、男子の試合を提供していた。
マサ高梨と星誕期が定期参戦中。ジャパンツアーが主だが本国タイの興行にも幾度か参戦している。我闘雲舞側からはさくらえみを筆頭にだいたいの日本人メンバーが参戦している。過去には高梨の推しアイドルとして登場して名古屋国際会議場大会でさくらえびちゅを披露する。
- 韓国プロレスリング連盟(WWA)
2010年・2011年にWWAが主催した興行にDDTからも参戦。WWAのキムナンプンは男色ディーノが保持していたDDT EXTREME級選手権の奪取に成功している。
フジテレビで放送されていたSmackdown日本版の解説を高木が務め、2005年に開かれた「ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR」にも来場。また、飯伏がWWEからオファーを受けたとアメリカで報道されたこともある。
2008年に飯伏がROH遠征を決行。飯伏と対戦したエル・ジェネリコが後にDDTへの来日を果たし、KO-D無差別級王座も戴冠した。ケニーも来日前に定着参戦していた。
MIKAMI、KUDO、ディーノ、飯伏らが参戦経験あり。また、2009年のジャパンツアーにもマイケルが参戦した。
旗揚げメンバーのひとりであるNOSAWAがCMLLに参戦歴があり、最初期にはその伝でCMLLからルチャドールが来日していた。また、NOSAWAが初代王座(パートナーは佐々木貴)に就いたKO-Dタッグ王座の決定戦はCMLL興行内で行われ認定も受けている。
2004年と2005年に開催されたジャパンツアーにディーノが参戦、いずれもオカマレスラーのピンピネーラ・エスカルラタとタッグながら対戦した。
IWF側からはエースのイワン・マルコフら、DDT側からはマサ高梨らが参戦。
DDTプロレスリングの別ブランド
定期的に開催している興行
石川修司を中心に活動しているDDTプロレスリング傘下ではあるが団体として機能し、DDT所属選手は原則参加しない(逆は適宜あり)。基本的に月1回の首都圏の興行の他、地方興行も行う。年に一度後楽園ホールの単独興行も開催。2013年10月より運営権が子会社である株式会社TECに移され、DDTプロレスリングとは別会社となる。またかつてDDTにレギュラー参戦していた佐藤光留は現在ユニオンに参戦をしている。
通常のプロレスルールに減点制を導入し、総合性、競技性を全面に押し出した興行。2011年11月の興行を最後に当時DDTにレギュラー参戦していた佐藤光留が譲り受け、運営協力はする方針ではあるもののDDTプロレスリングの別ブランドではないがDDTのHPでは試合結果などは載せてる他DDTからも選手が参戦していて興行も定期的に行われている。2014年には初の地方大会も決定。
2012年設立された女子プロレス団体。DDTプロレスリング内に事業部として置かれ、独立した路線を歩む。2013年より新人選手のみで本格始動し、12月1日に北沢タウンホールで本旗揚げ。DDTに対しては両国大会ダーク・マッチなどに試合提供され、ごくまれにDDTに参戦する選手もいる。また、DDT定期参戦中の赤井沙希が一度だけ東女に参戦したこともある。
ユニオンを退団した大家健が高木三四郎からもらった1万5千円の投資によって旗揚げした新団体。2013年3月6日に市ヶ谷南海記念診療所でプレ旗揚げ戦が行われ、4月17日に新木場1stRINGで旗揚げ戦が行われた。定期的に大会と即売会は開催されているがDDTからは選手が参戦することはなく即売会の動画にたまにDDTの選手が映ったりガンプロではレスラーの今成夢人がDDTの映像班を務めるくらいである。しかし一度だけ大家がガンプロ所属で地元富山大会に参戦している。
年に1回の興行
- DDTドラマティック総選挙(旧DDT48総選挙)
AKB48選抜総選挙をモデルとした人気投票で、年1回初秋に行われている。対象はDDT・ユニオンプロレス所属またはレギュラー参戦選手。上位入選者には特別興行参戦権やKO-D挑戦権などが与えられる。なお興行中のアピールは禁止されているが休憩中やネットコンテンツでの選挙活動は認められる。ちなみにDDTプロレスリングでは選手を「DDT48」と呼んでいる[6]。2014年からは「DDTドラマティック総選挙」に名称変更され、興行権を懸けたユニット総選挙もあわせて行われる。
毎年10月にJR大森駅東口前で開かれるイベント大会。試合の一つとして世界大森級選手権試合が組まれている。2014年大森級選手権試合の挑戦者はグルクンマスク。
不定期開催の興行
MIKAMIプロデュースによる軽量級の選手を集めた興行。アメリカのプロレスにおいてのクルーザー級(日本で言うジュニアヘビー級)が名の由来。
福田洋プロデュースによるアメリカンプロレスの要素を多く取り入れた興行。2013年3月28日に新木場1stRINGで初開催。2014年ビアガーデンプロレスで提供試合が組まれる。
許可が下りれば場所を問わずどこでもやる(主に1試合のみ)。これまで商店街、本屋、廃墟、工場、遊園地、海岸などで開催した。
2008年から売り興行として行われたキャンプ場プロレスを2011年にDDTプロレスリングの別ブランド化。飯伏幸太を代表兼PK(プレイヤーキラー)として2011年9月26日に旗揚げ。
女性だけでは行きづらいプロレス会場に女性を呼び込むため、イケメンプロレスラーを中心とした興行。一時休止を経た後、2013年にTVでの特集を受け女性限定興行として復活。
男色ディーノの2010年DDT48総選挙での公約からうまれたDVDによる映像コンテンツで男色牧場classic名義の興行も行っている。一人のプロレスラーをクローズアップして追うドキュメンタリー。名の由来はマッスルのテレビ番組「マッスル牧場classic」から。制作は映像班の今成夢人。2014年はワンチューロのクローズアップを行った。
新生BOYZとは反対に男性限定興行として開始。アイドル系女子プロレスラーのゲスト参戦など、男性ファン受けを狙ったマッチメイクを組む。
新日本プロレスの興行「レスリングどんたく」のパロディで、福岡県で行われている。
季節限定の興行
DDTプロレスリングの前身たるPWC時代より休止期間を挟み夏の恒例イベントとして毎年7月末~8月頭にかけて約一週間、連日趣向を凝らした内容で開催。またDDT主催の興行以外にもユニットによるプロデュース興行もある。観客席をビアガーデンスタイルにしてビール片手に試合を楽しんでもらう。
趙雲子龍が所属する中国の団体。団体設立からは2000年を超える。毎年2月ごろ(中国の正月ごろ)日本で興行を行っている。
終了もしくは長期間開催してない興行
2006年よりプロレスリング・ノアが始めた若手選手中心の小規模興行。2008年からノアとのコラボレーションという形で健介オフィス主催でも行われるようになったが、同年9月、DDTプロレスリングも同様の形で主催興行を行うことが発表された。
名古屋を中心に興行を行う地域密着型の団体。DDTプロレスリングの別ブランドとは違い完全に別資本活動していた団体。高木三四郎のみ現場監督として参加していたが、代表取締役であった渋谷雅人が大麻取締法違反で逮捕されたことを受け、解散。元所属選手は現在「チームでら」で活動中。
「明るく楽しいパッケージど真ん中」をコンセプトとした矢郷良明の団体だったが、旗揚げ戦後1時間余りで解散。その後2009年11月に「RAW IS YAGO」として一日限りの復活をした。
DDTプロレスリングの原点である熱く激しい戦いを見せる。主に旗揚げメンバーである佐々木貴、MIKAMIなどが中心に活躍。現在は消滅。
変態團を強制解散させられてからも変態行為を繰り返す二人に高木三四郎が「やるならいっそ突き抜けろ」と用意した興行。佐藤光留と中澤マイケルの企画、責任(主に苦情の)のもと、2010年9月30日にR指定で開催された。
マッスル坂井プロデュースによる演劇色を強めた興行。ハッスルのパロディであるが、毎回多方面のプロレスラーがゲスト参戦するなど客入りが好ましかった。マッスル坂井の引退とともに2030年(予定)まで活動を休止中。だが、2012年の「武道館ピーターパン」におけるダークマッチとして1日限定復活し、その後坂井はスーパー・ササダンゴ・マシンとして復活している。さらには2014年両国大会でマッスル坂井としても復帰する。
2010年2月から2011年12月まで行われた、若手選手に実戦経験を積ませることを目的とした興行。DDT、ユニオンプロレスや交流のある他団体の若手が中心だが若手の壁となる選手も出場する場合もある。
ユニオンプロレスのチェリーがプロデュースする女子プロレス興行。ブランドとしてはユニオンプロレスの系列として扱われる。フリー、他団体の女子選手のほか、DDTやユニオンプロレスの選手の「親戚」が参戦する。チェリーが年齢公開に伴い「ファンタジー」ギミックを棄てたため休止。
天下三分の計のDDTプロレスリングのブランド版というべき興行。初回は2010年4月11日にユニオンプロレス、ハードヒット、Cruiser's Gameで行い観客動員一位だったユニオンに新宿FACE興行の権利が与えられた。また、同日同会場でDDT飲食事業部による飲食三分の計や選手によるフリーマーケットも開催された。
飯伏幸太が新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニア決勝トーナメント進出を果たしたの伴い、それが行われる2010年6月13日後楽園ホールの昼に、「どインディーマニア」として知られる飯伏への壮行的な興行としてどインディーの選手を集めて開催した。
タイトルホルダー
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 |
---|---|---|---|---|
KO-D無差別級王座 | HARASHIMA | 第48代 | 3 | 石井慧介vs遠藤哲哉の勝者 |
KO-Dタッグ王座 | ゴールデン☆ラヴァーズ (飯伏幸太&ケニー・オメガ) |
第49代 | 6 | |
KO-D6人タッグ王座 | チーム・ドリーム・フューチャーズ (石井慧介&入江茂弘&高尾蒼馬) |
第13代 | ダーク・キングダム (KENSO&長井満也&真霜拳號) | |
アイアンマンヘビーメタル級王座 | LiLiCo | 第1009代 | ||
DDT EXTREME級王座 | 男色ディーノ | 第29代 | 1 | ゼウス |
- 過去に存在した王座
タイトル | 覇者 | 年代 |
---|---|---|
KING OF DDTトーナメント | 木高イサミ | 2014年 |
所属選手、主要参戦選手
ゴールデン☆ストームライダーズ
- 飯伏&ケニー
スマイルスカッシュ
酒呑童子
チーム・ドリーム・フューチャーズ
豚ing
- 中澤&松永
男方神起
T2ひ~
ハッピーモーテル
チーム・モラトリアムズ
- スーパー・ササダンゴ・マシン(新潟プロレス、限定参戦)
ゴジャ★ミカ
無所属
レギュラー参戦選手・限定参戦選手
- DJニラ(フリー、ニラ連盟)
- 赤井沙希(オスカープロモーション、限定参戦)
- アジャ・コング(OZアカデミー、限定参戦)
- 鈴木みのる(パンクラスMISSION、限定参戦)
- 斗猛矢(フリー、北海道大会限定参戦)
- 山本喧一(WIT、北海道大会限定参戦)
- 矢郷良明(矢郷道場、富山大会限定参戦)
- 内田祥一(フリー、関西大会限定参戦)
- キアイリュウケンエッちゃん(プロレスリング紫焔、関西大会限定参戦)
- 相島勇人(フリー、西日本大会限定参戦)
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
ゼネラルマネージャー
映像班
DDTプロレスリングの別ブランド所属選手
ユニオンプロレス
- チェリー
- 紫雷美央(プロレスリングWAVE、OZアカデミー、アイスリボン兼任所属)
- 諸橋晴也
- 木高イサミ
- 石川修司
- FUMA
- 福田洋(コメンテーター、U・S・Aプロデューサー兼任)
- 竜剛馬
- 風戸大智
- SAGAT
- 三富政行
- 河村知哉
東京女子プロレス
ガンバレ☆プロレス
- 大家健(代表兼任)
新北京プロレス
過去の所属選手
- 野沢一茂(現:NOSAWA論外)
- 佐々木貴
- GENTARO
- 神威
- エキサイティング吉田
- 菊澤光信(現:菊タロー)
- 大作(現:下田大作)
- 勇作(現:不動力也)
- 種市課長
- 西野湧喜
- 美佐恵ちゃん(現:元気美佐恵)
- 前田美幸
- ホッパーキング(現:スーパー・ライダー)
- 蛇影
- 「昭和」
- ブラック「昭和」
- 負死鳥カラス
- Mr.Blue
- 「昭和」80's
- 「昭和」の父
- 「昭和」子(現:バンビ)
- 蛇界1号
- 安田雅史
- 神咲翔
- サンダー
- 一宮章一
- 橋本友彦
- 猪俣潤
- スーパー宇宙パワー
- チェリー
- 健心
- 三和太
- 諸橋正美
- 諸橋晴也
- 安部行洋
- タノムサク鳥羽
- ディック東郷
- 大崇
- ポイズン澤田
- 柿本大地
過去のスタッフ
フリー、他団体参戦選手
2014年に参戦した選手のみ列記。
- 新崎人生
- 相島勇人
- 松田慶三
- 高智政光
- 火野裕士
- 真霜拳號
- 大鷲透
- ゼウス
- The Bodyguard
- マグニチュード岸和田
- HUB
- ビリーケン・キッド
- バッファロー
- ツバサ
- 佐々木貴
- アントーニオ本多
- タノムサク鳥羽
- 佐藤光留
- 坂口征夫
- 高井憲吾
- 宮本裕向
- 内田祥一
- 関根龍一
- ラ・ピート
- NOSAWA論外
- HAYATA
- KENICHI
- TORU
- バラモン・シュウ
- バラモン・ケイ
- レイ・パロマ
- スーパー・ササダンゴ・マシン
- くいしんぼう仮面
- 菊タロー
- DJニラ
- キアイリュウケンエッちゃん
- アナルコ・モンターニャ
- アジャ・コング
- 世IV虎
- 赤井沙希
- ケニー・オメガ
- ワンチューロ
- グルクンマスク
- TAKAみちのく
- 秋山準
- 金丸義信
- 大森隆男
- 藤田ミノル
- 谷口勇武
- ダイナマイト九州
- TOSSHI
- パンチくん
- 鉄生
- チェリー
- 鈴木みのる
- 斗猛矢
- 山本喧一
- 藤岡典一
- 佐藤泰
- ウルトラマンロビン
- 小仲=ペールワン
- グレート小鹿
- 齋藤彰俊
- アズール・ドラゴン
- ばってん×ぶらぶら
- PSYCHO
- 棚橋弘至
- 越中詩郎
- 葛西純
- 石森太二
- 青木篤志
- 才賀紀左衛門
- GENTARO
- マッスル坂井
- ゴロージュニア
- 近藤修司
- 関本大介
- A.YAZAWA
- グランパスマスク4号
- 三原一晃
- 志田光
- ヴァンヴェール・ネグロ
- ヴァンヴェール・ジャック
両国大会参戦選手・ゲスト
- 山下実優
- 木場千景
- KANNA
- 中島翔子
- 坂崎ユカ
- えーりん
- 風戸大智
- SAGAT
- 三富政行
- 河村知哉
- 越中詩郎
- GENTARO
- FUMA
- 大鷲透
- DJニラ
- のの子
- 才賀紀左衛門
- 清水愛
- 越中詩郎
- アジャ・コング
- アントーニオ本多
- 福田洋
- 赤井沙希
- レディビアード
- マッスル坂井
- 葛西純
- 鈴木みのる
- 棚橋弘至
- 木高イサミ
- 近藤修司
- 佐藤藍子
- アップアップガールズ(仮)
- LiLiCo
- 山里亮太
テーマ曲
- オープニングテーマ
- Get Ready
- 2014年6月29日の後楽園ホール大会より使用されている、オリジナルテーマ曲。元々は「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」のオープニングテーマ。
- INTO THE LIGHT/MISIA
- 2014年6月22日松山大会まで、長らく使用されていたテーマ曲。
- その他
- When you come back to me/World Party
- 大会の後半戦再開時に流れる。DDT関連の曲で最も歴史があり、旗揚げ当時から使用されている[7]。
試合中継
- 放送中のテレビ番組
- DDTプロレスリング(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- DDTのプロレスバンザイ\(^o^)/(FIGHTING TV サムライ、サムライ2、BSスカパー!)
- DDTプロレス中継 さいたまースラム!(テレ玉)
- 放送中のインターネット番組
- DDTプロレスアワー(ニコニコチャンネル)
- トーク番組や過去の試合、生中継も配信している。
- ニコニコプロレスチャンネル(ニコニコチャンネル)
- ブランドである「ハードヒット」「ユニオン」他所属選手の自主興行等も中継されている。
- 終了したテレビ番組
- DDTドラマティックファンタジア(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
- DDTドラマティックファンタジアReturns(FIGHTING TV サムライ、サムライ2)
DDT芸能部
2009年10月「株式会社STF」を設立し、代表取締役は嶋田信一郎が務めた。現在はDDTプロレスリングの内部組織「DDT芸能部」として統合されている。所属タレントはDDTプロレスリング所属選手(別ブランド含む)、スタッフ。
DDT飲食事業部
飲食事業部部長
柿本大地退団後はいない。
開店中の店
- プロレス&スポーツBar ドロップキック
2007年7月、歌舞伎町にオープンしたスポーツバー。30席のフロアに大型スクリーンを設置。日替わりイベントや佐々木貴(プロレスリングFREEDOMS)をはじめとするDDTプロレスリングの選手以外のプロレスラーによるプロデュースなどを開催している。またDDTプロレスリングの記者会見場(ユニオンプロレス分社化後はその運営会社であるTECの事務所を使用することが多くなった)やガンバレ☆プロレスのチケット即売会会場としても使用されている。2011年4月に同じ歌舞伎町のエビスコ酒場と同じビルに移転、相互の出前が可能になった。ちなみに初代店長はMIKAMI、2代目店長は柿本大地。柿本店長時代には毎週月曜日に「ドロップキックジャック」と称して店長の妹、風香(スターダム)も店に立っていた。
- 炭火焼 エビスコ酒場
2009年12月、歌舞伎町にオープンした居酒屋。「エビスコ」は大相撲の隠語で「大食い」。昭和レトロな内装と産地直送の新鮮な大山地鶏、各種豚、魚の炭火焼、2から3人前分のエビスコ丼などの安くてボリュームある料理が特徴。プロレスラーによるイベントも不定期ながら開催している。2010年5月頃、初代店長(外部招聘)が店の売上金250万円を横領していたことが発覚し、この店長は解雇。DDTプロレスリング本体の解散も検討された。2012年10月、試合で負傷したKUDOに代わって大家がスタッフとして異動を命じられる。初出勤は10月13日。また平成26年4月12日にエビスコ酒場のレバブツによる食中毒事件が発生。平成26年4月25日(金)付で、4月25日(金)から5月1日(木)までの間、エビスコ酒場において7日間の営業停止の行政処分をうけた。
閉店した店
- DDTステーキ
水道橋駅、西口そばにステーキハウスを開いていた。後楽園ホールの近くという立地条件に加え、店内にはプロレスラーのサインやグッズも多数飾られ、プロレスファンの溜り場として人気だった。また当時はDDTプロレスリングの若手選手のアルバイト先としても重宝された。しかし同店はオーナー交代等の事情により2006年5月に閉店している。
- フレンチカレーミツボシ
- 店長 : 猪熊裕介
2008年11月、中野にオープンしたカレーライス専門店。オープンに備え博多のフレンチレストラン「パロマグリル」に1か月間住み込みで修行した。同店はプロレスグッズ等は特に飾られておらず、純粋にカレーの味で勝負する姿勢を示している[8]。2010年11月28日をもって料理人としての向上とプロレスラー復帰のために猪熊がミツボシを卒業し、後述のニコニコカレーにリニューアルした。
- ニコニコカレー
2010年12月10日にフレンチカレーミツボシをリニューアルしてオープン、フレンチカレーミツボシ同様にカレーライスをメインとし、サイドメニューやドリンクも充実させている。しかし店舗の賃貸契約満了と従業員の退社を理由に2011年7月24日をもって閉店した。
同人誌
2008年に男色ディーノがプロレススーパースター列伝の作画担当の原田久仁信に直談判したことで製作が決まる。前作の風刺を忠実にDDTプロレスリングの所属選手で描かれている。同人誌での販売のため試合会場はコミケなどの同人誌即売会場、通販での販売となる。発行元は株式会社ファンタジスタ。
ベストストレッチ
2012年9月3日に新規事業としてストレッチ専門店を開店。店名は当初「ストレッチマスター」を予定していたが「ベストストレッチ」に変更された[9]。店長は諸橋晴也。場所は代々木上原駅近く。スタッフに指導員資格を持つ中澤マイケルと平田一喜。日本武道館大会を特集した週刊プロレス増刊「DDT15周年記念興行決算号」で同大会にも参戦した藤本つかさ(アイスリボン)をモデルに起用した広告を掲載した。2013年4月8日、諸橋の地元に近い千葉県柏市に2号店が開店。
2014年7月現在のトレーナーは代々木上原店は平田一喜と風戸大智、柏店は諸橋晴也と勝俣瞬馬。
コラボレーション
- BLACKOUT - ドン・キホーテとのコラボレーションにより2013年より発売されたエナジードリンク。
- リング☆ドリーム 女子プロレス大戦 - サクセスのブラウザゲーム。2014年にDDT所属選手の一部が美少女キャラクター化して登場。その他の団体ではスターダムの選手も登場している。
脚注
外部リンク
テンプレート:DDTプロレスリング- ↑ DDT48総選挙結果発表時に「家はパンクラスですけれども、ホームリングはDDT」と発言している。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ http://www.ddtpro.com/ddtpro/6570/
- ↑ DDT「さいたまスーパーアリーナ進出」表明 - 東京スポーツ・2014年1月4日
- ↑ 「剛力プロレスデビュー」DDT高木社長が熱烈ラブコール - 東京スポーツ・2014年6月11日
- ↑ プロレスラー入門テストの季節 清野茂樹のシゲキ的リング 2006年11月19日
- ↑ https://twitter.com/extremeparty/status/467641394375319553
- ↑ フレンチカレーミツボシが中野にオープン! - walkerplus.com・2008年12月5日
- ↑ テンプレート:Cite web