吉田秀彦
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吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、男性、1969年9月3日 - )は、日本の柔道家、総合格闘家。愛知県大府市出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。柔道六段。現在は吉田道場師範、パーク24柔道部監督。
目次
来歴
柔道
大府西中学校-講道学舎入門-世田谷区立弦巻中学校(中学3年時に転校) -世田谷学園高校-明治大学。その間、戦歴は1984年全中(-65kg級)準優勝、1987年インターハイ(軽重量級)優勝、1987、1988年全日本ジュニア(-78kg級)優勝、1988、1990年世界学生選手権(-78kg級)優勝など。
1991年から1997年まで新日鉄に所属。1992年バルセロナオリンピック(-78kg級)で金メダルを獲得した。
1997年から2002年まで母校明治大学の柔道部の監督を務める傍ら、2000年にはシドニーオリンピック(-90kg級)に出場。3回戦で対戦相手(テンプレート:Flagicon カルロス・オノラト)の投げを手をついて耐えた際に右肘関節脱臼の怪我を負い、敗退[1]。同時に敗者復活戦は不戦敗となった。
2002年、全日本柔道選手権への出場を最後に第一線から退き、自らの道場である吉田道場を設立、師範を務めている。また、同年、ゴールデンハート賞を受賞した。
総合格闘技
2002年8月28日、プロ格闘家デビューとなるDynamite!で、ホイス・グレイシーとレフェリーストップなしのジャケットマッチ特別ルールで対戦。吉田が袖車絞めの形に入った際に「(ホイスが)落ちた」とアピールし、レフェリーが試合をストップした。だが、ホイスはすぐに立ち上がり「タップしていない」と猛抗議し、レフェリーを突き飛ばすなど激昂。ホイス陣営は「レフェリーに試合を止める権利はないはずであり、ノーコンテストである」と抗議。結局、判定が覆ることはなかった。
2002年11月24日、プロ総合格闘技デビュー並びにPRIDEデビューとなるPRIDE.23でドン・フライと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002で佐竹雅昭の引退試合の相手を務め、フロントチョークで一本勝ち。
2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦で行われたミドル級GPの1回戦で田村潔司と対戦。田村の左フック、ローキックなどでダメージを受けながらも、最後は払い腰から袖車絞めで一本勝ち。田村のローキックで左膝にダメージを受け、試合後病院に直行した。
2003年11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦で行われたミドル級GPの準決勝でヴァンダレイ・シウバと初対戦。打撃でも真っ向から攻め合い、グラウンドでは上になる場面もあったものの極めきれずタイムアップ、判定負け。
2003年12月31日、PRIDE SPECIAL 男祭り 2003でホイス・グレイシーと再戦。前回の対戦結果によりルールの徹底が図られた中で対戦であった。前回と違い道着の上を脱いできたホイスに防戦一方となり、道着を掴まれて動きを封じられなかなか有効な攻撃が出せないまま時間が過ぎ、10分2Rが終了。判定決着なしというルールにより引き分けに終わったものの、試合後のインタビューでは意気消沈する吉田、「決着が着いた」と歓喜のホイス、と明暗が分かれた。
2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦で行われたミドル級GPの1回戦でヴァンダレイ・シウバと再戦し、判定負けを喫した。
2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDの2回戦でミルコ・クロコップと対戦し、生涯初のTKO負けを喫した。
2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006ではジェームス・トンプソンと対戦。柔道着を脱いで試合に臨んだ吉田だったが、トンプソンの打撃ラッシュの前にKO負けを喫した。
2008年3月5日、戦極旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜でジョシュ・バーネットと対戦。3Rヒールホールドにより一本負けを喫した。
2009年1月4日、戦極の乱2009で菊田早苗と対戦し、判定負けを喫した。
2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜で石井慧デビュー戦の相手を務め、判定勝ちを収めた。
2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜にて愛弟子中村和裕を相手に引退試合を行い、0-3の判定で敗れた。
柔道へ復帰
プロ格闘家引退から1年が経過し、全日本柔道連盟への指導者登録が可能になったことを受け、2011年5月12日に時間貸し駐車場経営で有名なパーク24の柔道部監督に就任した。なお2年後にはプロ格闘家から選手への復帰も可能になることから、本人は指導者としてだけでなく現役選手としての復帰の可能性も示唆[2]。実際に2013年に現役選手として再登録を行い、同年6月の全日本実業団対抗大会に出場して本格的に現役復帰した[3][4]。
人物
- 格闘家生活と並行して、「VIVA JUDO!」というスポーツイベントを日本各地で開き、柔道の普及のために精力的に活動している。
- 中村和裕、瀧本誠らは、吉田道場に所属する吉田の弟子である。
- ヴァンダレイ・シウバと対戦した際、2か月で13kgの減量をし、減量期間中に後輩を引き連れて焼き肉を食べに行ったが、後輩らが牛肉を食べている横でビールも飲まず、1人、鶏肉を食べていたらしい。
- フェラーリ・F430スパイダーを所有。
- グッチやプラダのスニーカーを愛用している。
- 世田谷学園高校の後輩に元SIAM SHADEの栄喜がおり、入場テーマ曲に栄喜の曲「The Secret」を使用している。
- 所属事務所はJ-ROCK。本来は栄喜がソロ活動するために立ち上げた個人事務所に間借りする形で所属していた。しかし、いつの間にか吉田を中心とするアスリートたちが数多く所属する事務所になってしまい、栄喜は新たな事務所を作るためJ-ROCKを去ってしまった。
- 高阪剛とは学生柔道時代からの友人。
- 元不良で、かなりケンカが強かったとテレビで放送された。
- 芸能人格付けチェックでは2年連続で一流芸能人にランクされた。2008年度は関根勤、2009年度はGacktとペアを組んでいた。
- バルセロナオリンピックの時、試合を10日後に控えていた先輩である古賀稔彦に全治1年の大ケガを負わせてしまった(練習相手が吉田だった)。その後「せめての罪滅ぼしに目の保養をしてもらおう」と選手村にあるヌーディストビーチに連れていったら、古賀は元気になったのかケガを負ったままで金メダルを獲得した(2009年11月12日放送の『ダウンタウンDX』で本人談)。
- パチンコ店『ヒノマルグループ』のイメージキャラクター。
戦績
総合格闘技
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特別ルール
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柔道のタイトル
- 全国中学校体育大会柔道競技 中量級 2位(1984年)
- 全国高等学校総合体育大会柔道競技 軽重量級 優勝(1987年)
- 全日本学生体重別選手権 78kg級 3連覇(1988年、1989年、1990年)
- 世界学生体重別選手権 78kg級 2連覇(1988年、1990年)
- 嘉納治五郎杯東京国際柔道大会 78kg級 優勝(1990年)
- 世界柔道選手権 78kg級 3位(1991年)
- 全日本柔道選手権 3位(1991年)
- 全日本選抜柔道体重別選手権 78kg級 優勝(1992年)
- バルセロナオリンピック 柔道男子78kg級 優勝(1992年)
- フランス国際 優勝(1993年)
- 世界柔道選手権 78kg級 2位(1993年)
- 全日本柔道選手権 2位(1994年)
- 嘉納治五郎杯東京国際柔道大会 86kg級 優勝(1994年)
- 講道館杯 86kg級 優勝(1994年)
- フランス国際 優勝(1995年)
- 全日本選抜柔道体重別選手権 86kg級 優勝(1995年)
- 世界柔道選手権 86kg級 2位(1995年)
- 全日本選抜柔道体重別選手権 86kg級 優勝(1996年)
- アトランタオリンピック 柔道男子86kg級 5位(1996年)
- 講道館杯 90kg級 優勝(1998年)
- 全日本選抜柔道体重別選手権 90kg級 優勝(1999年)
- 世界柔道選手権 90kg級 優勝(1999年)
- 全日本選抜柔道体重別選手権 90kg級 優勝(2000年)
出演
その他のテレビ番組
- いのちの響(TBSテレビ)
- 芸能人格付けチェック (ABC・2008年1月1日(チーム格闘技)、2009年1月1日(チームマブダチ))
- はなまるマーケット(TBSテレビ・2010年)ゲスト
- さんま&EXILEの世界に一つだけの歌 第4弾(ABC・2010年)
- 柔道グランドスラム 東京2010(テレビ東京・2010年)解説
CM
脚注
関連項目
- 男子総合格闘家一覧
- 柔道家一覧
- SRC選手一覧
- PRIDE選手一覧
- 柔道の日本人オリンピックメダリスト一覧
- オリンピック柔道競技メダリスト一覧
- 明治大学の人物一覧
- 古賀稔彦 - 講道学舎時代の先輩
- 小川直也 - 明治大学時代の先輩
- 大石道場
外部リンク
- 吉田秀彦公式サイト
- DREAM 選手データ
- SRC 選手データ
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- K-1 選手データ
- バウトレビュー 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- テンプレート:JudoInside
- ↑ 吉田秀彦選手の怪我について JOC公式サイト 2000年9月20日
- ↑ 吉田が全柔連指導者登録「ヒーロー育てる」 - 日刊スポーツ・2011年5月12日
- ↑ 吉田秀彦「43歳現役復帰の真相」語る - 東京スポーツ・2013年6月8日
- ↑ 柔道復帰の吉田秀彦、4試合で一本勝ち 試合11年ぶり - 朝日新聞デジタル・2013年6月15日