アルバート・クラウス

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アルバート・クラウスAlbert Kraus、男性、1980年8月3日 - )は、オランダ出身のキックボクサー北ブラバント州オス市出身。K-1 WORLD MAXの初代王者。チーム・スーパープロ所属。試合入場時のガウン、パンツなどは独特のものがある(パンツの前面に漢字で「一番」の文字を縫っている)。入場曲はサバイバーアイ・オブ・ザ・タイガー

来歴

2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002のトーナメント準々決勝ではシェイン・チャップマンに判定勝ち、準決勝では魔裟斗に判定勝ち、決勝ではガオラン・カウイチットを右フックでKO勝ち、K-1 WORLD MAX初代王者となった。当初はリンホージムの兄弟子アンディ・サワーが出場予定であったが、怪我によりクラウスが出場し優勝を果たした。

優勝したことでクラウスが天狗になり、リンホージムのジョン・デ・リン会長との関係が悪化。最終的には、同ジムを離脱しブリーズジムに移籍した。

2002年10月11日、K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜で魔裟斗と再戦するも5Rドロー。

2003年3月1日、K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜のスーパーファイトでマイク・ザンビディスと対戦し、右フック一発でKO負け。

2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003のトーナメント準々決勝ではアンディ・サワーにダメージによる棄権でTKO勝ち、準決勝ではドゥエイン・ラドウィックに左フックでKO勝ち、決勝では魔裟斗に左フックでKO負けし、準優勝に終わった。同年9月27日に、スーパーリーグの興行で、フランスのモウッサ・コナテに2R終了時TKO勝ちし、復帰戦を飾った。

2004年4月7日、K-1 WORLD MAX 2004のトーナメント1回戦でジャダンバ・ナラントンガラグに延長判定勝ち。7月7日の準々決勝ではシャミール・ガイダルベコフに判定勝ちしたものの、準決勝で王者魔裟斗に判定負け。ベスト4に終わった。

2004年9月19日、シュートボクシングS-cup 2004」に出場。1回戦でチャンプアック・チョーセパサートに延長の末判定勝ちを収めるも、右背部筋挫傷および肋骨亀裂骨折により準決勝を棄権した[1]

2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のトーナメント1回戦でヴァージル・カラコダに判定勝ち。7月20日の準々決勝ではジョン・ウェイン・パーに判定勝ちしたものの、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに判定負け。2年連続でベスト4で終わった。

2005年12月18日、オランダの北ブラバント州にあるクラウスの地元オスで行われたIKBAムエタイ世界ウェルター級タイトルマッチで、メノー・ダイクストラを5R判定で下し世界王者になった。

2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006のトーナメント1回戦でアリ・グンヤーに判定勝ち。6月30日の準々決勝でドラゴに1R右膝蹴りでダウンを奪われ判定負け。ベスト8に終わった。その年の終わりの、12月17日に、オランダの地元オスで開催された「WORLD TITLE DEFENSE」で自身の持つIKBO世界王座防衛戦を行った。“キング”ジェームス・マルティネス(アメリカ)を2RTKOで下し、防衛に成功した。本来はザック・デイ(アメリカ)と防衛戦を行う予定だったが、デイが怪我のため出場できなかった。

2007年4月4日、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜でTATSUJIと対戦し、判定負け。しかし判定負けに納得のできないクラウスは試合後にカメラを殴るなど怒りをあらわにした。試合は手数ではTATSUJI、クリーンヒットではクラウスと非常に微妙なものであった。

2007年6月28日、K-1 WORLD MAX 2007のトーナメント1回戦でヴァージル・カラコダに判定勝ち。10月3日の準々決勝では佐藤嘉洋に判定勝ちしたものの、準決勝でアンディ・サワーに判定負け。

2007年10月28日、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007で緒形健一と対戦予定であったが、K-1 MAXでの負傷を理由に欠場となった。

2008年1月26日、Beast of the Eastにてファディル・シャバリと対戦し、判定負け。

2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16のトーナメント1回戦でブアカーオ・ポー.プラムックと再戦し、延長判定負け。

2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のトーナメント敗者復活戦でマイク・ザンビディスと対戦し、3R終了時、左目カットによるTKO勝ち。FINALでのリザーブファイト出場権を手にした。

2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメントリザーブファイトで城戸康裕と対戦。1R終了間際に膝蹴りで城戸の眉間付近をカットさせる。2Rに再度膝蹴りをヒットさせ、城戸をドクターストップに。クラウスの2RTKO勝ち。

2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009イ・スファンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。1Rに2度のダウンを奪い、KO勝ちを収めた。

2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8の準々決勝でジョルジオ・ペトロシアンと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL武田幸三の引退試合の相手を務め、TKO勝ちを収めた。

2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 FINAL16中島弘貴と対戦し、1Rに右ハイキックでダウンを奪った上で3-0の判定勝ちを収めた。

2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALの準々決勝にてジョルジオ・ペトロシアンと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2011年9月25日、K-1 WORLD MAX 2011 -70kg Japan Tournament FINALに出場、1回戦で名城裕司と対戦し、3Rに左ハイキックでダウンを奪われ0-3の判定負けを喫し、自身のプロキャリア初の3連敗となった。

戦績

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ファイトスタイル

元々のバックボーンはボクシングK-1ではそのボクシングで鍛えたパンチを武器に活躍している。2002 - 2003年あたりまで、パンチに偏ったスタイルだったが、後にキックを猛練習。バランスのよいファイターになった。しかしアゴへのパンチや跳び膝蹴りに非常に弱く、悪い特徴として調子の波が激しすぎることがあげられる。

獲得タイトル

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:K-1 WORLD MAX歴代王者

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  1. [S-cup] 9.19 横文:サワー2連覇。宍戸が大奮闘 BoutReview 2004年9月29日