アンディ・サワー
アンディ・サワー(Andy Souwer、男性、1982年11月9日 - )は、オランダのキックボクサー、シュートボクサー。北ブラバント州スヘルトーヘンボス出身。CAESAR GYM HOLLAND/チーム・サワー/Souwer Sports Institute所属。
「短い試合間隔で戦うことが自分には合っている」との言葉通り、22歳の若さでK-1 WORLD MAX初優勝を果たした時点で109戦105勝3敗1分という驚異的な戦績を誇り、その後もトーナメント戦も含めてほぼ1~2ヵ月に1大会出場というハイペースでの過酷な連戦をこなしながらも勝率90%以上を記録している。
元来、スーパーウェルター級を主戦場にしており、2000年頃からシュートボクシングに参戦し、次第にキックボクサーではなくシュートボクサーとしてロングスパッツを履いて試合に臨むようになった。K-1 WORLD MAXには2003年の初参戦時から、シュートボクシング代表としてロングスパッツを履き試合に臨んでいた(2008年10月1日のK-1 WORLD MAX 2008 FINALよりロングスパッツの着用が禁止されたため、K-1ではトランクスを着用するようになった)。シュートボクシングでWSBA世界スーパーウェルター級王座を獲得し、シュートボクシング最大の大会S-cupでも4度の優勝を果たしていることから「シュートボクシングの絶対王者」と呼ばれる。
K-1 WORLD MAXでは2度優勝したほか、史上唯一となるK-1、S-cup、IT'S SHOWTIMEの三冠王を達成。これらを含めてキックボクシング・ムエタイで通算で15回も世界王座を獲得している。
柔道や空手も学んでいた。アルバート・クラウスとは元同門。
回転力のあるパンチ、的確かつ強力なローキックを主体とした多彩な対角線コンビネーションと超高速の連打を得意とし、シュートボクシングルールの試合では柔道仕込みの投げ技も得意とする。2006年始め頃に右のカウンターを使い始め、2007年からはクロスカウンターをも使いこなすようになった。自らも認めるスロースターター[1]だが、世界最高峰のテクニックと逆境でも諦めない精神力の強さで逆転勝ちが多い。
来歴
2002年5月11日に行われたK-1 WORLD MAX 2002のトーナメントに出場予定であったが、怪我により欠場。代理出場となったリンホージムの弟弟子(当時)アルバート・クラウスが優勝を果たした。
2002年7月7日、シュートボクシング「S-cup 2002」で初来日。1回戦ではマヌエル・フォンセカにKO勝ち、準決勝では土井広之にKO勝ち、決勝では鄭裕蒿に判定勝ち。19歳にして優勝を果たした。
2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003に初出場。トーナメント1回戦でアルバート・クラウスと対戦。左目付近をカットし1R終了時点で棄権、TKO負けとなった。試合後、「クラウスの肘による攻撃でカットした。きれいな試合ではなかった」とコメントした。
2004年2月1日、SHOOT BOXING 2004 "∞-S 〜infinity-S〜 vol.1にて土井広之と対戦し、4Rタオル投入TKO勝ちでWSBA世界スーパーウェルター級初代王座を獲得した。
2004年9月19日、S-cup 2004に出場。1回戦、準決勝を勝ち抜くと、決勝では宍戸大樹にTKO勝ちし、S-cup連覇を果たした。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のトーナメント1回戦でマルフィオ"ザ・ウォーリヤータイガー"カノレッティに判定勝ち。7月20日の準々決勝では小比類巻貴之に判定勝ち、準決勝では安廣一哉にTKO勝ち、決勝では前年の優勝者ブアカーオ・ポー.プラムックに延長判定勝ちし、初優勝を果たした。
その後リンホージムを離脱し、メジロジムに移籍。
2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006のトーナメント1回戦でアマラ忍に判定勝ち。6月30日の準々決勝ではヴァージル・カラコダに1Rにダウンをもらうも逆転KO勝ち、準決勝では魔裟斗に判定勝ち、決勝は前年と同じ組み合わせとなりブアカーオ・ポー.プラムックと対決。2Rまで互角に試合を進めるも左フックを受けダウン。その後パンチを纏められて3ダウンし、準優勝となった。
2006年7月8日、オランダで結婚式を挙げた。
2006年11月3日、S-cup 2006に出場。1回戦でマルフィオ"ザ・ウォーリヤータイガー"カノレッティに判定勝ち、準決勝でダニエル・ドーソンに判定勝ちしたが、決勝で緒形健一に判定負けし、3連覇を阻まれた。
2007年6月28日、K-1 WORLD MAX 2007のトーナメント1回戦でオーレ・ローセンに右クロスカウンターでKO勝ち。10月3日の準々決勝ではドラゴに再び右クロスカウンターでKO勝ち、準決勝ではアルバート・クラウスに判定勝ち、決勝は魔裟斗のタオル投入によるTKO勝ち、2度目の優勝を果たした。
2007年10月28日、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007でアンディ・オロゴンと対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪われるも、2Rにダウンを奪い返すなどして、判定勝ち。
2007年11月24日、オランダでのシュートボクシング興行を自らプロデュース。ニキー・ホルツケンと72.5kg契約で対戦し、判定勝ち。
2008年3月2日、オランダでヨードセングライ・フェアテックスと対戦し、判定勝ち。
2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16のトーナメント1回戦でマイク・ザンビディスと対戦。延長Rまで縺れる接戦になるも、最後は左ハイキックでKO勝ち。7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のトーナメント準々決勝でウォーレン・スティーブルマンズと対戦し、判定勝ち。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝でアルトゥール・キシェンコと対戦し、延長R判定負け。今大会よりロングスパッツの着用が禁止されたため、トランクスで登場した。
2008年11月22日、S-cup 2008に出場。1回戦ではエドウィン・キバスにTKO勝ち、準決勝では宍戸大樹に判定勝ち、決勝では緒形健一にTKO勝ち。3度目の優勝を果たした。
2009年3月14日、イタリアで開催されたOktagonでジョルジオ・ペトロシアンと対戦。3Rまでは互角の戦いを繰り広げるも、延長Rにダウンともとれるようなスリップがあり、判定負けを喫した。
2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦でリーロイ・ケスナーと対戦。1Rに2度、3Rに1度のダウンを奪い、大差の判定勝ちを収めた。
2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8のトーナメント準々決勝でアルトゥール・キシェンコと再戦し、延長R判定勝ちを収めた。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALに出場。準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに延長Rを2-1で判定勝ちするも、決勝でジョルジオ・ペトロシアンに2Rに左膝蹴りでダウンを奪われ、判定負けを喫し、準優勝となった。
2009年11月12日、大晦日での引退を表明している魔裟斗との試合が、谷川貞治K-1イベントプロデューサーより発表された。当初、魔裟斗は「今年のチャンピオンと引退試合をしたい」と語っており、世界王者のジョルジオ・ペトロシアンに魔裟斗は「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。」と挑戦を表明していたが、そのペトロシアンが今年の10月の山本優弥戦で、右手中指を骨折していることが判明し、準優勝、そして魔裟斗が1度も勝利を収めたことのない、サワーとの引退試合が決定した[2]。
2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜で魔裟斗の引退試合(3分5R延長1R、ロングスパッツ着用可のK-1特別ルール)の相手を務め、一進一退の攻防を見せ、4R序盤にダウンを喫するが、直後に猛反撃し、5Rにはダウン寸前まで追い詰めるが惜しくも及ばず判定負け。
2010年1月30日、Beast of the Eastでファディル・シャバリと対戦し、3-0の判定勝ちでWFCAタイボクシング世界ジュニアミドル級王座を獲得したが[3]、この試合で目を負傷した[4]。
2010年9月18日、シュートボクシング「維新-ISHIN- 其の四」で日菜太と対戦。開始48秒スタンディングチョークスリーパーによりタップアウト勝ちを収めた[5]。
2010年11月23日、連覇を目指しSHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2010に出場。1回戦でボーウィー・ソーウドムソンと対戦し、1Rにダウンを奪われるが、2Rと3Rにダウンを奪い返して逆転KO勝ち。しかし、この試合で背中を負傷し、準決勝ではシュートボクシング初参戦となったトビー・イマダに打撃では圧倒しながらも、投げで2度のシュートポイントを奪われ1-2の判定負けを喫した[6]。
2010年12月11日、IT'S SHOWTIMEアテネ大会で欠場したジョルジオ・ペトロシアンに代わってパジョンスックと対戦し、5-0の判定勝ち。試合後、リングを降りる際に日本人記者に対して「背中、とても痛い、大丈夫じゃない」と日本語で話した[7]。
2011年2月5日、スペインにて地元のアブラハム・ロクエニと対戦し、2R開始直後にダウンを奪われるが、その後は圧倒し、3Rにダウン寸前まで追い詰めるが、出血したロクエニに対して終了直前にレフェリーがドクターチェックを指示(通常は出血がラウンド終了間際の場合、試合の流れを切らないように終了してからチェックすることが推奨されている)し、ドクターチェックが行われた際にロクエニのセコンドが傷口にワセリンを塗るという反則行為を行ったにもかかわらず、減点されないなどの地元判定もあって、判定負けを喫した。
2011年3月6日、IT'S SHOWTIMEでローシン・オズニと70kg契約で対戦。下馬評では77kg級トップファイターであり、中量級では前代未聞の194cmという長身を誇るオズニが有利とされたが、2Rにダウンを奪うなど圧倒して5-0の判定勝ちを収めた[8][9]。
2011年3月19日、故郷スヘルトーヘンボスにシュートボクシング・ヨーロッパ本部となる自身のジムCAESAR GYM HOLLAND/TEAM SOUWERのオープニング・セレモニーを行い、参加した関係者やピーター・アーツ、ドラゴらと共に東日本大震災の被災者へとメッセージを送り、4月23日に後楽園ホールで行われる次戦について「ファイトマネーを被災者のために活用する。日本のために戦う。試合は勿論だし、復興支援にも全面的に協力したい」と宣言した[10]。
2011年4月23日、東日本大震災復興チャリティー大会となったSHOOT BOXING 2011 act.2にて、佐藤嘉洋と対戦。「日本の危機を救おうとするサワーの心意気に共鳴した」という理由で、試合まで1ヶ月という短い準備期間ながら参戦してきた佐藤に対して敬意を抱いたサワーが、SBルール対策の出来ていない佐藤に配慮してこの試合は投げ技・絞め技・関節技禁止、首相撲有りの3分3R特別ルールで行われ[11]、2R終了直前にはダウン寸前まで圧倒し、3-0の判定勝ちを収めた[12]。
2011年9月24日、IT'S SHOWTIME "Fast & Furious 70kg MAX 2011"トーナメントに出場。大会前はトーナメント出場の他7選手全員から警戒する選手としてサワーの名前が挙げられるなど、優勝候補本命と評されていた[13]。1回戦でハルト・グリゴリアンに延長戦の末に判定勝ち。準決勝でアルトゥール・キシェンコに判定負け。
2011年11月6日、SHOOT THE SHOOTO 2011にてトビー・イマダと再戦し、1Rに膝蹴り、2Rに右クロスでダウンを奪うなど終始圧倒して3-0の判定勝ちでリベンジを果たした[14]。
2012年5月27日、スペインのマドリードにて、K-1の主催者がK-1 Globalへと代わった新生K-1第一弾大会である「K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~」にて、1回戦でアブラハム・ロクエニと再戦し、判定勝ちでリベンジ成功[15]。
2012年6月30日、IT'S SHOWTIME 57 & 58にて、IT'S SHOWTIME 70kg MAX世界王者クリス・ナギンビに挑戦し、判定勝ちで同王座を獲得[16]。
7月21日、IT'S SHOWTIME 59にて、ゼベン・ディアスにノンタイトル戦で5-0の判定勝ち[17]。
2012年11月17日、S-cup 2012に参戦し、1回戦でケム・シッソーンピーノーンに判定勝ち。準決勝で宍戸大樹に1RKO勝ち。決勝で自身の愛弟子であるヘンリー・オプスタルとの同門対決で僅差の判定勝ちを収めて通算4度目の優勝を果たした[18]。
2012年12月15日、K-1 WORLD MAX 2012 FINAL 8にて、準々決勝でアンディ・リスティと対戦。「事実上の決勝戦」と評された試合だったが、終始リスティを完封して右ハイキックでダウンを奪うなどして3-0の判定勝ち。準決勝でアルトゥール・キシェンコと対戦し、ローキックで主導権を握るも僅差の判定負け[19]。
2013年1月26日、ジャバル・アスケロフと対戦。僅か2ヶ月間で6試合目という過酷な連戦によるダメージもあって動きが鈍いながらも試合をコントロールしたが、1-2の僅差判定負け。
2013年6月、所属していたメジロジムを円満離脱し、自身が主宰するチーム・サワーを拠点とすることを発表した。
2013年9月14日、K-1 WORLD MAX 2013 FINAL16 1回戦で城戸康裕と対戦し、3-0の判定勝ち。
12月28日の中国でのK-1 WORLD MAX 2013 FINAL 8に出場予定だったが、直前で急性虫垂炎により緊急入院し手術を受けたため欠場となった。
2014年2月11日、手術を受けてから僅か1ヵ月後にも関わらず『NO KICK,NO LIFE 2014』にて緑川創と対戦。普段は後半戦に強いサワーだが手術箇所のボディに攻撃を受け終盤でも攻勢が上がらないままとなりながらも緑川にも決定打を許さないまま5Rを戦い抜き、1-2の僅差判定負け。試合後には判定に対して不満げながらも緑川の健闘を称えた。
3月17日、プロボクシングのデビュー戦で37戦27勝のパータ・ファドゥアシビリとスーパーウェルター級6回戦で対戦し、4R終了TKO勝ち。32歳にしてプロボクシングにデビューした理由について「『挑戦』さ。ボクシングの練習はずっとやっているけど試合はしたことがない。ずっと以前からやりたいと思いながらキックに明け暮れ、気がつくと10年以上過ぎてしまった。年齢的にもやるなら今しかないのでボクシング協会に前々から大会があるときに試合をセットして欲しいとリクエストしていた。ファイトマネーは数百ユーロ(数万円)でキックに比べれば微々たるものさ。」と語った。また当初アマチュアボクシングでの試合経験が無いサワーは4回戦でプロデビューする予定だったが、「用意された相手が14戦14敗という選手で、別に傲慢なつもりで言うわけじゃないけれど勝っても何の満足感も得られないと思った。だから難色を示すと6回戦の相手を用意してくれた。経験豊富で実績もある相手なので勝てるかどうかは本当に分からない。でもそういう選手との対戦だからこそ練習でも燃えて今日を迎えることができた」と自ら強豪との対戦を希望したことでこの試合が実現した[20]。
4月5日、『LEGEND 3: Pour Homme』に参戦し、ユーリ・ベスメルトニーに判定勝ち[21]。
7月12日、『RISE 100~BLADE 0~』にて城戸康裕と再戦。手数と有効打で上回ってるにも関わらず地元判定気味のレフェリングでローブローとホールディングで2度減点をとられて延長戦に突入し、延長でも城戸のバッティングで両者が減点されるが手数で上回り3-0の判定勝ち。
7月27日、中国の格闘技大会Kunlun Fightに初参戦し、Kunlun Fight World MAX 2014 70kgトーナメント1回戦でムスタファ・ハイダと対戦。3Rにハイダのバッティングでサワーが額から出血したにも関わらずレフェリーがハイダから減点をとらない不可解なレフェリングがありながらも右ローキックを効かせたが延長に突入。延長戦でダウン気味のスリップを奪われ判定負け[22]。
人物
- 結婚式の日に花嫁を白馬に乗って迎えにいくというロマンチックな一面もある。
- シュートボクシングに対しての愛着と忠誠心は深く、ロングスパッツを履いて試合をするだけでなく、来日した際には必ずシュートボクシング・シーザージムのある浅草に宿泊している。
- 「日本は僕のもう一つの故郷」と語る親日家であり、東日本大震災の復興チャリティー活動においてもチャリティー大会の出場だけでなく、試合前には会場内の売店前にて募金箱を持って呼びかけたりしている。
- リングの外では心優しく気さくで紳士的な人物として有名であり、インタビューの際にはファンとシュートボクシングへの感謝を口にし、対戦相手に対しても敬意を欠かさない。試合の翌日であっても朝からランニングをしてジムでの練習もするなど、真面目な努力家である。また、「僕は負けることが大嫌いだ」と常々語るほどの負けず嫌いでもあり、数々の世界タイトルを獲得した現在でも「モチベーションはもっと勝ち続けて、憧れのラモン・デッカーをも超える伝説の王者になること」と語っている。
- 入場曲はShowtekの「World is Mine」。Showtekとは親交があるようで、「World is Mine」の公式PVにサワーも出演している[23]。
- シュートボクシングルールにおける投げ技や関節技の向上のために、総合格闘技の練習を取り入れている。2011年にUFC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドが打撃向上のためにオランダへと渡ってサワーに弟子入りした際には、お互いの技術交流を行った。
戦績
キックボクシング
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プロボクシング
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獲得タイトル
- キックボクシング
- WKA世界スーパーウェルター級王座
- ISKA世界スーパーウェルター級王座
- WMTA世界スーパーウェルター級王座
- WPKA世界スーパーウェルター級王座
- FIMC世界スーパーウェルター級王座
- ARDDD世界スーパーウェルター級王座
- WFCAタイボクシング世界ジュニアミドル級王座
- 第3代IT'S SHOWTIME 70kg MAX 世界王座
- K-1
- K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント 準優勝
- K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2009 世界一決定トーナメント 準優勝
- シュートボクシング
- S-cup 2002 優勝
- S-cup 2004 優勝
- S-cup 2006 準優勝
- S-cup 2008 優勝
- S-cup 2012 優勝
- WSBA 世界スーパーウェルター級 初代王座
脚注
関連項目
外部リンク
- アンディ・サワー公式サイト
- @souwerpower82 アンディ・サワー公式Twitterアカウント
- 所属ジムSouwer Sports Institute公式サイト
- andysouwerdotcom アンディ・サワー公式YouTubeチャンネル
- シュートボクシング 選手データ
- K-1 選手データ
テンプレート:Championshiptitle-1 テンプレート:S-cup歴代王者
テンプレート:K-1 WORLD MAX歴代王者- ↑ 【シュートボクシング】アンディ・サワー、宍戸&緒形を下し3度目のS-cup制覇! 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年11月24日
- ↑ 【Dynamite!!】12・31魔裟斗、引退試合の相手は宿敵アンディ・サワーに正式決定! 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年11月12日
- ↑ サワー、母国で難敵シャバリを迎撃 BoutReview 2010年2月4日
- ↑ 【シュートボクシング】9・18サワーが日菜太戦へ本気モードの公開練習!「僕はキシェンコと違う」 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月16日
- ↑ [シュートボクシング] サワー、日菜太をチョークでわずか48秒殺 BoutReview 2010年9月18日
- ↑ 【シュートボクシング】立ち技最強はムエタイ!ブアカーオ優勝、サワーは準決勝で敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月23日
- ↑ 【IT’S SHOWTIME通信】 IT'S SHOWTIME大会レポート(後編) J SPORTS コラム 2010年12月14日
- ↑ 【IT'S SHOWTIME】アンディ・サワー、格の違い見せる MMA Planet 2011年3月8日
- ↑ 【IT’S SHOWTIME通信】 2011.3.6 アムステルダム大会試合結果と雑感 J SPORTS コラム 2011年3月8日
- ↑ SHOOT BOXING 被災された方々へメッセージ アンディサワー他 YouTube 2011年3月23日
- ↑ サワーVS佐藤、いよいよゴング!=シュートボクシング RENAは女王対決EXマッチに スポーツナビ 2011年4月23日
- ↑ サワーvs.佐藤、魂の激闘―復興への思いよ届け! 梅野が王座返上、KO快勝の鈴木悟が奪取へ名乗り スポーツナビ 2011年4月23日
- ↑ 【IT’S SHOWTIME通信】 9月24日開催IT'S SHOWTIME52ベルギー大会(下)『Fast & Furious 70 maxトーナメント』 J SPORTS コラム 2011年3月8日
- ↑ 宍戸、痛恨判定負け リオンは修斗の意地見せる サワー、トビーに1年前のリベンジ果たす スポーツナビ 2011年11月6日
- ↑ 【K-1】地元の歓声にヒヤリ、サワーがロクエニをスプリットで破る MMA Planet 2012年5月28日
- ↑ 【It's Showtime】サワー、ンギンビを完封。新チャンピオンに MMA Planet 2012年7月1日
- ↑ 【It's Showtime】貫録の判定勝ち、試合巧者=アンディ・サワー MMA Planet 2012年7月22日
- ↑ サワー4度目の優勝、師弟対決を制す「次は来月のK-1でも優勝目指す スポーツナビ 2012年11月17日
- ↑ 伏兵グロンハートが3連続KOで優勝 キシェンコはサワー下すも決勝で敗れる スポーツナビ 2012年12月16日
- ↑ K−1王者サワーがボクシングデビュー得意のまとめ打ちで4回TKO勝利 スポーツナビ 2014年3月19日
- ↑ ロシア発新大会「Legend」でサワー、グローエンハートら快勝:4.5 イタリア バウトレビュー 2014年4月12日
- ↑ 【Kunglun Fight07】ンギンビ、サワー敗退。ゲーオを破った男=エークプラチャー&TOMOYUKIらが2回戦へ MMA Planet 2014年8月8日
- ↑ Showtek - World is Mine - official music video YouTube 2009年10月9日