亀田興毅
テンプレート:Infobox 亀田 興毅(かめだ こうき、男性、1986年11月17日 - )は、日本のプロボクサー、実業家。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。
第21代WBA世界ライトフライ級王者。第36代WBC世界フライ級王者。第91代WBA世界バンタム級王者。
日本人初の世界3階級制覇王者。
亀田三兄弟の長男で、亀田大毅・亀田和毅は実弟、亀田姫月は実妹、亀田史郎は実父である。左利き。亀田プロモーション代表取締役社長。
目次
来歴
11歳の時、父・史郎からボクシングを教わるようになる。大阪市立天下茶屋中学校時代の3年間は、空手とボクシングの練習を並行して行っていた。14歳の時、井岡弘樹とエキシビションマッチを行った[1]。中学卒業後、ボクシングに専念するため高校には進学せず、社会人ボクシングで活動した。
2002年全日本実業団選手権フライ級優勝(当時15歳6か月)、全日本社会人選手権フライ級ベスト4。全日本アマチュアボクシング選手権大会近畿予選大会フライ級優勝。2003年全日本実業団選手権フライ級優勝、第55回全日本社会人選手権フライ級優勝(16歳10か月)。
17歳の誕生日(2003年11月17日)にプロボクサーとなった。2005年4月28日に大阪のグリーンツダジムから東京の協栄ジムへ移籍。この時、3,000万円という移籍金が支払われたと報道された[2]。
2006年8月2日、元WBA世界ミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとのWBA世界ライトフライ級王座決定戦を行い、12回判定(2-1)勝ちを収めて王座を獲得。しかし、初回終了間際他二度ダウンを喫するなど終始苦戦した亀田が王座獲得をしたことは賛否両論を呼んだ。「ランダエタが勝っていた」という声も上がり、社会問題にまで発展した(詳細はランダエタの項と下の項目を参照)。
2006年12月20日、「王座決定戦の勝者は初防衛戦で世界ランキング1位の選手との指名試合を行わなければならない」というWBA規定と再戦を要求する声があったこともあり、東京・有明コロシアムにて、ファン・ランダエタ(ベネズエラ・同級1位)との再戦が初防衛戦として行われ、12回判定(3-0)勝ちを収めて初防衛に成功。
2007年1月18日、協栄ジムで行った記者会見で王座返上を表明。3月24日に両国国技館で行う予定の試合はノンタイトルの10回戦で、フライ級に階級を戻して臨むことを発表した。
2007年10月11日、WBC世界フライ級王者内藤大助と弟・亀田大毅の世界戦で大毅のセコンドにつき、不適切な指示をしたとして日本ボクシングコミッション(JBC)より厳重戒告処分を受けた。また、10月25日に予定されていた自身の試合も「対戦相手が決まらなかった」との理由で中止となった。なお、行われる予定であった試合については、10月26日の記者会見で以下のことが明らかになった[3]。中止になった理由については、処分待ちの時点でリングに上がれないと亀田側が一方的に判断していただけであった。対戦相手は決まっており、相手も試合に向けて調整を行っていたが、試合のキャンセルの連絡を入れていないなど主催者側にも不手際があった。
2009年11月29日、WBC世界フライ級王者内藤大助に12回判定(3-0)勝ちを収めて、ファイティング原田・柴田国明・井岡弘樹・畑山隆則・戸高秀樹・ホルヘ・リナレスに次ぐ、日本のジム所属の選手で7人目の2階級制覇を達成した。
2010年11月1日付で父・亀田史郎に代わり亀田プロモーションの代表取締役社長に就任した[4]。
2010年12月26日、アンセルモ・モレノのスーパー王者昇格に伴い空位となっていたWBA世界バンタム級王座を、元WBA世界スーパーフライ級王者アレクサンデル・ムニョスと争い、12回判定(3-0)勝ちを収めて、WBA世界ライトフライ級・WBC世界フライ級に続き、WBA世界バンタム級王座の獲得に成功し、日本人選手としては初となる世界王座3階級制覇を達成した[5]。さらに、長谷川穂積以来となる飛び級による複数階級制覇も同時に達成した。同年2月7日に弟・大毅がWBA世界フライ級王座を獲得したことで「日本人初の兄弟王者」となっていたが、この日の自身の王座獲得で「日本人初の同時兄弟王者」も果たした。
2011年5月7日、大阪府立体育会館において、昨年12月に獲得したWBA世界バンタム級王座の初防衛戦をWBA14位ダニエル・ディアスと行い、8回にダウンを奪っての11回終了TKO勝ちを収めて世界戦初のKO勝利とともに初防衛に成功した[6]。
2011年8月31日、日本武道館において、WBA世界バンタム級8位デビッド・デラモラと2度目の防衛戦を行い、3回にダウンを奪い12回判定(3-0)勝ちで2度目の防衛に成功したものの、僅差判定だった為薄氷の勝利となった[7]。
2011年12月7日、大阪府立体育会館において、WBA世界バンタム級12位のマリオ・マシアスと3度目の防衛戦を行い、3回に左ストレートでダウンを奪い、4回に左ボディでマシアスが跪いたところでレフェリーストップ。4回2分4秒KO勝ちで3度目の防衛に成功した[8]。
2012年1月27日、暫定王者ウーゴ・ルイスとの指名試合に関する話し合いが決裂[9]。指名期限を越えている為、WBAから「年内に指名試合をするように」と通知を受けた。
2012年2月19日、中学生時代からの同級生で、亀田プロモーションの役員である伊東美香との結婚を発表。同年3月3日に婚姻届を提出した[10]。
2012年4月4日、横浜アリーナでWBA世界バンタム級12位のノルディ・マナカネと4度目の防衛戦を行い、12回判定(3-0)勝ちを収めて4度目の防衛に成功した。しかし、挑戦者が終始圧倒していたにもかかわらず大差判定をつけたレフェリングもあり、場内に判定が告げられた際にはその試合内容にブーイングも飛んだ。
2012年5月16日、ハワイ・オアフ島のセント・カタリナ・シーサイド・チャペルで美香夫人と結婚式を行った。父・史郎に「ここまで育ててくれたオヤジには感謝しています。これからは新しい家族のためにも、ボクシングにより一層励んでいきたいと思います」と言葉を詰まらせながらも感謝の意を手紙で述べた[11]。
2012年6月8日、2012年5月度のランキング[12]でWBAは亀田が提出していた診断書を基に検討の結果、亀田への休養王座認定を決定した[13]。これにより亀田は休養王者となった。
2012年9月3日、長男誕生[14]。
2012年10月30日、インドネシアのジャカルタで行われたWBA総会でWBAコンベンションが行われ、以下の通り決定した。
- 2012年11月10日にロサンゼルスのステイプルズ・センターで行われるWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチでアンセルモ・モレノがアブネル・マレスに勝利しアンセルモ・モレノがWBC世界スーパーバンタム級王座を獲得した場合、アンセルモ・モレノのスーパーバンタム級転向を容認すること。
- ただしアンセルモ・モレノがアブネル・マレスに敗れWBC世界スーパーバンタム級王座の獲得に失敗した場合、アンセルモ・モレノはWBA世界バンタム級スーパー王者としてバンタム級に留まり、2012年12月4日に大阪のボディメーカーコロシアムで亀田興毅とウーゴ・ルイスの間で行われるWBA世界バンタム級王座統一戦の勝者にWBA世界バンタム級スーパー王者アンセルモ・モレノとの対戦指令が発せられること[15]。
2012年11月9日、WBAが2012年10月度のランキングを発表し、亀田興毅から休養王者(CHAMPION IN RECESS)を示す(*)が消え正規王者(WORLD CHAMPION)にランクインさせていることから亀田興毅は休養王者から正規王者への復帰となり、ウーゴ・ルイスからは暫定王者(INTERIM CHAMPION)を示す(INT.CHAMP)が消えているが、ウーゴ・ルイスから暫定王座が剥奪されていないのでウーゴ・ルイスは暫定王者である為[16]、同年12月4日に大阪のボディメーカーコロシアムで行われるウーゴ・ルイス戦も正規王者と暫定王者が対戦するWBA世界バンタム級王座統一戦として行われる[17]。
2012年12月4日、ボディメーカーコロシアムにてWBA世界バンタム級暫定王者で同級1位にランクされているウーゴ・ルイスとの王座統一戦を行う。ルイスの強打を警戒し序盤から中盤まで距離を取っていたが、試合終盤には的確にパンチをまとめるなどの攻撃も見せて2-1(116-113、113-117、115-113)の判定勝ちを収めて5度目の防衛と王座統一に成功した[18]。 そして同年11月10日にロサンゼルスのステイプルズ・センターでアブネル・マレスとアンセルモ・モレノとの間で行われたWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチでアンセルモ・モレノがアブネル・マレスに0-3の判定負けを喫した[19]。 これによりWBAコンベンションの決定に基づき、WBA世界バンタム級スーパー王者モレノとの対戦指令が発せられることが決定した。このため亀田興毅がWBA世界バンタム級王座を返上し、スーパーフライ級に転向して兼ねてから希望していた4階級制覇を目指すことは認められない可能性が大きい。また、モレノとの対戦を拒否すればWBA世界バンタム級王座を剥奪されると思われる。
2013年4月7日、当初はウーゴ・ルイスと対戦経験のあるWBA世界バンタム級8位のヨンフレス・パレホ(ベネズエラ)と6度目の防衛戦を行う予定だったが、WBAから「パレホ側にビジネス上のトラブルがあった」との理由で対戦相手の変更指令を受け、2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックに出場経験があり、プロ12戦無敗の戦績を誇るWBA世界バンタム級6位のファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)に対戦相手が変更になったのだが[20]、パヤノの保持するパスポートに不備が見つかりまたしても対戦相手の変更を余儀なくされ、久高寛之と対戦経験のあるWBA世界バンタム級11位のパノムルンレック・ガイヤーンハーダオジム(タイ)に亀田興毅の対戦相手がようやく決定した。試合はボディメーカーコロシアムで行われ、亀田興毅がパノムルンレックを2-1(115-113、115-114、113-116)の判定勝ちで下し、WBA世界バンタム級王座の6度目の防衛に成功した[21]。
2013年7月23日、東京ビッグサイトでWBA世界バンタム級3位のジョン・マーク・アポリナリオ(フィリピン)と対戦し、10回と12回にダウンを奪い3-0(117-109、118-108、119-107)の判定勝ちで7度目の防衛に成功した[22][23]。
2013年8月28日、WBAからWBA世界バンタム級スーパー王者アンセルモ・モレノとのWBA世界バンタム級王座統一戦に関する交渉を行い、同年9月27日までに合意するよう通達を受けた。合意に至らない場合は入札になるとのこと[24][25]。
2013年8月30日、予定よりも早く次男誕生[26]。
2013年10月31日、モレノ陣営から「12月10日にWBA世界バンタム級スーパー王者アンセルモ・モレノとWBA世界バンタム級正規王者亀田興毅との間で行われるWBA世界バンタム級王座統一戦の入札をWBA本部で行う」との発表があった[27]。
2013年11月19日、韓国・済州島の済州グランドホテルコンベンションホールにて元PABAスーパーフライ級王者でWBA世界バンタム級14位の孫正五(韓国)と対戦し、2-1の判定勝ちでWBA世界バンタム級王座の8度目の防衛に成功した[28]。
2013年12月5日、同月10日午前11時にパナマにあるWBA本部にて、WBA世界バンタム級スーパー王者アンセルモ・モレノとWBA世界バンタム級正規王者亀田興毅との間で行われるWBA世界バンタム級王座統一戦の入札を行うとWBAから発表があった[29]。
2013年12月6日、亀田興毅がWBA世界バンタム級王座を返上し、スーパーフライ級転向を表明した為、同月10日午前11時にパナマにあるWBA本部で予定されていたWBA世界バンタム級スーパー王者アンセルモ・モレノとの間で行われる予定だったWBA世界バンタム級王座統一戦の入札は中止となった[30][31]。
2013年12月12日、WBAが最新ランキングを発表し、亀田興毅はWBA世界スーパーフライ級4位にランクインした[32][33][34]。
2013年12月25日、JBCが都内でランキング会を開き、亀田興毅は日本スーパーフライ級4位にランクインした[35][36]。
2014年2月7日、2013年に行われた亀田大毅とロドリゴ・ゲレロとの間で行われたIBF世界スーパーフライ級王座決定戦の試合前記者会見後、ゲレロ陣営が日本製のグローブではなくカナダ製のグローブの使用を決めたことに不満を持った興毅、末弟でWBO世界バンタム級王者の亀田和毅と亀田ジム関係者2人がJBC職員が会見室から退室するのを妨害し、報道関係者を会場外に出し、JBC職員3人を残して全ての扉を閉め、興毅から「おかしいじゃないか」と脅され、外に出ようとしたところ和毅から首などを数回小突かれるといった暴行や恫喝をされて精神的苦痛を受けたなどとして興毅、和毅、亀田ジム関係者2人の計4人を相手取り、会見室から退室するのを妨害されたJBC職員3人のうちの1人のJBC職員の男性が1000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に同月6日付で提訴したことを記者会見を開き明らかにした。「すごいプレッシャーを感じ、怖かった」と述べるも「正義を貫くために訴訟に踏み切った」と話した。尚、試合で使用するグローブは亀田大毅、ロドリゴ・ゲレロの双方が「それぞれが選べる」という契約内容だったとのこと。[37][38][39][40][41][42]。同日、JBCは記者会見を開き、吉井慎次会長の持つクラブオーナーライセンスと嶋聡マネージャーのマネージャーライセンスの更新を認めないと発表した。吉井と嶋は2013年12月31日にライセンスの更新を行っていない為、現在はライセンスが失効中で、JBCの慣例では遅れての更新も認められるのだが、吉井のクラブオーナーライセンスの更新が認められず、嶋のマネージャーライセンスの更新も認められない為、事実上の資格剥奪処分となった。この処分で亀田ジムは活動停止となり、興行を開催できないだけでなく、選手のライセンスはジムを通してしか申請出来ない為、亀田興毅、大毅、和毅が保持するボクサーライセンスも実質的に失効となり、事実上の追放処分となった。亀田興毅、大毅、和毅が国内で試合をするためには、新たに会長、マネージャーを置くか、他ジムへの移籍などの措置が必要になる為、亀田興毅、大毅、和毅がジム移籍を申請した場合、JBCは書類のみでは許可せず、本人らを厳格に審査して可否を判断するとのこと[43][44][45][46][47][48]。
2014年3月27日、JBCが最新ランキングを発表し、亀田興毅は日本スーパーフライ級5位にランクインした[49][50]。
2014年4月8日、WBAが最新ランキングを発表し、亀田興毅はWBA世界スーパーフライ級2位にランクインした[51]。
2014年4月21日、東日本ボクシング協会は理事会を開き、2013年12月3日のWBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦に敗れながらも亀田大毅がIBF王座を保持し混乱を招いた件で、吉井慎次会長がクラブオーナーライセンスを持つジムの会長としては名義貸しの状態で、ジム運営に携わっていない点や、ジム所属選手の海外での試合を報告せず安全管理を怠った点などの理由で吉井慎次会長を全会一致で除名処分とした[52][53][54]。亀田三兄弟が国内で試合をすることも可能にする為の一時的な措置として亀田三兄弟を「協会預かり」にすることに関して、東日本ボクシング協会の大橋秀行会長は「無い」と断言した[55]。同月25日、JBCは資格審査委員会並びに倫理委員会を開き、上述の吉井慎次会長の持つクラブオーナーライセンスと嶋聡マネージャーのマネージャーライセンスの更新を認めず事実上の資格剥奪処分となった件に関し、処分取り消しを求めた亀田ジム側が提出した証拠に再審議が必要と判断するものが無かった為、亀田ジム側の再審議請求を退けた[56][57]。
2014年6月26日、JBCはランキング委員会を開き、亀田興毅は弟・大毅と共に半年以上試合間隔があき、かつ試合予定も立っていない選手はランキングの削除対象となるという内規に基づき、日本スーパーフライ級ランキングから除外された[58][59][60][61][62]。
2014年7月4日、亀田興毅はJBCに亀田ジムからUNITED BOXING GYMへの移籍を申請した[63][64][65][66][67]。
2014年7月11日、JBCは資格審査委員会を開き、亀田興毅のUNITED BOXING GYMへの移籍の可否を保留とした上で、UNITED BOXING GYMの三好渥義会長と亀田興毅から移籍の経緯などに関してヒアリングを行うことを決めた[68][69][70][71]。
2014年7月26日、水面下で進められていた角海老宝石ジムへの電撃移籍が消滅した。角海老宝石ジムから亀田興毅に1.角海老宝石ジムで練習すること。2.マッチメークは角海老宝石ジムの指示に従うこと。3.角海老宝石ジム所属選手が後楽園ホールで試合をする時には応援に駆けつけること。といった条件を付けた上での移籍容認派と移籍反対派のせめぎ合いが2ヵ月に及び、最終的に移籍反対派が押し切る形になったとのこと[72][73]。
2014年8月5日、UNITED BOXING GYMはJBCに提出していた亀田興毅の亀田ジムからUNITED BOXING GYMへの移籍申請を取り下げる方針を固めた[74][75]。
2014年8月15日、JBCは亀田興毅とUNITED BOXING GYMの三好渥義会長へのヒアリングを同月22日以降に行う事を決定、移籍の経緯や選手のマネジメントなどを聴取した後、資格審査委員会を開き、亀田興毅のUNITED BOXING GYMへの移籍の可否を判断するとのこと[76][77]。
2014年8月18日、JBCの秋山弘志理事長は亀田興毅のUNITED BOXING GYM移籍問題について「ヒアリングをして、資格審査委員会のご意見を伺って決めますが、長引かせない。天変地異のない限り今月中に最終結論を出します」と話した[78]。
2014年8月21日、WBOは最新ランキングを発表し、次戦未定の亀田興毅はWBO世界スーパーフライ級ランキングから除外された[79][80]。
2014年8月22日、JBCは亀田興毅とUNITED BOXING GYMの三好渥義会長へのヒアリングを行い、移籍の経緯などについて聴取した。亀田興毅のUNITED BOXING GYMへの移籍の可否は同月25日に資格審査委員会を開いて判断するとのこと[81][82][83][84][85][86][87][88]。
2014年8月25日、JBCは資格審査委員会を開き、亀田興毅がUNITED BOXING GYM所属では失効中の亀田興毅のボクサーライセンスの更新は認められないとして、亀田興毅のUNITED BOXING GYMへの移籍を却下した。JBCの秋山弘志理事長は「三好会長が亀田選手とスムーズな連携をとってトレーナーも含めしっかりとコントロールし、明確な責任を持てるかどうかについてをヒアリングや調査などを元に総合的に審査したが、それについての憂慮と懸念がある。」と理由を述べたとのこと[89][90][91][92][93][94][95]。
獲得タイトル
アマチュアボクシング
- 第23回全日本実業団ボクシング選手権大会 フライ級 優勝(日本アマチュアボクシング連盟、2002年)
- 第54回全日本社会人ボクシング選手権大会 フライ級 ベスト4(日本アマチュアボクシング連盟、2002年)
- 第24回全日本実業団ボクシング選手権大会 フライ級 優勝(日本アマチュアボクシング連盟、2003年)
- 第55回全日本社会人ボクシング選手権大会 フライ級 優勝(日本アマチュアボクシング連盟、2003年)
プロボクシング
- 第33代OPBF東洋太平洋フライ級王座(防衛0=返上)
- 第22代WBA世界ライトフライ級王座(防衛1=返上)
- 第4代WBAインターコンチネンタルフライ級王座(防衛0)
- 第36代WBC世界フライ級王座(防衛0)
- 第91代WBA世界バンタム級王座(防衛8=返上)
受賞歴
関連項目
- 男子ボクサー一覧
- 日本のボクシング世界王者一覧
- 東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧
- 日本のボクシング地域王者一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 複数階級制覇 (ボクシング)
戦績
- アマチュアボクシング:16戦15勝1敗
- プロボクシング:33戦32勝(17KO)1敗
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- 1戦目:デンナロン・シスソバ(タイ 0勝2敗)
- 2戦目:プラカルン・ツインズジム(タイ 0勝3敗)
- 3戦目:サミン・ツインズジム(タイ 0勝4敗)
- 4戦目:ダオチャイ・KTジム(タイ 0勝5敗)
- 5戦目:ノパデッチレック・チュワタナ(タイ 確認できる戦績なし/当時タイ国フライ級2位)
- 6戦目:ヨードゲン・シンワンチャー(タイ 0勝4敗)
- 6戦目までの対戦相手の戦績は、Web上のボクシングデータベースBoxrec.comで確認可能な試合分のみで公式記録ではない。
- 7戦目:(2005年6月20日):サマン・ソーチャトロン(タイ 46勝7敗1分/元世界王者だが、長期ブランクと戦績低迷により当時はノーランカー[98])
- 8戦目(2005年8月21日):ワンミーチョーク・シンワンチャー(タイ 12勝2敗/当時OPBFフライ級王者&WBC同級世界ランカー)
- テレビ中継の視聴率:10.6%(関東地区)
- 王座獲得。この後、防衛戦を行わず王座返上。
- 9戦目(2005年11月26日):ノエル・アランブレット(ベネズエラ 21勝4敗1分1無効/元WBAミニマム級王者&当時WBAライトフライ級世界ランカー)
- 視聴率:8.5%(関東地区)
- 10戦目(2006年3月8日):カルロス・ボウチャン(メキシコ 21戦16勝5敗/当時WBC傘下地域団体のフライ級ラテン王者&WBC同級世界ランカー)
- 視聴率:24.8%(関東地区。以下はゴールデンタイムの放送)
- 当初、対戦相手として予定されていたのは、後にWBC世界ライトフライ級王者となるエドガル・ソーサだったが、直前でキャンセルされたため、ボウチャンに代わった。
- この試合中、亀田が放ったボディブローが下腹部への反則打撃(ローブロー)ではないかという意見が寄せられた。解説についた元WBAミドル級王者の竹原慎二も、ローブローと思われるパンチを放ったと発言している。しかしこの試合のレフェリーを担当した試合役員・浅尾和信は亀田に対して注意・警告を行わなかった。また、試合後、相手がローブローだとアピールしている最中に、セコンドについた亀田史郎は、威嚇するようなそぶりを示した。
- 11戦目(2006年5月5日):カルロス・ファハルド(ニカラグア 24戦15勝6敗1分2無効/当時IBFライトフライ級世界ランカー&WBCフライ級世界ランカー)
- 視聴率:33.0%(関東地区)
- ファハルドは、2005年の試合(KO負け)以来の試合。
- 12戦目(2006年8月2日):ファン・ランダエタ(ベネズエラ 24戦20勝3敗1分/元WBA世界ミニマム級暫定王者&WBA世界ライトフライ級1位)
- 13戦目(2006年12月20日):ファン・ランダエタ(ベネズエラ 25戦20勝4敗1分/元WBA世界ミニマム級暫定王者&当時WBA世界ライトフライ級1位)
- 視聴率:30.1%(関東地区)、32.8%(関西地区)
- 14戦目(2007年3月24日):エベラルド・モラレス(メキシコ 42戦28勝12敗2分/当時WBCフライ級13位)
- 15戦目(2007年5月23日):イルファン・オガー(インドネシア 22戦16勝2敗4分/OPBF東洋太平洋ライトフライ級2位&インドネシア・ライトフライ級王者)
- 視聴率:14.1%(関東地区)
- 地元大阪で2年半振りの試合。約1年ぶりのKO勝利。
- ゲストの赤井英和はレフェリーストップのタイミングが早いと指摘した。
- 16戦目(2007年7月28日):セサール・ロペス(アメリカ 24戦20勝4敗)
- 17戦目(2008年3月22日):レクソン・フローレス(フィリピン 25戦18勝3敗4分/WBO世界ライトフライ級2位&WBA世界ライトフライ級13位)
- 18戦目(2008年7月12日):マリノ・モンティエル(メキシコ 43戦30勝12敗1分)
- 初の海外(メキシコ)での試合。
- 19戦目(2008年8月30日):サルバドール・モンテス(メキシコ 元メキシコフライ級王者)
- 20戦目(2009年3月4日):ドローレス・ビダル(メキシコ 7戦1勝6敗/WBC世界フライ級20位)
- 21戦目(2009年9月5日):ウンベルト・プール(メキシコ 26戦15勝8敗3分/元北米ライトフライ級王者)
- 22戦目(2009年11月29日):内藤大助(日本 40戦35勝22KO2敗3分)
- 23戦目(2010年3月27日):ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ 78戦74勝3敗1分/WBC世界フライ級暫定王者)
- WBC世界フライ級王座統一戦
- 12回判定負け。初黒星を喫し、王座陥落となった。
- 視聴率:22.1%(関東地区)
- 24戦目(2010年7月25日):セシリオ・サントス (メキシコ 41戦24勝14KO14敗3分)
- 4回KO勝ちで再起。
- 25戦目(2010年12月26日):アレクサンデル・ムニョス (ベネズエラ 38戦35勝27KO3敗)
- 12回判定勝ちを収めて3階級制覇を達成した。
- 視聴率:13.8%(関東地区)
- 26戦目(2011年5月7日):ダニエル・ディアス(ニカラグア 20戦18勝13KO2敗)
- 11回終了TKO勝ちを収めて初防衛に成功した。
- 視聴率:13.9%(関東地区)
- 27戦目(2011年8月31日):デビッド・デラモラ(メキシコ 23戦23勝16KO無敗)
- 12回判定勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。
- 視聴率:16.7%(関東地区)
- 28戦目(2011年12月7日):マリオ・マシアス(メキシコ 23勝(11KO)7敗1無効試合)
- 4回KO勝ちを収めて3度目の防衛に成功した。
- 視聴率:10.2%(関東地区)
- 29戦目(2012年4月4日):ノルディ・マネカネ(インドネシア 24勝(15KO)10敗1分)
- 12回判定勝ちを収めて4度目の防衛に成功した。
- 視聴率:14.6%(関東地区)
- 30戦目(2012年12月4日):ウーゴ・ルイス(メキシコ 31勝(28KO)1敗/WBA世界バンタム級暫定王者)
- WBA世界バンタム級王座統一戦
- 12回判定勝ちを収めて5度目の防衛と王座統一に成功した。
- 視聴率:20.5%(関東地区)
- 31戦目(2013年4月7日):パノムルンレック・ガイヤーンハーダオジム(タイ 36勝(19KO)1敗)
- 12回判定勝ちを収めて6度目の防衛に成功した。
- 視聴率:11.2%(関東地区)
- 32戦目(2013年7月23日):ジョン・マーク・アポリナリオ(フィリピン 17勝(4KO)2敗3分)
- 12回判定勝ちを収めて7度目の防衛に成功した。
- 視聴率11.8%(関東地区)
- 33戦目(2013年11月19日):孫正五(韓国 20勝(6KO)4敗2分)
※視聴率はビデオリサーチ調べ。
- その知名度からしばしば日本人からの対戦要求を受けてはいたが、プロデビューから6年にわたり日本人との対戦を行わなかった。特にWBC世界フライ級王者内藤大助は、かつて興毅に「6回戦レベルの選手」などと挑発され、数度にわたり公の場で対戦を希望していた。だが内藤は対戦拒否を表明するも、大毅が内藤に謝罪をして和解が成立した。その後、興毅は2009年11月29日に内藤の持つWBC世界フライ級王座に挑戦し、12回判定(3-0)勝ちを収めて2階級制覇を達成した。
エピソード
- 2006年7月25日、世界初挑戦となるファン・ランダエタ戦を目前に、大手コンビニチェーンのローソンが応援企画として、亀田の夏祭りシリーズ『チャンピオン・獲っタルぞ!弁当』、『メンチ切ってカツサンド』、『浪速乃闘拳サラダ』、『亀田の夏闘拳そば』など、亀田興毅の好物に因んだネーミングで弁当を販売。当初の予定によると、全国の各店舗で3週間限定の販売であった。 しかしランダエタ戦後、疑惑の判定を巡って亀田グッズを企画・販売した企業側にも批判が及んだ[102]。
パフォーマンス
- 対戦相手に敬語を使用しないなどの態度については賛否両論がある[103]。亀田本人は「敬語は尊敬できる対戦相手だけに使えば良い」と主張している。テレビ出演時に共演の芸能人やその他関係者には敬語を使用している。これらは「テレビ用のパフォーマンスである」とする声もある。2006年8月2日のタイトルマッチの翌日の読売新聞に「個別の取材ではとても丁寧な言葉づかいで好感が持てた。もうこんなキャラを演じるのは止めたらどうか」という内容の記事が掲載されている。近年は対戦相手にも以前のような威嚇した態度は減少した。同時に観衆からの興味は減少し視聴率も低下したが、ボクシング中継としては未だに高い視聴率を誇っている。
- カルロス・ファハルドが同席した世界前哨戦の記者会見において、減量に苦しんでいたとされるファハルドの目前で骨付きチキンを食べ、清涼飲料水を一気飲みするパフォーマンスを行った[104]。また同戦の前日計量においては、ファハルドの写真を貼ったフライパンを素手で折り曲げた。
- WBA世界ライトフライ級王座決定戦となったファン・ランダエタ戦の前日計量においては、ハンバーガーを食べながらキューピー人形(ファン・ランダエタのあだ名『ベイビー』にちなんだもの)を渡したが、ランダエタはジョークと受け取り笑って対応した。ランダエタは返礼として、試合前の計量の時に紙おむつとおしゃぶりを手渡そうとしたが、興毅はそれを見るなり受け取ることなく床に叩きつけた。その後、史郎がランダエタに興毅との握手を催促するが、ランダエタは拒否。それに対して史郎はランダエタに対し強く恫喝した[105]。
- 好物は納豆とされており[106]、テレビ番組による納豆ダイエット捏造問題に関し2007年1月24日の公開練習後に「納豆がかわいそう」と発言し、愛好会の設立を宣言した。
- 2007年10月26日での謝罪会見において、これまでの一連の挑発行為やパフォーマンスについて、興毅は「相手にプレッシャーを与えるつもりでやったが、今思うとやり過ぎた部分もあった。反省している。」とコメントしている。
- 2008年7月30日に行われたWBC世界フライ級タイトルマッチ(内藤大助 vs. 清水智信)の試合後に、リングに上がり、直接、防衛に成功した内藤大助に試合を申し込んだ。このことについて、試合を主催していたTBSに苦情が寄せられた。また、興毅が所属していた協栄ジムの金平桂一郎会長も批判的な意見を自身の著書で記している。
- 甘い物が大好きで、特にミスタードーナツのポン・デ・リングが好物[107]。内藤との試合後の会見で、今後について聞かれた際「甘いスイーツでもいっぱい食べるかな」と発言[108]したことから、2009年11月30日放送の『みのもんたの朝ズバッ!』ではメロンパン、『ひるおび!』ではポン・デ・リングがそれぞれ用意され、生出演した際食べた。さらに自身のプロデュースによるロールケーキ「kameda roll」が2010年2月6日より大阪・北堀江のカフェで販売された[109]。
メディアの反応・評価
2000年前後から「大阪から世界を狙うボクシング一家」として、TBSが亀田親子に密着取材を続けており、特集を組んだ番組も何本か放映されていた。その後興毅がプロボクサーとしてデビューし、協栄ジムに移籍、それに伴って上京をしてからメディアに取り扱われるようになった。
こうした中で起こった“亀田ブーム”に関し、亀田三兄弟の実力には業界内外で賛否の声が上げられている。また、かつてWBA世界ジュニアフライ級王座を13回防衛した具志堅用高は、毎日新聞のインタビュー記事で「金をかければ、そんなに簡単に世界挑戦できるのか」と厳しく批判していた[110]。
ファン・ランダエタとの対戦
初対戦
テンプレート:Sister カルロス・ファハルドをフライ級の試合で下した後、階級を1つ下のライトフライ級に落とし、WBA世界ライトフライ級2位にランキングされる。そして2006年8月2日、ロベルト・バスケスの王座返上に伴って行われたWBAライトフライ級王座決定戦にて、元WBA世界ミニマム級暫定王者でWBAライトフライ級1位(ただし、ランダエタは、世界戦の前にライトフライ級で試合をしていない。)のファン・ランダエタと対戦し、2-1で判定勝利し、WBA世界ライトフライ級王座を獲得した。試合前に興毅が「(勝ったら)ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは本来のチャンピオンベルト以外に父・史郎に対するベルトを事前に用意し、試合後にそれを贈呈した。しかしながら、結果的にWBAがあらかじめそれを用意していたことが、後述の八百長疑惑に油を注ぐ形となってしまった。インタビューでは泣きながら「ありがとうございます」と敬語で発言した。
判定結果に対するメディア・関係者からの反応
(※ボクシングの採点方法に関しては、ボクシングの採点方法も参照のこと)
この試合について毎日新聞、読売新聞などのメディアは、最終ラウンドで一人のジャッジだけが興毅の方を高く採点していたこと(この試合の採点については[1]を参照。)等に言及し、試合の判定結果について疑問を呈する記事を掲載した。ボクシング・マガジン2006年9月号では、表紙に大きな文字で「判定に疑義沸騰」と記され、試合レポートでも記者が「明確な差をもってランダエタが勝利していた」と述べた。試合を放映したTBSに視聴者から5万件を超える抗議電話の他、JBCにも多くの抗議が電話・メール等で寄せられた[111]。
ボクシング関係者の反応は様々であり、元ボクシング世界王者の渡嘉敷勝男は興毅の健闘をたたえ、公式判定の内容を支持する旨の発言をした。一方ガッツ石松、薬師寺保栄、平仲明信らは、5 - 7点差でランダエタ優勢となった独自の採点結果をもとに、判定結果を批判した。また、今後のボクシング界に与える悪影響を懸念する旨の発言をした。また、元日本スーパーライト級王者で後に世界挑戦をする佐々木基樹は、自身のブログで、いかなる判定が下ろうと、興毅は悪くないと述べている。井岡弘樹は、興毅の小差劣勢であるとしながらも、判定結果への批判はせず興毅の健闘を称えた。浜田剛史は「このままでは世界では通用しない」と指摘した。ファイティング原田や具志堅用高のように、試合に対して明言を避けた者も多い。
ボクシング関係者以外でも賛否は分かれ、当時交流のあった朝青龍・星野仙一・橋下徹・清原和博・上村愛子らからは擁護意見、やくみつる・立川談志・野末陳平・安部譲二・やしきたかじん・二宮清純らからは批判的な意見が寄せられた。このうち二宮清純は、8月2日はボクシングが死んだ日と話す一方で、判定についての抗議が多数発生したことに関して「日本人はフェアプレーを愛する」と評価した。立川、野末の両名は自身のテレビ番組「談志・陳平の言いたい放だい」で試合を批判、当時亀田が所属していた協栄ジムの金平会長も批判した。また、上村愛子は自身のブログで試合内容を賞賛したため、彼女のブログは炎上した。
在ベネズエラ日本大使館には、ランダエタに宛てて2500通以上の応援の手紙やメールが寄せられた[112]。また在日ベネズエラ大使館には「こんな試合で日本人として申し訳ない」「国として抗議したらどうだろうか」という、ランダエタを激励する電話が100件単位で寄せられており、ベネズエラ大使館側も「こんなことは前例が無い」と話している。
協栄ジムの公式サイト掲示板は、判定に対する批判的な書き込みが集中的に行われたために閉鎖された。
再戦
WBAはこの試合の後に発表した2006年8月期の世界ランキングにおいて、ランダエタの世界ランキングを1位に据え置いた[113]。
WBAの規定では、王座決定戦で戴冠した新王者の初防衛戦は、ランキング1位の者と行う指名試合とするよう定められており、2006年8月31日、協栄ジムは、同年10月18日に東京・有明コロシアムで初防衛戦を行い、ランダエタと再戦すると発表した。
しかし10月2日、興毅が9月29日のスパーリング中に目にけがをしたとして再戦を延期することが協栄ジムから発表された[114]。その後、再戦は12月20日に行われることになった。この会見の場に興毅本人は姿を現さず、治療に当たったとされる医師の診断書がジム側から提示されるにとどまったこと等に言及し、一部からはけがの信憑性について疑問の声が挙がった。
10月7日付のデイリースポーツ紙上にて「初公開!これが興毅抜糸写真だ」として、抜糸直後とされる興毅の顔写真が発表された[115]。また10月10日にも本人が記者の前で負傷箇所を公開している。2006年12月20日、興毅はファン・ランダエタと対戦、この試合ではヒットアンドアウェイ戦法でポイントを稼ぎ、判定勝ちを収めた。
その後、亀田側が協栄ジムの金平会長の承諾を得ずにタイトルを返上したため、協栄ジムは、試合で得られる利益を得られなかった。
税金・申告漏れ
2009年10月、弟・大毅と揃って東京国税局の税務調査を受け、2007年までの数年間の個人所得について、申告漏れが発覚した。亀田兄弟は個人事業主として所得を税務申告したが、計上した経費の中には領収書などがないものもあり、これらの経費に関して国税局が損金への算入を認めなかった。所属する亀田ジムは「修正申告は済んでいます」と明かした[116]。
著書
- 亀田興毅 『エグいほど強いで!!』 竹書房、2006年3月 ISBN 978-4812426418
- 亀田興毅 『亀田興毅、宣戦布告』 晋遊舎、2009年11月17日 ISBN 978-4863910331
メディア出演
テレビ
- 田舎に泊まろう!(テレビ東京、2010年1月31日)
- 関口宏の東京フレンドパークII(TBS、2010年2月4日)※3兄弟で出演
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ、2010年3月3日)
- AKBINGO!(日本テレビ、2010年6月2日 - 16日)
- run for money 逃走中(フジテレビ、2010年8月28日)
ラジオ
- 爆笑問題の日曜サンデー(2009年12月6日、TBSラジオ)
- アリス イン ワンダーランド公開記念 亀田兄弟のオールナイトニッポン(2010年4月2日、ニッポン放送)
CM
脚注
外部リンク
- ボクシング亀田三兄弟公式サイト 浪速乃闘拳
- 亀田興毅 オフィシャルブログ 「今」 Powered by Ameba(2009年8月24日 - )
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- テンプレート:Twitter
テンプレート:Championshiptitle次空 テンプレート:Championshiptitle先次空 テンプレート:Championshiptitle テンプレート:Championshiptitle先次空 テンプレート:日本のボクシング世界王者
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- ↑ サマンは1990年代、八尋史朗らを相手にライトフライ級王座を10度防衛したが、王座転落後、2002年4月12日の試合を最後に現役を引退。その後、約3年のブランクを経て35歳で現役復帰(復帰後の戦績は亀田興毅戦も含め3戦3敗2KO)。亀田戦の後に現役を退いている。
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- ↑ 2010年5月7・14日合併号「<驚愕スクープ>不自然な『バンデージの封印』を徹底追及 亀田興毅 内藤戦『疑惑の拳』告発写真」
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- ↑ ローソン、明治製菓 「スポンサーやめろ」の大合唱 Livedoorニュース、2006年8月4日
- ↑ やくみつるは、テレビ番組内において、亀田に敬語を使うよう促した。
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- ↑ 乳幼児期に離乳食として母親に与えられたのがきっかけで好物となり、自宅には納豆専用のミニ冷蔵庫を備え、現在では一日3パックを食べているという。なお、母親は以前から納豆を食べる習慣があったが、父親の史郎は納豆が全く食べられない。
- ↑ 2009年11月30日放送『ひるおび!』より
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- ↑ 2010年1月30日放送『せやねん!』より。VTRで自ら言及
- ↑ 闘論:亀田3兄弟ブーム 原功氏/具志堅用高氏 毎日新聞 2006年2月26日
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- ↑ 通常、直近の世界タイトルマッチに敗れた選手はランキングが2位ないし5位程度まで下がるものであるが、このランキングは単純に試合結果や担当ジャッジの判断だけで動くのではなく、試合内容やWBAによる試合の査定を元に判断する。そのため、試合の判定では負けとされても、WBAの裁量によっては、ランキングが下降しない場合がある。また、WBAには試合結果と別に試合を査定する権利があるため、試合の当事者が試合結果を不服とした場合、その不服申し立てが正当であれば再試合を命令するなどして、試合結果を改めさせることもできる。
- ↑ 協栄ジム側の発表では、怪我の程度は左眼瞼挫創(がんけんざそう)で、八針縫うものだったとしている。
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