天下茶屋
概要
現在の住居表示としては、大阪市西成区天下茶屋・天下茶屋北・天下茶屋東がある。南海電鉄・地下鉄天下茶屋駅の東側に位置する。
また、天下茶屋駅周辺ないしは西成区中部~東部を包括的に示す広域地名として使われることもある。広域地名として使われる場合の天下茶屋では、天下茶屋駅西側(岸里・橘・花園南など)や阿倍野区との境界付近(岸里東・聖天下・天神ノ森など)も指し[1]、またまれに阿倍野区西部(松虫通・北畠などの一部)も含めることがあるが、範囲についてはっきりとした定義はない。
現在ではほぼ全域が住宅地となっており、大阪の典型的な下町のひとつとみなされている。
歴史
天下茶屋の地名は、かつてこの地にあった茶屋の名に由来する。
この地は、古代には「天神の森」と呼ばれる鬱蒼とした森の茂った鄙びた土地だった。そこに湧く水の良さに着目して茶室を建て、森を切り開いて道をつけたのが、千利休の師にあたる武野紹鷗だった。以来この地は「紹鷗の森」とも呼ばれるようになった。
天正年間 (1573–92) には楠木正行の十世孫であるという初代芽木小兵衛光立がこの森の西側を開き、ここに茶屋を出した。そして三代目芽木小兵衛昌立のとき、住吉神社を参拝した関白・豊臣秀吉がこの地に立寄り、この芽木家の茶店から清泉を汲んでお伴の千利休に茶を点てさせたところ、味の良さに感激。そこでこの泉に「恵の水」の銘を、芽木家に玄米年三十俵の朱印を与えた。そこから関白殿下の「殿下茶屋」、天下人の「天下茶屋」などの名が知られるようになったという[2]。
慶長十四年三月三日(1609年4月7日)には、父・林玄蕃を闇討ちにした当麻三郎右衛門を、玄蕃の遺児・重次郎と源三郎の兄弟が9年間におよぶ苦難の末に、この地で見事に討ち取っている。この「天下茶屋の仇討」は当時代表的な仇討ち事件として講談や歌舞伎などに取り上げられ、その結果「天下茶屋」の名が日本中に知れ渡ることになった。
もとは西成郡勝間村に含まれ、紀州街道に面した新家で「勝間新家」と呼ばれていたが、天明から寛政年間にかけて東成郡天王寺村に含まれるようになった。日露戦争の際には、俘虜収容所や付属施設などが一時期設置されていた。明治時代後期になり、地域の東部は郊外別荘地としての開発が進められた。また地域の西部でも、大阪市の発展に伴って住宅地へと変化していった。
一帯は東成郡天王寺村および西成郡今宮村(のちに今宮町)・西成郡勝間村(のちに玉出町)となっていたが、1925年にいずれも大阪市に編入された。なお、大阪市編入直前の天王寺村は人口が5万人を超える日本一の大村となっていたが、人家が最も集中していたのが天下茶屋であった。
- 1885年12月29日 - 阪堺鉄道(現在の南海本線)が開業。開業と同時に天下茶屋駅が設置される。
- 1900年10月26日 - 南海天王寺支線が開業。
- 1911年12月1日 - 阪堺電気軌道阪堺線が開業。
- 1915年11月1日 - 勝間村が町制を施行、玉出町となる。
- 1917年9月1日 - 今宮村が町制を施行、今宮町となる。
- 1925年4月1日 - 西成郡玉出町・今宮町、東成郡天王寺村が大阪市に編入。おおむね紀州街道を境に、西側(旧今宮町・玉出町の区域)が西成区、東側(旧天王寺村の区域)が住吉区となった。
- 1943年 - 大阪市の区の境界の見直しにより、天下茶屋[3]、松田町(現在の天下茶屋東)、聖天下、天神ノ森の各町を、住吉区から西成区に編入。
- 1945年 - 空襲で地域が被災。
- 1973年11月 - 西成区全域で住居表示実施。現在の町名となる。
- 1984年11月18日 - 南海天王寺支線の天下茶屋駅 - 今池町駅間が廃止。
- 1993年3月4日 - 大阪市営地下鉄堺筋線の天下茶屋駅開業。
- 1995年11月1日 - 南海天下茶屋駅高架化完成。
交通
南海本線と阪堺電気軌道阪堺線が南北に走っている。また住所表示上の天下茶屋からはやや西に離れているが、広域地名で天下茶屋と呼ばれる場合もある地域を、国道26号と大阪市営地下鉄四つ橋線が走る。
鉄道
- 南海本線 天下茶屋駅 - 岸里玉出駅
- 南海高野線(汐見橋線) 西天下茶屋駅 - 岸里玉出駅
- 阪堺電気軌道阪堺線 今船停留場 - 松田町停留場 - 北天下茶屋停留場 - 聖天坂停留場 - 天神ノ森停留場
- 大阪市営地下鉄四つ橋線 花園町駅 - 岸里駅
- 大阪市営地下鉄堺筋線 天下茶屋駅
道路
主要施設
- 天牛堺書店天下茶屋店(西成区岸里1丁目、天下茶屋駅「ショップ南海」内)
- 天下茶屋駅前商店街(西成区天下茶屋2丁目・3丁目、天下茶屋駅東口)
- デイリーカナート天下茶屋店(西成区岸里1丁目、天下茶屋駅西口)
- とれび天下茶屋(西成区岸里1丁目、天下茶屋駅西口)
- ノアインドアステージ天下茶屋校(西成区岸里1丁目、天下茶屋駅西口)
- フットサルポイントメッセ天下茶屋(西成区岸里1丁目、天下茶屋駅西口)
- 西天下茶屋商店街(西成区千本北1丁目・2丁目) - NHK朝の連続ドラマ「ふたりっ子」(1996年放送)のロケ地となった。
- 大阪市立今宮小学校(西成区天下茶屋1丁目)
- 大阪市立天下茶屋小学校(西成区聖天下1丁目)
- 大阪市立橘小学校(西成区橘2丁目)
- 大阪市立天下茶屋中学校(西成区橘1丁目)
- NTT天下茶屋ビル(西成区岸里東1丁目)
- 天下茶屋公園(西成区岸里東1丁目)
- 天下茶屋跡(西成区岸里東2丁目)
- 天神ノ森天満宮(西成区岸里東2丁目)
- 正圓寺(「天下茶屋の聖天さん」、阿倍野区松虫通3丁目)
補注
関連項目
- 天下茶屋の仇討
- 天下茶屋跡
- 天下茶屋駅
- 西天下茶屋駅
- 天王寺村
- 岸里
- ふたりっ子
- 前田久吉 - 産経新聞創業者。大阪新聞の前身となる「南大阪新聞」は天下茶屋が発祥の地である。
- 大屋政子 - 「天下茶屋の政子ちゃん」をキャッチフレーズとした。阿倍野区北畠に在住していた。
- 山下和輝 - 現役時代の背番号44から「天下茶屋のバース」と呼ばれていた。
- 亀田三兄弟 - 天下茶屋出身のボクサー兄弟。
- 亀田史郎 - 上記の三兄弟の実父。
- グリーンツダボクシングクラブ - 設立当初は天下茶屋にジムを置き、上記の三兄弟も所属していた。