ドーム球場
ドーム球場(ドームきゅうじょう、Domed stadium)は、ドーム状の屋根を備えた球技用スタジアムテンプレート:Refnest。日本ではドーム屋根を備えた野球場を指す事が多い。
アメリカ・カナダ
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「世界初のドーム球場」、アストロドーム
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キングドーム(2000年解体)
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ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(通称・メトロドーム)
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「世界初の開閉式ドーム球場」、ロジャース・センター(旧称・スカイドーム)
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トロピカーナ・フィールド(旧称・フロリダ・サンコースト・ドーム)
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モントリオール・オリンピック・スタジアム
歴史
兼用スタジアム
アメリカ合衆国では、1965年にメジャーリーグ・ヒューストン・アストロズの本拠地として「世界初の全天候型屋根付き球場」アストロドームが開場した。屋根付き球場建設の理由は、夏の暑さや蚊の大量発生から球場内を守り、快適な環境を確保するためだった。当時は「スタジアムに屋根を付ける」という発想そのものがあまりなかったので、アストロドームは「世界8番目の不思議」と呼ばれたテンプレート:Refnest。当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるようにと太陽光を透過するアクリル屋根を設置したが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さない屋根に張り直した。この際、建設時から育てていた天然芝が光を遮られたことで生育がストップして枯れてしまったため、世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された(詳細は人工芝の項を参照)。
当時は野球とアメリカンフットボールの兼用が可能なスタジアムの建設が流行していた。アストロドームもアメリカンフットボールとの兼用を前提に設計されており、開場した1965年の9月からヒューストン大学のホームとして使用されていた[1]。1968年からはNFL・ヒューストン・オイラーズ(現・テネシー・タイタンズ)も本拠地として使用するようになった(ヒューストン大学は1997年まで、オイラーズは1996年まで使用)。以降、大リーグ本拠地のドーム球場として建設されたキングドーム(2000年に爆破解体)、ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(通称・メトロドーム)、「世界初の可動式屋根付きスタジアム」であるロジャース・センター(旧称・スカイドーム、カナダトロント)は、いずれも野球とアメフト(若しくはカナディアンフットボール)兼用スタジアムとなった。1990年にフロリダ州セントピーターズバーグに完成したフロリダ・サンコースト・ドーム(現・トロピカーナ・フィールド)も、開場当初は各種スポーツ競技が開かれていた。(その後、タンパベイ・デビルレイズ(現・タンパベイ・レイズ)誘致をきっかけに野球専用ドーム球場に生まれ変わった。ただし、アリーナフットボール会場としては使用されている)。
モントリオールオリンピックスタジアムは、開場から11年後の1987年に収納が可能な吊り下げ方式の膜状屋根が追加されドーム球場となった。モントリオールオリンピックスタジアムもまたカナディアンフットボールとの兼用球場である。
ボールパーク化
1992年に屋根の無い野球場として開場したオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがファンの絶大な支持を集めてからは、人工芝での選手の故障の多さが指摘されるようになったほか、青空の下、天然芝のグラウンドでの野球観戦を望む観客の意向が汲まれるようになり、野球専用のスタジアム「ボールパーク(ball park)」化が推進されている。ボールパークは「野球専用」・「天然芝のフィールド」・「観衆と選手の親近感、一体感を重視」・「戦前の古い球場や工場などを思わせるスタンドとその周囲をレンガ外壁の建物で囲むモダンクラシック」などを特徴としている。球場名も従来の「ドーム」・「スタジアム」から「パーク」・「フィールド」を称する施設が増えていった。メトロドームの後継として2010年に開場したターゲット・フィールドは、屋根の無いボールパークとして開場した。また、野球専用ドーム球場となっているトロピカーナ・フィールドについても、露天野球場への移転が計画されている[2]。
ボールパーク化に伴い、ドーム状屋根に代わり開放時の屋根がフィールドを覆わないように配慮されたルーフ状の開閉式屋根を持つボールパークも建設されるようになっていった。キングドームに代わるセーフコ・フィールド、アストロドームに代わるミニッツ・メイド・パーク、チェイス・フィールド、ミラー・パーク、マーリンズ・パークが完成した。しかしこれらは「ドーム状屋根を持つ球場」に該当しないので「屋内球場」・「屋根付球場」・「全天候型球場」・「開閉式屋根付きボールパーク」などと呼ぶのが適切である。
MLB本拠地球場
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トロピカーナ・フィールド(旧称・フロリダ・サンコースト・ドーム)
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ロジャース・センター(旧称・スカイドーム)
- 密閉式ドーム球場
- トロピカーナ・フィールド(旧称・フロリダ・サンコースト・ドーム)(フロリダ州セントピーターズバーグ、タンパベイ・レイズの本拠地)
- 開閉式ドーム球場
- ロジャース・センター(旧称・スカイドーム)(カナダオンタリオ州トロント、トロント・ブルージェイズの本拠地)
- 開閉式屋根を備えたボールパーク
- チェイス・フィールド(アリゾナ州フェニックス、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地)
- セーフコ・フィールド(ワシントン州シアトル、シアトル・マリナーズの本拠地)
- ミニッツ・メイド・パーク(テキサス州ヒューストン、ヒューストン・アストロズの本拠地)
- ミラー・パーク(ウィスコンシン州ミルウォーキー、ミルウォーキー・ブルワーズの本拠地)
- マーリンズ・パーク(フロリダ州マイアミ、マイアミ・マーリンズの本拠地)
フットボール専用球場
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ルイジアナ・スーパードーム(メルセデス・ベンツ・スーパードーム)
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BCプレイス・スタジアム
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ポンティアック・シルバードーム
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RCAドーム(2008年解体)
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ジョージア・ドーム
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エドワード・ジョーンズ・ドーム
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フォード・フィールド
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ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム
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ルーカス・オイル・スタジアム
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カウボーイズ・スタジアム(現・AT&Tスタジアム)
アメフトのシーズンは9月から翌年1月までであるため、アメフト専用スタジアムでも暑さや寒さを防ぐためにメルセデス・ベンツ・スーパードームなどのドーム球場が続々と完成した(後にスーパードームではマイナーリーグの試合も開催されている)。カナダにおいてもフットボール専用球場であるBCプレイス・スタジアムが建設されている。
野球場ではいわゆる「ボールパーク」が主流となりドーム球場は減少傾向にあるが、フットボール専用球場としてのドーム球場は1990年代以降も建てられ続けている。
- キャリアー・ドーム(ニューヨーク州シラキュース、シラキュース大学の本拠地)
- メルセデス・ベンツ・スーパードーム(ルイジアナ州ニューオーリンズ、ニューオーリンズ・セインツの本拠地)
- ポンティアック・シルバードーム(ミシガン州ポンティアック、デトロイト・ライオンズの旧本拠地)
- RCAドーム(インディアナ州インディアナポリス、インディアナポリス・コルツの旧本拠地。2008年解体)
- ジョージア・ドーム(ジョージア州アトランタ、アトランタ・ファルコンズの本拠地)
- アラモドーム(テキサス州サンアントニオ、ニューオーリンズ・セインツが一時的に使用)
- 名称に「ドーム」が付いているが、ドーム型の屋根ではない。
- エドワード・ジョーンズ・ドーム(ミズーリ州セントルイス、セントルイス・ラムズの本拠地)
- フォード・フィールド(ミシガン州デトロイト、デトロイト・ライオンズの本拠地)
- ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム(アリゾナ州グレンデール、アリゾナ・カージナルスの本拠地、開閉式)
- ルーカス・オイル・スタジアム (インディアナ州インディアナポリス、インディアナポリス・コルツの本拠地)
- カウボーイズ・スタジアム(現・AT&Tスタジアム)(テキサス州アーリントン、ダラス・カウボーイズの本拠地、開閉式)
日本
歴史
日本では1988年、東京ドームが「国内初のドーム球場」として竣工した。ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(通称・メトロドーム)をモデルに設計され、メトロドームと同じ空気膜構造方式(エアドーム)を採用している。屋根には二重のテフロン膜を使用して、この幕の間に常時空気を送り込み、更にドーム内の空気圧を0.3%高めて膨張させている。ドーム開きとなった同年4月の公式戦開幕日、首都圏は季節外れの豪雪となったが、ドームの中では快適な野球環境が整えられたため「早速ドーム効果が現れた」と話題になった。
これを嚆矢として日本にはドーム球場が次々と建設された。1993年に国内2番目のドーム球場として、「国内初の開閉式屋根」を取り入れた福岡ドームが開場。1997年に大阪ドーム・ナゴヤドームがほぼ同時期に開場。1999年には既存の屋外球場をそのまま活用し、足掛け3年の工期を経て段階的に屋根を架設するという、世界でも稀な工法でドーム球場化した西武ドームが完成する。2001年には屋外のオープンアリーナで養生している天然芝のグラウンドを空気圧で浮上させドーム内に移動させる「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用し、サッカー・ラグビーなどにも対応可能な札幌ドームが開場した。
2014年現在、上述の計6箇所が日本野球機構加盟球団の本拠地として使用されており、セ・パ12球団のうち半数の球団がドーム球場を本拠地としている。また、札幌ドームはサッカーJリーグ・コンサドーレ札幌のホームスタジアムにもなっている。
NPB本拠地球場
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東京ドーム
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福岡ドーム(福岡 ヤクオク!ドーム)
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大阪ドーム(京セラドーム大阪)
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ナゴヤドーム
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西武ドーム
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札幌ドーム
- 東京ドーム(東京都文京区、読売ジャイアンツの本拠地)
- 福岡 ヤフオク!ドーム(福岡ドーム、福岡県福岡市、福岡ソフトバンクホークスの本拠地)
- 京セラドーム大阪(大阪ドーム、大阪府大阪市、オリックス・バファローズの本拠地)
- ナゴヤドーム(愛知県名古屋市、中日ドラゴンズの本拠地)
- 西武ドーム(埼玉県所沢市、埼玉西武ライオンズの本拠地)
- 札幌ドーム(北海道札幌市、北海道日本ハムファイターズの本拠地)
その他ドーム施設
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大館樹海ドーム
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仙台市屋内グラウンド(シェルコムせんだい)
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出雲ドーム
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札幌コミュニティドーム(つどーむ)
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こまつドーム
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長浜ドーム
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四日市ドーム
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但馬ドーム
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大分スポーツ公園総合競技場(現・大分銀行ドーム)
NPB本拠地球場ほどの規模ではないが大館樹海ドーム(秋田県大館市)、仙台市屋内グラウンド(シェルコムせんだい、宮城県仙台市)などでも硬式野球の実施が可能である。出雲ドーム(島根県出雲市)はフィールドが狭隘で、且つ試合の実施に見合う天井高が確保されていないため、現在は硬式野球の公式戦は行われていない。
また硬式野球以外では札幌コミュニティドーム(つどーむ)、新天城ドーム、有明コロシアム、こまつドーム、長浜ドーム、四日市ドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、御崎公園球技場(現・ノエビアスタジアム神戸)、大分スポーツ公園総合競技場(現・大分銀行ドーム)などの施設が屋根を架設しており、これらのうち札幌つどーむ・長浜ドーム・四日市ドームを除く施設は屋根の開閉が可能となっている。ただし、スライド式のルーフ状屋根を持つもの(有明コロシアム・豊田スタジアム・御崎公園球技場)はドーム球場(ドーム状屋根を持つ球場)に該当しない。
ドーム球場の特別ルール
ドーム球場で野球を行う場合に、屋根やスピーカーなどの懸垂物(屋根から垂れ下がっているもの)に打球が当たるなどの場合に、特別グラウンドルールを設定している。
東京ドーム
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- ボールインプレイ(プレイ続行)であり、地面などに触れる前に野手が捕球すれば打った打者はアウトである。地面などに触れた場合は、打球の位置によってフェアかファウルかが判定される。即ち、天井に当たらなかった場合と同じ扱いがなされる。
- 天井に当てた選手の第1号は1988年7月4日のダラス・ウイリアムズ(阪急ブレーブス)。ファウル地域の天井に当てた。日本人選手では1990年6月3日の原辰徳(読売ジャイアンツ=巨人)がファウル地域の天井に当てたのが最初。
- フェア地域の天井に初めて当てたのは1990年6月5日のラルフ・ブライアント(近鉄バファローズ)。天井に当たった打球を二塁手が捕球してアウトとなった。後述の外野の上部懸垂物に当てた本塁打はこの翌日に出ている。
- 2005年7月30日の巨人対中日ドラゴンズ12回戦では、通算350本塁打まであと1本に迫っていた江藤智が本塁打性の当たりを放つも、天井に当たって左翼手に捕られ、結局この年は本塁打を打つことができなかった。
- 松井秀喜は、天井に当たった打球がそのまま本塁打という経験を2度している。
- 2009年9月4日の巨人対東京ヤクルトスワローズ17回戦では、2回裏に阿部慎之助が内野の天井に、9回裏に小笠原道大が右翼の天井に打球を当てたが、そのままフェア地域へ落下したため安打が記録された(阿部は内野安打、小笠原は二塁打)。
- 打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
- ボールデッド(プレイ中断)になり、フェア地域では本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
- これによって本塁打が記録された初のケースは、1990年6月6日のブライアントで、これ以後、外野中央上空のスピーカーに打球を当てた選手にはスピーカーのメーカーから300万円が支払われることになっている。2008年6月7日にはフリオ・ズレータ(千葉ロッテマリーンズ)が2人目の達成。
- 打球が天井に挟まった場合
- ボールデッドになり、フェア地域の場合は二塁打、ファウル地域の場合はファウルボール。
福岡ドーム(福岡 ヤクオク!ドーム)
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- 東京ドームと同じ。
- 天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
- 大阪ドームと同じ。ただし、フェア地域であれば打った選手に賞金500万円が支払われる。
また一部では広告看板に当てた本塁打の場合、その広告を協賛する企業からの賞金・商品を選手に贈呈することがある。
大阪ドーム(京セラドーム大阪)
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- 東京ドームと同じ。ただし、移動式屋根「スーパーリング」の最も外側のリングに入った場合のみ本塁打となる。
- この本塁打を打ったことがあるのは中村紀洋(大阪近鉄バファローズ=当時)一人だけ。アレックス・カブレラ(西武ライオンズ=当時)は最も外側のリング下部に当たり、打球方向が変化して左翼上段スタンドに入った。
- 2002年頃、近鉄梨田昌孝監督(当時)の提案で、二番目に外側のリングの内側に入っても本塁打とするというルールに変更された。これは、中村が明らかに本塁打になるだろうと思われた打球が二番目に外側のリング内側に入り、落ちてきたところを遊撃手に直接捕られたということがあったため。
- 2010年8月15日に行われた阪神タイガース対ヤクルト戦で、金本知憲の打球が天井に触れフェア地域に落ちた。本来ならば打球が当たった時点では上記の通りボールインプレイのはずだが、一塁塁審の坂井遼太郎はその時点でファウルボールと判定してしまった。その後審判員が協議したが結局判定が覆ることなく、金本はファウルボールを打ったものとして試合が再開された。審判団は試合後に誤審を認めた[3]。なお、その打席で金本は本塁打を打っている。
- ファウルスタンド側の天井に当たった場合
- 直ちにボールがプレイングフィールド側に戻ってきてもファウルボール。
- 天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
- ボールデッドになり、フェア地域の場合は二塁打、ファウル地域の場合はファウルボール。
- 2012年のオールスターゲーム第1戦で中田翔(北海道日本ハムファイターズ)が第1打席にこの認定二塁打を記録している。
ナゴヤドーム
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- 東京ドームと同じ。
- 打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
- 東京ドームと同じ。
- 打球が天井に挟まった場合
- 東京ドームと同じ。
- 内野中央にあるスピーカー
- 当たった場合はボールインプレイ。挟まった場合はボールデッドになるとともに二塁打になる。
西武ドーム
- フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
- 外野フェア地域の天井に当たった場合は本塁打となる。それ以外は東京ドームと同じ。
- 西武ドームを本拠地にする埼玉西武ライオンズのアレックス・カブレラが天井に当たる打球を連発し、本塁打を多く損したことに由来する。
- 天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
- 大阪ドームと同じ。
札幌ドーム
- 外野部分の天井(フェアゾーンの天井パネルの奥から3枚目まで)に触れた場合
- 本塁打。
- 他の部分の天井に打球が触れた場合
- 東京ドームと同じ。
コンサート会場としてのドーム球場
日本国内で大規模なコンサートを開催する際にドーム球場を使用する事が多い。また、全国主要都市のドーム球場で公演を行う通称「ドームツアー」が開催されている。1997年に大阪ドーム・ナゴヤドームが開業してから「4大ドームツアー」と冠して行われる場合が多くなり、2001年に札幌ドーム開業後は、東京・福岡・大阪・ナゴヤ・札幌の各ドームを網羅するコンサートを「5大ドームツアー」と呼ぶ様になった(西武ドームに関しては、プロ野球球団の本拠地であるが、これらに含まれない。ただ、5大ドームに加えて西武ドームも使用して行うコンサートツアーを「6大ドームツアー」と呼ぶ場合がある)。
それまで最高峰とされた日本武道館を会場規模や収容人数で遥かに上回る公演が可能であり、演出面でも様々な試みが行なわれている。ただ、国立競技場や日産スタジアム、味の素スタジアムなどの陸上競技場・サッカースタジアムのほうが収容人数は多く、これらを網羅するコンサートツアーは「スタジアムツアー」と呼ばれる。
一方、施設が大型で数万人単位の観客の動員が可能である面、施設使用料はコンサート会場として使用される施設の中でも一際高額であり、ステージ資材・機材なども施設に合わせて大型化・大量化するものが多いので、興行イベントとして設定される損益分岐点のハードルも高いものとなっている。この損益分岐点をクリアする為の有料チケット購入者数や、会場内で販売される関連グッズの売上などの目標値もより高いものとなるため、関連グッズの売行き動向やファン層の購買力・購買意欲そのものを総合的に勘案する必要があり、これらを踏まえてドーム球場をコンサート会場として使用できる全国規模で人気のあるミュージシャンが行う場合が多い。また、ミュージシャン自身も大型会場でのパフォーマンス力が要求される事になる。
ドーム球場は本来「野球場」を目的に屋根はドーム状・壁は円形の造りとなっているため、収容人数という点を除けばコンサート会場には不向きなことが多く、各ドーム球場によって音響や反射などが異なるために、入念な下調べと対策が必要となる会場でもある。
日本で最初となるドーム球場でのコンサートはいくつか存在しており、いずれも東京ドームでの『BIG EGG OPENING EVENT』として開催された各種イベントの中で催行されている。最も早くコンサートを行ったのはマーチングバンド世界選手権のゲストとして招かれたTHE ALFEE、単独公演としてはミック・ジャガー、こけら落し公演として設定されたのは美空ひばりの公演である[4][5]。アーティストとして初めて「5大ドームツアー」を行ったのはSMAPで(ソロ・アーティストとしては桑田佳祐が最初)、西武ドームを加えた「6大ドームツアー」を最初に行ったのはMr.Childrenである。
ドームコンサートでの主な出来事
- 1988年4月4日・4月5日、BOØWYが東京ドームで『LAST GIGS』を開催。バンド活動に終止符を打った。
- 1988年4月11日、美空ひばりは日本人ソロ歌手かつ演歌歌手として初めて、東京ドームのこけら落しとなるコンサート『不死鳥コンサート』を開催[4][5]。復帰は絶望的と言われた難病から復活のためチケットは即完売し、「伝説のコンサート」と呼ばれた。この後、横浜アリーナでもこけら落しコンサートや、全国ツアーも開催予定であったが、東京ドームコンサートから1年2ヵ月後の1989年6月24日に帰らぬ人となってしまった。2014年現在、ドーム球場で公演を行った演歌歌手は美空ひばりだけである。
- 1992年5月15日、長渕剛が『LIVE'92 JAPAN』東京ドーム公演を開催。センターステージでの弾き語り形式でおよそ65,000人の観客を動員した。
- 1993年12月30日・12月31日、X JAPANが東京ドームで行ったライブ『日本直撃カウントダウン X JAPAN Returns』は日本人ミュージシャンが最初に行った「年越しライブ」である。このライブは、世界進出に向けて「X JAPAN」とグループ名を改名してから最初のライブでもあった。ライブでは1曲の演奏時間が30分弱ある「ART OF LIFE」を含む15曲を演奏し、1997年の解散ライブ『The Last Live』とともにファンの間では伝説のライブとなっている。
- 2001年1月8日、THE YELLOW MONKEYが初の東京ドーム公演の中でバンド活動を完全休止することを宣言した。復活を約束するも、3年後の2004年7月7日、正式に解散した。2004年12月26日には休止宣言をした東京ドームにメンバーが再集結し『THE YELLOW MONKEYの葬式』として1曲『JAM』のみを演奏した。事実上、2001年の東京ドーム公演がラストライブとなった。
- 2001年6月29日、ゆずが東京ドームで弾き語り形式のライブ『ふたりのビッグ(エッグ)ショー』を開催。
- 2006年1月13日、SPIRAL SPIDERSがインディーズバンド初となる東京ドーム公演を開催。観客動員数は200人と史上最少規模であった。客席はグラウンド上にござを敷いて設置された。
- 2008年3月28日、前年に活動再開を発表したX JAPANが、再開後初となるライブ『攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜 破壊の夜』を東京ドームで開催。機材トラブルなどで開演時間が予定より2時間オーバーした。さらに、アンコールで演奏した「ART OF LIFE」の途中でYOSHIKIが失神しライブはそのまま終了するという怒涛の展開になった[6]。
- 2009年12月16日、アメリカのロックバンドガンズ・アンド・ローゼズが京セラドーム大阪で公演を行ったが、この日はオープニング・アクトを務めたムックの演奏終了後、機材トラブルにより開演時間が遅れて午後9時に開演。その後3時間演奏を行い、終演時間が翌17日午前0時1分となった[7]。
- 2010年12月25日、再始動したLUNA SEAが一夜限りで以前のバンド名“LUNACY”となり、黒服であれば入場無料となるライブ『LUNACY 黒服限定GIG 〜the Holy Night〜』を開催。抽選で選ばれた黒服の5万人が東京ドームに集った[8]。
- 2011年6月11日・6月12日、氷室京介が東京ドームで東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・ライブ『KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”』を開催。全編BOØWYの楽曲で構成されたライブは2日間でおよそ110,000人を動員し[9]、収益金・寄付金・義援金は岩手・宮城・福島の3県へ均等に配分して寄付された[10]。
ドームツアーを開催したアーティスト
- 5大ドーム(札幌・東京・ナゴヤ・大阪・福岡)公演を行ったアーティスト
- SMAP(2001年、2002年、2005年、2006年、2008年、2010年、2012年)
- GLAY(2001年 - 2002年)
- KinKi Kids(2001年 - 2002年)
- 桑田佳祐(2002年)
- ボン・ジョヴィ(2003年)
- B'z(2003年、2006年)
- MISIA(2004年)
- イーグルス(2004年)
- サザンオールスターズ(2005年)
- Mr.Children(2005年、2009年)
- ビリー・ジョエル(2006年)
- 嵐(2008年、2009年 - 2010年、2010年 - 2011年、2012年 - 2013年、2013年)
- EXILE(2008年、2011年、2013年)
- 小田和正(2011年)
- 関ジャニ∞(2011年 - 2012年、2013年 - 2014年)
- 安室奈美恵(2012年)
- 東方神起(2013年)
- AKB48(2013年)
- 福山雅治(2014年)
- 通算で5大ドーム公演を行なったアーティスト
- エアロスミス(1988年 東京・ナゴヤ・大阪・福岡、2004年 札幌・東京・ナゴヤ・大阪)
- ザ・ローリング・ストーンズ(1989年 東京、1995年 東京・福岡、1998年・2003年 東京・大阪、2006年 札幌・東京・ナゴヤ)
- DREAMS COME TRUE(1999年 東京・ナゴヤ・大阪・福岡、2007年 札幌・ナゴヤ・大阪・福岡)
- サイモン&ガーファンクル(1993年 東京・福岡、2009年 札幌・東京・ナゴヤ・大阪)
- 西武ドームも含めた6大ドーム公演を行なったアーティスト
- Mr.Children(2012年)
- EXILE(2012年)
- グループ単独での公演では無く、「EXILE TRIBE」という、EXILE主催による複数のアーティストが出演した公演によるもの。
- BIGBANG(2013年 - 2014年)
- 通算で6大ドーム公演を行なったアーティスト
- B'z(1995年 福岡、1997年 東京・ナゴヤ・大阪・福岡、2001年 札幌・西武・ナゴヤ・大阪・福岡)
- AKB48(2011年 西武、2012年 東京、2013年 福岡・札幌・大阪・ナゴヤ・東京)
その他各国のドーム球場
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アムステルダム・アレナ
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フェルティンス・アレーナ(旧称・アレーナ・アウフシャルケ)
ドーム型屋根を備えた球場としては、オランダアムステルダムのアムステルダム・アレナやドイツゲルゼンキルヒェンのフェルティンス・アレーナ(旧称・アレーナ・アウフシャルケ)がある。
オーストラリアメルボルンの開閉式屋根を備えた球技場(クリケット、オージーフットボールなどで使用)であるエティハド・スタジアムや、オランダアーネムのヘルレドームは、ドーム状の屋根ではないが「ドーム」と名づけている。
韓国ソウル市九老区では韓国初のドーム球場テンプレート:Ko iconが建設中であり、2015年初頭に完成予定である。
台湾台北市でも台湾初となるドーム「台北大巨蛋」が建設中であり、2015年中に施設が完成する予定である。
幻のドーム球場計画
- 世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の1958年6月ごろ、当時の日本テレビ社長・清水与七郎らが、東京都新宿区内の社有地(現・新宿六丁目地内。のちの日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面クレー舗装の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。
- 1979年から1984年にかけて、名古屋市でもナゴヤ球場に代わる野球場として、ノリタケカンパニーリミテドにより名古屋市西区則武新町(同社の本社所在地で、現在同社の関連施設「ノリタケの森」が立地する場所)で「ノリタケドーム」を建設する計画があった。
- 1988年の東京ドーム完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌の各市を除きその計画は軒並み頓挫した。幾つかの代表的な例として、1980年代後半に阪神球団が阪神甲子園球場の後継として「阪神ドーム」の建設を検討していた。1999年から2001年ごろには横浜市が「横浜ドーム」の建設を検討していた。2000年から2002年ごろには千葉市が千葉マリンスタジアム(現・QVCマリンフィールド)の西武ドーム方式でのドーム化を検討し、仙台市は宮城球場(現・楽天Koboスタジアム宮城)に代わるドーム球場建設を検討していた。「横浜ドーム計画」では、ドーム建設支持派の団体が大規模な署名活動を展開していたが、ファンからも市民からも広汎な支持を得られず、横浜球団の観客動員低迷などに伴い計画は立ち消えとなった。また、「千葉マリンドーム計画」もファン・市民から好感触を得られなかったことから、計画が立ち消えとなった。
- 広島市においてもドーム球場の計画はあったが、財政事情や人工芝は選手への負担が大きい等の理由のため、ドーム化を断念した(詳細はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を参照)。
- 韓国ソウルでもドーム球場の計画があった。計画内容は韓国LGグループを中心にして進められ、2002年のワールドカップで使用した後、LGツインズの本拠地として使用される予定だった。設計コンペも行われ優秀作が選定されたものの、用地取得の難航とアジア通貨危機のため、計画は白紙化された[11]。なお、このドーム球場のデザインは、設計者のウェブサイトで閲覧することができる[12]。
ドーム球場での試合中止事例
一般にドーム球場では屋外が天候不良でも試合中止になることが殆どないと言われているが、稀に台風などの自然災害で球場が被害を受け、試合を行うことが不可能になることがある。ドーム施設に被害はなくても交通機関の運休などでの影響を受ける観客を考慮して試合が中止になる事例もある。ここではその事例を挙げる(ただし1998年の西武ドームはドーム化が完全に終わっていなかったためここには含めない)。
- 1976年6月15日、アストロズ対パイレーツ(アストロドーム) - 洪水で審判、球場関係者、ファンが球場入りできなかったため。
- 1983年4月14日、ツインズ対エンゼルス(メトロドーム) - 積雪により屋根が破損したため。
- 1990年8月10日、巨人対中日(東京ドーム) - 中日が新幹線不通で移動できなかったため。
- 1996年9月22日、巨人対中日(東京ドーム) - 台風の強風でテント状の屋根が揺れ、照明落下の恐れがあったため。
- 1997年7月26日、中日対巨人(ナゴヤドーム)
- 1997年9月16日、ダイエー対西武(福岡ドーム)
- 2000年9月12日、中日対広島(ナゴヤドーム) - 東海豪雨で球場が浸水したため。
- 2001年8月21日、近鉄対オリックス(大阪ドーム)
- 2001年8月22日、巨人対横浜(東京ドーム)
- 2001年8月22日、西武対日本ハム(西武ドーム)
- 2002年10月1日、巨人対ヤクルト(東京ドーム)
- 2004年8月30日、ダイエー対日本ハム(福岡ドーム) - ダイエーが台風による飛行機の欠航で移動できなかったため。
- 2004年9月7日、近鉄対西武(大阪ドーム)
- 2004年9月18日・9月19日、日本ハム対近鉄(札幌ドーム) - プロ野球再編問題による日本プロ野球選手会のストライキによる。
- 2004年9月18日・9月19日、ダイエー対西武(福岡ドーム) - 同上
- 2004年9月18日・9月19日、中日対巨人(ナゴヤドーム) - 同上
- 2004年10月20日、日本シリーズ・西武対中日(西武ドーム) - 日本シリーズのドーム球場開催とては初の中止。
- 2006年9月17日、ソフトバンク対楽天(福岡 Yahoo! JAPANドーム)
- 2007年7月27日、ソフトバンク対西武(福岡 Yahoo! JAPANドーム) - 西武搭乗飛行機が機材故障で遅延したため。
- 2007年8月2日、ソフトバンク対オリックス(福岡 Yahoo! JAPANドーム)
- 2011年3月25日 - 4月10日、東日本大震災による社会的情勢を考慮して、プロ野球の開幕が延期。これを受けこの期間に予定された全試合が中止になる。また4月12日以後も東京ドーム・西武ドームで予定された巨人・西武主管試合が中止され、一部を除き代替会場の調整やホームチーム・ビジターチームの入れ替えなどの処置が行われた。(具体的な中止になった試合は数多いので割愛)
- 2011年9月21日、西武対日本ハム(西武ドーム) - 台風15号の影響で交通機関の乱れや観客の安全を配慮しての措置。
- 2011年9月21日、巨人対横浜(東京ドーム) - 同上
- 2012年4月3日、西武対ロッテ(西武ドーム) - 急速に発達した低気圧による暴風の影響で交通機関の乱れや観客の安全を配慮しての措置。
- 2013年9月16日、西武対ロッテ(西武ドーム) - 台風18号の影響で交通機関の乱れや観客の安全を配慮しての措置。
脚注・出典
- 脚注
- 出典
- ↑ Stadiums of the NFLによるアストロドームの解説
- ↑ MLB公式サイトの2008年3月11日付の記事
- ↑ 天井直撃の打球めぐり「誤審」
- ↑ 4.0 4.1 不死鳥 in TOKYO DOME(DVD) コロムビアミュージックショップウェブサイト
- ↑ 5.0 5.1 プロジェクトX 挑戦者たち 美空ひばり 復活コンサート 〜伝説の東京ドーム・舞台裏の300人〜 NHKアーカイブス
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 朝鮮日報2002年12月3日記事
- ↑ Peter Pran of NBBJ