メルボルン
テンプレート:複数の問題 テンプレート:世界の市 メルボルン(Melbourne: 豪: テンプレート:IPA2, テンプレート:IPA2[1]、発音の音声データについては参考資料のセクションを参照)は、オーストラリアのビクトリア州の州都で、オーストラリア大陸南東部、ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港市。オセアニア有数の世界都市。
目次
概要
メルボルン都市圏 (テンプレート:Lang-en-short) の推定人口は、2010年6月現在約408万人であり[2][3]、シドニーに次いで同国第2位である。 2010年における都市的地域の人口では348万人であり、世界第94位、同国では第2位である[4]。
しばしばシドニーとの比較がなされるが、近代的で忙しい大都市のイメージが強いシドニーと比べると、歴史的な建物や文化が残り、のんびりして住みやすいという印象を持たれており、2002年と2004年の二度、エコノミスト誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で一位を獲得している。市内各所には、未だにイギリス風の建造物が多く残っており、アフタヌーン・ティーをたしなむ習慣も残っている。
2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第25位の都市と評価されており、オーストラリアではシドニーに次ぐ第2位であった[5]。
歴史
初期
ポートフィリップとヤラ川の辺りは30000年前からその地に住むと思われる先住民族クリン (Kulin) の地であった。彼らは漁業、狩猟、採集などを行いポートフィリップの豊かな資源によって生活していた。ヨーロッパの移民により持ち込まれた病気に多くが打撃を受け、虐待、誤治療、アルコール、性病、によってクリンの人々の数は急激に減った。クリンは1870年代までに滅びてしまい、今日メルボルンに住むアボリジニーの殆どは他の地域から来た人々である。今日アボリジニーの歴史を残すものは少ない。例えばカヌーに使われた木がメルボルンクリケットグラウンドの近くにある他、ポートフィリップ沿岸にある貝塚くらいである。
1798年にテンプレート:仮リンクまで行ったジョージ・バスによって、バス海峡が発見される。レディーネルソン号で1802年にジョン・マレーがポートフィリップを発見すると、マシュー・フリンダースが後に続いた。1803年にチャールズ・グリムズはヤラ川の河口を発見し、今のケイラー地区まで到達。同1803年のちに、NSW総督はフランスのバス海峡地域の占領を恐れ、デイヴィッ・コリンズ大佐を300人の囚人とともにポートフィリップ、テンプレート:日本語版にない記事リンクのソレントに送り居住地を拓かせようとするが、淡水の不足のために断念。1804年にタスマニアへ居住地を移しホバートを創る。その囚人のなかには後の開拓者、政治家のテンプレート:仮リンクがいた。
バス海峡の北岸はクジラ狩猟者、アザラシ狩猟者が20年ほどいた。1824年ハミルトン・ヒュームとウィリアム・ホヴェルは陸路でNSWからウェスタンポートを目指してきたが、代わりにコライオ湾に着き、良質な放牧地を発見する。10年後、タスマニアで放牧をしていたエドワード・ヘンティは今のヴィクトリア西部、テンプレート:日本語版にない記事リンクの王領地に違法で羊牧地を設立した。
北タスマニアで成功していた農家ジョン・バットマンは更に放牧地を求めて1835年4月、バス海峡をポートフィリップに渡りヤラ川の河口に着く。6月8日彼の手記に、「そしてボートは広い河を上った... そして... 6マイル上流に良質でとても深い河を見つけたことを嬉しく思う。この場所は村を作るのに適している (テンプレート:Lang-en-short)」と書いてある。この最後の文は後にメルボルン建設憲章として採用されている。
バットマンはローンセストン (Launceston) に戻りヤラに居住地を拓くための大規模な探検の準備をする。しかし同時期にその時にはローンセストンで実業家となっていたテンプレート:日本語版にない記事リンクは同じアイディアを持っていた。フォークナーはスクーナー船エンタープライズ号を買い、移住しようとする人々とともに4月4日に出航した。1835年4月30日に代理艦長を務めていたJohn Lancey は居住地になる土地を選び、船を泊め船上の荷物を下ろした。そのスポットはヤラ川北岸、今のスペンサーストリートとキングスブリッジの間の辺りである。
一方でバットマンはレベッカ号で出航し、9月2日にヤラに着いたが既にフォークナーの人々がいるのに落胆し、憤慨した。2つのグループにとって十分な土地があり、10月16日フォークナーが他の居住者とともに到着すると、彼は土地を分配して、誰が最初に着いたかで論争しないことに同意した。バットマンとフォークナーは新しい町に住み、1837年3月に時の英国首相メルバーン卿にちなんで正式に "Melbourne" と名付けられるまで幾つかの仮の名前がその町に使われた。
メルボルンはヤラ河岸にテントや小屋の集まりで始まったが10年もしないうちに牧畜の中心地となり、石やレンガで金融ビルが建てられた。1836年9月にはニューサウスウェールズ植民地のポートフィリップ地区の行政中心地になる。
1851年7月居住者はヴィクトリアを独立した植民地にする運動を治め、ラ・トローブは最初の総督代理になった。数ヶ月後金がBallarat、Bendigoを初めとする植民地の各地で見つかった。続いて起こったゴールドラッシュはヴィクトリア、特にメルボルンを急激に変革させた。
ゴールドラッシュ以降
1850年代にヴィクトリア州中央部で金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、港による貿易の必要性から急速に発展した。1880年代は大英帝国で2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」として知られた。今日ではヴィクトリア女王時代の建築物がロンドンを除く世界中の都市で最も多く残っている。
1901年にオーストラリア連邦が成立してから、1927年にキャンベラに移転が開始されるまでは連邦の臨時首都であった。
第二次世界大戦での移民の流入により20世紀前半は着実に拡大を続けた。1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会(メルボルンオリンピック)が開催された。 2000年にシドニーオリンピックが開催されるまでは、南半球で唯一の開催地であった。
1990年代を通じて、クラウン・カジノやメルボルン博物館、メルボルンエキシビション・コンヴェンションセンターなどの公共建築物が積極的に造られた。
地理
メルボルンはオーストラリア大陸の南東部に位置し、大陸では最南に位置する州都である。ポート・フィリップ湾に面し、郊外は東に広がる。湾口の南東に位置するダンデノン丘陵とヤラ丘陵からヤラ川が注ぎ、テンプレート:日本語版にない記事リンクとその支流の西と北は平坦な農業地域になっている。
旧市街地 (City) では超高層ビルが並ぶ風景が見られ、その南端はヤラ川に接する。郊外では人口密度が低く、片側4車線程度の道路が碁盤の目状に敷かれ、一戸建てで広大な庭を持った家々が並ぶ。
地球上での位置
日本では一般に、「オーストラリア国旗にはイギリス国旗(ユニオンジャック)も描かれている」または「オーストラリアはアメリカやイギリスと同じくアングロサクソンの国」との認識より、メルボルンに対してもアメリカやイギリスの都市と同じ印象を持たれているようである。それに加え、日本からメルボルンへの距離や飛行時間は方角が違うだけでアメリカ西海岸あたりとほぼ同じな為、「豪州=欧米」感覚の人が多い。しかし、逆にメルボルンから世界を見れば、実のところ地球上ではかなり特異な場所に位置しており、パース (オーストラリア)・アデレードと同じく「世界から隔離された都市」テンプレート:要出典という感覚を受ける人がいるテンプレート:誰。
メルボルンを中心とした正距方位図法の世界地図を見ると、ロサンゼルス・シアトル・シカゴ・マイアミ・ニューヨーク・アンカレッジ・バンクーバー・トロント・アテネ・ローマ・ウィーン・ベルリン・フランクフルト・パリ・アムステルダム・ロンドンなどを含む「北半球のアメリカ本土(ハワイは除く)・アラスカ・カナダ・ヨーロッパ諸国」とはすべて12000km以上遠く離れている。東京から12000kmといえば、アメリカを超えて大西洋に浮かぶバハマ、ヨーロッパを越えてアフリカのモロッコ、インド洋を越えて南半球のアフリカ南部のマラウイ、オーストラリアを越えて南極大陸にまでそれぞれ届く距離であり、また、世界の他の都市間で12000kmといえば、文化的接点が全く無いと言っても過言ではないテヘラン(イラン) - リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)間にもほぼ相当し、それら以上に離れているということである。
逆に、12000km圏内にあるメルボルンと同じ欧米系の民族のいる国・地域(中東系は除く)は、隣国のニュージーランド・ハワイ・グアム(アラスカとカナダとアメリカ本土は入らない)・南アフリカ共和国・ジンバブエ・ナミビア共和国・ウラル山脈以東のロシア(モスクワやサンクトペテルブルクは入らない)・中央アジア5ヶ国(旧ソ連諸国で圏内に入るのはロシア以外この5カ国のみ)・チリ・アルゼンチン・ウルグアイ(中南米&カリブ海諸国の中で圏内に入るのはこの3カ国のみ)しかない。
それでも、タラマリン空港からは超長距離用特別仕様のカンタス航空機による12000km超えのロサンゼルスへのノンストップ便が就航している(飛行距離(片道):約12800km。所要時間:メルボルン発= 14時間20分、ロサンゼルス発= 15時間25分)。このメルボルン-ロサンゼルス便は、世界でも有数の長距離路線として知られている。日本発の片道12000kmを超える国際線のノンストップ便は一便もない。
この12000km超えのノンストップ便は現在ロサンゼルス便のみで、他のアメリカの都市やカナダやヨーロッパ諸国、モスクワ、中米&カリブ海諸国などへはロサンゼルス以上の遠さのため、それらの場所へノンストップ便が就航している日本や同じアングロサクソンのアメリカ・イギリス・カナダ・南アフリカ共和国とは違い、ノンストップ便は就航していない。
この為、世界の航空業界では『国際線が超長距離便ばかりになるのはオーストラリアの宿命』と云われている。毎年メルボルンで開催されているテニスの「全豪オープン」は、他のテニストーナメントが主に北半球の欧米諸国で開催されている中で、選手達にとって長時間かつ長距離の移動と時差があり、また真冬の北半球とは季節が逆の真夏の大会で、様々なハードな調整を必要とするため、番狂わせが起こりやすいテンプレート:要出典。
一方、日本との距離は8000km強で、メルボルンからだと『近隣諸国の一つ』との見方もあるテンプレート:要出典。東京-メルボルン間にはノンストップ便が就航していないが、2014年4月29日からは直行便が復活する。[6]
気候
ケッペンの気候区分によると海洋性の影響の強い西岸海洋性気候(Cfb)に分類されるものの、日によって天気が目まぐるしく変わり、年間通してはっきりした四季は無く、一日の中に四季があるとも言われている。
冬季は最も寒い7月の平均最低気温が6.0℃とオーストラリアの大都市の中で最も冷え込むものの、降雪は周囲の山々で起きる程度で、平地では非常に稀であり、霜が降りることも少ない。過去最低気温の記録は1901年7月4日に記録した−2.8 °C に過ぎず、冬は温暖である。冬季は比較的曇天が多く日照時間が少ないが、日中は10度前後の日々が続いた後に20℃以上まで上がることも多い。
夏季は最も暑い1月の平均最高気温は25.9℃と低くなっているが、実際には内陸の砂漠地帯から吹き付けるフェーン現象により、年に数日は40度を超えるのような酷暑となることも多く、2009年2月7日には観測史上最高気温の46.4℃を観測している。時に内陸部では気温が50度近くに達することもあり、メルボルン近郊のラバートンでは同日に47.5℃を観測している。しかし、非常に乾燥しており湿気は少なく、夏季は山火事の起きやすい環境となっている。また、そのような酷暑の日であっても朝晩は涼しくなり、熱帯夜となることはほとんど無く、平均最低気温が最も高い2月でも14.6℃と低く快適である。
2006年には観測史上最悪の旱魃に見舞われ、例年ならば年間でも比較的降水が多い9月、10月に全く雨が降らなかった
人口構成
国別海外出生者数 | |
出生国 | 人口 (2006) |
---|---|
イギリス | 156,457 |
イタリア | 73,801 |
ベトナム | 57,926 |
中華人民共和国 | 54,726 |
ニュージーランド | 52,453 |
ギリシャ | 52,279 |
インド | 50,686 |
スリランカ | 30,594 |
マレーシア | 29,174 |
クロアチア | 24,568 |
ドイツ | 21,182 |
マルタ | 18,951 |
南アフリカ | 17,317 |
マケドニア | 17,287 |
香港 | 16,917 |
ポーランド | 16,439 |
フィリピン | 15,367 |
レバノン | 14,645 |
オランダ | 14,581 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ | 13,332 |
メルボルン 都市部人口密度 (人/ha) | ||
---|---|---|
1951 | 23.4 | |
1961 | 21.4 | |
1971 | 18.1 | |
1976 | 16.75 | |
1981 | 15.9 | |
1986 | 16.05 | |
1991 | 16.8 | |
1996 | 17.9 |
メルボルンの人口 | ||
---|---|---|
1836 | 177 | |
1851 | 29,000 | |
1854 | 123,000 | (gold rush) |
1860 | 140,000 | |
1880 | 280,000 | |
1890 | 490,000 | |
1895 | 900,000 | (economic collapse) |
1956 | 1,500,000 | |
1981 | 2,806,000 | |
1991 | 3,156,700 | (economic slump) |
2001 | 3,366,542 | |
2004 | 3,592,975 | |
2006 | 3,720,300 | (2006 estimate) |
2030 | 4,500,000 | (projected) |
この街は誕生以来、19世紀のゴールドラッシュ期、二度の世界大戦後の難民など、各国からの移民を多く受け入れてきた。人口の約74%がアングロサクソン系、約19%がその他のヨーロッパ系、約5%がアジア系(近年とみに増加率が高い)であるテンプレート:要出典。 ギリシャ系も多くギリシャやキプロスを除くと世界でもっとも多くのギリシャ人が居住しており、ギリシャ系のお祭りも多く行われている。中国人街、ヴェトナム人街、イタリア人街など、国ごとのコミュニティを形成して住む傾向にある。そのため多種多様な食文化の影響を受け、広大な農地や海と隣りあって食材も豊富であるため、各国の料理を手軽に味わうことができる。国外からの留学生の受け入れにも積極的。
世界最高級の生活水準・環境、治安の良さそして英語が公式言語であることも手伝ってか移民先として世界でも屈指の人気がある。
産業
メルボルンはオーストラリアの3つの大きな企業、テルストラ、BHPビリトン, ナショナルオーストラリア銀行の本拠地があり、またテンプレート:日本語版にない記事リンク,テンプレート:日本語版にない記事リンク、オーストラリア証券取引所に名を連ねる会社の多くがある。
オーストラリア第2の金融センターであり、多くのオーストラリアの大企業の本社(四大銀行のうち二行の本店)が立地するが、海外企業の地域本部はシドニーを好む傾向がある。オーストラリアの自動車工業の中心地であるほか、機械工業、食品加工業が盛んである。繊維・被服・履物工業が盛んであったが輸入の影響による縮小が著しい。同国のファッションの中心地であるのはその名残である。
政治
メルボルン都市圏は、30の市議会(議員は公選、市長は議員から市議会が選出のen:弱い市長制)の管轄領域に分割される。オーストラリアの他州の州都と同様、都市圏全体の行政は州政府の管轄であり、メルボルン圏だけを管轄する地方自治体はない。都心部を管轄するメルボルン市議会の市長は、 "'Lord' Mayor" という上級の呼称をもっているが、権限は他の市長と変わりない。テンプレート:See
文化及びスポーツ
名所
- メルボルン・クリケット・グラウンド (MCG) - 4月から9月の間、オーストラリアン・ルールズ・フットボールの試合が週に2,3回行われる。2006年の英連邦競技大会のメイン会場でもあり、最大収容人員は10万3千人である。
- メルボルン・パーク - テニスの4大大会の一つである全豪オープンの開催地。同大会は毎年1月に開催される。
- アルバートパーク - 1996年以降、毎年F1が開催されるようになったことで、知名度が上がったメルボルン最大の公園。敷地内には人造湖やスポーツの複合施設などがある。F1のサーキットは普段、公園内に乗り入れるための公道として利用されている。
- テンプレート:仮リンク - 王立展示館の代わりとして、1990年代にサウスバンク地区に建設された。多くの展示会が開催される。
- テンプレート:仮リンク - ヤラ川の南岸にある尖塔で、メルボルンのランドマーク。州立劇場とハーマー・ホール(旧称はメルボルン・コンサート・ホール)から成る。シドニーのオペラハウスとはライヴァルとしてよく比較される。
- テンプレート:仮リンク - アート・センターからヤラ川沿いにすぐ近くにある。南半球最大のギャンブル場やレストラン、高級ブティック、ナイトクラブ、2つのホテル、シネマコンプレックス、フロアショーが入居している。また、毎晩夜になるとアボリジニの儀式をイメージした「炎のショー」(毎時点火)がヤラ川沿いで行われており、メルボルンの名物の1つとなっている。(観覧は無料)
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- テンプレート:仮リンク - 19世紀の大強盗、ネッド・ケリーが処刑された監獄。
- 聖パトリック大聖堂 (Saint Patrick's Cathedral)
- テンプレート:仮リンク (Rialto Towers) - 南半球で最も高いオフィスビルであり、55階には市内を一望できる展望台がある。
- テンプレート:仮リンク (King's Domain)
- テンプレート:仮リンク - ヴィクトリア州最大のマーケットで、野菜、果物、精肉、魚介などの食品から、雑貨、皮革製品、お土産まで幅広い商品が取り扱われている。
- ヴィクトリア州立図書館 - 目抜き通りであるスワンストン・ストリートに面する。
- 王立展示館とカールトン庭園 - 王立展示館は世界展覧会のために1880年代に建設された。2004年7月2日、建物としてはオーストラリアで初の世界遺産に登録された。1901年5月9日に最初のオーストラリア議会が行われた建物である。
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博物館・美術館
- 国立スポーツ博物館
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- 移住博物館
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- 切手博物館
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- テンプレート:仮リンク - CBDの北東、世界遺産のカールトン庭園内にあり、南半球で最大の博物館。オーストラリアの名競走馬ファーラップの剥製が展示されている。
- テンプレート:仮リンク (NGV) - オーストラリアで最大のコレクションを誇る。フェデレーション・スクエアのオーストラリア館 (NGV Australia)と、セント・キルダ通り沿いの国際館 (NGV International) 2個所に所在する。キャンベラにあるオーストラリア国立美術館 (NGA) と紛らわしいので注意。
楽団
- メルボルン交響楽団 (Melbourne Symphony Orchestra)
動物園・水族館
- テンプレート:仮リンク - オーストラリア最古、世界で3番目に長い歴史をもつ。350種以上の動物が自然環境に近い状態で飼育されている。
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- テンプレート:仮リンク
- テンプレート:仮リンク - 1912年開園の遊園地
スポーツ
- テンプレート:仮リンク - メルボルンカップをメインレースとして複数のレースからなるオーストラリア競馬最大の祭典で、オーストラリアでも最大級のスポーツイベント。開催される11月の第1火曜日は都市圏の公休日となり、145年以上続くメルボルンカップは"国を止めるレース"と呼ばれる。
- F1オーストラリアグランプリ
- アルバートパークで、1996年から開催(以前はアデレードで開催)
- オーストラリアン・オープン(テニス) - 1988年から毎年1月に開催
- AFLグランドファイナル - オージーフットボールの中心地
などが主要なスポーツイベントとして行われる。
1956年には南半球最初のオリンピック、2006年にはコモンウェルスゲームズが開かれた。オリンピックが開催された都市として、および世界都市として、メルボルンは一番南に位置する都市となっている。
オーストラリアで盛んなクリケットに関しては、メルボルン・クリケットグラウンドで試合が行われている。
オーストラリア国内サッカーリーグのAリーグには、当市に本拠を構えるメルボルン・ビクトリーFCとメルボルン・ハートFCが所属している。
ショッピング
社会基盤
教育
- 大学はメルボルン大学、モナシュ大学、ラ・トローブ大学、スインバン大学、ビクトリア大学、ディーキン大学、RMIT大学、オーストラリア・カトリック大学の本部や主要なキャンパスがある(オーストラリアの大学リストも参照)。
- 高級職業訓練学校は州立のTAFE、専門学校は私立が多い。
- 初等・中等教育機関はベントリーセカンダリーカレッジなど、州立・私立でさまざまな種類のものがある。
- 成人教育機関は公式な学位や資格を授与しないものが数多く存在する。
交通
公共交通
メルボルンの公共交通機関はヴィクトリア州政府による許可のもとで、路面電車と鉄道それぞれを運営する会社によって提供されている。これらは1990年代後半までは州政府が直接経営していた。現在これらのシステムは「Metlink」と命名されている。
路面電車は、約240kmという世界でも屈指の充実した路線網を誇る。旧市街 (City) から郊外へは放射状に近郊電車が伸びている。そのターミナルであるフリンダーズ・ストリート駅は、入口にずらりと時計盤(各路線の発車時刻を示す)が並んだ姿が特徴的で、メルボルンのシンボル的建築の一つである。この近郊路線は旧市街の縁を一周(City Loopと呼ばれる)しているが、北・東辺の半周三駅以外に地下鉄路線はない。
路面電車の中心部周回路線には観光客向けに無料の路面電車テンプレート:日本語版にない記事リンクが走っており、市内各所の観光名所を廻ることが出来る。外観は茶色の古電車であり、無料ゆえ、エアコンは導入されていない。
市内には多くのバス会社が存在する。長距離列車は都心部西部のテンプレート:仮リンク (テンプレート:Lang-en-short) に発着する。州内の列車はV-LINEと呼ばれる。州外への列車にはアデレード行きやシドニー行きのものがある。同駅および都心部北部に高速バスターミナルがある。
近郊電車と路面電車、それに路線バスはメットカード (Metcard) と呼ばれる共通の切符で利用することができ、購入した地域(ゾーン)内であれば一定の時間、自由に利用することができる。地域(ゾーン)はシティを中心に近い(半径約10km)地域がゾーン1、それ以外がゾーン2となる。料金システムは各ゾーンを対象に購入(ゾーン1内の利用であればゾーン1のチケットを購入)、もしくは利用するゾーンがまたがる場合はゾーン1+2のようにチケットを購入するシステムになっている。チケットには2時間券 (two-hour) ・1日券 (all-day) ・1週間券 (weekly) ・1ヶ月券 (monthly) ・1年券 (annual) があり、1週間もしくは1ヶ月券を持っていると、土日祝日に限りそのチケットでどのゾーンでも移動することができる。日曜日にはサンデイセイヴァーと呼ばれる日曜日だけの大幅に割引された特別券を利用することができ、テンプレート:要追加記述範囲。
道路
メルボルンの道路は一般に道幅が広く、住宅地の一般的な道路でも片側2車線ある。また、歩道も完備されている。高速道路に関しては、信号があるものの時速100kmで走行できるハイウェイと、一般の道路とは切り離されているフリーウェイがある。どちらも無料で利用することができる。また、以前は市街地 (City) をはさんで市の東西を移動するのには大変な時間がかかるという問題点もあったが、近年開通した有料道路City Linkにより現在では解消している。ただこの City Linkも近年の人口・車所有率の上昇に対応しきれず、朝・夕の通勤ラッシュ時にはかなりの渋滞を引き起こし、ラッシュ時のさらなる渋滞を避けるため、City Link 入口に信号を設置、利用者の車の数を制限し渋滞を緩和しようと試みている。
空路
- メルボルン空港(タラマリン空港)、国際空港、メルボルン北西のタラマリン地区、国際・国内便
- アバロン空港、メルボルンと南西のジーロングの間に位置する第2の空港、格安航空会社による大陸部他州都への便が就航
- エセンドン空港、メルボルンで最初の主要空港であるが、長らくの間使われていない
- オーストラリア空軍のクック・ポイント基地は都市の南西の端に位置する
海路
メルボルン港はオーストラリアで最大のコンテナと一般貨物の港である。世界中の 300の都市との間に貨物航路があり、年間3200隻の船が発着する。メルボルン港はメルボルン中心部の西のMaribyrnong川とヤラ川の交差する地点にある。 同港とタスマニア州のen:デボンポートを結ぶ定期カーフェリーen:「スピリット・オブ・タスマニア」の埠頭には、路面電車でもアクセスできる。
姉妹都市
メルボルンは多数の都市と姉妹都市提携をしている:
- テンプレート:Flagicon 大阪市 (日本国) 1978年
- テンプレート:Flagicon 天津 (中華人民共和国) 1980年
- テンプレート:Flagicon ロサンゼルス (アメリカ合衆国) 1982年
- テンプレート:Flagicon テッサロニキ (ギリシャ共和国) 1984年
- テンプレート:Flagicon ボストン (アメリカ合衆国) 1985年
- テンプレート:Flagicon シカゴ (アメリカ合衆国) 1988年
脚注
参考資料
- 「Melbourne」『FORVO』 2011年11月1日閲覧。オーストラリアの人によるとされる「Melbourne」の発音の音声ファイルを含む。
- 「Melbourne」『Weblio英和・和英辞典』 2011年11月1日閲覧。「Melbourne」の発音の音声ファイルを含む。音声は米国英語のみ。
外部リンク
日本政府
観光
- メルボルン観光局 テンプレート:Ja icon
- オーストラリア政府観光局 - メルボルン テンプレート:Ja icon
- メルボルンの気候と服装|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイトテンプレート:Ja icon
- メルボルンの交通機関と地図|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイトテンプレート:Ja icon
教育機関
- ラトローブ大学付属語学学校 テンプレート:En icon
- スインバン大学 テンプレート:En icon
- ヴィクトリア大学 テンプレート:En icon
- オーストラリア・カトリック大学 テンプレート:En icon
- ↑ 「Melbourne」『Wiktionary英語版』 2011年7月6日 21:49 (UTC)。(オーストラリア英語における発音のIPA発音記号)
- ↑ 「Melbourne in numbers」(英語)City of Melbourne、2011年11月2日閲覧。
- ↑ 「3218.0 - Regional Population Growth, Australia, 2009-10」(英語)Australian Bureau of Statistics、2011年3月31日 11:30 (Canberra Time)、2011年11月2日閲覧。
- ↑ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
- ↑ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
- ↑ ジェットスター、2014年ゴールデンウィークに成田/メルボルン線を就航 FlyTeam ニュース 2013年12月11日付