タスマニア州
タスマニア州(テンプレート:Lang-en-short、略号:TAS)は、オーストラリア本土の南方海上に位置する州である。州都は最大の都市であるホバート。
目次
歴史
1642年オランダ人探検家アベル・タスマンが到達し、当時のオランダ東インド会社総督ヴァン・ディーメンにちなんで「ヴァン・ディーメンス・ラント」と命名された。後にイギリスからの移住民により、タスマニア島と改名された。この頃はオーストラリア大陸の一部と考えられていた。
1803年にシドニーから最初の植民が行われた。初期の植民者は流刑囚とその看守であり、南東部のポート・アーサーと西海岸のマッカリー・ハーバーが流刑植民地となった。1826年12月3日ニューサウスウェールズ植民地から分離した。オーストラリアの植民地政府としては2番目の古さである。島の原住民テンプレート:仮リンクとは1830年代までブラック・ウォーと呼ばれる戦争を起こしたが、タスマニア・アボリジニたちはフリンダーズ島へ強制移住させられるなど激減し、純血のタスマニア・アボリジニはハンティングの獲物とされたといった悲劇を経て1876年に絶滅している。なお、白人との混血は存続している(w:アボリジニとはだれか)。1901年オーストラリア連邦の成立にともない州となった。
地理
オーストラリア大陸南東部から240キロ南方海上(オーストラリアの定義では南極海)に浮かぶタスマニア島はバス海峡によって隔てられている。海峡は1~2万年前の最終氷期には繋がっていた。島は北海道より少し小さめ(約8割)で、起伏の多い地形。原生林などの自然がよく残る。
同州の標準時(オーストラリア東部標準時:(A)EST)はUTC+10時間(日本標準時+1時間)である。夏時間((A)EDT = UTC+11時間)の開始は10月の第一日曜日早朝、終了は翌年4月の第一日曜日早朝である。
オーストラリアで最も山が多く、現在、火山活動は無い。最高地点はオッサ山 (Mount Ossa) の標高1617m。中央高地から海岸に何本も川が流れ、州内の電力需要を賄う。
気候
4つの季節がある。夏は12月から2月で、最高気温は海岸で平均21℃、内陸で17℃から24℃である。秋は3月から5月。天気が変わりやすい。冬は6月から8月で、最高気温は海岸で平均12℃、内陸は雪が多く3℃である。春は9月から11月までだが、10月まで雪が降ることがよくある。熱波が襲った2009年には最高42℃を記録した。年間降水量は西部では海岸の1500mmから雪が多い山地の2700mmへ変化し、人口が多い北部では700mmから1000mmと少ない。東部は日照が多い。
生物
ホワイトワラビー、ハリモグラ、フェアリーペンギン、オットセイ、イルカ、クジラ、アワビが生息、トロワナ・ワイルドライフパークでは初のタスマニアンデビルの繁殖、カンガルー、パディメロン、ウォンバットを見る事ができる。タスマニアンタイガーは絶滅したとみられる。
経済
伝統的な主要産業は鉱業(銅、亜鉛、錫、鉄)、林業、農業、観光である。1990年代に製造業が衰退し、シドニーやメルボルンに移住する熟練労働者が増えた。政府部門が最大の雇用者である。州民所得はオーストラリア全州で最も低く、州政府の予算はブリスベン市程度の規模しかない。また近年大規模な森林の伐採が行われ、環境破壊が問題となった。2001年以降、経済が飛躍的に回復し、とくに本土や海外からの移住増加もあって住宅価格が上昇した。
アヘン剤をベースにした鎮痛剤の世界供給量のほぼ半分を担っている[1]。
交通
ホバート国際空港は1998年から国際線の定期便運行を停止している。国内のメルボルン、シドニー、ブリスベーン、アデレードを結ぶカンタス航空とその子会社の定期便が運航しており、とくに格安便による最近の旅客増加は国内第二となった。
州政府がデボンポートとメルボルン間にバス海峡を横断する週6便のフェリーを運航している。
島内は高速道路含め道路が整備されている。鉄道は4都市と鉱業・林業のために使われていたが、1977年以降、一部観光地域を除き、旅客サービスが無くなった。
教育
世界遺産
近年の出来事
- 1996年4月29日、当時29歳の白人男性が無差別発砲で観光客や住民35名を射殺し、37名に負傷させた。ポートアーサー事件と呼ばれる。
- 2004年5月14日、タスマニア出身のメアリー・ドナルドソンがコペンハーゲンでデンマーク皇太子フレゼリクと結婚式を挙行した。
- 2005年5月 - 女性教師が男子生徒らに性的暴行を行ったとして逮捕された。タスマニアの教育界はこの問題で教師のための倫理規則を採用しなければならない状況になった。(オーストラリア連続少年暴行事件)
- 2009年6月 - タスマニア大学に留学していた26歳の中国人女子学生が、21歳の2人のオーストラリア人男性によって殺害された。その後に行われた追悼集会の最中にも、現地若者から集会に参加していた留学生に対し野次が飛ばされ、留学生の中には帰国する者もでた。
タスマニア州を扱った作品
- 映画「タスマニア物語」(1990年、日本)
- 小説「グールド魚類画帖 テンプレート:Interlang」 リチャード・フラナガン(2001年、タスマニア)
- 小説「英国紳士、エデンへ行く テンプレート:Interlang」 テンプレート:Interlang (2000年、英国)
参考資料
- タスマニア最後の「女王」トルカニニ 松島駿二郎著 草思社
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon 焼津市(日本) 1977年から
- テンプレート:Flagicon ラクイラ(イタリア)
- テンプレート:Flagicon バリーレ(イタリア)
脚注
関連項目
- トルガナンナ - 最後の純血のタスマニア人(女性)
外部リンク
- タスマニア州政府 テンプレート:En icon
- タスマニア州観光局 テンプレート:Ja icon
- tas21.COM タスマニア観光情報テンプレート:Ja icon
- タスマニアの気候と服装|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイトテンプレート:Ja icon
- ホバートの交通機関と地図|オーストラリア政府観光局 教育旅行公式サイトテンプレート:Ja icon