日本標準時
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日本標準時(にほんひょうじゅんじ、テンプレート:Lang-en、略語:JST)は、独立行政法人情報通信研究機構の原子時計で生成・供給される協定世界時(UTC)を9時間(東経135度分の時差)進めた時刻(すなわちUTC+9)をもって、日本における標準時としたものである[1]テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。同機構が決定するUTCは“UTC(NICT)”と称されテンプレート:Sfn、国際度量衡局が決定する協定世界時 (UTC) との差が±10ナノ秒以内を目標として調整し管理されているテンプレート:Sfn。俗に日本時間とも呼ばれる。 情報通信研究機構が通報する標準時は、日本全国で日本放送協会 (NHK) などの放送局やNTT (117) の時報に用いられている[2][3]。
一方、中央標準時(ちゅうおうひょうじゅんじ、テンプレート:Lang-en、略語:JCST[4]テンプレート:Sfn[5])は、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台が決定し、現実の信号として示す時刻でテンプレート:Sfn、水沢VLBI観測所の天文保時室でセシウム原子時計が運転されている[6]。なお、国立天文台が編纂する「理科年表」では中央標準時について、中央標準時=協定世界時+9h としているテンプレート:Sfn。
日本標準時 (JST) と協定世界時 (UTC) との差を示す場合などには、「12:31:40+0900 (JST)」(日本標準時で12時31分40秒の場合)などと表記される。
目次
標準時と中央標準時
日本における「標準時」に関する法令は、十分に整理されていないのが現状で、法令上「標準時」と「中央標準時」という名称は現れるが、「日本標準時」という名称は、法令上は現れない[7]。
日本国の法令では、標準時の定義について「東経135度の子午線の時」をもって日本における一般の標準時と定めテンプレート:Sfn、その標準時を中央標準時と称する[8]こと以外に具体的な定めはない。
ただし、標準電波の発射及び標準時の通報に関しては、総務省(情報通信国際戦略局技術政策課)がその事務をつかさどる[9][10](この所掌事務は、旧電気通信省テンプレート:Sfnから旧電波監理委員会テンプレート:Sfn、旧郵政省テンプレート:Sfnを経て総務省に引き継がれている)。 さらに、郵政大臣(総務大臣の前身)が法令に基づいて発した郵政省告示によりテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn、標準電波で通報される標準時は協定世界時を9時間進めた時刻とされるテンプレート:Sfn(この定めは、1971年(昭和46年)の郵政省告示(1972年(昭和47年)1月1日施行)テンプレート:Sfnからである)。 なお、独立行政法人情報通信研究機構は法令と告示に基づいて標準電波を発射し、及び標準時を通報する業務を行うテンプレート:Sfn。
また、中央標準時の決定及び現示に関しては、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台がその事務を目的テンプレート:Sfnの一部として設置テンプレート:Sfnされている(この設置目的は、1955年(昭和30年)に改正された旧東京大学東京天文台の目的テンプレート:Sfnから引き継がれている[11])。したがって中央標準時は、法令に基づいて国立天文台が中央標準時として決定及び現示する時刻と言える。
情報通信研究機構が通報する標準時と、国立天文台が決定及び現示する中央標準時との関係については、どちらの機関も国際原子時の作成に寄与する原子時計を運転しテンプレート:Sfnテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn、それらの時計で決定する協定世界時 (UTC) + 9時間をそれぞれ標準時テンプレート:Sfn、中央標準時テンプレート:Sfnテンプレート:Sfnとしているが、いかに不確かさが小さい(正確度と精度に優れた)時計であっても、同一の時計ではないので完全に時刻が一致することはない。これについて、情報通信研究機構を所管する総務省と国立天文台を所管する文部科学省は共同告示により、情報通信研究機構が通報する標準時については国立天文台の決定する中央標準時により、その偏差を算出し、これを情報通信研究機構において公表するとしているテンプレート:Sfn。
なお、過去の関係やその経緯については、#標準時の通報の歴史 を参照。
夏時間(サマータイム)
2012年現在、法令に基づき、JSTに1時間を加えたタイムゾーンを採用する夏時間(サマータイム)は実施されていない。ただし、過去には、1948年から1951年、5月(1949年のみ4月)第1土曜日から9月第2土曜日までの間、夏時刻法に基づきサマータイムが施行されていた。なお、2004年 - 2006年(2006年で終了)の7月 - 8月に北海道札幌市で試行されたいわゆる「北海道サマータイム」は、標準時を変えずに始業・終業時刻を1時間早める試みで、通常の意味での夏時間ではない。
JSTと定義が同じ標準時
以下の標準時は、日本標準時 (JST) と同じく協定世界時 (UTC) を9時間進めた標準時である。厳密には、基準とする原子時計が異なることから生じる体感できないほど僅かな不確かさ(誤差)がある。
- インドネシア東部標準時 (WIT) - インドネシア東部(イリアンジャヤ、モルッカ諸島など)。
- 韓国・朝鮮標準時 (KST) - 大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国全土。
- パラオ時間 (PWT) - パラオ全土。
- 東ティモール時間 (TLT) - 東ティモール全土。
既に廃止されたJSTと定義が同じ標準時
- オーストラリア西部夏時間 (AWDT) - 2006年から2009年まで試験施行されていたが、本施行はされなかった[12]。
- モンゴル夏時間 (MNST) - 2001年から復活していたモンゴルの夏時間。2007年に廃止された[13]。
- イルクーツク時間 (IRKT) - ロシアのイルクーツク周辺で使われた。(2011年より夏時間を通年使用)
歴史
日本の標準時に関して初めて制定された法令は、本初子午線経度計算方及標準時ノ件(明治19年勅令第51号、1886年(明治19年)7月13日公布)である。この勅令では、グリニッジ天文台子午儀の中心を通る子午線(グリニッジ子午線)を本初子午線(経度0度)とし、東西それぞれ180度で、東を正、西を負として表すことを定めた上、東経135度 (GMT+9:00) の時刻を日本の標準時(「本邦一般ノ標準時」)と規定した。この日本の標準時に関する部分は1888年(明治21年)1月1日から適用されたテンプレート:Sfn。
その後、標準時ニ関スル件(明治28年勅令第167号、1895年(明治28年)12月28日公布、1896年(明治29年)1月1日施行)が制定され、第1条において東経135度の標準時の呼称を「中央標準時」と、第2条において東経120度 (GMT+8:00) の時刻を「西部標準時」とそれぞれ規定した。後者は八重山列島・宮古列島と日本統治下の台湾・澎湖諸島に適用された。中央標準時と西部標準時との時差は1時間であったテンプレート:Sfn。
この「二つの日本時間」は41年余り続いたが、明治二十八年勅令第百六十七号標準時ニ関スル件中改正ノ件(昭和12年勅令第529号、1937年(昭和12年)9月25日公布、同年10月1日施行)という改正勅令により、前の明治28年勅令第167号の第2条(西部標準時に関する条)の条文が削除され、再び日本の標準時は一つとなった。なお、この改正では第1条(中央標準時に関する条)については改正されなかったため、「中央標準時」との呼称は維持された[14]。 西部標準時が年半ば(9月)で廃止された理由は、台湾及び澎湖諸島並びに八重山及び宮古列島において、政治、経済、交通その他諸般の点に鑑み中央標準時に依る必要があることによるとされるテンプレート:Sfn。 1954年(昭和29年)ごろ、中央標準時の中央を除くことや明治以来の時関連の法令改正案が検討されていたようだが、日の目を見ることはなかったテンプレート:Sfn。
この2つの勅令は現在も政令として有効でありテンプレート:Sfn[15][16](文部科学省の所管)、「中央標準時」が日本の標準時の法令上の正式名称とされるテンプレート:Sfn。現行法上、上記勅令以外にも、電波法施行規則[17]、無線局運用規則テンプレート:Sfnや国立大学法人法施行規則テンプレート:Sfnにおいて用いられている。
ちなみに、この改正が行われた当時は本土の標準時とは別に、1920年ヴェルサイユ条約・パリ協定で日本の委任統治領となった、南洋諸島の標準時が1919年2月1日より施行されており、東部標準時が日本の中央標準時+2時間、中部標準時で日本の中央標準時+1時間、西部標準時は日本の中央標準時と同じであった。1937年に中部標準時を廃止して2つに再編している。1945年の敗戦による統治権の放棄により廃止したテンプレート:Sfn。
かつては、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線における地方平均太陽時と定義されていた。
子午線上にある明石市立天文科学館では、日本標準時を刻む大きな時計が設置されている。1978年に設置された2代目の時計は1995年の阪神・淡路大震災で破損し、停止してしまったため、撤去されて神戸学院大学で展示されている。現在設置されている大時計は3代目であり、服部セイコーからの寄贈である。
South Ryukyu Islands時間
FreeBSDなど一部のUNIX系OSでは、1999年初頭までインストール時にタイムゾーンとして「Japan」を選択すると、選択肢として「Most Locations」と「South Ryukyu Islands」の2つの選択肢が現れ、「South Ryukyu Islands」を選ぶとタイムゾーンとして西部標準時 (UTC+8) が設定される問題が存在した。
これはこれらのOSがタイムゾーン設定の元データとして利用しているtzdataに誤って西部標準時に関するデータが含まれていたためである。これの元は「The International Atlas (3rd edition)」(Thomas G. Shanks、1991年)という文献において、「西部標準時が現在も石垣市を含む地域で使用されている」旨の誤った記載が行われていることが原因であった。
このことが雑誌「UNIX USER」(ソフトバンク)で取り上げられた結果、1999年にはtzdataから西部標準時が削除され、その後のバージョンでは「South Ryukyu Islands」という選択肢はなくなった。2006年4月1日にリリースされたエープリルフール版のFreeBSD 2.2.9-RELEASEでは、このバグがわざと残されている。
標準時の通報の歴史
標準時の通報や、有線/無線報時に関する歴史は次の年表の経過をたどる。
標準時の報時のはじまり
- 1886年(明治19年)
- 明治19年勅令第51号テンプレート:Sfnの制定により標準時が確立した直後から、内務省地理局観象台の観測を基に、標準時を逓信省東京電信局に通報し、そこから全国に標準時が通知されていたテンプレート:Sfn。
- 1888年(明治21年)
- 1月1日
- 明治19年勅令第51号の標準時が施行されたテンプレート:Sfn。この日の零時零分の時刻は内務省地理局観象台が全国の電信局に通報しており、以後も、暫くの間、正午報時信号が地理局観象台から各電信局に通報されていたテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 5月
- 6月4日
- 9月26日
- 東京天文台では、この日から、陸軍省の依頼により正午を通知する正午号砲用の時刻比較を始め、逓信省の依頼で電信局への正午時刻の通報を行うことになるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 10月23日
- 東京天文台での恒星の観測はこの日以降から行われたテンプレート:Sfn。(恒星の観測は、観測地点の経度測量や平均太陽時の測定に必要とされる。)
- 12月5日
- 明治21年勅令第81号で、天象観測及び暦書調製が文部大臣の管理となり、時刻の管理は正式に内務省地理局(国土地理院の前身)から東京天文台に移管されるテンプレート:Sfn[20]テンプレート:Sfn。
- 1月1日
- 1895年(明治28年)12月28日
- 標準時ニ関スル件(明治28年勅令第167号)が公布(翌年1月1日に施行)され、従来の標準時(東経135度の子午線の時)を中央標準時と称することになるテンプレート:Sfn。
無線報時のはじまり
- 1911年(明治44年)12月
- 1912年(大正元年)9月
- JJCの無線報時が正式業務として開始されるテンプレート:Sfn。
- 1919年(大正8年)
- 国際報時局(BIH、現 国際地球回転・基準系事業)が設立されるテンプレート:Sfn。
- 1921年(大正10年)11月24日
- 1922年(大正11年)
- 第1回の国際的な経度測量を行うことが決まり、臨時的に毎日午後11時に学用報時が船橋局から放送された。これが、学用形式のJJC報時の始まりとなるテンプレート:Sfn。
- 1924年(大正13年)4月
- 1925年(大正14年)
- 6月
- 正式に学用形式によるJJC報時が放送されるようになったテンプレート:Sfn。定刻報時は学用式と大衆向けの日本式の2形式であるテンプレート:Sfn。
- 当年内
- 国際天文学連合 (IAU) と国際測地学・地球物理学連合 (IUGG) の主催で、国際報時局(BIH、現IERS)が中央局となって第1回万国経度観測が実施された。無線報時の利用によって、当時予想していなかった高精度(±0.001秒台)が可能なことが示される。このとき確立された国際的な観測網に基づき、国際協力事業として各地の時刻が総合されている(確定世界時)テンプレート:Sfn。
- 6月
- 1933年(昭和8年)
- ±0.001秒の確度を目標に準備が整えられて、第2回万国経度観測が実施される。そのとき日本の成績は世界でもトップクラスであった。このとき使用された諸機械は、第一次世界大戦の賠償としてドイツから輸入したバンベルヒ子午儀、リーフラー振り子時計テンプレート:Sfn、テレフンケン長波受信機などの一流品であったテンプレート:Sfn。
- 1948年(昭和23年)
- 三鷹国際報時所が東京天文台に併合されるテンプレート:Sfn。
- 1948年ころ、東京天文台の時計室にはリーフラー製の天文用振り子時計テンプレート:Sfnが南向きと東向きに据え付けてあった。小さな地震でも狂うので、クロノグラフを描かせてクロノメーターと比較し、歩度の変化があれば調整が実施された。この時計室の真上に報時室があり、2台のルロア型の発信時計から報時信号が出された。なお、当時の報時は、午前11時と午後9時、および午後4時半の3回、JJCの発信符号による無線報時のほか、正午に有線の報時を行っていた。報時は、最も新しい観測値からリーフラー時計の誤差をもとめ、その値を報時の時刻まで外挿し、発信時計に合わせて行われた。また、梅雨時などに観測が連続してできない場合は、外国報時を参考にした。当時は、戦争による物資の不足や装置の劣化の影響により、無線報時の精度が劣化しており、国際報時局(BIH、現IERS)の報告に JJC の修正値が0.1秒を超えなければ良い方であったテンプレート:Sfn。
標準電波による標準時の通報
- 1948年(昭和23年)
- 4月
- 8月1日
- 昭和23年文部省/逓信省告示第1号により、標準(周波数及び秒報時)電波の発射が開始され、逓信省電波局が発射する標準電波で三鷹の東京天文台からの制御により、短点方式(約0.1 s長)による秒報時(確度0.03秒)が行われた。なお、発射した標準電波の秒信号の修正は東京天文台において計算の上、別途官報に発表するとされた[24]テンプレート:Sfn。報時はJJCによる定刻報時の日本式と学用式に加えて、JJYでの分秒報時の3形式となるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 12月15日
- 電気通信省設置法 第5条で電気通信省が有する権限として「周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を放送すること。」が定められ、第35条で電気通信省電波庁技術部がその事務をつかさどるとされたテンプレート:Sfn。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 4月
- 6月1日
- 電波法と電波監理委員会設置法が施行され、電気通信省電波庁は電波監理委員会電波監理総局に改組される。電波監理委員会は周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を通報する権限を有し、電波監理委員会電波監理総局電波部がその事務をつかさどるとされるテンプレート:Sfn。これ以後、標準電波で通報される標準時については、電波法や無線局運用規則に基づいて告示されることになるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
振り子時計から水晶時計へ
- 1951年(昭和26年)
- 1月1日
- 6月7日
- 計量法(施行日:1952年(昭和27年)3月1日)が制定され、時間の計量単位としての秒は、平均太陽日のテンプレート:Gapsとし、東京天文台が秒として決定する時間で現示するとされたテンプレート:Sfn[27]。したがって、時刻の刻みとしての秒と時間の計量単位としての秒は同じ天象観測による時の計測で決定されたテンプレート:Sfn。
- これにより、標準時の通報に使用する時計は、東京天文台が測定及び報時する時刻と、秒として決定及び現示する時間に基づいて較正されることになる。
- 1952年(昭和27年)
- 8月1日
- 郵政省設置法の改正(7月31日)により、電波監理委員会が郵政省へ統合されて、郵政省電波研究所 (RRL) が発足した。郵政省は周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を通報する権限を有し、電波研究所はそれを行うための機関とされたテンプレート:Sfn。担当部署の所属は第二部標準課となるテンプレート:Sfn。
- 当年内
- 東京天文台の標準時計がリーフラー振り子時計テンプレート:Sfnに代わって水晶時計が新設される。リーフラー時計は、歩度の精度が1日 0.001 秒という驚異的な精度であったが、振り子時計は地震などの影響を受けるので、更に精度の高い水晶時計に移るといわれているテンプレート:Sfn。なお、水晶時計の安定度は短期的には地球の自転よりも優れているが、振動数の温度変化やジャンプがあるので、時計比較の基底をなすのは長期安定性に優れた地球の自転であることには変わりはないテンプレート:Sfn。
- 8月1日
- 1953年(昭和28年)
- 東京天文台で水晶時計が本格的に稼働を始める。従来のテープクロノグラフに代わる各種高精度時計比較装置が研究され、実用化されるテンプレート:Sfn。
- 1954年(昭和29年)1月
- 東京天文台で写真天頂筒 (PZT) による時刻と緯度の観測が始まるテンプレート:Sfn。
- 1955年(昭和30年)
- 時の制度の改訂や報時業務が郵政省に移管されたことから、昭和30年法律第44号により国立学校設置法が改正され、従来の東京天文台の目的のうち「時の測定、報時及び時計の検定に関する事務」が「中央標準時の決定及び現示並びに時計の検定に関する事務」に改められたテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
時刻、時間、周波数(時間の逆数)の乖離
- 1955年(昭和30年)
- 第9回国際天文学連合 (IAU) 総会の決議で、今までのUTが、観測値そのままの UT0、これに極運動による経度変化の補正 (Δλ) を加えた UT1、更に季節変化の補正 (ΔS) を加えた UT2 の、3種に区別されることになるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 1956年(昭和31年)
- 1月1日
- 東京天文台が第9回IAU総会で採択された、UT0、UT1、UT2の区別を開始するテンプレート:Sfn。UT2が代表的な世界時として正式に用いられるようになるテンプレート:Sfn。これにより、中央標準時の基礎はUT0からUT2へ内容的に移行する(すなわち、中央標準時=UT2+9時間となる)が、この際に法令の発布はとくになく東京天文台がその責任において認定しているテンプレート:Sfn。
- 郵政省告示により、周波数の一次標準器の較正を、東京天文台の決定するUT0からUT2へ変更したテンプレート:Sfn。
- 12月26日
- 昭和31年文部省/郵政省告示第1号(標準電波の周波数および通報する標準時の修正値の公表)により、標準電波の周波数及び通報する標準時の修正値は、東京大学東京天文台の決定する中央標準時に基き、周波数に関するものについては郵政省電波研究所において、標準時に関するものについては東京大学東京天文台において、それぞれ決定し、及び公表するとされたテンプレート:Sfn。
- 当年内
- 国際度量衡委員会で、時間の計量単位としての秒に暦表秒が採択される。地球の自転周期は変動するので世界時で定義される従来の秒の精度は10-8の桁でしか保証されないが、暦表秒は12桁の数字で定義されたテンプレート:Sfn。
- 1月1日
- 1957年(昭和32年)
- JJC報時で学用形式の報時をやめて英国式に切り替えるテンプレート:Sfn。
- 第3回の国際経度観測(1957年-1958年)の器械は、前回までの子午儀と振り子時計に代わり、写真天頂筒 (PZT) と水晶時計が主力となるテンプレート:Sfn。
- 1958年(昭和33年)
- 計量法の改正により、時間の計量単位としての秒に暦表秒が採用され、1958年(昭和33年)10月1日に施行されたテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。しかし、日常生活で使われる時刻の拠り所は依然としてUT2であったので、日常生活で使われる時刻の刻みとしての秒(平均太陽時の秒)と時間の計量単位としての秒(暦表秒)との複合体系が始まるテンプレート:Sfn。なお、日常生活で使用される時刻系とは別に、天体力学理論や天体暦などでは暦表秒に基づく暦表時が利用されておりテンプレート:Sfn、時間の計量単位としての秒(暦表秒)は東京天文台が現示するとされた[28]。
- 1960年(昭和35年)3月31日
- JJC報時が廃止され、日本学術会議の無線報時研究連絡委員会も解散するテンプレート:Sfn。これにより、無線報時は標準電波によるJJY報時に一本化される。
原子的標準に基づく周波数と時間
- 1960年(昭和35年)
- 第13回国際電波科学連合 (URSI) 総会および第11回国際天文学連合 (IAU) 総会(1961年)で、セシウム原子標準の振動数 テンプレート:Gaps Hz が公認され、これに基づく新たな標準電波報時の国際同期方式(旧協定世界時)を具体化したテンプレート:Sfn。
- 1961年(昭和36年)9月1日
- 1962年(昭和37年)4月25日
- 昭和37年文部省/郵政省告示第1号により、「郵政省設置法の規定に基づいて発射する標準電波の周波数については、郵政省電波研究所の原子周波数標準器により、通報する標準時については東京天文台の決定する中央標準時により、それぞれ偏差を算出し、これを郵政省電波研究所において公表する」となるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- なお、この当時はまだ協定世界時 (UTC) が採用されていないので、東京天文台が決定する中央標準時は世界時 (UT2) +9時間である。
- 1964年(昭和39年)
- 6月1日
- 郵政省告示により、標準電波をCCIR勧告方式に全面改訂。標準電波により通報される標準時の確度は中央標準時に対し0.1 s以内となるテンプレート:Sfn。
- 9月
- 第12回国際天文学連合 (IAU) 総会で、世界時 (UT2) と±0.1秒以内で近似するように調整された旧協定世界時の採用を決議したテンプレート:Sfn。
- 6月1日
- 1967年(昭和42年)
- 10月
- 12月
- 東京天文台に、ヒューレット・パッカード製の原子時計が納入されるテンプレート:Sfn。
- 1969年(昭和44年)
- 電波研究所で、実用セシウム標準群が水晶標準器の代わりに主役として標準時の維持に貢献するようになるテンプレート:Sfn。
うるう秒の導入
- 1970年(昭和45年)
- 第14回国際天文学連合 (IAU) 総会で、旧協定世界時の大幅な改善策が決議されたテンプレート:Sfn。
- 1971年(昭和46年)
- 11月1日
- 郵政省告示により、JJYで通報する標準時を1 ms遅らせる時刻特別調整実施テンプレート:Sfn。
- 当年内
- 国際無線通信諮問委員会 (CCIR) の中間会議で、細部の具体策を含めて現行の協定世界時が決定されたテンプレート:Sfn。
- 11月1日
- 1972年(昭和47年)
- 1月1日
- 郵政省告示が施行され、標準電波の周波数オフセットの廃止、0.107620秒遅らせる時刻特別調整と、時刻のUTC (RRL) (電波研究所 (RRL) で生成する協定世界時)への変更を行い、新UTC方式に移行、周波数確度は1×10-10となる。また、DUT1信号の重畳、UT1に近付けるための1秒スッテプ調整(うるう秒調整)が取り入れられるテンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- なお、標準電波に重畳されたDUT1信号の値(UT1-UTC の予測値)を利用することで、標準電波の JST から、0.1秒の精度で UT1+9h=JST+DUT1 が得られるテンプレート:Sfn。
- 5月9日
- 計量法が改正され、時間の計量単位としての秒に原子時計による現在の定義が採用された[29]。これにより協定世界時による時刻の刻みとしての秒と時間の計量単位としての秒が一致するようになった。しかし、時間の計量単位としての秒を現示する機関を東京天文台とする定めがなくなり、どの機関が現示するのかが明らかでないため、時間や周波数の計量単位の国家標準が機能しない状態になるテンプレート:Sfn。
- 5月
- 7月1日
- 第一回目のうるう秒調整実施テンプレート:Sfn。
- 1月1日
- 1981年(昭和56年)
- 当時の理科年表では、中央標準時=UT1+9h とされたテンプレート:Sfn。
国際標準と結ばれた時刻、時間、周波数
- 1983年(昭和58年)4月
- 東京天文台でGPS衛星を利用した時刻比較方式の定常運用が開始されたことにより、東京天文台の原子時計は欧米の原子時計と一億分の一秒の精度で時計比較が可能となった。これによって、ロランCの電波で東京天文台と時計比較しているアジア諸国の原子時計も、1983年(昭和58年)後半から欧米並の精度となり国際原子時の決定に寄与できることになった。なお、これまでは、極東地域のロランC電波は欧米の機関では遠すぎて精度よく受信することができないため、欧米の原子時計とアジア諸国の原子時計とは精度のよい時計比較ができず(典型的な精度比較で、欧米内で 0.05 マイクロ秒であるのに対し、アジアと欧米の間では、0.2 マイクロ秒)、東京天文台の原子時計はパリの国際報時局(BIH、現IERS)が決めていた国際原子時を形成する平均の母集団に参加できていなかったテンプレート:Sfn。
- 1984年(昭和59年)
- 1月
- 中央標準時は協定世界時 (UTC) に9時間を加えた(進めた)もの(厳密に言えば、法律に従って東京天文台が現示している中央標準時は、東京天文台で作られる協定世界時(区別して UTC(TAO) と書かれる)に9時間を加えたもの)であるといわれる。この背景には、前年から始まったGPS衛星を利用した時刻比較方式により、東京天文台の原子時計が国際原子時の決定に寄与できるようになったことがあるテンプレート:Sfn。
- 2月
- 電波研究所でも、汎地球測位システム (GPS) 衛星のL1バンド (1575.42 MHz)、C/Aコードを利用した時刻比較受信機を開発、受信開始。これにより、今まで欧米から独立していた日本の原子時計が結合され、初めて国際原子時決定に寄与することとなる。これらのデータは、国際報時局(BIH、現IERS)へ送り始める。また、セシウムビーム一次周波数標準器Cs1 (RRL) の確度評価値を年1-2回不定期に送り国際原子時の較正寄与を開始テンプレート:Sfn。
- 1月
- 1988年(昭和63年)
- 1月1日
- 国際報時局 (BIH) が国際地球回転観測事業(IERS、現 国際地球回転・基準系事業)に改組され、国際原子時、協定世界時などの原子時計や周波数に関連する業務が、国際度量衡局に移管されるテンプレート:Sfn。
- 地球回転の観測は、原子時計の精度とかけ離れた写真天頂筒 (PZT) から、電波、レーザーを使った高精度の距離観測(VLBI、月・人工衛星レーザーなど)に移行することになるテンプレート:Sfn。
- 4月8日
- 郵政省組織令に改正により、郵政省電波研究所 (RRL) が郵政省通信総合研究所 (CRL) と名称変更するテンプレート:Sfn[30]。
- 7月1日
- 国立学校設置法施行令の改正により、東京大学に附置される研究施設の東京天文台 (TAO) がテンプレート:Sfn、大学共同利用機関の国立天文台 (NAOJ) に改組される[31]。
- 1月1日
- 1992年(平成4年)5月20日
- 新たに計量法が全面改訂され、国の機関が時間の計量単位としての秒を現示する定めはなくなったテンプレート:Sfn[32]。時間の計量単位の現示に関する指定がない状態が継続するテンプレート:Sfn。
- 2003年(平成15年)4月1日
- 国の機関による時間の計量単位としての秒の現示に代わって、時間(秒)の逆数で表される周波数について、経済産業大臣が特定標準器テンプレート:Sfnとして、国際標準(国際原子時・協定世界時)と比較され確度評価された周波数標準器(原子時計)を指定することになる。特定標準器には通信総合研究所 (CRL) と産業技術総合研究所計量標準総合センター (NMIJ) の周波数標準器が指定された[33]。これにより、時間・周波数の計量単位の国家標準(特定標準器)とトレーサビリティが確立できるようになるテンプレート:Sfn。
インターネットによる標準時の配信
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)春
- 国立天文台の天文保時室で「世界で初めてUTCに同期したセシウム原子時計直結の Strutum 1 サーバー」(NTPサーバー)が本格運用を始めるテンプレート:Sfn。
- 1995年(平成7年)8月31日
- 通信総合研究所が、インターネットによる標準時の供給に関し、(株)インターネットイニシアティブと共同研究開始テンプレート:Sfn。
- 2001年(平成13年)
- 1月6日
- 中央省庁再編により総務省設置法や総務省組織令が施行され、郵政省通信総合研究所から総務省通信総合研究所に組織変更テンプレート:Sfn[35]。
- 4月1日
- 10月24日
- 通信総合研究所の日本標準時表示システムを総務省本省ロビーに設置テンプレート:Sfn。
- 1月6日
- 2004年(平成16年)4月1日
- 独立行政法人情報通信研究機構 (NICT) 発足テンプレート:Sfnテンプレート:Sfn。
- 大学共同利用機関法人自然科学研究機構が発足し、国立天文台がその大学共同利用機関として設置されるテンプレート:Sfn[37]テンプレート:Sfn。
- 2005年(平成17年)2月8日
- 情報通信研究機構が日本標準時を利用したNTP本格サービス提供開始テンプレート:Sfn。
- 2006年(平成18年)
- 2月7日
- 情報通信研究機構が日本標準時システムを更新し、精度が5倍向上したテンプレート:Sfn。
- 6月12日
- 情報通信研究機構が世界最高性能のインターネット用時刻同期サーバによる日本標準時の配信開始テンプレート:Sfn。
- 2月7日
標準電波
日本標準時 (JST) を国内外に広く供給するために、情報通信研究機構は標準電波を発信している。この波により送信されている周波数の標準と標準時の信号は、国家標準であるセシウムビーム型原子周波数標準機や水素メーザ型、実用セシウムビーム型原子時計群を用いたものより高い精度に保たれている。なお、標準電波の発信は電離層の影響を受けにくい長波を使用しているため、24時間の周波数比較平均値では 1×10−11 の精度を得られると発表されている。
1999年6月10日に「おおたかどや山標準電波送信所」(福島県田村市都路町 大鷹鳥谷山)が開局した。しかし、九州沖縄方面では受信しにくい現象が起こるなどで日本全国をカバーできなかったため、2001年10月1日には佐賀県佐賀市富士町の羽金山に「はがね山標準電波送信所」を開局し、これにより日本国内の広い範囲で標準電波が受信ができるようになった。
いわゆる電波時計は、この標準電波を受信し、自動で時刻を合わせる時計である。
NTP
情報通信研究機構はインターネット経由で時刻同期を可能とするため、NTPサーバによる時刻情報提供サービスを2006年から提供している。NTPサーバのアドレスはntp.nict.jpである[38]。通常はNTPサーバの処理能力の限界を考慮し、原子時計などに直結されたNTPサーバを一般ユーザが直接利用すべきではないとされているが、このサーバは毎秒100万リクエスト以上の処理能力を持ち、日本標準時に直結でありながら一般ユーザが直接利用して構わないとしている[39]。
UTCとJSTの換算
次の表でUTC+9とあるのが、JSTである。 テンプレート:時差表
日本標準時を変更する動き
2013年5月22日、猪瀬直樹前東京都知事は、日本標準時を2時間早める提案を産業競争力会議で行った。東京の金融市場の開始を早めることで東京市場の存在感を高めるのが狙いとされている。政府はこの提案を検討するとしている[40]。もっともその後、この提案について具体的に話し合われた様子はない。
脚注
参考文献
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- 法律
- 勅令
- 省令・規則
- 告示
関連項目
- 日本標準時子午線
- 人丸前駅(山陽電気鉄道) - 日本で唯一、駅構内を日本標準時子午線が通過している。
- 日本へそ公園駅
- JJY
- UTC+9
- 小金井市 - 日本標準時を生成・供給するための原子時計が設置されている情報通信研究機構の所在地
- 奥州市 - 中央標準時を決定し、現実の信号として示す(現示する)ための原子時計が設置されている国立天文台水沢VLBI観測所の所在地
外部リンク
テンプレート:Sister テンプレート:Sister テンプレート:Sister
テンプレート:タイムゾーン- ↑ テンプレート:Cite journal§3
- ↑ テンプレート:Cite journal§3
- ↑ テンプレート:Cite webA. ¶7
- ↑ テンプレート:Cite journal§2.2
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ テンプレート:Citation第10条第5号、第69条第2号 - テンプレート:法令データ提供システム
- ↑ テンプレート:Cite web第6条の表
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- ↑ テンプレート:Cite journal§2
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- ↑ テンプレート:Cite web第3条第3号
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- ↑ テンプレート:Cite web§2
- ↑ テンプレート:Cite journal囲み記事「暮らしと技術」
- ↑ テンプレート:Cite news