時報
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時報(じほう)は、正確な時刻を知らせる合図である。
正確な時刻を知らせる方法として、古代よりいろいろな方法が使用された。時計にも記す。
目次
概要
日本では天智天皇が「漏刻」と呼ばれる水時計を使用し、正確な時刻を知らせたのが緒とされる。その後、律令制での中務省に属する陰陽寮が時刻の管理を行った。
また、時刻を知らせる方法としては寺院や教会などの梵鐘や鐘が使用された。とりわけ中世ヨーロッパの都市においては時計塔を設け、機械時計により自動的に鐘を鳴らす事で時報とするものが現れた。
江戸時代の城下町においては城における太鼓のほか、民間でも町人が鐘を使用して知らせていた。その後の明治時代には、これに代わり大砲の空砲射撃(ドン・午砲)により時刻を知らせた。正午を「昼ドン」というのはここから来ている、という説もある。後にはサイレンも使われる様になり、近年では防災行政無線も活用されている。
各メディアでの時報
テレビ・ラジオ
現在はラジオのみで時報が発せられ、正報音のみで正時を知らせる(「ポーン」の形)ものもあれば予報音も併用して数秒前から知らせるものもある。予報音の回数は3点時報の場合は正時の3秒前から3回(「プッ、プッ、プッ、ポーン」の形)、2点時報の場合は正時の2秒前から2回(「プッ、プッ、ポーン」の形)鳴らされる。予報音が特徴的なものとしてはニッポン放送と秋田放送ラジオの鳩時計をイメージした「ピッポッ、ピッポッ、ピッポッ」や文化放送・静岡放送・InterFMのように独自に制作されたメロディのもの、TBSラジオのように2点時報に独自メロディが重なるもの、ラジオ日本・STVラジオのチューブラーベルの音がある。AFNでは、まれに電話のプッシュトーン様の音が正時のタイミングのみに発出される事がある。また、STVラジオは札幌時計台の鐘の音の生放送を時報に使用することもある。ABCラジオは正報のみであるが、独特の低い音が鳴る。
テンプレート:Side box NHKの時報は、正時の5秒前から440Hzの予報音を3回、正時に880Hzの正報音を1回、正時の3秒後に正報終了という構成になっている。時報前の無音部分は、地上アナログ放送では1000ミリ秒だったが、AM・FMラジオでは無音部分がほぼないことも珍しくない。予報音は一定音量の440Hzの正弦波を100ミリ秒発振させ、その後900ミリ秒の無音を置く。これを1セットとして正時の3秒前から3回繰り返している。正報音は880Hzの正弦波を発振させ1000ミリ秒間ほぼ一定の音量に保ち、次の2000ミリ秒で減衰させている。
テレビでは地上デジタル放送や放送中継回線のデジタル化によって信号の伝送遅延や符号化遅延・復号遅延が発生し、特に地上デジタル放送の場合は地域や受信機によって遅延時間が異なるため正確なタイミングで時報を放送できず、画面上への時刻表示とともに廃止された。なおアナログ放送での時刻表示については、BSアナログ放送の場合は遅延時間をほぼ一定に保つ事ができ、また地上波では地域拠点局から時刻表示をして中継回線での遅延をほぼ解消しており、このように早めに時報・時刻信号を送る事で時報・時刻表示を実現していた。
NHKは2004年3月25日まで総合テレビで時報音が流れ、教育テレビ(Eテレ)[1]でもアナログ放送終了前日の2011年7月23日まで流れていたが、アナログテレビ放送終了に伴いテレビでの時報音は事実上消滅し、現在はラジオ第1・第2・FM放送・国際放送「NHKワールド・ラジオ日本」のラジオ放送(短波・衛星によるデジタルラジオとも。衛星デジタルラジオは遅延時間の修正なしでそのまま送出されるため約1秒のタイムラグが発生する)のみに流れている(ラジオ第1・FM放送で午前1時に終了する場合は東京を除き時報が流れない。また、時報が流れる時間帯にまたがって緊急地震速報が出された場合はNHKワールド・ラジオ日本の日本語放送を含めたすべての放送波で時報は流れない。)。ただし、ラジオ第1・ラジオ第2・FMの3波を同時配信している「NHKネットラジオ らじる★らじる」では数秒のタイムラグが生じているためすべての時間帯において時報は流れない[2]。デジタル放送以前はBSデジタル・アナログ放送の他、2003年12月からの2年4ヶ月間は地上デジタル放送でも独自の時報を流していた。
民放ラジオ局のradikoでもタイムラグが生じるため、各局の設備の都合により時報を省略する・そのまま流す・代替音を流すと様々で対応が分かれている[4]。
放送大学では、スカパー!との同期放送を開始するまでは正時と番組の切れ目とが重なる時及び6時と24時に時報を流していた。これはテレビ・ラジオ共に行われていた。
民放テレビの場合、元々在京キー局や一部の地域を除いて時報を流す局は少なかったが、在京キー局でも時報を流さないケースが多くなった。これは、特にゴールデンタイムの番組編成で「跨ぎ」と呼ばれる毎時54分や57分開始などのフライングスタートを行う手法が採られる様になったためと、地上デジタル放送が開始されたためである。在京キー局でアナログ放送終了まで時報音を鳴らしていたのはTBSテレビ[5]のみであった。
ラジオでも、J-WAVEなど後発のFM局では時報をほとんど流さない局も多い。
ラジオの時報では、正時の送出前にスポンサーを付けている放送局もある(ラジオ時報CM、「(スポンサー名)が○時をお知らせします→時報」という形。スポンサーとしてはスジャータが有名だが、スジャータの場合は予報音にあたる部分にジングルが流れる)。岐阜放送では時報の前は時報スポンサークレジットのみ流れ、時報の後に時報スポンサーCMが流れる。また、Kiss-FM KOBEはJFNに加入する前には本来時報を流す時間帯に「MUSIC CLOCK」という特定の音楽を流していた(ここにスポンサーが付く事もあり、英語の時刻告知を伴っていた時期もある)。スポンサーがない場合は、「(放送局名)が○時をお知らせします→時報」となる場合が多い。
日本の民放テレビ最初のCMは、日本テレビの開局日である1953年8月28日に放映された精工舎(現・セイコー)の正午の時報である。当時の放送関係者の証言によると放送機材の操作に慣れていなかったため、フイルムを裏返しのまま放映してしまい音がまったく出ない「音なし」の状態で30秒間放送されてしまう、日本初の放送事故となった(フィルムには、映像部分の横に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されなかった)。なお、時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た。ちなみに同日の午後7時の時報は無事に放映され、これが現存する日本最古のテレビCMである。翌29日の正午には、本来はテレビCM第1号になるはずだった「正午の時報」が無事に放映された[6]
かつてのラジオ放送における報時は以下のとおり。
- 毎日、正午および午後9時30分に放送された。正午の時報は午前11時に船橋無線電信局発信の時報を受けて中央放送局内の標準時計が正され、これによって午前11時57分に報時用時計が始動し、午前11時59分20秒からチクタクという秒音が1秒ごとに自動的に発信され、同30秒、同40秒、同50秒にはピアノA音(振動数220Hzおよび110Hzの2音が同時に用いられる)がそれぞれ3回、2回、1回、自動的に発せられ、正午にはピアノA音(振動数440Hz)が1回、発せられる。午後9時30分の報時は午後9時に船橋無線電信局から発せられる時報を受けて標準時計が正されるほかは正午の場合と同じである。この電気自動装置による報時は1933年1月1日から行われ、その以前は口頭で予告が行われ手で鐘が打ち鳴らされて正午または午後9時30分の報時がなされた。
電話
NTT(東日本・西日本)では、電話サービスの1つとして117番にて24時間現在の時刻をリアルタイムで提供している。有料で、全国どこからでも市内通話料金である。
サービス開始当初の声はニッポン放送アナウンサー真壁静野(アナウンス例「ただいまから○時○分○秒〈丁度〉をお知らせします」)、現在のアナウンスの声はナレーターの中村啓子(アナウンス例「午前〈午後〉○時○分○秒〈丁度〉をお知らせします」)である。
時報は10秒ごとに流れ、1秒ごとに秒を知らせる音(ピッ、ピッ、ピッ…)が流れている。30秒と0秒丁度の際には、3秒前から予報音が流れる。また、日付が変わる際は特に「○日になります」などは無く、「午前0時丁度をお知らせします」と流れる。
NTT中継回線(テレビ)のテストパターンの音声にも同じものが流れていて、かつては北海道の民放各局の札幌地区以外の地域では、放送休止時間帯に(117番に掛けなくてもすなわち実質的に無料で)聴く事ができたが、現在は民放各局が、NTTに代わり北海道総合通信網の中継回線を使用する事で北海道内全域で終夜放送を行う様になり、放送休止中でもNTT中継回線のテストパターンは流れなくなったため、時報も聞けなくなった。その限られた時報放送も、道内テレビ中継回線のデジタル方式完全移行に伴い、視聴できる機会は事実上なくなった。
ダイヤル番号は各国毎に異なるほか、日本でも1955年のサービス開始時から1964年2月までは地域ごとに異なっていた[1]。
アナログ方式の交換機がまだ多数使われていた1970年代–1980年代には、交換機の仕様で「同時に時報へ電話をかけてきた人と会話ができる」という現象がまれに発生した。まだインターネットやツーショットダイアルが普及していなかった時代に見ず知らずの人との会話を楽しめるこの現象は当時の中高生の間で瞬く間に知れ渡り、深夜になると親の目を盗んで時報に電話をかける若者が続出した。この現象は、電電公社がNTT東西として民営化した時期に交換機が改修されたのか、まったく見られないようになった。
イギリスでは「123」番で時報が提供されており、「speaking clock」と呼ばれる。
アートユニットの明和電機は、「ジホッチ」と言う時間を知りたい時に「117」に掛けてわざわざ時報を聞くと言う時報式腕時計を開発し、市販している。
JJY
1999年6月10日より福島県田村市・川内村境にある大鷹鳥谷山標準電波送信所及び佐賀県佐賀市・福岡県糸島市境の羽金山標準電波送信所より独立行政法人情報通信研究機構が電波による時報である「標準電波」を発している(コールサインはJJY。)。
なお、それ以前は1940年1月30日にアメリカ合衆国のWWVに続く世界で2番目に開設された標準電波局として千葉市花見川区検見川から短波による標準電波放送が行われていた(開局当初は周波数標準としての役割だけで、1948年8月1日から正式に報時が開始された)。その後、東京都小金井市への移転を経て末期には茨城県猿島郡三和町(現・古河市)のNTT名崎送信所から発信を行っていたが短波帯標準電波から長波帯への移行に伴う上記の2送信所の正式運用開始に伴い、2001年3月31日正午限りで廃止された[7]。
ニコニコ動画
ニコニコ動画ではニコニコ割り込みで時報が提供されている。毎日0時、2時に流れ、また時報前に広告が流れる事もある。インターネット配信という仕様上、時報が正確という事はなく、アナウンスも「午前○時ぐらい」という表現を用いている。
この時報が放送されるときにはすべての動画再生が中断されることもあり、不評であることから、縮小されつつある。まず5時・金曜日の23時の時報が廃止され、2010年には19時の時報が廃止された。
防災行政無線
地方自治体などで域内に市町村防災行政無線による広報システムが構築されている自治体では、こうした災害無線で時報を行なう自治体もある。主に特定の時間(例えば朝・正午・夕方など)に音楽(群馬県高崎市新町、長崎県壱岐市芦辺町地域、福岡県篠栗町・糸島市二丈地域など)やサイレン(福岡県粕屋町など)を屋外スピーカーから鳴らして時報を流す。時刻を伝える目的のみで使用すると防災行政無線の目的外使用になるおそれがあるため、設備が正常に作動しているかを確認するための試験放送を兼ねて行われている[8]。
全国的に、平日休日問わず16時から18時(自治体によって異なる)の間に各市町村で、防災無線を使って「家路」、「夕焼け小焼け」、「赤とんぼ」、「故郷」などを流す自治体、児童の帰宅を促す放送をする自治体が多い。季節によって曲や流す時間を変える自治体もある。また、静岡県浜松市天竜区の一部地域では、夏休みシーズンと年末年始のみ21時に故郷を流して児童の就寝を促している。
また、選挙の投票日には投票所の開場時刻の7時と閉鎖時刻の20時(地域によっては閉鎖時刻の1時間前)にサイレンを吹鳴している自治体もある。
歴史上の時報
手渡し
19世紀には、グリニッジ天文台でグリニッジ平均時に合わされたクロノメーター(時計)を持って天文台職員が行き来することで時報が送られた。
このグリニッジ平均時の時報はロンドン市内にとどまらず、1847年から、まず鉄道で、ついで郵便局で、各地の地方時に代わって用いられるようになった。
電信
電信による時報は、1852年のイギリスでサウスイースタン鉄道向けに実用化され、グリニッジ天文台からの時報が各駅に送られた。まもなく他の鉄道会社、郵便局、天文台、報時球・報時砲、時計メーカー・時計宝飾店などに送られるようになり、多くの時計が自動または手動で制御された。1862年には完成直後のビッグベンもグリニッジからの時報を受けるようになった。
時報は毎時0分に発せられたが、10時と13時が主である。グリニッジからは専用線が用意されたが、市外へは一般の通信線を使ったため、時報の前後2–3分間は通常の電信が停止された。
日本の郵便局では、日曜日、祭日を除く毎日、午前11時57分になると全国の一、二等局および特定三等局に通じる電信線は、通信が中止され、東京市の中央電信局の自動報時機に接続され、各郵便局の電鈴が鳴り始め、12時(正午)に東京天文台で自動報時機に通じる電流が断たれると電鈴が鳴り終る。この瞬間が正午であり、郵便局の電信係に行けばこの電鈴を聞くことができた。
日本の鉄道では、東京天文台から東京中央電信局内電信試験係経由で鉄道省東京通信所に通じて、午前11時57分になると全国の省線の各駅に通じる電線は直通または中継で鉄道省東京通信所につなげられた。このとき各駅の電鈴が鳴り始め、正午に東京天文台で電流が断たれると電鈴が鳴り止む。台湾では、内地とは別に台北測候所で時の観測が行われ、ここから全島の郵便局および停車場に報時された。
報時球
報時球(time ball)は、報時檣の頂部に設置された、垂直なポールに貫通された金属球である。これを落下させることで、視認できる範囲に報時することができる。グリニッジ天文台に1833年に初めて設置され、これは現在でも稼働している。
電信による時報が実用化された1852年には、グリニッジから制御される報時球がストランドに設置された。しかし技術的な問題から正確な時刻を知らせることができず、まもなく使われなくなった。グリニッジに制御される報時球が実用的になったのは、1856年からである。
日本では、船舶のために主要な港湾には報時檣が設備され、これによって報時された。日曜日・祭日を除く毎日、午前11時55分に報時球が報時檣の横桁に引き上げられ、12時(正午)に東京天文台から直通電流が断たれるとこれが落下する。この落下の瞬間が正午である。誤った時刻に落下したときは万国船舶信号旗 W が掲げられ、13時にふたたび繰り返される。故障で報時信号を発せられなかった場合は同信号旗 D が掲げられる。報時檣が設備されたのは横浜・神戸・門司・大阪・長崎で、ただし長崎は独立観測によって報時された。
報時砲
報時砲は、空砲の音による時報である。報時球同様、電信による時報が実用化されるとそれに制御されるようになった。
報時灯
報時灯による報時も行われた。長崎港には報時檣の近くに報時灯の設備もあった。20時55分になると三角形の緑灯3個に点じられ、約2分間、明滅したのち不動点灯として、21時00分に消灯される。ただし不動点灯中予備信号として20時58分および同59分に瞬時、消灯される。もし報時に誤りがあれば、21時00分10秒から30秒間、明滅し、その旨、知らせ、さらに21時30分に同様の信号をおこなう。故障によって報時することができない場合は点灯されない。
無線電信
無線電信による報時も行われた。
東京天文台では1912年から銚子無線電報局経由で無線電信によって報時が行われ、毎日、11時および21時に同局および船橋無線電報局から放送された。それぞれその5分前に直通電線によって東京天文台と無線電信局の報時用時計が連絡制御され、自動的に報時が行われた。報時の形式は学用式および一般用がある(理科年表の附録)。
さらに正確な報時が必要な場合は、毎月15日の官報および翌月の天文月報に掲載される正誤表で補正する。
サイレン
サイレンによる報時は、東京では1929年5月1日から行われた。東京市教育局社会教育課が司り、毎日、天文台から正確な時の通報を受けて時計を正し、これによって全市のサイレンが制御された。サイレンは1分間、鳴り響き、鳴り終わった瞬間が正午であった。